KISEKI series fan fiction
想い出のチョコレート
「あら、リィン教官。お悩み事ですか?」
放課後、教室に残って考え事をしていると、教え子のミュゼに声を掛けられた。
「ああ、でも大したことじゃないんだ。気にしないでくれ」
「そんな事言わないで下さい。分かっていますわ。──『明日』の事でしょう?」
「!」
図星だった。
ミュゼが言う『明日』というのは、帝国各地を奔走しているリィンの恋人、クロウが帰って来る日であると同時に、恋人達の日──バレンタインデーでもある。
帝国では一般的に、バレンタインには男性が恋人に花束を贈るのが風習となっている。
しかしリィンの場合、その恋人も男。花を愛でる趣味も恐らく無い。
クロウは恐らくリィンが贈るものなら何でも受け取ってくれるのだろうが、どうせならもっと喜んでくれるものをと思っている内に、とうとう前日になってしまったのだ。
「それなら、チョコレートなんてどうでしょう?」
「チョコレート、か……」
そういえば、近年はバレンタインにチョコレートを贈る習慣も広まりつつあるという。クロウは学院に居た時もたまに甘いものを摘まんでいたので、チョコレートは喜んでくれるかもしれない。
「ありがとう。……何だかすまないな、生徒にこんな話」
「いえいえ、他ならぬリィン教官の為ですから」
ミュゼはパチンとウィンクを返した。彼女の小悪魔的な一面は相変わらずだ。
***
そんな訳で、二月十四日。学院は自由行動日であるため授業は無く、リィンは帝都のショッピングモールを訪れていた。
バレンタインの季節に合わせて広間には特設コーナーが設置されており、数多くのブランドが集まってチョコレートを販売している。
その中の一つがふとリィンの目に留まった。中身はシンプルなチョコレートボンボンだが、それを入れる箱には海沿いの街の絵が描かれている。
(オルディスじゃないな、この街は……)
ひょっとして、と考えた時、ショーウィンドウの奥に居た店員に声を掛けられた。上品な年配の女性だ。
「何か気になるものがありましたか?」
「あの、この箱の絵はもしかして……」
控えめに訪ねると、店員は少し残念そうに眉を下げる。
「──市国だった頃のジュライの街を描いたものになります。当店は元々ジュライで営業していたのですが、帝国に併合された時に帝都に移転することになってしまって……」
「そう、だったんですか……」
もう一度箱に目を落とし、そこに描かれた街を見る。
蒼い空と蒼い海に対峙する賑やかな港。クロウはこの風景を見て育ったのだろうか。
***
結局、クロウへのチョコレートにはその店のものを買った。
ショッピングモールの紙袋を片手に列車でリーヴスに戻ると、いつの間にか陽は落ち、月が登り始めていた。
同時に鞄の中のACUSが鳴る。クロウからのメールだ。
『そろそろ着く』
恐らく急いで送ったのだろう。クロウにしては簡潔な文章を見て、リィンはクスッと笑う。
そのまま駅前で待っていると、オルディスからの列車が到着した。少しして、改札からクロウが現れる。
「クロウ!」
一週間も待ち焦がれた恋人に、思わず抱き付く。
「クク、随分と熱烈な歓迎してくれるじゃねえか」
そう言って、クロウは片方の手袋を脱いでリィンの頭にポンポンと手を置いた。
跳ねた黒髪を梳くようにして指を通し、冷えたリィンの頬に触れ、掌でじんわりと温めるようにして優しく撫でる。
くすぐったさにリィンが思わず顔を上げると、クロウとパチリと目が合った。
(あ……)
見つめ合う、瞳と瞳。
クロウの朱い紅耀石のような瞳の中に映る、リィンの惚けた表情。
「……リィン」
吐息がかかるほど近づいて、リィンがそっと目を閉じた瞬間──唇に、クロウのそれが触れた。
「んっ……」
ふるりと瞼が震える。
啄むような、触れるだけの口付け。角度を変えて幾度か唇を重ねた後、ちゅっと音を立てて離れていく。
再び腕の中に包まれた。
「リィン、ただいま」
甘さを含んだ優しい声が降って来て、リィンは抱きしめられたままおかえり、と呟いた。
***
そうしてしばらくの間抱きしめ合っていたが、ふと体を離し、手を繋ぎながらクロウが現在借りているアパートの一室へ向かった。
リィンは昨日の内に外泊許可を取っており、今夜はこのままクロウと過ごす予定だ。
コートをハンガーに掛け、ソファに腰掛けて一息つく。
「リィン」
名前を呼ばれ、クロウへ視線を向けると、目の前に小さな箱が差し出された。黒地に金でロゴが描かれたそれには青いリボンが掛けられ、同じく青い薔薇の花が挿されている。
「これは……もしかして」
「ああ。オルディスの店に寄った時に、な」
クロウに許可を得、リィンは箱を開ける。中には色とりどりのチョコレートが入っていた。真っ赤なハート形のものや繊細な模様が入っているもの……。一つ一つがまるで宝石のようだ。
「……ははっ」
「リィン?」
考えることは同じか、と心の中で呟いて、リィンは思わず笑みを零す。きょとんとした表情でリィンを見つめるクロウに、ショッピングモールのロゴが入った紙袋から青い箱を取り出し、手渡した。昼間に買ったチョコレートだ。
すると、クロウは目を見開く。
「こいつは……」
クロウは箱を手に取り、まじまじと見つめた後、はは、と弱々しく笑みを零した。
「クロウ? どうしたんだ?」
「いや、何でもねえ。昔を思い出してただけだ。──ガキん時に祖父さんが同じのを買って来てくれたことがあってな」
一つ食べてみても良いかと聞かれて頷くと、クロウは器用な手つきで箱を開け、チョコレートトリュフを一粒、パクリと口に入れた。
少しすると、その表情が穏やかな笑みに変わって。
「懐かしいな……。昔と変わんねえ味だ。確かあん時は祖父さんと口喧嘩になった次の日、仕事帰りに買って帰って来たんだったか」
クロウは箱に元通り蓋を被せてテーブルの上に置くと、ぽつりぽつりと話す。
「当時の俺は反抗期で。甘いものなんかで絆されてやるかって思ってたのに、一つ食べたらコロッと機嫌直っちまって。単純な奴だって笑われたもんだ……ってワリ、こんな時にする話じゃねえな」
「──そんなことないさ。むしろ嬉しいよ、俺は」
「えっ?」
首を傾げるクロウ。しかしリィンはそれを気にせず語り続ける。
「だって、今までクロウの“経歴”は聞いたことあったけど、ジュライでの“思い出”はあまり聞いたことがなかったから……。ひょっとして、昔のことは話したくないのかと思っていた」
「あ……」
それは、とクロウが言葉を詰まらせるのを見て、リィンは彼の手を取る。
「だから良かった。クロウがこうして、懐かしむように穏やかに思い出を話してくれて」
「……そう、か」
「俺、クロウのことをもっと知りたいんだ。悪友として、そして恋人として。嬉しいことも幸せなことも……辛いことも、クロウのことなら全部受け止められるから」
クロウの目をまっすぐ見つめると、彼はふとその目を伏せて。
「……ッたく、本ッ当にオマエにゃ敵わねえな」
「クロウ? ……わっ」
どういうことだ、と言いかけたところで不意に抱き寄せられ、頬にちゅっとキスをされる。
「わーったよ。これからは時間をかけて、いくらでも話してやる。俺の過去も今も……そして未来も、お前のモンだ」
耳元で囁かれたその言葉に、リィンはふにゃっと笑って、こくりと頷いた。
「ああ。──ありがとう」
──きっと、まだまだお互いに知り得ないことは途方もなく多いのだろう。二人が共に在る時間より、離れていた時間の方が多いのだ。
だけど、こんな風に少しずつ知っていくことが出来たら、それで良い。
二人を阻むものは、もうどこにも無いのだから。
「あら、リィン教官。お悩み事ですか?」
放課後、教室に残って考え事をしていると、教え子のミュゼに声を掛けられた。
「ああ、でも大したことじゃないんだ。気にしないでくれ」
「そんな事言わないで下さい。分かっていますわ。──『明日』の事でしょう?」
「!」
図星だった。
ミュゼが言う『明日』というのは、帝国各地を奔走しているリィンの恋人、クロウが帰って来る日であると同時に、恋人達の日──バレンタインデーでもある。
帝国では一般的に、バレンタインには男性が恋人に花束を贈るのが風習となっている。
しかしリィンの場合、その恋人も男。花を愛でる趣味も恐らく無い。
クロウは恐らくリィンが贈るものなら何でも受け取ってくれるのだろうが、どうせならもっと喜んでくれるものをと思っている内に、とうとう前日になってしまったのだ。
「それなら、チョコレートなんてどうでしょう?」
「チョコレート、か……」
そういえば、近年はバレンタインにチョコレートを贈る習慣も広まりつつあるという。クロウは学院に居た時もたまに甘いものを摘まんでいたので、チョコレートは喜んでくれるかもしれない。
「ありがとう。……何だかすまないな、生徒にこんな話」
「いえいえ、他ならぬリィン教官の為ですから」
ミュゼはパチンとウィンクを返した。彼女の小悪魔的な一面は相変わらずだ。
***
そんな訳で、二月十四日。学院は自由行動日であるため授業は無く、リィンは帝都のショッピングモールを訪れていた。
バレンタインの季節に合わせて広間には特設コーナーが設置されており、数多くのブランドが集まってチョコレートを販売している。
その中の一つがふとリィンの目に留まった。中身はシンプルなチョコレートボンボンだが、それを入れる箱には海沿いの街の絵が描かれている。
(オルディスじゃないな、この街は……)
ひょっとして、と考えた時、ショーウィンドウの奥に居た店員に声を掛けられた。上品な年配の女性だ。
「何か気になるものがありましたか?」
「あの、この箱の絵はもしかして……」
控えめに訪ねると、店員は少し残念そうに眉を下げる。
「──市国だった頃のジュライの街を描いたものになります。当店は元々ジュライで営業していたのですが、帝国に併合された時に帝都に移転することになってしまって……」
「そう、だったんですか……」
もう一度箱に目を落とし、そこに描かれた街を見る。
蒼い空と蒼い海に対峙する賑やかな港。クロウはこの風景を見て育ったのだろうか。
***
結局、クロウへのチョコレートにはその店のものを買った。
ショッピングモールの紙袋を片手に列車でリーヴスに戻ると、いつの間にか陽は落ち、月が登り始めていた。
同時に鞄の中のACUSが鳴る。クロウからのメールだ。
『そろそろ着く』
恐らく急いで送ったのだろう。クロウにしては簡潔な文章を見て、リィンはクスッと笑う。
そのまま駅前で待っていると、オルディスからの列車が到着した。少しして、改札からクロウが現れる。
「クロウ!」
一週間も待ち焦がれた恋人に、思わず抱き付く。
「クク、随分と熱烈な歓迎してくれるじゃねえか」
そう言って、クロウは片方の手袋を脱いでリィンの頭にポンポンと手を置いた。
跳ねた黒髪を梳くようにして指を通し、冷えたリィンの頬に触れ、掌でじんわりと温めるようにして優しく撫でる。
くすぐったさにリィンが思わず顔を上げると、クロウとパチリと目が合った。
(あ……)
見つめ合う、瞳と瞳。
クロウの朱い紅耀石のような瞳の中に映る、リィンの惚けた表情。
「……リィン」
吐息がかかるほど近づいて、リィンがそっと目を閉じた瞬間──唇に、クロウのそれが触れた。
「んっ……」
ふるりと瞼が震える。
啄むような、触れるだけの口付け。角度を変えて幾度か唇を重ねた後、ちゅっと音を立てて離れていく。
再び腕の中に包まれた。
「リィン、ただいま」
甘さを含んだ優しい声が降って来て、リィンは抱きしめられたままおかえり、と呟いた。
***
そうしてしばらくの間抱きしめ合っていたが、ふと体を離し、手を繋ぎながらクロウが現在借りているアパートの一室へ向かった。
リィンは昨日の内に外泊許可を取っており、今夜はこのままクロウと過ごす予定だ。
コートをハンガーに掛け、ソファに腰掛けて一息つく。
「リィン」
名前を呼ばれ、クロウへ視線を向けると、目の前に小さな箱が差し出された。黒地に金でロゴが描かれたそれには青いリボンが掛けられ、同じく青い薔薇の花が挿されている。
「これは……もしかして」
「ああ。オルディスの店に寄った時に、な」
クロウに許可を得、リィンは箱を開ける。中には色とりどりのチョコレートが入っていた。真っ赤なハート形のものや繊細な模様が入っているもの……。一つ一つがまるで宝石のようだ。
「……ははっ」
「リィン?」
考えることは同じか、と心の中で呟いて、リィンは思わず笑みを零す。きょとんとした表情でリィンを見つめるクロウに、ショッピングモールのロゴが入った紙袋から青い箱を取り出し、手渡した。昼間に買ったチョコレートだ。
すると、クロウは目を見開く。
「こいつは……」
クロウは箱を手に取り、まじまじと見つめた後、はは、と弱々しく笑みを零した。
「クロウ? どうしたんだ?」
「いや、何でもねえ。昔を思い出してただけだ。──ガキん時に祖父さんが同じのを買って来てくれたことがあってな」
一つ食べてみても良いかと聞かれて頷くと、クロウは器用な手つきで箱を開け、チョコレートトリュフを一粒、パクリと口に入れた。
少しすると、その表情が穏やかな笑みに変わって。
「懐かしいな……。昔と変わんねえ味だ。確かあん時は祖父さんと口喧嘩になった次の日、仕事帰りに買って帰って来たんだったか」
クロウは箱に元通り蓋を被せてテーブルの上に置くと、ぽつりぽつりと話す。
「当時の俺は反抗期で。甘いものなんかで絆されてやるかって思ってたのに、一つ食べたらコロッと機嫌直っちまって。単純な奴だって笑われたもんだ……ってワリ、こんな時にする話じゃねえな」
「──そんなことないさ。むしろ嬉しいよ、俺は」
「えっ?」
首を傾げるクロウ。しかしリィンはそれを気にせず語り続ける。
「だって、今までクロウの“経歴”は聞いたことあったけど、ジュライでの“思い出”はあまり聞いたことがなかったから……。ひょっとして、昔のことは話したくないのかと思っていた」
「あ……」
それは、とクロウが言葉を詰まらせるのを見て、リィンは彼の手を取る。
「だから良かった。クロウがこうして、懐かしむように穏やかに思い出を話してくれて」
「……そう、か」
「俺、クロウのことをもっと知りたいんだ。悪友として、そして恋人として。嬉しいことも幸せなことも……辛いことも、クロウのことなら全部受け止められるから」
クロウの目をまっすぐ見つめると、彼はふとその目を伏せて。
「……ッたく、本ッ当にオマエにゃ敵わねえな」
「クロウ? ……わっ」
どういうことだ、と言いかけたところで不意に抱き寄せられ、頬にちゅっとキスをされる。
「わーったよ。これからは時間をかけて、いくらでも話してやる。俺の過去も今も……そして未来も、お前のモンだ」
耳元で囁かれたその言葉に、リィンはふにゃっと笑って、こくりと頷いた。
「ああ。──ありがとう」
──きっと、まだまだお互いに知り得ないことは途方もなく多いのだろう。二人が共に在る時間より、離れていた時間の方が多いのだ。
だけど、こんな風に少しずつ知っていくことが出来たら、それで良い。
二人を阻むものは、もうどこにも無いのだから。