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KISEKI series fan fiction

どうかこの一夜だけ

「くしゅんっ」

 身体の芯から湧き上がるような寒さに、リィンは思わず身震いする。あたりは白い薄霧に包まれ、気を抜くと迷ってしまいそうだ。
 十二月某日、深夜。リィンは緊急の依頼を受け一人で街道の魔獣退治に出向いていた。
 内戦真っ只中である現状、一人で出歩くのは少し気が引けたが、近頃見る凶暴な魔獣でもないのでわざわざこんな夜更けに仲間を巻き込む道理もあるまい、と思っていた。事実、少し手こずったものの大事に至ることなく依頼は達成。連日の疲れと時間帯よるものか、疲労感と共に倦怠感を覚え、帰ったら報告書は後にしてすぐに寝てしまおう……と考えながらカレイジャスの停留所に向かった──そのとき。

「こんな所で何してんだ、リィン」

「! クロウ……!?」

 思わぬ遭遇。クロウの方こそ、と言いかけてハッと口をつぐんだ。
 元級友といえ、いまはお互い敵対中の身だ。目の前の彼が訳もなく奇襲を仕掛けるとも思えないが、威嚇の意を込めて刀に手を掛ける。

 ──しかし。

「甘いな」

 トン。肩を掴まれ、刀を鞘ごと地面に取り落とした。
 いつのまに間を詰めたのか。身構えることすらできなかった自分に愕然とする。

「今のが例えば領邦軍の兵士だったら、お前はとっくにオダブツだろうな……いや、ひっ捕らえて洗脳して手駒にするってのもアリか」

「く……ッ」

 肩を押さえるもう片方の手が首筋へ。親指で喉仏を軽く押され、言いようのない感覚にぞくりと震える。
 力を入れられれば窒息死。抵抗すらできない内に、リィンは生殺与奪の権をいとも簡単にクロウに握られていたのだ。

(あ、れ)

 くらり。
 首を絞められたわけではないのに、目眩がする。
 一瞬、平衡感覚を失ったと思うと、次の瞬間には冷たく湿った地面に尻餅をついていた。

「お、おい、リィン!?」

 クロウの心配そうな声。
 ……自分のこと、わざわざ気にかける必要はないはずなのに……。

「ッ……あ、うぅ……」

 頭を強烈な痛みが襲い、思考が霧散していく。
 痛みをごまかすようにギュッと目を閉じれば、強烈な倦怠感に逆らうことができず……意識は闇に沈んでいった。

 ***

 同じ力と交わらない信念を持つ者同士、リィンのことは文字通りの好敵手として今まで見てきたつもりだったし、無論それは今でもこれからも変わらない。
 ──それなのに、心のどこかで傷つけたくないと、笑っていて欲しいと思ってしまうのは何故だろう。心というのはこんなにも矛盾するものなのだろうか。

「……はぁ」

 一帯を包んでいた霧は雨となり、雪に変わった。
 曇った窓からそれを眺めていたクロウは深くため息をつく。
 少し夜風に当たってすぐ帰るつもりだった。
 それが偶然再会したリィンが目の前で突如意識を失ったのを見て、放っておけばいいのになぜかできなくて、仕方なく以前使っていた小屋に一時的に匿うことにした。貴族派の人間はもちろん、ヴィータすら知らない秘密の隠れ家だ。
 額に手をあてる。リィンは本来体温が低かったはずだが、火傷しそうなほどに熱い。
 よく見ると目許に隈ができている。おそらく生真面目なこいつのことだから、碌に休息も取らず無茶ばかりしていたのだろう。
 そもそも、平時のリィンは他人の気配に鋭い。故に先刻、こっちが声を掛けるまで気づかなかった時点で相当消耗していたのだ。……その原因の一端は己にあるのだが。

(薬、あったっけな)

 キャビネットを探ると、小包に入った風邪薬が見つかった。まさかこんなことになるとは思っていなかったが、何かあった時のために用意しておいて良かった。
 リィンは未だ目を覚ます気配はないが、高熱を出していることを考えると今薬を飲ませた方が良いだろう。
 コップに入れた水と薬をに口に含み、そのままリィンの唇を塞いで口内に流し込んだ。こくり、とリィンの喉が動く。どうやら正常に嚥下できたようだ。

(これで大丈夫だな)

 あくまで敵同士、あれこれと手助けするのはよくない。事実、先日のパンタグリュエルでのやりとりだって後になって必要以上に情を移すなとヴィータに小言を言われてしまったのだ。
 リィンのACUSを拝借して彼の級友に連絡を入れておいたので、これ以上は余計なお世話だろう……と踵を返して去ろうとしたとき、くん、と引っ張られる感覚がした。

「……ク、ロウ」

「え」

 振り向くと、いつの間に起きていたのか──いや意識は朦朧としているようだ──リィンがほんの弱い力でコートの裾を握り締めていて。

「いかない、で」

「ッ!」

 ひとりに、しないで。
 嗚咽の合間に発せられた、縋るような言葉。目からはとめどなく涙が溢れる。
 体調を崩したと同時に精神も酷く不安定になっているのだろうか。
 今の彼はもはや騎神を駆り、内戦に立ち向かわんとするⅦ組の重心ではなく──その身に余る重圧に押しつぶされ、経験したことのない戦禍に怯える一人の少年だった。

(クソ……ッ)

 唇を噛む。裂けて血が溢れるくらいに。
 拒んだら壊れてしまいそうで、簡単に振り解けるはずの手を離すことができなかった。中途半端に情けをかければ却って互いに傷を残すことになるのに、冷徹になり切れない自分が嫌いだ。

(今だけ、今だけだ)

 自分に言い聞かせ、ベッドのすぐ傍に座り込んだ。頬を伝う涙を指で拭ってやり、そのまま髪をくしゃりと撫でる。
 しばらくして、リィンが泣き疲れて眠りにつき、程なくして彼の級友が駆けつけるまで、クロウはずっとリィンを見守っていたのだった。
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