KISEKI series fan fiction
眠れない夜の理由は
「眠れないんだ、クロウ」
リィンがそう言ってクロウの部屋へ舞い込んできたのは、クロウがミリアムと共にⅦ組に編入してきたばかりの夏の夜のことだった。
何があったよ、とクロウが訊くと、ラジオを点けたらたまたま怪談話が流れていて、好奇心本位で最後まで聴いていたら怖くて眠れなくなってしまったのだという。
「クク、お前も結構可愛いとこあるじゃん」
「わ、笑わないでくれ……」
そう言いながらも、リィンは引っ付いてきて。
跳ねた黒髪がぷるぷると震えて、まるで猫みたいだと口角が緩んだのが妙に記憶に残っている。
***
時は過ぎ、二年後の十月の終わり。
リーヴスの郊外に借りたアパートの一室にて。夕食とシャワーと諸々の支度を簡潔に済ませ、さあ寝るかとベッドに潜り込んだクロウの元にチャイムの音が届いた。
こんな夜中に一体誰だと訝しがりつつもドアを開ければ、そこに居たのは予想外の人物。
「リィン?」
「済まない、こんな時間に……くしゅんっ」
晩秋の夜は冬のように寒い。
薄手のシャツにチノパンという簡素な服装で現れたリィンは唇を青紫に変色させ、小刻みに震えていた。
リィンを寝室に案内し、ブランケットを羽織らせると、ようやく血色が元に戻ってきた。
「ありがとう。なんだか申し訳ないな」
「気にすんなって。……で、何があったよ?」
「それは……」
言葉を詰まらせたリィンの顔を覗き込むと、その目は気まずそうに伏せられていて。
「リィ……」
「べ、別に大したことじゃないんだ。ちょっと怖い夢を見て眠れなくなっただけで」
リィンはパッと明るい表情になる。
「怖い夢?」
「ほら、もうすぐハロウィンだろ? それに因んだ怪談話がラジオでも流れてて、寝る前に聴いたら夢に出てきてしまって……」
前にもこんなことあったよな、とリィンは笑いかけてくる。
しかしその言葉がデタラメであることも、その笑顔が貼り付けたものであることもクロウにはお見通しだった。
「──ったく」
「!」
いまだに震えの止まらないリィンの身体を抱きしめる。
後頭部を軽く撫でてやると力が抜けて寄りかかってきた。
「強がんなって」
「……どうして、分かったんだ」
「お前が分かり易すぎなの。──で、本当は何があったんだ?」
一瞬の間。リィンはしかし意を決したのか、ぽつぽつと話し始めた。
「──最近、夜になるといつも一昨年の出来事を夢に見るんだ。内戦が始まった日から──煌魔城でクロウが息絶える瞬間まで、走馬灯のように」
「……それ、は」
そうだった。
十月の末。二年前、クロウがリィンと士官学院で共に過ごした半年間の、最後の季節だ。
学院祭の翌朝、誰にも気付かれないように寮を出たあの後、クロウが士官学院の地に足を踏み入れることは二度としてなかった。
「夢の最後に伸ばしかけたクロウの手が落ちて、身体がどんどん重く冷たくなって……クロウが動かなくなるその瞬間が妙にリアルで、それを何度も、何度も……」
リィンの声は震えている。
「ごめん……そろそろ過去のことだって切り替えなきゃ駄目だって解ってるのに、どうしても思い出してしまって……」
言葉はそこで途切れ、嗚咽に変わった。長い睫毛が零れそうな涙で濡れている。
(……しくじったな)
士官学院の面々を裏切るような形で別れたこと、そして二年前に紅き終焉の魔王との戦いで一度命を落としたことを後悔している訳ではない。
しかし、この甘ったれな悪友はどうやら思った以上に傷つき、未だに自分を追い込んでしまっているようだ。
クロウは胸元にリィンの頭を押し当ててただ抱きしめる。心臓の音を聴かせるように。
「! ……ぁ……」
「ホラ、生きてるだろ?」
「……うん」
そうしてしばらく抱き合っていたが、突然、リィンがコテンと寄りかかってくる。
「え、ちょ、おーい、リィン?」
返事はない。代わりに、すやすやと気持ちよさそうな寝息を立てていた。
(ま、無理もねーか)
現在、深夜の一時。
クロウはともかく、早寝早起きの習慣が身体に染み付いているリィンにとっては普段ならとっくに眠っている時間だろう。
起こしてこのままリィンの暮らすトールズ第Ⅱ分校の宿舎に帰らせるのも忍びない。せめて風邪を引かないようにと、自分はソファで寝ることにして彼をベッドに寝かせようとした……のだが。
「クロウ……」
やや舌っ足らずな声で名前をよぶ彼はクロウにしがみついたまま、離そうとしない。
「……甘ったれめ」
なんて言いつつも、決して悪い気はしない。クロウにとって、リィンは幾つになっても甘ったれで可愛い後輩なのだ。
仕方なく一緒にベッドに入る。癖のある黒髪に軽く触れると、リィンはふにゃっと顔を綻ばせた。
──そんな笑顔を見るたび、本当に敵わないな、とつくづく思う。
鉄血宰相への復讐を誓った日から、命なんてどうでもよくて、自分の築いたものや力なんていずれ誰かにくれてやると思っていたのに。
目の前の彼は己自身をひたすらに求めてきたのだから、もう降参だ。
「もう、どこにも行かねえよ」
だから今夜はゆっくりおやすみ、リィン。
旋毛にそっと口づけを落とす。
そのまま自然に眠りに落ちるまで、クロウはリィンの髪を撫で続けていたのだった。
「眠れないんだ、クロウ」
リィンがそう言ってクロウの部屋へ舞い込んできたのは、クロウがミリアムと共にⅦ組に編入してきたばかりの夏の夜のことだった。
何があったよ、とクロウが訊くと、ラジオを点けたらたまたま怪談話が流れていて、好奇心本位で最後まで聴いていたら怖くて眠れなくなってしまったのだという。
「クク、お前も結構可愛いとこあるじゃん」
「わ、笑わないでくれ……」
そう言いながらも、リィンは引っ付いてきて。
跳ねた黒髪がぷるぷると震えて、まるで猫みたいだと口角が緩んだのが妙に記憶に残っている。
***
時は過ぎ、二年後の十月の終わり。
リーヴスの郊外に借りたアパートの一室にて。夕食とシャワーと諸々の支度を簡潔に済ませ、さあ寝るかとベッドに潜り込んだクロウの元にチャイムの音が届いた。
こんな夜中に一体誰だと訝しがりつつもドアを開ければ、そこに居たのは予想外の人物。
「リィン?」
「済まない、こんな時間に……くしゅんっ」
晩秋の夜は冬のように寒い。
薄手のシャツにチノパンという簡素な服装で現れたリィンは唇を青紫に変色させ、小刻みに震えていた。
リィンを寝室に案内し、ブランケットを羽織らせると、ようやく血色が元に戻ってきた。
「ありがとう。なんだか申し訳ないな」
「気にすんなって。……で、何があったよ?」
「それは……」
言葉を詰まらせたリィンの顔を覗き込むと、その目は気まずそうに伏せられていて。
「リィ……」
「べ、別に大したことじゃないんだ。ちょっと怖い夢を見て眠れなくなっただけで」
リィンはパッと明るい表情になる。
「怖い夢?」
「ほら、もうすぐハロウィンだろ? それに因んだ怪談話がラジオでも流れてて、寝る前に聴いたら夢に出てきてしまって……」
前にもこんなことあったよな、とリィンは笑いかけてくる。
しかしその言葉がデタラメであることも、その笑顔が貼り付けたものであることもクロウにはお見通しだった。
「──ったく」
「!」
いまだに震えの止まらないリィンの身体を抱きしめる。
後頭部を軽く撫でてやると力が抜けて寄りかかってきた。
「強がんなって」
「……どうして、分かったんだ」
「お前が分かり易すぎなの。──で、本当は何があったんだ?」
一瞬の間。リィンはしかし意を決したのか、ぽつぽつと話し始めた。
「──最近、夜になるといつも一昨年の出来事を夢に見るんだ。内戦が始まった日から──煌魔城でクロウが息絶える瞬間まで、走馬灯のように」
「……それ、は」
そうだった。
十月の末。二年前、クロウがリィンと士官学院で共に過ごした半年間の、最後の季節だ。
学院祭の翌朝、誰にも気付かれないように寮を出たあの後、クロウが士官学院の地に足を踏み入れることは二度としてなかった。
「夢の最後に伸ばしかけたクロウの手が落ちて、身体がどんどん重く冷たくなって……クロウが動かなくなるその瞬間が妙にリアルで、それを何度も、何度も……」
リィンの声は震えている。
「ごめん……そろそろ過去のことだって切り替えなきゃ駄目だって解ってるのに、どうしても思い出してしまって……」
言葉はそこで途切れ、嗚咽に変わった。長い睫毛が零れそうな涙で濡れている。
(……しくじったな)
士官学院の面々を裏切るような形で別れたこと、そして二年前に紅き終焉の魔王との戦いで一度命を落としたことを後悔している訳ではない。
しかし、この甘ったれな悪友はどうやら思った以上に傷つき、未だに自分を追い込んでしまっているようだ。
クロウは胸元にリィンの頭を押し当ててただ抱きしめる。心臓の音を聴かせるように。
「! ……ぁ……」
「ホラ、生きてるだろ?」
「……うん」
そうしてしばらく抱き合っていたが、突然、リィンがコテンと寄りかかってくる。
「え、ちょ、おーい、リィン?」
返事はない。代わりに、すやすやと気持ちよさそうな寝息を立てていた。
(ま、無理もねーか)
現在、深夜の一時。
クロウはともかく、早寝早起きの習慣が身体に染み付いているリィンにとっては普段ならとっくに眠っている時間だろう。
起こしてこのままリィンの暮らすトールズ第Ⅱ分校の宿舎に帰らせるのも忍びない。せめて風邪を引かないようにと、自分はソファで寝ることにして彼をベッドに寝かせようとした……のだが。
「クロウ……」
やや舌っ足らずな声で名前をよぶ彼はクロウにしがみついたまま、離そうとしない。
「……甘ったれめ」
なんて言いつつも、決して悪い気はしない。クロウにとって、リィンは幾つになっても甘ったれで可愛い後輩なのだ。
仕方なく一緒にベッドに入る。癖のある黒髪に軽く触れると、リィンはふにゃっと顔を綻ばせた。
──そんな笑顔を見るたび、本当に敵わないな、とつくづく思う。
鉄血宰相への復讐を誓った日から、命なんてどうでもよくて、自分の築いたものや力なんていずれ誰かにくれてやると思っていたのに。
目の前の彼は己自身をひたすらに求めてきたのだから、もう降参だ。
「もう、どこにも行かねえよ」
だから今夜はゆっくりおやすみ、リィン。
旋毛にそっと口づけを落とす。
そのまま自然に眠りに落ちるまで、クロウはリィンの髪を撫で続けていたのだった。