ハルソラノイロ(桐島兄弟幼馴染設定)
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夜も更け、賑やかだった食卓もひと段落を迎えた。すっかり打ち解けた眞城家と桐島家の面々は、ご飯を終えた後も、しばしの間会話を楽しんでいた。
気がつけば外の空気はすっかり冷え、窓の外には淡く街灯の光が滲んでいる。そんな時分に義貴は席を立ち、桐島一家に深く頭を下げた。
「今日は本当に、いろいろとありがとうございました。すっかり遅くまでお世話になってしまって……そろそろお暇します」
暇を切り出した義貴に、冬美が笑顔を返す。
「あら、気にせんといて。よう食べてくれて嬉しかったわ」
冬美はエプロンの紐をほどきながら、名残惜しそうに言った。義貴が晴子と史哉を連れ玄関へ向かおうとすると、清春が見送りにと腰を上げる。
「こっちこそ楽しく過ごさせてもらいましたわ。賑やかなんは大歓迎なんで、またいつでも遊びに来てくださいね?」
屈託のない笑顔を浮かべた清春は、その笑みを優しく綻ばせ、史哉へと向ける。
「史哉くんも、また遊びに来てや」
「……はい」
史哉は驚いたように目を見開き、少しだけ照れくさそうに頷いた。そんな史哉の様子を、秋斗と夏彦はじっと見ている。
はにかむ姿に、もう怯えはない。
それを感じ取ったふたりは、胸の中に広がるじんわりとした安堵に、自然と頬を和らげていた。
「今日は本当にご馳走になりました。我が家の片付けが落ち着いたら、今度はこちらから招待させてください」
義貴が礼を述べると、さっそく口を開いたのは夏彦だった。
「ほな今度は晴子の飯食いに行ったるわ!」
「ちょっと夏彦!」
「いいのよ冬美さん。私も楽しみだから。じゃあ夏彦くん、その時はおなかいっぱいになるくらい用意するわね」
「唐揚げな!絶対な!」
「お前は唐揚げしか言われへんのか」
夏彦が念を押すように言うと、秋斗が呆れたように笑った。
靴を履いた史哉が、ふと振り返る。
そこには秋斗と夏彦が肩を並べていて、目が合うと、秋斗が軽く手を振ってくれた。
目を細め、いつもの穏やかな声で——
「史哉、また遊ぼうや」
そう言われた史哉は驚いたように目を瞬かせ、そしてゆっくりと微笑んだ。
「……秋斗、今日はありがとう。また来るね」
笑顔を交わし合う秋斗と史哉。
そこに割り入るように、夏彦が声を挟む。
「しゃーないから、また遊んだるわ」
素直じゃない言葉に、史哉はもう怯まない。
「うん。夏彦も……また遊んでね」
捻くれた言葉をまっすぐと受け止めて返すと、夏彦は視線をうろつかせ、「しゃーなくやからな」と念を押す。その虚勢の張り方に、横にいた秋斗が隠れて笑みをこぼす。
「では、お邪魔しました」
義貴が玄関のドアを開けると、春の夜の冷たい空気が滑り込む。晴子が史哉の手を取り、桐島家を後にしようとしたその時、史哉は名残惜しさから最後に振り返った。
「……バイバイ。またね」
少しだけ冷えた玄関の空気に、その声が優しく溶けて残され——ドアは閉じられた。
***
夜の街は、すっかり静まり返っていた。閑静な住宅街である家の前の道には、人の気配も車の気配もなく、驚くほど長閑だった。
濃紺の空に、ぽつぽつと街灯の明かりが灯っている。史哉はそんな景色を遠く眺めていたが、帰路はすぐに終わりを迎えた。隣家からの距離は近い。数メートル歩けば、すぐに自宅だ。
義貴が玄関の鍵を開けて灯りをつけると、室内にはほっとするような空気が待っていた。
新築ではないけれど、それでも新しい匂いがする。嗅ぎ慣れないその匂いに新たな生活の始まりを感じながら、義貴は玄関の扉を内から閉める。
「ふぅ……すっかり遅くなっちゃったわね。すぐにお風呂沸かすわね」
晴子が家に上がり、スプリングコートをハンガーにかける。その後ろでは、史哉が脱いだ靴を揃えながら、そっと顔を上げた。
家の中の空気は昼間よりもひんやりとしているけれど、どこか安心できるぬくもりがある。
——今日から、ここが俺の家なんだ。
そう実感していると、義貴が優しく、史哉の背をぽんと撫でた。
「秋斗くんと夏彦くんと、仲良さそうにしてたな」
史哉は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに視線を落とすようにしてうなずいた。
義貴は、そんな史哉の様子にゆるやかな笑みを浮かべる。
「史哉は、楽しかった?」
問いかける声はあたたかく、やわらかかった。
史哉は少し迷うようにして、しかしゆっくりと口を開いた。
「……うん」
その言葉は小さな声だったけれど、確かな響きがあった。
「すごく……楽しかった」
そのひと言に晴子はほっと息をつき、義貴も優しく目を細めた。
「そうか。よかったな」
ただそれだけを言って、義貴は史哉の頭をくしゃっと撫でた。史哉はくすぐったそうに眉を寄せながら、少しだけ照れたように笑った。
きっとこれから少しずつ、自分にも居場所ができていくのかもしれない。
そんな予感を胸にじんわりと感じながら、史哉はそのまま両親と並んでリビングへと歩いていった。
***
夕食の後片付けもひと段落し、桐島家のリビングには、のんびりとくつろいだ空気が流れていた。
テレビの音が小さく流れ、ダイニングテーブルに着いていた清春は、湯呑を片手にぽつりと声を上げる。
「眞城さんとこ、なんやみんな良さそうな人たちやったなぁ」
「うんうん、ホンマにね」
その横で、冬美が笑いながらテーブルに肘をつく。
「晴子さんもオモロい人やしね。態度の悪い夏彦に嫌な顔ひとつせんと、むしろ扱い上手でビックリしたわ」
「ババァって言われても笑っとったからな」
リビングでソファに座っていた秋斗が、くすっと笑う。
「もうええやろ!その話!」
秋斗の隣で、夏彦がむすっとしながら突っ込む。
そんな穏やかなやりとりの中、ふと清春の顔が引き締まった。
「……秋斗、夏彦」
その声音に、空気がほんの少しだけ変わった。
「ちょっとええか」
兄弟が顔を向けると、清春は湯呑をテーブルに置いて、静かに続けた。
「……さっきな、史哉くんのお父さんから聞いたんやけどな」
言葉を選ぶように、ゆっくりと話す。
「……史哉くんな、前の学校で、初めて撮った大事なお友達の写真を、目の前で破られたんやって」
その一言に、秋斗と夏彦の表情がわずかに固まる。
「ほんでな、破った子を怒るどころか、“悪気はないから許したれ”って先生に言われたらしくてな……それが余計に辛かったんやろな。そっから学校、行かれへんようになったんやて」
部屋の中がしんと静まる。
テレビの音が、妙に遠くに感じられた。
清春と冬美は、ふたりの息子の顔を順に見つめる。
「……せやからな」
清春の声は、優しく、けれど真剣だった。
「仲良うできそうやったら、仲良うしたってな」
「ええ子やろ? 史哉くん」
冬美も、にこりと笑って語りかける。
「今日、あの子笑ってたやろ?あれ見たとき、なんや私も嬉しかったわ」
秋斗はソファに座ったまま、黙って膝の上で指を組んでいた。夏彦も何か言いたげに口を開きかけて、けれど言葉にならず、強く握った拳を見つめていた。
——優しくしてやってほしい。
そんなことを言わなくてもいい。
秋斗と夏彦ならちゃんと分かってくれると、清春と冬美は信じている。
そしてきっと——史哉の「また来るね」の言葉を一番喜んでいたのは、息子たち自身だということも。
翌朝。眞城家は段ボールの山に囲まれて、義貴と晴子は早朝から荷解き作業に追われていた。
キッチンでは晴子が食器や調味料を丁寧に並べ、義貴は本棚の組み立てに苦戦している。
史哉は、新しく与えられた自分の部屋にいた。
広くもなく、特別に何かがあるわけでもないけれど、自分だけの空間。
東京と違う天井、違う壁、違う匂い。
まだ少し落ち着かない気持ちで、史哉は部屋の隅々を見回していた。
ベッドの上に腰を下ろしながら、カメラをいじる。すると窓の外から、昨日耳にした音が聴こえた。
——パァン。
乾いた音。一定のリズムで、壁に何かをぶつける音。
史哉は立ち上がり、カーテンをそっとめくって窓を開けた。
少しだけ冷たい、朝の風が頬をなでる。その風の向こう——隣家の庭には、秋斗がいた。昨日と同じように、集中した顔で壁に向かってボールを投げている。
その姿を、史哉はしばらく黙って見つめていた。そしてほんの少しの間迷って、でも、自分の中でなにかが背中を押した。
——昨日のあの、笑ってくれた声を思い出したから。
「……おはよう、秋斗!」
勇気を込めた声が、澄やかな空気を割って飛んでいった。
壁に当たったボールが地面に転がり、音が止まる。
秋斗が、声をする方へと見上げた。朝の光の中、秋斗の顔がパッとほころぶ。
「おォ、史哉!」
手をひらひらと振って、にこりと笑う。
「起きるの早いやん!今日も引っ越しの片付けか?」
史哉は「うん」と答えて、ちょっと照れたように笑った。それだけのやりとりなのに、胸の奥がぽかぽかとあたたかかった。
「おはよう」と声をかけただけで、こんなにも心が晴れるなんて。
新しい朝、新しい関係。
そっと芽を出したその繋がりは、春休みの朝を、どこか優しく彩っていた。
その頃、桐島家のリビングでは、夏彦がひとりダラダラとソファに寝転がっていた。テレビのリモコンを握り、つまらなさそうにチャンネルを回して。やがて興味のない番組にリモコンを放り投げると、ふと、家の外から耳に届いた声にぴくりと眉を動かした。
「おはよう、秋斗!」
夏彦は反射的に身を起こし、ベランダのサッシをガラガラと開け、庭へと出る。
朝の空気が、ひんやりと肌に馴染む。夏彦は声のした方に顔を向けると、見上げた先、開いた眞城家の二階の窓を見つめた。
そこには、モコモコのパジャマ姿で寝癖をつけ、窓から身を乗り出している少年の姿があった。
——史哉や。
控えめに、それでもちゃんと大きな声を上げ、秋斗に向かって笑顔を見せている。
その笑顔が白く眩しい光に照らされ、夏彦の目にしみる。
柔らかく揺れるレースのカーテンが、史哉をひらひらと覆い隠そうとする。けれど秋斗に向かって微笑む顔はハッキリとしていて、明らかな嬉しさを浮かべていた。
史哉は、まだ夏彦に気づいていない。
——それが、なんだか悔しかった。
「起きるの早いやん!今日も引っ越しの片付けか?」
秋斗が笑い返す声が聞こえ、夏彦はふたりのやりとりをベランダから黙って見つめていた。
「うん」と答えた史哉の声は、昨日よりも少し大きくて、表情も明るくて——夏彦が出会った時に見た怯え顔とは、まるで別人のようだった。
——なんやねん。
胸の奥が、きゅ、とわずかに音を立てた気がした。
よくわからない苛立ちに小さく唇を噛み、夏彦は背を向けようとする。
——しかし。
「なんや、夏彦も出てきたんか」
秋斗に呼び止められ、思わず足が止まる。
「……たまたまや!」
そう言って、夏彦はふいと顔を背ける。
史哉は、そんな夏彦の姿をようやく見つけた。そして目にするなり、すぐに夏彦にも声をかける。
「……夏彦も、おはよう!」
秋斗に向けた声と変わらない明るさに、自然と視線が引き寄せられる。
さっきまで目にしていた笑顔が、今度は自分に向けられている。それを知った夏彦は、胸に広がっていたもやもやが、途端に晴れた気がした。
けれど、素直に挨拶は返せない。視線を向けるばかりで応えようとしない夏彦を横目に、秋斗が代わりに言葉を返した。
「史哉、ヒマしてるん?せやったらウチ来るか?」
庭から見上げ、手招きをしながら秋斗がそう誘いかけた。
史哉は、思わず目を瞬かせる。
——誘われた。
それだけのことが、胸の奥にじんわりと広がっていく。
緊張と嬉しさが入り混じって、うまく言葉にならないまま、けれどしっかりとうなずいた。
「……うん!行く!」
少しだけ声を弾ませて。急いで窓を閉めた史哉は、着替えを済ませてから部屋を出て、階段を駆け降りる。
リビングでは、相変わらず義貴が本棚の組み立てにチャレンジしており、晴子は朝食の後片付けをしていた。
「お父さん、お母さん……あの、桐島くんちに、遊びに行ってきていい?」
義貴と晴子がふと顔を見合わせる。
少しだけ驚いた表情を浮かべ——そして、すぐににっこりと笑った。
「もちろん。行っておいで、史哉」
「ちゃんとご挨拶はしてきなさいよ〜?」
「……うん!」
靴を履き、玄関を出る。
——太陽が眩しい。
春の青い空の下、桐島家の庭へと駆け、少しだけ息を弾ませて辿り着くと——そこには、穏やかな笑顔とぎこちない表情を揃えた秋斗と夏彦が、史哉の到着を待っていた。
「おはようさん」
秋斗の笑顔は、昨日と変わらず、あたたかくて優しい。
「朝からバタバタやん。落ち着きないヤツやな」
夏彦が、昨日よりも柔らかな憎まれ口で迎える。
史哉はそんなふたりに会い、自然と笑みを浮かべた。
「おはよう。秋斗、夏彦」
——新しい春の、まっさらな一日が、また始まろうとしていた。
気がつけば外の空気はすっかり冷え、窓の外には淡く街灯の光が滲んでいる。そんな時分に義貴は席を立ち、桐島一家に深く頭を下げた。
「今日は本当に、いろいろとありがとうございました。すっかり遅くまでお世話になってしまって……そろそろお暇します」
暇を切り出した義貴に、冬美が笑顔を返す。
「あら、気にせんといて。よう食べてくれて嬉しかったわ」
冬美はエプロンの紐をほどきながら、名残惜しそうに言った。義貴が晴子と史哉を連れ玄関へ向かおうとすると、清春が見送りにと腰を上げる。
「こっちこそ楽しく過ごさせてもらいましたわ。賑やかなんは大歓迎なんで、またいつでも遊びに来てくださいね?」
屈託のない笑顔を浮かべた清春は、その笑みを優しく綻ばせ、史哉へと向ける。
「史哉くんも、また遊びに来てや」
「……はい」
史哉は驚いたように目を見開き、少しだけ照れくさそうに頷いた。そんな史哉の様子を、秋斗と夏彦はじっと見ている。
はにかむ姿に、もう怯えはない。
それを感じ取ったふたりは、胸の中に広がるじんわりとした安堵に、自然と頬を和らげていた。
「今日は本当にご馳走になりました。我が家の片付けが落ち着いたら、今度はこちらから招待させてください」
義貴が礼を述べると、さっそく口を開いたのは夏彦だった。
「ほな今度は晴子の飯食いに行ったるわ!」
「ちょっと夏彦!」
「いいのよ冬美さん。私も楽しみだから。じゃあ夏彦くん、その時はおなかいっぱいになるくらい用意するわね」
「唐揚げな!絶対な!」
「お前は唐揚げしか言われへんのか」
夏彦が念を押すように言うと、秋斗が呆れたように笑った。
靴を履いた史哉が、ふと振り返る。
そこには秋斗と夏彦が肩を並べていて、目が合うと、秋斗が軽く手を振ってくれた。
目を細め、いつもの穏やかな声で——
「史哉、また遊ぼうや」
そう言われた史哉は驚いたように目を瞬かせ、そしてゆっくりと微笑んだ。
「……秋斗、今日はありがとう。また来るね」
笑顔を交わし合う秋斗と史哉。
そこに割り入るように、夏彦が声を挟む。
「しゃーないから、また遊んだるわ」
素直じゃない言葉に、史哉はもう怯まない。
「うん。夏彦も……また遊んでね」
捻くれた言葉をまっすぐと受け止めて返すと、夏彦は視線をうろつかせ、「しゃーなくやからな」と念を押す。その虚勢の張り方に、横にいた秋斗が隠れて笑みをこぼす。
「では、お邪魔しました」
義貴が玄関のドアを開けると、春の夜の冷たい空気が滑り込む。晴子が史哉の手を取り、桐島家を後にしようとしたその時、史哉は名残惜しさから最後に振り返った。
「……バイバイ。またね」
少しだけ冷えた玄関の空気に、その声が優しく溶けて残され——ドアは閉じられた。
***
夜の街は、すっかり静まり返っていた。閑静な住宅街である家の前の道には、人の気配も車の気配もなく、驚くほど長閑だった。
濃紺の空に、ぽつぽつと街灯の明かりが灯っている。史哉はそんな景色を遠く眺めていたが、帰路はすぐに終わりを迎えた。隣家からの距離は近い。数メートル歩けば、すぐに自宅だ。
義貴が玄関の鍵を開けて灯りをつけると、室内にはほっとするような空気が待っていた。
新築ではないけれど、それでも新しい匂いがする。嗅ぎ慣れないその匂いに新たな生活の始まりを感じながら、義貴は玄関の扉を内から閉める。
「ふぅ……すっかり遅くなっちゃったわね。すぐにお風呂沸かすわね」
晴子が家に上がり、スプリングコートをハンガーにかける。その後ろでは、史哉が脱いだ靴を揃えながら、そっと顔を上げた。
家の中の空気は昼間よりもひんやりとしているけれど、どこか安心できるぬくもりがある。
——今日から、ここが俺の家なんだ。
そう実感していると、義貴が優しく、史哉の背をぽんと撫でた。
「秋斗くんと夏彦くんと、仲良さそうにしてたな」
史哉は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに視線を落とすようにしてうなずいた。
義貴は、そんな史哉の様子にゆるやかな笑みを浮かべる。
「史哉は、楽しかった?」
問いかける声はあたたかく、やわらかかった。
史哉は少し迷うようにして、しかしゆっくりと口を開いた。
「……うん」
その言葉は小さな声だったけれど、確かな響きがあった。
「すごく……楽しかった」
そのひと言に晴子はほっと息をつき、義貴も優しく目を細めた。
「そうか。よかったな」
ただそれだけを言って、義貴は史哉の頭をくしゃっと撫でた。史哉はくすぐったそうに眉を寄せながら、少しだけ照れたように笑った。
きっとこれから少しずつ、自分にも居場所ができていくのかもしれない。
そんな予感を胸にじんわりと感じながら、史哉はそのまま両親と並んでリビングへと歩いていった。
***
夕食の後片付けもひと段落し、桐島家のリビングには、のんびりとくつろいだ空気が流れていた。
テレビの音が小さく流れ、ダイニングテーブルに着いていた清春は、湯呑を片手にぽつりと声を上げる。
「眞城さんとこ、なんやみんな良さそうな人たちやったなぁ」
「うんうん、ホンマにね」
その横で、冬美が笑いながらテーブルに肘をつく。
「晴子さんもオモロい人やしね。態度の悪い夏彦に嫌な顔ひとつせんと、むしろ扱い上手でビックリしたわ」
「ババァって言われても笑っとったからな」
リビングでソファに座っていた秋斗が、くすっと笑う。
「もうええやろ!その話!」
秋斗の隣で、夏彦がむすっとしながら突っ込む。
そんな穏やかなやりとりの中、ふと清春の顔が引き締まった。
「……秋斗、夏彦」
その声音に、空気がほんの少しだけ変わった。
「ちょっとええか」
兄弟が顔を向けると、清春は湯呑をテーブルに置いて、静かに続けた。
「……さっきな、史哉くんのお父さんから聞いたんやけどな」
言葉を選ぶように、ゆっくりと話す。
「……史哉くんな、前の学校で、初めて撮った大事なお友達の写真を、目の前で破られたんやって」
その一言に、秋斗と夏彦の表情がわずかに固まる。
「ほんでな、破った子を怒るどころか、“悪気はないから許したれ”って先生に言われたらしくてな……それが余計に辛かったんやろな。そっから学校、行かれへんようになったんやて」
部屋の中がしんと静まる。
テレビの音が、妙に遠くに感じられた。
清春と冬美は、ふたりの息子の顔を順に見つめる。
「……せやからな」
清春の声は、優しく、けれど真剣だった。
「仲良うできそうやったら、仲良うしたってな」
「ええ子やろ? 史哉くん」
冬美も、にこりと笑って語りかける。
「今日、あの子笑ってたやろ?あれ見たとき、なんや私も嬉しかったわ」
秋斗はソファに座ったまま、黙って膝の上で指を組んでいた。夏彦も何か言いたげに口を開きかけて、けれど言葉にならず、強く握った拳を見つめていた。
——優しくしてやってほしい。
そんなことを言わなくてもいい。
秋斗と夏彦ならちゃんと分かってくれると、清春と冬美は信じている。
そしてきっと——史哉の「また来るね」の言葉を一番喜んでいたのは、息子たち自身だということも。
翌朝。眞城家は段ボールの山に囲まれて、義貴と晴子は早朝から荷解き作業に追われていた。
キッチンでは晴子が食器や調味料を丁寧に並べ、義貴は本棚の組み立てに苦戦している。
史哉は、新しく与えられた自分の部屋にいた。
広くもなく、特別に何かがあるわけでもないけれど、自分だけの空間。
東京と違う天井、違う壁、違う匂い。
まだ少し落ち着かない気持ちで、史哉は部屋の隅々を見回していた。
ベッドの上に腰を下ろしながら、カメラをいじる。すると窓の外から、昨日耳にした音が聴こえた。
——パァン。
乾いた音。一定のリズムで、壁に何かをぶつける音。
史哉は立ち上がり、カーテンをそっとめくって窓を開けた。
少しだけ冷たい、朝の風が頬をなでる。その風の向こう——隣家の庭には、秋斗がいた。昨日と同じように、集中した顔で壁に向かってボールを投げている。
その姿を、史哉はしばらく黙って見つめていた。そしてほんの少しの間迷って、でも、自分の中でなにかが背中を押した。
——昨日のあの、笑ってくれた声を思い出したから。
「……おはよう、秋斗!」
勇気を込めた声が、澄やかな空気を割って飛んでいった。
壁に当たったボールが地面に転がり、音が止まる。
秋斗が、声をする方へと見上げた。朝の光の中、秋斗の顔がパッとほころぶ。
「おォ、史哉!」
手をひらひらと振って、にこりと笑う。
「起きるの早いやん!今日も引っ越しの片付けか?」
史哉は「うん」と答えて、ちょっと照れたように笑った。それだけのやりとりなのに、胸の奥がぽかぽかとあたたかかった。
「おはよう」と声をかけただけで、こんなにも心が晴れるなんて。
新しい朝、新しい関係。
そっと芽を出したその繋がりは、春休みの朝を、どこか優しく彩っていた。
その頃、桐島家のリビングでは、夏彦がひとりダラダラとソファに寝転がっていた。テレビのリモコンを握り、つまらなさそうにチャンネルを回して。やがて興味のない番組にリモコンを放り投げると、ふと、家の外から耳に届いた声にぴくりと眉を動かした。
「おはよう、秋斗!」
夏彦は反射的に身を起こし、ベランダのサッシをガラガラと開け、庭へと出る。
朝の空気が、ひんやりと肌に馴染む。夏彦は声のした方に顔を向けると、見上げた先、開いた眞城家の二階の窓を見つめた。
そこには、モコモコのパジャマ姿で寝癖をつけ、窓から身を乗り出している少年の姿があった。
——史哉や。
控えめに、それでもちゃんと大きな声を上げ、秋斗に向かって笑顔を見せている。
その笑顔が白く眩しい光に照らされ、夏彦の目にしみる。
柔らかく揺れるレースのカーテンが、史哉をひらひらと覆い隠そうとする。けれど秋斗に向かって微笑む顔はハッキリとしていて、明らかな嬉しさを浮かべていた。
史哉は、まだ夏彦に気づいていない。
——それが、なんだか悔しかった。
「起きるの早いやん!今日も引っ越しの片付けか?」
秋斗が笑い返す声が聞こえ、夏彦はふたりのやりとりをベランダから黙って見つめていた。
「うん」と答えた史哉の声は、昨日よりも少し大きくて、表情も明るくて——夏彦が出会った時に見た怯え顔とは、まるで別人のようだった。
——なんやねん。
胸の奥が、きゅ、とわずかに音を立てた気がした。
よくわからない苛立ちに小さく唇を噛み、夏彦は背を向けようとする。
——しかし。
「なんや、夏彦も出てきたんか」
秋斗に呼び止められ、思わず足が止まる。
「……たまたまや!」
そう言って、夏彦はふいと顔を背ける。
史哉は、そんな夏彦の姿をようやく見つけた。そして目にするなり、すぐに夏彦にも声をかける。
「……夏彦も、おはよう!」
秋斗に向けた声と変わらない明るさに、自然と視線が引き寄せられる。
さっきまで目にしていた笑顔が、今度は自分に向けられている。それを知った夏彦は、胸に広がっていたもやもやが、途端に晴れた気がした。
けれど、素直に挨拶は返せない。視線を向けるばかりで応えようとしない夏彦を横目に、秋斗が代わりに言葉を返した。
「史哉、ヒマしてるん?せやったらウチ来るか?」
庭から見上げ、手招きをしながら秋斗がそう誘いかけた。
史哉は、思わず目を瞬かせる。
——誘われた。
それだけのことが、胸の奥にじんわりと広がっていく。
緊張と嬉しさが入り混じって、うまく言葉にならないまま、けれどしっかりとうなずいた。
「……うん!行く!」
少しだけ声を弾ませて。急いで窓を閉めた史哉は、着替えを済ませてから部屋を出て、階段を駆け降りる。
リビングでは、相変わらず義貴が本棚の組み立てにチャレンジしており、晴子は朝食の後片付けをしていた。
「お父さん、お母さん……あの、桐島くんちに、遊びに行ってきていい?」
義貴と晴子がふと顔を見合わせる。
少しだけ驚いた表情を浮かべ——そして、すぐににっこりと笑った。
「もちろん。行っておいで、史哉」
「ちゃんとご挨拶はしてきなさいよ〜?」
「……うん!」
靴を履き、玄関を出る。
——太陽が眩しい。
春の青い空の下、桐島家の庭へと駆け、少しだけ息を弾ませて辿り着くと——そこには、穏やかな笑顔とぎこちない表情を揃えた秋斗と夏彦が、史哉の到着を待っていた。
「おはようさん」
秋斗の笑顔は、昨日と変わらず、あたたかくて優しい。
「朝からバタバタやん。落ち着きないヤツやな」
夏彦が、昨日よりも柔らかな憎まれ口で迎える。
史哉はそんなふたりに会い、自然と笑みを浮かべた。
「おはよう。秋斗、夏彦」
——新しい春の、まっさらな一日が、また始まろうとしていた。