国オリ『Another view 前編』

「国都にお願いがあるんだ」
 十二月に入り、冬休みやクリスマスを前に周囲が浮き立ち始めた頃だった。ある日の昼休み、いつものように一緒にお昼を食べていた史哉くんが思い切ったように口を開いた。
 真剣な声色にお弁当を食べる手を止めると、彼は買って来たサンドイッチに手もつけずに僕をじっと見ている。その表情はやや固く、ピンと伸ばした姿勢と相待って緊張感が漂っていた。
「どうしたんだい?そんなに改まって」
「その……冬休み。年始の頃ってさ、野球部の部活ないって言ってたよな」
「うん。年末年始は流石にね。部活始めは来年の六日からだよ」
「その休みの間、国都は実家?」
「三日くらいまでは実家にいようかなと思っているけど、まだ決めてはいないよ。特に予定もないし、早めに寮に戻って自主練習を始めようかなと思っていたくらいかな」
「予定、ないんだ」
 確かめるように呟くと、史哉くんがすぅ、と息を吸い込んだ。
「じゃあさ。……付き合って欲しいんだけど」
「えっ?」
 付き合うという単語にドキリと心臓が跳ね、思わず大きな声で聞き返してしまった。驚く僕に、史哉くんは慌てて言い直す。
「ごめん、言い方悪かったな。その、休みのうち、二日ほど俺に付き合ってくれないかなって思って。出来ればで良いんだけど」
「ああ……休みに、ね」
 納得しながらも、期待が萎み僅かに意気消沈する。

『好きって、どういう気持ちだと思う?』

 修学旅行で彼からそう問われた時、僕は史哉くんへの恋心を自覚した。
 史哉くんと一緒に居たい。史哉くんの笑顔を見ていたい。困っていれば僕が助けたい。
 気がつけば彼のことを考えていたのは親しい友達だからではなく、恋しくてやまない人だからなのだと、彼に問われて初めて気がついた。
 だけど史哉くんは言った。僕は初めての『友達』なのだと。それはそれは、本当に嬉しそうに。
 僕にとってもそれは同じだった。それまで親しい友人のいなかった僕にとって、史哉くんは初めて近しいと思える存在だった。
 だが地方大会の夏を、文化祭の秋を彼と過ごし、想いは形を変えて移ろった。
 自分の気持ちが友情のラインを超えていたことに驚きはあったが、しかし同時に、僕がそれまで無意識でやっていた過剰と言われる程の言動やスキンシップは、全て彼への好意から来るものだったのだと腑に落ちた。
 もっと近づきたい、もっと触れたい。判然とした欲求は、友人に向けるべきものでないのは明白だった。
 ーーもしこの気持ちを知った史哉くんが友達をやめ、僕から離れていったら。
 その想像はあまりに辛く、堪えられそうになかった。困り果てるだろう史哉くんの顔も容易に浮かび、悩み苦しめてしまうのだろうと思うと胸が痛くなった。

 この想いを知られてはいけない。僕たちは、目の前の友情を第一にするべきだ。

 そう結論づけた僕は、自分の行いを悔い改めた。迂闊なことを口にしてはいけないし、軽率に触れるのも控えるべきだと。
 そうした距離感に変えたことが原因で彼とのすれ違いも起きたのだけどーーそこは閑話休題。とにかく、今や僕は彼の言動に敏感なのだ。
 友達としての付き合いが深まる一方で、僕の彼への想いも深まる一方だ。しかし僕自身、彼との今の距離感に大きな不満があるわけではなかった。
 もちろん、彼が僕の好意に応えてくれることを夢見ていないわけではない。けれど僕は野球で忙しく、彼もまた、復帰した写真部の活動に懸命だった。
 生活を占める部活動と、勉学という学生の本分。それを前提にした時、彼との関係を変えようとするのは時期尚早だと僕は考えた。ましてやこれから最上級生となり、お互い進路を真剣に考えなければいけないのだ。そんな大事な時期に、僕の気持ちに気づきもしていない史哉くんに告白し悩ませるのは悪手でしかない。
 今はまだ、このままでいい。機が熟すまで想いを秘め続ける日々は時に苦しくもあるけれど、それ以上に僕は幸せだった。

 史哉くんが傍で笑っている。それだけで、僕の想いは満たされるのだから。

「休みに付き合うのは構わないよ。むしろ僕も、史哉くんと会えるのが嬉しいし」
 意識を会話に戻し、僕は彼の願いを即座に了承する。すると彼は安心に表情を溶かし、柔らかな微笑みを見せた。
「よかった。それで、その……一泊二日で長野まで付き合ってもらいたいんだけど、国都は泊まりって大丈夫かな」
「え?一泊二日?長野?」
「うん。……ごめん、話す順番間違えたな、俺」
 思いもよらない語群に目を丸くする僕に、史哉くんはようやく全容を明かす。
「イチから説明すると、俺のお願いっていうのは、国都の写真を撮らせて欲しいっていう意味なんだ。その写真を長野の霧ケ峰高原の、それも朝焼けのロケーションで撮りたくて。だから、どうしても一泊二日になっちゃうんだよね」
 整然と語られれば、ようやく趣旨が理解できる。
「もちろん旅費とかは俺が出すし、国都にお金の負担はかけないよ。ただ遠征に付き合わせちゃうことになるし、撮影の日はかなり早起きになっちゃうんだけど」
 段々と申し訳なさそうにトーンを落とす史哉くんが、上目で僕を窺う。
「……やっぱ、無理かな」
 僕が日々野球に集中していることを知っているせいか、彼から休みの日に出掛けようと誘われたのはこれが初めてだ。遠慮がちになるのも無理はない。
 しかし僕が野球に懸けているのと同じように、史哉くんもまた、写真に全てを懸けている。彼の中にはどうしても撮りたい一枚があり、そのために僕と長野のロケーションがどうしても必要なのだろう。
 勇気を持って誘ってくれた史哉くんに、実感する。僕は、彼に必要とされているのだと。
「大丈夫だよ。長野、二人で行こうか」
 喜びを噛み締め、いっぱいの笑みを返す。すると安堵に頬を緩めた史哉くんが、「よかった」と小さく吐息をこぼした。
「俺、毎年挑戦してる写真コンクールがあるんだけど、そこに応募するための写真が撮りたいんだ。前に国都に写真を撮らせて欲しいって言ったけど、結局野球部全体の写真に変えただろ?あれからずっと国都を撮りたいって気持ちがあって……だから今度のコンクールでは、国都を撮したものを出したいなって思ったんだ」
 最初こそ言い出しにくそうだったものの、しっかりと自分の展望を述べた史哉くんに以前のおどおどとした様子はない。それはきっと、文化祭を経て培った彼の成長だ。
 史哉くんがこうして、思ったことを僕に真っ直ぐ伝えてくれることが嬉しい。それも、彼の中軸である写真に僕を写したいと言ってくれている。史哉くんに選ばれたのは僕なのだという事実に自尊心は膨らみ、自然と笑顔は弾ける。
「コンクール用の写真か。それなら、僕でよければ全力で協力するよ」
「ありがとう。貴重な休みをもらって悪いけど、よろしく頼むよ」
「悪いだなんてとんでもないよ。むしろ史哉くんと二人で旅行が出来るなんてとても楽しみだ。誘ってもらえてすごく嬉しいよ」
「喜んでもらえてるならよかった。俺もすごく楽しみだよ。国都との撮影も、旅行も」
 心底嬉しそうに微笑んで、史哉くんは胸を撫で下ろす。だがお礼を言いたいのはこちらの方だ。史哉くんと一緒に旅行だなんて、そんなこと望むべくもない。
「さっき旅費は史哉くんが出すって言ったけど、僕が自分で持つよ。キミが負担なんてしなくていいから」
「えっ、でも付き合ってもらうの俺なのに」
「僕が行きたいんだから気にしないで」
 乗り気になった僕は、浮き立ちながらまだ先の長野旅行を思い浮かべる。冬の長野は、きっと雪景色が美しいだろう。白く染まる街並みを史哉くんと一緒に歩けるなんて、まるで夢のようだ。
「そうと決まれば宿泊先も決めなきゃいけないね。宛てはあるのかい?」
「泊まるところは大丈夫。長野に俺のばあちゃんが住んでて、そこに泊めてもらおうと思ってるんだ。だから宿泊費はかからないよ」
「僕がお邪魔していいのかい?」
「いいに決まってるよ!ばあちゃん賑やかなの好きだし、俺が友達連れて行ったら絶対喜ぶよ。ただ古い家なんで、そこだけは逆に申し訳ないけど」
「趣があっていいじゃないか。僕は全然気にしないよ」
「趣って……物は言い様だな」
 史哉くんがくすりと笑い声を零す。釣られた僕も小さく笑う。
「じゃあ詳しい予定はまた決めよう。僕は三日から部活始めの六日までの間であれば問題ないから、あとは史哉くんに合わせるよ」
「ありがとう。ばあちゃんにも連絡して日にち決めておくな。決まったら連絡する」
「うん。楽しみに待っているよ」
 話が決まり、僕たちはお昼を食べることを再開する。
 当然のように、そこからは長野の話題ばかりだ。空いた時間でどこか観光しよう、何か美味しいものを食べよう。そんな二人だけの旅行の計画を立てながら、僕たちは残ったお昼休みの時間を有意義に使い切っていった。


 多忙な日々は時を押し流していく。十二月も下旬になり冬休みに入ると、学校で会っている史哉くんとは会えなくなり、寂しい毎日になった。部の冬季合宿などに注力する僕は忙しく、たまに彼と連絡を取り合いはするが、会って話す機会は持てずにいる。
 年明けには彼と旅行に行く。長期休みゆえの寂しさはその楽しみで紛らわしながら、僕はただひたすら、野球に打ち込み続けていた。

 期待に時は過ぎ、年は明けた。
 楽しみにしていた旅行当日、新宿駅新南口での待ち合わせに、僕は約束である八時半よりも二十分前に到着した。壁際に避け、小さめのキャリーケースとバットケースを持ちながら、僕は腕時計を一度確認する。
 新宿はいつも人が多い。平時でも年始でもそれは変わらず、僕は流れる人の大波を眺める。いずれこの行き交う人々の流れに混じり、史哉くんはやってくるだろう。待ち焦がれた僕は、ずっとその姿を探していた。
 やがて混雑と喧騒の中、思っていたよりも早く待ち人はやって来た。スポーツバッグとカメラバッグを肩にかけた史哉くんは、早い人足に揉まれて追い越されながら、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。
「史哉くん!」
 思わず名前を呼べば、僕を見つけた史哉くんが驚き駆け寄った。
「国都、もう来てたのか?」
「楽しみで待ちきれなくてね。でも、史哉くんも早いね」
「……実は、俺も楽しみでさ。早く目が覚めちゃったんだ」
 照れたようにはにかんで、首元に巻いたチェックのマフラーに顔を埋める。その愛らしい仕草に、僕の瞳は自然と細まる。
「メールで伝えたけど改めて、あけましておめでとう。今年もよろしくな」
「あけましておめでとう。僕からもよろしくお願いするよ。今年も仲良くしよう」
 僕が手を差し出すと、史哉くんは「何の握手だよ」と笑いながらも握り返してくれる。
「お互い早く着いたことだし、コンビニでも行って何か買うか?」
「そうだね。そうしよう」
 取り決めた僕たちは、そうして出発までの時間を費やした。コンビニで飲み物とお菓子を真剣に選ぶ史哉くんの横顔を見ながら、僕は予感する。

 この旅は絶対に、忘れられないものになるだろうと。


 長いトンネルを抜けた先は、まるで別世界だった。東京から出発し、長距離バスに揺られること約三時間。走っていた山道は、トンネルを潜る前までは山肌が見えていたというのに、今では景色が一変してしまった。
 深雪に覆われた白銀の世界。その壮観さに、僕たちは揃って感嘆の息を落とした。冬の晴天の陽光を受けて輝く雪の結晶は、暗路に慣れた目を眩ませるほどに光り輝いている。
「綺麗な雪景色だね。長野に着くのが楽しみだ」
「うん。寒そうだけど、この時期の空気って澄んでて好きなんだよな、俺。国都は寒いの平気?」
「苦手意識は特にないかな。でも史哉くんが言うように、この時期の空気は好きだよ。凛としていて清々しいよね」
 冬に対しての感想を言い合いながら、僕の隣に座る、窓際の史哉くんをチラリと見る。車窓から景色を眺め続ける横顔は楽しそうだ。隠しきれないワクワクが浮かんでいて、僕の心も一緒に弾んでしまう。
 振り向いた史哉くんと視線が合う。史哉くんは表情を改めると、真っ直ぐ僕に向き合う。
「今日は本当に付き合ってくれてありがとな。何かお礼がしたいから、長野に着いて欲しいものとか食べたいものがあったら言ってよ。俺がおごるからさ」
「お礼なんて要らないよ。一泊お世話になるのは僕の方だし、こっちからお礼をしたいくらいだよ」
「いや、それはさすがに貰えないって」
 史哉くんは苦笑いを溢しているが、僕としては本心だ。史哉くんとの旅行という貴重な機会を貰えたのだから、感謝したいのはこちらの方だ。
「でもさ、本当に俺、国都にお礼したいから。今日のことだけじゃなく、今までのお礼も含めてさ」
「そんなにしてもらうほど、キミに恩を売った覚えはないんだけどな」
「助けられてる方は色々覚えがあるんだよ。文化祭の時も、修学旅行の時も、いつも俺は国都に助けられてる」
 深い感謝を込め、史哉くんがたおやかに微笑む。僕にとっては、その笑顔が何よりの報酬なのだけど。
「物じゃなくてもいいよ。何か俺に出来ることがあれば考えておいて」
「わかったよ。そこまでキミが言うなら、考えておくよ」
 了承すればようやく納得して、史哉くんはまた窓の外に視線を向ける。「楽しみだな」と期待を弾ませる彼を、僕は窓の外を見るふりをしながら、長野に着くその時までずっと見つめ続けていた。


 松本市のバスターミナルに着いた僕たちは、そこからまずは史哉くんのお祖母さんのお宅を目指した。松本駅から電車に乗り換え十数分。辿り着いた安曇野市は、長閑で自然豊かな町だった。お祖母さんが住むという場所は市街から離れた位置にあり、点々と住宅が並ぶ中、史哉くんはある木造の古い一軒家に僕を案内した。
「ここなんだ。本当に古いだろ?」
 玄関前にかかった『眞城』の表札を見つけると、僕は家の外観を眺める。
 過ぎた年月によって古色へと変わった木材はあちこちに傷みがあり、腐食はないがやや風化が見られる。そう広くはない敷地には林檎の木があり、最盛期を終えた枝は、すでに葉を落とし裸で凍えていた。
「確かに年季を感じる造りだね」
「中は一部リフォームしてあるらしいけど、古いままの部屋もあるから、不便だったらごめん」
「気にしないよ、そんなこと」
 「それならいいけど」と呟き、史哉くんはインターフォンを押す。すると事前に連絡をしていたためか、すぐさま中から一人の老女が顔を出した。
「いらっしゃい。まぁまぁ、ふみくん!しばらく見ねえあいさにこんなに大きくなって!」
 古びた引き戸から現れたのは、史哉くんの父方の祖母の素さんという方だ。顔立ちに史哉くんの面影は薄いが、ふわっと結われた豊かな白髪も、垂れた目尻も眉尻も、とても優しそうな雰囲気がする。
「ばあちゃん、久しぶり。前に東京のウチに来て以来だね」
「もうあれからニ年も経ったねぇ。元気にしてたかい?」
「うん。俺も父さんも母さんも、みんな元気だよ」
 そこまで挨拶を交わすと、素さんの目が僕に向いた。にっこりと柔和な笑みを浮かべ、素さんは僕の顔をじっくりと見つめる。
「ふみくんから話は聞いてたよ。ふみくんの学校のお友達なんだってねぇ」
「はい。国都英一郎と申します。今日は一日お世話になります」
 深々と頭を下げると、素さんもまた丁寧にお辞儀を返してくれる。
「あらあら、礼儀正しい子じゃね。わたしはふみくんの祖母の眞城素と言いやす。よろしくねぇ、英一郎くん」
「こちらこそよろしくお願いします、素さん」
「ふみくんにこんな良いお友達が出来たなんて本当に嬉しいわぁ。ささ、長旅でごしてぇだろ?二人とも、家に入ってあったまって」
 どこか温かみのある長野弁で促され、「お邪魔します」と揃って家に上がる。木造の床をみしりと音立てながらリビングに入ると、ストーブに暖められた明るい室内が僕たちを出迎えた。その室温に、冬の外気に冷えていた身体が温まる。
「寒くねぇか?寒かったらストーブ強くするよ?」
「十分あったかいよ。大丈夫」
「そうかい。それじゃあ二人とも、荷物を置いておいで。ふみくんと英一郎くんの部屋は二階の和室に用意してあるから」
「うん、そうする。国都、案内するよ」
 史哉くんが先立ち、僕を先導する。その後ろをついて行くと、冷えた廊下の先にあるやや急な階段の先に、素さんが用意してくれていた部屋があった。
 広々とした和室には、い草の匂いが満ちている。初めて来たのに懐かしさを感じるのは、この畳敷きの部屋のせいだろう。
「適当に荷物置いていいよ。この後観光に行くってばあちゃんに言ってあるから、必要なものだけ持って出よう」
「うん。楽しみだね、観光。それにそろそろお腹も空いたね」
「お昼まだだしな。松本駅戻ったらまずは蕎麦だな」
 事前に決めていたお昼のメニューを確かめ合い、不要な荷物を置く。僕は財布とスマホだけを持ち、史哉くんはカメラバッグと小さなショルダーバッグを肩にかけた。そしてすぐに部屋を出ると、リビングで待つ素さんの元へと戻る。
「ばあちゃん、荷物置いてきたよ。俺と国都はこれから松本観光行ってくるから、また夜にな」
「はいはい。晩ご飯用意して待ってるから、いっぱい楽しんでおいで」
 玄関まで見送ってもらい靴を履く。すると素さんは、史哉くんに向けて小さなポチ袋を差し出した。
「はいこれ、お小遣い。英一郎くんと美味しいもの食べておいで」
「え、でも泊まらせてもらってるのに」
「遠慮なんていいから。受け取っておきなさい」
 笑顔の圧力に負け、史哉くんはポチ袋を受け取る。すまなそうにしながらも、一瞬チラリと僕に視線を向けると、改めて素さんに向き直る。
「ありがとうばあちゃん。じゃあ、使わせてもらうよ」
「うんうん。気ぃつけてね」
「行ってきます」
「行ってきます」
 僕と史哉くんで声を揃え、家を出る。暖かさに慣れていたところにまたひやりとした空気が触れ、その冷たさに少しだけ肩をすくめる。
「天気はいいけど、やっぱり長野は東京と比べると寒いね。史哉くん、寒くない?」
「俺は寒いの割と平気。国都こそ大丈夫か?」
「僕は鍛えているから平気だよ」
「関係あるのかよ、それ」
 小さく噴き出す史哉くんと並んで歩く。積もった雪は町を白く染めていて、野も家も道も、遠く見える山さえも、あらゆる景色が冬に覆われている。東京ではなかなか見ることの出来ないその情緒溢れる景観に、僕の心は浮き立っていく。
「国都は長野初めてなんだよな?」
「初めてだよ。見慣れない町並みを見るのは新鮮でいいね。それもこんなに見事な雪景色が見られるなんて、なかなかないよ」
「俺も小一の夏に一度来て以来だから、冬に来るの初めてなんだ。なんとなく景色は覚えてるけど、雪があると印象がだいぶ違うな」
 どこか感慨に耽った史哉くんが、遠くを見つめる。
「……もう、十年も経つんだな」
 その眼差しの遠さがどこか気になり、横顔を見つめる。雪にも負けない白い頬は、一面の冬景色に溶け込むようだ。その清純さと美しさを目にした僕は、思わず懸念も忘れ見惚れてしまう。
「ん?どうしたんだ?国都」
 視線がバレ、振り向かれた僕は一瞬息を飲む。きょとんと僕を見つめ返す史哉くんに警戒心はない。僕は瞳をはぐらかしながら、広がる町並みに言葉を探す。
「いや、こういう季節と景色が史哉くんによく似合ってるなと思って。穏やかで澄んでいる感じが、史哉くんにピッタリだなって思ったんだ」
「……国都って、そういうこと普通に口にするからすごいよな」
「思ったことを言ってるだけなんだけど、おかしいかな」
「おかしくはないけど……なんか、照れる」
 困ったように眉を下げ、史哉くんは薄く色差した頬をマフラーで隠す。ちらりと見えた赤は、この寒さのせいではないのだろう。
 長野の冬の空気は凍えるほどに冷たい。けれど僕は、不思議と寒さを感じなかった。
 それはきっと、隣にいる史哉くんがくれる温かさのせいなのだろうと、僕を密やかに思った。


 松本駅に戻った僕たちは古民家風の蕎麦屋に入り、昼食を取ることにした。温かい山菜蕎麦と天ぷら蕎麦を頼んだ僕たちは、蕎麦が来るまでの間に予定を話し合う。
「この後松本城に行こうって話してたけどさ、調べたら今時期、夜にイルミネーションやってるらしいんだ。城の壁を使って、プロジェクションマッピングを投影するんだって」
「イルミネーションか。それは綺麗だろうね」
「せっかくだし見ていかないか?俺、写真も撮りたいし」
「いいね、そうしようか」
 史哉くんの提案に諸手を挙げて賛成する。特別なイベントを二人で見られるなんて、願ってもないことだ。
「じゃあ昼の間に一回行って城の中を見とこうか。あとは四柱神社に寄って、その辺散策したりお土産買ったりしてたら丁度夜になるんじゃないかな」
 修学旅行の時もそうだったが、写真を撮りによく遠出するという史哉くんは計画的で決断力がある。地図を読むのも得意らしく、撮影のための下調べも欠かさないので、予定決めとなるととても頼りになる。
 スマートフォン片手に計画を練る史哉くんを、僕はにこやかに見つめる。二人でどこに行くかを決めるのはとても楽しい。さながらデートの気分になり、僕の笑顔は止まらない。
「どうしたんだよ、国都。すごい笑顔だな」
「うん。こうして二人で予定を決めるのって楽しいなと思って」
「俺がほとんど決めて、国都が賛成してるだけになってるけどな」
「僕は史哉くんの行きたいところに一緒に行ければ、それが一番だから」
「何だよそれ」
 史哉くんの呆れたようなセリフが僕の前で霞む。きっと、僕の言葉が本心なのだと悟ったのだろう。
「まぁ俺としては、行きたいところに行けるのはありがたいけどさ。でも、国都も希望があったらちゃんと言ってくれよ」
「そうするよ」
 そこまで決めると、僕たちは配膳された蕎麦を前に箸を割った。僕の割り箸はおかしな形に割れてしまい、史哉くんが笑う。力の入れ方が悪いのか、いつもこうだ。
 食べ始める前に史哉くんの山菜と、僕の天ぷらを交換しあう。学校でのお昼の交換も今では恒例になっていて、僕たちの間では自然に行われるようになっていた。
「いただきます」
 二人で声と手を合わせて。一緒に食べる蕎麦は、名物だからという理由以上に美味しいものだった。


 昼食後に向かった松本城は、白璧と同じ色の冠雪を纏い幽玄に佇んでいた。場内は観光客が多いにも関わらず、不思議と静謐に感じる。それは荘厳な歴史の遺物の存在感ゆえか、それとも、ちらちらと降り出した雪の吸音効果だろうか。
 僕たちは入城し、城内を巡っていく。建築様式や当時の合戦武具などの歴史資料を見学し、急な階段の先の大天守に登れば、竪格子窓から白染めの松本市が一望出来た。構造上開放感はないが、この守りを固めた造りこそが戦国の時代を物語っている。
「ここまで来ると景色がいいな」
 史哉くんはカメラを構え、窓から景色を撮影する。お年玉を何年も貯めて買ったという一眼レフカメラは大きく重そうだ。しかし史哉くんの慣れた手つきは、その重量を感じさせなかった。
 一通り場内を見て回った僕たちは、今度は松本城公園を散策することにした。堀の外側から見る城はまた違った趣があり、朱塗りの橋や、雪に枝垂れる木々の並びに、史哉くんの撮影は一層熱が入っていく。
「この風景いいな。季節も歴史も感じる」
 ファインダーを覗く横顔は真剣だ。集中した史哉くんは今、おそらくレンズ越しの世界しか見えていない。
 僕は、カメラを構える彼の横顔が大好きだった。僕が野球に意識を向ける時と同じように、史哉くんも撮影となると途端に自己の世界へ没入する。 
 ーー本当に写真を撮ることが好きなんだ。
 そう思うと、僕の心に喜び混じりの同調意識が湧いてくる。
「やっぱり旅はいいな。知らない景色って、撮ってて楽しい」
「史哉くんを見てると楽しさが伝わってくるよ。カメラを覗いてる時、とてもいい顔をしているから」
「え?そうかな」
「うん。見ている僕まで楽しくなるよ」
 微笑む僕を真っ直ぐに見つめ返し、史哉くんがカメラを下ろす。
「……俺、写真撮るとすぐ夢中になっちゃうからさ。退屈させちゃうんじゃないかって心配だったんだけど……そう言ってもらえると、嬉しいよ」
 心からの安堵に、史哉くんの笑みが和らぐ。僕はその笑顔に心を掴まれ、返す言葉に詰まる。
「あのさ、もしよかったら、景色と一緒に国都のことも撮っていいかな」
「え?僕を?」
「うん。コンクール用のは明日撮らせてもらうけど、それだけじゃなくて、二人で遊んでる時のも撮りたいなと思って」
「もちろんいいに決まっているよ。史哉くんに写してもらえるのはいつだって嬉しいから」
「よかった。じゃあさ、今撮らせてもらってもいいかな。城の方向いてくれる?」
「こう?」
「そうそう。いい感じ!」
 背後でシャッターを切る音がすると、どこか高揚した史哉くんが僕に並ぶ。
「ありがとう、すごくいいのが撮れたよ。この後の四柱神社とかイルミネーションの時も撮ってもいい?」
「好きに撮ってくれて構わないよ。その代わり、後で僕にも見せてもらえる?」
「見てくれるなら全部見せるよ。後でばあちゃんちに戻った時にでも」
「うん。史哉くんの写真を見るの、今から楽しみだな」
「そうか?でも、楽しみにしてもらえるなら俺も嬉しいよ」
 柔らかに受け止め、微笑む彼は愛らしくて。何度も奪われそうになる心に、僕は自制の釘を深く打ち付ける。
「……時間もだいぶ過ぎたし、そろそろ神社に行こうか」
「そうだな。そうしよっか」
 僕の気も知らず、史哉くんはあっさりと身を翻す。張り切って歩き出す史哉くんの後ろ姿を追いながら、僕は徐々に膨らんでいく彼への想いを持て余し始めていた。


 松本城から徒歩約十分。近隣に位置する四柱神社は、日本でも屈指のパワースポットと名高い神社だった。その名の通り神位の高い神を四神祀っていて、全ての願いごとが叶うとまで言われているらしい。
「願いごと結びの神だって。なんでも叶うって凄いな」
 由緒書きを眺めながら、史哉くんが感心する。
「史哉くんは何か願いごとあるの?」
「俺?うーん……そう言われるとパッと浮かばないな」
 唇に指を寄せ、深く考え込む。悩んだ時の史哉くんの癖はどこか幼さがあり可愛らしい。
「強いていうなら、周りが元気でいることかな」 「自分のことじゃないんだね。史哉くんらしいな」
「自分のことも考えてみたけど……俺、今は結構幸せだから。これ以上望むとバチが当たりそう」
 謙虚で自欲の薄い史哉くんは、いつも他者を優先しようとする。その優しさは彼の美徳だが、たまにはもっと自分に向けて欲しいとも思う。
「そういう国都は?やっぱり甲子園優勝?」
「そうだね。去年は悔しい結果になったから、引退した先輩たちの分まで、今年は結果を出したいと思うよ」
「……そうだよな」
 夏の大会のことを思い出したのか、史哉くんの声のトーンが落ちる。
 伏せられた瞳に、僕は大会後に教室で会った時の彼を思い出す。あの日、史哉くんが僕のために泣いてくれたこと。初めて彼の涙を見た時の言葉に出来ない感情は、間違いなく愛しさだったのだと、今の僕なら言える。
「じゃあ俺も一緒にお願いするよ。一人より二人の方がご利益ありそうだし」
「ありがとう。でも神頼みだけじゃなく、僕たちが努力しなきゃいけないことだからね。休みが明けたらまた頑張るよ」
「そうだな。俺も応援してるよ」
 明るさの戻った笑顔に安心しながらも、「応援してる」という彼のセリフに胸を打たれた。意識的に人を遠ざけていた史哉くんが、今では僕と並び寄り添う言葉をくれる。それは彼が孤独な領域から踏み出した証であり、僕を近しく思ってくれているという証拠なのだと思う。
「史哉くんが応援してくれるなら、僕はいくらでも頑張れるよ」
 喜びが溢れ、特別な気持ちを乗せた言葉はするりと滑り出る。あまりに自然な情動すぎて、ためらう間もなかった。
「久々に聞いた気がする。その大げさなセリフ」
 史哉くんは一瞬きょとんとした顔をして、すぐに楽しげに笑い声をこぼした。
 こんな風に思いを伝えることは、意識的に避けていたはずなのに。やはり僕は、この旅行で気が緩んでしまっているのだろうか。
「国都、あれ。縁結びの松だって」
 自戒に身を引き締めていると、史哉くんは参集殿前にある立札と松を指差した。『縁結びの松』と木札に書かれた松は二本に分かれていて、ふたつはその根本で繋がり、互いが互いを支え合っていた。
 その立木した姿は神秘的で、今の僕は、どこか羨ましいと感じてしまう。
「縁結びか……」
 ちらりと隣の史哉くんを盗み見る。写真を撮る彼は、僕を見返しはしない。
「……史哉くんは、結んで欲しい縁はあるのかい?」
「恋愛っていう意味ならそんなに興味はないかな。今は国都と一緒にいる方が楽しいし。それに、国都とか森嶋たちとか陽ノ本先輩たちとか、そういう大事な縁が俺にはもうあるから」
 だから、欲しい縁はないと。顔を上げて笑った史哉くんが、不意打ちで僕をカメラに写す。
「俺にそういう縁をくれたのは国都だからさ。本当に感謝してる」
 もう一度シャッターが切られる。彼のレンズに写る僕は今、どんな顔をしているのだろう。
「よし。十分撮ったし次はお参りだな。あとはウチ用とばあちゃん用に御守りでも買って……国都は?何か買う?」
「そうだね。僕も両親や部のために何か買おうかな」
「せっかくだし絵馬を書くのもいいよな。甲子園優勝祈願と、先輩たちの進路が上手くいくようにって」
「史哉くんはまた人のことばかりだね。じゃあ僕は、史哉くんがコンクールで最優秀賞を取れるようにお願いしようかな」
「そんな、わざわざいいって!」
「僕がそうしたいんだよ。さぁ、行こう」
 先導すれば、史哉くんが走り寄り隣に並ぶ。僕たちはそれから参拝をし、御守りを購入し、絵馬を書いた。
『帝徳高校野球部が甲子園で優勝出来ますように』
『先輩たちが希望の進路に進めますように』
『史哉くんが写真コンクールで最優秀賞を受賞出来ますように』
 三つの絵馬を並べてかけ、史哉くんが写真に収める。そうしてカメラを下ろすと、ゆっくりと僕へ振り向く。
「国都。絵馬、ありがとう」
「どういたしまして。明日は良い写真が撮れるように協力するから、史哉くんも頑張って」
「うん。絶対良い写真にするよ。約束する」
 意気込んだ史哉くんの瞳が、希望に満ちて輝く。
 曇りのない瞳は、いつだってファインダーを通して美しい世界を切り取るのだろう。その視界に映ることがどれだけ幸せか、僕はひとり、心に噛み締め続けていた。

 一頻り神社を周り終えた僕たちは、なわて通り商店街や松本城下町を散策することにした。
 食べ歩きをして、お土産を買って、カフェで暖を取って。あちこち歩き回っていると時間はあっという間に過ぎ、気がつけば後はもう、イルミネーションを見て帰るだけとなっていた。
「もうすぐ始まるな」
 宵空からまだ雪がちらつく中、松本城公園まで戻ってきた僕たちは、これから始まるプロジェクションマッピングの投影を待っていた。史哉くんはいち早くカメラを構え、周囲のライトアップされた景色を撮りながらワクワクしている。
「日が暮れるのが早いせいか、夜まであっという間だったね」
「そうだな。……明日の今頃はもう、東京に戻ってるのか」
 史哉くんがどこか切なげに呟く。僕もまた名残惜しさを抱きながら、彼の横顔を静かに眺める。
 明日東京に帰れば、また彼と会えない日々が始まる。冬休みが明けるまでの辛抱だが、こんなにも楽しい時間を過ごしてしまうと、いつも以上の切なさに苛まれる気がしてならない。
 場内に点灯のカウントダウンアナウンスが流れる。堀の外側で眺める僕たちのそばでは大勢の観光客がひしめき、僕と史哉くんは人に押されるように肩を寄せ合う。
『五秒前。四、三……』
 カウントダウンが刻まれる。ゼロの合図と共に時刻が十八時になり、同時に、音楽と光は溢れ出す。
 城の全景を、眩い光が包んだ。壮大な音楽に合わせ、城壁全体に投影された映像が流れて明滅する。そしてその光は、堀の水鏡に反射し光を広げる。
 まるでスクリーンに映し出される映画を見ているようだ。幻想的で荘厳な美しさに、僕は思わず言葉を失ってしまう。
 隣の史哉くんは、夢中で写真を撮っていた。夜になり冷えてきたせいか、よく見ればカメラを持つ指先は真っ赤だ。だが、彼は気にも留めずシャッターを切り続けている。
 次第に手が止まり、彼が不意にカメラを下ろす。あとは自分の目と心に焼き付けることを選んだのか、カメラを手放した彼は恍惚とした吐息をつき、目の前の光景に見入りだす。
「……綺麗だな」
「……うん」
 遠い地。二人きりの時間。特別な景色。ピンと張り詰めるような冬の夜気の中、史哉くんと触れ合う肩と腕だけが温かい。
 心地良さと幸せの温度が身に染みる。そう実感すると同時に、その温もりがもっと欲しくなる。
「国都……?」
 僕はいつの間にか、彼の手をそっと握っていた。それに気がついたのは、戸惑うような声で名を呼ばれてからだ。
「……指先が赤くなってたから、気になって。寒くない?」
 無意識の行動に言い訳を立てれば、史哉くんの瞳が一瞬彷徨った。けれど彼は拒むこともせず、振り払うこともしなかった。ーーそれどころか。
「……うん。寒くない」
 少しだけ俯いて。静かに微笑むと、小さな力を込めて僕の手を握り返してくれる。
「ーーよかった」
 受け入れられた安堵が白い吐息に変わる。てっきり、「こんなに人がいるところで何してるんだよ」なんて振り払われるんじゃないかと思った。
 それがまさか、握り返してくれるなんて。あまりに幸せ過ぎて、僕の夢想なのではないかと疑いたくなる。
 だけどこれは現実だ。指と指が触れ合う感触も、手の冷たさが分け合う温度に温まっていく感覚も、全て鮮明で確かなものだ。
 僕たちは投影が終わるまでの短い時間を、ずっとそうして触れ合い、寄り添い合っていた。いつまでもこの時が終わらないで欲しいと願うが、しかしそれは叶わない。たった十二分の投影時間のうち、彼と手を繋いでいられたのはその半分の時間にも満たなかった。
 音と光が途切れる。フッと闇が降り立ち、静かな佇まいを取り戻した城景は、至福の終わりを無情に告げる。
「……あっという間だったな」
 夢現に浸りながら、史哉くんがポツリと呟く。僕は言葉も返せないまま、揃いの温度になった彼の手を離せないでいる。
 周囲の観光客が散らばり始める。混雑を理由に寄せ合っていた肩も、人影に隠されていた手の繋がりも、夢の時間が終われば不自然な現実として際立ってしまう。
「……そろそろ帰ろうか」
「……そうだな」
 ひとつひとつ指を開き、そっと手を離す。手のひらに残る温もりを逃したくない。そう思った僕はギュッと空を掴むと、渇望を振り払うように先立って歩き出す。その隣には、すぐに史哉くんが並ぶ。
「ばあちゃん、きっとご飯たくさん用意して待ってるよ」
 声色に寂しさが混じって聞こえるのは、僕の願望なのだろうか。何気ない会話でさえいつも楽しいはずなのに、今ばかりは物足りなさを覚えてしまう。
「それは楽しみだね」
 短く口にすると、僕たちの間に、それ以上言葉は生まれなかった。

 駅までの通りの木々はイルミネーションの電球に飾られ、星のように輝いている。空想的な冬の街を並んで歩けることを夢見ていたのに、叶ったはずの現は、手放した温もりのせいでそれもどこか空虚に思える。
 史哉くんの横顔が、キラキラとした人工光に照らされる。暖色混じりの白に彩られた頬は柔らかそうで、思わず触れて確かめたくなる。
 隣同士の僕と史哉くんの間を繋ぐものは、今はもう無い。付かず離れずの隙間には寂寞が縺れ、僕は再び繋がるキッカケを探し続ける。
 そんな中、もどかしい距離を埋めたのは史哉くんの方だった。
「イルミネーション、綺麗だったな」
 横顔を盗み見ていた僕に、彼が振り返る。そこには心を緩ばせる優しい笑顔があって、僕の心臓が強く掴まれる。
「蕎麦も美味しかったし、神社で願い事もできたし、買い物もたくさんしたし。今日一日、ずっと楽しかった」
 偽りのない純白の想いが、雪のように僕の胸に振り積もる。
 ーー僕も同じ気持ちだよ。
 そう伝えたいのに、愛しさに埋め尽くされた僕は、想いを結晶にすることが出来ない。
「こんな遠くまで俺に付き合ってくれてありがとう。俺、今日のこと、ずっと忘れないよ」

 その言葉に、笑顔に。

 僕の恋が、許された気がした。

 ーー手を伸ばした。隣で小さく揺れる史哉くんの手を取ろうと、今はもう冷えた指先を再び伸ばした。
 この白い街を、冬の景色を、史哉くんと手を繋いで歩きたい。

 そう、願ったけれど。

「国都と友達になれて、本当によかった」

 彼が引いた一線が、僕を挫いた。
 
 史哉くんは気恥ずかしさを隠すように夜空を仰ぐ。胸に広がる苦さを堪えながら僕もまた空を見上げると、地上の光に負けた星は何も見えなかった。

 本当は、いつだって傍にあるはずなのに。

「明日は朝早いから、今日は早く寝ないとな」
 いつもの調子の語り口は、僕が『このままで構わない』と思っていた距離から生まれる。僕は自ら課した秘匿の決意に息を詰められながら、彼の望む『友達』を形容する。
「明日の撮影、僕に出来ることは全部協力するよ。史哉くんなら絶対に良い写真が撮れる」
 嘘じゃない。本当の気持ちだ。決して、想いの全てではないけれど。
 史哉くんが舞い落ちる雪と一緒に空から視線を落とし、僕をじっと見つめる。その瞳に映る僕は今、彼にとって、どんな風に見えているのだろう。
「……国都ってさ、いつも真っ直ぐだよな。嘘がないっていうか……そういうの、すごく安心する」
「……安心?」
「うん。俺ってさ、人の言葉の裏とかよく考えちゃうんだ。本当はどう思ってるんだろうって、余計なことばっかり。でも、不思議と国都の言葉はすんなり受け入れられるんだ」
 冬の空気よりも澄んだ瞳が、イルミネーションの光に輝く。地上に煌めく星は、夜空の星よりも僕を惹きつけてやまない。

「俺、国都のそういうところが好きだよ」

 純真が、僕の心を残酷に刻む。
 それでも僕は、笑顔で受け止めてみせる。

「ーーありがとう。キミにそう言ってもらえると、嬉しいよ」

 好き。
 だけどそれはーー友達として。

 いつかは聞きたいと願っていた言葉は想像よりも早く聞けたけれど、満たされるどころか、思い切り突き離されたように感じてしまう。

 繋げなかった手を、一人握りしめる。
 電車が線路を鳴らす音に気づき顔を上げれば、僕たちはいつのまにかイルミネーションの夢幻を抜け、駅という名の現実に辿り着いていた。

 人の波に騒めく街の中央が、耳に、感傷に障る。

 ーー僕たちの旅はまだ、続いていく。
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