伝奇パロ『愛縁奇縁』
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
プロローグ
連なる山間に隠れていく、緋色の夕日を眺めていた。深い山の中を走る電車の速度は緩く退屈で、俺はただ頬杖をつきながらひたすら車窓の外を見続けている。
知らない土地に向かうローカル線。一両編成のこぢんまりとした電車は人気が薄く、見れば車内には、俺と離れた席に座るもう一人の乗客しかいなかった。
空の上にはもう宵闇が染み出している。目的地に着く頃には、すでに夜になっているだろうか。座り疲れた俺はため息を落とすと、スマートフォンに結ばれたお守りを指でいじった。
青い瑠璃玉が付いた古い根付け。玉には、薄紫の紫陽花が飾り彫りされている。それは幼い頃から母さんに、「大切なお守りだから絶対に手放しちゃダメよ」と強く言い聞かされてきた物だ。
お守りは今や、大切な母さんの形見だ。
口酸っぱく俺に言い聞かせる母さんの顔を思い出しながら、俺は手にしていた白い便箋に目を落とした。
三ヶ月前、母さんが死んだ。
記憶もない小さい頃に父さんと死に別れ、兄妹もいない俺にとって、母さんはたったひとりの家族だった。
女手ひとつで俺を育てた母さんは、明るく豪放磊落な人だった。常に精力的で、風邪ひとつ引かないほど頑健で、地球が滅んでも生き残ってそうだとすら思っていた。
なのに、本当にあっさりと。急に身体を壊して、この世を去ってしまった。
突然の孤独に見舞われた俺は、母が遺した僅かな遺産を元に、母と長く暮らしたマンションに住み続けていた。
日常を失いたくなくて、変わらない環境を望んだ。学校にも、葬儀などがひと段落するとすぐに復帰した。そうして時間がほんの少し経った今、俺は少しずつ、一人だという現実を受け入れられるようになってきた。
便箋から手紙を取り出し、ゆっくりと開く。飾り気のない白い便箋に入っていたこの手紙は、もう何度も読み返したものだ。
『史哉へ』
宛名は俺の名前。その字は、見知らぬ祖母のものだった。
母さんが亡くなった後、俺が十八歳になった誕生日にこの手紙は届いた。内容は、母方の祖母の屋敷が、俺に相続されるというものだった。
母さんは生前、俺に祖母の話をしたことはなかった。居るとも知らなかった祖母からの、降って湧いた遺産。俺は戸惑いながらも、母の友人の弁護士に勧められ、夏休みを利用して屋敷を見にいくことになった。相続するかどうかはゆっくり考えればいいと言われ、俺は今、その屋敷がある土地へと向かっている。
亡き祖母からの短い手紙の最後には、こう綴られていた。
「史哉。どうか、この家を守って」
記された文字は、どこか重く、どこか暗く。
まるでーー呪いのような遺言だった。
「ーー次は、玉野塚 〜。玉野塚 〜」
嗄れた車掌の声が、目的地の名をようやく告げた。いくつもの電車を乗り継ぎ、ようやく辿り着いたのは埼玉の山奥にある小さな町ーー玉野塚だった。
電車が止まり、音を立てて乗降口が開く。薄暗いホームに人の気配はない。俺は電車を降りると、固まった体をグッと伸ばした。
するとやや遅れて、同じ電車からホームに降り立つ人影が続いた。
コツ、と。静まり返ったプラットホームに、硬質な足音が響く。その気配に、俺はふと振り返った。
ーー闇に溶け込むような学ランと、肩に掛けた長い刀袋。引き締まって見えるはずの黒に身を包みながらも、長身かつ恵まれた体躯が目立つ青年は、静かに、けれど凛と地に立ち降りた。
白色の電灯に照らされた容貌は端正で、静謐な美しさを湛えている。颯然とした姿はどこか浮世離れしていて、夜の駅の静寂を幻想的に感じさせる。
(……すごい、雰囲気のある人だな)
思わず見惚れてしまう。瞬間、青年がゆっくりと顔をこちらへ向けた。
短い黒髪が夜風に遊ぶ。堀の深いハッキリとした顔立ちには意志の強そうな黒曜の瞳があり、その眼に射抜かれた瞬間、俺の心臓はどきりと跳ねた。
「……僕に何か?」
想像よりも柔らかな声が、夜の静寂を渡った。はっと我に返った俺は、慌てて目を逸らす。
「えっと、その……なんでもないです」
「そうか」
挙動不審全開になってしまった。けれど青年は気にした様子もなく、颯爽と歩き出した。
その背には、確かな威圧感がある。畏敬すら感じさせる佇まいは、決してただの高校生には見えなかった。
(何者なんだ、この人)
彼の持つ超然とした空気に圧倒されながらも、俺は駅舎へと向かう彼の後を追う。
その背を目にしているとーー何故だろう。
胸の中のどこかが騒ぎ出すような、そんな不思議な心地がした。
駅の改札は、まさかの手動だった。無人じゃないだけまだ栄えているのだろうか。普段都会に住んでいる身としては、それでも珍しいと思いながら切符を差し出した。
「こんなとこにキミみたいな若い子が来るなんて珍しいね。何か用でもあるのかい?」
「ええ、まぁ……ちょっと」
気さくに話しかけてくる老年の駅員に、俺は曖昧に返す。そしてふと逡巡してから、俺は手紙に書かれていた住所を見せた。
「あの、この住所に行きたいんですけど、どうやって行ったらいいですか」
老眼からか、駅員が手紙を離して見る。そうして書かれている住所を確認すると、「ああ」と思い当たったような声を上げた。
「これはだいぶ先の山奥だね。そっち方面に行くバスはあるけど、今日はもう最終便が終わってるよ」
「えっ」
思わず駅の時計を見上げる。時刻は夜の七時半。東京なら、まだまだバスがある時間だ。
「じゃあ、タクシーはありますか?」
「うーん、こっちじゃ夜にタクシーはほとんどないんだよねぇ」
「……マジですか」
思わず頭を抱える。土地勘もない、有効な移動手段もないこの状態で、どうやって屋敷まで行けばいいというのか。
(どうしよう……徒歩で行くには無謀すぎるし、どこか泊まるしかないよな……)
そんな俺の困惑を察したのか、駅員は親切そうな笑みを浮かべて口を開いた。
「もし泊まるところを探してるなら、ここから少し歩いた先にある、『霞月 旅館』ってところに行くといいよ。女将とは昔からの知り合いでね。気の良い人だから、若い子が困ってるって知ったら、格安で泊めてくれると思うよ」
「……それはありがたいです。じゃあ、そこに行ってみます」
「うんうん、そうするといい。私から女将に連絡しておくから、ゆっくりしておいで」
人好きする笑みを浮かべると、駅員は地図が乗ったパンフレットを俺に差し出した。それを受け取ると、俺は駅を出て紹介された旅館に向かうことにした。
霞月旅館は、駅から徒歩十分程度の場所にあった。古びた木造の建物で、歴史を感じさせる佇まいだが、どこか落ち着く雰囲気がある。
入り口の格子門戸を開けると、事情を聞いていたらしい女将がにこやかに待っていた。青柳色の着物をキッチリと着熟す恰幅の良い女性は、糸のように細めた瞳で俺を歓迎する。
「いらっしゃい。こんな辺鄙なところまで長旅ご苦労様。何にもないけどゆっくりしていってね」
「ありがとうございます。お世話になります」
促され宿帳を記し、料金を確認する。若い子からお金は取れないと、驚くほど格安で泊まらせてくれるという女将に何度もお礼を言い、俺は部屋の鍵を手に部屋へと向かった。
二階建てのそう大きくもない旅館の中を、物珍しく眺めながら歩く。すると廊下の曲がり角で不意に誰かとぶつかり、俺は派手によろけてしまった。
「おっと、ごめんね。大丈夫?」
軽快な声と共に、俺を支える手が伸びた。見上げると、そこに立っていたのは陽気な雰囲気の中年男性だった。
束ねたドレッドヘア、派手なアロハシャツに半月型のメガネ――。こんな山奥の旅館にそぐわない、垢抜けた場違いな装いだ。
「すみません。よそ見をしてました」
「いやぁ、こっちこそごめんね。考え事をしてたら不意打ち食らっちゃったよ」
男はニコニコと笑いながら、俺を支えていた手を握手に変えて差し出した。
「ボクは冠波忠人。フォトグラファーなんだ。よろしくね」
「フォトグラファー……?」
「そ。売れてはないけどね」
自虐的に笑う男ーー冠波さんの手をそっと握る。見た目を裏切らない、明るくフレンドリーな人だ。俺はその勢いに巻き込まれ、おずおずと名乗り返す。
「……俺は、眞城 史哉です」
「眞城くんか。こんな田舎にキミみたいな若者が遊びに来るなんて珍しいねぇ」
冠波さんがしげしげと俺を観察する。その視線に居心地を悪くしながら、俺は会話の糸口を探す。
「えっと……冠波さんは、玉野塚には撮影で来たんですか?」
「うん、まあね。ここは歴史的に面白い題材がたくさんあるからね」
冠波さんは軽やかに言うが、その目にはどこか熱意がこもっている。よほどその題材というものに興味があるのだろう。撮影への強い意欲を感じる。
「キミは?こっちに知り合いでもいるのかい?」
「亡くなった祖母が住んでたんです。訳あって、祖母が遺した屋敷を見に来ました」
「ふぅん……何だか事情がありそうだね」
興味深そうに息を落とし、冠波さんが薄い顎ひげを触る。
「玉野塚には長くいるつもり?」
「いえ、屋敷の状態を確認したらすぐ帰ろうと思ってます」
「そっか。まぁ若い子には退屈なところだしねぇ。観光地らしきものもないし」
カラカラと笑うと、立ち話が長くなってきたところで、冠波さんが区切りをつける。
「ごめん、すっかり引き留めちゃったね。ま、帰るまでの間、のどかな風景でも楽しむと良いよ」
「はい、そうします」
会釈をして立ち去ろうとすると、冠波さんが最後に俺へと振り向いた。
「眞城くん。ーー良い旅を」
残された祝福の言葉は、どこか意味ありげでーー奇妙だと、感じた。
旅館の部屋に荷物を置き、一息ついたところで襖の向こうから女将の声が聞こえた。
「お夕飯を広間に用意しましたよ。遅い時間だから簡単なものだけどね」
(そういえば昼に電車でパンを食べて以降、何も食べていなかったな……)
俺は空きっ腹をさすりながら、「ありがとうございます」と申し出を受け取る。静かな山奥の旅館で旅情に浸る前に、まずは腹ごしらえだ。
俺は席を立つと、廊下を抜けて広間へ向かう。女将が言った通り、広間には食膳が並んでおり、質素ながらも温かい料理が並んでいた。
(思ったよりちゃんとした食事だ)
湯気の立つ味噌汁、焼き魚、炊き立ての白米、漬物に小鉢がいくつか。決して豪勢ではないが、十分すぎる夕食だ。
俺はありがたく用意された膳の前に腰を下ろす。だが、すぐにふと違和感を覚える。
斜め向かいにもう一膳、食事が用意されている。遅い時間にもかかわらず、自分以外にも客がいるのだろうか。
――そう思った次の瞬間、襖が静かに開いた。
「……!」
入ってきたのは、駅で出会った黒い学ランの青年だった。先程と変わらない凛とした佇まいは、旅館の雰囲気からも浮いた存在だ。俺はその姿を目にし、思わず背筋を伸ばす。
彼もまた、ここに泊まっている客だったのか。静かに食膳の前に座ると、青年がちらりと俺を一瞥する。
目があってしまった。しかし、声はかけられない。彼の空気はどこか人を寄せつけないものがあり、さらに今は、無表情で食事に向き合おうとしていたからだ。
(同じ旅館だったのか……)
気まずい沈黙の中、黙々と食事は進むかと思った。しかし青年は俺の方を見て、おもむろに口を開いた。
「……キミ、さっき駅でも会ったよね」
淡々とした声音だが、どこか穏やかだ。俺が驚いて反応できずにいると、青年はゆっくりと箸を置き、少しだけ表情を和らげた。
「突然声をかけてすまない。僕の名は国都英一郎というんだ。キミは?」
名を告げられた瞬間、俺の中に再び胸騒ぎが広がる。
(……やっぱりこの人、普通じゃない)
どくんと心臓が跳ねる。何かに圧倒されるような、強く惹きつけられるような、不思議な心地がする。
だが、沈黙のままではいられない。俺は小さく息を吸い、口を開いた。
「…… 眞城 史哉です」
静かに名を名乗る。国都と名乗った青年はわずかに俺を見つめると、まるでその名前に何かを感じ取るように微かに目を細めた。
「…… 眞城、史哉か」
まるで記憶の奥底を探るように。俺の名前を、じっくりと口にする。
何とも言えない居心地の悪さを覚えたが、国都はそれ以上何も言わず、ただ箸を手に取った。
広間に鎮座するのは、静寂と湯気の立つ料理。俺はゆっくりと箸を進めながらも、斜め向かいの席に座る国都の存在が気になって仕方がなかった。
学ランを着ているということは間違いなく学生なのだろう。だけどその佇まいには、妙な落ち着きと威厳がある。そんな雰囲気を探っていると、ふと国都が静かに問いかけてきた。
「……キミは、この玉野塚には何をしに来たんだ?」
唐突な問いだったが、特に詮索するような意図は感じられない。俺は一瞬迷ったが、隠す理由もないため素直に答えた。
「祖母の遺言で、ここにある祖母の家を相続することになって。それでここに来たんだけど、バスがもうなくて……今日はここに泊まることにしたんだ」
「……遺言、か」
どこか思案するような表情を見せたが、それ以上は何も言わなかった。
沈黙が落ちる。俺はふと気になり、逆に問い返した。
「えっと、国都……くん?」
「『くん』はいらないよ。多分、僕と同い年くらいだろう?」
「そうなのか?俺は高校三年なんだけど」
「ああ、やっぱりか。僕も同じだよ」
同い年だと確認が取れると、少しだけ固さが取れる。俺は少しだけ言葉を崩すと、改めて問いかける。
「じゃあ、国都。国都は、何をしにここに?」
「僕は仕事があってね」
「……仕事?」
返答に、さらに聞き返す。高校生の彼が仕事?
と疑問を浮かべる俺の視線に、国都はふっと微かに笑みを浮かべた。
「そう、仕事だ」
それ以上、詳細を話すつもりはないらしい。俺は諦めて言葉を飲み込んだが、どうにも引っかかる。
(学ラン姿の学生が、『仕事』……か)
その違和感を考えていると、国都は急に表情を引き締め、静かな声で言った。
「……忠告しておくが、この辺りの夜は危ない。あまり外を出歩かない方がいいよ」
「え?」
突然の注意に、思わず眉をひそめる。
「危ないって……どういうことだ?」
「この町は、普通の町とは少し違う」
国都は箸を置き、目を伏せる。その伏せた右眼が、微かに青く光ったように見えた。
(……一体、どういう意味なんだろう?)
国都の言葉には、ただの噂話や注意喚起ではない確かな重みがあった。俺は軽く笑い飛ばそうとしたが、そんなノリは相応しくない気がして反応に困った。
玉野塚の夜は、普通ではない。
その警告は、妙に現実味を持って聞こえたのだった。
食事を終え部屋に戻った俺は、知り合いの弁護士から連絡が来ていないかとスマートフォンを確認しようとした。しかしスマートフォンを入れていたはずのポケットに手を入れても、指先に触れるはずの本体も青い石の根付けも、どこにもなかった。
「……え?」
慌ててリュックのポケットや衣服の隙間を探るが、何度探しても影も形もない。
(どこで無くしたんだ……!?)
スマートフォンよりも、お守りが無いことに焦りが募る。幼い頃から絶対に手放してはいけないと言い聞かされてきたものであり、母さんの大事な形見。今まで失くしたことなんてなかったのに、どうして今、手元にないのだろう。
「この石は、お守りだから。肌身離さず持っていなさい」
いつも聞かされた母さんの言葉が浮かぶ。そう言われ、ただの飾りではなく、本当に大切なものなのだと信じていた。
胸に、じわりと不安が広がる。手のひらをぎゅっと握り、必死に考える。
(旅館の中で落としたのか? それとも、駅からここまでの間か?)
部屋の隅々まで探すが、どこにも見つからない。次に旅館の廊下や広間、食事をした場所まで探しに行く。しかしいくら探しても、旅館内のどこにもお守りはない。
(……駅からここまでの道で落としたのかもしれない)
そう考え、俺は旅館の外へと足を踏み出した。宿から少し離れただけで、夜の静けさが重くのしかかる。辺りにはほとんど人の気配がなく、街灯もまばらにしかない。
ひっそりとした山間の町は、都会の夜とは全く違い、黒い闇が一層濃く感じられた。
(……こんなところで本当に落としたのか?)
自分の記憶を辿りながら、街灯の光が届く範囲を探す。
地面を注意深く見ながら、少しずつ歩みを進めていたーーその時だった。
ザッ――
正面の闇の中から、二つの影が静かに浮かび上がった。
ーー心臓が跳ねる。
男が二人、道の先に立っていた。一人は鋭い三白眼の男。もう一人は釣り目で、どこか血気盛んそうな男。
どちらも無言のまま、じっと俺を見つめている。
(……なんだ? こんな時間に、こんなところで……)
本能的に察した。ただの通行人ではない。
この男たちはーー普通の人間じゃない。
じわじわと、冷たい汗が背中を伝う。
一歩、後ずさる。すると、三白眼の男が静かに口を開いた。
「……こんなところで贄の血に会えるとはな」
無感情な声に、呼吸が止まる。
「贄の、血……?」
反射的に言葉を繰り返す。釣り目の男が、微かに笑った。
「お前のことだよ」
心臓が嫌な音を立てる。
なぜ、この男たちは自分を知っている?
なぜ、「贄の血」と呼んだ?
そして――なぜ、こんなにも底知れない雰囲気を纏っている?
釣り目の男が、面白そうに唇を舐めた。
「へぇ……噂通り、すげぇ美味そうな匂いがするな」
言葉の意味がわからなかった。だが、その視線はまるで獲物を品定めするような冷たさだった。
指先が震える。背筋が凍る。
(……このままじゃ、ヤバい)
足を動かさなければ。逃げなければ――。
しかし、その場から一歩も動けなかった。身体が、恐怖に縛られたように固まってしまう。
男たちは、一歩、また一歩と近づいてくる。
この町の夜は、「普通」ではない。
国都が言っていた警告が、遅れて響く。
「この辺りの夜は危ない。あまり外を出歩かない方がいいよ」
(今なら、わかる――)
なぜ、彼があんなにも真剣な顔で警告したのか。だがそれがわかっても、もはや遅かった。
喉が乾く。
足が震える。
逃げなければ。
逃げなければ。
逃げなければ――。
その時だった。
「――そこまでだ」
鋭い声が、闇を切り裂いた。声のする方へ目を向けると、黒い学ランの影が夜の闇から現れた。
月明かりが差し込む。
ーー漆黒から、青く光る右眼が浮かび上がる。
「彼には、指一本触れさせない」
国都の鋭く冷たい声が、夜の闇に響いた。
連なる山間に隠れていく、緋色の夕日を眺めていた。深い山の中を走る電車の速度は緩く退屈で、俺はただ頬杖をつきながらひたすら車窓の外を見続けている。
知らない土地に向かうローカル線。一両編成のこぢんまりとした電車は人気が薄く、見れば車内には、俺と離れた席に座るもう一人の乗客しかいなかった。
空の上にはもう宵闇が染み出している。目的地に着く頃には、すでに夜になっているだろうか。座り疲れた俺はため息を落とすと、スマートフォンに結ばれたお守りを指でいじった。
青い瑠璃玉が付いた古い根付け。玉には、薄紫の紫陽花が飾り彫りされている。それは幼い頃から母さんに、「大切なお守りだから絶対に手放しちゃダメよ」と強く言い聞かされてきた物だ。
お守りは今や、大切な母さんの形見だ。
口酸っぱく俺に言い聞かせる母さんの顔を思い出しながら、俺は手にしていた白い便箋に目を落とした。
三ヶ月前、母さんが死んだ。
記憶もない小さい頃に父さんと死に別れ、兄妹もいない俺にとって、母さんはたったひとりの家族だった。
女手ひとつで俺を育てた母さんは、明るく豪放磊落な人だった。常に精力的で、風邪ひとつ引かないほど頑健で、地球が滅んでも生き残ってそうだとすら思っていた。
なのに、本当にあっさりと。急に身体を壊して、この世を去ってしまった。
突然の孤独に見舞われた俺は、母が遺した僅かな遺産を元に、母と長く暮らしたマンションに住み続けていた。
日常を失いたくなくて、変わらない環境を望んだ。学校にも、葬儀などがひと段落するとすぐに復帰した。そうして時間がほんの少し経った今、俺は少しずつ、一人だという現実を受け入れられるようになってきた。
便箋から手紙を取り出し、ゆっくりと開く。飾り気のない白い便箋に入っていたこの手紙は、もう何度も読み返したものだ。
『史哉へ』
宛名は俺の名前。その字は、見知らぬ祖母のものだった。
母さんが亡くなった後、俺が十八歳になった誕生日にこの手紙は届いた。内容は、母方の祖母の屋敷が、俺に相続されるというものだった。
母さんは生前、俺に祖母の話をしたことはなかった。居るとも知らなかった祖母からの、降って湧いた遺産。俺は戸惑いながらも、母の友人の弁護士に勧められ、夏休みを利用して屋敷を見にいくことになった。相続するかどうかはゆっくり考えればいいと言われ、俺は今、その屋敷がある土地へと向かっている。
亡き祖母からの短い手紙の最後には、こう綴られていた。
「史哉。どうか、この家を守って」
記された文字は、どこか重く、どこか暗く。
まるでーー呪いのような遺言だった。
「ーー次は、
嗄れた車掌の声が、目的地の名をようやく告げた。いくつもの電車を乗り継ぎ、ようやく辿り着いたのは埼玉の山奥にある小さな町ーー玉野塚だった。
電車が止まり、音を立てて乗降口が開く。薄暗いホームに人の気配はない。俺は電車を降りると、固まった体をグッと伸ばした。
するとやや遅れて、同じ電車からホームに降り立つ人影が続いた。
コツ、と。静まり返ったプラットホームに、硬質な足音が響く。その気配に、俺はふと振り返った。
ーー闇に溶け込むような学ランと、肩に掛けた長い刀袋。引き締まって見えるはずの黒に身を包みながらも、長身かつ恵まれた体躯が目立つ青年は、静かに、けれど凛と地に立ち降りた。
白色の電灯に照らされた容貌は端正で、静謐な美しさを湛えている。颯然とした姿はどこか浮世離れしていて、夜の駅の静寂を幻想的に感じさせる。
(……すごい、雰囲気のある人だな)
思わず見惚れてしまう。瞬間、青年がゆっくりと顔をこちらへ向けた。
短い黒髪が夜風に遊ぶ。堀の深いハッキリとした顔立ちには意志の強そうな黒曜の瞳があり、その眼に射抜かれた瞬間、俺の心臓はどきりと跳ねた。
「……僕に何か?」
想像よりも柔らかな声が、夜の静寂を渡った。はっと我に返った俺は、慌てて目を逸らす。
「えっと、その……なんでもないです」
「そうか」
挙動不審全開になってしまった。けれど青年は気にした様子もなく、颯爽と歩き出した。
その背には、確かな威圧感がある。畏敬すら感じさせる佇まいは、決してただの高校生には見えなかった。
(何者なんだ、この人)
彼の持つ超然とした空気に圧倒されながらも、俺は駅舎へと向かう彼の後を追う。
その背を目にしているとーー何故だろう。
胸の中のどこかが騒ぎ出すような、そんな不思議な心地がした。
駅の改札は、まさかの手動だった。無人じゃないだけまだ栄えているのだろうか。普段都会に住んでいる身としては、それでも珍しいと思いながら切符を差し出した。
「こんなとこにキミみたいな若い子が来るなんて珍しいね。何か用でもあるのかい?」
「ええ、まぁ……ちょっと」
気さくに話しかけてくる老年の駅員に、俺は曖昧に返す。そしてふと逡巡してから、俺は手紙に書かれていた住所を見せた。
「あの、この住所に行きたいんですけど、どうやって行ったらいいですか」
老眼からか、駅員が手紙を離して見る。そうして書かれている住所を確認すると、「ああ」と思い当たったような声を上げた。
「これはだいぶ先の山奥だね。そっち方面に行くバスはあるけど、今日はもう最終便が終わってるよ」
「えっ」
思わず駅の時計を見上げる。時刻は夜の七時半。東京なら、まだまだバスがある時間だ。
「じゃあ、タクシーはありますか?」
「うーん、こっちじゃ夜にタクシーはほとんどないんだよねぇ」
「……マジですか」
思わず頭を抱える。土地勘もない、有効な移動手段もないこの状態で、どうやって屋敷まで行けばいいというのか。
(どうしよう……徒歩で行くには無謀すぎるし、どこか泊まるしかないよな……)
そんな俺の困惑を察したのか、駅員は親切そうな笑みを浮かべて口を開いた。
「もし泊まるところを探してるなら、ここから少し歩いた先にある、『
「……それはありがたいです。じゃあ、そこに行ってみます」
「うんうん、そうするといい。私から女将に連絡しておくから、ゆっくりしておいで」
人好きする笑みを浮かべると、駅員は地図が乗ったパンフレットを俺に差し出した。それを受け取ると、俺は駅を出て紹介された旅館に向かうことにした。
霞月旅館は、駅から徒歩十分程度の場所にあった。古びた木造の建物で、歴史を感じさせる佇まいだが、どこか落ち着く雰囲気がある。
入り口の格子門戸を開けると、事情を聞いていたらしい女将がにこやかに待っていた。青柳色の着物をキッチリと着熟す恰幅の良い女性は、糸のように細めた瞳で俺を歓迎する。
「いらっしゃい。こんな辺鄙なところまで長旅ご苦労様。何にもないけどゆっくりしていってね」
「ありがとうございます。お世話になります」
促され宿帳を記し、料金を確認する。若い子からお金は取れないと、驚くほど格安で泊まらせてくれるという女将に何度もお礼を言い、俺は部屋の鍵を手に部屋へと向かった。
二階建てのそう大きくもない旅館の中を、物珍しく眺めながら歩く。すると廊下の曲がり角で不意に誰かとぶつかり、俺は派手によろけてしまった。
「おっと、ごめんね。大丈夫?」
軽快な声と共に、俺を支える手が伸びた。見上げると、そこに立っていたのは陽気な雰囲気の中年男性だった。
束ねたドレッドヘア、派手なアロハシャツに半月型のメガネ――。こんな山奥の旅館にそぐわない、垢抜けた場違いな装いだ。
「すみません。よそ見をしてました」
「いやぁ、こっちこそごめんね。考え事をしてたら不意打ち食らっちゃったよ」
男はニコニコと笑いながら、俺を支えていた手を握手に変えて差し出した。
「ボクは冠波忠人。フォトグラファーなんだ。よろしくね」
「フォトグラファー……?」
「そ。売れてはないけどね」
自虐的に笑う男ーー冠波さんの手をそっと握る。見た目を裏切らない、明るくフレンドリーな人だ。俺はその勢いに巻き込まれ、おずおずと名乗り返す。
「……俺は、眞城 史哉です」
「眞城くんか。こんな田舎にキミみたいな若者が遊びに来るなんて珍しいねぇ」
冠波さんがしげしげと俺を観察する。その視線に居心地を悪くしながら、俺は会話の糸口を探す。
「えっと……冠波さんは、玉野塚には撮影で来たんですか?」
「うん、まあね。ここは歴史的に面白い題材がたくさんあるからね」
冠波さんは軽やかに言うが、その目にはどこか熱意がこもっている。よほどその題材というものに興味があるのだろう。撮影への強い意欲を感じる。
「キミは?こっちに知り合いでもいるのかい?」
「亡くなった祖母が住んでたんです。訳あって、祖母が遺した屋敷を見に来ました」
「ふぅん……何だか事情がありそうだね」
興味深そうに息を落とし、冠波さんが薄い顎ひげを触る。
「玉野塚には長くいるつもり?」
「いえ、屋敷の状態を確認したらすぐ帰ろうと思ってます」
「そっか。まぁ若い子には退屈なところだしねぇ。観光地らしきものもないし」
カラカラと笑うと、立ち話が長くなってきたところで、冠波さんが区切りをつける。
「ごめん、すっかり引き留めちゃったね。ま、帰るまでの間、のどかな風景でも楽しむと良いよ」
「はい、そうします」
会釈をして立ち去ろうとすると、冠波さんが最後に俺へと振り向いた。
「眞城くん。ーー良い旅を」
残された祝福の言葉は、どこか意味ありげでーー奇妙だと、感じた。
旅館の部屋に荷物を置き、一息ついたところで襖の向こうから女将の声が聞こえた。
「お夕飯を広間に用意しましたよ。遅い時間だから簡単なものだけどね」
(そういえば昼に電車でパンを食べて以降、何も食べていなかったな……)
俺は空きっ腹をさすりながら、「ありがとうございます」と申し出を受け取る。静かな山奥の旅館で旅情に浸る前に、まずは腹ごしらえだ。
俺は席を立つと、廊下を抜けて広間へ向かう。女将が言った通り、広間には食膳が並んでおり、質素ながらも温かい料理が並んでいた。
(思ったよりちゃんとした食事だ)
湯気の立つ味噌汁、焼き魚、炊き立ての白米、漬物に小鉢がいくつか。決して豪勢ではないが、十分すぎる夕食だ。
俺はありがたく用意された膳の前に腰を下ろす。だが、すぐにふと違和感を覚える。
斜め向かいにもう一膳、食事が用意されている。遅い時間にもかかわらず、自分以外にも客がいるのだろうか。
――そう思った次の瞬間、襖が静かに開いた。
「……!」
入ってきたのは、駅で出会った黒い学ランの青年だった。先程と変わらない凛とした佇まいは、旅館の雰囲気からも浮いた存在だ。俺はその姿を目にし、思わず背筋を伸ばす。
彼もまた、ここに泊まっている客だったのか。静かに食膳の前に座ると、青年がちらりと俺を一瞥する。
目があってしまった。しかし、声はかけられない。彼の空気はどこか人を寄せつけないものがあり、さらに今は、無表情で食事に向き合おうとしていたからだ。
(同じ旅館だったのか……)
気まずい沈黙の中、黙々と食事は進むかと思った。しかし青年は俺の方を見て、おもむろに口を開いた。
「……キミ、さっき駅でも会ったよね」
淡々とした声音だが、どこか穏やかだ。俺が驚いて反応できずにいると、青年はゆっくりと箸を置き、少しだけ表情を和らげた。
「突然声をかけてすまない。僕の名は国都英一郎というんだ。キミは?」
名を告げられた瞬間、俺の中に再び胸騒ぎが広がる。
(……やっぱりこの人、普通じゃない)
どくんと心臓が跳ねる。何かに圧倒されるような、強く惹きつけられるような、不思議な心地がする。
だが、沈黙のままではいられない。俺は小さく息を吸い、口を開いた。
「…… 眞城 史哉です」
静かに名を名乗る。国都と名乗った青年はわずかに俺を見つめると、まるでその名前に何かを感じ取るように微かに目を細めた。
「…… 眞城、史哉か」
まるで記憶の奥底を探るように。俺の名前を、じっくりと口にする。
何とも言えない居心地の悪さを覚えたが、国都はそれ以上何も言わず、ただ箸を手に取った。
広間に鎮座するのは、静寂と湯気の立つ料理。俺はゆっくりと箸を進めながらも、斜め向かいの席に座る国都の存在が気になって仕方がなかった。
学ランを着ているということは間違いなく学生なのだろう。だけどその佇まいには、妙な落ち着きと威厳がある。そんな雰囲気を探っていると、ふと国都が静かに問いかけてきた。
「……キミは、この玉野塚には何をしに来たんだ?」
唐突な問いだったが、特に詮索するような意図は感じられない。俺は一瞬迷ったが、隠す理由もないため素直に答えた。
「祖母の遺言で、ここにある祖母の家を相続することになって。それでここに来たんだけど、バスがもうなくて……今日はここに泊まることにしたんだ」
「……遺言、か」
どこか思案するような表情を見せたが、それ以上は何も言わなかった。
沈黙が落ちる。俺はふと気になり、逆に問い返した。
「えっと、国都……くん?」
「『くん』はいらないよ。多分、僕と同い年くらいだろう?」
「そうなのか?俺は高校三年なんだけど」
「ああ、やっぱりか。僕も同じだよ」
同い年だと確認が取れると、少しだけ固さが取れる。俺は少しだけ言葉を崩すと、改めて問いかける。
「じゃあ、国都。国都は、何をしにここに?」
「僕は仕事があってね」
「……仕事?」
返答に、さらに聞き返す。高校生の彼が仕事?
と疑問を浮かべる俺の視線に、国都はふっと微かに笑みを浮かべた。
「そう、仕事だ」
それ以上、詳細を話すつもりはないらしい。俺は諦めて言葉を飲み込んだが、どうにも引っかかる。
(学ラン姿の学生が、『仕事』……か)
その違和感を考えていると、国都は急に表情を引き締め、静かな声で言った。
「……忠告しておくが、この辺りの夜は危ない。あまり外を出歩かない方がいいよ」
「え?」
突然の注意に、思わず眉をひそめる。
「危ないって……どういうことだ?」
「この町は、普通の町とは少し違う」
国都は箸を置き、目を伏せる。その伏せた右眼が、微かに青く光ったように見えた。
(……一体、どういう意味なんだろう?)
国都の言葉には、ただの噂話や注意喚起ではない確かな重みがあった。俺は軽く笑い飛ばそうとしたが、そんなノリは相応しくない気がして反応に困った。
玉野塚の夜は、普通ではない。
その警告は、妙に現実味を持って聞こえたのだった。
食事を終え部屋に戻った俺は、知り合いの弁護士から連絡が来ていないかとスマートフォンを確認しようとした。しかしスマートフォンを入れていたはずのポケットに手を入れても、指先に触れるはずの本体も青い石の根付けも、どこにもなかった。
「……え?」
慌ててリュックのポケットや衣服の隙間を探るが、何度探しても影も形もない。
(どこで無くしたんだ……!?)
スマートフォンよりも、お守りが無いことに焦りが募る。幼い頃から絶対に手放してはいけないと言い聞かされてきたものであり、母さんの大事な形見。今まで失くしたことなんてなかったのに、どうして今、手元にないのだろう。
「この石は、お守りだから。肌身離さず持っていなさい」
いつも聞かされた母さんの言葉が浮かぶ。そう言われ、ただの飾りではなく、本当に大切なものなのだと信じていた。
胸に、じわりと不安が広がる。手のひらをぎゅっと握り、必死に考える。
(旅館の中で落としたのか? それとも、駅からここまでの間か?)
部屋の隅々まで探すが、どこにも見つからない。次に旅館の廊下や広間、食事をした場所まで探しに行く。しかしいくら探しても、旅館内のどこにもお守りはない。
(……駅からここまでの道で落としたのかもしれない)
そう考え、俺は旅館の外へと足を踏み出した。宿から少し離れただけで、夜の静けさが重くのしかかる。辺りにはほとんど人の気配がなく、街灯もまばらにしかない。
ひっそりとした山間の町は、都会の夜とは全く違い、黒い闇が一層濃く感じられた。
(……こんなところで本当に落としたのか?)
自分の記憶を辿りながら、街灯の光が届く範囲を探す。
地面を注意深く見ながら、少しずつ歩みを進めていたーーその時だった。
ザッ――
正面の闇の中から、二つの影が静かに浮かび上がった。
ーー心臓が跳ねる。
男が二人、道の先に立っていた。一人は鋭い三白眼の男。もう一人は釣り目で、どこか血気盛んそうな男。
どちらも無言のまま、じっと俺を見つめている。
(……なんだ? こんな時間に、こんなところで……)
本能的に察した。ただの通行人ではない。
この男たちはーー普通の人間じゃない。
じわじわと、冷たい汗が背中を伝う。
一歩、後ずさる。すると、三白眼の男が静かに口を開いた。
「……こんなところで贄の血に会えるとはな」
無感情な声に、呼吸が止まる。
「贄の、血……?」
反射的に言葉を繰り返す。釣り目の男が、微かに笑った。
「お前のことだよ」
心臓が嫌な音を立てる。
なぜ、この男たちは自分を知っている?
なぜ、「贄の血」と呼んだ?
そして――なぜ、こんなにも底知れない雰囲気を纏っている?
釣り目の男が、面白そうに唇を舐めた。
「へぇ……噂通り、すげぇ美味そうな匂いがするな」
言葉の意味がわからなかった。だが、その視線はまるで獲物を品定めするような冷たさだった。
指先が震える。背筋が凍る。
(……このままじゃ、ヤバい)
足を動かさなければ。逃げなければ――。
しかし、その場から一歩も動けなかった。身体が、恐怖に縛られたように固まってしまう。
男たちは、一歩、また一歩と近づいてくる。
この町の夜は、「普通」ではない。
国都が言っていた警告が、遅れて響く。
「この辺りの夜は危ない。あまり外を出歩かない方がいいよ」
(今なら、わかる――)
なぜ、彼があんなにも真剣な顔で警告したのか。だがそれがわかっても、もはや遅かった。
喉が乾く。
足が震える。
逃げなければ。
逃げなければ。
逃げなければ――。
その時だった。
「――そこまでだ」
鋭い声が、闇を切り裂いた。声のする方へ目を向けると、黒い学ランの影が夜の闇から現れた。
月明かりが差し込む。
ーー漆黒から、青く光る右眼が浮かび上がる。
「彼には、指一本触れさせない」
国都の鋭く冷たい声が、夜の闇に響いた。