国オリ『winner』

『プレーオフ進出をかけた運命の一戦。1点ビハインドのまま9回の裏を迎えたマリンズは、残りアウトカウントひとつという瀬戸際で四番の新野を迎えます。解説の鶴田さん。どうでしょう』
『四番の新野選手はここまでノーヒットですが、運の悪い当たりだっただけで当たり自体は良かったですからね。相手投手の宮藤投手とは何度も対戦経験があり相性も決して悪くないので、期待は十分にあると思います』
『ここでひとりランナーが出れば、次は五番の国都英一郎です。高卒2年目にして今やマリンズの中軸を担うまでになった期待の若手選手ですが、鶴田さんからはどのような選手に見えますか?』
『国都選手は帝徳高校時代に3年間四番を任されていた選手なので、中軸に抜擢されても非常に落ち着いてますね。ここ数年打線が振るわないチーム状況とはいえ、高卒2年目で主軸に定着したのは、それだけ彼が期待されているからだと思います』
『1年目はシーズン後半に一軍合流しましたが、そのままシーズンの終わりまで起用されました。今年はホームラン数も増え、着実に成長しているのではないでしょうか』
『はい。今後の成長が楽しみな選手のひとりだと思います』

 強い風が吹いた。南西の逆風。海と陸の境から生まれた暴虐な使者は、肌を引っ掻くような鋭さに微かな潮の匂いを混ぜている。
 外野のセンターポールがガタガタと揺れる。はためく球団旗は真横に激しくたなびき、上空の風がどれだけ強いのかを訴えている。
 僕はネクストバッターズサークルの中で、静かに目の前の戦況を見つめていた。最終回1点ビハインド、残りアウトカウントひとつ。チームの勝利は、今や風前の灯火だ。
 しかし今、バッターボックスには四番の新野さんが立っている。何年もチームを背負ってきた大黒柱には諦めも焦りもない。ネクストに入る僕に、「お前に回してやるから覚悟しとけよ」と笑うほどの余裕さえある。
 新野さんは打つ。僕に繋げる。だからこそ僕は、相手投手である宮藤さんの一球一球に神経を集中し、自分の打席を強くイメージする。

『四番の新野、フルカウントまで粘っています』
『ストライクゾーンの球を上手くカットしてますね。段々スイングが合ってきています』
『続いて8球目、この球をーー打った!宮藤の頭上を超えセンター前ヒットです!』
『今のは見事でしたね。上手くタイミングを合わせたピッチャー返しはお手本のようなバッティングでした』
『さぁここでランナー一塁!打順は五番の国都を迎えます。ここまで三打数一安打、打点はありません。ホームランが出れば逆転サヨナラですが、少し風向きは難しいですね』
『海からの向かい風が強いので、フライのボールはどうしても影響を受けますね。ここで国都選手がどのようなバッティングをするのか楽しみです』

 予告通り僕に打順が回ってきた。一塁で止まった新野さんが、エルボーガードを外しながら僕に薄い笑みを送っている。そこには「お前が決めろ」とでも言いたげな不敵さがあり、その無茶振りに僕は小さな苦笑いを浮かべながらネクストを立った。
 荒ぶ風に、グリップガードの白い粉塵と一際の声援が舞った。外野席からつんざくようなトランペットの音色が聞こえる。得点圏ではないのにも関わらず奏でられたチャンステーマは、勝利を強く信じ願うファンの想いだ。
 僕はゆっくりとした足取りでバッターボックスに向かう。ふと顔を上げ、バックネット裏の席に視線を向ければ、一目で僕を見つめる瞳と結ばれる。
 そこに在るのは、僕にとって何より大切な存在ーー史哉の姿だ。彼は一心に僕を見つめ、祈るような仕草で両手を組んでいる。
『明日は大事な一戦になるんだ。だから、キミの応援が欲しい』
 そうお願いして、球場まで足を運んでもらって本当によかった。この大事な場面で彼の姿を目にすると、僕の心にのしかかる張り詰めた空気もプレッシャーも、全てが力に変わる。
 良いところを見せたい。キミの存在がどれだけ僕の力になるのかと証明したい。僕の奥底に、そんな気概が湧いて来る。
 割れんばかりの声援に背を押される。仲間やファンがくれる想いに相乗し、史哉の強い想いが伝わる。
『英一郎、頑張って』
 聞こえないはずの彼の声が聞こえた。僕は強大な勇気とバットを握りしめると、いつものルーティンをこなし、漆黒のバットの先をピタリとマウンドに定める。

『ツーアウトから新野が出て、打順は五番の国都。ランナー一塁。ここで守備はやや後ろに下がりました』
『長打警戒ですね。新野選手は足は速くないので、ヒットが出たとしても本塁に帰るのは難しいでしょう』
『こうなると、ヒット一本で同点にするのは難しそうですね』
『そうですね。宮藤投手とは左対左になりますが、国都選手の場合対左をそこまで苦にはしていないですし、宮藤選手との対戦経験も何度かありますので、そこは期待の持てるポイントだと思います。とはいえ、プロに入ってからこうした重要な場面での打席経験は少ないでしょうから、それがどのように影響するのかが注目のポイントだと思います』
『アウトカウントはあとひとつ。絶対的クローザーの宮藤を相手に、国都はどのようなバッティングを見せるでしょうか』

 宮藤投手が、何度か首を振ってからセットポジションで構える。キャリアの浅い僕相手でも警戒しているのか、初球は慎重にボールから入った。アウトコースから外に外れるスライダー。ストライクゾーンギリギリから逃げていく絶妙な球を、僕はフルスイングで空振りする。
 ストライクカウントがひとつ灯る。だが、勝負はこれからだ。

『初球スライダーを空振り。ワンストライクを取りました宮藤です。良いコースでしたね』
『はい。球威もありましたし、あのコースは手が出てしまいますね』

 フッ、フッ、と短い呼吸を繰り返す。冷静にと心掛けてもやはり大一番だ。どうしても気負いが出てしまう。
 二球目。今度は縦のスライダーだ。引っ掛けそうになったところをなんとかバットコントロールし、ファールラインの外へと打ち込む。
 ストライクカウントがまたひとつ灯る。あっさりと追い込まれた僕は大きく息を吐き、仕切り直すようにヘルメットのツバを整える。

『2球目、落ちるボールをなんとかファールにしました』
『引っ掛けてゴロを打たせたかったんでしょうね。タイミングがもう少しずれていたら、宮藤投手の思惑通りだったでしょう』
『これでノーボールツーストライク。国都は2球で追い込まれた形になります』
『一球外してくるとは思いますが、勝負はそこからですね。投手有利のカウントで国都選手がどう対応するか、この打席の重要なポイントになると思います』
『3球目、宮藤投げました。大きく外に外れてボール。これでカウントはワンボールツーストライクへと変わりました』
『国都選手が得意な外へ意識を向けていますね。ここで内角を選ぶのか、落ちる球を選択するのか、それとも外へ外れるボール球か。国都選手もストライクゾーンを広げざるを得ないので、難しい場面だと思います』

 大きく外れたワンボール。意識がどうしても外に向き、思わず体がつんのめる。
 姿勢を正し、スタンスを戻す。そして、バットのグリップを強く握り直す。心なしか耳に届く声援の音量が落ちた気がする。実績のない若手の僕が簡単に追い込まれたことで、もしかしたら敗戦を予感し始めているのかもしれない。
 ーー打てるだろうか。自分の中にも小さな疑念が湧き上がる。だがそんな弱気を打ち消すように、先ほど目にした史哉の祈るような姿が思い浮かんだ。
 史哉はきっと僕を信じている。例えこの瞬間、多くのファンが負けを覚悟していたとしても、彼だけは僕が勝つと信じている。

 僕は、僕を信じる。
 積み重ねてきた野球人生、努力と経験の全て、今日まで僕を支えてくれた全ての人たちを信じる。
 そして何より、彼がくれる信頼を、愛を、祈りを。全身全霊を捧げ、今この一打で仕留める力に変えてみせる。

『宮藤投手が首を振り……今、サインが決まりました』

 全ての音が遠ざかる。分厚く透明な硝子に隔たれたような感覚。世界は静謐に飲み込まれ、目の前のマウンドと、マウンドに立つ投手だけがくっきりと鮮明に映る。

 忘我の境地に、彼の祈りは届く。
 ーー風が、僕に味方する。
 
『ここにきて風向きが変わりましたね。先程までは打者に不利の向かい風でしたが、どうやら追い風に変わったようです』
『ホームラン風ですね。国都選手にとっては明るい要素ではないでしょうか』
 
 セットポジションからの投球動作がやけにゆっくりと流れる。見えないはずの握りが見えた気がして、直感が働く。
 ーー変化球。縦のスライダー。
 僕は狙いを絞り、落ちる前に叩こうと強いタメを作る。

『4球目ーー投げました、変化球!』

 予感通り。僕は軌道が変化するより早く、最速と渾身のヘッドスピードで迎え撃つ。
 
 確かな手応えがした。
 愛用するバットの材質であるアオダモがしなり、球を長く捉える。そして弾力を持って高く空へと運び、風に乗じて劣勢を切り裂く。

『打ちました!この打球は大きい!!』

 打った瞬間、届くと確信した。
 僕は走る足を緩やかに、持っていたバットをそっと手放す。

 一拍遅れの大歓声が上がる。同時に、無意識で僕の右手がガッツポーズを掲げる。

『ホーーーームラン!!痛烈な一閃がバックスクリーンを直撃!!!五番国都のホームランでマリンズは逆転サヨナラ勝利!!!プレーオフ進出を決めましたーーッ!!!!」
『変化球を完璧に捉えましたね!飛距離十分の完璧なホームランでした!!』

 渦巻く熱狂の中、ゆっくりとダイヤモンドを周りながら、僕はバックネット席へと視線を向けた。二塁付近からでは遠くて小さな姿しか見えないけれど、史哉が泣きながら喜んでいる姿が見えた気がした。くしゃくしゃにした笑顔で、大きく拍手をしている姿が見えた気がした。

 気づけば、僕は笑っていた。先に本塁に着いた新野さんをはじめ、僕の帰りを待つ仲間たちの輪に飛び込むと、次々と手荒い祝福が僕を迎えた。
 水をかけられ、ヘルメットや背を叩かれて。激しい歓迎を受けた僕は、今日、確かにチームを担う一員になれたのだと実感する。

『ファンの大歓声と飛び出したチームメイトが、勝利を決める一打を打った国都を迎えます!』
『国都選手、珍しくガッツポーズが飛び出しましたね。普段あまり表に感情を出すタイプではないですが、さすがに今日は笑顔ですね』
『今日のヒーローは間違いなく彼でしょうね』
『はい。ヒーローインタビューでどんな話が聞けるか楽しみですね』

 チームメイト全員で客席に向かい、あちこちに手を振る。真っ先にバックネット裏を見上げると、歓喜に揺れる観客の中、ひとり感激を抱え止め、頬を紅潮させた史哉がいた。
 やっぱり泣いていたみたいだ。僕を見つめながら、拍手の合間にそっと頬を拭う仕草で確信する。

 今日、僕は確実にヒーローインタビューに招かれるだろう。この一打に込めた思いは?と問われたら、僕はこう答えよう。

「チームのみんなと、ファンの皆さん、そしてーーいつも僕を支えてくれる人のために打ちました」と。
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