藤ヤマ『ヨコシマ・レモネード・ハニー』
室内へと再び戻ってきた俺たちは、休憩を取るため手近なフードコートへと移動した。『リトルプラネット』という名のその店は水着のままで飲み食いできる場所で、席数もかなり多いようだ。これなら、混んではいるが座れそうだ。
「ヤマの分も頼んでくるから、席取っといてくれるか」
「わかった。じゃあお金後で払うね」
「ここは俺が出すって。タダでここ誘ってもらってるんだしよ」
「そんなこと言ったら、僕だって父さんにチケットもらっただけだし」
「いいって。大した金じゃないんだし、こんくらいカッコつけさせてくれよ」
押すだけ押しといて自分のセリフに少し恥ずくなったが、ヤマはそこで「じゃあ、お言葉に甘えて」と引き下がってくれた。なんとか面目が保てたことに気分を良くした俺はヤマに注文を聞くと、席の確保を任せ、レジカウンターで注文を済ませる。頼んだのはドリンクふたつだけとあって、用意されるのはあっという間だ。
「藤堂くん、こっち」
二人分のドリンクを乗せたトレイを持って席を探していると、ヤマが俺を見つけ合図をしてくれた。呼ばれて席に着くと、やはりここも同様に宇宙をモチーフにしているのか、椅子に惑星が飾り付けられていたり、テーブルの模様が天の川になっていたりする。どこまでも手が混んでいる施設だ。
「アイスレモネードでよかったんだよな」
「うん。ありがとう」
キンキンに冷えたプラカップを手渡すと、ヤマが早速ストローに口をつけた。俺も買ったアクエリアスを勢い良く吸い込むと、緊張でカラカラだった喉に潤いが染み渡り、ホッと一息がこぼれる。
そうしてやや落ち着きを取り戻したところで、ふとヤマの飲んでるレモネードが気になった。透明なプラスチック越しのレモン色が爽やかで、なんだかやけに美味そうだ。
「そのレモネード、この店のオリジナルって書いてあったよな。普通のと違うか?」
「はちみつとレモンのバランスが良くて美味しいよ。ちょっとミントの味も効いてて爽やかだし。藤堂くんも飲んでみる?」
「……は?」
おいおいおい、今度は間接キスイベントかよ!
そこまで狙って聞いたんじゃないからな!?と誰にするでもない言い訳を脳内でしつつも、「いいのか?」なんて確認しにいくあたり俺はやっぱり自分に素直だ。当然言い出した側のヤマはどうぞ、と躊躇なくレモネードを差し出すモンだから、これは合意の上、と納得ずくで受け取った。もちろん動揺を隠しつつ、何食わぬ顔でというのは心がけたつもりだ。
「どう?美味しい?」
「……おう。ちゃんとレモンの味する割に、甘さもあって飲みやすいな」
なるべく気の利いたことを言おうと語彙を引っ掻き集めたが、ぶっちゃけ、味よりストローに意識が集中してしまった。だがヤマは満足そうに「だよね」と微笑むと、何事もなかったかのようにまたレモネードを飲み出した。その躊躇いのない行動に、マジで俺のこと意識してねェんだなとまた落ち込みそうになる。
いや、警戒されまくるよりマシだ。
そう自分に言い聞かせ気持ちを奮い立たせると、俺は残りのアクエリアスと一緒に、小さな不満を飲み込んだ。
その後一息ついた俺たちは、まだ行っていない屋外プールやビッグリバーで遊ぶことにした。
の、だが。
驚くことに、これ以上はそうそうないだろうと思い込んでいた『おいしい出来事』がそこから先も重なり続け、俺は心身を削られ続けた。
流れるプールではヤマが俺の肩に捕まってきたり。
ビッグリバーの二人乗りチューブボートでは狭さのせいで密着状態になったり。
挙げ句の果てには、波のプールで大波にひっくり返ったヤマをお姫様抱っこで受け止めるという事件まで起き、その度忍耐の限界を試された俺は、夕方を迎える頃にはすでにゲッソリと燃え尽きかけていた。
そんなんだから、本来なら惜しむべきはずの「そろそろ帰ろうか」という提案をあっさり受け入れてしまったんだ。苦渋の末のこの決断は、早い話、俺の理性のギブアップ負けだ。情けなさすぎて泣きたい気分だぜ、チクショウ。
時刻は午後五時半。まだ夕暮れさえも早い時間に俺たちは身支度をし、ロッカールームへと引き返した。途中の個別シャワーブースで頭から冷水を浴びながら、俺は今日一日を思い返す。
そして思う。今日は一体、どういう日なんだと。
偶然ってヤツはこんなにも重なるものなのか?大体、俺から誘ってデートした時はもっとこう、普通の友達の距離じゃなかったか?
数少ないデートの記憶と比べてみると、今日一日がどれだけ甘い誘惑に満ち溢れていたかがよくわかる。最後まで欲望に耐えた自分を、もっと誇ってもいいだろう。
本当に、本当に苦しい戦いだった。だが今日始めて触れた生肌の感触や温度を、俺はずっと忘れないだろう。
押し寄せる疲労の中、かけがえのない戦果を心に刻んだ俺は、修行僧よろしく両手を合わせ感謝を募らせるのだった。
スペースアクアを後にした俺たちは、バスと電車を乗り継ぎ、いつもの帰り道を並んで歩いていた。思いの外体力を使っていたのか、電車とバスの中ではお互い口数を少なくしていたが、別れ道に着く前にはデートの終わりが名残惜しくなった。
歩く速度を緩め、今日の終わりに抵抗する。それでも辿り着いてしまうから、俺たちは道端で立ち止まり、どちらともなく向かい合って時間を止めた。
「今日は、すげー楽しかったな」
月並みな言葉にありったけの気持ちを込めれば、まっすぐ俺を見つめたヤマがこくん、と深く頷いた。
「プール自体久々ってのもあるけど、何より、ヤマとプールにいくの初めてだったし」
「お互いはしゃぎまくったね」
「噂通り広くていろいろあったしな。俺はやっぱウォータースライダーとかビッグリバーとかが面白かったけど、ヤマは何が一番だった?」
「そうだなぁ……ウォータースライダーもビッグリバーも、流れるプールも波のプールも面白かったけど」
持ち掛けられた質問に、ヤマが視線を落とし一瞬考え込む仕草を見せる。だけどすぐに向き直ったヤマは、顔いっぱいに見たことのない笑みを浮かべていた。
それは、例えるなら。
「でも一番面白かったのは、僕を意識した藤堂くんが、ずーっとアワアワしてたことかな」
イタズラな、小悪魔のような笑顔で。
「………………は?」
耳に届いた言葉をなかなか理解出来ず、俺は間抜け面をぶら下げ硬直した。回らない頭が、くすりとこぼれたヤマの小さな笑い声にようやく反応を取り戻した。
その途端、沸騰する勢いで血が顔へと昇ってくる。
「ちょッ、待て、それはだな!!つーかヤマ、もしかしてオマエ……!!」
『アレ全部、わざとだったのか!?』
声高に叫びそうになった俺に、したり顔のヤマが人差し指を立てる。静かに、と目線で制され、俺はようやくここが住宅街のど真ん中だということを思い出した。
通りがかった買い物帰りの主婦や帰宅途中のリーマンが、チラチラとこっちを見ている。だが、今はそんなの気にしてる場合じゃねェ。
「なぁヤマ……プールでのことって……」
「日が暮れてきたね。そろそろ帰ろうか」
俺の追及を断ち切り、跳ねるように一歩、ヤマが帰路へと踏み出した。言われて見れば、まだ明るかった空はいつの間にか夕焼けへと変わっている。その色は、俺たちの一日の終わりを告げているみたいだ。
動き出した時間の中、引き留めて問い詰めようと伸ばしかけた俺の手を、ヤマはするりと躱していく。
夕陽に透ける、届かなかった手のひら。
その向こうで、茜色に溶けそうな微笑みが振り向いた。
「すごく楽しかったよ、今日のデート」
白いポロシャツに光を反射させ、またね、と手を振り。
眩しさを残し遠ざかっていくヤマの姿を、焼き付いた笑顔の残像を、俺はずっとずっと見つめ続けていた。
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