藤ヤマ『peaceful your sleep』

 プロの世界は厳しい。
 そんなことは藤堂くんが入団する前から、彼自身も僕も分かっていたはずだった。だけど頭での理解なんてものは、実際に目の当たりにし、体感した現実に一瞬で追い越されてしまう。
「みんな本当にスゲェんだ。キャッチボールひとつだって、高校野球とは比べ物にならねェ」
 そう呟いた彼の顔に、余裕はなかった。
 高校二年目から四番に座り、名実共にチームを支えて来た彼は、三年の夏が終わるその日まで、その打順に相応しすぎるほどの働きをしてきた。
 彼のバットが、僕たちを勝利に導く。そんな試合がいくつもあった。
 そうして彼が残したものは当然のようにプロのスカウトの目に留まり、野球選手としての華々しい未来に繋がった。狭き門は開かれ、複数のプロ球団が4番藤堂葵を欲した。その結果にみんな驚き歓喜したけれど、僕は内心、当然のことだと自分のことのように誇らしく胸を張っていた。
『プロは高校とは違うんだろうけどよ、それでも俺は、絶対にまた4番藤堂葵になる』
『だからヤマ、応援しててくれるか。ずっと、俺の側でよ』
 夢を語り、はにかむ彼の笑顔は、何より輝かしく愛しかった。
 だけど拓かれた未来は現実になって立ち塞がり、淡々と、冷酷なまでに差を突きつけた。日々現れる数字、結果。大衆の目に晒され、一日一日評価され続ける環境での野球はおそらく、彼の想像をも超えていたのだろう。
 僕の家にやってくる彼の顔は、日に日に翳りを増していた。
 藤堂くんは弱音を吐かない。自分を卑下したりしない。だけど、他の選手を賞賛するセリフがやけに増えていく。
 元々分かりやすいタイプではあるし、何より長い付き合いだ。彼が今どういう心境なのかは、想像に難くない。
 今日も僕を見つめる目線が、ゆるやかに下がっていく。
 一体どうすれば僕は彼の力になれるんだろう。何をすれば応援が彼に届くのだろう。無力な自分を噛み締めながらも、僕は必死に模索する。
 そしてあることをひとつ、思いついた。
「藤堂くん、ちょっとこっち来て」
 ソファの上に座り、彼を呼び寄せる。すると何事かと疑問を浮かべながらも、藤堂くんは素直に従い寄ってきた。その手をしっかりと掴み、グッと引き寄せる。
「横になって」
「横に?どうしたんだよ、急に」
「いいから。僕の膝の上」
 ポン、と膝を叩けば藤堂くんがぱちくりと瞬く。それでもすぐに頬を崩すと、僕の隣に座り、のそりと大きな身体を僕に預けてくる。
 頭の重みが膝に乗り、見下ろす視界に、さらりと金の髪が広がる。
 僕は彼の髪を梳き、頭を撫でた。二人何も言わず、触れる感覚だけに身を委ね、安らぎに時の針を遅めた。
 指に伝わる彼の温度が少し上がった。そう気づいた時には、彼はいつの間にか眠っていた。穏やかな寝息が規則正しく聞こえてきて、その静かな音色に、僕の胸が切なく締め付けられる。
 撫でる指先を滑らせ、耳を、頬を、彼の形をなぞっていく。心地良い温度に想いを込め、僕は祈るように瞳を閉じる。
 大丈夫。今は届かなくとも、キミは絶対に目標に辿り着く。その心の強さが、野球への想いが、ひたむきな努力が、キミを望む場所へと辿り着かせる。だから、心配なんて何もいらない。
 今はまだ、苦しいかもしれない。だけどどうか、今は眠っていて。
 僕の、すぐそばで。
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