積水抱擁のマルチアングル

 それからしばらくして、残さずご飯を食べ終えた俺たちはようやく本題に入ることにした。
 昨日は勢いのままに頼んだから、詳しい話は何も出来ていない。撮らせてもらう側として、事前説明とスケジュール決めは最低限の責務だ。しっかりしなければ。
「撮影の話なんだけど、昨日ちゃんと話が出来てなかったから、改めて説明していいか?」
 片付けの合間に話題を切り出せば、国都がもちろん、と頷いた。俺は居住いを正し、軽く咳払いをする。
「昨日、帝徳高校ってテーマで撮るって言ったのは、写真部の文化祭出展用なんだ。部長が決めたテーマなんだけど、この学校に関するものや人なら何でもいいって言われて、それでモチーフを探してて」
「なるほど、文化祭か。文化部の作品展示は、僕も去年いくつか鑑賞したよ」
「そう、それ。で、あちこちうろついてたんだけど、たまたま国都の練習してるところを見かけてさ。野球全然詳しくないし、今までろくに見たこともなかったんだけど、なんかこう…国都の練習してる姿は、凄いなって思って」
 語彙が無さすぎて悲しくなる。だけど他にどう伝えていいのかもわからないので、俺は気にせず続ける。
「俺、らしくもなく見入っちゃってさ。気づいたら国都のこと、撮りたいなって思ってたんだ」
 動機を語り尽くしたが、あまりに中身のない話になってしまった。呆れられていないかちょっと不安になる。
 しかし国都に気にした様子はなく、純粋に受け止めてくれているようだった。真っ直ぐにこちらを見る瞳が強い。俺は急にドギマギとしてしまって、また言葉が辿々しくなる。
「だから、その。昨日は協力してくれるって言ってもらって、すごい助かったし、嬉しかった。改めて……ありがとう」
「どういたしまして。そんなに喜んでもらえたなら、僕も嬉しいよ」
 淀みなく返る言葉は、本心なのだろう。一日経って冷静になり、迷惑極まりない話だったと反省していたところだったので、少し安心する。
「俺、国都にも野球部にもなるべく迷惑かけないようにするから」
 とはいえこの時期、国都にとっても野球部にとっても大切な時期だということに変わりはない。撮影するとなると、迷惑をかけないつもりでいても、きっと何かしら邪魔になるだろう。だから、きちんと礼は尽くしておきたい。
「夏の大会前で忙しい中引き受けてもらったんだ。許可をもらえたって話だったけど、なんなら撮っていい日や時間を制限してくれてもいい。あと、早く撮り終えるように努力する」
「……そうかい。じゃあ、僕からもう一度岩崎監督に話しておくよ。もし話が変わるようなら、眞城くんに伝えるから」
「わかった。よろしく頼む」
「僕からもひとつだけ。僕の練習しているところは自由に撮ってもらって構わない。ただ、撮影のために別途時間を割くことは出来ない。撮影は、部の活動中だけ。それでもいいかい?」
「それでいいよ。俺が撮りたいのは、国都の野球をしている姿だから」
「そうかい。なら良かった。じゃあ今日の放課後、早速撮りに来るかい?」
「行く!」
 食い気味に返事をしてしまい、一気に恥ずかしくなる。照れて縮こまれば、国都が微笑ましそうに目を細めた。くそ、テンションが上がりすぎた。
「その、しばらくは作品の方向性を決めたいから、今日から何枚か試しで撮らせてもらうよ。ちゃんと作品になるものが撮れたら報告する」
「うん。撮れたら、ぜひ僕にも見せてほしいな。楽しみに待っているよ」
 ーーー俺が自分のために取りたいだけなのに、楽しみにしてくれているのか。
 今まで自然風景相手にしか撮影してなかった俺は、初めて人からもらう期待に騒つく。人を撮るということはこういうことなのか。なんだかむず痒いような心地だ。
「……わかった。良い写真が撮れるように、全力を尽くすよ」
 慣れない期待を受け、意気込みで返す。そうして撮影についての話は区切られ、俺たちの目的は果たされた。昼休みは残り僅かだ。充実した昼休みも、そろそろ終わりを迎える。
「今日は付き合ってくれてありがとう。そろそろ教室に戻るか」
 ゴミだけが入ったビニール袋を手に席を立つ。が、国都はまだ動かない。
「その前に、もうひとつだけいいかな」
「いいけど。どうした?」
「出来れば、眞城くんが今まで撮った写真を見せてもらえないかな。この部室に眞城くんが撮った写真があるなら、ぜひとも拝見したいんだ」
 思いもよらない願いに、俺は一瞬呆気に取られる。だがよくよく考えたら、撮らせてくれという人間がどんな写真を撮るのかすら知らないというのは、撮られる側として不安だろうし疑問だろう。
 国都の頼みは、そういう意図だと思っていた。
 だけど。
「キミが撮った写真に興味があるんだ。もしあれば、見せてもらえると嬉しい」
 興味?俺の写真に?
 言葉の意味が俄かに信じられず、うっかり聞き返しそうになる。が、おそらく聞き間違いではないのだろう。返答を待つ国都が、とても真剣な顔をしているから。
「……あるにはあるけど。ウチの部員は全員、ポートフォリオ作ることになってるから」
「ポートフォリオって?」
「その人の作品集みたいなもの。プロの写真家は、それを使って自分の作品の特徴を伝えたり、売り込んだりするんだ」
「なるほど。そういうものがあるんだね」
「ちょっと待ってて」
 俺はスチール棚に移動し、そこに並べられたアルバム型のポートフォリオの中から自分の物を取り出す。ペラと開くと、山や川、空などを撮った何枚かの風景写真と、苦心して書いた作品詳細が書かれている。だが、他の部員と比べて写真の枚数は極端に少ない。それもこれも、一年の夏から幽霊部員と化していたせいだ。
「写真少なくて悪いけど、はい」
 手渡すと、国都は壊れ物を扱うような慎重さで受け取った。『帝徳高校写真部 眞城史哉』と書かれた表紙を眺め、ゆっくりとした動作で開く。
「一ページ目は自己紹介みたいなところだから飛ばして」
 履歴書よろしく書かされたプロフィール部分が恥ずかしくて小声で指示する。なのに国都は聞いていないのか、俺のプロフィール欄をじっくりと読み進めている。
 別にいいんだけど。でも、やっぱり俺という人間を知られることはすごく恥ずかしい。
 国都は、黙ったまま熱心にページを進めていく。時間のない中でも丁寧に目を通していく様に、見られているこっちとしては身の置き所に困る。
 一言でもいいから、せめて感想を言ってくれよ。
 そんな生殺しを味わっている間に、最終ページは閉じられた。感慨に浸った様子で、国都がポートフォリオを両手で俺に返す。
「ありがとう。どれもとても素晴らしかったよ」
 たった一言の賛辞は、ともすればお世辞のように聞こえるセリフだ。だけどなぜだろう。国都の言葉には、嘘がないと思った。
「……眞城くんは、写真が本当に好きなんだね」
 ポートフォリオに名残の視線を落としながら、国都がぽつりと呟いた。真に感じ入った響きに、俺は心から不思議に思う。
 国都は俺の写真から、何を感じ取ってくれたのだろうかと。
「……好きだよ。撮り始めた子どもの頃からずっと。でも、国都も同じだろう?国都も、野球好きだよな」
 問返せば、国都がハッとした顔を上げた。驚きの色はすぐに笑みに溶け、隠されることのない愛を滲ませる。
「うん。僕も好きだよ。野球自体も、この帝徳で野球をすることも、僕にとっては全て大切なものだ」
 威風堂々と、熱い想いを告白する。その情熱は俺の「好き」と比べると、積み重ねてきたものも、実感している強さも段違いだと感じた。
 交わった瞳に、俺はようやく気づく。
 俺が国都を撮りたいと思った理由。それは自分にも他人にも真っ直ぐで、言葉や行動に混じり気を感じさせない純度の高い人間性だ。あるいは、高潔な精神とでも言うのだろうか。
 俺は生まれてから今日まで、こんなに人に惹きつけられたことはない。こんなに人を、綺麗な生き物だと思ったことがない。
 国都英一郎という男は、そんな俺の人生に大きな一石を投じた。
 心に広がる波紋は優しく、静かで。俺はその反響を、ただあるがままに受け止めていた。
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