積水抱擁のマルチアングル
冗長な授業を乗り越えると、昼の休み時間が訪れた。解放感に満ちた教室内はたちまち賑やかになり、購買ダッシュを決める生徒、仲良しグループで机を寄せ合い弁当を広げる生徒、他クラスの友達に呼ばれて出かける生徒など、皆思い思いの休み時間を過ごし始める。
俺はパンと飲み物が入ったビニール袋を手に取り、さてと席を立つ。いつもならここでさっさと教室を離れるところだが、今日は約束があるからそうもいかない。
そういえば詳しい予定を決めていないが、ご飯の後に時間がもらえるのか、それとも一緒に昼飯を食べるつもりなのか。どうしようかとまごついていると、国都は迷わずこちらへやって来た。見ると、どうやら手ぶらのようだ。
「ようやくお昼休みだね。今日はどこで食べようか」
第一声で、「あ、一緒に昼飯食べるんだ」と把握する。
「えっと……落ち着いて話したいから、静かなところがいいかな。多分写真部の部室が空いてるから、今日はそこで」
「部外者の僕がお邪魔していいのかい?」
「問題ないよ。部長もよく友達連れてきてるみたいだし。それに、国都は写真部の俺に協力してくれるわけだし、部外者じゃないだろ」
「そうか…そうだね」
国都が、噛み締めるように微笑む。なんだか昨日からこんな表情ばかり見ている気がする。
「ところで国都は寮生なんだよな。昼飯はどうしてるんだ?」
「寮で調理員さんがお弁当を作って、学校に運んでくれるんだよ。昼休みになったらそれを受け取りに行くんだ」
「そうか。それで手ぶらだったのか」
「眞城くんは?お昼はいつもどうしているんだい?」
「俺はいつも通学途中にあるパン屋で買ってる。今日もほら」
ビニール袋を掲げてみせると、焼きたてでもないのにふわっと小麦の匂いがした。急に空腹が加速して、お腹が鳴りそうになる。
「なるほど、持ってきているんだね。じゃあ、僕はお弁当を受け取ってくるから、先に行っててくれるかい?」
「わかった。写真部の部室の場所はわかるか?」
「大丈夫、知っているよ。じゃあまた部室で」
足早に教室を出ていく国都を見送り、俺もまた教室を出る。部室は昨日会議で使ったばかりで散らかっているはずだ。先に着いたら片付けをしておこう。
部室とはいえ人を招くのは初めてだ。そして何より、高校に入って人と昼飯を食べるのも初めてだ。俺は初めて尽くしの経験を前に、そわそわする気持ちを抑えられずにいた。
部室に着いてから十分もしないうちに、コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。時間が足りずろくに片付けられなかったが仕方ない。どうぞと声をかけ、俺は国都を招き入れる。
「お待たせ。お邪魔していいかな」
「あんまり綺麗じゃないけどどうぞ。とりあえずこの椅子使って」
机に横付けたパイプ椅子を勧めると、国都は言われた通りにやって来て腰を下ろす。
「写真部の部室はこんな風になっていたんだね。文化部に縁がなかったから新鮮だよ」
手にしていた荷物を机に置きながら、国都は物珍しそうに室内を見回した。とはいえ、別に特別なものは何もない。ホワイトボードにスチール棚、机と椅子。変わったものといえばレフ板や雲台、一脚や三脚などの撮影用備品と、壁のコルクボード一面に貼った写真くらいだろうか。
そんな周囲の光景に国都は目を輝かせ、声を弾ませている。楽しそうで何よりだ。
で、それはまぁいいんだけど。
「ところでさ、ちょっと気になってるんだけど」
「なんだい?」
「その図鑑サイズの風呂敷ってなに」
「これかい?これはお弁当だけど?」
「やっぱりそうなのか!いや、でっか!!」
机に置かれた荷物は、古風な赤紫色の風呂敷に包まれていた。しかし問題はその風呂敷じゃない。サイズだ。
「食事もトレーニングのひとつだからね。野球部の部員は朝昼晩と、一キロ以上の食事を欠かさず食べているんだよ」
解説と共に包みが開かれ、三十センチ近くありそうな幅の弁当箱と水筒、膨らんだ巾着が出て来る。外見だけでも三人は余裕で食べられそうな量だが、これが一人分だっていうのか。
「次元が違う…俺はパンふたつでお腹いっぱいなのに。よくこの量を食べられるな」
「最初の頃は余裕もなかったけど、流石に今は慣れたよ。身体を維持したり大きくしたりするのに必要なことだし、何より、いつも僕たちのために美味しい食事を用意してくれる調理員さんのことを考えたら、残すのは申し訳ないからね」
規範的な回答に絶句し、代わりにジッと国都の体格を見る。俺よりも十五センチは高そうな背丈と、制服の上からでもわかるガッシリとした体付き。それらはこうした努力によって作られたのかと、不思議な感慨を抱く。
「さあ、そろそろ食べようか」
促され、俺もビニール袋からパンの入った紙袋を取り出した。一緒に買った紙パックのコーヒー牛乳も置けば、食べる準備はすぐに整う。
「いただきます」
「……いただきます」
背筋を伸ばして手を合わせ、いただきますと言う国都に倣ってみる。普段は絶対にやらない行動だ。一人なら、さっさとパンを片手に本を読んだり、スマホをいじったりしている。
国都が、大きな弁当箱を開いた。隙間が無いくらいぎゅうぎゅうに詰められたおかずは圧倒的で壮観だ。
端にあるのは卵焼きや野菜の煮物、サラダに果物。そして中央から三分のニを占めているのは肉と魚だ。白身魚の焼き物、サーモンのマリネ、ハンバーグに梅と大葉入りササミカツ、豚肉のアスパラ巻き。何もかもがボリューミーだ。
俺はパストラミチーズサンドのセロハンフィルムを剥がし、控えめに口をつけた。対して国都は割り箸をパキッと割り、野菜から順に口に運んでいく。他の所作同様、食べ方も丁寧で綺麗だ。それだけに、割り箸の割り方に失敗しているのが少し面白い。
「あれ。そういえばそのお弁当、ご飯ってどこにあるんだ?」
「ご飯はこっちだよ。おにぎりが入っているんだ」
おかずを食す手を止め、膨らんだ巾着を開く。そこには手のひらにも余りそうなサイズの大きなおにぎりが三つも入っていた。見てるだけでお腹いっぱいになる。
ちびちび食べ進める俺に反して、国都は大きな口で頬張り咀嚼していく。ちゃんと噛んでいるのに、食べるスピードは早い。これもまた運動部と文化部の違いだろうか。
「眞城くんは毎日パンなのかい?」
「俺?俺は毎日パンだよ。学校来る途中にあるペンギンベーカリーってとこでいつも買ってる」
「ずいぶん気に入っているんだね。そんなに美味しいのかい?」
「美味しい…と思う。俺は好き。いろいろ種類があって飽きないんだ」
「そうなのかい。それはいいね。ウチの寮ではパンはあまり出ないから、すごく美味しそうに見えるよ」
「へぇ…寮ってご飯ばっかりなのか?」
「麺はそれなりに出てくるけど、基本はお米だね。
実家の朝食はパンだったから、たまに無性に食べたくなる時があるよ」
パン派の俺からすると考えられない生活だ。寮はメニューが決められているんだろうし、食べたいものが食べられないってのは大変だな。
そう思って、ふと紙袋の中身に目を落とす。中にはまだ手をつけていないサンドイッチがある。俺はそれを取り出すと、すっと国都の前に差し出した。
「じゃあこれ、国都にやるよ」
「えッ!?」
譲ろうとすれば、国都が珍しく大きな声を出し驚いた。欲しがったつもりじゃないのはわかっているが、俺からしたら無償で撮影を引き受けてもらっているんだ。パンひとつじゃ報酬にもならないが、多少でも喜んでもらえるならこれくらい安いものだ。
「部活やって寮生活してるとあんまり自由な時間ないだろうし、買い食いもなかなか出来ないだろ。後ででもいいから食べてよ」
「気持ちはすごく嬉しいけど悪いよ。それじゃあ眞城くんが足りなくなるだろう」
「俺はそんなに食べないから、別にいいよ」
目の前に差し出したが、国都はなかなか受け取ろうとしない。
無理強いしても仕方ないか。そう思って引こうとすると、突如国都の瞳がパッと大きく開かれた。
「そうだ。じゃあ、交換しようか」
「交換?」
「そう。僕のおにぎりと、眞城くんのパンを交換するんだ。それならお互い量が少なくなることもないだろう?」
「……まぁ、確かに」
乗り気でされた提案に驚いたが、俺としては別にどっちでも構わなかった。それどころか毎日パンばかりなので、おにぎりが魅力的に見えてなくもない。
でもこれって、お弁当交換だよな。こういうのって、普通友達同士でやるもんじゃないのか。
「じゃあこれ。好きなの選んでいいよ」
疑問が深まる間もなく、口が開かれた巾着が差し出される。中には特大サイズのおにぎりがででんと三つ、米と米を寄せ合っている。
「これって中身決まってるのか?」
「確か、鮭とおかかとツナマヨだったかな。外からじゃわからないけど」
「それならどれでもいいかな。じゃあ、これひとつもらうな」
「うん。眞城くんの口に合うといいけど」
「……おにぎりが口に合わないってなくないか?」
「そう言われるとそうかもしれないね」
自分で言って可笑しかったのか、国都が笑う。遅れてジワジワ面白くなってきた俺も、下手くそな笑みを浮かべて笑う。
「じゃあ代わりにこれ。スパイシーエッグサンドっていって、カレー風味のタマゴペーストが挟んであるやつなんだけどいいか?」
「変わった味だね。でもとても美味しそうだ。ありがとう」
こうして、パンとおにぎりの物々交換が成立した。選んだおにぎりを持ち上げると、想像以上の重さに戦慄する。これ、全部食べられるのだろうか。
そんな俺の慄きも知らず、国都は早速サンドイッチのフィルムを開けていた。開いてすぐに頬張ったのを見て、俺も覚悟を決めてラップを剥き、がぶりと大きく齧り付く。
「眞城くんの買ったサンドイッチ、味も美味しいし、具がいっぱいでいいね」
早速感想が寄せられたが、俺は咀嚼が追いつかず口が開かない。というか米の密度が尋常じゃなくて、俺は具にすら辿り着いていない。おかしい。もっとおにぎりってフワッと握ってあるものじゃないのか。
真剣な顔でもしゃもしゃし続ける俺を見ながら、国都は自分のペースで食べ進めていく。そこから遅れて、いつもの倍以上の力とスピードを使った俺がようやく具に辿り着く。中身はツナマヨだった。
「おにぎりの具、ツナマヨだった。こっちも具がいっぱいだな」
「眞城くんはツナマヨは好きかい?」
「そうだな…さっき聞いた具の種類の中だと一番好きかな」
「ふふっ、じゃあ大当たりだったね」
他愛のない会話は続いていく。おにぎりの具は何が一番好きか。パンはどんなものが好きか。家ではどんな料理が出るか。
内容は全て、写真も野球も関係ない、どうでもいいことばかりだった。だけどそのおかげか俺は肩肘張ることも忘れ、笑ったり驚いたりツッコんだりと、忙しなくも自然な自分で喋り続けることが出来た。
昨日から今日までで、三ヶ月分くらいまとめて喋っている気がする。普段、どれだけ口数少なかったんだ俺。
自覚すると、食べることと話すことに使っているエネルギーの膨大さを思い知る。が、うっすらと身に染みる疲労感は嫌なものではなく、むしろ、心地良いものにすら思えた。
この短い昼休みに詰まった中身は、緩くも濃密な関わり合いだ。思いがけず充足した時間はしかし、あと少しで終わりを告げる。
俺はこの時まだ、気がついていなかった。焦るような、惜しむようなこの気持ちは、己の孤独の影に触れた証なのだと。
俺はパンと飲み物が入ったビニール袋を手に取り、さてと席を立つ。いつもならここでさっさと教室を離れるところだが、今日は約束があるからそうもいかない。
そういえば詳しい予定を決めていないが、ご飯の後に時間がもらえるのか、それとも一緒に昼飯を食べるつもりなのか。どうしようかとまごついていると、国都は迷わずこちらへやって来た。見ると、どうやら手ぶらのようだ。
「ようやくお昼休みだね。今日はどこで食べようか」
第一声で、「あ、一緒に昼飯食べるんだ」と把握する。
「えっと……落ち着いて話したいから、静かなところがいいかな。多分写真部の部室が空いてるから、今日はそこで」
「部外者の僕がお邪魔していいのかい?」
「問題ないよ。部長もよく友達連れてきてるみたいだし。それに、国都は写真部の俺に協力してくれるわけだし、部外者じゃないだろ」
「そうか…そうだね」
国都が、噛み締めるように微笑む。なんだか昨日からこんな表情ばかり見ている気がする。
「ところで国都は寮生なんだよな。昼飯はどうしてるんだ?」
「寮で調理員さんがお弁当を作って、学校に運んでくれるんだよ。昼休みになったらそれを受け取りに行くんだ」
「そうか。それで手ぶらだったのか」
「眞城くんは?お昼はいつもどうしているんだい?」
「俺はいつも通学途中にあるパン屋で買ってる。今日もほら」
ビニール袋を掲げてみせると、焼きたてでもないのにふわっと小麦の匂いがした。急に空腹が加速して、お腹が鳴りそうになる。
「なるほど、持ってきているんだね。じゃあ、僕はお弁当を受け取ってくるから、先に行っててくれるかい?」
「わかった。写真部の部室の場所はわかるか?」
「大丈夫、知っているよ。じゃあまた部室で」
足早に教室を出ていく国都を見送り、俺もまた教室を出る。部室は昨日会議で使ったばかりで散らかっているはずだ。先に着いたら片付けをしておこう。
部室とはいえ人を招くのは初めてだ。そして何より、高校に入って人と昼飯を食べるのも初めてだ。俺は初めて尽くしの経験を前に、そわそわする気持ちを抑えられずにいた。
部室に着いてから十分もしないうちに、コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。時間が足りずろくに片付けられなかったが仕方ない。どうぞと声をかけ、俺は国都を招き入れる。
「お待たせ。お邪魔していいかな」
「あんまり綺麗じゃないけどどうぞ。とりあえずこの椅子使って」
机に横付けたパイプ椅子を勧めると、国都は言われた通りにやって来て腰を下ろす。
「写真部の部室はこんな風になっていたんだね。文化部に縁がなかったから新鮮だよ」
手にしていた荷物を机に置きながら、国都は物珍しそうに室内を見回した。とはいえ、別に特別なものは何もない。ホワイトボードにスチール棚、机と椅子。変わったものといえばレフ板や雲台、一脚や三脚などの撮影用備品と、壁のコルクボード一面に貼った写真くらいだろうか。
そんな周囲の光景に国都は目を輝かせ、声を弾ませている。楽しそうで何よりだ。
で、それはまぁいいんだけど。
「ところでさ、ちょっと気になってるんだけど」
「なんだい?」
「その図鑑サイズの風呂敷ってなに」
「これかい?これはお弁当だけど?」
「やっぱりそうなのか!いや、でっか!!」
机に置かれた荷物は、古風な赤紫色の風呂敷に包まれていた。しかし問題はその風呂敷じゃない。サイズだ。
「食事もトレーニングのひとつだからね。野球部の部員は朝昼晩と、一キロ以上の食事を欠かさず食べているんだよ」
解説と共に包みが開かれ、三十センチ近くありそうな幅の弁当箱と水筒、膨らんだ巾着が出て来る。外見だけでも三人は余裕で食べられそうな量だが、これが一人分だっていうのか。
「次元が違う…俺はパンふたつでお腹いっぱいなのに。よくこの量を食べられるな」
「最初の頃は余裕もなかったけど、流石に今は慣れたよ。身体を維持したり大きくしたりするのに必要なことだし、何より、いつも僕たちのために美味しい食事を用意してくれる調理員さんのことを考えたら、残すのは申し訳ないからね」
規範的な回答に絶句し、代わりにジッと国都の体格を見る。俺よりも十五センチは高そうな背丈と、制服の上からでもわかるガッシリとした体付き。それらはこうした努力によって作られたのかと、不思議な感慨を抱く。
「さあ、そろそろ食べようか」
促され、俺もビニール袋からパンの入った紙袋を取り出した。一緒に買った紙パックのコーヒー牛乳も置けば、食べる準備はすぐに整う。
「いただきます」
「……いただきます」
背筋を伸ばして手を合わせ、いただきますと言う国都に倣ってみる。普段は絶対にやらない行動だ。一人なら、さっさとパンを片手に本を読んだり、スマホをいじったりしている。
国都が、大きな弁当箱を開いた。隙間が無いくらいぎゅうぎゅうに詰められたおかずは圧倒的で壮観だ。
端にあるのは卵焼きや野菜の煮物、サラダに果物。そして中央から三分のニを占めているのは肉と魚だ。白身魚の焼き物、サーモンのマリネ、ハンバーグに梅と大葉入りササミカツ、豚肉のアスパラ巻き。何もかもがボリューミーだ。
俺はパストラミチーズサンドのセロハンフィルムを剥がし、控えめに口をつけた。対して国都は割り箸をパキッと割り、野菜から順に口に運んでいく。他の所作同様、食べ方も丁寧で綺麗だ。それだけに、割り箸の割り方に失敗しているのが少し面白い。
「あれ。そういえばそのお弁当、ご飯ってどこにあるんだ?」
「ご飯はこっちだよ。おにぎりが入っているんだ」
おかずを食す手を止め、膨らんだ巾着を開く。そこには手のひらにも余りそうなサイズの大きなおにぎりが三つも入っていた。見てるだけでお腹いっぱいになる。
ちびちび食べ進める俺に反して、国都は大きな口で頬張り咀嚼していく。ちゃんと噛んでいるのに、食べるスピードは早い。これもまた運動部と文化部の違いだろうか。
「眞城くんは毎日パンなのかい?」
「俺?俺は毎日パンだよ。学校来る途中にあるペンギンベーカリーってとこでいつも買ってる」
「ずいぶん気に入っているんだね。そんなに美味しいのかい?」
「美味しい…と思う。俺は好き。いろいろ種類があって飽きないんだ」
「そうなのかい。それはいいね。ウチの寮ではパンはあまり出ないから、すごく美味しそうに見えるよ」
「へぇ…寮ってご飯ばっかりなのか?」
「麺はそれなりに出てくるけど、基本はお米だね。
実家の朝食はパンだったから、たまに無性に食べたくなる時があるよ」
パン派の俺からすると考えられない生活だ。寮はメニューが決められているんだろうし、食べたいものが食べられないってのは大変だな。
そう思って、ふと紙袋の中身に目を落とす。中にはまだ手をつけていないサンドイッチがある。俺はそれを取り出すと、すっと国都の前に差し出した。
「じゃあこれ、国都にやるよ」
「えッ!?」
譲ろうとすれば、国都が珍しく大きな声を出し驚いた。欲しがったつもりじゃないのはわかっているが、俺からしたら無償で撮影を引き受けてもらっているんだ。パンひとつじゃ報酬にもならないが、多少でも喜んでもらえるならこれくらい安いものだ。
「部活やって寮生活してるとあんまり自由な時間ないだろうし、買い食いもなかなか出来ないだろ。後ででもいいから食べてよ」
「気持ちはすごく嬉しいけど悪いよ。それじゃあ眞城くんが足りなくなるだろう」
「俺はそんなに食べないから、別にいいよ」
目の前に差し出したが、国都はなかなか受け取ろうとしない。
無理強いしても仕方ないか。そう思って引こうとすると、突如国都の瞳がパッと大きく開かれた。
「そうだ。じゃあ、交換しようか」
「交換?」
「そう。僕のおにぎりと、眞城くんのパンを交換するんだ。それならお互い量が少なくなることもないだろう?」
「……まぁ、確かに」
乗り気でされた提案に驚いたが、俺としては別にどっちでも構わなかった。それどころか毎日パンばかりなので、おにぎりが魅力的に見えてなくもない。
でもこれって、お弁当交換だよな。こういうのって、普通友達同士でやるもんじゃないのか。
「じゃあこれ。好きなの選んでいいよ」
疑問が深まる間もなく、口が開かれた巾着が差し出される。中には特大サイズのおにぎりがででんと三つ、米と米を寄せ合っている。
「これって中身決まってるのか?」
「確か、鮭とおかかとツナマヨだったかな。外からじゃわからないけど」
「それならどれでもいいかな。じゃあ、これひとつもらうな」
「うん。眞城くんの口に合うといいけど」
「……おにぎりが口に合わないってなくないか?」
「そう言われるとそうかもしれないね」
自分で言って可笑しかったのか、国都が笑う。遅れてジワジワ面白くなってきた俺も、下手くそな笑みを浮かべて笑う。
「じゃあ代わりにこれ。スパイシーエッグサンドっていって、カレー風味のタマゴペーストが挟んであるやつなんだけどいいか?」
「変わった味だね。でもとても美味しそうだ。ありがとう」
こうして、パンとおにぎりの物々交換が成立した。選んだおにぎりを持ち上げると、想像以上の重さに戦慄する。これ、全部食べられるのだろうか。
そんな俺の慄きも知らず、国都は早速サンドイッチのフィルムを開けていた。開いてすぐに頬張ったのを見て、俺も覚悟を決めてラップを剥き、がぶりと大きく齧り付く。
「眞城くんの買ったサンドイッチ、味も美味しいし、具がいっぱいでいいね」
早速感想が寄せられたが、俺は咀嚼が追いつかず口が開かない。というか米の密度が尋常じゃなくて、俺は具にすら辿り着いていない。おかしい。もっとおにぎりってフワッと握ってあるものじゃないのか。
真剣な顔でもしゃもしゃし続ける俺を見ながら、国都は自分のペースで食べ進めていく。そこから遅れて、いつもの倍以上の力とスピードを使った俺がようやく具に辿り着く。中身はツナマヨだった。
「おにぎりの具、ツナマヨだった。こっちも具がいっぱいだな」
「眞城くんはツナマヨは好きかい?」
「そうだな…さっき聞いた具の種類の中だと一番好きかな」
「ふふっ、じゃあ大当たりだったね」
他愛のない会話は続いていく。おにぎりの具は何が一番好きか。パンはどんなものが好きか。家ではどんな料理が出るか。
内容は全て、写真も野球も関係ない、どうでもいいことばかりだった。だけどそのおかげか俺は肩肘張ることも忘れ、笑ったり驚いたりツッコんだりと、忙しなくも自然な自分で喋り続けることが出来た。
昨日から今日までで、三ヶ月分くらいまとめて喋っている気がする。普段、どれだけ口数少なかったんだ俺。
自覚すると、食べることと話すことに使っているエネルギーの膨大さを思い知る。が、うっすらと身に染みる疲労感は嫌なものではなく、むしろ、心地良いものにすら思えた。
この短い昼休みに詰まった中身は、緩くも濃密な関わり合いだ。思いがけず充足した時間はしかし、あと少しで終わりを告げる。
俺はこの時まだ、気がついていなかった。焦るような、惜しむようなこの気持ちは、己の孤独の影に触れた証なのだと。