心層転化のコラージュ
太陽が眩しい朝だった。
六月も半ばを過ぎ、夏の気配が強まった陽気の中、晴れやかな天気とは真逆な顔の俺はのろのろと学校へ向かっていた。
『サナギくんはさ、一度人を撮ってみるといいよ』
『キミが撮りたいと思う人、撮りたいと思う瞬間を探すといい』
脳内に、昨日の先生の助言が巡る。要約すると、人に興味を持てという話だ。
だがそれは俺にとって、無いものを掴めと言われているのに等かった。そもそも俺は、愛想もなければ人当たりも良くない。皆が当たり前に築くだろう友人関係や恋愛関係も、写真に没頭することでおざなりにしてきた。だから当然、親しい誰かというものは俺には存在しない。
自らの不精のツケが今、回ってきているのだろう。『探してみます』なんて豪語したものの、正直何をどうするべきか、具体的な案も行動も思い浮かばない。
悶々と悩み歩いていると、いつの間にか俺は校門に辿り着いていた。混み合う昇降口で靴を履き替え、自分の教室へと向かう。その途中で俺は、ばったりクラスメイトに出くわした。
「眞城くん。おはよう」
爽やかな笑顔と声で挨拶してきたのは、同じクラスの国都英一郎という生徒だ。シワひとつない夏用制服とスポーツマンらしい黒髪短髪はまるで歩く品行方正だ。その立ち姿だけで、陰鬱な俺は眩んでしまう。
「……おはよう」
慣例的に挨拶を返す。クラスでも影の薄い俺に挨拶をしてくるのは、国都くらいのものだ。
俺の覇気のなさを、国都は特に気にしない。人好きのする微笑みを残すと、長い脚で俺の横を通り過ぎ、すれ違う先々で教師や生徒と挨拶を交わし歩いていく。俺は同じ教室に向かうその後ろ姿を、遅れて追いかける。
国都英一郎という男は、『特別』な男だ。
俺の通う私立帝徳高等学校は、東京で一番と謳われるほどの名門校だ。しかしそれは国都が所属している野球部に限った話であって、写真部在籍の俺には一ミリも関係がない。
野球部はとにかく人数が多い。全国から集まったという選手が、右にも左にもウジャウジャと居る。俺のクラスだけでも部員は六名いるし、全体では百名を越すとも聞いた。
そんな熾烈な競争環境の中、国都はたったひとり、入学してすぐ不動のレギュラーの座を掴んだ。一年にして並いる選手を押しのけ四番に座り、甲子園出場へ導いた男。国都英一郎の名を、帝徳で知らないものはいなかった。
野球に興味のない俺にしても、国都のことは世間話や噂話で自然と耳に入った。それに二年になって同じクラスになったこともあってか、帝徳きってのスターの存在は、一際目につくものになった。
同じクラスになって知ったことだが、国都が凄いのは野球だけではない。野球以外のスポーツ全般も得意。成績も上位。体格や容姿にも恵まれ、オマケに人格も非の打ち所がないときたら、正直もう違う人種だなという感想しか出てこない。成績普通、運動苦手、体格容姿も凡百という俺からしたら、ただただ眩しいばかりだ。
天は与えるところには、二物どころか三物も四物も与えるんだな。
彼を知った時、俺はそんなふうに思った。国都英一郎は、俺とは別世界に生きる人間である、と。
教室に入った俺は、自分の席である窓際の一番後ろに座った。カバンを置いて一息つくと、隣の列の前方に女子グループが輪を作っているのが目に入る。中心にいるのは言わずもがな、国都だ。
国都狙いの女子達は、いついかなる時も国都へのアプローチに余念がない。毎度ご苦労なことだ。
「国都くんおはよう!」
「昨日も遅くまで練習頑張ってたね。私見てたんだ」
「夏の大会もうすぐだもんね。絶対応援しに行くからね!」
かしましい声が俺の席まで届く。女子グループの薄っぺらな応援を冷めた目で見ている俺とは違い、当の国都は、律儀に礼を尽くし応対している。
「ありがとう。応援してもらえると心強いよ」
社交辞令ではなく、本心で言ってそうなところがあな恐ろしい。
そんな見慣れたやり取りを眺めていると、ふと女子と女子の隙間から国都の視線が振り返った。
パッと目が合い、一瞬俺は固まる。すると挨拶代わりの微笑みが返され、遠巻きに見物していた俺は気まずさから顔を伏せた。国都を囲む女子達は、たまたま目が合い微笑まれた俺が気に食わないのか、敵意剥き出しでこちらを睨んでいる。とばっちりもいいところだ。
俺は居心地の悪さから、窓の外に視線を投げた。窓に切り取られた青空はファインダー越しに見る景色と似ていて、心が休まる。窓際の席は、俺にとっていつでも特等席だ。
俺は、ふいに進級当初のことを思い出した。席替えをする前は、俺はこの席のひとつ前に座っていた。そしてその時、さらにひとつ前の席には、国都が座っていたのだ。
実は国都とは、同じクラスになってすぐ、ほんの少しだけ交流があった。キッカケは些細なことだ。「こくと」と俺の「さなぎ」という苗字の並びのせいで、席が前後になったのだ。
とは言っても、大した交流はしていない。進級初日に国都が自ら名乗り、「よろしく」と挨拶をしてきたとか、俺が落とした消しゴムを拾って手渡してくれただとか、急に教師に当てられた時、答える箇所をこっそり教えてくれたとか、その程度のことだ。
班での関わりも多少あったが、そこでは俺が完全に空気だった。集団行動が苦手な俺は、国都のリーダーシップを前に、ただ黙って付き従っていただけ。
なので席替え以降は、今朝のように挨拶を交わす程度の付き合いしかしていない。それ以外のクラスメイトなんてもってのほかだ。その程度の付き合いすらもない。
果たして、こんな怠惰な俺が撮りたいと思える人間なんて、この世に存在するのだろうか。
喧騒高まる始業前の教室に、重いため息が紛れて消えた。
六月も半ばを過ぎ、夏の気配が強まった陽気の中、晴れやかな天気とは真逆な顔の俺はのろのろと学校へ向かっていた。
『サナギくんはさ、一度人を撮ってみるといいよ』
『キミが撮りたいと思う人、撮りたいと思う瞬間を探すといい』
脳内に、昨日の先生の助言が巡る。要約すると、人に興味を持てという話だ。
だがそれは俺にとって、無いものを掴めと言われているのに等かった。そもそも俺は、愛想もなければ人当たりも良くない。皆が当たり前に築くだろう友人関係や恋愛関係も、写真に没頭することでおざなりにしてきた。だから当然、親しい誰かというものは俺には存在しない。
自らの不精のツケが今、回ってきているのだろう。『探してみます』なんて豪語したものの、正直何をどうするべきか、具体的な案も行動も思い浮かばない。
悶々と悩み歩いていると、いつの間にか俺は校門に辿り着いていた。混み合う昇降口で靴を履き替え、自分の教室へと向かう。その途中で俺は、ばったりクラスメイトに出くわした。
「眞城くん。おはよう」
爽やかな笑顔と声で挨拶してきたのは、同じクラスの国都英一郎という生徒だ。シワひとつない夏用制服とスポーツマンらしい黒髪短髪はまるで歩く品行方正だ。その立ち姿だけで、陰鬱な俺は眩んでしまう。
「……おはよう」
慣例的に挨拶を返す。クラスでも影の薄い俺に挨拶をしてくるのは、国都くらいのものだ。
俺の覇気のなさを、国都は特に気にしない。人好きのする微笑みを残すと、長い脚で俺の横を通り過ぎ、すれ違う先々で教師や生徒と挨拶を交わし歩いていく。俺は同じ教室に向かうその後ろ姿を、遅れて追いかける。
国都英一郎という男は、『特別』な男だ。
俺の通う私立帝徳高等学校は、東京で一番と謳われるほどの名門校だ。しかしそれは国都が所属している野球部に限った話であって、写真部在籍の俺には一ミリも関係がない。
野球部はとにかく人数が多い。全国から集まったという選手が、右にも左にもウジャウジャと居る。俺のクラスだけでも部員は六名いるし、全体では百名を越すとも聞いた。
そんな熾烈な競争環境の中、国都はたったひとり、入学してすぐ不動のレギュラーの座を掴んだ。一年にして並いる選手を押しのけ四番に座り、甲子園出場へ導いた男。国都英一郎の名を、帝徳で知らないものはいなかった。
野球に興味のない俺にしても、国都のことは世間話や噂話で自然と耳に入った。それに二年になって同じクラスになったこともあってか、帝徳きってのスターの存在は、一際目につくものになった。
同じクラスになって知ったことだが、国都が凄いのは野球だけではない。野球以外のスポーツ全般も得意。成績も上位。体格や容姿にも恵まれ、オマケに人格も非の打ち所がないときたら、正直もう違う人種だなという感想しか出てこない。成績普通、運動苦手、体格容姿も凡百という俺からしたら、ただただ眩しいばかりだ。
天は与えるところには、二物どころか三物も四物も与えるんだな。
彼を知った時、俺はそんなふうに思った。国都英一郎は、俺とは別世界に生きる人間である、と。
教室に入った俺は、自分の席である窓際の一番後ろに座った。カバンを置いて一息つくと、隣の列の前方に女子グループが輪を作っているのが目に入る。中心にいるのは言わずもがな、国都だ。
国都狙いの女子達は、いついかなる時も国都へのアプローチに余念がない。毎度ご苦労なことだ。
「国都くんおはよう!」
「昨日も遅くまで練習頑張ってたね。私見てたんだ」
「夏の大会もうすぐだもんね。絶対応援しに行くからね!」
かしましい声が俺の席まで届く。女子グループの薄っぺらな応援を冷めた目で見ている俺とは違い、当の国都は、律儀に礼を尽くし応対している。
「ありがとう。応援してもらえると心強いよ」
社交辞令ではなく、本心で言ってそうなところがあな恐ろしい。
そんな見慣れたやり取りを眺めていると、ふと女子と女子の隙間から国都の視線が振り返った。
パッと目が合い、一瞬俺は固まる。すると挨拶代わりの微笑みが返され、遠巻きに見物していた俺は気まずさから顔を伏せた。国都を囲む女子達は、たまたま目が合い微笑まれた俺が気に食わないのか、敵意剥き出しでこちらを睨んでいる。とばっちりもいいところだ。
俺は居心地の悪さから、窓の外に視線を投げた。窓に切り取られた青空はファインダー越しに見る景色と似ていて、心が休まる。窓際の席は、俺にとっていつでも特等席だ。
俺は、ふいに進級当初のことを思い出した。席替えをする前は、俺はこの席のひとつ前に座っていた。そしてその時、さらにひとつ前の席には、国都が座っていたのだ。
実は国都とは、同じクラスになってすぐ、ほんの少しだけ交流があった。キッカケは些細なことだ。「こくと」と俺の「さなぎ」という苗字の並びのせいで、席が前後になったのだ。
とは言っても、大した交流はしていない。進級初日に国都が自ら名乗り、「よろしく」と挨拶をしてきたとか、俺が落とした消しゴムを拾って手渡してくれただとか、急に教師に当てられた時、答える箇所をこっそり教えてくれたとか、その程度のことだ。
班での関わりも多少あったが、そこでは俺が完全に空気だった。集団行動が苦手な俺は、国都のリーダーシップを前に、ただ黙って付き従っていただけ。
なので席替え以降は、今朝のように挨拶を交わす程度の付き合いしかしていない。それ以外のクラスメイトなんてもってのほかだ。その程度の付き合いすらもない。
果たして、こんな怠惰な俺が撮りたいと思える人間なんて、この世に存在するのだろうか。
喧騒高まる始業前の教室に、重いため息が紛れて消えた。