キャッチライト
四日目。決意に明けた夜は、凛とした朝を連れてきた。
先生の教えに刺激を受けた俺は帰ってきてから夜更けまで構想を練りに練り、ついに作品の概略は決定した。
今日から作品作りは本格始動だ。しかし、撮影をする前に俺にはやらなきゃいけないことがある。
それは、被写体の変更を伝えること。国都だけを撮る予定から、野球部全てを作品のテーマに据え変えるのだから、改めて断りを入れなければいけない。
俺が頼んでから、ずっと協力してくれている国都へ。
許可をくれた監督へ。
これから被写体になってもらう野球部全員へ。
きちんと自分で説明し、理解と了承をもらい、その上で新たなスタートを切る。それが撮影者としての責務だ。
まっさらな覚悟を決め、制服に袖を通す。鏡に映る自分の顔がほんの少しだけ凛々しく見えたのは、きっと気のせいじゃない。
今日もカバンとカメラバッグを手に、俺は学校を目指す。家の扉を開け飛び出した外の世界は、夏の盛りを先取った炎天の空模様だ。
目の前には、太陽光に彩度を強めた色鮮やかな光景がある。
俺は、輝く季節へと踏み出した。履き古されたローファーで足音を奏で、洋々とした行先を前進する。
目指す先には、望む未来が待っていると信じて。
学校に登校し、午前の授業が過ぎ去った。昼休みは国都と一緒に過ごすことになっているので、ここが第一の関門だ。
俺との約束を楽しみにしてくれている国都へ、一番に翻意を知らせる。全ての始まりであり、キッカケとなった国都には、ちゃんと俺の気持ちを伝えておきたい。
写真部の部室で昼食を食べながら、今日も他愛のない話に花を咲かせる。楽しい時間を過ごし、食べ終わった頃を見計らうと、俺は片付いた机の上でギュッと拳を握り揃えた。
「国都。ちょっといいかな」
「どうしたんだい、改まって」
「文化祭の作品の構想が決まったんだ。それで、国都に報告したいことがある」
確固として切り出せば、国都の表情が引き締まった。見合った真っ直ぐな瞳が、俺たちの間を結び合う。
「俺、国都に写真を撮らせて欲しいってお願いした時は、国都の写真だけを撮ろうと思ってたんだ。だけど野球部に関わっているうちに、もっといろんなものを撮りたくなった。みんなが頑張ってる姿を見て、テーマに相応しいものはなんだろうって考え直したんだ」
瞬く国都に、俺は毅然と続ける。
「俺は、帝徳高校というテーマに野球部の全てを写したい。人物にフォーカスしたポートレートにしたり、反対にグラウンドやブルペンなんかの風景を撮ったり、とにかく野球部に関わるものを撮りまくりたいんだ。そのバラエティに富んだ一見まとまりのなさそうな写真を、ひとつの作品としてまとめようと思ってる」
考え抜いた着想を披露すれば、俺の語気は徐々に熱を帯びていく。その熱意に比例して、国都も瞳を輝かせていく。
「国都に撮らせてくれって頼んでおきながら、目的が変わっちゃってごめん。でも国都のことももちろん撮らせてもらう!俺が一番撮りたいのは国都だってのは変わらないし」
「謝る必要はないよ。眞城くんの考えは素晴らしいし、むしろ僕は感動したよ」
真実しかない賞賛が、直球のように届く。俺はそれが嬉しくて、自然と頬を緩める。
「眞城くん、ありがとう。キミの野球部みんなへの思いが僕は本当に嬉しいよ。きっとみんなも同じ気持ちだと思う。だから、部を代表して感謝させて欲しい」
「そこまで大袈裟にしなくていいよ。でも……よかった。国都にそう言ってもらえて」
讃えられた喜びが胸の中を跳ね回る。顔面がぐずぐずと喜色に崩れていくのを自覚しながらも、想いは止まらずに駆け出していく。
「俺は今まで自分が撮りたいものだけを撮ってきて……今だってそうで。でも、それを受け入れてもらえるのがすごく嬉しい」
猛進が心の壁を破り、今の気持ちが素直に口をつく。胸が熱くて、熱くて。飽和した幸せに、俺は瞳を滲ませる。
「俺の写真で誰かに喜んでもらうのがこんなに嬉しいんだって、知らなかった」
ずっとひとりきりだった俺が、人の温もりに息を吹き返した。生まれ変わりの息吹は、国都に与えられた生命だ。俺は自分の運命と称した人間に真向かい、精一杯の笑顔を花束代わりに贈り届ける。
「俺の方こそありがとう。国都を見つけられて、俺、本当に良かった」
人生で初めて、心から人に感謝をした。
だけどやっぱり照れくささはやってきて、俺ははにかみながら話を畳もうとする。
「なんか俺ばっかりベラベラ喋ってごめん。今日からまた撮影がんばーー」
言い切れなかった言葉が、突然宙に舞った。
急ブレーキをかけたのは手に触れた感触だ。強い熱が重なる箇所を緩く視線で追えば、机の上に置いていた左手に、国都の右手が重なっていた。手の甲には、分厚い皮膚とマメの硬い感触が伝う。俺の手とは違う硬度に、急激な国都の存在感を意識する。
「……えっと、国都?」
重なった手を気にしていると、離されるどころかギュッと握られた。その力強さに心臓まで握られた気がして、俺はよくわからない動悸に息を止める。
「あ、握手?しようとしたんだよな」
思い込みを決めつけて上目で窺えば、国都は見たこともない色の瞳に俺を映していた。
待っても返事はやってこない。握られた手が熱い。
妙な緊張に時は留まる。頭は困惑でいっぱいで、流れてる時間が長いのか短いのかもわからない。
そんな形容し難い空気の中、時計の針を戻したのは国都だった。
「ごめん。あまりに嬉しかったものだから。勝手に触れてしまって迷惑だったかな」
「あ、いや、それは別に、いいんだけど」
急にいつもの調子に戻り、同時に国都の手が離れていく。俺の手を覆うものがなくなり、代わりに滞留していた空気が触れる。国都の温かさに慣れた手に、その温度は少しだけ冷たかった。
「眞城くんの作品の完成が益々楽しみになったよ。今日からまた、一緒に頑張ろう。僕は野球を、キミは写真を。それぞれやることは違うけど、部活動なのは一緒だから」
「……一緒に、か。そうだよな。うん、一緒に頑張ろう」
一緒という響きに肩を並べられ、浮ついた俺は即座にさっきまでの困惑を手放した。
俺たちは笑い合った。大きなものを分かち合ったような気がして、俺は嵩を増していく勇気に強さを得た気がした。
国都とは、これからもずっと仲良くしていきたい。
ふと湧き上がった想いは、今まで抱いたことのない強大な願いだ。
未来はわからない。けど。
この願いが叶うようにと、俺は密かな祈りを抱き締めた。
先生の教えに刺激を受けた俺は帰ってきてから夜更けまで構想を練りに練り、ついに作品の概略は決定した。
今日から作品作りは本格始動だ。しかし、撮影をする前に俺にはやらなきゃいけないことがある。
それは、被写体の変更を伝えること。国都だけを撮る予定から、野球部全てを作品のテーマに据え変えるのだから、改めて断りを入れなければいけない。
俺が頼んでから、ずっと協力してくれている国都へ。
許可をくれた監督へ。
これから被写体になってもらう野球部全員へ。
きちんと自分で説明し、理解と了承をもらい、その上で新たなスタートを切る。それが撮影者としての責務だ。
まっさらな覚悟を決め、制服に袖を通す。鏡に映る自分の顔がほんの少しだけ凛々しく見えたのは、きっと気のせいじゃない。
今日もカバンとカメラバッグを手に、俺は学校を目指す。家の扉を開け飛び出した外の世界は、夏の盛りを先取った炎天の空模様だ。
目の前には、太陽光に彩度を強めた色鮮やかな光景がある。
俺は、輝く季節へと踏み出した。履き古されたローファーで足音を奏で、洋々とした行先を前進する。
目指す先には、望む未来が待っていると信じて。
学校に登校し、午前の授業が過ぎ去った。昼休みは国都と一緒に過ごすことになっているので、ここが第一の関門だ。
俺との約束を楽しみにしてくれている国都へ、一番に翻意を知らせる。全ての始まりであり、キッカケとなった国都には、ちゃんと俺の気持ちを伝えておきたい。
写真部の部室で昼食を食べながら、今日も他愛のない話に花を咲かせる。楽しい時間を過ごし、食べ終わった頃を見計らうと、俺は片付いた机の上でギュッと拳を握り揃えた。
「国都。ちょっといいかな」
「どうしたんだい、改まって」
「文化祭の作品の構想が決まったんだ。それで、国都に報告したいことがある」
確固として切り出せば、国都の表情が引き締まった。見合った真っ直ぐな瞳が、俺たちの間を結び合う。
「俺、国都に写真を撮らせて欲しいってお願いした時は、国都の写真だけを撮ろうと思ってたんだ。だけど野球部に関わっているうちに、もっといろんなものを撮りたくなった。みんなが頑張ってる姿を見て、テーマに相応しいものはなんだろうって考え直したんだ」
瞬く国都に、俺は毅然と続ける。
「俺は、帝徳高校というテーマに野球部の全てを写したい。人物にフォーカスしたポートレートにしたり、反対にグラウンドやブルペンなんかの風景を撮ったり、とにかく野球部に関わるものを撮りまくりたいんだ。そのバラエティに富んだ一見まとまりのなさそうな写真を、ひとつの作品としてまとめようと思ってる」
考え抜いた着想を披露すれば、俺の語気は徐々に熱を帯びていく。その熱意に比例して、国都も瞳を輝かせていく。
「国都に撮らせてくれって頼んでおきながら、目的が変わっちゃってごめん。でも国都のことももちろん撮らせてもらう!俺が一番撮りたいのは国都だってのは変わらないし」
「謝る必要はないよ。眞城くんの考えは素晴らしいし、むしろ僕は感動したよ」
真実しかない賞賛が、直球のように届く。俺はそれが嬉しくて、自然と頬を緩める。
「眞城くん、ありがとう。キミの野球部みんなへの思いが僕は本当に嬉しいよ。きっとみんなも同じ気持ちだと思う。だから、部を代表して感謝させて欲しい」
「そこまで大袈裟にしなくていいよ。でも……よかった。国都にそう言ってもらえて」
讃えられた喜びが胸の中を跳ね回る。顔面がぐずぐずと喜色に崩れていくのを自覚しながらも、想いは止まらずに駆け出していく。
「俺は今まで自分が撮りたいものだけを撮ってきて……今だってそうで。でも、それを受け入れてもらえるのがすごく嬉しい」
猛進が心の壁を破り、今の気持ちが素直に口をつく。胸が熱くて、熱くて。飽和した幸せに、俺は瞳を滲ませる。
「俺の写真で誰かに喜んでもらうのがこんなに嬉しいんだって、知らなかった」
ずっとひとりきりだった俺が、人の温もりに息を吹き返した。生まれ変わりの息吹は、国都に与えられた生命だ。俺は自分の運命と称した人間に真向かい、精一杯の笑顔を花束代わりに贈り届ける。
「俺の方こそありがとう。国都を見つけられて、俺、本当に良かった」
人生で初めて、心から人に感謝をした。
だけどやっぱり照れくささはやってきて、俺ははにかみながら話を畳もうとする。
「なんか俺ばっかりベラベラ喋ってごめん。今日からまた撮影がんばーー」
言い切れなかった言葉が、突然宙に舞った。
急ブレーキをかけたのは手に触れた感触だ。強い熱が重なる箇所を緩く視線で追えば、机の上に置いていた左手に、国都の右手が重なっていた。手の甲には、分厚い皮膚とマメの硬い感触が伝う。俺の手とは違う硬度に、急激な国都の存在感を意識する。
「……えっと、国都?」
重なった手を気にしていると、離されるどころかギュッと握られた。その力強さに心臓まで握られた気がして、俺はよくわからない動悸に息を止める。
「あ、握手?しようとしたんだよな」
思い込みを決めつけて上目で窺えば、国都は見たこともない色の瞳に俺を映していた。
待っても返事はやってこない。握られた手が熱い。
妙な緊張に時は留まる。頭は困惑でいっぱいで、流れてる時間が長いのか短いのかもわからない。
そんな形容し難い空気の中、時計の針を戻したのは国都だった。
「ごめん。あまりに嬉しかったものだから。勝手に触れてしまって迷惑だったかな」
「あ、いや、それは別に、いいんだけど」
急にいつもの調子に戻り、同時に国都の手が離れていく。俺の手を覆うものがなくなり、代わりに滞留していた空気が触れる。国都の温かさに慣れた手に、その温度は少しだけ冷たかった。
「眞城くんの作品の完成が益々楽しみになったよ。今日からまた、一緒に頑張ろう。僕は野球を、キミは写真を。それぞれやることは違うけど、部活動なのは一緒だから」
「……一緒に、か。そうだよな。うん、一緒に頑張ろう」
一緒という響きに肩を並べられ、浮ついた俺は即座にさっきまでの困惑を手放した。
俺たちは笑い合った。大きなものを分かち合ったような気がして、俺は嵩を増していく勇気に強さを得た気がした。
国都とは、これからもずっと仲良くしていきたい。
ふと湧き上がった想いは、今まで抱いたことのない強大な願いだ。
未来はわからない。けど。
この願いが叶うようにと、俺は密かな祈りを抱き締めた。