あなたとおはなし(8つのお題)

ねぇ、貴方のことをわかりたいよ。
 あばくのでなく、わかりたいの。
 貴方の走りのことも、それ以外のことも。


 なんだか、わたしばかり張り切っている気がする。
 張り切ってしまうのは、仕方ないことだ。だって、わたしの担当バ――アグネスタキオンは、デビュー戦で圧倒的な速さを見せつけて勝利したのだから。
 彼女なら、きっと上を目指せる。クラシック三冠だって、その先だって、夢じゃない。だから、わたしは未来像にワクワクしながら三年間のレース出走スケジュールを作り上げて、旧理科実験室のタキオンに見せにいったのだ。
 けれど、彼女はどこか煙に巻く態度で、「約束はできない」の一点張りだった。それから、トレーニングをサボり続けている。
 トレーナー室に来ないから、きっと研究室にいるんだろうな……そう思って、わたしはまた旧理科実験室を訪れた。引き戸には、彼女のものとわかる癖のある走り書きで、「研究中。関係者以外立ち入り禁止」の張り紙だ。おそらく、この「関係者」にわたしは含まれていない。それが、なんだかさみしい。
 そして、彼女がトレーニングをサボるようになって三日目。
「今日もトレーニングに来なかったなぁ……」
 トレーニングの時間も終わり。散り散りになって寮へと帰って行くウマ娘たち。その中に、見知った長い青鹿毛の少女がいた。
 わたしは彼女を見つけると、大きく手を振って名前を呼ぶ。
「おーい! マンハッタンカフェさん!!」
 彼女は青白い顔に汗だくで、呼吸も荒い。噂によると、体調が芳しく無く、まだデビューはしていないらしい。そんな状態でも、わたしの声に応えて、カフェは息を切らしながらも駆け寄ってきてくれた。
「あ……タキオンさんの、トレーナーさん……」
「カフェさん、タキオンのこと知らない?」
 カフェは呼吸を整えながら、ゆっくりと頭を振った。
「研究室にカンヅメになっている、ということ以外、私には何とも……その様子だと、トレーニングには今日も来なかったんですね」
「うん……そっかあ、カフェさんでもわからないかあ……」
 わたしのしていることと言ったら、ただグラウンドで日が暮れるまでタキオンが来るのを待つ、それだけだ。
 でも、果たしてそれだけでいいのだろうか?
 そもそも、わたしがタキオンについて知っていることは、「素晴らしい走りの才能を持つこと」「研究に異常な執着があり、対してレースやトレーニングには執着は薄いこと」くらいしかない。
 きっと――わたしがタキオンの担当トレーナーになってからの期間より、カフェとタキオンが空き教室で一緒にいる期間のほうが長いのだ。
 なら、できることはただ待っているだけじゃない。
「ねぇ、カフェさん。明日の午後、時間ある?」
「えっ……空いていますが」
「貴方のほうが、きっとタキオンについて知ってると思って。色々、教えてほしいの。もちろん、大人としておごるくらいはするからさ」

 翌日の午後。
 コーヒーの美味しい店を調べ上げたわたしは、学園のよりも静かで秘密が守られそうなそこにマンハッタンカフェを連れて行った。
「……本当に、アナタのおごりでいいんですか?」
「いいっていいって! それくらいさせてよ! それで、タキオンのことなんだけどさ」
「タキオンさんについて知っていることなんて、そう大したものではありませんよ。同期で同じクラスであっても、彼女とは併走すらしたことありませんし……」
 コーヒーを飲みながら、カフェはタキオンについて知っていることをぽつりぽつりと話してくれた。
 研究にかまけるあまり、食事睡眠をおろそかにして道端で行き倒れていたところを何度も助けたこと。
 これまで実験に付き合って、脚が光ったり髪の毛が伸びたりとロクなことがなかったこと。
 紅茶に入れる砂糖が多すぎるのに、歯医者に行く様子も虫歯に痛がる様子も一度も見たことがないこと。
 コレクションを実験材料に使おうとして、「お友だち」が何度も止めたこと。
 そして――何度失敗しても研究を諦めることなく、一つずつ課題を解決していく熱心さは認めていること。
「――やっぱり。わたしより貴方のほうがたくさん知ってるなあ。それに比べてわたしってば、タキオンのこと何にも知らないんだって思い知らされたよ」
 うん。やっぱりそうだ。わたしはタキオンのこと、走りくらいしか知らない。走りくらいしかわからない。
 それが少しくやしくて、さみしい。嫉妬なんて、ばからしいかもしれないけれど。
 けれど、カフェはそんなわたしに、「でも、アナタにしかわからないことだって、あるはずです」と言い切った。
「私は、タキオンさんと併走したことも、選抜レースで走ったこともありませんから。『走りしか知らない』とアナタは言いましたが、私は逆に、タキオンさんの走り以外しか知りません。なら、今はそれだけでもいいのではないでしょうか」
「だって、彼女の走りに嘘はなかったのでしょう?」
 カフェの言葉を聞いて、わたしはあの日の夕暮れを思い出す。
 燃えるような夕暮れ、学園に君臨するシンボリルドルフとの併走。あの日見たタキオンの走りは全身全霊で、ギラギラと輝いていて、吸い込まれるようだった。
「可能性の果ては、未だ遥か彼方にある」と彼女は言った。あれだけ速いのに、さらに速くなれるのだと。
 タキオンの、デビュー戦の走りを思い出す。
 それは圧倒的だった。二着のウマ娘に五バ身の差を付けて、それでもまだ本気を出していない様子だった。レベルが違うのだと、同期のウマ娘たちに見せつけるようだった。
 そうだ。わたしは、タキオンの走りしか知らない。でも、彼女の走りが本物だと、トレーナーとして知っている。
「そっか、そうだね。まだ、三年間の始まりでしかないんだから、時間はまだまだあるんだ。これから、タキオンについて知って行けばいいんだよね」
 マンハッタンカフェは、そのシトリンの瞳と控えめな口で、わたしに微笑みかけてくれた。

 ――数日後。
 タキオンは、やっとトレーニングに来てくれた。いままで研究室にカンヅメになっていたのは、アイシングスプレーを開発するためだったらしい。そして、それはクラシックレースにむけての準備だった、とも。
 それからも、タキオンはトレーニングに来たり来なかったりだ。そんな中で、なんとか「弥生賞」の前段階の力試しとして、「ホープフルステークス」への出走を取り付けた。
「『ホープフルステークス』か。クラシックに向けた登竜門、ジュニア級の王者を決めるレース。データを取るには、悪くないね」
「それにしても、君、私の贔屓の紅茶店なんてよく知っていたね。茶葉もサバラガムワとキーマン。デビュー戦のときは、茶葉の名前を聞いた瞬間に疑問符が浮かんでいたが」
 会話に共通言語は必要不可欠だ。わたしは紅茶について仕事の合間に調べ上げて、カフェやデジタルに取材もして、タキオンが茶葉を買っている店も突き止めた。
 タキオンの贔屓にしている店に入って、その茶葉の価格を見たときは目を剥きそうになったが。こんな高級な紅茶に溶解度限界まで砂糖を入れて、それは紅茶の味を殺しているんじゃないかとも思ったが。
 それでも、彼女は気が向いたときにわたしと紅茶を飲んでくれるようになって、他愛のない話をしてくれるようになった。
「タキオン。貴方がわたしに言わないこと、言えないこと、きっとたくさんあるんだと思う。でもね、貴方が話せることはいっぱいお話したいの」
「わたしは、貴方のことを少しでもわかりたいから。走りのことも、それ以外のことも」
「ふぅン……好奇心旺盛なのは、モルモットとして構わないがね」
 焦らず行こう。ゆっくり行こう。彼女とわたしの日々は、まだ始まったばかりなのだから。
 

「一着はアグネスタキオン! 見事、ジュニア王者の座を勝ち取りました!」
「このまだ余力のある走り、クラシックでの活躍が楽しみですね」
 わたしは、アグネスタキオンについてまだわからないことばかりだ。
 けれど、ひとつだけ、はっきりわかることがある。
 彼女の走りは真っ当で、真剣そのもので、嘘がない。そして、その目は――心から、走ることを楽しんでいた。
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