タキモル♀

――最近、タキオンの様子がおかしい。研究のことではない。生活面でのことだ。
例えば……彼女はウマ娘の中でも少食な方なのに、ここ二週間ほど毎日三食おかわりしている。それも、ご飯に換算すれば炊飯器二合分も。おかずもたくさん食べるので、我が家の食費は少しだけ上がった。
例えば……ここ二週間ほど、彼女は寝ている間、骨が痛いとぼやいている。私は「もしかして、足に反動が……!?」と焦ったが、曰く「足だけでなく、腕や背中の骨も痛い」らしい。骨の痛みは睡眠中だけのため、彼女は痛み止めを飲んで対処していた。
しかし、タキオン曰く「健康状態に問題はない」そうだ。ウマ娘の自分の肉体について一番知っているタキオンの言うことだから、間違いはないのだろう。
でも、やっぱりおかしい。こんな症状、まるで「本格化」が再び来ているかのようだ。タキオンの本格化は、もう数年前に終わっているのに……
そんな、ある朝。
「た、タキオン!?」
「お、おはようトレーナー君。服のサイズが……軒並み合わなくなってしまったよ」
目が覚めると――タキオンが、巨大化していた。
タキオンは、服の山の真ん中で、トレセン学園時代に着ていたという部屋着のメンズLサイズブカブカTシャツ一枚の姿で座り込んでいる。
昨日まで、誤差無く一五九センチメートル。私より頭一個分低かった彼女の身長は、今の目測だと私より頭一個分高い。
バストサイズも、標準くらいだったのが「スリムなのに出るとこ出てる」サイズ。
洋服箪笥を開き、床中に散らばった彼女の服。恋人関係になってから、タキオンのサイズに合うようにしっかり採寸してもらって買い揃えたそれらは、どれもこれもサイズが合わなくなってしまったらしい。
何より、
「視界が高い……不思議の国のアリスにでもなった気分だな……君、こんな小さかったかい?」
一番戸惑っているのは、タキオン自身だった。

こんなとき、頼れる相手を知っている。ウマ娘の肉体について、タキオンの次に詳しいヒトだ。医術の腕は不確かだが、知識だけは信頼できる。
私はそのヒトに連絡し、急遽リモートでタキオンの変化を伝えた。
「――おめでとーう! タキオンちゃんも成熟期です!」
「ふぅン……知識としては知っていたが、実際かなり唐突だな」
せいじゅくき。
タキオンは、ぽかんとする私に、呆れたように問いかける。
「君、トレーナー養成学校の『ウマ娘医学』で習わなかったのかい? 本格化が終わった数年後、ウマ娘の肉体は走るためのものから子を成すためのものに変化すると」
そもそも、トレーナーがウマ娘を担当するのは、トレセン学園に通い本格化を迎えた思春期の間だけだ。本格化の終わったウマ娘の肉体のその後については、授業でほんの少しだけ、余談のように扱われるだけだった。
「……まぁ、私も速さを求めること以外興味なかったし、本格化が終わった後の肉体については軽くしか学んでなかったがね。なんとなく、予兆だと思っていたんだ。私の肉体が、新しいものに変わって行くと」
タキオンがつぶやくと、安心沢さんはマル印の札をモニター越しに掲げてみせた。ピンポーン! と高い音が鳴る。
「そう! タキオンちゃんの身長が伸びる前に、全身の骨の痛みがあったって言ってたでしょ? 他にも、食欲が急に増したり、体重が増えたり……それが、成熟期到達の前症状と考えられているの」
「へえー……」
成熟期。その前症状は、本格化とかなり似通っているらしい。それは本人にしか自覚できず、客観的にはわからない、ということも。
「だけど、健康的に何にも問題はないわ。全て、子どもを産める身体になったってことだから」
「なるほど……」
ウマ娘の肉体には、まだまだ謎が多い。人間のように徐々に大きくなるのではなく、いきなり大きくなるなんて。それでも、こういうものだと思うしかないのだろう。とにかく、タキオンの身体に何も問題がないのなら、それでよかった。
モニター越しの安心沢さんは、懐から針を取り出す。
「でも、不安なら……ブスっといっとく?」
「遠慮します」
私達は、声を揃えて首を横に振った。

朝食を終えた後、タキオンの新しい服を買うために、ファストファッションのチェーンから最新のトレンドを揃えたブランド店、古着屋さんまで色んな洋服店を巡った。彼女は私のお下がりでも構わないと言っているが、私の服でも微妙にサイズが合わないのだ。
何件か巡っては今のタキオンのサイズに合うか試着させ、無頓着なタキオンの代わりに私が今の季節に合う服を見繕い……私とタキオンの両手は色んな店のショッパーバッグで埋まった。
一軒目の店で買った、サイズぴったりの服に着替えたタキオン。いままでの私服に似た、深い紫をしたVネックのニットトップス。脚の長さを強調するような黒のスキニーパンツ。歩きやすく、底の低い黒のパンプス。ただでさえ、例外なく見目麗しいウマ娘なのに、身長が百七十を越えた手脚の長い彼女は、歩くだけですれ違う人々の目を引いた。
そんな私達に、突然大きなカメラを構えた男性と大きなバッグを持った女性、ショルダーバッグを下げた男性などの集団が歩いて寄ってくる。その中のカメラを持った男性が、ハキハキとした声でタキオンに声を掛けた。
「すみません! わたくし、『月刊ビューティ』で『まちなかファッションランウェイ』のコーナーの担当カメラマン兼ライターのxxと申します。こちらは同じくヘアメイク担当のxxと、アシスタントのxx。そちらの素敵なウマ娘さんに、是非ともモデルになっていただきたいのですが、お時間よろしいですか?」
タキオンに、街頭モデルのオファー!?
タキオンは、ピンと来ない様子で私に向かって首をかしげる。
「ん? トレーナー君、『月刊ビューティ』って知ってるかい?」
「全国規模の有名月刊ファッション誌だよ! 同じウマ娘で今もモデルのゴールドシチーさん知ってるでしょ? あの子もよく表紙に出てたし、有名デザイナーの安心沢ビューティーさんの作品もたまに載ってるやつ!」
思わず、説明口調になってしまった。私もたまに購読している、人間女性とウマ娘どちらも読める内容に定評のある有名誌だ。その中でも、『まちなかファッションランウェイ』コーナーの街頭モデルからモデルになったヒトも多いとよく聞いている。
面倒ごとは嫌いなタキオンのことだ。URAファイナルズのチャンピオンになっても、最低限のオファーしか受けなかったし、こんな唐突なモデルのオファーは断ると思っていた。
だが、
「ふぅン、いいだろう! 後に面白いデータが取れそうだ! xxx君、荷物は任せたよ」
彼女は、驚くことにあっさりと引き受けてしまった。
「ありがとうございます! そちらのお連れ様、待機場所にご案内いたしますね。xx、お連れ様の荷物をお持ちして」
意外や意外。私は呆然として、アシスタントを名乗る男性にショッパーを預けて待機場所のオープンカフェへと案内された。

「ありがとうございましたー!!」
街頭モデル撮影に協力したタキオンと連れの私への報酬は、待機場所のオープンカフェのサービス券と、タキオンの載った再来月号のプレゼントだそうだ。
四十分ほどの撮影に協力し、すっかりお腹ペコペコ喉カラカラのタキオンは、カフェのサービス券を利用してテーブルいっぱいのランチと紅茶の飲み放題を注文。スペちゃんさんの満腹三分の一……つまりは健啖家な量のご飯をぺろりと平らげてから、タキオンは砂糖たっぷりの紅茶を揺らしながら、今回モデルを引き受けた理由を教えてくれた。
「面白いデータが取れそうだから、だよ。すれ違えば、私に熱の籠った視線を送ってくる人々……人間に限らず、ウマ娘でさえ私にチラッと憧憬の眼差しを向けていただろう? その中には、かつてのアグネスタキオンの『ファン』もいたかもしれない。今の私が、そのアグネスタキオンだと気付いているかいないかはともかく、ね」
「つまりは、ファン感謝祭の撮影会のときと似た理由?」
「その通りだ、モルモット君。成熟期に至った私の美しさに、ファンはどのような反応を示し、その感情は私にどのように還元されるのか。あのときと違って、ファンに直接伺えないのが残念だがね。けれどファンレターくらいは、届くだろう」
「『ビューティ』の担当の人達、タキオンの名前聞いてビックリしてたよね。やっぱり、成熟したオトナのウマ娘って、競争ウマ娘の頃とすごく変わるんだ」
「クックック! 彼らの反応、傑作だったね! 驚愕からの熱狂、興奮! 彼らの心拍数とアドレナリン、測定したらさぞ素晴らしい数値になっただろう!」
「実験はやめてね」
クククッ、と喉で笑って、タキオンは紅茶を啜る。けれど、なんだか私はスッキリしなかった。
オトナになった、タキオンを見る。
マスカラなしでも、ふさふさで長い睫毛。
光を吸い込む、紅茶を煮出したような瞳。
ぞんざいなスキンケアでもしっとりつるつるな、イエローベースの肌。
ベージュのリップが付けられた、柔らかそうな唇。
競争ウマ娘を引退してから伸ばしている栗色のセミロングは、私のお手入れのおかげでサラサラツヤツヤだ。
ただでさえ整った顔立ちをしているのに、私より頭一個分高く一七十センチを越えた背丈、すらりとしたスレンダーなのに出るところは出た、性別関係なく魅力的なボディ。
こんな美女、モデルにオファーされて当然だ。街行く人々の目を引いて当然だ。
「……トレーナー君? 随分としかめっ面だな。紅茶が渋かったのかい?」
「違う」
「拗ねてるじゃないか。どうしたんだ? 教えておくれよ」
ずるい。タキオンは、いつだって私を置いて行くようだ。こんなに綺麗になって、ちんちくりんな私じゃ、不似合いになってしまう。
私は、頬を膨らませてそっぽを向く。
「トレーナー君? モルモット君?」
子どもっぽい反応だなんて、分かってる。彼女の変化はいつも何も告げられることなく、いつだって私は置いてけぼりだ。……なんて、わがままだけど。
「……こちらを向きたまえ。xxx君」
不意に、タキオンのしなやかな指が私の頬を捉えた。顎を軽く掴まれ、顔を無理やり上げさせられる。常に光の先を見据える、濃く煮出した紅茶色の瞳に、私のかわいくない顔が映った。
瞬間、柔らかな感触だけを感じて、音が消える。紅茶の華やかな香りとおかしくなりそうな砂糖の甘さは、昨日までの「こども」のタキオンと変わらなかった。
唇が、離れる。
「君は私のモルモットで助手で、コイビトだろう? なら、私のコイビトらしく胸を張りたまえよ」
ああ。私の気持ちなんて、ライトレスなこの瞳にはお見通しなのか。
「見た目の差なんて、今更些末ごとだろ? 私に相応しいモルモット兼助手兼コイビトなんて、君しかいないのだから」
昨日まで、こどもだったくせに。急にオトナになっちゃって、本当にずるい。スカしたこと言って、まるでロマンス映画みたいに。
「……もう、タキオンのばか!」
「ば、ばかとは何だ! ばかって言った方がばかなんだぞ!」
「そういうとこがこどもなんですー!」
私が照れ隠しをすると、彼女はぷんぷんといった調子で頬を膨らませる。よかった。身体がオトナになっても、中身はそうそう大きく変わったりしない。それに、この探求者さんが天然タラシなんて、今に始まったことじゃないのだ。子どもみたいな膨れっ面の彼女を見て、やっと分かった。
「き、君なぁ……アハハ! すっかりいつものトレーナー君に戻ったな!」
しばらく膨れっ面を見せた後、タキオンはお腹を抱えて豪快に笑い声を上げた。その笑顔は、オトナになっても……やっぱりいつものタキオンだ。
急にオトナになって、ドキドキさせてきて、やっぱり変わらないところもあって、この恋人さんはずるい。
でも……そういうところが、私は好き、なんだろうな。



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