タキモル♀

「タキオンが私に相談なんて、珍しいね。どうしたんだい?」
「フジ君は、同性を驚かせてドキドキやトキメキを与えるのが得意だろう? 実は……」
「……なるほど。なら、こういうのはどうかな?」



タキオンに、また"デート"に誘われた。
今回もタキオンのエスコートだ。観劇の後、タキオンお気に入りのカフェで感想を語り合う。
このカフェへは何回か行ったけれど、観劇は初めてだ。彼女がそういう芸術に興味を持つなんて、なんだか不思議な感じがする。これも、感情の研究なのかな。
「主人公が軟弱すぎる! どちらのヒロインを選ぶか悩んでは決められず、結局どちらも選ぼうとするとは、実に優柔不断だ! ヒロインもなぜあんな男に惹かれるのか理解に苦しむね!」
「まぁまぁ……でも、ヒロインの人どっちもキレイだったね。私はウマ娘のヒロインに走りで勝負を挑む人間のヒロインのシーンが好きだな」
「どう見ても勝敗が決まっている種目での決闘、無謀だが私も嫌いではないな」
語り合ううちに紅茶を飲み終わって、カチャリとカップを置く。
すると、タキオンは先に立ち上がって伝票を引き抜き、私にすっと手を差し伸べた。まるで、王子様のように。
「お支払いは私に任せて? ポニーちゃん」
ぽ、ポニーちゃん? 私、人間なんですが……というか、タキオン口調おかしくない?
思わず、私は口をあんぐり開けて固まってしまう。
「ン? おかしいな……たしかこれでドキドキ間違いなしだと……試行回数が必要か?」
タキオンは不思議そうに首を捻っているが、私だって意味不明だ。とりあえず椅子から立って、伝票をそっと抜き取る。
「せめて割り勘にしましょ、ね?」
「う、うーん! 君がそういうなら仕方ないかー!!」
バツの悪そうな顔で、タキオンは頭を振った。

その後も、タキオンは何かと様子がおかしかった。
私を何度も「ポニーちゃん」と呼ぶし、ショッピングモールの興味なさそうな貴金属やブランドバッグの店に私を連れて行っては「いつか買ってあげるね」と言ってくるし、なんだか、タキオンじゃないみたいだ。
何件目かの店を後にして、ベンチで休憩したとき、私はついに疑問を口に出してしまった。今日の彼女は、何かがおかしい。これも、私の反応を見る実験なのかもしれないが。
「ねぇ、タキオン。今日はどうしてフジさんの真似してるの?」
タキオンは、私から目を逸らして「どうしたんだい? 私はいつも通りだよ」と返すが、そんなわけない。
彼女は私を「モルモット君」と呼ぶ女の子で、間違っても「ポニーちゃん」なんて甘い声で呼ばないのだ。
「ねぇ、大丈夫? 薬の副作用かな……昨日変な実験しちゃった?」
心配になって顔を覗き込むと、タキオンは顔を少し赤くして私を睨みつけた。
「君は物分りの悪いモルモットだな!! 薬の副作用なんかじゃないし、私は至って正常さ!!」
え、どうして? 私なにか怒らせること言った?
私の頭に疑問符が浮かぶ。今日のタキオンは、やっぱり何かがおかしい。確かに、実験が上手く行かないとフラストレーションが溜まるとは言っていたけれど。こんなに怒る必要があるだろうか。
「君はこれっぽっちもドキドキしないし、実験は失敗だ!! もう知らん! 帰るっ!」
ベンチから立ち上がり、早歩きで去ろうとするタキオン。
ここで見送ったら、絶対に後悔する。私はそう確信できたから、「待ってよ! せめて何の実験だったか教えて!」と腕を伸ばして引き留めた。
背中を向けて、どこか寂しげな様子で歩いて行く彼女を走って追おうとしたそのとき、私はがくりと崩れ落ちた。わけも分からず、私は床にへたり込む。
「トレーナー君!?」
歩き去ろうとしていたタキオンが慌てて振り向いて、私に駆け寄って来た。へたり込む私の視線を合わせるように、タキオンはしゃがみ込む。
私が足元を確認すると……今日履いてきたヒールが、根元からぽっきりと折れていた。
あちゃー、安いのを買ったのが悪かったか。ものの見事に、左のヒールは使い物にならなくなっている。
「大丈夫か!? 怪我は!?」
「あはは……倒れた拍子にちょっと擦りむいただけだよ。靴は、もうダメみたいだけど」
ご臨終した靴を摘み上げて、私は笑ってみせる。靴というのは、片方がダメになるともう歩けないのが困ったところだ。ここからは、裸足で帰らないといけなさそう。
タキオンは、なぜか私の前に腕を伸ばして跪いた。
「動くなよ、モルモット君」
今日二回目の、モルモット呼び。「ポニーちゃん」ではなかったことに少し安心してしまう自分が可笑しい。
……なんて、悠長に思っていられなかった。私の身体が、彼女の言葉の直後にふわりと浮かび上がったからだ。
「えっ? な、な……!?」
これは、お姫様抱っこというやつですか!?
「君を、一番近い靴屋まで連れて行く。それまでは、恥ずかしいだろうが我慢してくれよ」
「た、タキオン?」
「スカートを押さえたまえ。見えるぞ」
「は、はい……ってきゃあぁ!?」
私の身体が、彼女の歩幅に合わせて揺れる。私は必死に左手にある二人分のバッグでスカートの裾を押さえつけ、右手で靴を持った。
速い! 私を抱えているというのに、タキオンは速い!
「走ったら危ない! 危ないってば!」
「君だって恥ずかしい時間は一瞬にしたいだろ! 舌噛むぞ!」
「加減し、はやい、はやい!」
悲鳴を上げていられるのも、ほんの一瞬。あっという間に、ショッピングモールの一番近い靴屋さんに到着した。
「彼女のサイズに合った、一番歩きやすい靴を頼むよ」
私をお姫様抱っこしたまま、タキオンは店員さんにそう一言告げる。店員さんの目は驚きでまん丸だ。
そりゃそうだろう。大人の女性が、年下のウマ娘にお姫様抱っこされて、ここまで運ばれてきたのだから。

「まったく……実験には万全の状態でいたまえと言っているだろう?」
「ごめんね……まさかヒールが折れちゃうなんて思わなくて……」
とんとん拍子で、私のサイズぴったりのぺたんこスニーカーをタキオンは見繕い、私の足にしっかりと履かせてお会計した。大人のメンツが立たないので、支払いは当然私のお金だが。
私が疲れてしまったのを見抜いてか、靴屋さんの近くにあったカフェに入り、再び一息つく。タキオンの様子は、すっかり元に戻っていた。
「でも良かった。タキオン、やっと元に戻ったね。私を『ポニーちゃん』って呼んでくる変な口調の貴方、見てて不安だったから」
「……そんなに私は滑稽だったかい」
「今回はどんな実験なのか、分からないけれどね。私はいつも通りのそのままのタキオンが好きだな、って思うよ。だから、無理に誰かの真似なんてしなくてもいいの」
そう言うと、タキオンは「あー!」と手で目を覆って仰け反ってから、お腹を抱えて笑いだした。
「アッハッハッハ! 私もバカなことをしたねぇ! 私は私、フジ君はフジ君だというのに、見様見真似でドキドキさせようなんて!」
「タキオン?」
タキオンの笑いはしばらく止まらなかった。
「フー……いやしかし、今回の君の心拍数の変化は実に興味深かった! 『ポニーちゃん』呼びでは一回目に増加した後は全く変化がなかったが、『モルモット』呼びで普段通りの安定した数値、抱き上げられたときには最高潮に増加していたよ! 大したモルモットぶりじゃないか!」
つまりは、私が安定した数値をたたき出す程に、「モルモット君」という愛称に慣れてしまっているということらしい。
うん。確かにタキオンに呼ばれるなら「ポニーちゃん」よりも「モルモット君」の方がずっと安心する。……なんて、何考えてるんだ私は。
「それで、モルモット君。私に抱き上げられて、どんな気持ちになったんだい? 報告したまえよ」
タキオンにお姫様抱っこされたとき……すごく恥ずかしかったし、周囲の目が痛かった。
けれど、大人の人間を上回る腕力と、抱きかかえていても落ちることのない走力。それは私をドキドキさせるには十分で……
「すごく恥ずかしかった。けど、それ以上に、貴方ってすごいウマ娘なんだなって改めて思ったよ。カッコよかった、かな……」
頬が、じわじわと熱くなって行く。
私を抱き上げて走るタキオンは、誰かの真似をして王子様的に振る舞っていたときよりも、遥かにカッコよくて、王子様みたいだった。
お姫様抱っこで運ばれるなんて、非日常な体験。その初めてが年下の女の子になるなんて、思わなかったけれど。
「ハハハ! すごい、カッコよかったときたか! 月並みな言葉だが、実に君らしい!」
成人女性の私を、軽々運んで走ってしまえるのだ。ウマ娘の肉体は、やっぱりすごい。
タキオンが長年研究に夢中になるのも、頷ける気がした。
「ありがとう。やっぱり、タキオンはすごいね」
私は素直にお礼を言う。彼女が運んでくれて、靴屋さんに連れて行ってくれなければ、私は裸足で帰ることになっただろうから。
すると、笑っていたタキオンはまた目を逸らした。尻尾は嬉しそうにゆらゆら。
「お礼なら、ここのケーキを持ち帰りでおごってくれたまえ! ザッハトルテがいい!」
「もう夕方だよ? ケーキいつ食べるの?」
「夕食後のデザートに決まっているだろう! 君の弁当の後に食べる! そして明日の弁当には海苔の卵焼きとにんじんのきんぴらを所望するぞ!」
声が大きくなるのは、きっと照れ隠し。わがままを言うのも、照れ隠しだろう。
あんなにカッコよかったのに、まだ子どもなギャップが面白い。
「はいはい、甘えんぼの王子様」
私は笑って、紅茶のカップを傾けた。
外は、きっとキレイな夕焼け空になっていることだろう。
今日の"デート"もあっという間におしまい、と幕を下ろすように。

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