タキモル♀

「タキオンさん、髪を伸ばし始めたんですか? サラサラで綺麗……」
「私のわがままなトレーナーが、『髪の長い私を見てみたい』なんて言うものでね。おかげで手入れが面倒で困るよ」
「お手入れ、きちんとされてるんですね! 枝毛はないし、ツヤもあるし。オシャレなタキオンさん、素敵です」
「そうかい? ククッ、スカーレット君がそう言うのなら、やりがいがあると言うものだよ」

レースを引退し、学園卒業を三月に控えたタキオンは、髪を伸ばすようになった。
本人は「もう走る邪魔にならないから」と周りに言っているようだけれど、そのきっかけは私のわがままだ。
いつか、実験を失敗してロングヘアになったタキオンが、とても綺麗だったから。私はつい、「ロングの貴方もお姫様みたいで素敵」と言ってしまった。
そうして、私に手入れを任せる代わりに、彼女は髪を伸ばしてくれている。

「スカーレット君には、つい見栄を張ってしまうなぁ。あー、君が毎日私の髪を洗ってくれれば、もっと楽なのになー」
「私にも仕事、あるからね? タキオン専属の美容師だけじゃなくて、トレーナーの」

シャワーを浴びた後の彼女の髪にヘアオイルを付け、ブラシで梳きながらドライヤーで乾かすのが、いつの間にか私の日課になってしまった。
タキオンは私のケアじゃないと嫌らしく、寮のお風呂に入っても毎回濡れた頭で私の元を訪ねてくる。そのわがまま甘えんぼっぷりは、まさにお姫様だ。

「今日は、スカーレット君が分けてくれたシャンプーで洗ってみたんだ。さすが、幼い頃からロングヘアなだけあって、悪くない洗い心地だったよ。ただ、フローラルの香りは私には不似合いな気がするがね」
「良い香り。今日のタキオンは、スカーレットちゃんと同じ香りなんだ」
「……妬いたかい? いつものシトラスハーブじゃない、他の子の香りがすることに」

調子に乗るお姫様の頭を、私はわざとくしゃくしゃにする。このお姫様は、私にやたらとアプローチをかけてくるようになった。その度に、私はドキドキやトキメキを隠さざるを得なくて、こうやって誤魔化してしまう。

「自意識過剰でしょ」
「うわ、やーめーろー!」

ふんわりと鼻をくすぐる、昨日とは違うローズやゼラニウムの香り。確かに、彼女にはこの華やかな香りよりもいつもの爽やかな香りの方が似合うかもしれない。……なんて、言ってあげないけど。
くしゃくしゃの頭を、ブラシで梳いて元通りのサラサラにする。栗色をした髪の毛の手触りはなめらかで絹のようだ。

「彼女がくれたのは一回分だけだからね。心配せずとも、明日は君と同じので洗うよ」
「心配してませんから」
「君、やっぱり妬いてるだろ」

私は、もう一度彼女の髪をボサボサに乱してやった。

「こら、ごまかすなー! ボサボサにするなー!」

タキオンは足をばたつかせて、嫌がるそぶりをする。けれど、それはじゃれ合いを楽しんでいるだけだと既に分かっているのだ。
明日は、久しぶりに髪を洗ってあげようかな。タキオンの大好きな、私と同じ香りのシャンプーで。

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