タキモル♀

トレーナーに宛てがわれた合宿所の部屋。私の部屋のベッドに腰掛けたタキオン。その前に跪いて、私はマッサージオイルを両手に広げた。
かつて習ったツボの位置を思い出しながら、土踏まずを親指で強めに押して、指をつまんで軽く回し、足の甲と踵も押しほぐす。足の指に手を差し込み、ゆっくりと足首を回す。ふくらはぎは、手のひらを側面にあてて下から上へ揉みほぐす。
学校で習っただけでは足りず、療法士さんに頭を下げてさらに足のマッサージを勉強したのは、タキオンがまだジュニア級の頃だった。彼女がクラシック級にむけてアイシングスプレーを作っていたことに感動して、私も何か他にできることをやりたいと思ったのがきっかけだ。
いま思うと、勉強し直して本当に良かった。実験で疲れ果てた自分の足をケアできるし、何より彼女を癒してコミュニケーションを取ることができる。
「今日も暑かったわね。お疲れ様」
トレーニングを終えて、シャワーを浴びた後のタキオンの足をマッサージするのは今や私の習慣だ。
ローズマリーの香りのマッサージオイルを手のひらに再び取り、今度は太腿に添える。太腿は、下半身の筋肉の中でも一番大きい。範囲も広いので、裏、側面、表の順番で手のひらを押し込んで揉んでいく。
「後輩達を指導するためには、まず己を鍛える必要があるからね。暑いからってたるんではいられないさ」
「ずいぶんと実験にやる気ですねぇ」
「私の指導が速さへどう影響をもたらすか……これはなかなかに興味深いことだよ。トレーナー君」
不気味な研究者として他のウマ娘から避けられていたあのタキオンが、後輩達の人気者になっている。タキオンは、かつて速くなる薬を依頼してきた癖毛の後輩がデビューしたというニュースから、指導者としての才能を学園に知られることになったのだ。生徒会長シンボリルドルフもそれを聞き及び、タキオンに伸び悩む後輩達への指導を提案。元々他者をプロデュースすることに興味があったらしく、タキオンはその提案を受け入れ、今は学生でありながら教官の立ち位置を得ている。
夏合宿のトレーニング内容も、タキオン自身が考えたものだ。そのトレーニングに、今日の彼女は午前から夕方まで後輩達に付きっきりで指導していた。
タキオンが、たくさんの人達に愛され慕われるのを見ると、私も嬉しくて鼻が高い。この子はすごい子なんだぞ。目的のためにひたむきに動けて、観察力も飛び抜けている。走りだけじゃなくて、色んなところが魅力的なんだ。それを分かってくれる人達が増えている。なんて、喜ばしいことか。
「癖毛のあの子、ついにGIIだってね。九月が楽しみだなぁ」
「ああ。相手次第ではあるが、彼女の逃げ足なら大逃げも可能な距離だ。一体どんなレースを見せてくれるか、楽しみだよ」
太腿の付け根を左右五回ずつ押し込み、マッサージを終える。
筋肉で引き締まった、なだらかな曲線を描く両脚。その足指から太腿に至るまで、すべてが超光速のスピードを生み出す脅威の脚だ。オイルでツヤツヤと輝き、ローズマリーの香りが鼻をくすぐる。
なんて、綺麗なんだろう。私の、世界で一番大切な脚。その美しさに、つい見蕩れてしまった。
「ふぅン……?」
タキオンの視線が、私の頭に降り注ぐ。いまの私は、椅子に座る彼女に跪く形をしていた。だから、身長の低い彼女が私を見下ろしている。少し、嫌な予感がした。この「ふぅン」のイントネーションは、よからぬことを考えているときのだ。
「……君、もしかして脚にそういうフェチズムでも持っているのかい?」
穏やかな空気が、一瞬で固まった。フリーズ。
三秒経って、私は慌てて否定する。顔が、熱い。私の顔は耳まで真っ赤になっていることだろう。そんなに、見蕩れてた!?
「そそそそんなことはございませんよ!? 確かに、タキオンの脚はとっても綺麗だし、私の宝物ですけどね!? 別にセンシティブな欲望持ったりとか断じてしませんからね!! それに脚なら誰彼構わずとかじゃないし私はタキオンの脚だから好きなんだし」
「ほうほう! つまりは私限定の脚フェチか!!」
「違うってばー!!」
狼狽しまくる私に、タキオンは裸足をばたつかせて大笑いする。
うわ、恥ずかしい。何を言っているんだ私は。でも、犯罪になるような嗜好は持ってない。これは断じて言える。私は変態ではありません。……たぶん。
「はっはっは!! 前々から思っていたが、君はむっつり助平だなぁ! いいぞ、私の脚をとくと味わいたまえよ。舐めるかい? 跪いて、私の足を」
いやいやいや、何を言っているんだこの子は。
タキオンの足が、私の顔に近づけられた。……うん。やっぱり、綺麗な足だ。思わず、吸い寄せられるように私から顔を近づける。
跪いて足を舐めるという隷属の行為。タキオンの足なら、構わないかな。そんな考えが、頭をよぎった。
「……トレーナー君?」
「タキオン……」
その左足を取り、私は目を閉じて軽く口付けた。
しばしの沈黙。再びフリーズ。
私は視線を足から彼女の顔へと移動させる。タキオンの頬は苺のように赤く染まり、その視線は逃げるように私から逸らされていた。
「……君、ほんっっっとうに冗談が通じないな……このバカモルモット……」
私も、その言葉を受けて我に返った。えっ、何をしたんだ私は。跪いて、タキオンの足に、キス……!?
「あ、ぎゃぁぁ!! ごめんなさい!! やっぱり私は変態でした!!」
立ち上がり、私は合宿所の個室から飛び出そうとする。さっきまで私は変態じゃないと思ってたのですが間違ってました。ごめんなさい。自首します。嫌われた? 色々な考えが頭の中を回る。とにかくこの場から離れたい。
だが、タキオンは私を「こら、逃げるな!」と一言で引き留めた。
「……別に、嫌だったとは一言も言ってない。少し、驚いただけで……」
だから、逃げるな。と、真っ赤な顔のままでタキオンは私の服の裾を掴んでいた。
ああ、本当に、彼女には敵わない!
「だが! 私にこんなことをした以上! 君は今後一生私だけに足マッサージをすること! 浮気は許さんからな!!」
向き直った私に、タキオンは仁王立ちして、命令する。
浮気なんて、そんなことするわけない。私が惚れ込んだのは、この超光速の脚で……今後も、こんなに素晴らしい脚のお姫様は現れるわけないのだから。
彼女の脚に触れられることをこれからもずっと許されるのなら、私の教わったマッサージ術もきっと幸せだ。
「分かりました。お姫様」
ガラスの靴を脱ぎ捨てた、裸足のお姫様。努力と研鑽を続ける彼女に、私はできることすべてで尽くして行きたい。マッサージは、きっとその手段の一つだ。
4/10ページ
スキ