タキモル♀
「――かわいい。くせっ毛も耳飾りもしっかり再現されてるし、あの目もよくできてるなぁ」
それは、クラシック級十一月の半ば頃。
アグネスタキオンがクラシック三冠を達成して、朝のニュースで「まずは三冠」と強気な発言を残した後。
電話やメールで来る「モルモット志望」のファンを捌くのにも慣れてきた頃に、それは届いた。
「ダービーコレクション」という銘柄の、日本ダービーを勝利したウマ娘だけが制作されるぬいぐるみ。そのぬいぐるみのアグネスタキオンが商品化され、トレーナーのわたしの元に今朝届いたのだ。
さすが、国内で有数のぬいぐるみメーカーが企画し生産しているぬいぐるみなだけある。クオリティは素人のわたしから見ても非常に高い。
「ぱかプチよりも高級感あるな……」
タキオンの癖のある栗毛はふわふわさらさらの生地で、一度撫でるとヤミツキになる気持ちよさ。見事に再現された、不敵な笑み。勝負服はそれぞれ異なる生地で、細かいパーツまで作られているというこだわりよう。おすわりしたお尻と足はずっしりとペレット入りで、安定して座らせることができる。
正直――すごく、かわいい。
仕事をしているときにこのタキオンぬいぐるみと目が合うと、つい口元が緩んで、頭を撫でてしまう。
「本物は、頭撫でさせてくれないもんね」
デビュー戦の時、圧倒的スピードで勝利した彼女を褒めようとして、頭に手を伸ばしたことがあった。
しかし、「やめたまえ」と手が頭に届く前に彼女の手に阻まれたのだ。もちろん、しっかり反省した。同性とはいえ、教え子とはいえ、頭を撫でるような子供扱いは彼女も嫌だっただろうと。
その後も、タキオンが研究成果を無邪気に報告して来る度に、その愛らしさに頭を撫でたくなってしまう時がある。彼女は人を実験に巻き込む困ったちゃんだけど、実験成功に喜ぶ時のあどけない笑顔はたまらなくかわいい。つい、実験で無茶を要求されても許してしまう。
「貴方はいい子だねー。わがまま言わないし、なでなでさせてくれるし……ぬいぐるみだから、当たり前か」
「……ふぅン。君には、そういう趣味があるんだねぇ」
突然掛けられた声に、わたしの背筋はびくりと震える。いつの間にか、担当ウマ娘のアグネスタキオン本人がトレーナー室に来ていた。慌てて時計を見る。もう授業は終わり、午後のトレーニングの時間だ。
「デジタル君が、『推しぬい』がどうのとウマ娘のぬいぐるみを並べて写真を撮っているのを見たことがあるが……君も、そういうヲタクだったのかい?」
「ぬ、ぬいぐるみ撫でるのは当たり前ですから! ほら、貴方のぬいぐるみが届いたから、出来の確認をね!担当トレーナーとして、貴方の商品のチェックも仕事のうちですし!」
本人に、ぬいぐるみに話しかけていたのを見られていた。恥ずかしくて、わたしは聞かれてもいないことをベラベラとまくし立ててしまう。
「ほ、ほら! 今日もトレーニング頑張ろー! 『大阪杯』まで期間はあるけど、気を抜けないからね!」
「なんだか、はぐらかされているな……ああ、弁当だが、豆腐のハンバーグがなかなか美味かったよ」
「それはよかった!また作ってあげるね!」
タキオンから、いつものように空になった弁当箱を渡され、話題を変えられたようでホッとしつつ、わたしはぬいぐるみのタキオンをPCの陰に隠した。
今日の豆腐ハンバーグには、油通しした上でみじん切りにしたピーマンをこっそり混ぜていたのだが、彼女は気付かず美味しく食べたらしい。
わたしの毎朝の密かな楽しみは、タキオンのために作ったお弁当の写真を撮ることだ。
お弁当は、トレーナーであることを隠して、あくまで「自分用に作ったもの」という体でウマスタにアップしている。どんな角度や光の加工で撮れば、よりお弁当が美味しそうにきれいに見えるか、二年目の秋になった今ではすっかり掴んできた。
そういえば、昨夜「ぬい撮り」で検索したら、ウマ娘のぬいぐるみと一緒に美味しそうなご飯やスイーツを写した写真がたくさんあった。試しに、わたしもタキオンのぬいぐるみをお弁当に添えて、スマホカメラで撮ってみる。パシャリ。
「か、かわいい……」
お弁当と写ったタキオンのぬいぐるみは、心なしか楽しそうだ。でも、さすがにこの写真をウマスタにアップするのはまずい。匿名のわたしの正体が「アグネスタキオンのトレーナー」とバレてしまいそうな要素は、徹底して排除しているから。もったいないけれど、これはスマホのロック画面だけに留めておこう。タキオンのぬいぐるみを汚れないようにどけて、いつものようにお弁当だけの写真も撮る。パシャリ。
そうだ。次の休みの日、このタキオンのぬいぐるみを気になっていたカフェに連れて行こうか。コーヒーが美味しいところだから、本人は連れて行けないが。確かにぬいぐるみなら、どこにでも連れて行ける。
ぬい文化、なかなか悪くない……そう思う時点で、既に、わたしもタキオンの言う「そういうヲタク」なのかもしれない。
――十二月前半。
「おはようタキオ、ン……!?」
「やぁ、モルモット君……君は、随分とその布と綿の塊にご執心のようだな?」
その日のタキオンは、トレーナー室に入ってくるなり、全身から不機嫌がにじみ出ていた。原因は、私がデスク脇に添えてよく撫でている、このぬいぐるみにあるらしい。
「見たぞ。君の画像フォルダ、そのぬいぐるみと撮った写真だらけじゃないか」
「……怖いから聞きにくいんだけど、なんで知ってるんですか」
彼女は不満のオーラを隠すことなく、ぎろりと睨みつけながら大股でわたしに近づく。
「シャカール君と取引して、君のドライブをハッキングして貰ったからね。見れば、私の行ったことのない店にソレを持って写真を撮っているようだし? ふぅン? そんなにソレがいいのかい」
すごいプライバシーの侵害だ。というか、そんなにわたしと自分のぬいぐるみの写真が気になったのか。わざわざ、エアシャカールに何か情報を差し出してまで気になるものなのか、わたしのプライベートが。
「わがままも言わない、実験で無理難題もさせない。好きなだけ撫でさせてくれる、私の形をしたソレの方が、いいのかい」
タキオンは、ずんずん距離を詰めて、ゴゴゴゴ……という擬態語が見えるくらいの形相でわたしに迫ってくる。これは相当に怒っている。怒っているのだけれど……彼女の言葉には、ただ怒りだけじゃないものを感じた。これは、寂しさだろうか。
「その布の塊は、走らないのにか? いや、私に任せれば、遠隔操作で走行する装置ぐらいは付けられるが……それでも、この私には遠く及ばないぞ?」
あれ?もしかしてこの子……自分のぬいぐるみに嫉妬している? わたしに構われたくて、拗ねている? だとしたら、わたしがすることは一つだ。
わたしは、ひとまずぬいぐるみを彼女の手の届かない場所にどける。その方が安全だろう。
「タキオン。落ち着いて聞いて」
わたしは視線を、デスクの前に立つ彼女の瞳にまっすぐ合わせた。気持ちは、言葉にしないと伝わらない。彼女の気持ちが爆発する前に、ちゃんと教えてあげればよかったな。わたしは、反省しながら口を開いた。
「貴方は貴方、ぬいぐるみはぬいぐるみだよ。どうして、側に置いているかって言うとね……この子がいると、貴方がいない時でも側にいてくれているみたいで、嬉しいの」
わたしは、タキオンの一人目のファンだから。ファンだから、グッズが手元にあったら嬉しい。実は、ぬいぐるみだけじゃなくて、タキオンのグッズは軒並みチェックして揃えているのだ。わたしは言葉を続ける。
「残業して疲れた時も、寝る前も、貴方の笑顔が近くにあると、頑張ろうって思えるから。貴方の形のモノが残るのが、トレーナーとしてもファンとしても嬉しい。貴方のモノを持つことで、貴方を応援できるから」
「ぬいぐるみは応援の形の一つ、そういうことなのかい?」
「そう。ファンが買うことで貴方の収入にもなるし、持つことで『アグネスタキオンが好きで、応援してます』って表現できるからね」
タキオンの眉間のシワが少しずつ戻って行って、睨みつけていた両目も次第に和らいだ。もうひと押しだ。
「わたしは、貴方のモルモットで、一番のファンだから。確かに、ぬいぐるみはわがままも無茶ぶりもしないけどね。わたしは素晴らしい走りを見せる、研究熱心で頑張り屋なタキオンの方がいいに決まってるよ。そういう困ったところも、貴方の良さだから」
どうやら、上手く説得できたようだ。タキオンの顔から、さっきまでの凄まじい力が抜ける。
そして、わたしの説得でファンの心理というものに興味を持ったらしい。その耳はピンと揃って立っていた。
「ふぅン……『ファン』の語源は『ファナティック』。つまり、ファンは例外なく狂気の虜というわけだが……やはり君、狂っているな」
そう納得したタキオンは、いきなりわたしにもたれかかった。わたしの座っていた椅子が、ギィ、と音を立てる。そのまま、タキオンは無理やりわたしの手を取って、自身の頭に載せてくる。その仕草は、仕事中に甘えてくる猫のようだ。
「君なら特別に、私の頭部に触れてもいい。ただし、耳には絶対触るなよ」
わたしは、初めて彼女の頭を撫でた。優しく、髪の毛の流れに沿うように。耳に手が当たらないように。
まさか、あれだけ嫌がっていたタキオンが、自分から頭を撫でさせてくるなんて……
「……まぁ、悪くはないね」
柔らかくて癖のある栗毛はさらさらで、だけど乾燥してパサついていた。
「困った研究者さん。ちゃんとトリートメントしてる?」
「頭髪は、石鹸で汚れを落とすだけで十分だと思うが」
……えっ。
その無頓着な発言に、じわりと嫌な予感がよぎる。
「……まさか、頭と尻尾もボディーソープで洗ってるとか……言わないよね?」
「え? そうだが……何か問題でもあるのかい? 頭から尻尾まで石鹸で済ませるの、楽でいいじゃないか」
ああ、一難去ってまた一難だ。わたしは頭を撫でていた手を離す。
まさか、何度もウイニングライブでセンターを務めた担当ウマ娘が、石鹸で全身洗っているなんて……そりゃ、髪の毛も保湿が足りなくてパサついているわけだ。
「決めた。今週末、一緒に貴方のシャンプーとトリートメント、あと保湿するための基礎化粧品を買いに行きます!」
「ええ〜〜〜!? なんでそんな面倒くさいことをしなきゃなんだい!!」
「こんなパサパサじゃ貴方のファンに悪いでしょ!終わったら紅茶とスコーンの美味しいお店に連れて行ってあげるから、それまで付き合って!」
――それから。
「タキオンさん……前より髪にツヤが出ましたよね。寝癖だらけでこちらに来る日も、減りましたし」
「カフェもそう思う? 実は、私のトレーナー君が髪の毛のケアを教えてくれてね……サボるとすぐバレるしうるさいんだよ〜」
「大阪杯」で当たり前のように一着を勝ち取り、ウイニングライブでセンターになったタキオン。その髪が以前よりツヤツヤと輝いていたのは、ライトのせいだけじゃなかった。
「それより、見てくれよカフェ! この前出かけた時、トレーナー君とまた写真を撮ったんだ! 私の方がぬいぐるみよりずっと良いと、彼女もようやく分かってきたようだねぇ!」
「あのぬいぐるみが届いてしばらく、アナタすごく不機嫌でしたからね……トレーナーは自分よりぬいぐるみの方がいいんじゃないかとかなんとか言って」
「過ぎた話さ。ほらほら見たまえよカフェ〜。このトレーナー君の、私のグッズが並ぶ部屋の一角!さすがに私も初めて見た時は引いたね!」
タキオンの端末に映った写真を、マンハッタンカフェは見せられる。写真には、いわゆる「推し祭壇」の前で照れ笑いを浮かべるタキオンのトレーナーと、自身のぬいぐるみを握ってしたり顔をするタキオンが写っていた。
カフェはつくづく思う。タキオンは良くも悪くも変わっているヒトだが、彼女に心酔し、積極的に付き合い続けるトレーナーも相当に狂気なのでは……と。
――それから。
「トレーナー君」
タキオンは、わたしにスキンシップを許すようになった。撫でてほしい時、彼女はわたしに頭をこすり付けてくる。すりすり。その髪は前よりもつやつやになって、頬に当たるとくすぐったい。
それが、合図だ。
「ん……」
わたしは彼女の頭を撫でる。優しく、髪の毛の流れに沿うように。くすぐったそうに、彼女はクククッと笑って、わたしの手にすり付いてくる。ケアについてうるさく言っているおかげか、彼女の柔らかい髪は前よりもきれいになった。触り心地がよくて、甘えてくる様子も相成って猫みたいだ。
「貴方は頑張り屋さんだね。いい子、いい子」
わたしは彼女の頬を撫でる。頬はふにふにと柔らかくて、吹き出物一つなくしっとりと滑らかだ。乾燥ぎみだった肌も、髪と同様にケアをしろと言い聞かせたおかげか、すっかりすべすべになっていた。
「ちゃんとケアしてるんだね。偉い、偉い」
「……君が、撫でてくれるから」
両手で彼女の頬を包み込み、撫でる。滑らかで、弾力があって、吸い付くようで……その若さが少し羨ましい。横髪が手にさらさらと当たる。やっぱり、くすぐったい。
「君だけの特別、だぞ」
誰にも触らせないところを、自分から触らせてくれる。その信頼が、わたしは何よりも嬉しい。
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