タキモル♀
今でこそ大人しいと言われるわたしだが、幼い頃はそれはもう男の子のようなやんちゃのきかん坊で両親は大変だったそうだ。走り回るし、木登りもするし、噴水にも飛び込むし、服はいつも泥だらけだった。そうそう、髪の毛も今と違ってすごく短くしていたし、服もスカートが「動きにくくて嫌だから」ともっぱらショートパンツだった。
これは、そんなわたしの、忘れられない思い出の話だ。
「わ、ウマむすめの赤ちゃんだ! かわいい!」
「いま、わたしをあかちゃんといったかい、きみ?」
わたしの実家はなんにもないド田舎で、そこにはわたしが縄張りにしていた公園があった。人の、子供ならなおさら少ない地域だ、毎日会う子なんて、男の子も女の子も全員知っている。ある日、そんな中で全く見たことないウマ娘を見つけたのだ。クセのない長い栗毛がきれいな、ウマ娘。まだ、人間で数えるなら2歳か3歳くらいだろうか。
「わたしは、これでもけんきゅうしゃだぞ。あかちゃんじゃない」
「かわいいー!おしゃべり上手ね!」
わたしがそう言うと、ウマ娘はぷにぷにの頬を膨らませた。背丈はわたしの半分以下で、上品なワンピースを着ている。こんな高そうで汚したら怒られそうな服、公園の仲間は絶対着ない。
「やーい! 赤ちゃん! 赤ちゃん!」
公園のやんちゃな男子たちが、見た目に合わない立派な口調を面白く思ったのかそのウマ娘をからかう。もしこの子が泣いてしまったら、そのときはちゃんと謝ろう。わたしも彼らと同じ悪ガキだったので、からかう一人に入っていた。だが。
「では、わたしがあかちゃんではなく、りっぱなウマむすめであることをしょうめいしてやろう。このはしりで、な」
ウマ娘は、落ちていた木の棒を拾い、地面にスタートラインとゴールラインを引いた。
「ルールはかんたん。みんなで、ここからここまではしって、いちばんになったヒトのいうことをきく。てかげんなしだぞ」
「じょーとーだ。ないてもしらねーぞ!」
率先してウマ娘をからかっていた、この辺一帯のガキ大将がスタートラインの上に立つ。男の子たちがぞろぞろ同じラインに並び、わたしも並んだ。ウマ娘は、一番外側に立った。走らない女の子たちに頼んで、審判をしてもらう。
「よーい、どん!」
女の子たちの号令。わたしと男の子たちが走り出した次の瞬間、ウマ娘は視界から消えていた。風を切って、上がる土埃。気づくと、とっくにゴールラインの前にそのウマ娘が立っていた。
「ほらね。きみたち、わたしがちいさいからと、あなどってはいけないぞ」
男の子たちとわたしは、走るのをやめて呆然とする。ウマ娘は、こんなに小さくても速い……!
「おまえ、ずりーぞ! もう一回だ!」
「なんどやっても、けっかはおなじさ。ウマむすめのはやさには、きみたちはかてないだろ」
ガキ大将が食い下がる。短いフリースタイルレースは、それから何度も繰り返されたが……結果は、すべてウマ娘の圧勝に終わった。
「さて、わたしはとくべつルールできみたちのいうことをきいてあげたが……ぜんぶかってしまったねぇ?」
圧勝したウマ娘が、怪しい笑みを浮かべる。敗北者のわたしたちは一体何をさせられるんだろう……と身構えていると、勝負を止める大人の声が届いた。
「お嬢様! こんなところで何をなさっているのですか!探しましたよ!」
「あ、みつかってしまったか……」
大人のウマ娘だ。お嬢様と呼ばれた幼いウマ娘が、しぶしぶといった様子で大人に手を取られる。
「では、きみたち、いつかまた!」
後ろ向きに手を振って、立派な口調の幼いウマ娘は、大人のウマ娘に連れられて去って行った。彼女は、きっとこの辺りに住んでいる子ではないのだろう。何かの理由があって、こんなド田舎に来て、家を抜け出して公園まで来たのだろうか?
圧倒的な走りを見せつけられたわたしは、すっかりその走りが頭から離れなくなった。ウマ娘は、きっと生まれた頃から速い――! それこそ、人間にはまったく敵わないくらい――!
これで、わたしが生まれて初めて出会ったウマ娘の話は終わりだ。風のように現れて、風のように消えた彼女のことを、みんなそのうち忘れて行った。わたしも、つい最近まで忘れていた、はずだった。
実家からトレーナー寮まで送られてきたものの中に、古いアルバムがある。ずっと余裕がなくて開かなかったアルバムだ。
今日、ふと気になってめくると、そこには今のわたしと似ても似つかない、男の子のようなわたしがいた。そういえば、あの日の幼いウマ娘は元気だろうか? と、幼いわたしの記憶が引き出されたというわけだ。
「おや、これは君の昔の写真かい?」
懐かしんでいると、聞き覚えのある声。わたしの、担当ウマ娘だ。彼女は、タイミングを見計らってはちょくちょくわたしの部屋に侵入してくる。
「って、タキオン!? いつからそこに!?」
「君がアルバムを開いたあたりから、かな。 それにしてもトレーナー君、防犯意識が甘すぎないか? 入ってくるのが私だけだから良いものの……私が口を開くまでアルバムに集中していたし……」
「そういうのはちゃんとドアから入って来てから言ってください!」
わたしの注意を無視し、タキオンの指が、幼いわたしの写真をなぞる。何かを思案している様子で、彼女は顎に手を置いた。
「なぁ。私は今から、君に変なことを聞くぞ」
「タキオンが変なこと聞くのは、いつものことでしょ」
「君……昔、私と会っていないか?」
空いていたパズルのピースが、二人の間でパチリと埋まった。
「え、ええーー!? まさかあのお嬢様、タキオン!?」
「まさかって言いたいのはこちらの方だよ。あの日の少年らの一人が、トレーナー君だったんだからね」
そう。お互いにいまのいままで気付いていなかったのである。幼い頃の姿が、現在の姿とかけ離れていたから。
「あの頃の君、負けず嫌いだったねぇ。チームのリーダーさえも音を上げて諦めたのに、君だけは諦めずに何度も『もう一回』と食い下がっていたじゃないか」
「それは、その……わたし、あの頃はやんちゃだったし……貴方の走りが、何度だって見たかったからだよ」
わたしがウマ娘トレーナーを志したきっかけ、原初の記憶。それは、幼いお嬢様ウマ娘が年上の男の子たちに見せてくれた素晴らしい走りで……その走りを見せた張本人が、今はわたしの目の前にいる。
「ククッ。そんな遥か昔の走りより、長年の研究の成果で培われた走りを見たくないかい?こんな新月の夜なら、グラウンドも空いているだろうさ」
「証明してやろう」そう言った幼いウマ娘の姿と、現在のタキオンの姿が、わたしの中で重なった。
「……やれやれ、貴方が問題児なら、わたしも問題トレーナーだね……あの日みたいに、一緒にスタートしてわたしを置いていく貴方を見せてよ」
――新月の闇に紛れて、ウマ娘とトレーナーが走り出す。一気に差を付けて小さくなる背中を見送り、わたしはやっぱり惚れ惚れした。
――わたし、やっぱり。貴方の走りが好きだ。
これは、そんなわたしの、忘れられない思い出の話だ。
「わ、ウマむすめの赤ちゃんだ! かわいい!」
「いま、わたしをあかちゃんといったかい、きみ?」
わたしの実家はなんにもないド田舎で、そこにはわたしが縄張りにしていた公園があった。人の、子供ならなおさら少ない地域だ、毎日会う子なんて、男の子も女の子も全員知っている。ある日、そんな中で全く見たことないウマ娘を見つけたのだ。クセのない長い栗毛がきれいな、ウマ娘。まだ、人間で数えるなら2歳か3歳くらいだろうか。
「わたしは、これでもけんきゅうしゃだぞ。あかちゃんじゃない」
「かわいいー!おしゃべり上手ね!」
わたしがそう言うと、ウマ娘はぷにぷにの頬を膨らませた。背丈はわたしの半分以下で、上品なワンピースを着ている。こんな高そうで汚したら怒られそうな服、公園の仲間は絶対着ない。
「やーい! 赤ちゃん! 赤ちゃん!」
公園のやんちゃな男子たちが、見た目に合わない立派な口調を面白く思ったのかそのウマ娘をからかう。もしこの子が泣いてしまったら、そのときはちゃんと謝ろう。わたしも彼らと同じ悪ガキだったので、からかう一人に入っていた。だが。
「では、わたしがあかちゃんではなく、りっぱなウマむすめであることをしょうめいしてやろう。このはしりで、な」
ウマ娘は、落ちていた木の棒を拾い、地面にスタートラインとゴールラインを引いた。
「ルールはかんたん。みんなで、ここからここまではしって、いちばんになったヒトのいうことをきく。てかげんなしだぞ」
「じょーとーだ。ないてもしらねーぞ!」
率先してウマ娘をからかっていた、この辺一帯のガキ大将がスタートラインの上に立つ。男の子たちがぞろぞろ同じラインに並び、わたしも並んだ。ウマ娘は、一番外側に立った。走らない女の子たちに頼んで、審判をしてもらう。
「よーい、どん!」
女の子たちの号令。わたしと男の子たちが走り出した次の瞬間、ウマ娘は視界から消えていた。風を切って、上がる土埃。気づくと、とっくにゴールラインの前にそのウマ娘が立っていた。
「ほらね。きみたち、わたしがちいさいからと、あなどってはいけないぞ」
男の子たちとわたしは、走るのをやめて呆然とする。ウマ娘は、こんなに小さくても速い……!
「おまえ、ずりーぞ! もう一回だ!」
「なんどやっても、けっかはおなじさ。ウマむすめのはやさには、きみたちはかてないだろ」
ガキ大将が食い下がる。短いフリースタイルレースは、それから何度も繰り返されたが……結果は、すべてウマ娘の圧勝に終わった。
「さて、わたしはとくべつルールできみたちのいうことをきいてあげたが……ぜんぶかってしまったねぇ?」
圧勝したウマ娘が、怪しい笑みを浮かべる。敗北者のわたしたちは一体何をさせられるんだろう……と身構えていると、勝負を止める大人の声が届いた。
「お嬢様! こんなところで何をなさっているのですか!探しましたよ!」
「あ、みつかってしまったか……」
大人のウマ娘だ。お嬢様と呼ばれた幼いウマ娘が、しぶしぶといった様子で大人に手を取られる。
「では、きみたち、いつかまた!」
後ろ向きに手を振って、立派な口調の幼いウマ娘は、大人のウマ娘に連れられて去って行った。彼女は、きっとこの辺りに住んでいる子ではないのだろう。何かの理由があって、こんなド田舎に来て、家を抜け出して公園まで来たのだろうか?
圧倒的な走りを見せつけられたわたしは、すっかりその走りが頭から離れなくなった。ウマ娘は、きっと生まれた頃から速い――! それこそ、人間にはまったく敵わないくらい――!
これで、わたしが生まれて初めて出会ったウマ娘の話は終わりだ。風のように現れて、風のように消えた彼女のことを、みんなそのうち忘れて行った。わたしも、つい最近まで忘れていた、はずだった。
実家からトレーナー寮まで送られてきたものの中に、古いアルバムがある。ずっと余裕がなくて開かなかったアルバムだ。
今日、ふと気になってめくると、そこには今のわたしと似ても似つかない、男の子のようなわたしがいた。そういえば、あの日の幼いウマ娘は元気だろうか? と、幼いわたしの記憶が引き出されたというわけだ。
「おや、これは君の昔の写真かい?」
懐かしんでいると、聞き覚えのある声。わたしの、担当ウマ娘だ。彼女は、タイミングを見計らってはちょくちょくわたしの部屋に侵入してくる。
「って、タキオン!? いつからそこに!?」
「君がアルバムを開いたあたりから、かな。 それにしてもトレーナー君、防犯意識が甘すぎないか? 入ってくるのが私だけだから良いものの……私が口を開くまでアルバムに集中していたし……」
「そういうのはちゃんとドアから入って来てから言ってください!」
わたしの注意を無視し、タキオンの指が、幼いわたしの写真をなぞる。何かを思案している様子で、彼女は顎に手を置いた。
「なぁ。私は今から、君に変なことを聞くぞ」
「タキオンが変なこと聞くのは、いつものことでしょ」
「君……昔、私と会っていないか?」
空いていたパズルのピースが、二人の間でパチリと埋まった。
「え、ええーー!? まさかあのお嬢様、タキオン!?」
「まさかって言いたいのはこちらの方だよ。あの日の少年らの一人が、トレーナー君だったんだからね」
そう。お互いにいまのいままで気付いていなかったのである。幼い頃の姿が、現在の姿とかけ離れていたから。
「あの頃の君、負けず嫌いだったねぇ。チームのリーダーさえも音を上げて諦めたのに、君だけは諦めずに何度も『もう一回』と食い下がっていたじゃないか」
「それは、その……わたし、あの頃はやんちゃだったし……貴方の走りが、何度だって見たかったからだよ」
わたしがウマ娘トレーナーを志したきっかけ、原初の記憶。それは、幼いお嬢様ウマ娘が年上の男の子たちに見せてくれた素晴らしい走りで……その走りを見せた張本人が、今はわたしの目の前にいる。
「ククッ。そんな遥か昔の走りより、長年の研究の成果で培われた走りを見たくないかい?こんな新月の夜なら、グラウンドも空いているだろうさ」
「証明してやろう」そう言った幼いウマ娘の姿と、現在のタキオンの姿が、わたしの中で重なった。
「……やれやれ、貴方が問題児なら、わたしも問題トレーナーだね……あの日みたいに、一緒にスタートしてわたしを置いていく貴方を見せてよ」
――新月の闇に紛れて、ウマ娘とトレーナーが走り出す。一気に差を付けて小さくなる背中を見送り、わたしはやっぱり惚れ惚れした。
――わたし、やっぱり。貴方の走りが好きだ。
