前世で蟲柱だった私は五条家に買われた
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
結論から言うと、天内さんは死んだ。
この世界から星漿体、天内理子という少女は死んだのだ。……"戸籍上"は。
それは遡ること一週間前。
「――というわけで傑。お前半年は日本に帰って来なくていいよー!」
「説明省きすぎないか?何がどういう訳なんだ?」
悟くんの言葉に夏油先輩の鋭いツッコミが入る。
悟くんは色々と重要なことを説明しないで、言いたいことだけ伝えるところを直した方がいいと思う。
直前になって知らされて、いつも悟くんに振り回される人は一体どれだけいるんだろうか。
私は痛む頭痛を抑えるように、こめかみを手で押えながら小さくため息をついた。
「すみません夏油先輩、私が説明します。」
「ああ、是非そうしてくれ。」
私と夏油先輩は多分、今同じことを考えていると思う。
お互いに悟(くん)には苦労するなと。
心の中で互いに頑張ろうと手と手を固く握りあった気がした。
「天内さんのことですが、夏油先輩も天内さんも、天元様との同化には反対ということでいいんですよね?」
「ああ、私は理子ちゃんの意志を尊重する。」
「わっ、妾も!できればみんなともっと一緒にいたい!生きていたい!」
天内さんの言葉に、強く頷く。
そして悟くんの方を見ると、目が合った。ニヤリと悪どい笑みを浮かべる悟くんに思わず苦笑してしまう。
けれど慌てて表情を真剣なものに戻す。今は和んでいる場合ではないからだ。
「それなら良かったです。私も悟くんも同じ意見です。なので、これから天内さんには身を隠してもらおうと思います。」
「どういう事だい?」
「天内さんは今回の件で顔を知られすぎてしまいました。懸賞金の件が取り下げられたとはいえ、安心は出来ないかと。なので私と悟くんで考えたのですが、天内さんは一度死んだことにした方がいいと思います。」
「えっ!?」
「それはつまり?」
「戸籍上、天内理子という人間は死んだことにするということです。その後は悟くんが用意した架空の戸籍に入ってもらうことになります。ほとぼりが冷めるまて、天内さんには海外にでも亡命してもらった方がいいでしょう。」
「えっ、でっ、でも……」
「残念ですが、東京(ここ)はもう天内さんにとって安全に暮らせる場所ではないと思います。」
「天元様はどうするんだい?彼の目を誤魔化せるのか?」
「そちらの心配は大丈夫です。私と悟くんで何とかしますから。あとは、天内さん次第です。……と言っても、申し訳ないのですが選択肢はないかと。」
「死にたくないなら亡命するしかないからねぇ~」
「…………」
私が本当に申し訳ない気持ちでそう口にしたのに、悟くんがはっきりとそう告げてしまったことで天内さんが俯いてしまった。
きゅっと唇を固く結び、何かに耐えるように黙り込む。固く握られた拳がふるふると震えていた。
まだ中学生の女の子にはあまりにもきつい選択だろう。
これまでの人生を全て捨てろと急に言われたって、直ぐには納得できないだろうし。
天内さんが口を開くのを待っていると、彼女の隣に座っていた黒井さんがそっと天内さんの拳を包み込むように手を重ねてきた。
それに天内さんはハッとして顔を上げる。
黒井さんは天内さんを安心させるかのように、とても穏やかに微笑んでいた。
「理子様、私は理子様が何処に行こうともお供します。だって私たちは家族ではないですか。」
「黒井……」
天内さんの目が涙で潤む。
それに黒井さんは柔らかく微笑むと、こくりと静かに頷いた。
天内さんはそれで決意が固まったようで、黒井さんに同意するように小さく頷き返すと、目に溜まった涙を袖で拭った。
そして次に顔を上げた時には、彼女の瞳には強い意志が宿っていた。
「――分かった。妾はしのぶを信じる。」
「私は理子様と共に。」
二人の強い意志を宿した言葉に、私は嬉しくなって頷く。
悟くんの方を見ると、彼もなんだか嬉しそうにニヤッと口角を釣り上げて笑っていた。
どうやら話し合いは双方納得いく形でまとまりそうで、私はほっと安堵の息を吐き出した。
そして私は、今度は夏油先輩の方を見た。
「――というわけで、天内さんたちの安全が保障されるまで、夏油先輩には天内さんの護衛をお願いしたいのです。半年ほど。」
「成程、それで私に帰ってくるなってね。まったく、悟は大切な説明を省きすぎるんだよ。」
「それくらい傑なら察してくれるでしょ?」
「無理言わないでくれよ。」
「まったくです。悟くんはもう少し配慮というもの考えてください。」
「えー!なんで僕説教されてるの?」
悟くんは納得いかないと言いたげに不満そうに顔をしかめた。
それにやれやれと肩を竦めると、夏油先輩は困ったように苦笑を浮かべていた。
天内さんの護衛に夏油先輩を選んだのにはいくつか理由がある。
それには勿論、夏油先輩が天内さんの味方側であり、同化に反対している一人であるのが大きいが、一番の理由はやはり、夏油先輩を高専から引き離したかったからだ。
天内さんの死をきっかけに、夏油先輩は非術師に対して不信感を抱くようになる。
一年後に起こるいくつもの事件が原因となって、彼は最終的に呪詛師に堕ちてしまう。
それを私と悟くんだけが知っている。
だからこそ、私たちはそんな未来を変えるために行動を起こすことにした。
これはその為に必要な期間であった。夏油先輩が日本から離れている半年の間に、彼のために下準備をしなければならない。
けれどそれを夏油先輩に話すことは決してない。
彼に未来での彼の行いを話したところで、彼自身の心の在り方を変えられなければ、何も変えることはできないからだ。
寧ろ余計な情報を与えることで、より最悪な未来になりかねない。
それになによりも、彼にどのようにして自分たちのことを信じさせられるというのか。
夏油先輩に「貴方は呪詛師になるから」と率直に言ったところで、到底信じてはもらえないだろう。
私は原作を知っているからその先が分かる。悟くんは実際にその時間を生きてきたからこそ知っている。
私も悟くんも、経緯は違うが未来に起こることを知っているからこそ受け入れられたのだ。
けれど夏油先輩は違う。
私たちのように未来を経験しているわけでもない彼には、到底信じてもらうことは難しいだろう。
私が夏油先輩の立場ならきっと信じない。
非現実的なことを実際に経験してやっと、私は今を受け入れられているのだから。
そういった理由から、私たちは夏油先輩本人を直接的説得することは諦めていた。
そして代わりに別の人物を仲間に引き入れようと考えている。
それはおいおい語るとして、そういった理由から夏油先輩には半年ほど日本から遠ざかってもらうことになったのである。
夏油先輩は最初は少しだけ迷っていたようだったけれど、最終的には納得してくれたようだった。
こうして私たちは共犯者として、天内理子という一人の少女を消した。
天内さんの死は、私や夏油先輩が術式を使って幻覚を見せることで、遺体が差もあったかのように偽造した。
結果、遺体をわざわざ用意しなくても彼女が死んだという嘘の情報を多くの者に認識させることに成功した。
彼女の葬儀はひっそりと行われたことになり、天内さんの両親の眠る墓には空の骨壷が収められている。
人間相手にはあっさりと誤魔化すことができたが、問題は天元様だった。
彼はおそらく天内さんが生きていることを知っているだろう。
だから私たちは天元様の動きをもっとも警戒していたのだけれど、拍子抜けする程彼からのコンタクトはなかった。
上の連中から何かを言われることもなくて、天内さんは悟くんが用意した新しい戸籍を受け取り、今は「黒井理子」という別の人間としての生を歩み始めていた。
「天内理子」改め「黒井理子」となった彼女は、戸籍上は黒井さんの妹ということになっている。
これから二人で生きていく上で、天内さんは黒井さんの身内ということにしておいた方が家族として生きやすいだろうと配慮した上でのことだった。
――それから、天内さんたちは夏油先輩を護衛に連れてすぐに日本を発った。
ほとぼりが冷めるまで、彼女たちは日本に帰ってこない方がいいだろう。
あまりにも多くの人に天内さんの顔と素性は知られてしまったから。
きっと日本にいるよりもまだ海外での方が安全に暮らせる。今はそう信じようと思う。
夏油先輩を一時的に日本から追い出した私たちは、夜蛾先生にだけは全てを話そうと思っていた。
それは天内さんの件も含め、未来での事もそうだった。
私と悟くんがこれから行動を起こす上で、協力者になってもらおうと考えたのが彼だった。
私たちの目的を果たすには、夜蛾先生の協力は必要不可欠だったし、なによりも彼なら信頼できると私も悟くんも思ったのだ。
だから、彼にだけは全てを話した。
「――というわけなんです。」
「…………」
私の話を聞き終えた夜蛾先生は、頭痛がするのかこめかみを押えて項垂れていた。
眉間のシワがいつも以上に増えて、表情もどこか険しい。
話を聞いている間、ずっと無言であった彼は深い、それは深いため息をつくと、漸く口を開いた。
「……それは、本当のことなのか?」
「僕たちがこんな嘘ついたってしょうがないでしょ。特にしのぶはこんな冗談言う子じゃないって先生は知ってんでしょ?」
「うっ、うーむ。だか、いや、しかし……」
夜蛾先生は、どうしたもんかと腕を組んで唸り出す。
生徒の話は信じてあげたいと思っているのだろう。
それでもにわかには信じて固いお話に、夜蛾先生もどうしたらいいのか悩んでいるように見えた。
簡単に信じてもらえないことは、最初からわかっていた。
だからこそ、私は自身の持っている情報をフルに活用していこうと決めていた。
私は鞄から一冊のノートを取り出すと、それを机において夜蛾先生の前に突き出した。
夜蛾先生はそれを訝しげに見つめる。
「……これは?」
「これから起こることを事細かにまとめたノートです。読んだらすぐに燃やしてください。今年、日本は大きな災害が何度も起こります。その日時と場所、私が知る限りの任務の情報を書き記してあります。」
「…………」
夜蛾先生は怪訝そうな表情を浮かべながらも、ノートを手に取ってくれた。
一応は読んでくれそうな雰囲気にホッと安堵する。
もしも子供の冗談には付き合いきれないと、相手にされなかったらと思うと少しだけヒヤヒヤしていた。
まあ夜蛾先生なら、どんなに突拍子のない内容であろうと、一応話は聞いてくれるだろうとは思っていた。
一見怖い顔をしているせいで、誤解されやすい人ではあるが、意外に可愛いもの好きでとても優しく、生徒思いなところがとても信用できると私は思っている。
だから彼には話しておこうと考えたくらいだ。
だからこそ、ノートさえ読んでもらえれば信じてもらえるだろうとは感じていた。
何故ならこれから起こる未来を私たちが予言して、それがすぐに実際に現実に起こったとなれば、誰だって信じざるおえないからだ。
我ながら自分の真面目な性格と記憶力の良さがこんな風に役に立つとは思わなかった。
殆どはニュースや新聞で得ただけの情報にすぎないが、任務で実際に被災地に足を運んだ場所もあるので、その情報は確かなものだと言えるだろう。
今すぐに信じることはできなくとも、ノートに書かれたことが近い未来で実際に起これば、夜蛾先生は私たちを信じざるおえなくなる。
そして夜蛾先生ならきっと、私たちの強い味方になってくれる。妙な確信が私にはあった。
原作の地獄のような展開を変えるためには、味方は最小限に、けれど確実に力のある者の協力が必要だった。
幸いにも、私は独りではない。
この世で最も頼りになる、最強の呪術師が自分の味方についてくれている。
そして教員側で唯一、信頼のおける夜蛾先生が味方になってくれたなら、きっとできることはもっと大きく広がるだろう。
夜蛾先生はノートを睨みつけたまま眉間にシワを寄せていた。
パラパラと一枚一枚ページをめくる度、その顔は険しくなっていった。
そして彼は最後まで読み終えると、ノートをそっと閉じて、ふぅっとそれは深い、深いため息を吐き出した。
その間、私はもちろん、悟くんでさえも空気を読んで誰一人として言葉を発することはなかった。
「……嘘にしては、あまりにも詳細が事細かに書かれているな。」
「そりゃそうでしょ。これから実際に起こることなんだから。いや、僕達からしたら、既に『起こった』ことなんだけどね。」
「……本当、なんだな?」
「はい。」
真剣な目で私を見つめてくる夜蛾先生に、私はまっすぐにその目を見据えて頷いた。
決してこれは、冗談でも、度の過ぎた悪戯でもない。
嘘や偽りがないそとを伝えるように、私はまっすぐに夜蛾先生の目を見つめ続けた。
やがて夜蛾先生は、今日何度目かになるか分からない深いため息をつくと、後ろ頭を掻いた。
焦る気持ちを表すかのように、少し乱暴に頭を掻き毟ると、夜蛾先生はバンっと膝を強く叩いた。
「――分かった。お前たちを信じよう。」
「ありがとうございます。」
「私は何をすればいい?」
「さっすが夜蛾先生、話わかるね!」
どうやら先生は、私たちの話を一応は信じて、力を貸してくれるらしい。
とりあえずは上手くいったことに、私はほっと安堵の息を吐き出すと同時に、胸を撫で下ろした。
それから話は早かった。夜蛾先生の推薦で甚爾さんを高専の臨時体術講師にとして雇ってもらった。
甚爾さんは最初こそ渋っていたが、私がていのいいバイトを紹介したら、渋々承諾してくれた。
彼の並外れた強さからは、絶対に学べることは多い。
それに折角味方についてもらえたのだから、術師殺しなどやめてもらって、近くにいてもらわなければ困るというものである。
悟くんだけは、甚爾さんが大っ嫌いなのか、めちゃくちゃ反対していた。
「こいつも同じ教員になるとかないわー!」とかなんとか最後まで文句を言っていたけれど、無視した。
*****
――それから二ヶ月が経った。
私たちは任務をこなしながら、着実に水面下で準備を進めていった。
甚爾さんの体術の指導のお陰で、私たち二年生は随分と強く成長できたと思う。
それでも一級の呪霊を倒せるようになるには、まだ届かない。
あの任務での死を避けるには、正直私たちはまだまだ力不足であった。
そして私は甚爾さんの協力を得て、少しずつ呪霊を倒すための毒の研究を進めていった。
私が作った毒を甚爾さんに実戦で使ってもらったり、呪霊を生け捕りにしてもらって、実験体を確保してもらったりしていた。
そのお陰もあってか、最近ではやっと、私の実力では倒すことのできなかった一級にすら効果のある毒の開発に一気に近づくことができた。
このまま研究が上手くいけば、一級の呪霊くらいならば倒せるほどの毒が完成しそうである。
毒が完成すれば、呪術師の死亡率をぐんと下げることができるだろう。
上手くいけば、悟くんの手を煩わせることなく、あの任務に挑むことができるかもしれない。
そして実験の成果や株でちゃくちゃくと増えていく資金を前に、私はそろそろあの計画を実行しようと考え始めていた。
「あー、疲れたぁ~」
「おかえりなさい。任務お疲れ様でした、悟くん。」
「しのぶ~!」
夜の8時過ぎ、一人寮の共同スペースで寛いでいたら、悟くんが任務から帰ってきたのが見えた。
くたくたに疲れた様子の彼に声をかけたら、彼は嬉しそうに顔をほころばせて私に抱きついてきた。
私よりもずっとずっと大きな体の彼に、小柄な私の体はすっぽりと収まってしまう。
絶妙な力加減で私をぎゅうぎゅうと抱き締めてくる彼の背中に、私も腕を回して抱き締め返すと、より一層腕の力が強くなった気がした。
「疲れたよぉ~!もう三日もしのぶの顔が見れなくてつらかったぁ~!」
「はいはい、よくがんばりましたね。」
「なんかしのぶ、三日ぶりの再会なのに冷たくない?」
「そんなことないですよ。」
「えー、ほんとぉ?」
悟くんは私の返答が気に入らなかったのか、不満そうに頬を膨らませる。
今の彼はあの原作の大人の姿のように、黒いアイマスクで目元を覆ってしまっているが、彼の目が何かを期待しているのだというのは、長年の付き合いからなんとなく察してしまった。
正直、とても面倒くさい。
けれどここで適当にあしらったりしたら、後々拗ねてもっと面倒くさいことになる。
それは困る。私は彼に気づかれないように、心の中でそっとため息をついた。
(仕方ないですね。)
私は覚悟を決めて、悟くんの頬に手を添えた。
悟くんが何かを察したようにしゃがみ込む。
私は彼の横に回り込むと、彼の頬に軽いキスを落とした。
「お疲れ様悟くん。悟くんに会えなくて、寂しかったです。」
「……うわーー、これ、結構くるね。」
「それは良かったです。」
ほんのりと頬を赤く染めた悟くんに、私は満足げに微笑んだ。
「今度は口にしてほしいな」とおどけてみせる悟くんに、私は「また今度ですよ」と笑って誤魔化した。
まあ、次も頑張ったらやってあげようかな。
なんて考えていたら、悟くんがニマニマと嬉しそうに口元をニヤつかせて、私の腰に手を回してきた。
後からぎゅっと抱きしめてくる悟くんの腕に、そっと手を添える。
嗚呼、私幸せだなぁ。
「悟くん。」
「なぁに?しのぶ。」
「私たち、婚約破棄しましょう。」
「………………はっ?」
悟くんの間抜けな声が、やけに静かな空間に響いた。
この世界から星漿体、天内理子という少女は死んだのだ。……"戸籍上"は。
それは遡ること一週間前。
「――というわけで傑。お前半年は日本に帰って来なくていいよー!」
「説明省きすぎないか?何がどういう訳なんだ?」
悟くんの言葉に夏油先輩の鋭いツッコミが入る。
悟くんは色々と重要なことを説明しないで、言いたいことだけ伝えるところを直した方がいいと思う。
直前になって知らされて、いつも悟くんに振り回される人は一体どれだけいるんだろうか。
私は痛む頭痛を抑えるように、こめかみを手で押えながら小さくため息をついた。
「すみません夏油先輩、私が説明します。」
「ああ、是非そうしてくれ。」
私と夏油先輩は多分、今同じことを考えていると思う。
お互いに悟(くん)には苦労するなと。
心の中で互いに頑張ろうと手と手を固く握りあった気がした。
「天内さんのことですが、夏油先輩も天内さんも、天元様との同化には反対ということでいいんですよね?」
「ああ、私は理子ちゃんの意志を尊重する。」
「わっ、妾も!できればみんなともっと一緒にいたい!生きていたい!」
天内さんの言葉に、強く頷く。
そして悟くんの方を見ると、目が合った。ニヤリと悪どい笑みを浮かべる悟くんに思わず苦笑してしまう。
けれど慌てて表情を真剣なものに戻す。今は和んでいる場合ではないからだ。
「それなら良かったです。私も悟くんも同じ意見です。なので、これから天内さんには身を隠してもらおうと思います。」
「どういう事だい?」
「天内さんは今回の件で顔を知られすぎてしまいました。懸賞金の件が取り下げられたとはいえ、安心は出来ないかと。なので私と悟くんで考えたのですが、天内さんは一度死んだことにした方がいいと思います。」
「えっ!?」
「それはつまり?」
「戸籍上、天内理子という人間は死んだことにするということです。その後は悟くんが用意した架空の戸籍に入ってもらうことになります。ほとぼりが冷めるまて、天内さんには海外にでも亡命してもらった方がいいでしょう。」
「えっ、でっ、でも……」
「残念ですが、東京(ここ)はもう天内さんにとって安全に暮らせる場所ではないと思います。」
「天元様はどうするんだい?彼の目を誤魔化せるのか?」
「そちらの心配は大丈夫です。私と悟くんで何とかしますから。あとは、天内さん次第です。……と言っても、申し訳ないのですが選択肢はないかと。」
「死にたくないなら亡命するしかないからねぇ~」
「…………」
私が本当に申し訳ない気持ちでそう口にしたのに、悟くんがはっきりとそう告げてしまったことで天内さんが俯いてしまった。
きゅっと唇を固く結び、何かに耐えるように黙り込む。固く握られた拳がふるふると震えていた。
まだ中学生の女の子にはあまりにもきつい選択だろう。
これまでの人生を全て捨てろと急に言われたって、直ぐには納得できないだろうし。
天内さんが口を開くのを待っていると、彼女の隣に座っていた黒井さんがそっと天内さんの拳を包み込むように手を重ねてきた。
それに天内さんはハッとして顔を上げる。
黒井さんは天内さんを安心させるかのように、とても穏やかに微笑んでいた。
「理子様、私は理子様が何処に行こうともお供します。だって私たちは家族ではないですか。」
「黒井……」
天内さんの目が涙で潤む。
それに黒井さんは柔らかく微笑むと、こくりと静かに頷いた。
天内さんはそれで決意が固まったようで、黒井さんに同意するように小さく頷き返すと、目に溜まった涙を袖で拭った。
そして次に顔を上げた時には、彼女の瞳には強い意志が宿っていた。
「――分かった。妾はしのぶを信じる。」
「私は理子様と共に。」
二人の強い意志を宿した言葉に、私は嬉しくなって頷く。
悟くんの方を見ると、彼もなんだか嬉しそうにニヤッと口角を釣り上げて笑っていた。
どうやら話し合いは双方納得いく形でまとまりそうで、私はほっと安堵の息を吐き出した。
そして私は、今度は夏油先輩の方を見た。
「――というわけで、天内さんたちの安全が保障されるまで、夏油先輩には天内さんの護衛をお願いしたいのです。半年ほど。」
「成程、それで私に帰ってくるなってね。まったく、悟は大切な説明を省きすぎるんだよ。」
「それくらい傑なら察してくれるでしょ?」
「無理言わないでくれよ。」
「まったくです。悟くんはもう少し配慮というもの考えてください。」
「えー!なんで僕説教されてるの?」
悟くんは納得いかないと言いたげに不満そうに顔をしかめた。
それにやれやれと肩を竦めると、夏油先輩は困ったように苦笑を浮かべていた。
天内さんの護衛に夏油先輩を選んだのにはいくつか理由がある。
それには勿論、夏油先輩が天内さんの味方側であり、同化に反対している一人であるのが大きいが、一番の理由はやはり、夏油先輩を高専から引き離したかったからだ。
天内さんの死をきっかけに、夏油先輩は非術師に対して不信感を抱くようになる。
一年後に起こるいくつもの事件が原因となって、彼は最終的に呪詛師に堕ちてしまう。
それを私と悟くんだけが知っている。
だからこそ、私たちはそんな未来を変えるために行動を起こすことにした。
これはその為に必要な期間であった。夏油先輩が日本から離れている半年の間に、彼のために下準備をしなければならない。
けれどそれを夏油先輩に話すことは決してない。
彼に未来での彼の行いを話したところで、彼自身の心の在り方を変えられなければ、何も変えることはできないからだ。
寧ろ余計な情報を与えることで、より最悪な未来になりかねない。
それになによりも、彼にどのようにして自分たちのことを信じさせられるというのか。
夏油先輩に「貴方は呪詛師になるから」と率直に言ったところで、到底信じてはもらえないだろう。
私は原作を知っているからその先が分かる。悟くんは実際にその時間を生きてきたからこそ知っている。
私も悟くんも、経緯は違うが未来に起こることを知っているからこそ受け入れられたのだ。
けれど夏油先輩は違う。
私たちのように未来を経験しているわけでもない彼には、到底信じてもらうことは難しいだろう。
私が夏油先輩の立場ならきっと信じない。
非現実的なことを実際に経験してやっと、私は今を受け入れられているのだから。
そういった理由から、私たちは夏油先輩本人を直接的説得することは諦めていた。
そして代わりに別の人物を仲間に引き入れようと考えている。
それはおいおい語るとして、そういった理由から夏油先輩には半年ほど日本から遠ざかってもらうことになったのである。
夏油先輩は最初は少しだけ迷っていたようだったけれど、最終的には納得してくれたようだった。
こうして私たちは共犯者として、天内理子という一人の少女を消した。
天内さんの死は、私や夏油先輩が術式を使って幻覚を見せることで、遺体が差もあったかのように偽造した。
結果、遺体をわざわざ用意しなくても彼女が死んだという嘘の情報を多くの者に認識させることに成功した。
彼女の葬儀はひっそりと行われたことになり、天内さんの両親の眠る墓には空の骨壷が収められている。
人間相手にはあっさりと誤魔化すことができたが、問題は天元様だった。
彼はおそらく天内さんが生きていることを知っているだろう。
だから私たちは天元様の動きをもっとも警戒していたのだけれど、拍子抜けする程彼からのコンタクトはなかった。
上の連中から何かを言われることもなくて、天内さんは悟くんが用意した新しい戸籍を受け取り、今は「黒井理子」という別の人間としての生を歩み始めていた。
「天内理子」改め「黒井理子」となった彼女は、戸籍上は黒井さんの妹ということになっている。
これから二人で生きていく上で、天内さんは黒井さんの身内ということにしておいた方が家族として生きやすいだろうと配慮した上でのことだった。
――それから、天内さんたちは夏油先輩を護衛に連れてすぐに日本を発った。
ほとぼりが冷めるまで、彼女たちは日本に帰ってこない方がいいだろう。
あまりにも多くの人に天内さんの顔と素性は知られてしまったから。
きっと日本にいるよりもまだ海外での方が安全に暮らせる。今はそう信じようと思う。
夏油先輩を一時的に日本から追い出した私たちは、夜蛾先生にだけは全てを話そうと思っていた。
それは天内さんの件も含め、未来での事もそうだった。
私と悟くんがこれから行動を起こす上で、協力者になってもらおうと考えたのが彼だった。
私たちの目的を果たすには、夜蛾先生の協力は必要不可欠だったし、なによりも彼なら信頼できると私も悟くんも思ったのだ。
だから、彼にだけは全てを話した。
「――というわけなんです。」
「…………」
私の話を聞き終えた夜蛾先生は、頭痛がするのかこめかみを押えて項垂れていた。
眉間のシワがいつも以上に増えて、表情もどこか険しい。
話を聞いている間、ずっと無言であった彼は深い、それは深いため息をつくと、漸く口を開いた。
「……それは、本当のことなのか?」
「僕たちがこんな嘘ついたってしょうがないでしょ。特にしのぶはこんな冗談言う子じゃないって先生は知ってんでしょ?」
「うっ、うーむ。だか、いや、しかし……」
夜蛾先生は、どうしたもんかと腕を組んで唸り出す。
生徒の話は信じてあげたいと思っているのだろう。
それでもにわかには信じて固いお話に、夜蛾先生もどうしたらいいのか悩んでいるように見えた。
簡単に信じてもらえないことは、最初からわかっていた。
だからこそ、私は自身の持っている情報をフルに活用していこうと決めていた。
私は鞄から一冊のノートを取り出すと、それを机において夜蛾先生の前に突き出した。
夜蛾先生はそれを訝しげに見つめる。
「……これは?」
「これから起こることを事細かにまとめたノートです。読んだらすぐに燃やしてください。今年、日本は大きな災害が何度も起こります。その日時と場所、私が知る限りの任務の情報を書き記してあります。」
「…………」
夜蛾先生は怪訝そうな表情を浮かべながらも、ノートを手に取ってくれた。
一応は読んでくれそうな雰囲気にホッと安堵する。
もしも子供の冗談には付き合いきれないと、相手にされなかったらと思うと少しだけヒヤヒヤしていた。
まあ夜蛾先生なら、どんなに突拍子のない内容であろうと、一応話は聞いてくれるだろうとは思っていた。
一見怖い顔をしているせいで、誤解されやすい人ではあるが、意外に可愛いもの好きでとても優しく、生徒思いなところがとても信用できると私は思っている。
だから彼には話しておこうと考えたくらいだ。
だからこそ、ノートさえ読んでもらえれば信じてもらえるだろうとは感じていた。
何故ならこれから起こる未来を私たちが予言して、それがすぐに実際に現実に起こったとなれば、誰だって信じざるおえないからだ。
我ながら自分の真面目な性格と記憶力の良さがこんな風に役に立つとは思わなかった。
殆どはニュースや新聞で得ただけの情報にすぎないが、任務で実際に被災地に足を運んだ場所もあるので、その情報は確かなものだと言えるだろう。
今すぐに信じることはできなくとも、ノートに書かれたことが近い未来で実際に起これば、夜蛾先生は私たちを信じざるおえなくなる。
そして夜蛾先生ならきっと、私たちの強い味方になってくれる。妙な確信が私にはあった。
原作の地獄のような展開を変えるためには、味方は最小限に、けれど確実に力のある者の協力が必要だった。
幸いにも、私は独りではない。
この世で最も頼りになる、最強の呪術師が自分の味方についてくれている。
そして教員側で唯一、信頼のおける夜蛾先生が味方になってくれたなら、きっとできることはもっと大きく広がるだろう。
夜蛾先生はノートを睨みつけたまま眉間にシワを寄せていた。
パラパラと一枚一枚ページをめくる度、その顔は険しくなっていった。
そして彼は最後まで読み終えると、ノートをそっと閉じて、ふぅっとそれは深い、深いため息を吐き出した。
その間、私はもちろん、悟くんでさえも空気を読んで誰一人として言葉を発することはなかった。
「……嘘にしては、あまりにも詳細が事細かに書かれているな。」
「そりゃそうでしょ。これから実際に起こることなんだから。いや、僕達からしたら、既に『起こった』ことなんだけどね。」
「……本当、なんだな?」
「はい。」
真剣な目で私を見つめてくる夜蛾先生に、私はまっすぐにその目を見据えて頷いた。
決してこれは、冗談でも、度の過ぎた悪戯でもない。
嘘や偽りがないそとを伝えるように、私はまっすぐに夜蛾先生の目を見つめ続けた。
やがて夜蛾先生は、今日何度目かになるか分からない深いため息をつくと、後ろ頭を掻いた。
焦る気持ちを表すかのように、少し乱暴に頭を掻き毟ると、夜蛾先生はバンっと膝を強く叩いた。
「――分かった。お前たちを信じよう。」
「ありがとうございます。」
「私は何をすればいい?」
「さっすが夜蛾先生、話わかるね!」
どうやら先生は、私たちの話を一応は信じて、力を貸してくれるらしい。
とりあえずは上手くいったことに、私はほっと安堵の息を吐き出すと同時に、胸を撫で下ろした。
それから話は早かった。夜蛾先生の推薦で甚爾さんを高専の臨時体術講師にとして雇ってもらった。
甚爾さんは最初こそ渋っていたが、私がていのいいバイトを紹介したら、渋々承諾してくれた。
彼の並外れた強さからは、絶対に学べることは多い。
それに折角味方についてもらえたのだから、術師殺しなどやめてもらって、近くにいてもらわなければ困るというものである。
悟くんだけは、甚爾さんが大っ嫌いなのか、めちゃくちゃ反対していた。
「こいつも同じ教員になるとかないわー!」とかなんとか最後まで文句を言っていたけれど、無視した。
*****
――それから二ヶ月が経った。
私たちは任務をこなしながら、着実に水面下で準備を進めていった。
甚爾さんの体術の指導のお陰で、私たち二年生は随分と強く成長できたと思う。
それでも一級の呪霊を倒せるようになるには、まだ届かない。
あの任務での死を避けるには、正直私たちはまだまだ力不足であった。
そして私は甚爾さんの協力を得て、少しずつ呪霊を倒すための毒の研究を進めていった。
私が作った毒を甚爾さんに実戦で使ってもらったり、呪霊を生け捕りにしてもらって、実験体を確保してもらったりしていた。
そのお陰もあってか、最近ではやっと、私の実力では倒すことのできなかった一級にすら効果のある毒の開発に一気に近づくことができた。
このまま研究が上手くいけば、一級の呪霊くらいならば倒せるほどの毒が完成しそうである。
毒が完成すれば、呪術師の死亡率をぐんと下げることができるだろう。
上手くいけば、悟くんの手を煩わせることなく、あの任務に挑むことができるかもしれない。
そして実験の成果や株でちゃくちゃくと増えていく資金を前に、私はそろそろあの計画を実行しようと考え始めていた。
「あー、疲れたぁ~」
「おかえりなさい。任務お疲れ様でした、悟くん。」
「しのぶ~!」
夜の8時過ぎ、一人寮の共同スペースで寛いでいたら、悟くんが任務から帰ってきたのが見えた。
くたくたに疲れた様子の彼に声をかけたら、彼は嬉しそうに顔をほころばせて私に抱きついてきた。
私よりもずっとずっと大きな体の彼に、小柄な私の体はすっぽりと収まってしまう。
絶妙な力加減で私をぎゅうぎゅうと抱き締めてくる彼の背中に、私も腕を回して抱き締め返すと、より一層腕の力が強くなった気がした。
「疲れたよぉ~!もう三日もしのぶの顔が見れなくてつらかったぁ~!」
「はいはい、よくがんばりましたね。」
「なんかしのぶ、三日ぶりの再会なのに冷たくない?」
「そんなことないですよ。」
「えー、ほんとぉ?」
悟くんは私の返答が気に入らなかったのか、不満そうに頬を膨らませる。
今の彼はあの原作の大人の姿のように、黒いアイマスクで目元を覆ってしまっているが、彼の目が何かを期待しているのだというのは、長年の付き合いからなんとなく察してしまった。
正直、とても面倒くさい。
けれどここで適当にあしらったりしたら、後々拗ねてもっと面倒くさいことになる。
それは困る。私は彼に気づかれないように、心の中でそっとため息をついた。
(仕方ないですね。)
私は覚悟を決めて、悟くんの頬に手を添えた。
悟くんが何かを察したようにしゃがみ込む。
私は彼の横に回り込むと、彼の頬に軽いキスを落とした。
「お疲れ様悟くん。悟くんに会えなくて、寂しかったです。」
「……うわーー、これ、結構くるね。」
「それは良かったです。」
ほんのりと頬を赤く染めた悟くんに、私は満足げに微笑んだ。
「今度は口にしてほしいな」とおどけてみせる悟くんに、私は「また今度ですよ」と笑って誤魔化した。
まあ、次も頑張ったらやってあげようかな。
なんて考えていたら、悟くんがニマニマと嬉しそうに口元をニヤつかせて、私の腰に手を回してきた。
後からぎゅっと抱きしめてくる悟くんの腕に、そっと手を添える。
嗚呼、私幸せだなぁ。
「悟くん。」
「なぁに?しのぶ。」
「私たち、婚約破棄しましょう。」
「………………はっ?」
悟くんの間抜けな声が、やけに静かな空間に響いた。