鬼滅の刃
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その日、善逸はとても気落ちしていた。
夜に単独での任務が入ってしまったからだ。
泣き虫で気弱な善逸が任務が嫌で落ち込むことはよくあった。
しかしここ最近は炭治郎や伊之助等と共に行動する任務が多かった為か、久しぶりの単独での任務に酷く怯えていた。
今度こそ俺、死ぬかもしれないと。
半泣きになりながら夜が来るのが怖いと落ち着かない気持ちをなんとか宥めようと蝶屋敷を散策していた。
普段あまり来ないような裏庭に足を運んだ時、そこには1本の大きな桜の木があった。
今は夏なので残念ながら桜は咲いていない。しかし、春になればそれは見事な美しい花を咲かせそうな立派な桜の木であった。
「こんな所にこんな立派な桜があったんだなぁ~……ん?」
ぼんやりとそんなことを呟いていると、耳に何かカサカサと音が聞こえてきた。
風に揺れる葉の音に混じって、明らかにそれとは違う、何かが擦れるような音が微かにするのだ。
耳が利く善逸は、その違和感のある音に気づいて耳を澄ませた。
すると桜の木の方から、カサカサと音がする。
なんだろうと思って善逸が近づいてみると、桜の木に小さな穴が空いていることに気づいた。
啄木鳥が穴でも開けたのだろうか。小鳥が一羽かろうじて通れそうな大きなの穴である。音はそこからしていた。
「何だこの音?小鳥がいる訳じゃないみたいだけど……」
気になった善逸が穴を覗いてみると、そこには何か紙切れのような物が入っていた。
なんでこんな所にそんな物が?と思いつつ善逸はそれを取ろうと穴に手を入れてみようとするが、穴が小さくて入らない。
仕方なく数本の指を中に入れてなんとか取ってみようとした。
(ぐぬぬ、もう少し……もうちょっと……)
めいいっぱい指を伸ばして、紙を掴む。
穴から引っ張り出したそれを見た善逸は、目を丸くした。
綺麗に折りたたまれた紙には、「我妻善逸様」と書かれていたからだ。
(えっ?俺の名前?)
善逸は何故自分の名前が書かれているのか気になって、紙を開いてみる。
そこには丁寧な美しい字でこう書かれていた。
――貴方が好きです。
たったその一言だけ書かれた手紙。けれど善逸はその文章に雷に打たれたような衝撃を受けた。
善逸は女の子が大好きである。行く先々で自分に優しくしてくれた女の子に求婚してはこっぴどく振られてきた。
付き合った女の子は数多けれど、どれも善逸に貢がせるだけ貢がせてポイ捨てされた悲しい過去しかない。
そんな善逸なので、人生で女の子から好意を持たれたことは無い。
もちろん告白だってない。だから恋文なんてものは今まで一通だって貰ったことがなかった。――今日までは。
生まれて初めて貰った恋文に、善逸は我が目を疑った。そしてカッと目を見開くと、血走った必死の形相で手紙を裏返した。
しかし、そこには善逸の名前が書かれているだけで、肝心の差出人の名前はなかった。
これでは誰が自分に向けて恋文を書いてくれたのか分からない。善逸は心の底から絶叫した。
「んぎゃぁぁぁぁぁぁーーーー!!!!書いてないじゃんかァァァーーーーーーー!!!!」
その悲しい絶叫は、蝶屋敷全体に響き渡るほど大きなものであった。
******
「――と、言う訳なんだ!!」
「……どういう訳なんだ?」
事の経緯を善逸から語り聞かされているのは、善逸の同期であり、最近よく共に行動するようになった炭治郎である。
善逸はこれまでの経緯を炭治郎に語り聞かせると、困った顔を浮かべる炭治郎に掴みかからん勢いで、まくし立てるように話し出す。
「だーかーらー!!この恋文の差出人を探したいんだって!!炭治郎の鼻なら探せるだろ!?探してくれよ!!俺の将来のお嫁さんになる子だよ!?可愛いよなぁ!!恥ずかしがって俺に直接渡せなくて、木の穴の中に恋文を入れちゃうなんて!!これは俺から見つけなくちゃダメだろ?ダメだよな!!この子もきっと俺を待ってる!!そうに決まってる!!あーー!!早く会いたいなぁ!!だから炭治郎協力してくれ!!頼む!!頼むよ!!お願いします!!」
「わ、わかった!!わかったから!!近い!!近いぞ善逸!!」
血走った目で、必死に炭治郎にお願いする姿はあまりにも全力で恐ろしく、唾を撒き散らしながら勢いよく話す善逸が炭治郎にどんどんその恐ろしい形相になった顔を近づけてくるので、炭治郎はたまったものではなかった。
善逸を宥めたい一心で協力を承諾した炭治郎。炭治郎の言葉に、善逸はすぐに行動するようと言わんばかりに立ち上がった。
「ありがとう炭治郎!!さすが炭治郎だ!!じゃあさっそく行くぞ!!」
「えっ!?今からか!?」
「当たり前だろう!!とりあえずこの手紙の匂いを嗅いでくれ!!」
あまりにも必死すぎる善逸に、優しい炭治郎もさすがにドン引きであった。
早く嗅げとばかりに手紙を鼻に押し付けてくる善逸に、炭治郎はちょっとだけ落ち着いて欲しいなと思いながらも言われるままに匂いを嗅いだ。
スンスンと鼻を嗅いでみる。手紙はまだ新しいようで、古い匂いはしない。
木の匂いと、女の人の香の匂い。何処かで嗅いだような匂いだ。何処で……
「――あっ!!行くぞ善逸!!」
「――へ?おわっ!!」
炭治郎は何かを思い出したようにハッとして声を上げると、慌てて善逸の手を掴んで走り出した。
突然走り出した炭治郎に、引っ張られるまま走り出す善逸。訳が分からなくて思わず「どうしたんだよ!?」と尋ねると、炭治郎は「俺はこの匂いの持ち主を知ってる!今ちょうどこの蝶屋敷に来てるんだ!」と走りながら答えた。
それには善逸も思わず「はあぁぁぁっ!!?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。
「えっ、それほんとか!?嘘じゃないよな!?」
「本当だ!すぐ近くだ!」
「やだぁ!!うそ!!心の準備が!!」
そう言いながらも善逸の足は止まらない。炭治郎に引っ張られているから止まるに止まれないのである。
炭治郎に連れて行かれた先に行くと、しのぶがいた。そしてその隣には見慣れぬ少女の姿が……
歳は善逸と同じ歳か少し歳上くらいだろうか、何やら親しげにしのぶと話している。
そんな二人の様子を炭治郎たちは少し離れた所から見つめながら炭治郎が口を開く。
「あの子だ善逸。文に残っていた匂いと同じ匂いがする。」
「えっ!?あの子!?」
炭治郎の一言に、善逸が食い入るように女の子を見つめる。
可愛らしい子だ。着ている着物は特別綺麗な物ではなく、平民が手を出せるような安物の着物。
特別美人という程でもないが、年相応らしい笑顔が女の子らしくて可愛い子だった。
(あの子が、俺に恋文を……ということは、俺が好きってことで……きゃーー!!!これは脈ありどころかいよいよ俺も結婚かな!!)
好みの可愛らしい女の子から文を貰えたと分かり、善逸のテンションが上がっていく。
我慢できずに善逸は飛び出した。後ろで炭治郎が呼び止めるかのように善逸の名を呼んだが、構わずに走り出す。
「こんにちはー!」と元気よく挨拶しながらしのぶたちの元へ駆け寄っていけば、女の子が驚いたように目を見開いたのが分かった。
「あら善逸くんに炭治郎くん。どうかしましたか?」
「あっ、実はその子に用があって……」
「えっ、私!?」
「この子にですか?」
「はい!あの!恋文書きましたか!?」
「あっ!!バカ炭治郎!!」
突然駆け寄ってきた善逸たちにしのぶは不思議そうに尋ねる。
すると善逸が女の子の方を見たので、彼女は驚いたように声を上げた。
明らかに緊張した様子の彼女に追い打ちをかけるように、炭治郎が単刀直入とばかりに馬鹿正直に質問をしたものだから、善逸は慌てた。
すると見る見るうちに女の子の顔が真っ赤になっていく。
善逸を見た瞬間から、彼女からは緊張の音がしていた。そしてドキドキと高鳴る恋の音も、確かに聴こえたのだ。
――この子だ。
善逸は恋文の差出人がこの女の子だと確信した。
こんな可愛い女の子が、俺に恋文をくれて、俺に好意を持ってくれている。
そう思ったら、気がついたら体が勝手に動いていた。
善逸は流れるような動作で女の子の手を取ると、キリッと顔を引き締めた。
本人曰く、精一杯のカッコイイと思う顔をしたのである。
「お嬢さん、俺と結婚してください!!」
思わずいつもの調子で女の子に求婚を迫る善逸に、炭治郎はドン引きした。
しのぶに至っては、顔は笑っているが、目が笑っていなかった。
静かに構えられた拳がとても怖かった。
そして求婚された女の子はポフンっと茹で蛸のように耳や握られた手まで真っ赤になると、プルプルと震え出した。
「き……」
「き?」
「きゃーーーっっ!!!」
「あっ!!ちょっと!!」
そして力の限り叫ぶと、善逸を思いっきり突き飛ばして女の子は走り去って行ってしまった。
耳の良すぎる善逸は、近くで大音量で叫ばれたせいか、耳を押えてよろめいた。
慌てて起き上がって女の子を呼び止めようとしが、いつの間にか女の子の姿はなくなっていたのであった。
「ふ……フラれた……」
「あらあら、駄目ですよ善逸くん。あの子には許嫁がいるんですから。」
「えっ!?」
「そうなんですか?」
ガックリと膝をついて落ち込む善逸に、しのぶはふわりと微笑んで窘めるように言った。
その一言に善逸はもちろん、炭治郎もきょとりと目を丸くした。
だって許嫁がいるなら、何故善逸に恋文など書いたのだろうか?
訳が分からないといった表情を浮かべる二人に何かを察したしのぶは、「何かあったんですか?」と優しく尋ねる。
そして二人は事の顛末をしのぶに話した。
話を聞いたしのぶは、成程と、何か納得したような顔で頷いた。
「そういう事でしたか。」
「しのぶさんは何か知ってるんですか?」
「何で許嫁がいるのに俺に恋文なんて……」
「……きっと、告げられない想いを形にして吐き出したかったのかもしれませんね。」
「え?」
「あの子の家は薬師の家系でして、この蝶屋敷によく薬を届けに来てくれているんです。許嫁の方は親同士で決められたようで、本人たちの合意によるものではないのですよ。」
「えっ、じゃあ……」
「きっと、本当に好きなのは善逸くんなのでしょうね。けれど許嫁を裏切ることはできませんから、きっと伝えるつもりのない想いを文という形で残しておきたかった。そしてそれをここの桜の木に隠したのでしょう。」
「……善逸に見つけてもらうために?」
「いいえ。」
しのぶは小さく首を横に振るうと、悲しげな顔で言った。
「きっと……誰にも見つけて欲しくなかったんだと思います。誰にも知られたくない想いだったから、隠したのでしょうし。」
「でも、俺が見つけてしまった……」
「そうですね。彼女のことは、そっとしておいてあげるべきだと思います。」
「でも……」
「炭治郎くん、善逸くん。それがきっと、彼女の望むことですよ?」
「……」
なんとも言えない、後味の悪さが胸に残る。
好きな相手がいるのに、伝えられない。好きな相手がいるのに、想っていない相手と添い遂げなければいけないのか。
彼女はそうしなければならないのだろう。けれど、善逸たちの胸には、納得できない想いも確かにあったのだ。
*********
「こんにちは。」
「……こんにちは。」
女の子は変わらずに蝶屋敷に薬を届けにやって来た。
しのぶさんにはそっとしておいてやれと忠告されたが、俺は彼女と話してみたかった。
何度も話しかけるうちに、最初は迷惑そうに困惑した表情を浮かべていた彼女も、一ヶ月経った今では少しずつ話してくれるようになった。
「今日も訓練お疲れ様です。」
「あっ、ありがとう!君もお仕事してて偉いね。」
「いえ、そんなことないです。」
たわいもない会話。けれどいつしか俺にとって、このほんの少しの時間が楽しみになりつつあった。
女の子と出会って一ヶ月。俺は彼女の名前を未だに知らない。
前に教えて欲しいと頼んだが、「あまり深く知り合いになりたくない」とはっきりと断られてしまった。
それでも、彼女からは俺に対してずっと恋の音が聴こえてくる。
ドクンドクンと緊張した音と共に、甘く切ない音がするのだ。
俺に向けられている彼女の好意の音を聴くのが、堪らなく愛おしくて、幸せだった。
それが許されないことだと、頭では分かっていても……
――ある日を境に、彼女の姿を全く見かけなくなった。
来る日も来る日も、待てども、善逸の前に彼女は現れない。
心配なった善逸がしのぶに尋ねると、しのぶの口から思いがけないことを告げられた。
「結婚されたんです。」
「――え?」
そう、どこか申し訳なさそうにしのぶさんから告げられた。
結婚。頭に浮かんだその二文字が、どういう意味か分からなくて、すぐに理解できなかった。
いや、理解したくなくて、考えたくなかったんだ。
俺はもう、きっと彼女を好きになっていたから。
認めたくなかったのだろう。
余程ショックを受けたような顔をしているのか、しのぶさんが心配そうに俺を見ている。
「大丈夫ですか?」と気遣ってくれるしのぶさんに、俺は覇気のない声で返事をすることしかできなかった。
それから二ヶ月が経った。
俺は相変わらずな日々を送っている。毎日鍛錬を行って、任務に出て、鬼を狩る。
最初の一ヶ月くらいは中々立ち直れなくて、訓練もサボっていた。食事を取る気にもなれなくて、炭治郎たちに酷く心配をかけてしまった。
眠れない夜を過ごして、でも二ヶ月経ってやっと、少しだけ……ほんの少しだけ前向きになろうと思えるようになってきた。
あの子には元々許嫁がいたのだから、仕方ないのだと。元々実ならない恋だったのだからと。
何度も自分に言い聞かせて諦めようとした。
――でも、できなかったのだ。
俺はまだ……あの子のことが諦められてない。未だに好きなのである。
女々しいと言われようが、それが全てだった。
「……はあ。」
今頃、あの子は夫と幸せにやれているのだろうか?
俺以外の……男と。
ぐっと込み上げてくる嫉妬という名の醜い感情を押し殺すように、ギリッと歯を噛み締める。
悔しくて、悲しくて、堪らずにじわりと目に涙が浮かぶ。
その時、ふと音を聞いた。
ずっとずっと、聴きたくて堪らなかった、あの音を。あの子の……音を。
そんな筈がない。ここに彼女がいる筈は……
そう思いつつも、気づけば俺は走り出していた。
慌てるあまり足がもたついて、中々走れない。早く早く、早く会いたいのに!!
気持ちのままに駆け出していた。角を曲がって玄関まで走る。
すると、そこにはあの子がいた。
変わらぬ可愛らしい姿で。そこに立っていた。
「……こんばんは。」
「……どうして……」
会いたかった。でもどうして。言いたいことは沢山ある。訊きたいことも沢山ある。
でも何よりも、彼女からは変わらずに聴こえてくるその恋の音に、俺は堪らなく嬉しくなってしまったのだ。
今すぐに抱き締めてしまいたい。そんな衝動に駆られる。
だけど駄目だ。彼女はもう他の男のものなんだから。
ぐっと伸ばしかけた手を引っ込めるように拳を握り締める。
俺は作り笑いを浮かべると、にっこりと彼女に笑いかけた。
「……結婚、したんだってね。おめでとう。」
俺がそう言うと、何故か彼女は不満そうに顔を歪めた。ぎゅっと眉間のしわを寄せて、鋭い目で善逸を睨みつけたのである。
どうしそんな顔をするのか分からなくて、善逸は戸惑った。
「……善逸さん、私に求婚してくださいましたよね?」
「――え?……うん。」
「だったら、責任とってください。」
「何で?だって君は……」と茫然と呟く善逸に、彼女ははっきりと言った。
「結婚は破談になりました。」
「――ええっ!!?どど、どういうこと!?」
「私……親に勘当されました。」
「ええっ!!?」
「結婚式から逃げ出したんです。」
「ど、どど、どうしてそんなこと……」
「やめたんです。」
「何を?」と混乱する善逸が尋ねる前に、彼女はにっこりと可愛らしく笑った。
「自分の気持ちに嘘をつくのをやめたんです。私はやっぱり、善逸さんが好きですから。」
「あ……っ」
どこか晴れ晴れとした笑顔でそう告げる彼女に、言葉を失う。
親に勘当されたというのに、まるで後悔してないと言いたげに彼女は笑っていた。
つまり、今の彼女には何も縛り付けるものはない。善逸も自分の気持ちを我慢しなくていい。そう理解すると、ゴクリと喉が鳴った。
「私……もう行く所がないんです。だから善逸さん。私をお嫁さんに貰ってくれませんか?」
「喜んで!!」
善逸は歓喜のあまり涙を流しながら女の子に抱きついた。
彼女も嬉しそうに善逸の背中に手を回して受け入れてくれた。
そしてはたと思い出す。
「――あっ。そう言えばまだ君の名前知らなかった。教えてくれる?」
「もちろんです。私の名前は……」
とびっきりの笑顔を浮かべて、彼女は名を告げる。それはまるで、花ように可憐で、とても素敵な名だった。
夜に単独での任務が入ってしまったからだ。
泣き虫で気弱な善逸が任務が嫌で落ち込むことはよくあった。
しかしここ最近は炭治郎や伊之助等と共に行動する任務が多かった為か、久しぶりの単独での任務に酷く怯えていた。
今度こそ俺、死ぬかもしれないと。
半泣きになりながら夜が来るのが怖いと落ち着かない気持ちをなんとか宥めようと蝶屋敷を散策していた。
普段あまり来ないような裏庭に足を運んだ時、そこには1本の大きな桜の木があった。
今は夏なので残念ながら桜は咲いていない。しかし、春になればそれは見事な美しい花を咲かせそうな立派な桜の木であった。
「こんな所にこんな立派な桜があったんだなぁ~……ん?」
ぼんやりとそんなことを呟いていると、耳に何かカサカサと音が聞こえてきた。
風に揺れる葉の音に混じって、明らかにそれとは違う、何かが擦れるような音が微かにするのだ。
耳が利く善逸は、その違和感のある音に気づいて耳を澄ませた。
すると桜の木の方から、カサカサと音がする。
なんだろうと思って善逸が近づいてみると、桜の木に小さな穴が空いていることに気づいた。
啄木鳥が穴でも開けたのだろうか。小鳥が一羽かろうじて通れそうな大きなの穴である。音はそこからしていた。
「何だこの音?小鳥がいる訳じゃないみたいだけど……」
気になった善逸が穴を覗いてみると、そこには何か紙切れのような物が入っていた。
なんでこんな所にそんな物が?と思いつつ善逸はそれを取ろうと穴に手を入れてみようとするが、穴が小さくて入らない。
仕方なく数本の指を中に入れてなんとか取ってみようとした。
(ぐぬぬ、もう少し……もうちょっと……)
めいいっぱい指を伸ばして、紙を掴む。
穴から引っ張り出したそれを見た善逸は、目を丸くした。
綺麗に折りたたまれた紙には、「我妻善逸様」と書かれていたからだ。
(えっ?俺の名前?)
善逸は何故自分の名前が書かれているのか気になって、紙を開いてみる。
そこには丁寧な美しい字でこう書かれていた。
――貴方が好きです。
たったその一言だけ書かれた手紙。けれど善逸はその文章に雷に打たれたような衝撃を受けた。
善逸は女の子が大好きである。行く先々で自分に優しくしてくれた女の子に求婚してはこっぴどく振られてきた。
付き合った女の子は数多けれど、どれも善逸に貢がせるだけ貢がせてポイ捨てされた悲しい過去しかない。
そんな善逸なので、人生で女の子から好意を持たれたことは無い。
もちろん告白だってない。だから恋文なんてものは今まで一通だって貰ったことがなかった。――今日までは。
生まれて初めて貰った恋文に、善逸は我が目を疑った。そしてカッと目を見開くと、血走った必死の形相で手紙を裏返した。
しかし、そこには善逸の名前が書かれているだけで、肝心の差出人の名前はなかった。
これでは誰が自分に向けて恋文を書いてくれたのか分からない。善逸は心の底から絶叫した。
「んぎゃぁぁぁぁぁぁーーーー!!!!書いてないじゃんかァァァーーーーーーー!!!!」
その悲しい絶叫は、蝶屋敷全体に響き渡るほど大きなものであった。
******
「――と、言う訳なんだ!!」
「……どういう訳なんだ?」
事の経緯を善逸から語り聞かされているのは、善逸の同期であり、最近よく共に行動するようになった炭治郎である。
善逸はこれまでの経緯を炭治郎に語り聞かせると、困った顔を浮かべる炭治郎に掴みかからん勢いで、まくし立てるように話し出す。
「だーかーらー!!この恋文の差出人を探したいんだって!!炭治郎の鼻なら探せるだろ!?探してくれよ!!俺の将来のお嫁さんになる子だよ!?可愛いよなぁ!!恥ずかしがって俺に直接渡せなくて、木の穴の中に恋文を入れちゃうなんて!!これは俺から見つけなくちゃダメだろ?ダメだよな!!この子もきっと俺を待ってる!!そうに決まってる!!あーー!!早く会いたいなぁ!!だから炭治郎協力してくれ!!頼む!!頼むよ!!お願いします!!」
「わ、わかった!!わかったから!!近い!!近いぞ善逸!!」
血走った目で、必死に炭治郎にお願いする姿はあまりにも全力で恐ろしく、唾を撒き散らしながら勢いよく話す善逸が炭治郎にどんどんその恐ろしい形相になった顔を近づけてくるので、炭治郎はたまったものではなかった。
善逸を宥めたい一心で協力を承諾した炭治郎。炭治郎の言葉に、善逸はすぐに行動するようと言わんばかりに立ち上がった。
「ありがとう炭治郎!!さすが炭治郎だ!!じゃあさっそく行くぞ!!」
「えっ!?今からか!?」
「当たり前だろう!!とりあえずこの手紙の匂いを嗅いでくれ!!」
あまりにも必死すぎる善逸に、優しい炭治郎もさすがにドン引きであった。
早く嗅げとばかりに手紙を鼻に押し付けてくる善逸に、炭治郎はちょっとだけ落ち着いて欲しいなと思いながらも言われるままに匂いを嗅いだ。
スンスンと鼻を嗅いでみる。手紙はまだ新しいようで、古い匂いはしない。
木の匂いと、女の人の香の匂い。何処かで嗅いだような匂いだ。何処で……
「――あっ!!行くぞ善逸!!」
「――へ?おわっ!!」
炭治郎は何かを思い出したようにハッとして声を上げると、慌てて善逸の手を掴んで走り出した。
突然走り出した炭治郎に、引っ張られるまま走り出す善逸。訳が分からなくて思わず「どうしたんだよ!?」と尋ねると、炭治郎は「俺はこの匂いの持ち主を知ってる!今ちょうどこの蝶屋敷に来てるんだ!」と走りながら答えた。
それには善逸も思わず「はあぁぁぁっ!!?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。
「えっ、それほんとか!?嘘じゃないよな!?」
「本当だ!すぐ近くだ!」
「やだぁ!!うそ!!心の準備が!!」
そう言いながらも善逸の足は止まらない。炭治郎に引っ張られているから止まるに止まれないのである。
炭治郎に連れて行かれた先に行くと、しのぶがいた。そしてその隣には見慣れぬ少女の姿が……
歳は善逸と同じ歳か少し歳上くらいだろうか、何やら親しげにしのぶと話している。
そんな二人の様子を炭治郎たちは少し離れた所から見つめながら炭治郎が口を開く。
「あの子だ善逸。文に残っていた匂いと同じ匂いがする。」
「えっ!?あの子!?」
炭治郎の一言に、善逸が食い入るように女の子を見つめる。
可愛らしい子だ。着ている着物は特別綺麗な物ではなく、平民が手を出せるような安物の着物。
特別美人という程でもないが、年相応らしい笑顔が女の子らしくて可愛い子だった。
(あの子が、俺に恋文を……ということは、俺が好きってことで……きゃーー!!!これは脈ありどころかいよいよ俺も結婚かな!!)
好みの可愛らしい女の子から文を貰えたと分かり、善逸のテンションが上がっていく。
我慢できずに善逸は飛び出した。後ろで炭治郎が呼び止めるかのように善逸の名を呼んだが、構わずに走り出す。
「こんにちはー!」と元気よく挨拶しながらしのぶたちの元へ駆け寄っていけば、女の子が驚いたように目を見開いたのが分かった。
「あら善逸くんに炭治郎くん。どうかしましたか?」
「あっ、実はその子に用があって……」
「えっ、私!?」
「この子にですか?」
「はい!あの!恋文書きましたか!?」
「あっ!!バカ炭治郎!!」
突然駆け寄ってきた善逸たちにしのぶは不思議そうに尋ねる。
すると善逸が女の子の方を見たので、彼女は驚いたように声を上げた。
明らかに緊張した様子の彼女に追い打ちをかけるように、炭治郎が単刀直入とばかりに馬鹿正直に質問をしたものだから、善逸は慌てた。
すると見る見るうちに女の子の顔が真っ赤になっていく。
善逸を見た瞬間から、彼女からは緊張の音がしていた。そしてドキドキと高鳴る恋の音も、確かに聴こえたのだ。
――この子だ。
善逸は恋文の差出人がこの女の子だと確信した。
こんな可愛い女の子が、俺に恋文をくれて、俺に好意を持ってくれている。
そう思ったら、気がついたら体が勝手に動いていた。
善逸は流れるような動作で女の子の手を取ると、キリッと顔を引き締めた。
本人曰く、精一杯のカッコイイと思う顔をしたのである。
「お嬢さん、俺と結婚してください!!」
思わずいつもの調子で女の子に求婚を迫る善逸に、炭治郎はドン引きした。
しのぶに至っては、顔は笑っているが、目が笑っていなかった。
静かに構えられた拳がとても怖かった。
そして求婚された女の子はポフンっと茹で蛸のように耳や握られた手まで真っ赤になると、プルプルと震え出した。
「き……」
「き?」
「きゃーーーっっ!!!」
「あっ!!ちょっと!!」
そして力の限り叫ぶと、善逸を思いっきり突き飛ばして女の子は走り去って行ってしまった。
耳の良すぎる善逸は、近くで大音量で叫ばれたせいか、耳を押えてよろめいた。
慌てて起き上がって女の子を呼び止めようとしが、いつの間にか女の子の姿はなくなっていたのであった。
「ふ……フラれた……」
「あらあら、駄目ですよ善逸くん。あの子には許嫁がいるんですから。」
「えっ!?」
「そうなんですか?」
ガックリと膝をついて落ち込む善逸に、しのぶはふわりと微笑んで窘めるように言った。
その一言に善逸はもちろん、炭治郎もきょとりと目を丸くした。
だって許嫁がいるなら、何故善逸に恋文など書いたのだろうか?
訳が分からないといった表情を浮かべる二人に何かを察したしのぶは、「何かあったんですか?」と優しく尋ねる。
そして二人は事の顛末をしのぶに話した。
話を聞いたしのぶは、成程と、何か納得したような顔で頷いた。
「そういう事でしたか。」
「しのぶさんは何か知ってるんですか?」
「何で許嫁がいるのに俺に恋文なんて……」
「……きっと、告げられない想いを形にして吐き出したかったのかもしれませんね。」
「え?」
「あの子の家は薬師の家系でして、この蝶屋敷によく薬を届けに来てくれているんです。許嫁の方は親同士で決められたようで、本人たちの合意によるものではないのですよ。」
「えっ、じゃあ……」
「きっと、本当に好きなのは善逸くんなのでしょうね。けれど許嫁を裏切ることはできませんから、きっと伝えるつもりのない想いを文という形で残しておきたかった。そしてそれをここの桜の木に隠したのでしょう。」
「……善逸に見つけてもらうために?」
「いいえ。」
しのぶは小さく首を横に振るうと、悲しげな顔で言った。
「きっと……誰にも見つけて欲しくなかったんだと思います。誰にも知られたくない想いだったから、隠したのでしょうし。」
「でも、俺が見つけてしまった……」
「そうですね。彼女のことは、そっとしておいてあげるべきだと思います。」
「でも……」
「炭治郎くん、善逸くん。それがきっと、彼女の望むことですよ?」
「……」
なんとも言えない、後味の悪さが胸に残る。
好きな相手がいるのに、伝えられない。好きな相手がいるのに、想っていない相手と添い遂げなければいけないのか。
彼女はそうしなければならないのだろう。けれど、善逸たちの胸には、納得できない想いも確かにあったのだ。
*********
「こんにちは。」
「……こんにちは。」
女の子は変わらずに蝶屋敷に薬を届けにやって来た。
しのぶさんにはそっとしておいてやれと忠告されたが、俺は彼女と話してみたかった。
何度も話しかけるうちに、最初は迷惑そうに困惑した表情を浮かべていた彼女も、一ヶ月経った今では少しずつ話してくれるようになった。
「今日も訓練お疲れ様です。」
「あっ、ありがとう!君もお仕事してて偉いね。」
「いえ、そんなことないです。」
たわいもない会話。けれどいつしか俺にとって、このほんの少しの時間が楽しみになりつつあった。
女の子と出会って一ヶ月。俺は彼女の名前を未だに知らない。
前に教えて欲しいと頼んだが、「あまり深く知り合いになりたくない」とはっきりと断られてしまった。
それでも、彼女からは俺に対してずっと恋の音が聴こえてくる。
ドクンドクンと緊張した音と共に、甘く切ない音がするのだ。
俺に向けられている彼女の好意の音を聴くのが、堪らなく愛おしくて、幸せだった。
それが許されないことだと、頭では分かっていても……
――ある日を境に、彼女の姿を全く見かけなくなった。
来る日も来る日も、待てども、善逸の前に彼女は現れない。
心配なった善逸がしのぶに尋ねると、しのぶの口から思いがけないことを告げられた。
「結婚されたんです。」
「――え?」
そう、どこか申し訳なさそうにしのぶさんから告げられた。
結婚。頭に浮かんだその二文字が、どういう意味か分からなくて、すぐに理解できなかった。
いや、理解したくなくて、考えたくなかったんだ。
俺はもう、きっと彼女を好きになっていたから。
認めたくなかったのだろう。
余程ショックを受けたような顔をしているのか、しのぶさんが心配そうに俺を見ている。
「大丈夫ですか?」と気遣ってくれるしのぶさんに、俺は覇気のない声で返事をすることしかできなかった。
それから二ヶ月が経った。
俺は相変わらずな日々を送っている。毎日鍛錬を行って、任務に出て、鬼を狩る。
最初の一ヶ月くらいは中々立ち直れなくて、訓練もサボっていた。食事を取る気にもなれなくて、炭治郎たちに酷く心配をかけてしまった。
眠れない夜を過ごして、でも二ヶ月経ってやっと、少しだけ……ほんの少しだけ前向きになろうと思えるようになってきた。
あの子には元々許嫁がいたのだから、仕方ないのだと。元々実ならない恋だったのだからと。
何度も自分に言い聞かせて諦めようとした。
――でも、できなかったのだ。
俺はまだ……あの子のことが諦められてない。未だに好きなのである。
女々しいと言われようが、それが全てだった。
「……はあ。」
今頃、あの子は夫と幸せにやれているのだろうか?
俺以外の……男と。
ぐっと込み上げてくる嫉妬という名の醜い感情を押し殺すように、ギリッと歯を噛み締める。
悔しくて、悲しくて、堪らずにじわりと目に涙が浮かぶ。
その時、ふと音を聞いた。
ずっとずっと、聴きたくて堪らなかった、あの音を。あの子の……音を。
そんな筈がない。ここに彼女がいる筈は……
そう思いつつも、気づけば俺は走り出していた。
慌てるあまり足がもたついて、中々走れない。早く早く、早く会いたいのに!!
気持ちのままに駆け出していた。角を曲がって玄関まで走る。
すると、そこにはあの子がいた。
変わらぬ可愛らしい姿で。そこに立っていた。
「……こんばんは。」
「……どうして……」
会いたかった。でもどうして。言いたいことは沢山ある。訊きたいことも沢山ある。
でも何よりも、彼女からは変わらずに聴こえてくるその恋の音に、俺は堪らなく嬉しくなってしまったのだ。
今すぐに抱き締めてしまいたい。そんな衝動に駆られる。
だけど駄目だ。彼女はもう他の男のものなんだから。
ぐっと伸ばしかけた手を引っ込めるように拳を握り締める。
俺は作り笑いを浮かべると、にっこりと彼女に笑いかけた。
「……結婚、したんだってね。おめでとう。」
俺がそう言うと、何故か彼女は不満そうに顔を歪めた。ぎゅっと眉間のしわを寄せて、鋭い目で善逸を睨みつけたのである。
どうしそんな顔をするのか分からなくて、善逸は戸惑った。
「……善逸さん、私に求婚してくださいましたよね?」
「――え?……うん。」
「だったら、責任とってください。」
「何で?だって君は……」と茫然と呟く善逸に、彼女ははっきりと言った。
「結婚は破談になりました。」
「――ええっ!!?どど、どういうこと!?」
「私……親に勘当されました。」
「ええっ!!?」
「結婚式から逃げ出したんです。」
「ど、どど、どうしてそんなこと……」
「やめたんです。」
「何を?」と混乱する善逸が尋ねる前に、彼女はにっこりと可愛らしく笑った。
「自分の気持ちに嘘をつくのをやめたんです。私はやっぱり、善逸さんが好きですから。」
「あ……っ」
どこか晴れ晴れとした笑顔でそう告げる彼女に、言葉を失う。
親に勘当されたというのに、まるで後悔してないと言いたげに彼女は笑っていた。
つまり、今の彼女には何も縛り付けるものはない。善逸も自分の気持ちを我慢しなくていい。そう理解すると、ゴクリと喉が鳴った。
「私……もう行く所がないんです。だから善逸さん。私をお嫁さんに貰ってくれませんか?」
「喜んで!!」
善逸は歓喜のあまり涙を流しながら女の子に抱きついた。
彼女も嬉しそうに善逸の背中に手を回して受け入れてくれた。
そしてはたと思い出す。
「――あっ。そう言えばまだ君の名前知らなかった。教えてくれる?」
「もちろんです。私の名前は……」
とびっきりの笑顔を浮かべて、彼女は名を告げる。それはまるで、花ように可憐で、とても素敵な名だった。