夢短編
十座さんが大学で女の人と仲良さそうに歩いていたらしい。
太一さんがそう言いながら談話室をわんわんと駆け回っている。
俺は談話室に入る扉を開けたまま固まっていた。そして、俺と十座さんの関係を知っている九門と莇もこっちを見て固まっていた。まるで『しまった』と言っているような顔で。
「ち、ちづる」
「ちづるさん、違うって」
そう慌てて訂正する2人だが、今からバイトに向かう俺には訂正されるような時間は残されていない。
「悪い、俺バイトだから出ないと。あと悪いけど左京さんに門限超えるって伝えておいて」
2人の静止を振り払い、冬の冷気が入り込んでくる玄関を開ける。
談話室からは、十座さんも隅に置けないな〜と言う太一さんと団員の楽しそうな声が聞こえていた。
満開寮における高校生の門限は、アルバイトの日に限り22時。普段はもっと早い時間が門限になっている。
最近は暗くなるのも早いし、左京さんが口うるさく門限について教えてくれた。
学生ばかりのカフェで働いている俺は、卒業シーズンともあって人員不足となってしまったシフトをだいぶ担っている。
今日の門限がすぎる理由もそこにあった。最近は特に溜まってる課題もないし、運よく公演期間中でもない。その分お金が入るなら問題はない。
実は最近十座さんもバイトや客演、大学の課題で忙しいらしくすれ違う日々が続いている。
普段であれば、遅くなる日には十座さんに時間を伝えてバイクで迎えにきてもらうと言う約束があるが、疲れている人をこき使うほど鬼じゃない。…今は別の理由もあるけど。
さっき談話室に十座さんがいなかったのもそれが理由だ。
あそこに十座さんがいたら大きな声で否定してくれただろうか。そもそも大学構内で女性と歩いていたからといってそう言う考えに至る太一さんにも問題がある。仮にも俺と付き合っているわけだから、そんなことはないと、……思う。決して。まあ、言ってないんだけど…
…その女の人は可愛らしい人だったんだろうか
十座さんが浮気なんて器用なこと出来るわけないし、そもそも隠し事をすることが下手なんだから俺に秘密を作ることが解釈違いである。
…その隣にいた人は十座さんにどんな目を向けていたんだろうか
俺が買ったモンブランを食べてしまった時、口に粉糖をつけながら目を泳がせる十座さんが面白かった。
仲良さそうにってどのくらいだったのだろうか、距離は近かったんだろうか、十座さんは、お菓子に向けるみたいな顔で笑っていたのだろうか。
忘れようとバイトに奮闘するが、ふと頭をよぎるのは談話室で聞こえてきた女性の話。なんでもない風を装っていたが、心にしっかりダメージを受けていたらしい。
十座さんを信頼していないわけじゃない。あんなに誠実な人は他にいないくらいには信用している。でも、もしお菓子に釣られて本人も知り得ないところでデートになっていたら?噂が噂を呼んで、その女性と付き合っているといことになっていたら?
考えたくもない言葉が頭の中をぐるぐると埋め尽くしていく。
もし万が一、やっぱり男じゃなくて女の人がいい、って言ったら?
……辞めよう。大丈夫。十座さんに限ってそんなことは無い。断じて。
流石の十座さんもお菓子に釣られる子供みたいな真似はしない…しないよな?相手が臣さんだったらわからないが、臣さんでは無いのが救いだと思いたい。
働いている時間の記憶がすっぽりとなくなっているが、いつの間にか時計は23時過ぎを指していた。
普段の十座さんなら23時には眠くなってうとうとし始めるので、既に夢の中にいる可能性が高い。今から寮に帰っても会うことはない。
寒さのせいかツキリと痛む胸をモコモコのアウターで隠し、店を出た。
耳を疑った。
「ちづる」
一番聞きたく無いのに、一番聞きたかった声の持ち主がそこにいた。
終わりの時間は伝えていない。一体いつから待っていたのだろうか、両手をポケットに突っ込み。マフラーに真っ赤な顔を埋め、寒そうに体を震わせながらバイクに体を預けている十座さんがそこにいた。
「遅え。連絡しろって約束だろ」
「なんで」
「九門と莇に聞いた。門限すぎる時は連絡しろ」
俺の知ってる、いつもの優しい十座さんだった。
ずかずか歩いてきて冷え切った大きな手で乱暴に頭を混ぜる。
「冷たっ、いつからいたんだよ!」
「23時」
「絶対嘘だろ馬鹿!風邪引いたらどうするんだよ!」
「馬鹿はねえだろ、迎えに来てんだから」
「言ってないんだから来るなよ!」
「あ?こんな時間に1人で帰る方が危ねえだろ」
「こちとら男だぞ!危ねえわけ無いだろ!」
「男でもだ。付き合ってんだろ、心配くらいさせろ」
「!」
「それともなんだ、嫌になったか」
「な、ならない」
なるわけない。
十座さんは俺の言葉を聞くと、安心したような柔らかい顔でまた俺の頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。
「それやめろよ…」
「嬉しいんじゃないのか」
「調子に乗るな」
「耳真っ赤だぞ」
「さ、寒いから!寒いからだから!」
「じゃあ早く帰るぞ、ほら」
「うわ」
俺にヘルメットを投げ渡してくる。
この間2人で出かけた時にくれた、俺専用のヘルメット。
それももう凍るんじゃ無いかってぐらい冷たくて、多分この人は1時間も前からここにいたんじゃないかと思う。
「十座さん」
「どうした?」
「…ありがとう」
鏡はないけどわかる。今の俺は顔が赤い。冬場の寒さなんて忘れたのかってくらい暑い。
十座さんの顔が恥ずかしくて見れなくて。ずっと下を向いていた。
急に俺の頬に添えられた十座さんの手は、さっきと違って熱くて。
「おう」
おでこがあたってコツンと音がする。
ゼロ距離で見る十座さんの顔はやっぱり嬉しそうで。
俺は思わず泣きそうになった。
終