一章
泥棒騒動の調査をしてから二日ほどは、事件についての進展は見られなかった。朝夕の巡回が功を奏したのか、はたまた犯人ももうこれ以上盗む必要はないと判断したのかは、残念ながら不明だ。あるいは、ステファニー自身が、無理に咎める必要はないからと、目を瞑ってくれているのかもしれない。
むしろ、異変というならば、毎日昼過ぎから行なっている学校の方で起きていた。
「今日も、コレットは休みだったね」
その日の授業を終えて、子供たちを送り出した後、浮かない顔をしたヘイノにヨニが話しかける。
ヘイノがこの町に来てからまだ一週間程度ではあるが、今まで無遅刻無欠席を貫いていた彼女が、週が明けてから急に来なくなったのだ。
「前にも、似たようなことはあったんですか」
「ううん。コレットは、ちゃんと毎日来てたと思う。大人しい子だったから、きちんと確認できていたとは言えないけれど……」
ヨニの発言に、ますますヘイノは厳しい表情になる。彼女は物静かではあったが、学習への意欲は高かった。一方で、他の子供たちより年長ではあったが、学習要綱自体はやや低めに設定されたものに取り組んでいた。どうやら、ここに来るまで学校らしい学校には行けてなかったのだろう。だからこそか、彼女は真剣にヘイノやヨニが与えた課題に取り組んでいた。
その彼女が、突然の欠席である。もとより教会が開く学校自体は授業のために金銭を求めていないので、突然休んでも、そのまま音沙汰がなくても、制度としては問題ない。ゆえに、親の繁忙期には手伝うために長期間休む生徒もいるらしい。
「でも、冬はまだそこまで仕事としては忙しくはないと思うんです。それに、コレットを引き取った人が荷運びの仕事をしているなら、コレットに手伝わせるとは思えませんし……」
「あのさ。もしかして、様子を見に行こうとか思ってる?」
ヨニの質問に、ヘイノはゆっくりと頷いてみせた。ヨニが何か言いたげにこちらを見ているのに気がつき、ヘイノは慎重に言葉を選び、告げる。
「俺が、やりたいと思ったんです。司祭だから、とか、聖典に書かれてるから、とかじゃなくて。……あの子が寒そうにしなくて済むように、何かしてあげたいと、俺が思ったんです」
ヘイノなりに出した結論に、ヨニはただヘイノを見つめ返すだけだった。痛いほどの沈黙は、唐突にヨニのため息によって打ち破られる。
「……それなら、俺は止められないかな」
「……………すみません」
「何で謝るのさ。別に、ヘイノは悪いことをしようとしているわけじゃないんだから。じゃあ、ステファニーさんの家に行くのは、俺の方でやっておくよ」
ひらりと手を振るヨニの姿は、間違えようもなく、こちらの背を押してくれていた。
「ありがとう、ヨニ。ちょっと行ってきます」
掃除のために持ち出していた箒を片付け、ヘイノは礼拝堂の扉を開き、その向こうへと消えていってしまった。
残されたヨニは、腰に手を当て、いかにも苦労人然とした様子で吐息をついてみせた。
「――君は、そういう選択をするんだね」
***
教会を飛び出したヘイノは、しかしすぐに一度足を止めた。彼は、コレットの家を知らなかったからだ。ヨニも彼女がどこの誰かを知らなかったところから察するに、どの家に住んでいるかも知らないだろう。
だが、彼女の保護者の仕事ならわかっている。ヘイノは考え方を変えて、まず、川に程近い場所にある、町の出入り口にあたる門の方へと向かった。列車が普及し始めた今となっても、この町まではまだ線路が伸びていない。荷運びの多くは馬車か川を使った輸送に頼っているため、荷運びの仕事をしているなら、この付近で働く人に顔くらいは知られているだろうと思ったのだ。
予想通り、程なくして、ヘイノは門のあたりで荷馬車に積荷を載せている人間から「ゲイリーの家なら知ってるよ」という回答を引き出した。
「あいつの家なら、ほら、あっちの道をまっすぐ行って、端っこの一つ手前の家でさぁ。垣根がボロボロだからすぐわかりますよ」
「ありがとうございます、助かります」
「しかしまた、何で司祭様がゲイリーの家なんか気にするんです?」
ヘイノが質問をした荷運びの男は、不思議そうに首を傾げる。
「……彼、というより、彼が引き取った子供が教会に顔を出さないので、何かあったのかと思ったもので」
「ああ……そういえば、ちびっ子を一人引き取ったとか言ってたっけなあ……。こう言っちゃなんですが、あいつは昔から家の仕事も放り出して遊び回ってた奴でしてね。おおかた、子供を引き取ったっていうのも、家の面倒ごとを押し付けるためでしょう」
やれやれ、と肩をすくめる姿には、少なからずこの男とコレットの保護者にはつながりがある様子が見てとれた。
「彼は、最近こちらに顔を出しているんですか?」
「ああ……まあ、昔から来たり来なかったりですよ。あまりにいい加減なもので、あちこちでクビになってるんです。親御さんの残した財産も、いつまでもつのやら」
そこまで話した時、二人の元に慌てた様子で一人の男が走り寄ってきた。彼も荷運びの仕事をしているのか、使い込まれた作業着を着ていた。
「おーい、ちょっといいか! そっちに余分な木箱、着ていないか? ショーロン酒造のやつなんだが」
「来てないぞ。何だ、数が足りないのか?」
「そうなんだよ。端数のやつを入れた小さい箱が見つかんなくってよ。あれには、新商品のパイン酒を入ってたはずだから、外に漏れたら困るって旦那がもうカンカンでさぁ」
「そりゃまずいな。……ああ、司祭様、すみません。ちょっと急ぎの用が入っちまったんで、これくらいでいいですかね」
「ええ、ありがとうございます。あなたに女神の祝福がありますように」
ヘイノは軽く頭を下げて、小さく祈りを捧げてから、その場を後にしたのだった。
***
荷運び人が教えてくれた家は、彼が話した通りすぐにわかった。農地に向かうほど、商業区に比べると家は小さくなるが、その中でもとりわけ小さく、荒廃が進んでいたからだ。家だと言われてなければ、廃墟ではないかと思っていたことだろう。
中途半端に開いた門を開き、ペンキが剥げて木目が露出している玄関の扉をノックする。しかし、返事はない。
「すみません、こちらはゲイリーさんのお宅ですか」
もう一度ノックをする。相変わらず返事はない。だが、微かに荒々しい足音が聞こえる。
更にノックをしようと、ヘイノが扉に触れようとした時、不意に内側から扉が開いた。
「さっきからゴンゴンゴンゴンとうるせぇったらねえ!! 何なんだ、テメェはよぉ!!」
顔を出したのは、無精髭を生やした男性だった。身の丈はヘイノよりは高く、荷運びでいくらか鍛えられた筋肉が汚れたシャツからも見て取れる。だが、整えれば鮮やかな赤毛になっただろう髪も、小さな灰色の瞳も、残念ながら今はどちらも澱んで見えた。
「すみません。こちらのお宅にコレットというお嬢さんがいませんか。彼女が教会の学校に来ていないので、病気か怪我でもしたのではないかと、様子を見に来たんです」
「学校ぅ? なんだ、あいつ、学校なんて行ってやがったのか……」
何やら独り言めいた呟きを暫く口の中で捏ね回してから、男はヘイノをじろじろ見る。明らかにこちらを値踏みするような視線に、ヘイノは真っ向から対峙していたが、内心は穏やかではいられなかった。
男から漂う強烈な酒の香り。濁った生活感のある匂いは、部屋からのものだろう。お世辞にも、ヘイノが過ごしている家とは程遠い環境だ。だが、肝心のコレットの姿は未だに見えない。
男はヘイノがようやく司祭服を着ていると気がついたのか、わずかに剣呑な空気を緩めて、
「あいつはー……あぁ、そう、昨日から風邪ひいて寝てんだよ」
「そうですか。それならお見舞いにお邪魔しても?」
「いや、それは……司祭をあげられるような家じゃないんだよ。見ればわかんだろ」
ぶっきらぼうな物言いではあるが、一応理屈は通っている。人を招待できる状態ではないとわかってるのに、無理やり押し入るのは無礼に当たるとはヘイノも分かっていた。
「治ったらまた行かせるんで、それでいいだろ。俺は忙しいんだよ」
「……わかりました。お願いします」
食い下がりたい気持ちもあるが、無理に押し通れば今度はそれこそアナやヨニに迷惑がかかる。それだけは避けなければならない。
――司祭は、品行方正であること。それが、こんな所で枷になるとは思わなかった。
「ですけど、もしまたずっと休むようでしたら、その時はお邪魔させていただきますので」
だが、これだけは言わねばとヘイノは言う。ゲイリーは不満げに鼻を鳴らして「わーってるよ、いちいちうるさいガキだな」とぞんざいな返事をすると、勢いよく扉を閉めた。
残されたヘイノは、しばし扉を睨み、家から聞こえる音に聞き耳を立てたが、残念ながら彼は奥に行ってしまったのか、何も聞くことはできなかった。
***
成果らしい成果を得られなかった無力感を覚えつつ、ヘイノは自分の家へと向かう。だが、玄関に入ってすぐ、再びヘイノは異変に気がついた。閉ざされた客間と、漏れ聞こえる話し声は、間違いなく来客の証だ。しかも、その声は、ついこの前に聞いた老女のものだった。
「すみません。何かあったんですか」
客間をノックして、返事を待ってからヘイノは中に入り、開口一番尋ねた。中にいたのは、予想していたようにステファニー女史だった。側にはヨニが立ち、ステファニーの向かいにはアナが座っている。
「おかえり。実は、またステファニーさんの倉庫に泥棒が来たみたいなんだよね」
「また、食べ物を取って行ったんですか?」
彼女が半ば自ら望んで行なったことなのだから、それは仕方ないのではないか。ヘイノがそう言いかけた時だった。
「もちろん、いくつかは果物や砂糖漬けもなくなっていたのですけれどね。それと一緒に私が作っていた果実酒の瓶が無くなっていたのよ。しかも、瓶まるごと」
思いがけなく酒の盗難を示され、ヘイノは眉を寄せる。子供が泥棒の犯人なら、酒など持って行ってもどうしようもない。しかし、大人はあの垣根の穴をくぐれないはずだ。
「もし、子供がお酒に手を出そうとしているのなら、それは止めないといけないわ。だから、先ほどヨニに頼んで、とりあえず簡単な補修を頼んでおいたのよ」
アナの説明の後に、ヨニは軽く腰に手を当てて得意げに笑ってみせた。
「でも、少し残念ね。犯人さんとは話をしてみたかったのに」
「ステファニーさん、犯人がただ道を踏み外した子羊だったとは限らないわよ」
アナの忠言に、ステファニーは申し訳なさそうに肩を縮めた。
二人がそのまま団欒へと話を切り替えたのを確かめてから、ヘイノとヨニは客間を外に出る。これ以上は中にいても、話の進展は見込めないだろうと思ってのことだ。
「それで、ヘイノ。コレットには会えたの?」
居間を経由して、夕飯の準備のために貯蔵庫へと足を向けつつヨニはヘイノへと尋ねる。
「いえ。家人の方には会えましたが。今は風邪をひいて寝ている、と言っていました」
「ふーん? まあ薄着をさせていたなら、風邪くらいひくかもね。それで、大人しく帰ってきたんだ」
「……押し入るわけには、いきませんでしたから。証拠もないのに詰め寄れないとは、ヨニも言っていたでしょう」
「そうだね。特に自警の人が協力してくれるのって、誰かを怪我させたとか、盗みを働いたとか、そういう証拠が必要だから」
ヨニの言うように、王都のような大きな町でもない限り、人を『悪人』と社会的に定義するには、相応の説得力のある証拠が必要となる。嘘を見極めるための聖石もあると聞くが、それとて、誰彼構わず使われるわけではない。
「ヘイノは、諦めるの?」
「……まさか。とりあえずもう少し様子は見ますが、まだコレットが顔を出さないようなら、もう一度行きます」
「ふうん。やる気なんだね」
「やる気を出したら、駄目ですか」
「…………いや、良いんじゃないって思っただけ」
話をしつつ、ヨニは貯蔵庫から慣れた手つきで野菜や寝かせていた漬物の入った瓶を取り出していく。支度のために必要なことだと分かっていたが、ヘイノにはヨニがこちらから目を逸らそうとしているように思えて仕方がなかった。
***
ひょっとしたら、コレットはもう教会に来ないのではないか。あの男が、素直に行かせるだろうか。ヘイノがそう思った矢先、ヘイノの訪問から二日後に、コレットは再び教会へと顔を見せた。
相変わらず顔色は悪く、服も薄手のワンピースではあるが、それ以外に目立った変化はない。内心ほっとして、ヘイノは授業の合間を縫って彼女へと声をかけた。
「お家の方を訪ねたら、風邪をひいていたと聞いたので、心配していたんですよ。今日は、もう大丈夫なんですか」
「は、はい……大丈夫、です」
おざおずと返事をしつつも、彼女はどこか落ち着きがない。いつもならヘイノやヨニが渡した課題の書かれた紙を集中して見ているのに、今日はどこかそわそわとしている。
「何か、気になることでも? ……もしかして、また寒いのでしょうか。それなら上着を――」
そこまで言いかけて、ヘイノはふと気がつく。あの市の日に、コレットの胸元を飾っていた火聖石のブローチがない。だから、今日も寒がっていたのだろう。
「あのブローチ、今日は家に置いてきたんですか?」
「え、ええと…………その、無くしちゃったんです……。お、落として、しまって。それで、その」
「もしかして、探しにいきたいからそわそわしていたんですか?」
コレットは、まるで悪戯が見つかった子供のように小さく頷く。勉強の時間に上の空になっていたことを、申し訳なく思っていたのだろう。
「それなら、授業が終わった後に一緒に探しに行きましょうか。手伝いますよ」
「え、だ、だめですっ」
「…………?」
突然強硬な否定を受けて、ヘイノは首を傾げる。普段の彼女の性格なら、まず間違いなく「お願いします」と言うか、あるいは断るにしても「先生にそんなことはさせられない」という言い回しになると想像していたからだ。
「自分で……探せますから、その、先生は他にも……お仕事、ありますし」
ややとってつけたような言い回しに聞こえたが、不要だと言われてるのに頑なに手伝うと言い張るわけにもいかない。
「困ったことがあったら、何でも相談してくださいね」
結局、ヘイノが口にできたのは無難な言葉だけだった。
コレットが教会に顔を出したといえど、彼女にばかりかかりきりになってもいられない。席に座ってじっと勉強するのを嫌がる子供たちは、事あるごとに先生であるヘイノやヨニを呼びつけて、自分たちの話に巻き込もうとする。それを宥めすかし、授業へと軌道修正していくのは、毎度のことながら至難の業であった。むしろ、普段から黙々と課題に取り組んでいる方が珍しいほどだ。
それでも、どうにかこうにか今日も数時間を乗り切り、終礼でもある昼中の鐘を聴く頃になって、ようやくヘイノは一息つくことができた。
「ヨニせんせ、そろそろ暖かくなったから、またお出かけしよーよ」
「お出かけ?」
ヘイノが話を出した子供に尋ねると、彼らはこぞってわいわいと声を上げて、お出かけが何かを説明しようとした。当然ながら何を言ってるかわからず、ヘイノは目線で比較的年長の子供たちに助けを求める。
「せんせに特別に教えてあげるわ! お出かけっていうのはね、皆でご飯とかおやつとか持って、外に行って、楽しく過ごすことよ!」
普段から他の同年代の子供より年上ぶって振る舞うアメリアが、今回もここぞとばかりに声高に説明役を買って出る。
「なるほど、ピクニックですか。それはいいですね。植物の名前を知るのも、勉強の機会になりますし」
「えー、勉強やだー」
「なんで、ヘイノせんせって勉強の話ばっかして、頭痛くならないのー?」
「あ、それは俺も同感。俺も勉強好きじゃなかったなー」
子供たちに便乗するヨニに、ヘイノは呆れたようなため息をついてみせる。
「ヨニまでそんなこと言って、先生がそれでどうするんですか。少しはコレットを見習って……あれ、コレットは?」
いつもはおやつの時間は、自分の席に静かに座って皆の様子を見ているコレットが、今は影も形もない。落とし物を探しに行く手伝いをもう一度申し出ようと思っていたので、ヘイノは肩透かしを喰らってしまった。
「おねーさんなら、さっき帰ってしまったわ。何か急いでいるみたいだったの」
子供たちの一人が、手を挙げてヘイノに教える。彼女曰く、コレットは鐘が鳴るや否や、荷物を抱えて出て行ってしまったのだそうだ。
「落とし物をしたようですから、それを探しに行ったのかもしれませんね」
「落とし物? それってどんな?」
問いかけるヨニに、ヘイノは自分の首にあるネックレスをつまみつつ、
「これくらいの大きさのブローチです。火聖石がはまっていて、触れると暖かかったんですよ。この前の市で買ったと言ってました」「ちょっと待ってくれるかしら。それ、たしかに火聖石だったの?」
不意に横から割って入った声が、穏やかな昼下がりの空気を破る。誰あろう、子供たちの様子を見にきていたアナの声だ。普段は落ち着いた淑女然とした声音が、今はなぜか緊張感を孕んだ凛とした声となっている。
「は、はい。見せてもらいましたが、おそらくは。本人も暖かそうにしていましたし、普通の柘榴石や紅玉ではそうならないと思います。わずかに光ってもいました」
自ら発光する石など、ヘイノは聖石にまつわるものしか知らない。おそらくは、アナもそうなのだろう。唇に指先を添え、じっと考え込む仕草を見せてから、ゆっくりとかぶりを振る。
「ありえないわ。あのような市で売られていることなんてまずないし、万が一売られていたとしても到底子供が買える値段じゃないはず。それに、親切で譲れるほど、安い品でもない。小さくても安定して熱を放つように調整するなら、相応の技術が必要だもの」
アナの言葉は、的確にコレットが持っていたブローチへの指摘を並べていく。
「ですが、確かに彼女は持っていましたよ」
「そう。なら、彼女が持っていたのは紛い物ではないのでしょうね。紛い物でもないけれど、正規の流通品じゃないっていうことは、市場に出せないような劣悪な品ね」
ふと、ヘイノの脳裏に、先日防寒用の火聖石が故障した時、アナと交わしたやり取りが思い浮かぶ。
――粗悪品は、無理やり動かすこともできるが、制御ができていないので暴走する場合がある、と話していたことを。
「……まさか」
じりじりと背を焼くような嫌な予感が、湧き上がり、焦燥となってヘイノの気持ちを駆り立てる。まずいことが起きている――あるいは起きようとしている、という直感が、すでに彼を教会の出口へと走らせていた。
「ヘイノ、どこ行くつもり!?」
「コレットを探します! あれがもし劣悪な火聖石なら、いつ何が起きるかわからない!!」
後ろからのヨニへの呼びかけに、ヘイノは振り向かずに答え、扉を押し開けて外へと飛び出した。
だが、外に出たところで、ヘイノにはコレットがどこに行ったかがわからない。彼女には、落とした場所の心当たりがあるかもしれないが、ヘイノには普段から彼女がどこを歩いて教会まで来ているかもわからないのだから。
(彼女の言動で、何か思い当たる所はなかっただろうか。彼女は俺が探すのを手伝おうかと言ったら、すぐに『だめです』と言った。それが何かの手がかりにならないだろうか)
コレットの態度には、最初から違和感を覚えていた。普段から礼儀正しく控えめではあるが、彼女があそこまで強硬な態度を取るのは珍しい。ならば、なぜ、コレットは自分を拒んのだろうか。
(探しに行かせるのは気がひけるような場所だった……? あるいは、一緒に行きたくない場所だったとか……)
コレットにとって、ヘイノは世話になっている先生だ。そんな人と共に行くのは、頑なに拒みたくなるような場所。だめだ、と拒絶したくなる場所。
まるで、後ろめたいことでもあるような――。
「後ろめたいこと……そういえば、つい最近、そんな話を聞いたような」
悪いことをしている子供の話。祈りの日にやってきたステファニーは、自分の家に子供が忍び込んで、倉庫を荒らしていると話していた。
そして、落とし物をした場所にヘイノを近づけさせまいとしたコレット。彼女の体躯なら――あの抜け穴は、通れる。
「まさか……もし、そうなら、もっとまずいことになるかもしれない……!」
推測を一つの線へと変えて、ヘイノは脇目も振らずに走り出す。向かう先は、あの一人暮らしの老女の家。
できれば、全て杞憂であってくれたら。そんなふうに願いつつも、ヘイノはうっすらと予見してもいた。
きっとこれが、答えなのだろう――と。
むしろ、異変というならば、毎日昼過ぎから行なっている学校の方で起きていた。
「今日も、コレットは休みだったね」
その日の授業を終えて、子供たちを送り出した後、浮かない顔をしたヘイノにヨニが話しかける。
ヘイノがこの町に来てからまだ一週間程度ではあるが、今まで無遅刻無欠席を貫いていた彼女が、週が明けてから急に来なくなったのだ。
「前にも、似たようなことはあったんですか」
「ううん。コレットは、ちゃんと毎日来てたと思う。大人しい子だったから、きちんと確認できていたとは言えないけれど……」
ヨニの発言に、ますますヘイノは厳しい表情になる。彼女は物静かではあったが、学習への意欲は高かった。一方で、他の子供たちより年長ではあったが、学習要綱自体はやや低めに設定されたものに取り組んでいた。どうやら、ここに来るまで学校らしい学校には行けてなかったのだろう。だからこそか、彼女は真剣にヘイノやヨニが与えた課題に取り組んでいた。
その彼女が、突然の欠席である。もとより教会が開く学校自体は授業のために金銭を求めていないので、突然休んでも、そのまま音沙汰がなくても、制度としては問題ない。ゆえに、親の繁忙期には手伝うために長期間休む生徒もいるらしい。
「でも、冬はまだそこまで仕事としては忙しくはないと思うんです。それに、コレットを引き取った人が荷運びの仕事をしているなら、コレットに手伝わせるとは思えませんし……」
「あのさ。もしかして、様子を見に行こうとか思ってる?」
ヨニの質問に、ヘイノはゆっくりと頷いてみせた。ヨニが何か言いたげにこちらを見ているのに気がつき、ヘイノは慎重に言葉を選び、告げる。
「俺が、やりたいと思ったんです。司祭だから、とか、聖典に書かれてるから、とかじゃなくて。……あの子が寒そうにしなくて済むように、何かしてあげたいと、俺が思ったんです」
ヘイノなりに出した結論に、ヨニはただヘイノを見つめ返すだけだった。痛いほどの沈黙は、唐突にヨニのため息によって打ち破られる。
「……それなら、俺は止められないかな」
「……………すみません」
「何で謝るのさ。別に、ヘイノは悪いことをしようとしているわけじゃないんだから。じゃあ、ステファニーさんの家に行くのは、俺の方でやっておくよ」
ひらりと手を振るヨニの姿は、間違えようもなく、こちらの背を押してくれていた。
「ありがとう、ヨニ。ちょっと行ってきます」
掃除のために持ち出していた箒を片付け、ヘイノは礼拝堂の扉を開き、その向こうへと消えていってしまった。
残されたヨニは、腰に手を当て、いかにも苦労人然とした様子で吐息をついてみせた。
「――君は、そういう選択をするんだね」
***
教会を飛び出したヘイノは、しかしすぐに一度足を止めた。彼は、コレットの家を知らなかったからだ。ヨニも彼女がどこの誰かを知らなかったところから察するに、どの家に住んでいるかも知らないだろう。
だが、彼女の保護者の仕事ならわかっている。ヘイノは考え方を変えて、まず、川に程近い場所にある、町の出入り口にあたる門の方へと向かった。列車が普及し始めた今となっても、この町まではまだ線路が伸びていない。荷運びの多くは馬車か川を使った輸送に頼っているため、荷運びの仕事をしているなら、この付近で働く人に顔くらいは知られているだろうと思ったのだ。
予想通り、程なくして、ヘイノは門のあたりで荷馬車に積荷を載せている人間から「ゲイリーの家なら知ってるよ」という回答を引き出した。
「あいつの家なら、ほら、あっちの道をまっすぐ行って、端っこの一つ手前の家でさぁ。垣根がボロボロだからすぐわかりますよ」
「ありがとうございます、助かります」
「しかしまた、何で司祭様がゲイリーの家なんか気にするんです?」
ヘイノが質問をした荷運びの男は、不思議そうに首を傾げる。
「……彼、というより、彼が引き取った子供が教会に顔を出さないので、何かあったのかと思ったもので」
「ああ……そういえば、ちびっ子を一人引き取ったとか言ってたっけなあ……。こう言っちゃなんですが、あいつは昔から家の仕事も放り出して遊び回ってた奴でしてね。おおかた、子供を引き取ったっていうのも、家の面倒ごとを押し付けるためでしょう」
やれやれ、と肩をすくめる姿には、少なからずこの男とコレットの保護者にはつながりがある様子が見てとれた。
「彼は、最近こちらに顔を出しているんですか?」
「ああ……まあ、昔から来たり来なかったりですよ。あまりにいい加減なもので、あちこちでクビになってるんです。親御さんの残した財産も、いつまでもつのやら」
そこまで話した時、二人の元に慌てた様子で一人の男が走り寄ってきた。彼も荷運びの仕事をしているのか、使い込まれた作業着を着ていた。
「おーい、ちょっといいか! そっちに余分な木箱、着ていないか? ショーロン酒造のやつなんだが」
「来てないぞ。何だ、数が足りないのか?」
「そうなんだよ。端数のやつを入れた小さい箱が見つかんなくってよ。あれには、新商品のパイン酒を入ってたはずだから、外に漏れたら困るって旦那がもうカンカンでさぁ」
「そりゃまずいな。……ああ、司祭様、すみません。ちょっと急ぎの用が入っちまったんで、これくらいでいいですかね」
「ええ、ありがとうございます。あなたに女神の祝福がありますように」
ヘイノは軽く頭を下げて、小さく祈りを捧げてから、その場を後にしたのだった。
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荷運び人が教えてくれた家は、彼が話した通りすぐにわかった。農地に向かうほど、商業区に比べると家は小さくなるが、その中でもとりわけ小さく、荒廃が進んでいたからだ。家だと言われてなければ、廃墟ではないかと思っていたことだろう。
中途半端に開いた門を開き、ペンキが剥げて木目が露出している玄関の扉をノックする。しかし、返事はない。
「すみません、こちらはゲイリーさんのお宅ですか」
もう一度ノックをする。相変わらず返事はない。だが、微かに荒々しい足音が聞こえる。
更にノックをしようと、ヘイノが扉に触れようとした時、不意に内側から扉が開いた。
「さっきからゴンゴンゴンゴンとうるせぇったらねえ!! 何なんだ、テメェはよぉ!!」
顔を出したのは、無精髭を生やした男性だった。身の丈はヘイノよりは高く、荷運びでいくらか鍛えられた筋肉が汚れたシャツからも見て取れる。だが、整えれば鮮やかな赤毛になっただろう髪も、小さな灰色の瞳も、残念ながら今はどちらも澱んで見えた。
「すみません。こちらのお宅にコレットというお嬢さんがいませんか。彼女が教会の学校に来ていないので、病気か怪我でもしたのではないかと、様子を見に来たんです」
「学校ぅ? なんだ、あいつ、学校なんて行ってやがったのか……」
何やら独り言めいた呟きを暫く口の中で捏ね回してから、男はヘイノをじろじろ見る。明らかにこちらを値踏みするような視線に、ヘイノは真っ向から対峙していたが、内心は穏やかではいられなかった。
男から漂う強烈な酒の香り。濁った生活感のある匂いは、部屋からのものだろう。お世辞にも、ヘイノが過ごしている家とは程遠い環境だ。だが、肝心のコレットの姿は未だに見えない。
男はヘイノがようやく司祭服を着ていると気がついたのか、わずかに剣呑な空気を緩めて、
「あいつはー……あぁ、そう、昨日から風邪ひいて寝てんだよ」
「そうですか。それならお見舞いにお邪魔しても?」
「いや、それは……司祭をあげられるような家じゃないんだよ。見ればわかんだろ」
ぶっきらぼうな物言いではあるが、一応理屈は通っている。人を招待できる状態ではないとわかってるのに、無理やり押し入るのは無礼に当たるとはヘイノも分かっていた。
「治ったらまた行かせるんで、それでいいだろ。俺は忙しいんだよ」
「……わかりました。お願いします」
食い下がりたい気持ちもあるが、無理に押し通れば今度はそれこそアナやヨニに迷惑がかかる。それだけは避けなければならない。
――司祭は、品行方正であること。それが、こんな所で枷になるとは思わなかった。
「ですけど、もしまたずっと休むようでしたら、その時はお邪魔させていただきますので」
だが、これだけは言わねばとヘイノは言う。ゲイリーは不満げに鼻を鳴らして「わーってるよ、いちいちうるさいガキだな」とぞんざいな返事をすると、勢いよく扉を閉めた。
残されたヘイノは、しばし扉を睨み、家から聞こえる音に聞き耳を立てたが、残念ながら彼は奥に行ってしまったのか、何も聞くことはできなかった。
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成果らしい成果を得られなかった無力感を覚えつつ、ヘイノは自分の家へと向かう。だが、玄関に入ってすぐ、再びヘイノは異変に気がついた。閉ざされた客間と、漏れ聞こえる話し声は、間違いなく来客の証だ。しかも、その声は、ついこの前に聞いた老女のものだった。
「すみません。何かあったんですか」
客間をノックして、返事を待ってからヘイノは中に入り、開口一番尋ねた。中にいたのは、予想していたようにステファニー女史だった。側にはヨニが立ち、ステファニーの向かいにはアナが座っている。
「おかえり。実は、またステファニーさんの倉庫に泥棒が来たみたいなんだよね」
「また、食べ物を取って行ったんですか?」
彼女が半ば自ら望んで行なったことなのだから、それは仕方ないのではないか。ヘイノがそう言いかけた時だった。
「もちろん、いくつかは果物や砂糖漬けもなくなっていたのですけれどね。それと一緒に私が作っていた果実酒の瓶が無くなっていたのよ。しかも、瓶まるごと」
思いがけなく酒の盗難を示され、ヘイノは眉を寄せる。子供が泥棒の犯人なら、酒など持って行ってもどうしようもない。しかし、大人はあの垣根の穴をくぐれないはずだ。
「もし、子供がお酒に手を出そうとしているのなら、それは止めないといけないわ。だから、先ほどヨニに頼んで、とりあえず簡単な補修を頼んでおいたのよ」
アナの説明の後に、ヨニは軽く腰に手を当てて得意げに笑ってみせた。
「でも、少し残念ね。犯人さんとは話をしてみたかったのに」
「ステファニーさん、犯人がただ道を踏み外した子羊だったとは限らないわよ」
アナの忠言に、ステファニーは申し訳なさそうに肩を縮めた。
二人がそのまま団欒へと話を切り替えたのを確かめてから、ヘイノとヨニは客間を外に出る。これ以上は中にいても、話の進展は見込めないだろうと思ってのことだ。
「それで、ヘイノ。コレットには会えたの?」
居間を経由して、夕飯の準備のために貯蔵庫へと足を向けつつヨニはヘイノへと尋ねる。
「いえ。家人の方には会えましたが。今は風邪をひいて寝ている、と言っていました」
「ふーん? まあ薄着をさせていたなら、風邪くらいひくかもね。それで、大人しく帰ってきたんだ」
「……押し入るわけには、いきませんでしたから。証拠もないのに詰め寄れないとは、ヨニも言っていたでしょう」
「そうだね。特に自警の人が協力してくれるのって、誰かを怪我させたとか、盗みを働いたとか、そういう証拠が必要だから」
ヨニの言うように、王都のような大きな町でもない限り、人を『悪人』と社会的に定義するには、相応の説得力のある証拠が必要となる。嘘を見極めるための聖石もあると聞くが、それとて、誰彼構わず使われるわけではない。
「ヘイノは、諦めるの?」
「……まさか。とりあえずもう少し様子は見ますが、まだコレットが顔を出さないようなら、もう一度行きます」
「ふうん。やる気なんだね」
「やる気を出したら、駄目ですか」
「…………いや、良いんじゃないって思っただけ」
話をしつつ、ヨニは貯蔵庫から慣れた手つきで野菜や寝かせていた漬物の入った瓶を取り出していく。支度のために必要なことだと分かっていたが、ヘイノにはヨニがこちらから目を逸らそうとしているように思えて仕方がなかった。
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ひょっとしたら、コレットはもう教会に来ないのではないか。あの男が、素直に行かせるだろうか。ヘイノがそう思った矢先、ヘイノの訪問から二日後に、コレットは再び教会へと顔を見せた。
相変わらず顔色は悪く、服も薄手のワンピースではあるが、それ以外に目立った変化はない。内心ほっとして、ヘイノは授業の合間を縫って彼女へと声をかけた。
「お家の方を訪ねたら、風邪をひいていたと聞いたので、心配していたんですよ。今日は、もう大丈夫なんですか」
「は、はい……大丈夫、です」
おざおずと返事をしつつも、彼女はどこか落ち着きがない。いつもならヘイノやヨニが渡した課題の書かれた紙を集中して見ているのに、今日はどこかそわそわとしている。
「何か、気になることでも? ……もしかして、また寒いのでしょうか。それなら上着を――」
そこまで言いかけて、ヘイノはふと気がつく。あの市の日に、コレットの胸元を飾っていた火聖石のブローチがない。だから、今日も寒がっていたのだろう。
「あのブローチ、今日は家に置いてきたんですか?」
「え、ええと…………その、無くしちゃったんです……。お、落として、しまって。それで、その」
「もしかして、探しにいきたいからそわそわしていたんですか?」
コレットは、まるで悪戯が見つかった子供のように小さく頷く。勉強の時間に上の空になっていたことを、申し訳なく思っていたのだろう。
「それなら、授業が終わった後に一緒に探しに行きましょうか。手伝いますよ」
「え、だ、だめですっ」
「…………?」
突然強硬な否定を受けて、ヘイノは首を傾げる。普段の彼女の性格なら、まず間違いなく「お願いします」と言うか、あるいは断るにしても「先生にそんなことはさせられない」という言い回しになると想像していたからだ。
「自分で……探せますから、その、先生は他にも……お仕事、ありますし」
ややとってつけたような言い回しに聞こえたが、不要だと言われてるのに頑なに手伝うと言い張るわけにもいかない。
「困ったことがあったら、何でも相談してくださいね」
結局、ヘイノが口にできたのは無難な言葉だけだった。
コレットが教会に顔を出したといえど、彼女にばかりかかりきりになってもいられない。席に座ってじっと勉強するのを嫌がる子供たちは、事あるごとに先生であるヘイノやヨニを呼びつけて、自分たちの話に巻き込もうとする。それを宥めすかし、授業へと軌道修正していくのは、毎度のことながら至難の業であった。むしろ、普段から黙々と課題に取り組んでいる方が珍しいほどだ。
それでも、どうにかこうにか今日も数時間を乗り切り、終礼でもある昼中の鐘を聴く頃になって、ようやくヘイノは一息つくことができた。
「ヨニせんせ、そろそろ暖かくなったから、またお出かけしよーよ」
「お出かけ?」
ヘイノが話を出した子供に尋ねると、彼らはこぞってわいわいと声を上げて、お出かけが何かを説明しようとした。当然ながら何を言ってるかわからず、ヘイノは目線で比較的年長の子供たちに助けを求める。
「せんせに特別に教えてあげるわ! お出かけっていうのはね、皆でご飯とかおやつとか持って、外に行って、楽しく過ごすことよ!」
普段から他の同年代の子供より年上ぶって振る舞うアメリアが、今回もここぞとばかりに声高に説明役を買って出る。
「なるほど、ピクニックですか。それはいいですね。植物の名前を知るのも、勉強の機会になりますし」
「えー、勉強やだー」
「なんで、ヘイノせんせって勉強の話ばっかして、頭痛くならないのー?」
「あ、それは俺も同感。俺も勉強好きじゃなかったなー」
子供たちに便乗するヨニに、ヘイノは呆れたようなため息をついてみせる。
「ヨニまでそんなこと言って、先生がそれでどうするんですか。少しはコレットを見習って……あれ、コレットは?」
いつもはおやつの時間は、自分の席に静かに座って皆の様子を見ているコレットが、今は影も形もない。落とし物を探しに行く手伝いをもう一度申し出ようと思っていたので、ヘイノは肩透かしを喰らってしまった。
「おねーさんなら、さっき帰ってしまったわ。何か急いでいるみたいだったの」
子供たちの一人が、手を挙げてヘイノに教える。彼女曰く、コレットは鐘が鳴るや否や、荷物を抱えて出て行ってしまったのだそうだ。
「落とし物をしたようですから、それを探しに行ったのかもしれませんね」
「落とし物? それってどんな?」
問いかけるヨニに、ヘイノは自分の首にあるネックレスをつまみつつ、
「これくらいの大きさのブローチです。火聖石がはまっていて、触れると暖かかったんですよ。この前の市で買ったと言ってました」「ちょっと待ってくれるかしら。それ、たしかに火聖石だったの?」
不意に横から割って入った声が、穏やかな昼下がりの空気を破る。誰あろう、子供たちの様子を見にきていたアナの声だ。普段は落ち着いた淑女然とした声音が、今はなぜか緊張感を孕んだ凛とした声となっている。
「は、はい。見せてもらいましたが、おそらくは。本人も暖かそうにしていましたし、普通の柘榴石や紅玉ではそうならないと思います。わずかに光ってもいました」
自ら発光する石など、ヘイノは聖石にまつわるものしか知らない。おそらくは、アナもそうなのだろう。唇に指先を添え、じっと考え込む仕草を見せてから、ゆっくりとかぶりを振る。
「ありえないわ。あのような市で売られていることなんてまずないし、万が一売られていたとしても到底子供が買える値段じゃないはず。それに、親切で譲れるほど、安い品でもない。小さくても安定して熱を放つように調整するなら、相応の技術が必要だもの」
アナの言葉は、的確にコレットが持っていたブローチへの指摘を並べていく。
「ですが、確かに彼女は持っていましたよ」
「そう。なら、彼女が持っていたのは紛い物ではないのでしょうね。紛い物でもないけれど、正規の流通品じゃないっていうことは、市場に出せないような劣悪な品ね」
ふと、ヘイノの脳裏に、先日防寒用の火聖石が故障した時、アナと交わしたやり取りが思い浮かぶ。
――粗悪品は、無理やり動かすこともできるが、制御ができていないので暴走する場合がある、と話していたことを。
「……まさか」
じりじりと背を焼くような嫌な予感が、湧き上がり、焦燥となってヘイノの気持ちを駆り立てる。まずいことが起きている――あるいは起きようとしている、という直感が、すでに彼を教会の出口へと走らせていた。
「ヘイノ、どこ行くつもり!?」
「コレットを探します! あれがもし劣悪な火聖石なら、いつ何が起きるかわからない!!」
後ろからのヨニへの呼びかけに、ヘイノは振り向かずに答え、扉を押し開けて外へと飛び出した。
だが、外に出たところで、ヘイノにはコレットがどこに行ったかがわからない。彼女には、落とした場所の心当たりがあるかもしれないが、ヘイノには普段から彼女がどこを歩いて教会まで来ているかもわからないのだから。
(彼女の言動で、何か思い当たる所はなかっただろうか。彼女は俺が探すのを手伝おうかと言ったら、すぐに『だめです』と言った。それが何かの手がかりにならないだろうか)
コレットの態度には、最初から違和感を覚えていた。普段から礼儀正しく控えめではあるが、彼女があそこまで強硬な態度を取るのは珍しい。ならば、なぜ、コレットは自分を拒んのだろうか。
(探しに行かせるのは気がひけるような場所だった……? あるいは、一緒に行きたくない場所だったとか……)
コレットにとって、ヘイノは世話になっている先生だ。そんな人と共に行くのは、頑なに拒みたくなるような場所。だめだ、と拒絶したくなる場所。
まるで、後ろめたいことでもあるような――。
「後ろめたいこと……そういえば、つい最近、そんな話を聞いたような」
悪いことをしている子供の話。祈りの日にやってきたステファニーは、自分の家に子供が忍び込んで、倉庫を荒らしていると話していた。
そして、落とし物をした場所にヘイノを近づけさせまいとしたコレット。彼女の体躯なら――あの抜け穴は、通れる。
「まさか……もし、そうなら、もっとまずいことになるかもしれない……!」
推測を一つの線へと変えて、ヘイノは脇目も振らずに走り出す。向かう先は、あの一人暮らしの老女の家。
できれば、全て杞憂であってくれたら。そんなふうに願いつつも、ヘイノはうっすらと予見してもいた。
きっとこれが、答えなのだろう――と。