一章

 広場で開かれている市は、ヨニが話していたように、ありとあらゆる品々が軒先に並べられ、あちらこちらで商談が進んでいた。織物ひとつとっても、レース細工が繊細な品から、大きな絨毯まで、軒先ひとつ変わるだけで商品の様子が大きく変わる。
 そのほかにも、チーズや果物、それを使った菓子に料理、金属を加工した製品から装飾品まで、この町にこれだけ『物を作る人』がいたのか、と見るたびに驚くほどだった。
 ぼんやりと店先を眺めているだけでも、十分に面白い。何せ、神学校のある聖都において、買い物といえば整然と並んだ店々を訪れて、ゆっくりと品定めをするものだったからである。
「ヘイノ、ぼーっとしてると流されるよ!」
 人混みに押し負けそうになったヘイノの腕をヨニがつかみ、ぐいと引っ張る。おかげで、ヘイノはどうにか人の波に逆らって合流することができた。
「せんせー、ぼけっとしてたら、迷子になるよ」
「すみません。こういうのはあまり見たことがなかったので、つい」
 手を繋いだままのコレットが人に流されなくてよかった、とヘイノは安堵する。彼女も慣れない人混みに興奮してるのか、顔が真っ赤になっていた。
 ヨニが引っ張ってくれた先はちょっとした休憩所になっていて、無造作に積まれた木箱が即席の机となり、市場で買った飲み物や食べ物で一席興じているものがいた。
「ほら。これ飲んで一息つこう」
 不意に突き出された簡素なマグカップには、濃い赤の液体が入っている。かすかに湯気が漂っていて、カップ自体も仄かに暖かい。
 ヨニがコレットにも渡しているのを見ながら、ヘイノも彼女から手を離して飲む方に集中する。独特の甘酸っぱい風味が舌先に広がり、喉の奥へと流れ落ちていった。
「これ、何でしょう……?」
「街の外で育ててるベリーのジュースよ!」
 今日もヘイノの足元にまとわりついてきたアメリアが、何やら誇らしげに胸を張って答える。自分達の先生が知らないことを知っているのが嬉しくて仕方ない、という顔だ。
「俺があっちのせんせーに勧めたんだよ、せんせ」
「僕の家でも作ってるんだよ! これよりずっと甘いよ」
 子供たちの声を聞きながら、ヘイノは暖かくも甘いその飲み物を呷る。人混みを歩いて少し疲れた体に果実の酸味が心地よい。
 木箱にもたれてほっと一息ついていると、
「おや、司祭様がたも今日はこちらに?」
「どうせならゆっくり見ていってくだせえ。司祭様たちが聖石を管理してくれてるおかげで、俺たちは精霊とは無縁で暮らしていられるんだからなぁ」
 ちょうど木箱を置きにきた商人と思しき男性が、ヘイノとヨニの姿を見て声をかけた。ヨニは慣れたもので軽く手を振っていたが、ヘイノとしては見知らぬ町人に声をかけられると、どうしてもまだ笑顔がこわばってしまう。
「そっちは、今日の売り上げはどうなの?」
「まあまあってとこですよ、ヨニ司祭。……おや、そちらにいるのはもしや前に話してたご兄弟で?」
「ああ、うん。明日、説法のときに改めてアナさんが紹介してくれると思うよ。よろしくねー」
 ヘイノが何を言うか悩んでいる間に、ヨニはさっさと自己紹介を代わりに進めていく。この辺りの如才ない態度は、ヨニの方が遥かに手慣れていた。ヘイノにできたのは「よろしくお願いします」という簡素な言葉と、小さな一礼だけだった。
 彼らがそれぞれの仕事に戻った頃、今度は子供たちが声をあげ始めた。
「せんせー、せんせーの買い物には行かないのー?」
「早くいこーよ。じゃないと、せんせーのこと、ずっと『せんせー』って呼ばないといけないじゃん」
 どうやら、子供たちは彼らなりに双子を呼び間違えないように「先生」とだけ呼ぶようにしていたらしい。だが、名前を呼ばずに称号だけ呼ぶのは、彼らとしては不満であるようだ。
「すみません。じゃあ、何か良いものがないか探してみましょうか」
 中身を飲み干したマグカップを店員に返して、ヘイノは子供たちがはぐれないように、彼らへと手招きする。手を繋ぎ直そこねたコレットが、所在なさげに小さな手を開いたり閉じたりしていることに、ヘイノは気がついていなかった。
 
 ***
 
「……とは言いましたが、何をどうしたら、見分けがつくようになるんでしょう」
 ひとまず装飾品を多く扱っている区画にやってきた一行は、露天に並べられた品々を見ながら、あれこれと品定めをしていた。
「せんせーたちも、アナせんせみたいに、耳に飾りをするとかはどう? 色を変えたら、その色でどっちがどっちか分かるわ!」
 アメリアが自分の耳の辺りに手をやり、ぴょこぴょこと動かしてみせる。なお、彼女はちゃっかりと自分の小遣いで、ガラス屑で作られた簡単な指輪を買っていた。
 始祖ユノーがもたらした特別な力を持つ石が、精霊から人々を救った――という逸話があるからか、昔から石を使った装飾品は多くの人にお守りとして好まれている。鉱石を使った物はどうしても値がはるので、子供たちにはガラス細工の失敗品を加工したおもちゃの指輪やブローチが人気を集めていた。
「耳飾り、ですか。悪くはないと思いますが……」
「でも、ちょっと待った方がいいかも」
「えー、どーして?」
 ヨニの腕にぶら下がって遊んでいた少年――ケネスが、素朴な疑問を投げかける。
「見習い司祭が身につける装飾品は、できるだけ一つって言われてるんだよね。だからほら、俺が指輪で、ヘイノのはその首から下げてるやつ」
 ヨニが指さしたのは、ヘイノが首から下げている白い蛋白石(オパール)の嵌ったネックレスだ。精霊を退ける聖石を象徴して、司祭が白蛋白石の装飾品を身につけていることは、誰もが知っていることである。
「でも、制度上は問題ないのでは?」
「そうだけど、見習いがあまり大きい石の飾りをつけたり、他の色の飾りをつけてるとさ、やっかみを受けるんだ」
 ヘイノは覚えてないが、ヨニにはその記憶があるのだろう。何てことのないような笑みを見せていたが、彼にとっては適当に流せることではないのだろうとは伝わってきた。
「じゃあ、何ならいいんですか……?」
 ヘイノのそばにいたコレットが、小さな声で尋ねる。
「……首から上につける装飾品で、小さいものなら。あと、できるだけ色が目立たないやつ」
「えー。つまんなーい」
「もっと面白いやつがいいー」
「お前ら、俺たちで遊ぶ気満々だったよね?」
 ヨニが悪戯好きの兄弟たちを軽く小突いているのをよそに、ヘイノはヨニが言うような装飾品がないか、目を皿のようして露天を見つめ始めた。
 別に、今すぐに見つけなければいけないことではない。アナは見分けがついているようであるし、子供たちだって多少呼び間違えられたところで、授業に支障があるわけではない。それは分かっているが、ついヘイノは真剣になって『ヨニとは違う印』を探してしまう。
(何だか、これじゃ俺が嫌な奴みたいだな……)
 彼の兄でいなくてはいけないのに、弟を遠ざけたがっているようにも感じられる。そんな矛盾した己の振る舞いを自覚しないように、かぶりを振って物色を続けていた時。
 ふと、目に留まるものがあった。
 それは、リボンのようにも髪紐にも見えるような装飾品だった。一つは白く、一つは黒い。細い布地には、どちらも銀の飾りが添えられているが、飾りの形はそれぞれ少しずつ違う。しかし、双方とも一部に蒼い石がアクセントとして使われて、静かに主張を放っていた。
「ヘイノさん、これにするんですか……?」
 傍らにいるコレットへの質問に、ヘイノは「条件には合うかと思ったんです」と返す。
 実際、ヨニの言うような華美な装飾もなく、髪紐なら簡単に髪につけられる。それになによりも、ヘイノを惹きつけたのは、
(これなら、似てるけど違うものだから、ヨニを遠ざけてるわけじゃない……はずだ)
 自分の中にある嫌な打算から目を逸らしてから、ヘイノはヨニを手招いた。
「あ、いいじゃん。色も抑え気味だから、制服にも合うだろうし」
「うん。え、と……じゃあ、これで決定でいいか?」
「そうだね、とりあえず試してみよっか」
 話が決まったのなら、あとは買うだけだ。値段もさほど高くなく、あっさりとヘイノはここにきた目標を達成することができた。
「そうだ。ケネスたちが向こうでやってる大道芸を見たいって言ってるんだ。俺も付き合うつもりなんだけど、ヘイノはどうする?」
「ああ、それなら俺も……コレットはどうします?」
 手を繋ぎっぱなしにしていた少女に問いかけた時、ちょうど昼の鐘がガランガランと空に響いた。この鐘が鳴ったということは、そろそろ合流して二時間ほど経ったということだろう。
「わ、私は、そろそろ帰らないと…………」
 コレットはにわかに慌てた様子でつぶやくと、そっとヘイノの手から手を離して、ぺこりと頭を下げた。落ち着きなく周りを見渡す様子から察するに、親には昼頃に帰ると言ってあったのかもしれない。
「わかりました。気をつけて帰ってくださいね。では、また明日会いましょう」
「は、はい…………あの、でも、お祈りの日は教会に行けないかもしれないです」
「それなら、月曜日に。……学校は来るんですよね?」
 今度は、コレットもこくこくと首を縦に振った。次いで、何か言いたげに彼女は口を開く。
「へ、ヘイノ先生……私、あの……」
「はい、何でしょうか」
 彼女が何か言いかけようとしてることに気がつき、ヘイノは静かに続きを促す。しかし、結局コレットは黙りこくって、何度も首を横に振ってしまった。
「今日は、楽しかったです。ありがとう、ございました……っ!」
 もう一度小さくお辞儀をしてから、今度こそ踵を返してコレットは行ってしまった。すぐにヨニの後を追いかけようと思っていたヘイノだったが、どうにも去りゆく姿を目で追ってしまう。先ほど彼女は何を言いかけたのか、追いかけて問いかけるべきなのだろうか。
(――『ヘイノ』なら、どうしたんだろうか)
 ヨニの兄である彼なら、物言いたげな少女の沈黙を暴こうとしたのだろうか。自分の行動への答えが見出せず、立ち尽くしていると、
「あんな子、この町にいたっけ?」
「あー、なんか二週間くらい前に、ゲイリーの奴が引き取ってきたんだとよ」
 ふと耳に飛び込んできた言葉に、ヘイノは思わずそちらへと視線をやる。どうやら、露天を開いていた町人がコレットの姿を見ていたようだ。
「あの、すみません。コレットのこと、何か知っているんですか」
 突然話しかけてきたヘイノに、二人は驚いたようだったが、ヘイノが司祭であると分かるとすぐに表情は柔らかなものへと変えた。
「司祭様もあの子のことが気になるんですか?」
「教会の学校に来ているのですが、何処の誰かが分かっていなかったので」
「そりゃあ、仕方ないですよ。聞いた話じゃ、ゲイリーがよその町の親戚から引き取ってきたらしいんですよ。話によると、あの子の親が亡くなった後に、その親戚が引き取ったはいいけれど、まあ……よその子を育てる余裕が無くなったんでしょうねえ。その時に、あいつが引き取るって言い出したってわけだそうで」
「飲んだくれのあいつに、子育てなんてできるわきゃないって、俺は思うんですけどね。荷運びの仕事もろくにできちゃいないのに、何考えてんだか」
 男たちの話を聞いて、ヘイノの眉間に皺がよる。
 コレットの服が季節に合わない薄着であったことや、顔色が悪いことについては、おそらく子育てに不慣れな男に引き取られたことが原因なのだろう。しかし、本人が引き取ると言い出したのなら、何某かの案があってのことだと、信じて待つべきなのだろうか。
(不必要に、他者を疑うな――疑心は築かれるところだった信頼すら壊してしまう、と始ユノーの言葉にもあったけれど……本当に信じていいのだろうか)
 しかし、司祭には他人の家庭に首を出す権限などない。ゲイリーなる男が保護者として既に名乗り出てる以上、コレットの親は彼になるのだから。
「ヘイノー、置いてくよー!」
 ヨニの声が遠くから聞こえて、弾かれたように顔を上げる。今、考え事に耽っていても、答えが出せるとは思えない。
 ひとまず、ひらひらと振られた手を目印に、ヘイノはヨニの元へと駆け寄った。
 
 ***
 
「じゃーん、こんな感じでどう?」
「いいんじゃないか。ぐっと引き締まった感じがする」
 ヘイノの部屋の中で、ヨニは早速買ってきた髪紐で自分の髪を結んでみせた。淡い金色の髪を黒い生地の髪紐が柔らかくまとわりつき、彼の髪色を引き立てている。
「それで、ヘイノの方はどう?」
「うーん、やってみてはいるんだけど……」
 ヘイノは少し伸びた髪をゆるく纏めようとするが、ヨニより髪が短いので簡単に解けてしまっていた。
「難しそうだし、俺は髪の毛が伸びるまでつけないでおく、というのも一つの手かな」
「えー、せっかく揃いで買ったのに?」
「揃いで買ったつもりじゃ……」
 ない、とも言い切れず、ヘイノはもごもごと口の中で言葉を惑わせる。ヨニと同一視されることに痛みを覚えつつ、ヨニと己を完全に切り離すこともできないという感情を、いったいどう言葉にすればいいのだろうか。
「結うのが難しいなら……そうだ。ヘイノ、ちょっとそこに座って」
 ヨニに示され、ヘイノは鏡台前の椅子に腰を下ろす。ヘイノの後ろに回ったヨニは、ブラシを片手にヘイノの髪をとかし始めた。
「ヘイノって、昔は髪の毛短かったのに、なんで伸ばしたの?」
「まあ……それは、気分の切り替えで」
 まさか、かつての『ヘイノ』と自分を完全に重ねることに抵抗があったから――などと言えるわけもなく、ヘイノは無難な言葉を返す。目が覚めた時は首筋が見えていたほどの長さだったのに、一年経てばすっかり様変わりしていた。
「ふーん? でも、この長さなら縛れないと思うから……これを、こうして、と」
 言いつつ、ヨニはヘイノの分の髪飾り。頭頂部に沿わせるように置き、続けて余った部分の片側をヘアピンで一度留める。更にもう片側の部分をヘイノの耳の裏に通し、器用にも髪へと編み込み始めた。
「こうすれば、ヘイノの髪の長さでも結えるんじゃないかな」
 ヘアピンで留めていた片側を外し、編み込んで余った部分と結ぶ。そうしたら、簡単に落ちない程度には固定されてくれた。
「それに、結構雰囲気も変わるし。見分けをつける、という意味ではいいと思うんだ」
 鏡の向こうに映っているヘイノは、確かに先ほどまで座っていた自分とは少し異なって見える。ヨニと並んでも見間違えられる可能性も減るだろう。
「ありがとう、ヨニ。明日からは自分でやるよ」
「どういたしまして。別に、俺に頼んでもいいよ」
「毎朝頼むのは、流石に気が引けるから」
「そう?」
 ヨニはこともなげに返事をしつつ、ブラシを鏡台の引き出しへと片づけていく。その様を見ていたヘイノは、ふと、彼に聞こうと思っていたことがあったことを思い出した。
「ヨニ。ちょっといいか。学校に来てるコレットのことなんだけど」
「うん? あの子がどうかしたの」
「彼女は、二週間ほど前にゲイリーという人が引き取った子らしいんだ。……ヨニは、その人のこと、知っているか?」
 ヨニは一年間早くこの町に来て仕事をしている。きっと何かを知っているだろう、と予想していたのだ。
 しかし、ヨニはゆっくりと首を横に振る。
「その人の名前は知らないな。多分、祈りの日に教会に来てないんだと思う。お祈りにも、町の人全員が来てるわけじゃないからさ」
 聖導教は、確かにヘイノの暮らすこの国では広い信仰を集めている。しかし、実際どのような形で信仰を持つかは人それぞれだ。
 家にいて祈りを捧げるだけで十分という人も、少数ではあるが存在している。中には、信仰自体を軽んじている人間もいる。
「それで、その人がどうかしたの?」
「町の人の噂じゃ、あまり評判がいい人じゃないらしくて……それに、コレットがいつも薄着で学校に来てることが気になっているんだ。他の子よりも顔色も悪いようで」
「うん。だから?」
「……だから、もし、ちゃんと面倒を見てもらってないなら」
 そこで、ヘイノは一度言葉を区切る。
 それは、自分の中に漠然とした希望はあるのに、具体的にどうしたいのかの展望がまるでないと気がついたからだ。そして、目の前にいたヨニが、ヘイノの曖昧な行動指針に既に気がついているということも。
「……何とか、できないかなって」
「それは、コレットに頼まれたの? 自分の面倒見てる大人が悪い人だから、俺たちに助けてくれって」
「それは…………言われてない」
「なら、俺たちにできることはないよ」
 ヨニのそっけない物言いに、思わずヘイノは椅子から立ち上がり、自分と同じ顔をした弟を睨む。普段は笑顔を浮かべているヨニの顔は、今ばかりはヘイノに瓜二つの落ち着いた――冷めた顔をしていた。
「そんな言い方――!」
「自分で何とかできると思ってるから、あの子は俺たちに頼ってないんじゃないの。それに、もし助けを求められて、ヘイノはどうするつもり? ヘイノには何の立場も力もないのに」
「でも……でも、俺たち司祭は迷える人を導き助けるのが務めです。そうでしょう!?」
 少なくとも、ヘイノはそうあるべきだと自分に課した。何も残っていなかった自分が、唯一この一年間で得られたもの――あるいは寄り添いたいと信じられたものが、善なる振る舞いをすることなのだから。
「仕事としての役割と、自分の立場を履き違えちゃ駄目だよ。俺たちはアナさんの世話になってる身だ。職分を逸脱して、彼女を困らせちゃいけない」
「そんなことは、分かってます……だけど、だったら、困っている人間を放っておいていい理由にはならないでしょう!!」
 コレットの手が氷のように冷たかったことを、青ざめた頬がさっと薔薇色に染まったことを、ヘイノは覚えている。彼女には他の子供たちのように、何も憂えずに笑っていてほしい。そういう風に考えることも間違いだというのか――?
「……まあ、そのゲイリーさんって人が、コレットに怪我をさせてるとか、他の人を傷つけたとか、そういう悪事をした証拠があるならまだ動けるかもしれないけれど」
「それなら――」
「でも、それは、彼がちゃんと悪い人だったらの話。ただ子供をほったらかしにしてる親なんて、この町にだって何人もいるし、そうやって育ってきた大人もいる。良いことじゃないかもしれないけど、家の事情はそれこそ色々だからさ。ヘイノは、その全てを間違ってると言うつもり?」
 今度こそ、ヘイノは言葉に窮してしまった。黙りこくった片割れを見つめて、ヨニは言う。
「……あのさ。ヘイノは、正しいことをしたいの? それとも、正しいことをしている人になりたいだけ?」
 ヨニの質問に、ヘイノは答えられなかった。
 善行を成し遂げたいのか。
 それとも、善行をしている人と見られたいだけなのか。
 それは、かつての『ヘイノ』の足跡を辿ろうとしている彼には、あまりに重い問いかけだった。
「……ごめん、ちょっと俺も熱くなりすぎた。俺も、コレットの様子は気にかけておく。でも、早まった行動はしないように」
 ヘイノに釘を刺して、ヨニは燭台を片手にヘイノの部屋を後にする。残されたヘイノは、嵐の後の廃墟のように空虚な気持ちを抱えて、歯を食いしばり、拳を握り――そこに立ち尽くすしかなかった。
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