本編の話
彼女は、花が好きだった。
彼女の部屋には、いつも花瓶に花が生けられている。本丸の庭にも、四季折々の花々が丁寧に栽培されていて、いつも某かの彩りが縁側を行く者の目を楽しませていた。
嬉しそうに花を見つめている彼女を見るのが、いつしか俺の日課になっていた。
この場所に顕現してから、そんな当たり前を密かな俺の楽しみにしていた。
あの日も、彼女は縁側に座って花を眺めていた。庭の白百合を見つめる瞳は、どこか茫漠としていて、そんな目のまま彼女は乾いた唇を動かした。
「風の噂で聞いたのだけれど、どこかの本丸では、一年中花が咲いているんですって」
まるで桃源郷のよう、と彼女は目を細めて呟く。
この本丸にも花は咲き乱れているのに、彼女はその噂の本丸の方が良いように語る。
あたかも、そこが極楽浄土とでも言うかのような口ぶりだった。さながら、乾いた風が花びらを吹き散らすかのように、彼女がふらりとそこに旅立ってしまうような気がして、俺は必死に否定の言葉を紡ごうとした。
そのとき、縁側の床板を踏む音が響く。
顔を向けるまでもなく、それが誰の足音か。俺はよく知っていた。
「ここにも花は咲くがやに、おんしゃ、げにまっこと花が好きなんじゃにゃあ」
姿を見せた彼は、彼女へと声をかける。彼の声を聞き、彼女の乾ききった表情にも、変化がゆっくりと現れた。
「そうね。花は、ここにもあるわね」
やってきた彼の言葉は、俺が言おうとしたものと全く同じだった。
だが、と俺で自分は言葉を繋ぐ。
きっと、あの言葉を、他ならぬ彼が言うことに意味があったのだろう。俺が口にしたところで、逆に気遣われてしまったに違いない。
「でも、その本丸は、何か特殊な事情があって、出陣も殆ど無いんですって。……あなたたちも戦いに出ずに、穏やかに静かな日々を過ごせたらいいのにって、つい思ってしまったの」
「俺たちは、歴史を守り、戦うために生まれてきたんだ」
俺も彼女に何か言おうと口を開いたが、飛び出したのは、どこか突き放すような言葉だった。
「……そうね。ごめんなさい。つい、人間の尺度で考えてしまったわ」
彼女に謝罪させるつもりはなかったのに。もっと良い言い回しで話せばいいものをと、自分で自分の口を呪いたくなった。
俺たちは刀で、戦いの武器で、戦いの中で使われるのは謂わば本能に近い。
だから、今のこの境遇を憂う必要はないと、ただそれだけを伝えたかったのに。
「山姥切の言う通りじゃ。おんしの気にすることじゃないぜよ。わしらは刀。戦うのは呼吸をするようなもんぜよ。刀として生き、刀として死ぬる。それがわしらじゃ」
ばしばしと、彼女の肩を叩く彼。
自分と違って、彼の言葉は太陽に彼女を温めていく。いつも、彼のようになってみたいとは思うが、到底俺では叶う日など来ないだろう。
「そんでも、もし、そがな極楽みたいな場所があるなら、本丸の皆集めて遊びに行きたいもんじゃ」
「そうね。そのときは、ぜひ」
春の陽だまりのように、柔らかく笑う彼女。
花がほころぶような笑みを、ずっと見ていたいと思っていた。
太陽のような彼にはなれなくとも、影から支えられるなら俺はそれでいい、と。
白百合の甘く優しい香りが、そっと鼻の奥を擽っていく。
彼女の隣に腰を下ろした彼――本丸最初の刀に、俺もいつか並び立てるぐらいにはなりたいと、その時の俺はただそんな単純なことだけを願っていた。
彼女の部屋には、いつも花瓶に花が生けられている。本丸の庭にも、四季折々の花々が丁寧に栽培されていて、いつも某かの彩りが縁側を行く者の目を楽しませていた。
嬉しそうに花を見つめている彼女を見るのが、いつしか俺の日課になっていた。
この場所に顕現してから、そんな当たり前を密かな俺の楽しみにしていた。
あの日も、彼女は縁側に座って花を眺めていた。庭の白百合を見つめる瞳は、どこか茫漠としていて、そんな目のまま彼女は乾いた唇を動かした。
「風の噂で聞いたのだけれど、どこかの本丸では、一年中花が咲いているんですって」
まるで桃源郷のよう、と彼女は目を細めて呟く。
この本丸にも花は咲き乱れているのに、彼女はその噂の本丸の方が良いように語る。
あたかも、そこが極楽浄土とでも言うかのような口ぶりだった。さながら、乾いた風が花びらを吹き散らすかのように、彼女がふらりとそこに旅立ってしまうような気がして、俺は必死に否定の言葉を紡ごうとした。
そのとき、縁側の床板を踏む音が響く。
顔を向けるまでもなく、それが誰の足音か。俺はよく知っていた。
「ここにも花は咲くがやに、おんしゃ、げにまっこと花が好きなんじゃにゃあ」
姿を見せた彼は、彼女へと声をかける。彼の声を聞き、彼女の乾ききった表情にも、変化がゆっくりと現れた。
「そうね。花は、ここにもあるわね」
やってきた彼の言葉は、俺が言おうとしたものと全く同じだった。
だが、と俺で自分は言葉を繋ぐ。
きっと、あの言葉を、他ならぬ彼が言うことに意味があったのだろう。俺が口にしたところで、逆に気遣われてしまったに違いない。
「でも、その本丸は、何か特殊な事情があって、出陣も殆ど無いんですって。……あなたたちも戦いに出ずに、穏やかに静かな日々を過ごせたらいいのにって、つい思ってしまったの」
「俺たちは、歴史を守り、戦うために生まれてきたんだ」
俺も彼女に何か言おうと口を開いたが、飛び出したのは、どこか突き放すような言葉だった。
「……そうね。ごめんなさい。つい、人間の尺度で考えてしまったわ」
彼女に謝罪させるつもりはなかったのに。もっと良い言い回しで話せばいいものをと、自分で自分の口を呪いたくなった。
俺たちは刀で、戦いの武器で、戦いの中で使われるのは謂わば本能に近い。
だから、今のこの境遇を憂う必要はないと、ただそれだけを伝えたかったのに。
「山姥切の言う通りじゃ。おんしの気にすることじゃないぜよ。わしらは刀。戦うのは呼吸をするようなもんぜよ。刀として生き、刀として死ぬる。それがわしらじゃ」
ばしばしと、彼女の肩を叩く彼。
自分と違って、彼の言葉は太陽に彼女を温めていく。いつも、彼のようになってみたいとは思うが、到底俺では叶う日など来ないだろう。
「そんでも、もし、そがな極楽みたいな場所があるなら、本丸の皆集めて遊びに行きたいもんじゃ」
「そうね。そのときは、ぜひ」
春の陽だまりのように、柔らかく笑う彼女。
花がほころぶような笑みを、ずっと見ていたいと思っていた。
太陽のような彼にはなれなくとも、影から支えられるなら俺はそれでいい、と。
白百合の甘く優しい香りが、そっと鼻の奥を擽っていく。
彼女の隣に腰を下ろした彼――本丸最初の刀に、俺もいつか並び立てるぐらいにはなりたいと、その時の俺はただそんな単純なことだけを願っていた。