美芳本丸短編

 ふわりと、視界に白が入る。

「あれは……」

 よく見ればその白は、誰かが身にまとっているドレスだった。
 一点の染みもないほどの美しい白に、思わず目を奪われる。
 顔を上げると、黒い髪をさらりと靡かせている少女が目に入った。その顔には、見覚えがある。
 彼女の艶やかな黒髪をゆるりと覆っているのは、白いベールだ。
 ──ああ、花嫁の衣装か。
 そう思った矢先、

「鶯丸さん」

 彼女が声をかける。答えようと口を開きかけた時。


***


「──という、夢を見た」
「それで、何故それを私に報告してくださるのですか?」
「娘の花嫁衣装については、父親に知らせたほうがいいかと思ったからな」
「ほう」

 翌朝。縁側でいつものようにのんびりと食後の茶を啜っていた鶯丸は、通りがかりの一期一振を捕まえるや否や今朝の夢の話をした。
 予想通り、鶯丸の話を聞いた一期の声音には剣呑なものが混じり始める。

「あなたがどんな夢を見るかまでを、私はとやかく言うつもりはありません。ですが、現実にするなら一言申し上げるつもりはありますので」

 既に十分とやかく言っていないかと言う質問が鶯丸の喉まで出かかったが、口にはしないでおくことにする。
 鶯丸の隣に腰かけた一期は、分かりやすい不機嫌さを滲ませながら彼が用意した茶に勝手に手を伸ばした。本当は後から来る彼女──夢の中にも現れた彼女のためのものだったが、今日は文句を控えておくこととする。
 茶を口に含み、一息入れてから一期は庭に目をやる。どこか遠くを見つめるように目を細めて、

「ただ、一度は見てみたいものだと思うのは矛盾しているのでしょうな」

 ぽつりと、そう漏らした。

「花嫁姿を、か?」
「ええ。彼女の顔はどちらかというと私に似てはいますが、それでも時折母親に似ていると思わせる部分もあるんですよ。きっと彼女に似て、白い衣装はよく似合うことでしょう」
「彼女の母親というと……君の前の主にあたるのか」

 一期は当時のことを思い出してか、少しだけ頬を朱に染める。心なしか、彼の周りに桜が散っている様子も見える。
 幸せを感じたり気分が高揚すると、刀剣男士の周りは桜が散る。彼にとって前の主のことは、思い出すだけでも幸せを噛み締められる存在だったのだろう。

「審神者でありながら、私の妻になるということに彼女は最初躊躇っていたようです。彼女は──審神者になる直前に、家族と縁を絶っていましたから」

 だが、話の内容がただの世間話とは違う色を帯び始めたので、鶯丸は真剣な面持ちになって彼の話を黙って聞くことにした。

「家族を不幸せにした自分が別の家族を持つということに、罪悪感を覚えてしまうと口にしていました。ですが、当時の私には分かりかねる感情でした」
「君には弟があんなに沢山にいるのにか?」

 一期一振といえば、粟田口兄弟の長兄として審神者の間では有名な存在である。
 他の刀剣男士より家族というものには造詣が深いと鶯丸は思っていた。しかし、一期は首をゆっくりと横に振る。

「たしかに、私は彼らのことを弟のように思っています。ですが、人間のそれとはやはり異なります。彼女が家族と関係を絶つ理由は、まだ分かりやすいものでした。彼らはあまり、人格者とは言えない方々だったようですので」

 その場にいない者の悪口を言うことに躊躇を覚えるのだろう。あくまで彼女の言葉を聞いた限りですが、と断りを一期は差し挟んだ。

「ただ縁を絶ちながらも、そのことが自分が新たな関係を作ることへの罪悪感になるというのは……今でも完全に理解したとは言えません」

 一期の言葉を聞き、けれども鶯丸も彼と同じ意見を胸中に抱える。人のしがらみは、刀の彼らが共感を覚えるには些か困難なものだった。

「それでも数年とはいえ私と共に過ごした時間は幸せな時間だと、最期の時まで言っていました。そのことは──よく覚えています」

 恥ずかしそうに笑いながらも、彼はどこか誇らしげに告げる。
 その横顔はどこか眩しくて、鶯丸には遠いものに思えた。

「……俺には、よくわからないな」

 だからだろう。
 思わず、そんな言葉が鶯丸の口をついて出てしまったのは。

「自分を顕現させた主にそこまで思われるということは、未だにどうもよく分からん」
「…………」
「そういう関係もあることは知っている。ただ」

 鶯丸はゆっくりと頭を横に振り、言葉を飲み込んだ。何を言っても、これではまるで一期を僻んでいるように聞こえてしまうだろう。
 だが、一期は気にしないと言わんばかりに、黙って鶯丸に視線を送り続けていた。まるで、彼の続きを受け入れるかのように。
 暫くの沈黙の末、鶯丸はその好意に甘えることとする。

「俺の前の主は、顕現されたときしか顔を合わせていないが──俺を、恐れているようだった」
「……たしかその方は別の鶯丸殿を慕っていたと、以前聞きましたね」
「隣にいたもう一人の俺が、きっとそうだったのだろう。それからすぐに政府に引き渡されたから、詳しくは知らないな」

 当時のことを思い出して、思わず湯飲みを握る手に力がこもる。けれども、今は一つ息を吐くことでその硬直を自ら解くことができた。
 もう過ぎた話だ。そう思うと、少しだけ口の滑りも良くなる。

「ろくに顔も合わせなかったからな。本当のところはどうかは分からない。顕現した時に俺ともう一人の俺を見比べて、それから彼女はすぐに逃げ出すようにいなくなってしまった」

 顕現を終え、一人取り残された鶯丸はその後主であったはずの審神者と顔を合わせることもなく、唐突に政府の人間に引き渡された。
 理由は──不要だから。ただそれだけが、彼に告げられた内容だ。
 以来、彼女と顔は合わせていない。声すらも、もう記憶に残っていない。
 元々細かいことを気にする性質ではなかったが、ふとした弾みに心に残った爪痕が自分には別の主がいたのだということを教えていた。
 今更蒸し返したところでどうこうするつもりはないが、理解できない悲しみだけが残っている。
 話に一区切りがつき、二人の間に静けさが広がっていく。
 庭にやってきた小鳥の囀りに何気なく鶯丸が耳を傾けていると、

「……慕っていた相手と同じ顔の方を見て、どうすればいいのかわからなくなったのかもしれませんな」

 鶯丸の方を見ることなく、一期がポツリと呟いた。

「私も、娘の姿を見てふと妻が戻ってきたような錯覚を覚えます。すぐに我には返りますが……心穏やかで常にいられるというわけではありません」

 どこかピンときていない様子の鶯丸を見て、一期は更に言葉を続ける。

「その方にとって、あなたではない方の鶯丸殿との関係が深いものであればある程、怖かったのだろうと思いますよ。
 全く同じ顔を絆だけで見分けられると断言できるほど、人間は強い生き物ではないようです。まして、同じ本丸となれば」

 一期はゆるゆると首を横に振ってみせる。
 培ってきた思いがある、絆がある、などと口ではあれこれ言えても、いざ試されるともなると迷いも生じる。
 もし、間違えてしまったら。
 親しげに声をかけた相手が古馴染みの方でなかったら。
 睦言を交わしているつもりの相手が、実はまるで関係のない相手だったとしたら。
 それは今まで慕ってきた相手への裏切りになり、同時に自分自身への裏切りにもなってしまう。

「……だから、俺は遠ざけられたのか」
「あくまで可能性の一つです。経緯はどうあれ……あなたが傷ついたということには変わりないでしょう」
「いや──そうか。そういう、可能性もあったのか」

 ただ、要らないものとして捨てられたと思うよりは、その考え方はいくらか救いのある考え方だった。
 実際のところは、違うのかもしれない。真意は、あくまであの審神者の中にしかないことだ。
 けれども、できることなら彼は彼女のことも、恨みたくはなかった。
 結果はどうあれ顕現をして、この世界に触れさせるきっかけをくれた人間だ。丁度、子が親を無意識に慕おうとするように。
 ならば、できれば苦い感情は持ちたくない。
 悲しくはある、辛くもある。
 だが腑に落ちるものがあれば、仕方ないと考えられるものがあれば──怒りは持たずに済む。

「……人の思いというやつは、複雑だな」
「その思いがあるからこそ、我々はこうしてここにいるのですよ。それにあなたの思いがなければ、こうしてあなたは彼女に会うことも、夢に見ることもなかったでしょう」

 夢の中で白のドレスを翻して笑う彼女を、鶯丸は思い出す。あの夢もきっと、自分が彼女に思いを寄せる故に生まれたものなのだろう。
 あの審神者が抱いていた思いの苛烈さと同じようなものが、今の自分にもきっとある。

「君に諭される日が来るとはな」
「いえ。これでもそれなりに長生きをしていますので。若輩者の面倒を見るのは、先達の役目というわけです」

 茶化すように一期が口にした言葉で、重苦しい空気が少し緩む。
 つられて鶯丸も口元を緩めて、

「ならば、俺も君を見習っていくとしようかな」

 気を取り直すようにわざと明るい声をあげ、鶯丸は湯呑みを盆に載せる。立ち上がろうとする彼を、しかし一期が自然な流れで腕を掴んで引き止めた。

「どうした?」
「それはさておき。これから一本、手合わせはいかがですかな」

 妙に腕にこもっている力が強いのは、気のせいではあるまい。
 どうやら今までの話をさておくとして、勝手に娘の花嫁姿を見られた父の鬱憤は未だ晴れていなかったようだ。

「手は抜かないぞ?」
「こちらこそ」

 軽口の叩き合いはいつものこと。
 連れ立って道場に向かう鶯丸は、ふ、と人知れず笑みを浮かべる。
 今まで凝っていた重りが解けたように、彼の足取りは少しだけ、いつもより軽やかなものだった。
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