八乃・志乃本丸短編
「ねえ、切国!」
演練会場の片隅のベンチで、山姥切国広は本日の演練結果を見返していたはずだった。
一人反省会を繰り広げていた彼は、突然ぐいと体に被っている布を引っ張られて危うくひっくり返りそうになる。振り返れば、そこには好奇心を瞳にみなぎらせた少女が立っていた。
彼女こそ、この山姥切国広の主である審神者その人である。
「おい、布を思い切り引っ張るな。首が締まる」
「そんなことよりも、ほらあっち!」
だが審神者という仰々しい肩書きとは裏腹に、年の頃は十三、四の彼女に肩書き相応の品格は備わっているようには見えない。今も彼の抗議を無視して、一点を指し続ける。
一体そこには何があるのかと思いきや、随分と仲睦まじそうに話している石切丸と女性の姿があった。
女性の方は度々演練で顔を合わせている審神者だと気がついて、山姥切国広はああ、と気のない声を漏らす。
「あの審神者か。それがどうしたんだ」
「切国ったらにぶい! 見て分からないの!?」
「にぶ……」
ガクガクと肩を揺さぶられても、己の主が何を言いたいかが彼にわかるわけもない。
しばらく首を振るだけのてるてる坊主と化した彼は、今度は主に顔を掴まれる。そのまま、がっちりと首を例の審神者の方に向けたまま固定された。
「よーく見て!」
主の言葉通り、彼はぎゅっと眉根を寄せて注視する。
主が話している審神者は歳の頃は三十も近いかどうかという妙齢の女性だ。白い髪に若葉色の瞳が印象的で、女性にしては少し背が高い方だということも知っている。
何度か彼女の本丸の刀剣男士とも戦ったことはある。申し分のない腕前の彼らに苦戦させられたことも一度や二度ではない。それでいて強さを鼻にかけることもない。まさに刀剣男士の鑑とも言える者たちばかりだった。
当の審神者本人はというと、いつもにこにこと笑顔を崩さずに静かに佇んでいることが多い。以前小耳に挟んだ所によると、どの刀剣男士にも分け隔て無く接することを心がけているとのことだ。
その彼女が、彼女の本丸の刀剣男士と、穏やかに笑い合いながら話をしている。
「……何がおかしいんだ?」
「おかしいとかじゃなくて! もう、ちゃんと見てってば!」
「いや、どこをどう見てもただ楽しそうに話をしているだけに……」
言いつつ目を凝らして、山姥切国広はあることに気がつく。
話題の審神者の頬が、妙に紅潮しているように見える。熱でもあるのだろうか──などという典型的なボケは流石に不要だ。
「もしかして、照れているのか?」
ちらりと隣の石切丸を見ると、こちらも何だか顔が赤い。演練直後だから体温が上昇しているというわけでもないのだろう。
「……つまり?」
「つまり! あの審神者さんが、石切丸さんと頬を染め合いながら話し合ってるの!」
「だから?」
「だーかーらー、付き合ってるんじゃないかなってこと!」
「まさか。そんな話、聞いたことがないぞ。大体、普段から皆平等に接するようにしているとか言っている審神者が誰かと付き合ったりするものか?」
山姥切国広は至極もっともな指摘をする。
だが、主は意味深な笑みを見せて、
「だからこそ驚きなの! あんなおっとりとしたお母さんみたいな人を、これまたおっとりして穏やかそうな石切丸さんが! どうやってあんな風になったのか気にならない!? 私は気になる!!」
「あんたは落ち着け」
鼻息荒く勢い込む主の襟を、山姥切国広はぐいと掴む。
このままでは彼女たちに突撃していきそうな勢いだった。いくら主といえ、よその本丸の審神者に迷惑をかけにいくのを見過ごすわけにはいかない。
ぷうと頬を膨らませた彼女は、山姥切国広の隣に腰掛けて足をぶらぶらと振る。
「いいなー。私もあんな風にカッコいい刀剣男士の人と付き合いたい」
「そうしたいなら、あんたはもう少しあの審神者のように落ち着くべきだな」
「う。頑張ります……」
形から入ろうとしているのか、妙に背筋をしゃんと伸ばして座る主。彼女の様子を見て、山姥切国広は彼女に知られないように微かに笑みを浮かべる。
目をやれば、件の二人がぎこちなく手を繋ぎながら歩いているのが見えた。二人とも見た目だけなら立派な大人なのに、まるで少年少女のような初々しさを見守る者たちに感じさせる。
辺りに漂う幸せの気に当てられたのか、心なしか周囲の草木も祝福するように揺れているようだった。
「……今度、聞いてみるか」
「何を?」
「いいや、何でもない」
どうやって自分の主との関係を一歩進めたのかを、という言葉を山姥切国広は飲み込む。ちらりと目をやると、何も知らない少女がこてんと首を傾げていた。
──全く、こっちの気も知らないで。
胸中に過ぎる小さな愚痴は、今は言わないでおく。
幸せそうな二人の横を通り過ぎたであろう風が、山姥切国広と主の間もゆるりと通り過ぎていった。
演練会場の片隅のベンチで、山姥切国広は本日の演練結果を見返していたはずだった。
一人反省会を繰り広げていた彼は、突然ぐいと体に被っている布を引っ張られて危うくひっくり返りそうになる。振り返れば、そこには好奇心を瞳にみなぎらせた少女が立っていた。
彼女こそ、この山姥切国広の主である審神者その人である。
「おい、布を思い切り引っ張るな。首が締まる」
「そんなことよりも、ほらあっち!」
だが審神者という仰々しい肩書きとは裏腹に、年の頃は十三、四の彼女に肩書き相応の品格は備わっているようには見えない。今も彼の抗議を無視して、一点を指し続ける。
一体そこには何があるのかと思いきや、随分と仲睦まじそうに話している石切丸と女性の姿があった。
女性の方は度々演練で顔を合わせている審神者だと気がついて、山姥切国広はああ、と気のない声を漏らす。
「あの審神者か。それがどうしたんだ」
「切国ったらにぶい! 見て分からないの!?」
「にぶ……」
ガクガクと肩を揺さぶられても、己の主が何を言いたいかが彼にわかるわけもない。
しばらく首を振るだけのてるてる坊主と化した彼は、今度は主に顔を掴まれる。そのまま、がっちりと首を例の審神者の方に向けたまま固定された。
「よーく見て!」
主の言葉通り、彼はぎゅっと眉根を寄せて注視する。
主が話している審神者は歳の頃は三十も近いかどうかという妙齢の女性だ。白い髪に若葉色の瞳が印象的で、女性にしては少し背が高い方だということも知っている。
何度か彼女の本丸の刀剣男士とも戦ったことはある。申し分のない腕前の彼らに苦戦させられたことも一度や二度ではない。それでいて強さを鼻にかけることもない。まさに刀剣男士の鑑とも言える者たちばかりだった。
当の審神者本人はというと、いつもにこにこと笑顔を崩さずに静かに佇んでいることが多い。以前小耳に挟んだ所によると、どの刀剣男士にも分け隔て無く接することを心がけているとのことだ。
その彼女が、彼女の本丸の刀剣男士と、穏やかに笑い合いながら話をしている。
「……何がおかしいんだ?」
「おかしいとかじゃなくて! もう、ちゃんと見てってば!」
「いや、どこをどう見てもただ楽しそうに話をしているだけに……」
言いつつ目を凝らして、山姥切国広はあることに気がつく。
話題の審神者の頬が、妙に紅潮しているように見える。熱でもあるのだろうか──などという典型的なボケは流石に不要だ。
「もしかして、照れているのか?」
ちらりと隣の石切丸を見ると、こちらも何だか顔が赤い。演練直後だから体温が上昇しているというわけでもないのだろう。
「……つまり?」
「つまり! あの審神者さんが、石切丸さんと頬を染め合いながら話し合ってるの!」
「だから?」
「だーかーらー、付き合ってるんじゃないかなってこと!」
「まさか。そんな話、聞いたことがないぞ。大体、普段から皆平等に接するようにしているとか言っている審神者が誰かと付き合ったりするものか?」
山姥切国広は至極もっともな指摘をする。
だが、主は意味深な笑みを見せて、
「だからこそ驚きなの! あんなおっとりとしたお母さんみたいな人を、これまたおっとりして穏やかそうな石切丸さんが! どうやってあんな風になったのか気にならない!? 私は気になる!!」
「あんたは落ち着け」
鼻息荒く勢い込む主の襟を、山姥切国広はぐいと掴む。
このままでは彼女たちに突撃していきそうな勢いだった。いくら主といえ、よその本丸の審神者に迷惑をかけにいくのを見過ごすわけにはいかない。
ぷうと頬を膨らませた彼女は、山姥切国広の隣に腰掛けて足をぶらぶらと振る。
「いいなー。私もあんな風にカッコいい刀剣男士の人と付き合いたい」
「そうしたいなら、あんたはもう少しあの審神者のように落ち着くべきだな」
「う。頑張ります……」
形から入ろうとしているのか、妙に背筋をしゃんと伸ばして座る主。彼女の様子を見て、山姥切国広は彼女に知られないように微かに笑みを浮かべる。
目をやれば、件の二人がぎこちなく手を繋ぎながら歩いているのが見えた。二人とも見た目だけなら立派な大人なのに、まるで少年少女のような初々しさを見守る者たちに感じさせる。
辺りに漂う幸せの気に当てられたのか、心なしか周囲の草木も祝福するように揺れているようだった。
「……今度、聞いてみるか」
「何を?」
「いいや、何でもない」
どうやって自分の主との関係を一歩進めたのかを、という言葉を山姥切国広は飲み込む。ちらりと目をやると、何も知らない少女がこてんと首を傾げていた。
──全く、こっちの気も知らないで。
胸中に過ぎる小さな愚痴は、今は言わないでおく。
幸せそうな二人の横を通り過ぎたであろう風が、山姥切国広と主の間もゆるりと通り過ぎていった。