真白本丸

 へし切長谷部という刀剣男士は、日々のルーチンワークというものですらも、とにかく完全に完璧にこなさなければならない、という性格の持ち主だった。それはたとえ、どんな日であっても変わらない。お正月だろうがお盆だろうが、彼の前では等しく無意味と化す。
 今日も今日とて、本丸内の庭掃除をきっちり終えて、彼はその成果を主人に報告しようと意気揚々と本丸に向かった。向かいつつ、長谷部は「おや」と思う。普段は鶯丸と時たま短刀たちがいるだけの縁側に、今日はやけに人が集まっていて騒がしくしている。

「この騒ぎは何だ?」
「何かあったんじゃないのか?」

 同じく庭当番を任されていた厚藤四郎が、駆け足で彼らに近づく。

「おーい! みんな揃って一体何してるんだ?」

 少年の声を耳にして、そこにいたメンバーは揃って顔を上げた。揃いのジャージを着ている国広三兄弟に、いつものようににこにこ笑っているにっかり青江と鶯丸。長谷部の姿を見て、何故か困ったように笑ってみせた燭台切光忠。彼らの中心には、白髪に赤の瞳の十ぐらいの少女――彼らの主である審神者がいた。

「よっ、大将。今日は何かの祝い事か?」
「厚さん、ちょうどよかったです! こちらをどうぞ」

 主である少女――真白と言う名の彼女は、すす、と厚に小さな箱を渡した。ふと周りを見渡せば、後ろから来ている長谷部以外は、揃って同じようなものを持っている。

「ありがとな。それで、これはいったい何なんだ?」
「厚。今日は世話になっているものに贈り物をする、という日らしい」

 本丸の初期刀である山姥切国広が、自分の持っている箱を指しながら答えた。顕現してそれなりに当世の風習を勉強した彼は、この手の知識も豊富だ。

「はい。なので、厚さんにも。燭台切さんに手伝ってもらって、お菓子をご用意したんです」
「なるほどな。ああ、それで大将は今日は俺たちと同じ服なのか!」
「着物だと、汚れてしまいますので」

 照れ臭そうに頬を染めて、彼女は普段着慣れないエプロンの裾をつまむ。平時は着物を私服としている彼女であるが、厚が指摘した通り、藤四郎兄弟が着ている揃いの内番服を身に纏っていた。

「燭台切さんのおかげで美味しくなりましたから。味は大丈夫です。花丸の味です」
「僕もだけど、主が頑張ったからだよ」

 燭台切は謙遜する彼女の白髪をぽんぽんと撫でる。
 そこまで言われて、厚に我慢する道理はない。彼は早速箱を開いてその中身を確認する。簡素ながらも可愛らしさが垣間見えるパステルカラーの包装の中に、クッキーが入っていた。焼き立てなのか、まだ仄かな暖かさを帯びている。
 その一つをつまみあげ、ひょいと口の中に入れると、控えめな甘さが広がった。歯ごたえのある胡桃を砕けば、木の実の香ばしさが、バターや砂糖とは違う風味を与えている。

「お、うまいな、これ!」

 厚の評価を聞いて、真白は安堵したように息をつく。
そんな彼らのやり取りを聞いている長谷部は、どこか落ち着きを隠しきれずに後ろからじっと皆を見ていた。
 ここにいる皆が贈り物をもらっているということは、自分にもいずれその番がくるだろう。主から感謝の念をこめて贈り物をされるなど、長谷部にとっては感無量の大事件である。だが、自分から欲しいと言いだすのは、ねだっているようで浅ましく思える。主の方から言い出してくれないかと視線を送っていると、はたと長谷部と真白の目があった。

「あんたはもう貰ったのか? てっきり近侍のあんたにはもう渡しているものかと」

 山姥切国広の悪意のない問いかけに、長谷部は無言で首を横に振って返した。
 初期刀にはたしかに負けるかもしれない。庭掃除をしていたから後回しにされたのも、仕方ないかもしれない。いやしかし近侍として頻繁に側にいるのだから、優先をしてくれても。などという思考が、数秒の間に彼の中を駆け巡る。

「俺はまだ貰っていませんが、いつでも準備はできています」

 長谷部がそこまで言ったのだから、自然に今度は真白に視線が集まる。だが、なぜか彼女は顔を赤くして困ったような顔を見せた。

「あの、長谷部さんには、これはなくて」

 長谷部さんには、これはなくて。
 その言葉を聞いて、長谷部は破城槌で頭を殴られたような衝撃を受けた。

「まだ作ってないんですか?」

 素朴な疑問として堀川が真白に声をかけるも、彼女はどんどん俯いてふるふると首を横に振る。今にも泣きそうな様子を見て、堀川もただ事ではないと思ったようだった。

「燭台切、これはどういうことだ?」
「いや、僕の口からはちょっと」

 真っ白に燃え尽きている長谷部をガクガクと揺さぶりながら、山姥切国広が一緒に作ったという燭台切に問いかける。
 その燭台切が敢えて言及を避ける様子から、わざわざ解釈し直す必要はない。長谷部の心中には、自分の分は忘れられていたのだという疑惑があっという間に広がっていた。

「ご、ごめんなさい! そういうわけじゃないんですけど、ごめんなさい!!」

 にわかに真白は立ち上がり、何度も長谷部に頭を下げてから脱兎のごとく厨の方へと走って行ってしまった。残ったのは今にも折れそうな、精神的にはすでにバキバキに折れている長谷部と、それを気の毒そうに見る刀剣男士たち。

「……材料が足りなかったんだろう。あんたなら、日がずれていても気にしない器の大きい刀だと信じているんだ」

 初期刀の真顔の同情が、今の長谷部にはひたすらに辛い。

「あ、ああ……そうだな、そう、だな……」

 返事こそしているものの、彼が何か言えば言うほど彼の哀れさが増していた。

「うーん……長谷部君、そんなに落ち込まなくてもいいんじゃないかな」
「いの一番に貰っているだろう燭台切、俺は落ち込んでなどいない」
(なんかすっごい恨まれてるね、僕)

 敬愛する主に、料理という分野であるにしろ頼ってもらったことが長谷部としては単純に羨ましい、というだけだった。普段ならそこまであからさまな嫉妬はしないが、今は状況が状況である。この反応も致し方なしというものだ。

「ええと……そうだ。厨の片付けがまだ終わってなくてね。長谷部君、主を手伝ってきてもらえないかな!」

 わざとらしい切り返しに、長谷部はどんよりとした目で燭台切を見る。そのような目で見られて、燭台切は内心で冷や汗を垂らしながらも、笑顔を崩さなかった。
 やがて諦めたようにため息を一つついて、長谷部はふらふらと厨に向かって姿を消した。

「俺が貰うんじゃなくて、長谷部が貰った方が良かったんじゃないか」
「いや、厚君。そういうわけじゃなくてね」
「ん?」
「僕は『皆は気にしない』って主には言ったんだけど……実は……」

 申し訳なさそうに燭台切は、彼らに向けて小声で切り出した。


 ***


「主、片付けの手伝いに──……」

 厨に入った長谷部は、すぐに厨が丁寧に片付けられていることに気が付いた。燭台切が言うように、まだ終わってないという所などどこにもない。

「主、いらっしゃらないのですか。主?」

 それなりに広い厨の中をざっと見渡せば、すぐに探し人は見つかった。部屋の隅に隠れるように縮こまっていた真白は、長谷部に呼ばれて顔を上げる。

「は、長谷部さん」

 壁に背を向けて、どこかばつの悪そうな顔をしている少女は、白髪と赤目のせいでまるで追い詰められた子兎のようだった。

「私、何て言ったらいいのか」
「いえ、いいのです。材料を買う時、人数を誤るということはよくあることですから」
「長谷部さん、その」
「俺の分は、なくても構いません。勿論、作っていただけるということでしたら」
「違うんです。長谷部さん!」

 目の前の少女から予想外に大きな声が飛び出してきて、長谷部は少しばかり目を丸くした。普段の楚々とした振る舞いからは想像できないほどの、必死な声だった。
 彼女の悲痛ともいえる否定の声を聞き、長谷部の眉尻が下がる。どうやら、山姥切国広が告げた希望的観測は誤りだったようだと彼は思う。真白と目線が合うように膝をついてしゃがみ、狼狽する彼女を前にして、長谷部は頭を下げた。

「この長谷部が、主の不興を買うようなことをしたのなら、伏して謝罪します」

 ひゅっと彼女の息を呑む音が、長谷部の耳に聞こえる。だが顔は上げていないので、どんな顔をしているのかは彼には分からなかった。

「ですが、とても情けないことで申し訳ないのですが、俺の行動の何がいけなかったのか、俺には皆目見当がつかないのです」
「だから、違うんです」
「何がいけなかったのか、すみませんが主の口から直に指摘をいただければと――」
「違うんです!! 人の話を聞いてください、へし切長谷部!!」

 先ほどよりももっと大きな声を厨中に響き、思わず長谷部は顔を上げた。
 上げた瞬間、目の前にずいと何かが差し出される。それは長谷部の上着と同じ藤色の、皆の物より一回り大きな丁寧にリボンがかけられた箱だった。

「……これは?」
「あなたの、分です」

 大きな声をあげたためか、頬を朱に染めた彼女はやや硬い声で返事をした。

「しかし、俺の分はないと」
「皆さんにあげた分は、ないという意味です」

 受け取れと言わんばかりにずいずい差し出され、長谷部は恐る恐るその箱を受け取った。箱ごしでもほんのりと熱が伝わり、作られたものは今日のために用意されたものだろうということを教えてくれる。

「開けても、いいでしょうか」

 無言でこくこくと首肯をする真白。彼女の許可も得たので、長谷部はリボンを解き箱を開いた。
 そこには、厚のときと同じようにシンプルながらも可愛らしいパステルカラーの包装があった。
 だが、収まっているお菓子は厚のものと大きく異なる。
 そこにあったのは、チョコチップを万遍なく埋め込まれたチョコマフィンだった。ケーキ独特の仄かな甘さとチョコレートならではの独特の香りが混ざって、箱の中からふわりと立ち上る。

「……これは、厚藤四郎が貰っていたものと違うものですね」
「長谷部さんは、いつも近侍をしてもらっていますし、私のことを沢山助けてくれましたから……最初は特別なものを、用意しようと思ったんです」

 長谷部の問いに、真白はおずおずと口を開いた。普段の彼女に比べたら、歯切れの悪い回答だ。長谷部は無理に促すこともなく、彼女の答えをじっと聞いていた。

「でも、他の皆さんと差をつけてしまうのは……いけないことです。贔屓をするなんて、悪いことです。そのことに、作ってから気が付いてしまって。それで、どうしようもなくなって……」

 彼女の視線は、どんどん厨の床へと落ちていく。まるで、悪戯をしたのを見つかって叱られているような、普段の彼女からは滅多に見られない姿だ。
 そこにいるのは、本丸を取り仕切り歴史修正主義者と戦う立派な審神者の姿はなかった。ただの、十歳の背伸びをした子供の姿があった。

「だけど、長谷部さんにしなくてもいい悲しい気持ちをさせるのも、悪いことですから。それぐらいならって」

 恐る恐る顔を上げた真白は、跪いて自分の前にいる男の笑顔に気が付いた。

「ありがとうございます、主」

 これ以上ない喜びを見つけたというような長谷部の笑顔に、真白の顔がくしゃりと歪む。

「私は、だめな、主です。依怙贔屓をしてしまいました。長谷部さんを悲しくさせました」

 笑顔を返したいのに、彼女の真っ赤な瞳からはぼろぼろと涙が零れ落ちる。涙を隠すように何度も袖で拭っても収まる気配は見えない。ついに、彼女は小さな両手でその顔を覆ってしまった。

「いいえ。主はだめな主ではありません」

 箱を片手で持ち直し、空いた片手を長谷部はそっと伸ばす。

「皆に気遣いをして、俺に気遣いをしてくれた優しい主です」

 少女の小さな丸い頭を、彼の大きな手が慈しむように撫でる。泣く必要はないのだと伝えたくて、何度も何度も撫で続ける。

「皆も理由を知れば分かってくれるでしょう。そういう奴らばかりですから」
「そう、でしょうか」

 嗚咽交じりに顔を上げた彼女の目の周りは、真っ赤になっていた。彼女の涙を指で拭ってやりながら、長谷部は絶対の自信を持って答える。

「はい。主の刀ですから」


 ***


「……というわけで、長谷部君の分だけちょっと特別なものが用意されていてね。でも、皆の前で長谷部君に渡すわけにもいかないし、そもそも一振りだけ特別扱いっていうのもよくないのではと、主は考えてたみたいなんだよね」

 燭台切から事情を説明された全員は、暫し沈黙を挟んだ後大きく息をついた。皆揃って声にこそ出さなかったものの、「そういうことか」という納得に包まれている。

「政府からの書類も、演練の時の手続きも、出陣の時の指揮も、最近は長谷部が中心になってやっているんだ。あいつが特別なものを貰ったところで、俺は別にどうとは思わない」

 初期刀である山姥切国広が、はっきりと長谷部の特別扱いを容認する発言を口にする。そうすることで、他の者が主に対して悪感情を抱かせないようにするための配慮であった。もっとも、この本丸内において主の細やかな贔屓に目くじらをたてるような刀剣男士はいない。山姥切国広の牽制は杞憂でもあった。

「主も難儀な人だよねえ」
「だからこそ、僕らがお手伝いしてあげないと、ですけどね」

 にっかり青江は少し冷めたクッキーを齧りながらぼやき、堀川も苦笑いを交えつつ相槌を返す。縁側にはいつもと変わらない談笑がすぐに戻ったのだった。


 ***


「それで、主。こちらはもう食べてしまってもいいのでしょうか」
「は、はい」

 ようやく泣き止んだ主の様子を見てから、長谷部はマフィンを手にとった。
 妙に力の入った肯定の後、長谷部はマフィンの包装を外して一口齧る。スポンジケーキの柔らかさとチョコチップのビターな味わいが舌の上にふわりと広がる。そうして長谷部が食べている様子を、真白はまるで穴が空くほど見つめていた。

「どう、でしょうか」

 まるで一世一代の大舞台にでもあがるような緊張感を漲らせて、彼女は問いかける。

「とても美味しいですよ、主」

 彼女を安心させるように長谷部が笑顔を送ると、真白の頬にぱっと桃色に染まる。薄日が差すような微笑を見せた彼女は、とても愛らしいものだった。

「しかし、貰ってばかりというわけにもいきませんね。何かお返しをしたいのですが」
「あ、それなら一か月後に今日貰ったものに対してお返しをするという日があるそうなんです。何かというのであれば、その日で大丈夫ですから」

 真白の説明を聞いて、長谷部はなるほどと一つ頷きを返す。だが、与えられた猶予はたったの一か月だ。日々の業務を漫然とこなしていては、一か月などあっという間に過ぎてしまうだろう。
 顎に指をあて、うーんと小さく声を漏らしつつ彼は早速頭を捻り始める。

「そうだな。俺を差し上げるだけでは返礼にならないか……」
「待ってください。国宝をあなたの一存で渡さないでください!!」

 ぽつりと漏らした独り言に、真白は慌てて却下の意見を送る。

「刀ではだめということですか。わかりました。この長谷部、必ずや主の特別に応えられるものを用意しましょう」

 満面の笑顔をもって宣言されて、真白はとにかく頷きを返すことしかできなかった。
 来月、自分は一体何を貰うことになるんだろう。戦々恐々しながら、彼女はその後一か月を過ごすことになるのだった。
1/1ページ
スキ