菊理本丸
「清光。ちょっといいかしら」
藪から棒に部屋にやってきた彼の主は、眉根をぎゅっと寄せて不機嫌そうな顔をしていた。すわ自分が何かやらかしたか、と加州清光は居住まいを正して、跪座の姿勢で彼女に向き合う。
主が不機嫌そうな顔をしているのは、別に今日に限ったことではなくいつものことだ。実際、不機嫌というよりはまだ年若い自分が侮られないようにと威厳を見せているつもりらしい、というのが彼女と付き合いの長い蜂須賀の言葉である。
とはいえ、不機嫌ではないと考えても用があるのは確かだろう。故に、主に向かい合うにふさわしい姿勢を意識して、彼は背筋をいつも以上に伸ばして相対していた。
「主、どうかしたの?」
「その……あなたって今日暇よね」
「暇だよ。というより、主が内番の配分してるんだから、暇なのは主が一番知ってるんじゃないの?」
清光の言葉通り、この本丸の内番については主である彼女がまとめて週明けに発表する習わしとなっている。きちんとした本丸運営を心がけている生真面目な彼女らしいが、だからこそわざわざ自分に断りを入れなくてもと思い、そこまで考えが至って清光はハッとした。
「あ、もしかして非番の日に邪魔してないか、気を遣ってくれた?」
わざとらしくないかと思いながら、清光は薄い唇に笑みを引いて尋ねてみる。途端、彼女は目を三角に吊り上げて猛然と抗議し始めた。
「そういうわけじゃないわよ! ただ、私の買い物の付き添いに行くのに、気もそぞろのままウロウロされたくないってだけ!」
効果覿面、彼女はぷりぷりと怒りだしてしまった。
刀剣男士に威厳ある主として認めてもらおうと思ってか、彼女はよく彼らと一線を引いた関係を作ろうとする。それが素っ気ない態度に繋がるせいで本丸の刀剣男士たちに冷たい主人と思われがちだが、訳を知ってみればどうということはない。
要するに、彼女は自分の優しさの表現をする方法が、下手なだけなのである。
「じゃあ、そういうことにしておこっかな。で、俺は主の買い物に付き合えばいいってこと?」
「そうよ。荷物持ちよ、荷物持ち」
「でも、荷物持ちなら他に非番の太刀とかにお願いしたほうがいいんじゃないの?」
流石にこれは意地の悪い言い方では、と少しばかりの余裕を持って清光は己の態度を俯瞰する。
本当は大好きな主と出かけると聞いただけで、今すぐに身支度を整えて、玄関前に待機したい気持ちでいっぱいだった。だが、それでは彼女はいつも通りの言葉に角を残した態度をとるだけだろう。欲を言うなら、わざわざ自分を連れていく理由を、この素直になれない彼女の口から直に聞き出したかった。
「あ、あなたじゃなきゃ駄目なの。その……詳しいだろうから」
「俺が詳しい?」
「ほら、清光ってよく、経費で雑誌とか買ってるじゃない。服とかそういうの」
部屋に来たときの勢いはどこへやら、彼女の声の勢いは徐々に萎んでいってしまった。だが、話のいく先が気になっている加州清光は、まるでここが戦場ではないかというほど耳を澄まして、一言一句聞き漏らさんとする。
「だから、その……つ、付き合ってほしいのよ。服を、選ぶの」
ほとんど蚊の鳴くような声となってしまっていたが、清光もここまで至れば主が何を望んでいるかくらいは理解できた。彼女はファッションに詳しい加州清光という刀剣男士に、己の服を見立ててほしいのだ。
「オッケー、任せて。今日はどんなの買いに行くつもり? 和服? 洋服?」
「…………」
清光としては何気ない質問のつもりだったが、そこで彼女は押し黙ってしまった。そこまで変なことを聞いただろうかと思い、じっと見つめること数秒。
「……ドレス」
「どれす?」
「クリスマスパーティに着ていくドレスを、選んでって言ってるの!!」
耳がキーンとするような大声が、彼の部屋中にわんわんと響き渡ったのだった。
「親戚の会合があるから、洋風の宴でも問題ない服が欲しいってわけね。りょーかい」
「家が送ってきたのがあるんだけど、あんたが選んだ方が私の趣味を理解してるっていうか、ちゃんと似合うみたいだから頼んでるだけで、本当にそれだけなんだから」
彼女に背中を押されるようにして本丸の外に出た清光は、外出用の洋服に着替えた主から建前上の抗議を受けていた。唇を尖らせて拗ねたように目を下に向けている姿は、威厳ある主というよりも子供が不貞腐れているように清光には見えていた。
「それにしても、着ている服が指定されるような宴って大変だよね」
「仕方ないのよ。たまに顔見せないと、あることないこと変な噂を立てられるんだもの」
彼女の家は、所謂いいところのお嬢様らしいと、清光は聞いていた。審神者という職が出来た頃から政府との繋がりがあるそうで、結果として彼女は一分の隙も無いほど令嬢という枠にはまって育ち、今に至っている。今回出席するパーティとやらも、その大きなお家の付き合いの一つなのだろう。
「ま、宴の話は置いておくとして。主は俺のファッションセンスを、認めてくれてるってことだよね。でもさ、前に着物でいいって、主、言ってなかったっけ」
「着物で行ったら、あまりご飯食べられないのよ。帯ぎっちり締めるし、万が一汚したら一大事だもの」
「主、もしかしてパーティで食べるご飯、結構好きだったりする?」
暗に食いしん坊と言われて、彼女は無言で清光の腕を肘で小突いた。流石にこれはデリカシーが無かったかと、清光は「ごめんごめん」と謝り、小突いてきた彼女の手をさらりととる。手を繋いだことで少しは意識してもらえたらと思うも、当の彼女は素知らぬ顔で手をとられるままになっていた。
ご機嫌斜めになってしまった主と共に、清光は躊躇うことなく女性ものの衣料品店に足を踏み入れる。
今日は万屋ではなく、大きな百貨店に赴いているので周りからは少しばかり好奇の目を向けられるが、そんなものに萎縮する加州清光は今はもういない。己の主を飾り立てるという主命をもらったのだ。どうして臆することがあるだろうか。
目当ての売り場に辿り着いて早々、店員が言い寄るより先に清光はドレス売り場へと彼女を導いた。時期が時期だからか、よりどりみどりのデザインがずらりと並んでいる。
「主は肌が白いし髪の毛の色が落ち着いてるから、ドレスはパッとした色の方にしてみよっか」
言いつつ、清光は真っ赤なドレスを手に取る。色に関しては九割がた清光の趣味ではあるが、実際白い肌の彼女に赤は良く似合うとも思っていた。
「靴とか鞄も家から送ってもらってるんだっけ?」
「一応白いのがあるから、それにしようかって思ってるの」
「ん、それなら大丈夫かな。あーでも……」
清光が不服そうな呟きと共に口を閉ざしてしまったので、彼女は何事かと近寄って彼が持つドレスを見つめる。
ノースリーブのドレスは見るも鮮やかな赤に染められており、パーティ会場ではさぞ映えるだろうということは彼女にもすぐ想像できた。クリスマスという祝祭に合わせた色としても、丁度いいだろう。
流石自分の趣味を把握してるだけある、と彼を横目で見てみたが、予想に反して彼はその滑らかな額に小さく皺を寄せてドレスをじっと見つめていた。
「何が気に入らないの?」
「腕が丸出しだなあって思ってさ」
「ドレスってそんなものでしょ」
今更何を言ってるのやらと思うも、肝心の彼は不服そうに片頬を膨らませている。主が着たときのイメージを頭に浮かべるため、彼女にあててみてもその表情は変わらない。
「何よ。もしかして似合わないと思ってる?」
「そうじゃなくってさ。えーっと……主、俺たちをそのパーティに連れて行くつもりないんだよね?」
「ないわね。刀剣男士立ち入り禁止になってるもの」
「どこの誰とも知れない馬の骨が見てるかも知れない場所で、ここまで腕が丸出しってのはなあ、うーん……」
清光としては彼女に対しては主としての敬愛も無論だが、それ以外の感情も本人には内緒とはいえ秘めている。だというのに、自分の手が届かない場所で彼女が無防備な姿を晒しているというのは、彼としては承服しかねることだった。
「腕を出してるのが気になるなら、こうすればいいじゃない」
ドレスの側にかけてあった白のショールを手に取り、彼女はぐるりと自分の体に巻きつけてみせる。丁度二の腕を覆うくらいの広さがあるそれは、色合いからしてもドレスと馴染むだろうと、清光が太鼓判を押せる代物だった。
「うーん、じゃあとりあえずそれでオッケーってことにしよっか。でも、主。会場でそれ、脱いじゃだめだからね」
「分かってるわよ。私も、そんな風に見られるのは嫌だもの」
会計のために店員を呼び、購入予定の品を渡してから彼女はくるりと振り返る。
行く前と同じように彼女の目線は下へと彷徨い、どういうわけか唇をぎゅっと噛んでいた。なのに、頬だけは先ほどのドレスに負けないぐらい赤い。
「き、清光。今日はその、助かったわ」
「主のためなら、俺は何でも頑張っちゃうよ。だって、その分可愛がってもらえるものね」
いつものように言葉にはしてみたものの、意地っ張りで背伸びをしたがる彼女に、可愛がると言えるような分かりやすい態度を取るのは難しいだろう。日頃から、素直という言葉とは真逆の生き方をしているのだから、それもやむなしというもの。
そう思っていたはずなのに、
「あ、ありがとう」
少し背伸びをした彼女の手が、ぽんと清光の頭に乗せられ、何が起きたかを理解するより先にわしゃわしゃと撫でられる。人の撫で方というものがよく分かっていないやや乱暴な手つきではあったものの、そこに含まれる親愛の情は清光にも十二分に伝わっていく。
嬉しさの波が全身を行き渡り、やがてひらり、ひらりと二人の間に薄紅の花弁がちらちらと舞った。
「ちょ、ちょっと、こんな人目があるところで桜出さないでよ、清光!」
「んー……ちょっと、無理……かも?」
普段のように軽い調子で答えたかったのに、何故だか少し言葉が震えてしまう。みっともない顔は見せられないと、彼は咄嗟に床へと視線を落とした。
嬉しいと泣いてしまうという人の気持ちが、今の清光にはよく分かった。ふわふわと舞い散る季節外れの桜は、今や足元を薄桃色に染め上げるほど降り積もっていく。
慌てた彼女がポンポンと清光の肩を何度か叩いてみるものの、叩けば叩くほど桜はこぼれ出るばかりだ。
「今日はこの後まだ行くところがあるのに、こんな所で桜を散らしてる場合じゃないわよ!」
「え、他に買う物があるの?」
それなら確かに桜を散らしてる場合ではないと、清光はぱしぱしと頬を叩いて気合いを入れ直し、顔を上げる。
見上げた先にあった彼女は、いつものように少し勝気な笑みを見せながら、ぐいと清光に歩み寄った。
「清光の時間をとったんだから、今度は清光の好きな所に行っていいわよ。お金は私が払うから」
主ですもの、と胸を張る彼女をみて、清光は目をぱちくりとさせる。
驚きのあまり、彼女が口にした言葉がまず言語として理解するところから始める必要があった。
主は今、なんと言ったのかと頭の中で反芻すること暫し。数十秒かけて理解をした瞬間、清光から再び桜がふわふわと舞い散り始める。
「それって、主と一緒に?」
「当たり前じゃない。刀剣男士に財布だけ預けて帰る審神者が、一体どこにいるのよ」
思わずガッツポーズで叫びたくなるのを、清光はぐっとこらえる。平常心平常心、と心の中で唱え、けれども彼の手は気が早いことに彼女の華奢な手をしっかと掴んでいた。
「じゃあ、もうちょっと主の服を選びに行ってもいい? ずっと本丸では着物ばかり着てるけど、主に勧めたいのがあったんだよね。あ、でも正月に向けての着物もやっぱり見てみたいな」
「いいわよ。私もあなたに選んでもらうの好きだもの。でも、私の服だけでいいの?」
「勿論、俺もちょっと買わせてもらおうかなって。あ、それと休憩兼ねてこの前皆行った甘味処にも行っていい? 主が絶対気に入りそうな洋菓子があったんだ。それとさ」
水を得た魚のように生き生きと語る清光に、彼女は思わず目をまん丸にして狼狽える。子供のように目を輝かせてぐいぐい歩み寄る姿は、審神者として刀剣男士としての相応しい距離とは言えないかもしれない。
だけども、と彼女は内心でぽそりと呟く。
なかなかどうして、こういう顔をさせてあげられるなら、強がって背伸びするのをやめてもいいかもしれない──。
「ああもう、そんなにたくさん行けないわよ。もうちょっと絞りなさいよね!」
とは思うものの、なかなかすぐには素直になれないもので、彼女はいつもより少し強めに、清光の肩をぱしぱしと叩いたのだった。
藪から棒に部屋にやってきた彼の主は、眉根をぎゅっと寄せて不機嫌そうな顔をしていた。すわ自分が何かやらかしたか、と加州清光は居住まいを正して、跪座の姿勢で彼女に向き合う。
主が不機嫌そうな顔をしているのは、別に今日に限ったことではなくいつものことだ。実際、不機嫌というよりはまだ年若い自分が侮られないようにと威厳を見せているつもりらしい、というのが彼女と付き合いの長い蜂須賀の言葉である。
とはいえ、不機嫌ではないと考えても用があるのは確かだろう。故に、主に向かい合うにふさわしい姿勢を意識して、彼は背筋をいつも以上に伸ばして相対していた。
「主、どうかしたの?」
「その……あなたって今日暇よね」
「暇だよ。というより、主が内番の配分してるんだから、暇なのは主が一番知ってるんじゃないの?」
清光の言葉通り、この本丸の内番については主である彼女がまとめて週明けに発表する習わしとなっている。きちんとした本丸運営を心がけている生真面目な彼女らしいが、だからこそわざわざ自分に断りを入れなくてもと思い、そこまで考えが至って清光はハッとした。
「あ、もしかして非番の日に邪魔してないか、気を遣ってくれた?」
わざとらしくないかと思いながら、清光は薄い唇に笑みを引いて尋ねてみる。途端、彼女は目を三角に吊り上げて猛然と抗議し始めた。
「そういうわけじゃないわよ! ただ、私の買い物の付き添いに行くのに、気もそぞろのままウロウロされたくないってだけ!」
効果覿面、彼女はぷりぷりと怒りだしてしまった。
刀剣男士に威厳ある主として認めてもらおうと思ってか、彼女はよく彼らと一線を引いた関係を作ろうとする。それが素っ気ない態度に繋がるせいで本丸の刀剣男士たちに冷たい主人と思われがちだが、訳を知ってみればどうということはない。
要するに、彼女は自分の優しさの表現をする方法が、下手なだけなのである。
「じゃあ、そういうことにしておこっかな。で、俺は主の買い物に付き合えばいいってこと?」
「そうよ。荷物持ちよ、荷物持ち」
「でも、荷物持ちなら他に非番の太刀とかにお願いしたほうがいいんじゃないの?」
流石にこれは意地の悪い言い方では、と少しばかりの余裕を持って清光は己の態度を俯瞰する。
本当は大好きな主と出かけると聞いただけで、今すぐに身支度を整えて、玄関前に待機したい気持ちでいっぱいだった。だが、それでは彼女はいつも通りの言葉に角を残した態度をとるだけだろう。欲を言うなら、わざわざ自分を連れていく理由を、この素直になれない彼女の口から直に聞き出したかった。
「あ、あなたじゃなきゃ駄目なの。その……詳しいだろうから」
「俺が詳しい?」
「ほら、清光ってよく、経費で雑誌とか買ってるじゃない。服とかそういうの」
部屋に来たときの勢いはどこへやら、彼女の声の勢いは徐々に萎んでいってしまった。だが、話のいく先が気になっている加州清光は、まるでここが戦場ではないかというほど耳を澄まして、一言一句聞き漏らさんとする。
「だから、その……つ、付き合ってほしいのよ。服を、選ぶの」
ほとんど蚊の鳴くような声となってしまっていたが、清光もここまで至れば主が何を望んでいるかくらいは理解できた。彼女はファッションに詳しい加州清光という刀剣男士に、己の服を見立ててほしいのだ。
「オッケー、任せて。今日はどんなの買いに行くつもり? 和服? 洋服?」
「…………」
清光としては何気ない質問のつもりだったが、そこで彼女は押し黙ってしまった。そこまで変なことを聞いただろうかと思い、じっと見つめること数秒。
「……ドレス」
「どれす?」
「クリスマスパーティに着ていくドレスを、選んでって言ってるの!!」
耳がキーンとするような大声が、彼の部屋中にわんわんと響き渡ったのだった。
「親戚の会合があるから、洋風の宴でも問題ない服が欲しいってわけね。りょーかい」
「家が送ってきたのがあるんだけど、あんたが選んだ方が私の趣味を理解してるっていうか、ちゃんと似合うみたいだから頼んでるだけで、本当にそれだけなんだから」
彼女に背中を押されるようにして本丸の外に出た清光は、外出用の洋服に着替えた主から建前上の抗議を受けていた。唇を尖らせて拗ねたように目を下に向けている姿は、威厳ある主というよりも子供が不貞腐れているように清光には見えていた。
「それにしても、着ている服が指定されるような宴って大変だよね」
「仕方ないのよ。たまに顔見せないと、あることないこと変な噂を立てられるんだもの」
彼女の家は、所謂いいところのお嬢様らしいと、清光は聞いていた。審神者という職が出来た頃から政府との繋がりがあるそうで、結果として彼女は一分の隙も無いほど令嬢という枠にはまって育ち、今に至っている。今回出席するパーティとやらも、その大きなお家の付き合いの一つなのだろう。
「ま、宴の話は置いておくとして。主は俺のファッションセンスを、認めてくれてるってことだよね。でもさ、前に着物でいいって、主、言ってなかったっけ」
「着物で行ったら、あまりご飯食べられないのよ。帯ぎっちり締めるし、万が一汚したら一大事だもの」
「主、もしかしてパーティで食べるご飯、結構好きだったりする?」
暗に食いしん坊と言われて、彼女は無言で清光の腕を肘で小突いた。流石にこれはデリカシーが無かったかと、清光は「ごめんごめん」と謝り、小突いてきた彼女の手をさらりととる。手を繋いだことで少しは意識してもらえたらと思うも、当の彼女は素知らぬ顔で手をとられるままになっていた。
ご機嫌斜めになってしまった主と共に、清光は躊躇うことなく女性ものの衣料品店に足を踏み入れる。
今日は万屋ではなく、大きな百貨店に赴いているので周りからは少しばかり好奇の目を向けられるが、そんなものに萎縮する加州清光は今はもういない。己の主を飾り立てるという主命をもらったのだ。どうして臆することがあるだろうか。
目当ての売り場に辿り着いて早々、店員が言い寄るより先に清光はドレス売り場へと彼女を導いた。時期が時期だからか、よりどりみどりのデザインがずらりと並んでいる。
「主は肌が白いし髪の毛の色が落ち着いてるから、ドレスはパッとした色の方にしてみよっか」
言いつつ、清光は真っ赤なドレスを手に取る。色に関しては九割がた清光の趣味ではあるが、実際白い肌の彼女に赤は良く似合うとも思っていた。
「靴とか鞄も家から送ってもらってるんだっけ?」
「一応白いのがあるから、それにしようかって思ってるの」
「ん、それなら大丈夫かな。あーでも……」
清光が不服そうな呟きと共に口を閉ざしてしまったので、彼女は何事かと近寄って彼が持つドレスを見つめる。
ノースリーブのドレスは見るも鮮やかな赤に染められており、パーティ会場ではさぞ映えるだろうということは彼女にもすぐ想像できた。クリスマスという祝祭に合わせた色としても、丁度いいだろう。
流石自分の趣味を把握してるだけある、と彼を横目で見てみたが、予想に反して彼はその滑らかな額に小さく皺を寄せてドレスをじっと見つめていた。
「何が気に入らないの?」
「腕が丸出しだなあって思ってさ」
「ドレスってそんなものでしょ」
今更何を言ってるのやらと思うも、肝心の彼は不服そうに片頬を膨らませている。主が着たときのイメージを頭に浮かべるため、彼女にあててみてもその表情は変わらない。
「何よ。もしかして似合わないと思ってる?」
「そうじゃなくってさ。えーっと……主、俺たちをそのパーティに連れて行くつもりないんだよね?」
「ないわね。刀剣男士立ち入り禁止になってるもの」
「どこの誰とも知れない馬の骨が見てるかも知れない場所で、ここまで腕が丸出しってのはなあ、うーん……」
清光としては彼女に対しては主としての敬愛も無論だが、それ以外の感情も本人には内緒とはいえ秘めている。だというのに、自分の手が届かない場所で彼女が無防備な姿を晒しているというのは、彼としては承服しかねることだった。
「腕を出してるのが気になるなら、こうすればいいじゃない」
ドレスの側にかけてあった白のショールを手に取り、彼女はぐるりと自分の体に巻きつけてみせる。丁度二の腕を覆うくらいの広さがあるそれは、色合いからしてもドレスと馴染むだろうと、清光が太鼓判を押せる代物だった。
「うーん、じゃあとりあえずそれでオッケーってことにしよっか。でも、主。会場でそれ、脱いじゃだめだからね」
「分かってるわよ。私も、そんな風に見られるのは嫌だもの」
会計のために店員を呼び、購入予定の品を渡してから彼女はくるりと振り返る。
行く前と同じように彼女の目線は下へと彷徨い、どういうわけか唇をぎゅっと噛んでいた。なのに、頬だけは先ほどのドレスに負けないぐらい赤い。
「き、清光。今日はその、助かったわ」
「主のためなら、俺は何でも頑張っちゃうよ。だって、その分可愛がってもらえるものね」
いつものように言葉にはしてみたものの、意地っ張りで背伸びをしたがる彼女に、可愛がると言えるような分かりやすい態度を取るのは難しいだろう。日頃から、素直という言葉とは真逆の生き方をしているのだから、それもやむなしというもの。
そう思っていたはずなのに、
「あ、ありがとう」
少し背伸びをした彼女の手が、ぽんと清光の頭に乗せられ、何が起きたかを理解するより先にわしゃわしゃと撫でられる。人の撫で方というものがよく分かっていないやや乱暴な手つきではあったものの、そこに含まれる親愛の情は清光にも十二分に伝わっていく。
嬉しさの波が全身を行き渡り、やがてひらり、ひらりと二人の間に薄紅の花弁がちらちらと舞った。
「ちょ、ちょっと、こんな人目があるところで桜出さないでよ、清光!」
「んー……ちょっと、無理……かも?」
普段のように軽い調子で答えたかったのに、何故だか少し言葉が震えてしまう。みっともない顔は見せられないと、彼は咄嗟に床へと視線を落とした。
嬉しいと泣いてしまうという人の気持ちが、今の清光にはよく分かった。ふわふわと舞い散る季節外れの桜は、今や足元を薄桃色に染め上げるほど降り積もっていく。
慌てた彼女がポンポンと清光の肩を何度か叩いてみるものの、叩けば叩くほど桜はこぼれ出るばかりだ。
「今日はこの後まだ行くところがあるのに、こんな所で桜を散らしてる場合じゃないわよ!」
「え、他に買う物があるの?」
それなら確かに桜を散らしてる場合ではないと、清光はぱしぱしと頬を叩いて気合いを入れ直し、顔を上げる。
見上げた先にあった彼女は、いつものように少し勝気な笑みを見せながら、ぐいと清光に歩み寄った。
「清光の時間をとったんだから、今度は清光の好きな所に行っていいわよ。お金は私が払うから」
主ですもの、と胸を張る彼女をみて、清光は目をぱちくりとさせる。
驚きのあまり、彼女が口にした言葉がまず言語として理解するところから始める必要があった。
主は今、なんと言ったのかと頭の中で反芻すること暫し。数十秒かけて理解をした瞬間、清光から再び桜がふわふわと舞い散り始める。
「それって、主と一緒に?」
「当たり前じゃない。刀剣男士に財布だけ預けて帰る審神者が、一体どこにいるのよ」
思わずガッツポーズで叫びたくなるのを、清光はぐっとこらえる。平常心平常心、と心の中で唱え、けれども彼の手は気が早いことに彼女の華奢な手をしっかと掴んでいた。
「じゃあ、もうちょっと主の服を選びに行ってもいい? ずっと本丸では着物ばかり着てるけど、主に勧めたいのがあったんだよね。あ、でも正月に向けての着物もやっぱり見てみたいな」
「いいわよ。私もあなたに選んでもらうの好きだもの。でも、私の服だけでいいの?」
「勿論、俺もちょっと買わせてもらおうかなって。あ、それと休憩兼ねてこの前皆行った甘味処にも行っていい? 主が絶対気に入りそうな洋菓子があったんだ。それとさ」
水を得た魚のように生き生きと語る清光に、彼女は思わず目をまん丸にして狼狽える。子供のように目を輝かせてぐいぐい歩み寄る姿は、審神者として刀剣男士としての相応しい距離とは言えないかもしれない。
だけども、と彼女は内心でぽそりと呟く。
なかなかどうして、こういう顔をさせてあげられるなら、強がって背伸びするのをやめてもいいかもしれない──。
「ああもう、そんなにたくさん行けないわよ。もうちょっと絞りなさいよね!」
とは思うものの、なかなかすぐには素直になれないもので、彼女はいつもより少し強めに、清光の肩をぱしぱしと叩いたのだった。