本編第一部(完結済み)
山道を歩くこと数十分。ふじが歌仙と物吉に今夜の宿の話をしに行くというので、五虎退は彼女の弟と肩を並べて歩くことになった。気弱な五虎退と対照的に、弥助という名の少年は、勝気さが顔ににじみ出ているような人物だった。
ふじがいなくなったことで会話の中継役がいなくなり、二人の間に沈黙が降りる。しかし沈黙に耐えかねたのか、まさに悪戯小僧という笑みを浮かべて弥助は五虎退を見て、
「お前ってさ。枯れた草みたいにひょろひょろした奴だよな」
遠慮のない嫌味を口にする。言葉の内容もさることながら、語気に含まれた強気さに五虎退は口ごもってしまう。
「うじうじして頼りなくて、そんなんだからお前のとこのねーちゃんも、お前のこと嫌いになるんじゃねえのか?」
「そ、それは、ちがうってお姉さんは言ってましたよ。それに、弥助君だってお姉さんにいっぱい悪いことして、怒られたんでしょう」
互いに痛いところをつつき合う形になり、二人は額を突き合わせて、むむむと唸る。年端のいかない少年の瞳の間に、火花がばちばちと飛び交った。
「お姉さんの前だけいい恰好しているみたいで、そ、そういうの、猫かぶりって、言うんですよ」
拗ねたように口火を切ったのは、五虎退だった。ひょろひょろと言われたことが、彼の刀剣男士としてのプライドをいたく傷つけたのだろう。五虎退にしては強気な発言であり、言った本人が内心でどうしようかと戸惑っていたほどだった。
だが、戦乱の時代を逞しく生きている少年と、まだ人としての生活を一年も過ごしてない刀とでは、語彙の幅と勢いが違う。
「猫かぶっておいた方が、色々得なんだよ。そういうお前は白いし、なよなよしてるし、夏になったらすぐくたばったいまいそうだな」
「う」
「背もちっせえしよ。俺が猫ならお前はねずみだな。やい、ねず公」
「ち、違います。僕は猫じゃなくて、虎を」
「虎ぁ? はっ、冗談も休み休み言おうぜ。お前が虎だなんて、お天道様も笑い転げてあっという間に夜になっちまうや」
けらけらと笑う弥助に、五虎退は言葉にできない衝動で顔を真っ赤にする。それがからかわれた悔しさから生じたものだとは、五虎退もまだ理解できていない。しかし、言われっぱなしにはなるものか、という負けん気だけは彼も自覚していた。
「そんなこと、ありません!」
「そんなちびねずみじゃ、俺みたいに木登りできないだろ?」
「で、できます!」
「どうだか。俺は村で一番でっかい木にあっという間に登っちまえるんだぜ? お前には無理だね」
「僕だって、木登りくらいできます! あるじさまに、教えてもらいましたから!」
いつぞやのかくれんぼの後、主から木登りを教えてもらったことを思い出して、五虎退は必死の反論を続ける。だが、対する弥助はまともに聞く様子を見せず、にやにやと笑っているばかりだった。
「お姉さんは優しいのに、意地悪です……」
「ねーちゃんはな、すんげえお人よしなんだよ。西で赤子が泣いてりゃ自分の仕事ほっぽってあやしに行くし、東でじいさんが動けなくなってたらおぶりに行く。だからその分、俺がしっかりしてるって寸法さ。お前みたいにふにゃふにゃしてたら、あっという間にねーちゃんがいなくなっちまうからな」
胸を張る弥助の姿は、年端もいかぬ少年のはずなのに何故だかとても頼もしいものに見えた。
「ねーちゃんと同じ名前ってお前が話してたやつも、お前がめそめそしてっから頼りないって愛想尽かしてんじゃねえか?」
が、続く軽口が容赦なく五虎退に襲い掛かる。
弥助にとっては、取るに足らないからかい文句の一つだったのだろう。だが、頼りないという言葉は五虎退にとって自分の初陣を思い返すものでもあった。歌仙に庇われて、ただ立ちすくむことしかできなかったあの日のことを。
「そんな、ことは……ない、です」
瞼の奥がじわりと熱くなったが、五虎退は目を強くこすって滲みかけた雫を押し戻す。普段は内気な少年も、今は負けじと弥助を睨みつけていた。
ただ大人しく罵られるがままになっていたと思った子供の反撃に、いじめっ子の彼は二、散歩後ずさりする。
「ちゃんと、僕も、役に立っています!」
自分でも信じられないくらい大きな声が飛び出て、声を発した五虎退自身も思わず目を丸くする。思いがけない形で放たれた反攻に、弥助も何度かぱちぱちと瞬きを繰り返す。
我に返った彼は何を思ったか、五虎退を試すようにじろじろ見つめてから、にんまりと笑い、
「そんだけでかい声出せんなら、普段からそうしろよな。しどろもどろで自信なさそうにしてっと、舐められんぞ」
ようやく仲間として認めたかのように、ばしばしと強めに五虎退の背中を叩く。つんのめりかけた五虎退は、しかしその場に踏みとどまり、力強く頷いた。
「……はい!」
口にした返事は、いつもよりずっと大きくはきはきしたものだった。
「あら。弥助ったら、すっかりそちらの坊やと仲良くなったみたいね」
遠くから聞こえるからからとした少年たちの笑い声を耳にして、ふじはくすくすと笑う。
「あの子は、皆さんの兄弟なの?」
「兄弟……とは少し違うんですけど、家族みたいなものです」
刀剣男士のことを話すわけにはいかないので、物吉はひとまずは無難な言葉を選ぶ。ふじは納得したように、小さく数度頷き、
「家族っていいよね。私も、弟がいるおかげで毎日がとても楽しくて」
目を細めて夕日に照らされた少年たちの背中を見つめる。その横顔を見て、歌仙は微かに息をのむ。彼女のその表情は、五虎退や物吉を見ているときの主によく似ている気がしたからだ。
「楽しいといっても、こう言っては何だが……あまり良い暮らし向きというわけでもないのだろう?」
思わず口をついて出た歌仙の問いに、ふじは笑みを曇らせることなく微笑み返す。
「あはは、それはそうなのだけれど。でも、お天道様と一緒に起きて、畑の世話をして、弟の面倒を見て、夜になったら星と一緒に眠るだけでもずっと幸せなの」
「……そういうものなんだね」
「はい。畑の芽はどれぐらい伸びたのか、あの見たことのない鳥はどこから来たのか、近所の坊やの今日の機嫌はどうか。そんなことだけで、私は幸せになっちゃうかな」
彼女は自分の頬に指をあて、にこりと、とびきりの笑顔を見せる。
「誰かの笑顔を見ていたら、私は幸せになれる。これは、どんなに楽な生活とも変えようのないぐらい、大事なものなんだって私は思ってるの」
「笑顔でいると幸せがやってくる、ですよね」
「うん、その通り!」
幸運の刀であることを自負している物吉は、笠の下でふじと同じような笑顔を見せる。二人の笑顔を見て――しかし、歌仙は薄く口元をゆるませることしかできなかった。
ふじが身振り手振りで自分の生活で見つけた発見を話し、物吉が相槌を打つ。少し離れて先を行く五虎退たちからは、時折はじけるような笑い声が聞こえる。
どこにでもある、ありふれた家路の一つ。その光景を、歌仙は少し離れて見守る。
「……そろそろか」
彼の呟きが聞こえたわけではないのだろうが、ふじは歌仙の方を振り向き、進行方向を指さして、
「もうそろそろ私たちの村に着くわ。着いたら、まずはご飯にしましょう。旅人さんたちがいるから、今日は賑やかになりそうね!」
駆け足で続く道を走っていく。物吉もその後を小走りで追い、けれども歌仙は歩みを早めるでもなく、彼のペースを崩さなかった。
「おーい、早くしろよ!」
やや急な坂道の手前で、弥助はぶんぶんと大きく手を振る。彼の真似をするように、夕日によって主と同じ色に髪を染めた五虎退が控えめに手を振っていた。
「こら、待ってなきゃだめでしょう!」
言葉とは裏腹に、どこか楽しそうな声音でふじも少年たちの後を追う。だが、歌仙はゆるりとした足取りを崩さない。
一歩一歩、大地というものを確かめるように斜面を登りきった彼の前には、ふじたちが待っていた。
「…………」
否、待っていたのではない。彼らは──立ち尽くしていたのだ。
丘の上からは、山間に沈む夕日が一際よく見えた。夕日の朱は、村を真っ赤に染め上げている。ただ、村を染め上げているのは夕日だけではない。
「……燃えてる」
信じられない事実を目の当たりにして、ふじの言葉は震えていた。弥助に至っては、言葉を発することもできずにいる。
暮れゆく西日より尚赤いものが、点々と見える村の家々は包んでいる。不気味な黒い煙と共に見えるその赤を、人は炎と言う。
「――かあちゃん、とうちゃん!!」
凍りついた時間を打ち破ったのは、弥助の悲鳴のような叫び声だった。まるで弾かれた玉のように、少年は一直線で村に向かって駆けていく。
「待って、弥助!!」
次いで、ふじも弟の後を追って走り出す。彼女が取り落とした籠から転げ落ちた山菜が、ばらばらと朱色に染まった地面に落ちていく。歌仙たちのことなどそこにいないかのように、彼女は躊躇いなく炎に巻かれた村へと走り出した。
五虎退は目の前に広がる光景を見て言葉を失い、目を丸くするばかりだった。物吉は、唇を噛んで何かを堪えるような表情で広がる光景を見つめていた。
そして、炎が多くの人を舐め尽くすしているだろう様子を見ても、歌仙の瞳は奇妙なほど静かだった。
「か、歌仙さん、僕たちも行きましょう!」
我に返った五虎退が、まだ青ざめた顔で必死に叫ぶ。しかし、歌仙は首を横に振る。信じられない者を見るような顔で、五虎退は必死に叫ぶ。
「どうしてですか!? あの二人の家が、あそこにいる人たちが、皆燃えてしまいます!」
少年がどれだけ声を張り上げても、歌仙は首を横に振るだけだった。
「歌仙さん!!」
「燃えるだろうね。ここは戦が起きる場所になるのだから」
ようやく耳にした歌仙の声は、彼の刀身そのもののように冷たい。落ち着き払った彼の態度を見て、五虎退はある推測にようやく思い至る。
「知って、いたんですか」
日は沈みかけて夜の帳が降りかけているにも関わらず、村を焼く炎のおかげで五虎退の顔は歌仙からもよく見えた。青ざめ、歯を食いしばり、怒りと悲しみを入り混じらせた顔が。
「知っていたわけじゃないけれど、予想はできていたよ」
「……歌仙さんだけじゃありません。ボクも、薄々想像はしていました」
かぶっていた笠を外して、物吉は顔を歪める。予想はしていたとしても、できれば外れてほしいと思っていたことは明白だった。
「戦が起きれば、その周りの村に何が起こるかは想像できます。進軍の邪魔だから、敵に味方するかもしれないから。食料が足りなくて野盗のように村を襲うこともあります。どちらにせよ、あまりいい結果ではないことは確かです。特にこの時代は」
「この場所で戦が起きると僕らは言われていた。戦が行えるような平地で、そこに村があったのなら、何が起きるかは大体予想がつくだろう」
「なら、何で止めなかったんですか」
なおも五虎退は食い下がる。対する歌仙も、氷のような態度を崩さない。
「もし僕らが戦のために必要な行動を止めてしまったら、僕らが歴史を改変したことになる。それでは、何のために僕たちがここにいるのかわからなくなるだろう」
突き放すような歌仙の言葉は、しかし真っ当な正論でもあり、五虎退から反論の言葉を奪っていく。
物吉と同じく笠を外した歌仙の顔を、今日最後の夕日が照らしていく。顕になった彼の顔は普段の穏やかな表情とは程遠く、触れれば切れるような冷たさを秘めていた。
「戦の前支度として焼かれたのなら、程なく戦そのものも起きるだろう。ここからでは少し遠くて見辛いね。滞りなく始まるかどうか、時間遡行軍が横やりを入れないかどうかは、もう少し近くに寄って確認しよう」
「それは……あの人たちが、沢山の人たちが……殺される様子を、黙って見ているってことですか」
縋るような、それでいて詰問するような五虎退の声を、歌仙は首肯することで斬って捨てる。
「ああ。そうだよ」
「――――っ」
「行こう。もしかしたら、敵が土壇場で介入してくるかもしれない」
五虎退に背を向け、青年は惨劇の渦中となっている村を一望しながらも身を隠せる場所がないかと視線を配りながら、歩みを進める。
嫌になるほど冷静に次の手順を考えている思考の裏で、歌仙はふじの笑顔を思い返す。
彼女の村が目的地と同じ方角にあると聞いたときから、分かりきっていたことだった。同じ目的地に向かうと決めたときから、程なく訪れる結末は最悪と言ってもいいものになることは想像ができていた。
それでも、彼女に親しげに振る舞ってしまったのは、彼女の名が主と同じだったからだろうか。彼女の朗らかな笑顔が、主を思い出させるものだったからだろうか。
「主は、あんな風な笑い方はしないけれどね」
彼女は、もっと静かに微笑む。時折ころころと笑い声をあげることはあっても、あの村娘のように太陽のような笑顔は見せない。
顕現してから日が浅い歌仙は、藤以外の人間と会う機会はほとんどなかったと言ってよかった。そんな彼であっても、主と同じ名でありながら異なる笑顔を見せる彼女を見て、思わずにはいられなかった。
――できれば、無事な未来であってほしいと。
とはいえ、それも過ぎた話だ。
歌仙は自分の気の迷いを断ち切るように、唇を引き結び直した。
ふじがいなくなったことで会話の中継役がいなくなり、二人の間に沈黙が降りる。しかし沈黙に耐えかねたのか、まさに悪戯小僧という笑みを浮かべて弥助は五虎退を見て、
「お前ってさ。枯れた草みたいにひょろひょろした奴だよな」
遠慮のない嫌味を口にする。言葉の内容もさることながら、語気に含まれた強気さに五虎退は口ごもってしまう。
「うじうじして頼りなくて、そんなんだからお前のとこのねーちゃんも、お前のこと嫌いになるんじゃねえのか?」
「そ、それは、ちがうってお姉さんは言ってましたよ。それに、弥助君だってお姉さんにいっぱい悪いことして、怒られたんでしょう」
互いに痛いところをつつき合う形になり、二人は額を突き合わせて、むむむと唸る。年端のいかない少年の瞳の間に、火花がばちばちと飛び交った。
「お姉さんの前だけいい恰好しているみたいで、そ、そういうの、猫かぶりって、言うんですよ」
拗ねたように口火を切ったのは、五虎退だった。ひょろひょろと言われたことが、彼の刀剣男士としてのプライドをいたく傷つけたのだろう。五虎退にしては強気な発言であり、言った本人が内心でどうしようかと戸惑っていたほどだった。
だが、戦乱の時代を逞しく生きている少年と、まだ人としての生活を一年も過ごしてない刀とでは、語彙の幅と勢いが違う。
「猫かぶっておいた方が、色々得なんだよ。そういうお前は白いし、なよなよしてるし、夏になったらすぐくたばったいまいそうだな」
「う」
「背もちっせえしよ。俺が猫ならお前はねずみだな。やい、ねず公」
「ち、違います。僕は猫じゃなくて、虎を」
「虎ぁ? はっ、冗談も休み休み言おうぜ。お前が虎だなんて、お天道様も笑い転げてあっという間に夜になっちまうや」
けらけらと笑う弥助に、五虎退は言葉にできない衝動で顔を真っ赤にする。それがからかわれた悔しさから生じたものだとは、五虎退もまだ理解できていない。しかし、言われっぱなしにはなるものか、という負けん気だけは彼も自覚していた。
「そんなこと、ありません!」
「そんなちびねずみじゃ、俺みたいに木登りできないだろ?」
「で、できます!」
「どうだか。俺は村で一番でっかい木にあっという間に登っちまえるんだぜ? お前には無理だね」
「僕だって、木登りくらいできます! あるじさまに、教えてもらいましたから!」
いつぞやのかくれんぼの後、主から木登りを教えてもらったことを思い出して、五虎退は必死の反論を続ける。だが、対する弥助はまともに聞く様子を見せず、にやにやと笑っているばかりだった。
「お姉さんは優しいのに、意地悪です……」
「ねーちゃんはな、すんげえお人よしなんだよ。西で赤子が泣いてりゃ自分の仕事ほっぽってあやしに行くし、東でじいさんが動けなくなってたらおぶりに行く。だからその分、俺がしっかりしてるって寸法さ。お前みたいにふにゃふにゃしてたら、あっという間にねーちゃんがいなくなっちまうからな」
胸を張る弥助の姿は、年端もいかぬ少年のはずなのに何故だかとても頼もしいものに見えた。
「ねーちゃんと同じ名前ってお前が話してたやつも、お前がめそめそしてっから頼りないって愛想尽かしてんじゃねえか?」
が、続く軽口が容赦なく五虎退に襲い掛かる。
弥助にとっては、取るに足らないからかい文句の一つだったのだろう。だが、頼りないという言葉は五虎退にとって自分の初陣を思い返すものでもあった。歌仙に庇われて、ただ立ちすくむことしかできなかったあの日のことを。
「そんな、ことは……ない、です」
瞼の奥がじわりと熱くなったが、五虎退は目を強くこすって滲みかけた雫を押し戻す。普段は内気な少年も、今は負けじと弥助を睨みつけていた。
ただ大人しく罵られるがままになっていたと思った子供の反撃に、いじめっ子の彼は二、散歩後ずさりする。
「ちゃんと、僕も、役に立っています!」
自分でも信じられないくらい大きな声が飛び出て、声を発した五虎退自身も思わず目を丸くする。思いがけない形で放たれた反攻に、弥助も何度かぱちぱちと瞬きを繰り返す。
我に返った彼は何を思ったか、五虎退を試すようにじろじろ見つめてから、にんまりと笑い、
「そんだけでかい声出せんなら、普段からそうしろよな。しどろもどろで自信なさそうにしてっと、舐められんぞ」
ようやく仲間として認めたかのように、ばしばしと強めに五虎退の背中を叩く。つんのめりかけた五虎退は、しかしその場に踏みとどまり、力強く頷いた。
「……はい!」
口にした返事は、いつもよりずっと大きくはきはきしたものだった。
「あら。弥助ったら、すっかりそちらの坊やと仲良くなったみたいね」
遠くから聞こえるからからとした少年たちの笑い声を耳にして、ふじはくすくすと笑う。
「あの子は、皆さんの兄弟なの?」
「兄弟……とは少し違うんですけど、家族みたいなものです」
刀剣男士のことを話すわけにはいかないので、物吉はひとまずは無難な言葉を選ぶ。ふじは納得したように、小さく数度頷き、
「家族っていいよね。私も、弟がいるおかげで毎日がとても楽しくて」
目を細めて夕日に照らされた少年たちの背中を見つめる。その横顔を見て、歌仙は微かに息をのむ。彼女のその表情は、五虎退や物吉を見ているときの主によく似ている気がしたからだ。
「楽しいといっても、こう言っては何だが……あまり良い暮らし向きというわけでもないのだろう?」
思わず口をついて出た歌仙の問いに、ふじは笑みを曇らせることなく微笑み返す。
「あはは、それはそうなのだけれど。でも、お天道様と一緒に起きて、畑の世話をして、弟の面倒を見て、夜になったら星と一緒に眠るだけでもずっと幸せなの」
「……そういうものなんだね」
「はい。畑の芽はどれぐらい伸びたのか、あの見たことのない鳥はどこから来たのか、近所の坊やの今日の機嫌はどうか。そんなことだけで、私は幸せになっちゃうかな」
彼女は自分の頬に指をあて、にこりと、とびきりの笑顔を見せる。
「誰かの笑顔を見ていたら、私は幸せになれる。これは、どんなに楽な生活とも変えようのないぐらい、大事なものなんだって私は思ってるの」
「笑顔でいると幸せがやってくる、ですよね」
「うん、その通り!」
幸運の刀であることを自負している物吉は、笠の下でふじと同じような笑顔を見せる。二人の笑顔を見て――しかし、歌仙は薄く口元をゆるませることしかできなかった。
ふじが身振り手振りで自分の生活で見つけた発見を話し、物吉が相槌を打つ。少し離れて先を行く五虎退たちからは、時折はじけるような笑い声が聞こえる。
どこにでもある、ありふれた家路の一つ。その光景を、歌仙は少し離れて見守る。
「……そろそろか」
彼の呟きが聞こえたわけではないのだろうが、ふじは歌仙の方を振り向き、進行方向を指さして、
「もうそろそろ私たちの村に着くわ。着いたら、まずはご飯にしましょう。旅人さんたちがいるから、今日は賑やかになりそうね!」
駆け足で続く道を走っていく。物吉もその後を小走りで追い、けれども歌仙は歩みを早めるでもなく、彼のペースを崩さなかった。
「おーい、早くしろよ!」
やや急な坂道の手前で、弥助はぶんぶんと大きく手を振る。彼の真似をするように、夕日によって主と同じ色に髪を染めた五虎退が控えめに手を振っていた。
「こら、待ってなきゃだめでしょう!」
言葉とは裏腹に、どこか楽しそうな声音でふじも少年たちの後を追う。だが、歌仙はゆるりとした足取りを崩さない。
一歩一歩、大地というものを確かめるように斜面を登りきった彼の前には、ふじたちが待っていた。
「…………」
否、待っていたのではない。彼らは──立ち尽くしていたのだ。
丘の上からは、山間に沈む夕日が一際よく見えた。夕日の朱は、村を真っ赤に染め上げている。ただ、村を染め上げているのは夕日だけではない。
「……燃えてる」
信じられない事実を目の当たりにして、ふじの言葉は震えていた。弥助に至っては、言葉を発することもできずにいる。
暮れゆく西日より尚赤いものが、点々と見える村の家々は包んでいる。不気味な黒い煙と共に見えるその赤を、人は炎と言う。
「――かあちゃん、とうちゃん!!」
凍りついた時間を打ち破ったのは、弥助の悲鳴のような叫び声だった。まるで弾かれた玉のように、少年は一直線で村に向かって駆けていく。
「待って、弥助!!」
次いで、ふじも弟の後を追って走り出す。彼女が取り落とした籠から転げ落ちた山菜が、ばらばらと朱色に染まった地面に落ちていく。歌仙たちのことなどそこにいないかのように、彼女は躊躇いなく炎に巻かれた村へと走り出した。
五虎退は目の前に広がる光景を見て言葉を失い、目を丸くするばかりだった。物吉は、唇を噛んで何かを堪えるような表情で広がる光景を見つめていた。
そして、炎が多くの人を舐め尽くすしているだろう様子を見ても、歌仙の瞳は奇妙なほど静かだった。
「か、歌仙さん、僕たちも行きましょう!」
我に返った五虎退が、まだ青ざめた顔で必死に叫ぶ。しかし、歌仙は首を横に振る。信じられない者を見るような顔で、五虎退は必死に叫ぶ。
「どうしてですか!? あの二人の家が、あそこにいる人たちが、皆燃えてしまいます!」
少年がどれだけ声を張り上げても、歌仙は首を横に振るだけだった。
「歌仙さん!!」
「燃えるだろうね。ここは戦が起きる場所になるのだから」
ようやく耳にした歌仙の声は、彼の刀身そのもののように冷たい。落ち着き払った彼の態度を見て、五虎退はある推測にようやく思い至る。
「知って、いたんですか」
日は沈みかけて夜の帳が降りかけているにも関わらず、村を焼く炎のおかげで五虎退の顔は歌仙からもよく見えた。青ざめ、歯を食いしばり、怒りと悲しみを入り混じらせた顔が。
「知っていたわけじゃないけれど、予想はできていたよ」
「……歌仙さんだけじゃありません。ボクも、薄々想像はしていました」
かぶっていた笠を外して、物吉は顔を歪める。予想はしていたとしても、できれば外れてほしいと思っていたことは明白だった。
「戦が起きれば、その周りの村に何が起こるかは想像できます。進軍の邪魔だから、敵に味方するかもしれないから。食料が足りなくて野盗のように村を襲うこともあります。どちらにせよ、あまりいい結果ではないことは確かです。特にこの時代は」
「この場所で戦が起きると僕らは言われていた。戦が行えるような平地で、そこに村があったのなら、何が起きるかは大体予想がつくだろう」
「なら、何で止めなかったんですか」
なおも五虎退は食い下がる。対する歌仙も、氷のような態度を崩さない。
「もし僕らが戦のために必要な行動を止めてしまったら、僕らが歴史を改変したことになる。それでは、何のために僕たちがここにいるのかわからなくなるだろう」
突き放すような歌仙の言葉は、しかし真っ当な正論でもあり、五虎退から反論の言葉を奪っていく。
物吉と同じく笠を外した歌仙の顔を、今日最後の夕日が照らしていく。顕になった彼の顔は普段の穏やかな表情とは程遠く、触れれば切れるような冷たさを秘めていた。
「戦の前支度として焼かれたのなら、程なく戦そのものも起きるだろう。ここからでは少し遠くて見辛いね。滞りなく始まるかどうか、時間遡行軍が横やりを入れないかどうかは、もう少し近くに寄って確認しよう」
「それは……あの人たちが、沢山の人たちが……殺される様子を、黙って見ているってことですか」
縋るような、それでいて詰問するような五虎退の声を、歌仙は首肯することで斬って捨てる。
「ああ。そうだよ」
「――――っ」
「行こう。もしかしたら、敵が土壇場で介入してくるかもしれない」
五虎退に背を向け、青年は惨劇の渦中となっている村を一望しながらも身を隠せる場所がないかと視線を配りながら、歩みを進める。
嫌になるほど冷静に次の手順を考えている思考の裏で、歌仙はふじの笑顔を思い返す。
彼女の村が目的地と同じ方角にあると聞いたときから、分かりきっていたことだった。同じ目的地に向かうと決めたときから、程なく訪れる結末は最悪と言ってもいいものになることは想像ができていた。
それでも、彼女に親しげに振る舞ってしまったのは、彼女の名が主と同じだったからだろうか。彼女の朗らかな笑顔が、主を思い出させるものだったからだろうか。
「主は、あんな風な笑い方はしないけれどね」
彼女は、もっと静かに微笑む。時折ころころと笑い声をあげることはあっても、あの村娘のように太陽のような笑顔は見せない。
顕現してから日が浅い歌仙は、藤以外の人間と会う機会はほとんどなかったと言ってよかった。そんな彼であっても、主と同じ名でありながら異なる笑顔を見せる彼女を見て、思わずにはいられなかった。
――できれば、無事な未来であってほしいと。
とはいえ、それも過ぎた話だ。
歌仙は自分の気の迷いを断ち切るように、唇を引き結び直した。