短編置き場

 この本丸の審神者は、自らを鬼と自称している。それは、彼女の額にちょこんと生えた一対の角が大きな原因だった。
 けれども、そこに込められた意味は決して悪いものではない。刀剣男士が自らを刀剣男士と称するように、彼女は己のことを鬼と定義している。ただそれだけなのである。
 だが、当世における鬼という単語が含む意味は多様化しており、概ねそれは悪感情を持って語られる。故に、たまに間違いも起こることがある。

「鬼はー外! 福はー内!」

 伸びやかに冬の空に響くのは、和泉守兼定の声だ。彼の手の中にある升には、これでもかと豆が載せられていた。主の担当官である者が妙に気を利かせて、節分の日であるこの二月三日めがけて嬉々として豆を送ってきたのだ。現世風俗に疎い男士たちにもわかるようにと、ご丁寧な豆まき解説付きである。

「おにはーそとー!」

 結果、節分の豆まきに欠かせないかけ声と共に、外に向けて豆が蒔かれることになった。
 豆まきを楽しんでいるのは、荷物を受け取った乱藤四郎と和泉守兼定だ。家に撒いてみたところ、本丸の大黒柱こと歌仙兼定に部屋を汚すなと雷を落とされたので、今は庭に向けて行われている。豆を見つけた小鳥が早速集まっており、気分としては鳥の餌やりに近いものとなっていた。

「鬼はー外!!」

 和泉守が勢いよく外に向かって豆を放り投げたときだ。ぱらぱらという豆が散る音に紛れて、トントンという不機嫌そうな足音が彼らに近づいてきた。誰だと思うより先に、その人物は二人に声を投げかける。

「あのさ、豆まきするのはいいんだけど、『鬼は外』だけは止めてくれる?」

 ぎくりとして、二人は声の主――この本丸の主である審神者の藤の方に首を向けた。
 足音こそ不機嫌だったものの、当の本人の表情は怒りというよりは困っているという方が言葉としては正しい。自らを鬼と呼ぶ彼女であっても、節分という行事については知っている。だから、強圧的に止めることができないということも分かってはいた。

「何だか、僕が出て行けって言われてるみたいで良い気がしないというか」
「いや、俺も分かってんのについまた忘れちまった。悪ぃ」
「ボクもだよ。ごめんなさい、あるじさん」
「ええと……そこまで謝らなくてもいいよ。誰だって間違えることはあるわけだし、それに鬼は本来悪いものだから。仕方ないよ。ごめんね、変なこと言って」

 二人に気を遣わせまいと彼女の顔は笑顔へ変わっていくが、対する乱と和泉守はより一層曇ったものになる。
 主の悪癖の一つに、他人に気を遣うあまり自分の気持ちを度外視するというものがある。本丸創立当初はその癖により交流が上手くいかず、一騒動が起きてしまったほどだ。それを知っている和泉守と乱は、揃って藤に近づいて、

「あるじさん、無理して笑うの禁止!」
「そんな顔してっと、また之定が心配するぞ」

 口々に彼女の笑顔の仮面を引っぺがす言葉を投げかける。藤は驚いたように数度瞼をぱちぱちとさせ、続いておずおずと頷いた。

「じゃあ、福は内、鬼も内ってことにしようかな。それならいいでしょ、あるじさん!」
「うん。ありがとう、乱」
「そんじゃ、俺たちは豆まきの続きってことで――ん?」

 和泉守が豆を振りかぶった姿勢で固まったのは、庭をぽてぽてと歩いて行く髭切に気がついたからだ。しかも、彼はどういうわけか大きな段ボールを二つも抱えている。

「おおい、髭切! 今度は何が来たんだ!?」
「あ、和泉守。丁度よかった、豆が沢山来ていたよ」
「また豆かよ! いったい全体、そんなに豆ばっか送ってきて何考えてるんだ?」

 和泉守が驚くのも無理はない。髭切が三人のいる縁側に持ってきた段ボールには、これでもかと豆の入った袋ばかりが入っていたのだ。全てを庭に撒いたら、足の踏み場もない豆だらけの空間ができあがることだろう。

「手紙がついていてね。えーっと、『年の数だけ豆を食べるのなら、さぞかし皆食べるだろうからいっぱい入れておきました』だって」
「そうは言っても、僕は二十しか食べないし皆だってそんなに――」

 そこまで言いかけて、藤は思わず口を閉ざす。年の数だけ豆を食べれば、その年は健康でいられるという話は彼女も知っている。自分で言ったように、藤は今二十歳なので二十しか食べるつもりはない。和泉守や髭切のような年長の刀剣男士だってその程度だろうと、彼女は思いかけた。
 だが、思いかけると同時に頭の中で待てよ、と声がかかる。

「ねえ、和泉守っていつの時代の刀だっけ」
「詳しい年までは分かんねえが、大体今が二二○○年代なら三百年か四百年くらい前じゃねえか?」
「あ、それならボクはもっとあるかも」
「う~ん、僕は一二○○年くらい前かな?」

 続けざまに並んだ数字を前にして、藤は冷や汗をたらりと流す。手紙に書かれている『皆食べる』の意味が途端に妙に現実味を帯びてくる。
 つまり彼らが年の数だけ豆を食べるというのなら、その三桁や四桁の数の豆を食べるということになるのだ。

「あのさ、和泉守たち。節分は年の数だけ豆を食べる習慣があるって知ってた?」
「ん、じゃあ俺は四百の豆を食うってわけか……ん? 四百?」
「それじゃあ、ボクはそれ以上!?」

 ことの重大さをすぐに理解した乱は、素っ頓狂な声をあげて山と積まれた豆の数々を見やる。明らかに百や千を通り越して万に近い豆を前にして、髭切を除く三人は思わず顔を青くした。

「と、とりあえずこれ……食い始めるか」
「そうだね、食べないと終わらないよね……」
「ありゃ、これを食べるのかい。じゃあ、室内に運んでおくね」

 約一名、ことの重大さが分かっていなさそうな髭切だけが暢気そうにニコニコしながら、段ボールを部屋の中に運び入れ始めたのだった。


***


 ぽりぽり。ぽりぽり。ぽりぽり、ぽりぽり。
 ひたすら豆を囓る音だけが延々と響き渡る部屋の中、炬燵に入った藤は虚無という言葉の意味を噛み締めていた。
 三桁も四桁も豆を食べるのは非常識だ、やはり庭に撒こうと藤も言おうかと思った。けれども庭とて無限に土地があるわけではない。撒き続ければ、いずれ庭も豆で埋まってしまう。そんなことになったら、歌仙からどんな罰を受けるか分かったものではない。
 結果、彼らは次なる消費方法として食べるということを選ばざるを得なかった。元々、食べるために送られてきたものであるというのも、彼らの手と口を動かす原因となっている。
 送られた豆は炒り大豆で申し訳程度に味はつけられているが、多種多様な味付けはされておらず一種類の味しかなかった。同じ味付けの大豆を延々と食べ続けるというのは、最早飽きるを通り越して彼らにとって苦行になりかけていた。

「皆、そんなに無理して食べなくても良いんじゃない?」
「だけどよ、主。これ食わねえと一年間健康でいられないって言われてるんだろ?」
「それに政府の人が送ってきたもの、全部庭にばら撒きましたって言うのもちょっと憚られるよね」

 口ではそう言っているものの、皆の手の動きは覚束ないものになっている。髭切に至っては五十ほど食べ終わった後は、隣に座っている主にちょっかいを出し始めるほどの集中力のなさだ。

「いや、それはそうだけど……」
「何とかしてみせるから、あるじさんはそこで休んでて!」
「髭切、お前もちょっとは食べたらどうだ」
「うーん、後で食べるよ。どうせなら、和泉守が僕の分も食べてくれていいんだよ?」
「勘弁してくれ!」

 彼らの会話を聞きながら、藤は炬燵の暖かさに頭をかくんかくんと上下させていた。どうにも炬燵というものは、眠気を誘うものらしい。加えて、彼らの食べる音の単調さが更に睡魔を助長させていく。いつしか、藤は炬燵を布団代わりにごろりと横になって眠ってしまっていた。


***


 体を包む暖かさに身を委ねていた藤は、耳に入ってきたどたどたという足音によって目を覚ます。頭の下には柔らかいような固いような感触があり、枕にしては少し寝心地が悪いなと藤はごろりと寝返りを打った。
 同時に、薄く開きかけていた視界が真っ暗になる。鼻先がじんわりと熱を伝えており、再び程よい暖かさに包まれた彼女はゆるりと眠りの世界に誘われかけた。

「主、もう少し寝てる?」

 が、頭上から降ってきた声を耳にして彼女の頭は急速に覚醒する。妙に寝心地が悪い枕に、寝返りを打った先に感じた布の質感。それら全てを鑑みて、ようやく彼女は自分が誰かの膝の上に寝ていることに気がついた。
 寝返りを打って真っ暗になったのは、腹に顔を埋める姿勢になったからである。加えて、降ってきた声が誰のものかというのは、いくら寝起きの彼女でもすぐに気がついた。

「髭切!?」
「うん、そうだよ。主が座布団じゃ寝苦しそうだったから、膝を貸してみたんだけどどうだった?」
「ちょっと固かった。じゃなくて、どうして膝枕を」
「してみたかったから?」

 突拍子もない行動を特に意味もなく実施することに関しては、本丸内でも随一と言っていい刀剣男士である髭切だ。何を聞いても分かるものでもないだろうと、藤は呆れたように肩を竦めて体を起こした。
 起きてすぐに、彼女は乱と和泉守がいないことに気がついた。炬燵の天板には食べかけの大豆の袋だけが残されている。

「あの二人は諦めたの?」
「ううん。それについてさっき、ちょっと歌仙と小豆に相談しに行ったみたいだよ」

 それで目が覚めたのかと、藤は納得する。聞こえた足音は、乱と和泉守が炬燵を出て部屋を出るときに響いたものだろう。残された髭切は、膝枕をしながら彼らの帰還を待っているというわけだ。
 目を覚ました藤は、ちらりと髭切の方を見る。膝枕というのは彼女のように現代を生きる女性にとっては幾分か特別な意味を持つ行為だが、肝心の彼はどこ吹く風だ。

(まぁ、髭切のことだから本当に僕が寝苦しそうになったのが気になっただけなんだろうね)

 藤も髭切に対して膝枕をされて喜ぶような特別な感情があるわけでもなし、膝枕の件はすっかり忘れて彼女は炬燵の天板に顎を載せて再びうつらうつらし始めた。
 しかし、今度は彼女が本格的に寝入るより先に、スパンッと襖を開く音で目を覚ますことになった。

「主、朗報だ! 豆の使い道ができたぞ!!」

 声を張り上げて入室した和泉守に続き、乱も後ろからぴょこりと顔を覗かせる。

「歌仙さんと小豆さんが、お菓子とご飯に使えばいいんじゃないかってさ!」
「あ、その手があったか。食べ物なんだから、調理方法を変えればいいんだね」

 人参や大根のような野菜と異なり、それ単体でも食べられるように炒られていて味付けまでされていたため誰も気がつかなかったのだが、豆というのは本来料理の材料にもなり得るものだ。藤がざっと考えただけでも、甘辛く煮詰めたもの、トマトで煮込んで洋風にしたもの、炊き込みご飯として一緒に入れたものなどが次々と思い浮かぶ。
 しかも結果的に豆を食べることになるのだから、年の数だけ食べることになるかはさておき、当初の目的は果たせるというわけだ。

「小豆さんが、豆をすり潰してきな粉にしてお菓子に使おうって言ってたんだよ。早速これから和泉守さんとやる予定なんだけど、あるじさんも来る?」
「やりたい! それでお餅にかけてきなこ餅にしよう!」
「あるじさん、夕餉前にそんなもの食べたらまた歌仙さんに怒られるよ」
「大丈夫、甘い物は別腹だから」

 きな粉餅は甘いものになるのだろうかと乱は首を傾げたが、主の中ではどうやらそうなっているらしいと納得する。
 善は急げと、藤が炬燵から立ち上がりかけたときだ。彼女の上着の裾がくいと引かれた。思わず振り返ると、髭切から伸びた手が彼女を捕まえていた。

「髭切、どうしたの」
「主は厨に行くの?」
「うん、そのつもりだけど。髭切も来る?」
「……ううん、いいよ。きな粉餅ができたら、僕にも食べさせてね」
「分かった。楽しみにしてて」

 髭切の手が裾から離れると同時に、代わりに彼女の手が髭切の頭に伸び、その柔らかな髪の毛をわしゃわしゃと撫でる。突然頭を撫でられて、彼がきょとんとした顔をしていると、

「大丈夫、そんな寂しそうな顔しなくても仲間はずれにしたわけじゃないんだから。それに膝丸が担当していた道場の掃除ももうすぐ終わる頃だし、きっとすぐにやってくるよ」

 彼女にはにこりと微笑んでから、先に行った二人の後を追って部屋から出て行ってしまった。
 スタンと襖が閉まる音と同時に、髭切の手元にひらりと小さな桜が舞っていたことに彼女が気がつくことはなかった。


***


 座布団の上で寝ている主が何だか寝苦しそうだった。それが、彼が最初に思ったことだった。
 どうせ何もしていないからと、豆を食べることに早々に飽きてしまった髭切は彼女に何の気なしに膝を貸した。炬燵に足を突っ込んでいる主に膝を貸すためには、どうしても髭切は炬燵から出るしかなかった。だが、彼女が寝やすくなるならばと髭切は特に頓着することもなかった。
 自分の太股の上に載っている彼女の頭の重みを感じていると、自然と目を細めてしまう。目線を下に落とすだけで、幸せそうな寝顔が目に入るだけで、どういうわけか心の片隅が炬燵で暖められた体より尚熱くなる。

「何だ、主は寝ちまったのか?」
「そうみたいだね。主はもう食べ終わっていたようだから、退屈だったんじゃないかな」
「あ、髭切さん。膝枕してる!」

 炬燵の向かい側から身を乗り出した乱は、髭切と主の様子を見て驚きの声を上げた。だが、主を起こしてしまうと思ったのか、すぐさま彼は口をぱっと両手で塞ぐ。幸い彼女はごろりと寝返りを打って、髭切のお腹に顔を埋めただけだった。

「ひざまくら?」
「そうやってね、大事な人の枕代わりに膝を貸すことだよ。前、あるじさんから貸して貰った書籍に書いてあったんだ」
「ああ、あの絵ばっかのやつか。ま、俺も似たようなことは国広にしてもらったことがあるな」

 乱同様身を乗り出した和泉守は、髭切の膝の上ですやすや眠っている主の横顔を見て表情を緩める。

「それって、寝心地はいいの?」
「まずまずってところだ。主が起きないってことは、髭切の膝は主にとっては気持ちいいものなんじゃないか?」

 和泉守の言葉は、他愛のないやり取りの一つに過ぎなかった。だというのに、ただの軽口がどうして今の己の心に火を灯すような熱さをもたらすのかと、髭切は内側の自分に問いかけた。答えはでてこなかった。それから、髭切は何度も彼女の寝顔に目を落としては、消えない心の灯火に包まれていた。
 だが、それも主がいなくなってしまった後では、まるで蝋燭を吹き消したかのようにあっさりと消えてしまう。誰もいない部屋で、炬燵の中に体の半分以上を突っ込んで温まっていたにも関わらず、髭切の心には冷たい隙間風が吹き込んでいた。

(僕は、主のことが大事だと思っているから、こうなるのかな)

 ならば、歌仙兼定や彼女が最初に鍛刀したという五虎退も、同じ気持ちを抱えているのだろうか。弟の膝丸も、先ほどまでいた和泉守兼定も、乱藤四郎も、今厨にいるはずの小豆長光も――そこまで考えると、どういうわけか心にどんよりとした暗雲がたちこめていく。
 今度は無性に苛々してしまい、髭切は天板の上に唯一残されていた炒り豆の袋を無造作に手にとってむしゃむしゃと食べ始めた。
 主についていかなかった理由は、彼らと楽しそうにしている主を見ていると、どういうわけかこんな気持ちになってしまうからだということに、髭切は薄々気がつき始めていた。

「兄者、こんな所にいたのか」

 ぼりぼりと豆を囓っていると、襖が開いて主が言っていたように膝丸が顔を見せた。道場は冷えていたのか、彼の鼻の頭は少し赤くなっている。
 膝丸の手にはどういうわけか、きな粉がふんだんにかけられたお餅が載った皿があった。

「なぁに、それ」
「ああ、先ほど厨を通りがかったときに主から貰った物だ。節分で貰った豆を砕いて作ったきな粉をかけたんだと言っていてな」

 ばきっという甲高い音が響き、膝丸は思わず口を噤んだ。
 それは、髭切がつまんでいた豆を指で砕いてしまった音だった。その証拠に、豆の破片がぱらぱらと炬燵の布団の上に落ちている。

「兄者……?」
「ああ、ごめんごめん。少し力を入れすぎてしまって」
「どうしたというのだ。その……何か気に障るようなことでも言ってしまっただろうか?」

 天板の上に皿を載せた膝丸は、厨から余分に持ってきた箸を髭切に渡す。受け取りはするものの、髭切の視線は相変わらず剣呑なものだった。

「どうしてだろうね。お前が主から先にきな粉餅を貰ったって聞いたらどうしてか、この辺りがちくちくしたんだ」

 髭切は胸の辺りに手を押さえながら、膝丸の問いに答える。その奥では、和泉守や歌仙たちに向けるものよりも尚強く、濃く、黒い雲が浮かび上がってしまっていた。ただ、膝丸が主にきな粉餅を貰ったというだけなのに。

「主が、僕に一番に用意してあげると言ってくれたのに。お前の方が先だったなって」
「兄者、もしや嫉妬しているのか?」

 膝丸が何気なく口にした言葉に、髭切は目を見開く。さながら、嫉妬という単語を初めて聞いたかのように。

「え?」
「いや、兄者が用意してもらうのを待っていたのに、俺が先にかすめ取るように形になってしまったから、妬いてしまうのも致し方ないと」
「僕が、嫉妬?」

 膝丸は懇切丁寧に説明してくれたが、髭切は未だにその単語が己に結びつくものと思えなかった。
 嫉妬に狂えば鬼になる。昔からある古い逸話だ。無論そればかりが鬼という存在ではないということは、主のこともあって髭切は理解している。
 だが、髭切にとって嫉妬はよくないものだった。髭切という刀剣男士にとって、そういうものだ・・・・・・・と定義されていた。
 だというのに、自分はどういうわけか、膝丸の目から見ても明らかなほどに嫉妬しているらしい。
 他人が主に目を向けて、主がそれに応えるというだけで、心の片隅に苦い何かが浮かび上がる。主が自分以外の誰かに大事にされているというだけで、ちりちりと胸の奥が焦げ付いていく。よくよく考えれば、それは古今東西の物語で記されている『嫉妬』というものに似ていた。

「後から主によくよく言っておこう。兄者を差し置いて俺が先に主から甘味をいただくなど」
「いやぁ、そこまでしなくてもいいよ」
「代わりと言ってはなんだが、丁度二つあることだ。兄者も一つ如何だろうか」
「じゃあ、有り難く貰おうかな」

 膝丸に促され、髭切は箸をきなこ餅へ伸ばす。あれほどあった大豆がこんな粉になるのだから、不思議なものだと思いながら髭切は添えられた黒蜜に餅を絡ませて口の中に入れる。

(鬼は外――なんだから、この嫉妬も豆を食べれば消えてしまうんだろうか)

 できれば、消えないでほしい。
 己に相応しくないと分かっているのに、どういうわけかそんな気持ちを抱いてしまっていることを、髭切はいまやはっきりと自覚していた。
 自分が、『髭切』らしさを欠いていく。そこに小さな不安を覚えながらも、彼は同時に受け入れてもいた。
 己の感情に素直になることの大事さを、彼はすでに嫌というほど知っている。何故なら、それは――主がその心を呈して教えてくれたことなのだから。

「ところで、弟。今日は節分の日なんだってね」
「ああ。丁度、先ほど歌仙からその話を聞いたところなのだが、具体的には何すればいいのだ?」
「年の数だけ豆を食べればいいんだって。僕らは千個くらいかなあ」

 途端にゲホゲホとむせ始めた膝丸を見て、髭切は口元に緩やかな弧を描いた。
 弟とこうして会話をしていれば、先ほどの気持ちも落ち着いていくのだから、と彼は矢継ぎ早にさして重要でもない話題を膝丸に投げかけ続ける。
 主のことになると平時の落ち着きを失ってしまい、彼女の周りにいる刀剣男士にやたらと嫉妬を抱いてしまう。その大本の理由につける名を、彼はまだ知らない。
 髭切はまだ――『恋』を知らない。
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