短編置き場

 目を覚ましたら、何故か白無垢を着ていた。
 今の状況を説明すると、この一文で片付く。だというのに、頭は完全にパンクしてしまっていて、まるで現状を理解できていない。
 それもそうだ。何やら体が重たいと思って起きたら、自分が花嫁衣装を着ていたなんてことになったら、誰だって正常な思考をすぐ取り戻すことなんてできない。

「何故、白無垢を着ているんだろう、そしてここは、どこだろう……」

 現状認識のために、声を出して状況を整理してみる。だが、全く整理できた気がしない。
 首を巡らせて確認できるのは、だだっぴろい和室が延々と広がっている光景。まるで、時代劇でお殿様が鎮座しているような部屋だ。本丸の宴会場でも、ここまで広くはない。そのくせ、中にあるものといえば、姿見だけなのだから必要最低限というにも程がある。
 ともあれ、自分の姿を確認しようとして、彼女はずるずると重たい着物を引きずり鏡面に己を映し出した。

「やっぱり、白無垢だよね。あ、差し色の赤がない」

 白無垢といえば、白に添えられた赤がめでたいものだと彼女は思っていたのだが、どうやらこの花嫁衣装には白以外の色がないようだ。まるで、彼の色みたいだ──とある人物の顔を思い出したついでに、急速に彼女はあることを思い出す。
 それは、彼女にとってここに来る少し前のこと。正確には、今日の午後にあったことの記憶だった。

「そういえば、白無垢の話をしたんだっけ。じゃあ、これは夢……なのかな」

 そう考えれば、この突拍子もない状況にも整理がつく。夢の中の出来事というのは、概ねその日にあったことを整理するために見るものなのだという。ならば、これはあのときのお喋りの延長線に過ぎない。
 そうして、彼女は──審神者であり、藤という名の彼女は、昼にあった些細なやり取りに思いを馳せた。


***

 
「懐剣って、あなたなら誰にする?」

 お喋りの発端は、こんな言葉から始まった。あまりに唐突に、且つフランクに問われたので、彼女は思わずこてんと首を傾げてしまった。
 ここは演練会場に併設している喫茶室。今日の演練相手であり、知り合いでもある相手から、ついでだからとお茶に誘われたのだ。
 最初は他愛ない近況報告だったが、話の切れ目にふと、このような話題を持ちかけられたのである。藤の鈍い反応を見て、彼女は不満げに藤の頬を人差し指でつんつんとつついた。

「ねえ、懐剣の意味分かってる?」
「あ、うん。カイケンね。カイケン……」
「絶対わかってないでしょ。懐に入れる剣と書いて懐剣よ?」

 頭の中で会見という単語が既に浮かび上がっていた藤としては、彼女の鋭い指摘にはぐうの音も出なかった。

「懐に入れる剣──って、万が一の時のためにお守りで持つ刀のこと?」
「そういう意味もあるけど、私が言いたいのは別。私が言ってるのは、花嫁衣装の懐剣のこと。あなたには大事な話でしょ?」

 ジュースを飲んでいた藤は、唐突に出てきた花嫁と自分の話に、思わず吹き出しそうになった。寸での所で踏みとどまったものの、逆流したジュースが気管を苛み、ひどく噎せ込む結果になってしまう。ごほごほと咳き込んでいる藤を見て、彼女は呆れたようにハンカチを差し出した。

「あなた、相変わらずこの手の話になると急に照れるのね」
「……だって、心の準備をしてなかったんだもの。しかも、僕にとって大事な話だなんて」
「だって、私よりあなたの方が関係あるでしょうに」
「か、関係ないよ」

 わざとらしく咳払いをしてみせたものの、藤の方が彼女より年上であることと、現在交際していると公言できる関係にある刀剣男士がいるという意味では、大いに関係はある。
 だが、元来恋愛関係の話題は聞くのが専門、遠くから見守るのが関の山、実際に誰かと付き合ってもまともに顔を見られるようになるまで半年かかった、という藤にとって、結婚話など特大の爆弾と同程度の破壊力があったといっても過言ではない。

「でも、決めておいた方がいいんじゃない? この前聞いた話じゃ、結婚する審神者の白無垢に忍ばせる懐剣を誰にするかで、結構もめた本丸があるって聞いたの」
「もめたって?」
「懐剣ってなったら短刀でしょう? 最初に顕現した短刀がする、いいや自分の方が相応しい、あげくには短刀に制限する必要が果たしてあるのか、とか言ってもう、本丸中で大騒ぎになったんだって」
「結局、それはどうなったの?」
「本丸内で試合して決めたみたいよ。そういえば結婚の話とか、あなたの所は出てないの?」

 びしっと指されてしまい、藤は思わず目を泳がせた。
 彼女の言う通り、深い間柄になった以上考えないものではないのだろう。ただ、藤としては当面付き合っているという所で関係を留め、結婚をするという直接的な話を出すつもりはなかった。

「結婚なんて、まだしないよ。多分、本人もそういうの考えてもなさそうだったし」
「どうだか。それで、あなたなら懐剣は誰にする?」

 問いかけは最初のものに戻り、藤は今度こそ、大真面目に首を傾げて考えてみようとした。
 懐に忍ばせるという意味では、恐らくは短刀の誰かになるだろう。ならば、最初に顕現した五虎退が適切だろうか。
 だが、藤にはそれ以前にある懸念があった。

「誰にしても、多分ヤキモチ妬かれそう」
「だれに?」
「えっと……その、花婿さんに」

 自分で言うだけでも恥ずかしくなり、藤は蚊の鳴くような声で心配をしている相手について告げる。

「あなたの付き合ってる相手、短刀だったの?」
「ううん、太刀の──髭切」

 普段は物腰柔らかで、何事も柔軟にそつなくこなし、細かい物事には執着しない──ような顔をして、意外と彼は好いた相手に対する執着が強い。特に、こと刃物に関するものとなると、彼は源氏の重宝であるという己への自負もあってか、なかなか譲ろうともしない。彼の目の敵にされた刃物の中には、包丁やカッターという刀とはあまり関係のないものも混ざっているほどだ。
 こんな話をしたら、一体どんな顔をするのだろうと、藤は思わず天井を仰ぐ。
 少し離れた席にいる本人が、聞いているとも知らずに。


***


「でも、僕が花嫁になった夢ならお相手がいてもいいんじゃないかな」

 そこまで口に出しておきながら、藤は間髪入れずにぶんぶんと首を横に振った。
 自分の夢の中で彼が出てくるということは、それは当然自分の想像が作り出した空想の彼だ。いっそ妄想といってもいい。そんなものを直視した暁には、死ぬほど恥ずかしい気持ちを抱くはずだ──と分かってはいたはずなのだが。

「主、そこにいる?」

 何故、襖の向こうから彼の声が聞こえてしまうのだろうか。
 髭切の呼び声に驚いた藤は、危うく白無垢の裾を踏んでひっくり返るところだった。

「い、いるよ。もしかして、髭切?」
「もしかしなくても、僕だよ。よかったぁ、上手くいったみたいだ。じゃあ、入るね」

 こちらが良いとも言い切らないうちに、襖が開いて声の主が姿を見せる。想像通り、秋のススキを思わせる柔らかな金髪の持ち主の青年は、紛うこと無く髭切だった。
 けれども、藤はこの夢の中で二度目の転倒の危機に見舞われそうになった。その場でひっくり返らなかったのを褒めてほしいと彼女が思いかけるほど驚いた理由は、他でもない。彼が、さながら白無垢に合わせるかのように、黒の紋付き袴を纏っていたからだ。

「うんうん、やっぱり主に白無垢はよく似合ってるね。赤を入れるより、いっそのこと真っ白にしたいなあと思ってたんだ」

 一方、対する彼の方は驚くこともなく藤の姿を受け入れていた。彼女がぽかんとしている間にもあれよあれよという間に、彼は藤の目の前まで来てしまった。

「これも、夢?」

 自分の夢も遂にここまできてしまったのか、と藤は恐る恐る髭切に触れてみる。服越しに伝わる彼の暖かさは、夢だというのに妙に現実味を帯びていた。

「夢とも言えるし、そうじゃないとも言えるかな。あ、でも僕は主の夢の中の人物とかじゃないからね」
「えっ、じゃあ、もしかして、本物の」
「うん。少しお邪魔させてもらったんだ。主が僕を呼ぼうとしてたみたいだから、ついでにちょっと色々ね」

 色々と言いつつ、具体的には何をしたのだろうかと、藤は思わず胡乱な目で髭切を見てしまう。彼が自分を傷つけるようなことはしないと確信は持っているが、突拍子も無いことをすることも彼女は同時によく知っていたからだ。

「後は、もっと曖昧でふわふわしていた主の夢をもう少しはっきりと形を持ったものにした、というだけだよ」
「それじゃあ、髭切を巻き込んだのは半分ぐらい僕の責任ってことだよね」
「そうとも言えるかな? まあ、細かいことはどうでもいいよね。僕は主の白無垢姿を独り占めできて嬉しいんだから」

 彼が伸ばした手が藤の頬に添えられ、愛おしそうに撫でられる。くすぐったさと、見慣れない彼の和服姿にこそばゆい思いを抱えることになった藤は、反射的に俯いてしまった。
 彼女の恥らいなど気にすることなく、頬を撫でていた彼の手が今度は上へと移動し、癖の多い藤の髪の毛をゆっくりと撫でていった。おずおずと見上げれば、そこには愛おしそうにこちらを見つめる瞳がある。当然、そこに害意などあるわけがない。

「な、なんだかこうしていると……結婚式みたい」

 昼間にあんな話をしたからだろうか。普段より少し滑らかになった藤の舌は、ここに来たときから思い浮かんでいた単語を紡いでいた。

「じゃあ、本当に式を挙げちゃう?」
「え、いや、でもここじゃ何も無いし、誰もいないよ」
「いいから、いいから。ほら、誓いの言葉みたいなことを、最近の式では言うんだよね? 主が以前見ていたお話に、そんな場面があったって覚えてるよ」
「それって、教会でするときのやつで、こういう和装でするときのじゃないと思うんだけど」
「でも、僕は一度あれをやってみたいんだよね」

 両の手をぎゅっと握って主を見つめる彼の瞳は、期待の煌めきがこれでもかと詰め込まれていた。だというのに、当の本人はこちらを見つめるばかりで何も言おうとしない。大方、言い出しておきながらも、肝心の言葉の方は忘れてしまったのだろう。
 まったく彼らしいことだ、と藤はくすりと微笑んだ。

「ええと確か……病めるときも、健やかなるときも、死が二人を別つまで共にあることを」

 そこまで言いかけて、ふと藤は口を閉ざす。髭切の人差し指が、ふに、と彼女の唇に優しく触れたからだ。

「どうしたの?」
「それなら、死が二人を別つまでじゃなくて、死んでからも一緒がいいな」

 それほどまでに彼は自分のことを思っているのか、と藤は歓喜に頬を染め上げる。髭切から見ると、まるで彼女の顔にぱっと花が咲いたかのようだった。
 もう一度と促され、藤は髭切の両手を自分の両手で包み、先ほど中断された誓いの言葉を改めて口にする。

「病めるときも、健やかなるときも、どんなときも──死んでからでも、一緒にいてくれるって誓ってくれる?」
「誓うよ。僕のこの名と刃にかけて」

 やんわりとした微笑を浮かべ、髭切は藤の問いかけに応じる。続いて、彼女の言葉を辿るように、髭切から誓いを問う言葉が投げかけられる。

「病めるときも、健やかなるときも、主が例え──この世を去る時が来たとしても、僕と共に在ると誓ってくれる?」

 いつになく真剣な彼の瞳に、藤はすぐに応えようとした唇が、どういうわけか震えてしまっていることに気がついた。これに応えたら、きっと自分の深い部分で何かが変わってしまうのではないかという恐れが、彼への安易な返答に待ったをかけている。
 髭切はこちらを見たまま待っている。その唇が、素直に肯定を紡ぐことを望んでいるのは、痛いほどに伝わってくる。なのに、喉が震えて言葉になってくれない。彼のように、間髪入れず応えることができない自分が歯がゆい。

「ごめんね。困らせちゃった?」
「ち、ちがう、何だか急に頭が真っ白になっちゃって」

 髭切は彼女にそれと気付かれないように、少しばかり残念そうに眉を下げる。けれども、瞬き一つでいつもの表情を取り戻し、しどろもどろになっている藤の鼻を人差し指でちょんとつついた。

「じゃあ、こうしようか。主が審神者ではなくなってしまったとしても、僕と一緒にいてくれる?」
「それは勿論。誓うよ」

 自分が審神者でなくなった後のことなど藤には皆目見当もつかないが、この問いには間を挟むことなく答えることができた。

「ありがとう。僕の主」

 くすりと微笑む彼の目が、今は先ほどよりずっと近くにある。
 淡い金がかかった茶の瞳が、こちらを見据え、離れてくれない。自分はこの瞳に惹かれ、この色に心を射抜かれたのだと藤は改めて自覚する。

「髭切」

 ねだるように少し背伸びをすると、「慌てないで」と耳元でそっと諭すように言葉が囁かれる。藤の両手を彼の片手が優しく包み、空いた片手は彼女の頬に添えられていた。
 彼の顔が近くなり、藤が目をつぶった途端、唇が淡く濡れたものでそっと埋まる。
 誰も見ていない、二人だけの夢のなかの挙式。泡沫の刹那に浮かび上がった幻は、幸せな心で埋まっていく。
 名残惜しさを残しながら唇を離すと、目の前にはこれ以上の幸福はないと言わんばかりに微笑んでいる髭切の顔。
 お返しとばかりに、今度は藤から顔を寄せて、ちょんと小さな口づけを送る。珍しく彼が驚いたような顔を見せたから、してやったりと彼女は笑い返してみせた。すると、つられて彼も目を細めて声を漏らして笑う。二人の笑いのさざなみが、静謐な空間にやんわりと響いていく。

「主は、やっぱりこういう式は皆の前でしたい?」
「そりゃ、一生に一度のことだからね」
「僕はこのまま、二人きりの方がいいなあ」

 こうして主の晴れ姿を自分だけの記憶の留めたいと思うものの、実際の挙式となるとそうはいかないということは、髭切も薄ら想像がついていた。ままならないものだ、と彼は少しばかりの不服を露わにする。

「わがまま言わないの。今は、こうして独り占めできてるんだから」

 額をこつんと合わせ、再びくすくすと笑い合い。
 今この時を閉じ込めてしまいたい。永遠にしてしまえたら、どれだけ良いだろう。そう思うのに、無情にもひらひら、ひらひらとまるで花が散るように世界が白に塗りつぶされていく。
 ──ああ、夢が終わってしまう。
 この玉響の時を心に刻みたいと、彼女はぎゅっと髭切にしがみついた。また、こうして誓いを重ねる日が来ますようにと、祈りながら。


***


 チュンチュンと甲高い小鳥の囀りが、彼女を夢の闇から引き剥がす。瞼をこじ開ければ、見慣れた自室の天井が代わり映えのない姿を見せていた。
 ――やっぱり、夢だった。
 そのことは自覚しているのに、あの瞬間の彼の姿が目から離れない。今でもまだ、髭切を掴んでいたぬくもりが手に残っているのではと思うほどだ。

「……あれが、実は本当にただの夢で、髭切も自分の妄想の産物だったらどうしよう」

 夢の中の人物が、自分はあなたの夢が作り出したものじゃないよといくら言ってきても、信憑性など本来ゼロに等しい。よく夢の中の自分は、素直に信じたものだ。

「髭切に、あんなことしてほしいと思っているってこと!? うわ、恥ずかしいっ」

 布団の中に顔を埋めて、どれだけジタバタしたところで夢の記憶が消えるわけではない。暫くごろごろと転がっていたものの、暴れすぎた挙げ句に寝台から落ちて強かに腰を打つ羽目になった。
 痛みで涙目にながらも、ようやく冷静さを取り戻した藤は「あれは夢だったのだ」と、心の中に封じることを決意した──そのはずだった。
 だが、運命の悪戯というものだろうか。
 朝の洗顔のために洗面所に向かう道中、あろうことか、夢の中に出てきた思い人が廊下の向かい側からやってくるではないか。

「おはよう、主」
「お、おはよう。これから朝の鍛錬?」
「うん。弟はもう先に向かってるみたいだから、そろそろ僕も行かないとね」
「気をつけてね」

 顔を合わせてみても当然というべきか、昨晩の夢について、彼は何も触れようとしない。やはり、あの髭切は夢の中で自分が生み出した妄想だったのだ、と藤の中に諦めがついたときだ。

「すごく綺麗だったよ、──」

 行き違いざまに聞こえた声は、愛おしそうに呼ばれた彼女の本名は、さながらあの泡沫を示唆しているようで、藤は思わず足を止めた。
 振り返った先、鍛錬場に向かう彼はくるりと振り返り、そのしなやかな人差し指をちょんと己の口に当てた。
 内緒だよ。
 音にせずとも彼の言葉が聞こえた気がして、藤はこくりと頷く。
 彼の姿が廊下の角を曲がって完全に見えなくなったのを確認してから、彼女は緩みかけた頬を両手で支えてその場にうずくまった。

(あれは夢だったけど、髭切は覚えていてくれた)

 あの誓いも、言葉も、二人で見た束の間の幻ではあったのだろうけれど。それでも、二人の思い出であることもまた確かなのだ。
 ならば、今度こそ彼の思いに応えたいと、幸せではち切れそうな思いを抱えて彼女は願う。

(いつか、あの夢を本当にするときがきたら、ちゃんと誓おう)

 ──私は、死んでからもずっと、あなたのそばにいたいと。
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