短編置き場

 クリスマス。それは世間が浮き足立つ祝祭の日だ。
 その流れに乗った審神者の藤も、ここ数日は雲の上を歩いているような浮かれ具合を見せていた。勿論、それはクリスマスの宴が楽しみということもあるが、他にも理由はあった。
 去年と違い今年の彼女には、特別に好意を寄せる相手がいる。それが、最大の理由だった。
 そして、来たるべきクリスマスイブの今日。彼女は思いを寄せてくれた相手と共に商店街の大通りを歩いて、つかの間の休息を存分に楽しむ――はずだった。

「……ごめんなさい、こんなはずじゃなかったのに」
「主が謝ることじゃないよ。僕だって驚いたもの」

 隣に座る自身の刀剣男士――髭切に、藤は頭を下げる。正確には、頭を抱え込むようにくの字に体を曲げていた体を、ますます小さくしたというべきか。彼女の癖の多い朝焼け色の髪を、髭切はぽんぽんと優しく撫でて、気にすることはないという気持ちを示してみせた。
 二人は今、本丸から歩いて程なくしたところにある街の商店街に来ていた。ここは毎年イルミネーションに力を入れていて、今年も見事な輝きに建物が包まれており、カップルがひとときのロマンチックな逢瀬を楽しむ場所になっているのだという。
 髭切と多少とはいえ関係が変わった今――恋仲と言っていいかはまだはっきりしていないが、ともかく今ならば、と藤は彼を連れてイルミネーションを見に行こうと提案したのだ。
 主が行きたいと言って、断る理由は髭切にはない。普段は滅多にしない外出に、夢中になって装いを整える主の姿を微笑ましいと見守り、そうこうしている内にその日がやってきた。
 彼女の思惑としては、人工的な光のトンネルの中を彼と歩き、夢のようなひとときを過ごす――つもりだった。
 だが、現実はそんなに甘くない。

「すごい人だねえ」
「……本当にね」

 地上の星よりよく見えるのは、人、人、人の頭。
 クリスマス商戦も大詰めであり、更に言えば藤が考えるようなことは年若いカップルなら容易に考えられるデートプランの一つでもあった。
 必然的に目的地には人の波が押し寄せており、優雅なひとときよりも先に、人波に圧迫される苦しいひとときを過ごす羽目になったのである。

「主、大丈夫? 顔色があまり良くないようだけど」
「人混みに酔ったかも……」

 とどめが、これだ。押し寄せた人波が持つ匂いや気配に圧倒された藤は、気分が悪くなってしまった。
 今は比較的人通りが少ないベンチに腰掛けているが、夕闇が完全に夜闇に切り替わる頃には、ここにもイルミネーションを見に来た人々がやって来ることだろう。

「歩ける? 人が来ない所に行った方が良さそうだよ。主が先に参ってしまいそうだ」
「でも、イルミネーション……」
「離れていても、これだけ光っていたら見れるよ。歩けないなら抱えて行くけど」
「歩ける、歩けるからっ」

 本丸の中ならいざ知らず、こんな人目がつくところで抱え上げられたら、誰になんて思われるか分かったものではない。
 髭切の肩を借りて立ち上がった藤は、彼の腕にしがみつくようにしながらよろよろと歩き出した。彼女の足に合わせて、背の高い髭切も歩幅を狭めて歩いてくれている。おかげで、彼に引きずられるようなことはなく、彼女はゆっくりと人の声がする方から離れられたのだった。

(失敗、しちゃったなあ)

 ふらつく足で歩きながらも、藤の頭には後悔が雪のように降り積もっていた。
 事前に人が来ないルートを探しておけばよかった。或いは当日に拘らず、もう少し早く行けばよかった。そんな後悔ばかりが、彼女の頭をどんどん重くしていく。
 審神者になり、彼らと交流を深めていく上で、少しは肩の力を抜いてもいいという考えは持つようになっていたが、慣れない部分ではこうして思考の迷路にはまってしまう。とりわけ、誰かに迷惑をかけるということに関しては、未だに胃が引き絞られるような申し訳なさで、目の前が真っ暗になるのだ。

「ごめん、髭切。折角、付き合ってくれたのに」
「気にしていないよ。僕にとっては、主が側にいてくれるだけでも嬉しいんだから」

 彼の言葉はいつも通りで、リップサービスなのか本心なのか、顔もろくに上げられていない藤には分からなかった。
 話している間にも人混みのない方に向かってくれていたのだろう。次第にムッとするような人いきれはなくなり、代わりに師走独特の冷えた風が防寒具の隙間から流れ込んできた。熱で蒸されたようになっていた頭も程よく冷えて、藤はほっと小さく息を吐く。

「主、あそこに休むところがあるみたいだよ。休憩していこう」

 彼の言葉で、彼女はようやく頭をもたげた。
 果たして、そこには小さな喫茶店がちょこんと建てられていた。建てられていたというより、寧ろ生えていたという言葉の方が正しいかもしれない。町はずれの一角に、森から生まれたような素朴な外装のお店がひっそりとあったのだ。
 頭は冷えたが、ついでに体も冷えている。少し温まってもいいかもしれない、と藤はこくりと頷いた。
 

 喫茶店の中は、見た目に違わず質素だが落ち着きのある色合いで纏められていた。木目をうまく生かした柱や床は、どこか本丸の建物を思い出させる。暖色のライトは、外の冷たさをやんわりと防いでいるようにも見えた。
 店内の片隅には、調度品の一種としてか、小さなピアノが置かれている。如何にもお洒落な今時の喫茶店といった様子だ。
 だが、幸か不幸か髭切たち以外には客はおらず、カウンターでは店員らしき女性が暇そうに本を読んでいるだけだった。クリスマスの夜である繁忙期まっただ中に閑古鳥が鳴いていていいのかと思うが、今はお店の経済状況を憂うより休憩が先だ。
 二人の来店に気がついた店員に勧められるまま、藤たちは窓際の席に腰掛けた。

「ご注文は?」
「ココア二つ」

 彼女が何か言うより先に、髭切が間髪入れず注文をしてしまう。消えていく店員の背中を見送りながら、藤は少し不服そうに髭切を見つめた。

「主は甘い方が好きだよね?」
「また、子供扱いしてる」
「でも、この前こーひーっていう飲み物飲んで、苦い苦いって泣いてたって歌仙が言っていたよ」
「泣いてない!」

 バン、と思わず机を叩いてしまったが、ここは本丸ではなかった、と気がついた藤は慌てて店の奥の方を見る。幸い、店員には聞こえていなかったようだ。

「僕だって、少しは大人っぽいところ見せたいのに」
「それは、相手が僕だからと思っていいのかな。歌仙とか他の皆には、もっと子供のように振る舞っているのに」
「そりゃ、歌仙たちは僕に『楽にしろ』って言ってくれるから。でも、髭切は」

 続く言葉をごにょごにょと濁してしまったので、それ以上は流石の髭切も聞くことはできなかった。
 人から見たら、髭切は成人して数年は経っている大人の男性に見える。対して、自分は背丈と生まれ持った顔もあって、大人っぽいという言葉とは縁遠い、と藤は考えていた。彼と並んでいても、良くて兄妹と見られるのが関の山ではないか、と思うのだ。
 彼に自分は似合わない。不釣り合いだ。
 だが、見た目は釣り合っていなくても、態度や知識くらいは大人っぽく振る舞えるかもしれない。
 そう考えて、こうして現代人らしくクリスマスのイルミネーション鑑賞に連れ出したりもしたのだが、どうにもうまくいかないものである。

「主はこのままでいいと思うよ。僕もその方が好きだもの」

 俯いていると、頭に掌を乗せられてわしゃわしゃと撫でられる。
 ただそれだけの仕草が心地よくて、頭の痛みも胸のムカつきも彼の掌が全部吸い取ってしまったかのように、無くなっていった。

「いるみねーしょんは見られなくても、こうしてゆっくりしているのも楽しいよ? 僕はこういうあり方は知らなかったから、主が教えてくれるのはどれも面白いし珍しいし、心が自然と躍るんだよね」
「……うん。それなら、よかった」

 おずおずと顔を上げると、見つめているだけで安心をもたらす金茶の瞳がこちらをじっと見つめている。にこりと笑いかける彼につられて、藤も目を細めてふにゃりと微笑んでみせた。

「はい。ココア二つね」

 だが、間に割って入る声に藤は自分が二人きりではなかったことを思い出し、顔を真っ赤にする。
 先ほどの女性店員とは違う、紫の髪をした少年の店員が二人の座る机にカップを二つ置いた。
 先ほどのやり取りを聞かれたのだろうか。人目を憚ることなく睦言を交わし合う間抜けなカップル――俗に言うバカップルと思われていないだろうか。
 ちらりと視線を送ってみたが、藤色の髪をした少年は、何事もなかったかのように、店員らしい愛想がよい笑顔を見せるだけだった。

「あと、これはおまけね。夕餉前だから、一人分を分ければ丁度いいだろうって」

 ココアのついでと言わんばかりに置かれたのは、二人で食べるにしては少し小さなチョコレートケーキだった。

「夜になると、ここから見える麓の町のイルミネーションが凄く綺麗なんだ。もう十分もしたら日が完全に落ちるから、ゆっくり過ごしていってくれると嬉しいって、僕の主がね」

 少年がカウンターの方に目線を送ると、先ほどと変わらぬ姿勢でオーダーを取りに来た女性が本を読んでいた。

「ありがとうございます」

 藤がぺこりと頭を下げても、彼女は本から目を離さなかったが、軽く会釈はしたのが見えた。
 店員である少年が奥に引っ込み、気を利かせたのか女性の店員もカウンターからは姿を消してしまい、再び二人きりの時間が戻ってくる。
 まずはココアに手を伸ばし、藤は小さく音を立てながらそれを口に含んだ。入れたてのココアにはいくつかマシュマロが浮かんでいて、舌の上でとろりと溶けていく。

「主、顔色が良くなってきたね」
「そう? よかった、体調管理もできてないなんて主失格だものね」
「そこまでは言わないよ。でも、気分が悪いまま帰ったら、夕餉の鳥料理が食べられなくて主が泣いてしまいそうだから」
「そんなことで泣かないよ。やっぱり子供扱いしてるでしょ」

 と言ったものの、実際皆が美味しそうにチキンを食べている傍で、胃痛がするからと休む自分の姿を想像すると、泣きたい気持ちにはなってきた。どうやら、そういう所も彼はお見通しのようだ。

「主、主」

 呼びかけられて何事かと思い顔を上げれば、髭切がフォークにケーキのかけらを突き刺して、こちらに向けていた。
 何故だかとても嬉しそうに、にこにこと微笑んでいた彼は、

「ほら、口を開けて」

 さらりと、とんでもない要求を言葉にしてきた。

「ひ、一人で食べられるから、大丈夫だよ」

 さもそうするのが当たり前です、みたいな顔で言われて藤は口を開けそうになったが、ギリギリのところで理性が彼女を踏みとどまらせる。

「ありゃ、それは残念だな」
「残念がることでも」
「えいっ」

 口を開いた隙をつくように、髭切の持っていたフォークが藤の口の中に押し込まれる。無論、チョコケーキのかけらも一緒にだ。
 こうなってしまっては、流石に反論すらできない。仕方なく、彼女は口を閉じて口内のチョコケーキをフォークから抜き取り、もぐもぐと咀嚼する。甘いココアに合わせてか、少し苦めのビターチョコレートが、舌の上にほろりと溶けていく。

「美味しい?」
「……美味しい」
「僕もそう思ってた所なんだ。ちょっと苦いけえきもあるなんて、知らなかったよ」

 よくよく見れば、ケーキの端が少し切り取られている。念のために毒味をしてくれていたのだろう。
 心配性なんだから、と今度は自分のフォークで切り取る。
 平時においても主の身を守ることを最優先にしている彼の振る舞いを見ていると、やはり彼もまた主の守護を第一にしている刀剣男士なのだと、藤は改めて思う。
 恋人だから守ってあげたい――という気持ちとは、少し違うのだろう、と。

「主、見て。外がぴかぴか光っているよ」

 窓の向こうを見やると、完全に日が落ちたおかげで街の灯りがよく見えた。普段と違い、今日はイルミネーションもあるため、より一層輝きが増しているようだ。
 この喫茶店自体が、高台に位置しているからだろう。店員が言っていた通り、さながら宝石箱をひっくり返したように、窓枠の向こうでは地上の星空が広がっていた。

「綺麗……」
「あれって、全部、人が作り出した灯なんだよね」

 髭切は目を細めて、眼下に瞬く星々を見つめて呟く。

「もし歴史が変わっていたら、この灯りも無かったのかもしれないね」
「……そっか。もしかしてここが、街じゃなくなるかもしれないんだ」
「それに、主がこんな風に僕の前にいることもなかったのかもしれない」

 時間遡行軍と戦っているという現実を、忘れたわけではない。けれども刀剣男士との生活は藤にとって楽しいものであり、心弾む日々でもあった。自分が生きているという感覚を取り戻していくようで、だからこそ、たまに彼女は本来の役目を忘れそうになる。

(髭切、僕に注意してるつもりなのかな。浮かれすぎないようにって)

 心をどのように傾けようと、最終的に藤が審神者であることに変わりは無い。それは彼女自らが望んだ生き方でもあった。

「僕は君たちみたいに刀を持って戦うことはできないけど、精一杯がんばるよ」

 チョコケーキを前にしては、精一杯の決意表明も形無しだったが、ともかく藤は真面目くさった顔を作ってそう言ってみせた。
 だが、髭切は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、こちらを見つめている。そんなに変な発言をしただろうかと藤が首を傾げていると、

「うんうん、そうだねえ。確かに僕もそう思うよ」

 さも意味ありげに彼は微笑んで、再びわしゃわしゃと藤の頭を撫でた。彼女としては何が何だか分からず、なすがままに彼の手のひらの温もりを感じるしかなかった。

(もし歴史が変わったら、僕らが会うこともなかったかもしれない。だから今を大事にしたいし、これからも……と言いたかったのだけれど)

 普段は程よく力を抜くことを覚えた主だが、こういうときであっても、生来の生真面目さのようなものが出てしまうのだろうか。
 頭に載せていた手をそっと下へとずらし、髭切は愛おしそうに彼女の頬をするりと撫でる。何をされたのか分からずにきょとんとした顔をした藤は、けれどもすぐに彼の触れている箇所に花が咲いたような紅をぱっと散らせた。
 クリスマスの喧騒からは程遠い静かな時間に身を委ね、二人はゆっくりと眼下の星々を眺め続けていた。
 片方は、今この時の思い出が永久に続くことを祈りながら。
 片方は、今この時をこのまま永遠に留めたいと願いながら。


 ***


 クリスマスイブの日、藤の本丸では毎年パーティを開くことになっている。それは、彼女が本丸にやってきたときから変わらない習慣となっていた。
 加えて言うなら、刀剣男士の皆は毎年こっそりとその日までに贈り物を用意して、主に渡すようにしている。それもまた、恒例の習わしなのであった。
 今年も同様に、鳥料理に舌鼓を打った後、藤は本丸の皆から贈り物を貰い、顔中に笑顔を咲かせて自室に戻ってきていた。
 そろそろ、時刻も十二時を過ぎる。今年も楽しいクリスマスだったと思いたかったが、彼女には気になることが一つあった。

(髭切からプレゼント、なかったなあ)

 膝丸が贈り物を手渡してくれたとき、その隣に髭切もいた。だから、皆は兄弟が揃って渡したものだと解釈して、特に何も言わなかった。
 だが彼女からすると、そういうものだろうか、と首を傾げずにはいられない。自室に戻って包みを一つ一つ開けていき、膝丸が渡してくれた贈り物の包装を解いても、その疑念は拭えなかった。

「気にしすぎかな。それとも一人で舞い上がってるだけ?」

 二人で出歩いた時に膨れ上がった幸せな気持ちが、まだ残ってしまっているのかもしれない。こんな調子では、また浮ついていると言われるのではと、藤はペシペシと頬を叩く。
 贈り物は、恐らく膝丸と一緒に選んでくれたのだろう。或いは、今日共に出かける時間そのものが、贈り物だったのかもしれない。考えれば考えるほど、この答えは妥当なもののように見えた。

「うん、きっとそうだ。実際最高の贈り物だったじゃないか」

 二人で喫茶店から眺めた夜景を思い出し、彼女は頬を染める。
 物としても何か欲しいと思わないわけでもないが、あの時間は一生の宝物になるだろう。
 今日はいい夢が見られそうだ。そんなことを考えつつ、藤が解いた包装を片付けている時だった。コンコン、と襖の柱を叩く音が外から聞こえ、彼女はひょいと顔を上げる。

「はーい。誰?」
「僕だよ」
「ああ、髭切。どうしたの?」
「ちょっと、用があって」

 主の許しをもらい、すーっと襖が開いて声の主である髭切が姿を見せる。
 夜中に一人きりで刀剣男士が部屋に来ること自体はそこまで珍しくはないが、今日ばかりはクリスマスイブの夜ということもあって、妙に期待してしまう。どうにか平静を装いながら、藤はじっと彼の瞳を見つめて言葉の続きを待った。

「あそこで渡しそびれてしまったから。はい、これ」

 さも何でもないと言わんばかりに、藤の手の上に小さな紙包みが置かれる。それが示す所の意味を藤はすぐに察したが、念のために問いかけという形で、彼女は確認をとることにした。

「これは?」
「くりすますの、贈り物だよ。僕の分、渡せてなかったでしょ?」
「膝丸と渡してたのかと、思ってた」
「弟は自分で選んでいたみたいだから、僕のものとは別。何をあげたのかも教えてもらってないよ?」
「そうだったんだ」

 早合点していたと気がつき、藤は改めて訪れた喜びと、はち切れんばかりの幸福に自分が包まれていくのを感じていた。

「開けてもいい?」
「どうぞ」

 頷き返されたことを確認してから、藤はそろそろと封を解く。はたして、彼女の手の上にはコロンと木の櫛が転がり出た。
 洋風の持ち手があるものでなく、芸妓が頭につけるような和風のものだ。つげ櫛と呼ばれる品だろうか、と藤は己の中の工芸品に関する乏しい知識を掘り出してみる。手で持つ部分には、彼女の名と同じ藤の絵が描かれていた。

「ありがとう、髭切。大事に使うね」

 嬉しさで頬を薔薇色に染めて、彼女はぺこりと頭を下げる。
 だが、髭切はどういうわけか、少し困ったような顔をしていた。まるで予想していた反応とは違う、と言わんばかりだ。

「ええと……主、贈り物の意味を後で調べてみてくれる?」
「う、うん」

 どうやら彼は櫛を渡すだけで何か伝わると思ったが、自分がそれを察せなかったから困ったらしい、と藤は理解する。
 彼女の頭を一度撫でてから、髭切は「おやすみ」とだけ残してからスタスタと部屋を去っていった。
 残された藤は、早速自分の端末に、櫛と贈り物という単語を入力する。検索結果は、瞬きする間もなく返ってきた。

「櫛の贈り物の意味……」

 彼女が開いたページの片隅の文言を見て、思わず目を疑う。
 櫛は、苦や死に繋がるので贈り物としてはふさわしくない。そのような文言が目に飛び込んできたのだ。

「もしかして、嫌われてる?」

 いや、そんなことはないと藤はすぐに否定する。そのようなマイナスな感情を向けているなら、今日共に出かけるなどということはしないだろう。
 彼は常に笑っているが、本心で嫌だと思ったなら態度に出す。顕現してすぐの彼に、そうした方がいいと他の誰でも無い藤自身が伝えたのだから、今もそうしているはずだ。

「じゃあ、苦しい日もあるってことを思い出して欲しかったのかな。常に戦いと隣り合わせだということを意識して、気を引き締めるというか」

 それならありそうだ、と藤は頷く。喫茶店の時の話でも、彼はそんな話題を口にしていた。
 ここ最近は、正直自分でも浮かれていると思う日が多かった。年の暮れに気を引き締め直そうとさせるとは、如何にも惣領の刀だった彼がやりそうなことだ。

「うん。ありがとう、髭切」

 頷いて、藤は櫛をぎゅっと軽く握った。彼女の目が、端末に表示されたページの続きを見ることはなかった。


「兄者、それで渡すことはできたのか? 返事は?」

 部屋に戻って早々、自分の弟にぐいぐいと詰め寄られて髭切はどう反応したものか、と珍しく困惑した様子を見せた。その顔を別の意味でとったのか、膝丸は驚いたように目を見開く。

「まさか、断られたのか?」
「ええと、そうじゃなくて」
「兄者、気を落とすことはない。主も自分の立場というものがあって」
「だから、そうじゃなくて。知らなかったみたいだよ」

 髭切の発した言葉を聞き、膝丸はぽかんとする。まるまる三十秒ほど凍り付いていた膝丸は、今度は眉根を寄せて渋面を作って見せた。

「何故だ。比較的新しい時代の習わしに沿ったはずだというのに」
「うーん、主からしたら古い時代の習慣だったのかもねえ」

 言いつつ、髭切は用意してあった布団の上にごろりと寝転がる。膝丸はまだ何か言いたそうにしていたが、流石にかける言葉が見つからなかったようだ。
 今は弟の気遣いが嬉しい。変に慰められても心の行き場が思いつかないからだ。

(知ってるものだと思ってたから、咄嗟に気の利いた言葉も言えなかったなあ)

 櫛を贈る。
 その行為は、たしかに苦や死に繋がるから贈り物としては避けた方がいいということは、髭切も調べたうえで知っていた。
 だが、この贈り物にはもう一つの意味がある。
 苦しみも死すらも共に過ごし、永遠に寄り添うという契りの意味。端的に言うなら、番いになることを望むという意味を。
 番いになるという意味は髭切にはピンと来ていなかったが、永遠に側にあるという単語には心惹かれるものがあった。彼女が、自分の中に生まれた気持ちの一部でも理解してくれれば、時折感じる薄黒い気持ちも消えてくれるのではないかと考えたのだ。
 しかし、渡せばすぐに察してくれるかと思いきや、素直に喜ばれてしまった。その結果、普段は回ってくれる舌もどういうわけかうまく動いてくれなかった。
 結局、彼は気の利いた台詞すら言えず、部屋に戻ることになったのだ。主が自分で調べて気付いてくれたらと思うも、どうにもこういうことに関しては鈍感であろうとする彼女では、難しいかもしれない。

(今度は、もっと主が知っているものにしよう。渡すだけで、意味が伝わるものはこの時代では何なのかな。それに、知らなかった時のことも考えて――)

 布団の中に潜り込みつつ、髭切は次の作戦を着々と組み上げていく。
 獅子の瞳に込められた熱に狭野方の花が気がつくことはなく、そうしてその年のクリスマスは、ゆっくりと終わりを迎えたのだった。
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