短編置き場

 クリスマスも近いある日のこと、髭切は自身の主と一緒に万屋商店街の通りを行ったり来たりしていた。
 今日の買い物が済んで後は帰るだけという頃になって主が言い出した、とあることが事の発端だった。

「どこかにヤドリギでできたボールみたいなもの、なかった?」

 ヤドリギについては知っているが、そのような珍妙なものは見かけていなかった髭切は当然首を横に振る。何故そんなものを探しているのかと尋ねた所、主は少し顔を赤くしながらこんなことを言い出した。

「その下であることをしたら、幸せになれるって外国の言い伝えがあるんだって」

 所謂おまじないというやつか、と髭切もようやくそこで理解をした。
 得られる効果は幸せという漠然とした内容であったが、主がそれに夢を見るのも致し方ないと彼は思う。何せ、数年前まで彼女は自分の幸せというものが分からないと言うほど、その言葉に対して特別な思いを抱き、思い悩んでいたのだから。
 閑話休題。ともあれ、主が探しているというなら髭切に断る理由はない。

「じゃあ、少し探し回ってみようか。買い物に行かなかったお店にあるかもしれないよ」

 そう言ってみてから早三十分。それだけの時間を要しても、ヤドリギでできたボールはおろか、ヤドリギそのものが見当たらなかった。クリスマスリースならしょっちゅう見かけるのに、ヤドリギと限定されると影も形も無い。
 万屋の端から端まで巡り、ついには商店街のはずれまでやってきた二人は、休憩を兼ねて小さな広場のベンチに腰掛けた。
 流石に買い出し荷物を抱えての往復は、体に応えるものがある。
 髭切にとってはどうということもないが、主にとってはそれなりに負担になるのだろう。事実、彼女はベンチに着いた瞬間、荷物を置いてそそくさと座り込んでいた。

「どこにもなかったねえ、ヤドリギ」
「やっぱり、この言い伝えってあまり有名じゃないのかな」
「うーん、ヤドリギに関する言い伝えは僕も聞いたんだけどね」
「そうなの? どんな話?」

 興味を持って尋ねてくる主に、髭切は「内緒」とだけ告げる。今の彼女に教えたら、幸せ探しの夢に浸っていたのに気持ちが逸れてしまうだろう。

「見つかったら、やってみたかったんだけどな」
「そういえば、主が教えてもらった言い伝えはヤドリギの下で何をするの?」

 先ほどの会話では、彼女は何かをすると言っただけで、何をするという話までは具体的にしてくれなかった。
 髭切としては当然の質問だったのだが、訊いた途端に彼女の頬は夕日のように真っ赤に染まる。主がこういう顔をするときは、彼女にとって恥ずかしいと思えるようなことを考えているときだ。
 ふうん、と髭切は気のなさそうな返事をしたが、内心では先ほど以上に好奇心という名の芽が急速に伸びているところだった。

「じゃあ、当ててみようか。それは、一人でできること?」
「一人じゃ、できない」
「じゃあ、歌仙や五虎退とできる?」
「五虎退とはしてもいいけど、歌仙は……だめ」
「へえ」

 五虎退が良くて歌仙がダメという理由が、髭切にはすぐに思いつかない。髭切からしたら、五虎退も歌仙も同じ刀剣男士だ。五虎退の方が背が低くて見た目は華奢だが、それがそこまで大きな意味を持つことなのだろうか。

「物吉とは?」
「う……物吉でも、ちょっとだめかも」
「それなら堀川とかもだめってことかな」
「うん……。堀川も、僕がびっくりする」

 主と同等の背丈の刀剣男士が駄目ということなら、それより大きい刀剣男士は皆断られるということだろう。
 ということは、自分も省かれるということかと髭切は心の片隅で肩を落とす。主が恥ずかしがるようなことは大体自分が関わっていると思ったが、ぬか喜びだったようだ。

「堀川とすると主がびっくりすることで、物吉がだめで、最初の刀剣男士である歌仙も断れるようなことって誰とならできるの?」
「う……」
「なら、弟?」

 斜めになった機嫌が露骨に表れたような投げやりな問いかけだったが、主の顔はどういうわけかもっと赤くなっていく。それが答えだと思った髭切の気分は、対照的にマイナス方面へ一気に下降していく。

「じゃあ、弟と探したらいいんじゃないの」
「絶対だめっ! だって」
「だって?」

 自分でも冷たい声だなと思いつつも、髭切は一応問いかけてみる。

「だって膝丸は、顔が似てるから……だめだよ。ちゃんと、その、ちゃんとしたいから」

 弟と顔が似ている相手など、一人しかいない。
 歌仙はだめで、五虎退なら良くて、物吉や堀川でもだめで、膝丸は顔が似ているからもっとだめ。似ている相手ではなくて、ちゃんとしたい。
 不意に、髭切の中でぶつ切りになっていた疑問が一本の線で繋がる。
 わざわざ自分との買い出しの時に顔を赤くしながら提案したことと言い、彼女が一緒にしたいと思っているのは今目の前に座っている相手──髭切と、なのだと、彼は遅まきながら理解する。

「主は、僕としたいの?」

 念のために尋ねると、彼女は首がとれるのではないかと思うほどこくこくと頷いた。いつの間にか伸ばされた手が、きゅっと髭切のコートを掴んでいる。

「言ってくれればいいのに。それで、主は何がしたかったの?」

 核心を突く問いを投げかけても、彼女は頬を紅潮させたままふるふると震えるだけだった。唇をわなわなと震わせて、ぎゅっと目を瞑り、ようやく意を決して主は口を開く。

「ヤドリギの下で、キ、キス、したら……ずっと幸せでいられるって」

 言葉の後半は、回りきっていない舌のせいでごにょごにょとくぐもった声になってしまっていたが、その説明だけで髭切には十分だった。
 羞恥のあまり逃げようと体を捻りかけていた彼女の両肩を、髭切は逃がすまいと掴み、ぐいとこちらに向き直させる。
 本気で嫌がっているのなら、離すつもりはあった。けれども、主の目には何かを期待するような思いがちらほらと見えている。
 ならば、もう逃がす必要はない。

「ひ、髭切もさっき、何か言い伝えを教えてもらったって言ってたけど」
「ああ、あれね。ヤドリギの下で口付けを迫られたら、断ってはいけないって話なんだ」

 主が語っていたロマンチックなものと比較すると、髭切が教えた言い伝えはやや横暴な内容だと、彼自身も思う。だから、わざわざ口にするのは控えていた。
 でも、もういいだろう。彼はあっさりと己の心の戒めを解き、主の震える唇をじっと見つめた。

「でも、ここ、ヤドリギないよ」
「あったよ。ちょうど良くね」

 髭切がちらりと目線を上に向けると、つられて彼女も空を見上げる。そこには、裸になった木が丁度枝を張り出していた。
 けれども、あったのは枝だけではない。木の枝とは異なる細い枝木が絡まり合ってできたボールのようなものが、樹上にちょこんと乗っかっていたのだ。葉が落ちた枝の中で、一際それは浮いて見えた。

「前に図鑑で見たけど、ヤドリギって木にくっついて育つものでしょう? 主が探していたのはヤドリギの球だよね」
「本当だ。こんなところにあるなんて」

 顔を正面に向き直させた彼女は、しかし目を丸くしてその場に硬直する。丁度目と鼻の先に髭切の顔があったのだから、それも当然だ。
 開きかけた唇は、待って、と言おうとしたのか。それとも、いいよ、と降参の言葉を紡ごうとしたのか。
 どちらにせよ構うことなく、外気で少し冷えた彼女の唇を髭切は己のそれで塞ぐ。ちょん、と触れるだけの僅かな時でも、彼女が微かに震えたのがわかる。
 音もなく触れただけの、ほんの数秒の交わりだというのに、離れた髭切が目にした彼女は、恥ずかしさと嬉しさでふるふると震えていた。

「これで、主はずっと幸せでいられる?」

 何でもないことのように尋ねてみると、彼女はぎこちなく頷く。その動きときたら、からくり人形といい勝負ができるほどぎくしゃくとしたものだった。
 もっとも、照れ屋な彼女にこんなことをしたら、どうなるかは髭切は最初から知っていた。つまるところ、確信犯というわけである。

「あ、ありがとう。その、言い伝えなんて、興味ないかと思ったのに」
「そうでもないよ? それに主がしたいっていうなら、応えてあげたいとも思うもの」

 髭切の言葉を聞いて、ふしゅーっと空気が抜けた風船のように、彼女はこちらにもたれ掛かってきた。
 主の重みを感じながらも、髭切はその背に腕を回して、とんとんと宥めるように叩いてやる。キス一つで、まるで全力疾走でもしたのではないかと思うほど心臓をばくばくさせているのだから、これから言おうとしてることを耳にしたら一体どうなることやら。
 だが、髭切の行動は遠慮という文字から最も遠い。故に、彼は躊躇うことなくもう一つの言い伝えについて触れる。

「ところで、主。僕が訊いていた方の言い伝えなんだけど」
「ええと、それって」
「ヤドリギの下で口付けを迫られたら、断ってはいけないって話だよ」

 ぱちぱちと瞬きを繰り返すこと、数秒。茹だった彼女の頭が髭切の言葉を理解し、今度こそ「待って」という言葉が音になる。
 だが、言葉一つで彼が止まるわけがない。
 まだ湿り気が残る薄紅色をした彼女の唇を、すかさず己のもので塞ぐ。逃げようと仰け反る彼女を逃がすまいと、髭切の手は主の後頭部をがっちりと押さえていた。
 先ほどより長くお互いの一点を触れ合わせ、離れても間を置かずにもう一度。観念したように彼女は力を抜いて、今度は髭切の背中に恐る恐る手が回される。
 どこの国とも知れぬ言い伝えだが、今日は感謝をしてもいいだろう。
 自分に全てを委ねる彼女の頭を撫で、濡れた花弁を存分に味わいながら、彼は内心で凄艶な笑みを浮かべたのだった。
32/41ページ
スキ