本編第一部(完結済み)

 クリスマス。
 それは外の国の宗教において、聖人と言われている人物が生まれた日なのだと伝えられている。海の向こうの諸国では、この日を祝してクリスマスツリーなる木に飾りをつけ、家族や友人に贈り物をして、皆でご馳走を食べる。
 緑や花が芽吹く季節ではないためか、飾りつけはどうしても人工的なものになってしまいがちだ。赤や金のリボンを巻き付けて木のてっぺんに飾り星をつけたり、小さな電飾を枯れ木に纏わせて夜になると光らせたりするのが良い例だ。
 これらのことは、五虎退と物吉が主に分からないようにこっそりと調べ出した事項だった。文明が外に開かれると同時に、この国に持ち込まれた行事のためか、どれだけ調査を進めても二人にはあまり馴染みがあるとは思えなかった。
 が、馴染みがないのは刀剣男士たちだけであり、現代に生きている人たちにとっては、正月に並ぶ一大イベントとなっているらしい。それもまた、彼らの調査結果から判明した事柄である。

「とにかく、仲がいい人に贈り物をして、美味しいものを食べるんですね」
「は、はい。そのはずです。だからお店の人は、贈り物になるような品を、いっぱい用意するんです」

 五虎退と物吉、髭切は今、万屋商店街の大通りにいた。
 石畳で舗装されたその通りは決して狭くはないはずなのに、そこかしこに刀剣男士の姿が見える。審神者と顕現された刀剣男士向けの施設だから納得とも言えるが、今日はいつも以上に多いようで五虎退は軽く目眩を覚えていた。
 これが俗に言うクリスマス商戦というものなのだが、顕現して初めての冬を迎える彼らに、そんなことが分かるはずもない。

「物吉さんと髭切さんは、どんな贈り物を用意するんですか?」

 誰に、とは五虎退は問わない。彼らの送り主は主以外にいないからだ。少年の問いに真っ先に答えたのは、髭切だった。

「僕はもう決めているんだ。物吉は?」
「主様が好きなもので、且つこの季節に相応しい品をお送りしようと思います」
「好きなもの……?」

 首を傾げる五虎退に、物吉は清々しい朝日を思わせる晴れやかな笑顔を見せる。

「主様は、綺麗なものがお好きです。それに、主様はご飯の時に楽しそうな顔をしていることが多かったと、ボクは覚えています。調べてみたところ、丁度その二つの『好き』に合致する品があると、気がついたんです!」

 物吉は自信満々に胸を反らして、大袈裟に手を広げた。
 主と雨の日に見た虹の景色を、彼は忘れていない。あの時、角の存在が物吉にバレた後であるにも関わらず、彼女は自然の作り出す壮麗な風景に目を奪われていた。
 同時に、主は美味しいものを口にすると、いつもとても楽しそうにしている。夏祭りでお腹を空かせた主が、あれこれ屋台の料理に口をつけていたこともまた、彼の記憶として焼き付いている。秋の初めの頃は、勝手に焼き芋を作って歌仙を困らせるという事件も起こしていた。
 朝昼晩と三回の食事をほぼ欠かさず、甘味と聞けばどこからともなく姿を見せる。それが、物吉の知る主だ。
 もっとも、最近は彼女の食生活にも陰りが見られている。だからこそ、物吉はこの行事を機に彼女の目も舌も楽しませたかった。

「綺麗で、でも食べられる物?」
「はい。くりすますの日は、けえき、というそれはとても美しいお菓子を食べる日なんです。写真で見たのですが、まるで職人の方々が作った工芸品のようでした。だから、ボクはそれを用意しようと思います」

 更に物吉は大きく手を広げて、頬を桜色に染めながら高らかに宣言する。

「皆で食べられるくらい、大きなけえきを買いますね!」
「それは楽しみだなあ、物吉」

 にこりと笑う髭切に、物吉は負けじと寒さで赤くなった鼻先を向けて太陽のような笑顔を見せる。
 ふと、主の笑顔を思い返した髭切は、少年が向けるそれと彼女のものを比較してしまった。彼女がけえきなる菓子を食べたら、物吉のように微笑んでくれるのだろうか。

「五虎退はどうするの?」
「ぼ、僕は……実はまだ捜している途中なんです。何を買うかは決まっているんですけど、どんな形をしているのかが分からないんです」

 普段からどこかおどおどしている調子の五虎退の言葉は、いつも以上に歯切れが悪い。物吉と髭切の間を行き来している瞳も、不安に揺れていた。

「それは、どんな品なんですか?」
「髪飾り、らしいんです。あるじさまが、以前万屋に来た際に買おうとしたらしいんですが、別の人に譲ってしまったと歌仙さんから聞いていて」

 五虎退が贈り物について考えたとき、彼の脳裏にすぐによぎったのはもう半年も近く前のことだ。髪飾りを買おうとした主が、他の子供に譲ったという話を五虎退は忘れていなかった。
 彼女が装飾品の類を欲しがっているところを、五虎退はついぞ見た試しがない。そんな彼女が一度は手にとったというのは、相当気に入るものだったのだろう。
 ならば、今度こそ彼女の手に届けたいと五虎退は強く決意して、今ここに立っていた。だが、彼は一つの問題を抱えてもいた。

「形は歌仙さんから聞いたんですけれど、僕は直接見たわけじゃないんです。歌仙さんに来てもらおうかと思ったんですけど、今日はご馳走の支度をしなくちゃいけないらしくて……」

 一緒に買いに行ってほしいと、本当はもっと早くに誘いたかった。だが歌仙は歌仙で、この数日間万屋に行っては遅くまで帰ってこないということを繰り返していた。
 おかげで声をかける暇もなく、こうして当日を迎えてしまったのである。

「なら、ボクが一緒に探しに行きますよ。ボクには幸運がついていますから!」

 不安げな様子を見せる五虎退の手をとり、元気づけるように物吉はぎゅっと握る。それだけのことだったが、不安に満ちていた五虎退の瞳に微かな安心という灯が灯った。

「けえきは帰る時に買う予定にしていましたから、五虎退に付き合いますね。髭切さんはどうしますか?」
「僕は畑仕事に使うものが置いてあるお店に用があるから、後でここに待ち合わせでもいいかな」

 どうしてそんな所に用があるのか、と二人は首を傾げたが、それ以上を問おうとはしなかった。
 髭切が行きたい店は、五虎退が向かう予定の雑貨屋とは真逆の方角にある。二人に合わせていては、おそらく帰るのは日が暮れてからになるだろう。
 今日はクリスマスのその前日。歌仙が調べたところ、この日こそ贈り物をして宴を開く日なのだということだった。贈り物を探して宴に遅刻しては、本末転倒というものである。

「じゃあ酉三刻――十八時にここで、ということでどうだろう?」
「は、はい!」

 髭切の提案に、一も二もなく少年達は頷く。それぞれが自分の思う主への贈り物を胸に秘めて、彼らは目指す店へと足を向けた。


 髭切の目的地となる園芸用品店は、万屋商店街の外れにひっそりとある小さな店だった。主とたまに赴くことはあったが、一人で行くのは今日が初めてだ。
 クリスマスのお祝いムードもこの店には縁遠いらしい。だが、髭切はそんな場所にも躊躇せず足を踏み入れた。

(主は何かを育てるのが好きみたいだったから、植物の種を送りたいんだよね)

 春になったら、花をまた育てようという気になってくれるかもしれない。あるいは、一緒に育てた花を贈ってみてもいいかもしれない。
 彼女は自然の緑が好きだと、以前髭切に話してくれた。リンドウの花畑を見つけて嬉しそうにしていたのだから、花を見るのも好きなのだろう。
 ただ、夏の時に植え替えていた鬼百合だけは、彼女はあまり良い顔をしなかった。だから鬼百合以外の花を探そうと、髭切は売り場をうろうろと歩き回る。

「どんな花が咲くのかは、袋に絵で描いてくれているみたいだ。助かるなあ」

 独り言を言いながら、髭切は花の種が入った袋を吟味していく。冬に咲く花は、やはり少ないらしくほとんど見当たらない。代わりに、春の花を集めた売り場にはこれでもかと袋が積み重ねられていた。描かれている絵も赤や桃色、白に青と色鮮やかな品種が多い。
横文字の名前の花ばかりで、髭切としては馴染みのないものもかなりあったが、とりあえず彼はいくつかを手に取り籠の中に入れていく。

「こちらはぱんじー、というんだね。あっちはぜ、ぜら……ぜらにうむ?」

 どうにも外の国の言葉は、髭切の舌に馴染んでくれない。片仮名が読めないわけではないが、まるで言葉を覚えたての子供のような辿々しいものになってしまう。
 見慣れない文字に半ばくらくらしながら、髭切が種を選んでいると、彼にも馴染みのある漢字が目に飛び込んできた。

「桜草……」

 鮮やかな桃色の花たちが、塊のようになって咲いている写真は、見るからに春の到来を告げるに相応しい可憐なものだ。桜の木を贈ることはできないが、桜に似たこの花を咲かせることはできそうだと、髭切は目を細めた。

「そうだ、大根も買おう」

 冬のうちに育てられるかもしれないと彼女が口にしていたことを思い出し、髭切は大根の種にも手を伸ばす。どうやら、この作物は食べたら美味しいらしい。主も嬉しそうに話していたし、収穫した大根を歌仙に料理してもらうのも悪くないだろう。
 物吉や五虎退のような見目の煌びやかさは、髭切の贈り物にはない。けれども、草花や木々について話す主の顔はとても楽しそうだった。ならば、その笑顔を引き出すためのものを用意したいと、彼は考えていたのだ。

(リンドウの花はなさそうだね。藤の花も見つからないや)

 店の中を二周ほどしてから、髭切はそれらの草花は取り扱っていないのかと店員に尋ねてみたが、どちらも今は仕入れていないらしい。

「藤なんてもんは種から育てるもんじゃないさ。あれは苗木から育てるもんだよ。刀剣の神様さんや」

 少し呆れたように店員の女性に言われてしまい、どうやら自分は頓珍漢なことを尋ねたらしいと髭切は理解する。
 リンドウの花は秋に裏山に行けば見られるし、藤の花は春になれば本丸にあるものが咲くという。今はそれでいいだろうと、籠に入れた春の花の種と大根の種の会計を済ませる。
 余談ではあるが、刀剣男士たちは書類上は人間ではない。故に、彼らが所持する金銭は、あくまで政府から主に送られているものである。もっとも、彼女は金銭管理については興味がないらしく、貰ったお金をどう使うかについては本丸の大黒柱である歌仙に一任されていた。
 彼によって生活に必要な資金が分けられた後の取り分は、髭切たちに均等に分配される。彼が使っているのも、そのお金の一部だ。

(人の身を得て、金銭というもので物資のやり取りをするのを見たことがないわけじゃないけれど。誰かに送るための物を買ったのは初めてだなあ)

 そう考えると、まるで小さな灯りがぽっと点いたような暖かさが、心の隅に満ちていく。
 白と黄色のリボンに包まれた紙袋を抱えて、上機嫌のまま振り返った彼は、

「よっ、奇遇だな。髭切とやら」

 目の前に、白髪の男を見つけた。
 黒い小さな狐を襟巻きのように首に巻きつけて、白い着物を纏った彼――鶴丸国永は、落ち着いた内装の店内の中で一際浮いている。気さくに語りかけてくる様子から察するに、この鶴丸国永は主の知り合いでもある、更紗の鶴丸国永だろう。
 少なくとも、見た目は。

「何の用?」
「つれないなあ、きみは。お、何を買ったんだ? もしかして、大好きな主への贈り物か?」

 不躾に伸ばされた手に触れさせまいと、髭切は袋を懐にしまい込む。次いで、アーモンド形の瞳に警戒の色を宿しながら、

「君、鶴丸国永じゃないでしょ」

 邪気のない笑顔を見せつけていた男に向かって、確信をこめて言い放つ。
 果たして、その男は、鶴丸が今まで見せたことのないような意地悪そうな笑みで、口元を歪めた。

「この前、主を怖がらせたあやかしだよね。もし、また主に何かするつもりなら、主が何と言っても君を斬る」

 髭切から立ち上る殺気は、激しさと敵意が剥き出しになったものだった。対して鶴丸の姿を借りた彼は、慌てて髭切の腕を掴んでぶんぶんと首を横に振る。

「別に何もしやしないさ。俺もこれ以上、更紗から嫌われたくないんでね。あれから三日三晩無視されたんだからな」
「自業自得でしょ。それより、用がないなら僕は帰りたいのだけど」
「用はある。探してたわけじゃないが、あの娘の付喪神に会ったら、伝えておきたいことがあったのを忘れてたんだ」

 聞く必要もないと髭切は腕を振り払い、真っ直ぐに入り口に向かおうとした。しかし、

「夏祭りの夜、彼女が俺と会ったとき何があったか。知りたくないか」

 その言葉で、髭切は足を止める。
 振り返った先にいる男は、先ほどまでの意地悪な笑みを引っ込めて、今度はこちらを値踏みするような挑発的な微笑を口元に引いていた。

「ここで話すのもなんだ。外に出よう」

 未だ懐疑の念を瞳から送りながらも、彼の言葉に従って髭切は店の外に出た。

 
 通りを吹き抜ける風は、店内で温まった髭切の頬にはまるで冷たい刃のように思えた。
 けれども彼は、寒さに眉を顰めるよりも先に、目の前の鶴丸に化けたあやかしに向けて渋面を作っていた。そこに漂う剣呑な空気ときたら、飛ぶ鳥すら避けて行こうとするほどのものだ。
 だが、鶴丸の姿のあやかしは、恐れる素振りも見せず「おっかないなあ」と笑いすらしてみせていた。

「それで、夏祭りのときにあったことって?」
「彼女が鳥居をくぐって、その先の妙な所に行ってから戻ってきたってのは、君も知っての通りだと思うんだけど」

 認識のずれがないかを確認するための問いかけに、髭切は頷く。
 同時に、彼は鶴丸国永に化けたそれの口調が鶴丸と異なるものになっていることに気がついた。どうやら、あのあやかしの本来の喋り方はこちららしいと考えながら、髭切は彼の話の続きを待つ。

「どうして、鳥居をくぐろうとしたかは知ってる?」
「知り合いに似た姿を見かけたから追いかけた、と聞いているよ」
「だろうね。彼女が追いかけていたものは、俺も見ていたよ。彼女によく似た髪の色をした女性だった。多分、身内か何かかな?」

 あやかしの話を聞き、髭切はハッとする。
 夕焼けの色をした彼女の髪色に似た女性。そして、主が追いかけたいと思う人。それは、髭切も時折夢で垣間見ている、主の母親のことではないだろうか。

「でもその人は、死んでいるはずだよ。幽霊が主を誑かしたの?」
「待って、話をそう急かさないでってば。多分、それは幽霊じゃなくて、その知人の姿をただ借りただけだろうね」
「どういうこと?」

 あやかしは、襟巻きのようにしがみついている黒狐を片手で撫で、空いた片手で自分の顎に手を当てた。どう言おうか悩んでいるかのような素振りをすること数秒、彼は口を開く。

「そいつは、彼女と言葉を交わしたわけでもない。まして、彼女を知っていたわけでもない。ただ見ただけで、彼女にとって一番求めているものを見抜いて、その姿を偽り、連れて行こうとした。俺の言いたいこと、分かる?」
「それだけ手強いあやかしに、主が魅了されたと?」

 鶴丸の顔をしたそれは、髭切に負けじと渋面を作ってみせる。どうやら彼の回答が、お気に召さなかったらしい。

「君にとっては、あやかしなのかもね。ともあれ、そういう厄介そうな相手に目をつけられてるみたいってわけ。あの子は俺の友達と仲良くしてくれた。なのに、このまま境を越えて帰れなくなるってのは、どうも後味が悪いと思ったんだ」
「境を越えてって、どういうこと?」
「境は境だ。君と俺たちのような人でないものと、人であるものの境だよ。君たちは、どっちかというと現世寄りだとは思うけどね」

 それは人差し指を立て、中空に一本線を引いてみせる。主と自分たちの間に、まるで越えられない線があるとでも言わんばかりの仕草だ。
 だが、髭切はその線をかき消さんと、手をばっと払うように振った。主と自分の間にそのような境界はない。そう思いたかった。
 神様然として気取った顔で彼女を見下す夢の中にいた自分を思い出し、髭切はぐっと唇を噛む。彼女にそんな風に線を引いてほしくなかった。負い目を感じる必要だってない。主が恐れているような穢れなどもあるわけないと、髭切は信じていた。

「どう思うかは、好きにするといいよ。どちらにせよ、流石に見ていられなくて俺が連れ戻したってわけ。感謝しなよ?」

 彼はぱちんと片目を瞑ってみせる。鶴丸が以前髭切に見せた仕草と全く同じはずなのに、彼はその黄金の瞳に底知れない得体のなさを垣間見たように感じた。

「またどこか行っちゃったとしても、もう俺は関係ないからね。ここは自分のいる所じゃないって思い込んでいる人ほど、そういう誘いに弱いんだよ。まして、人ならざるものに魅入られたら、すぐにふらふらとあちら側に行ってしまう」
「そんなこと、僕も他の刀剣男士たちもさせないよ」

 髭切としては、当然の決意を口にしたまでのつもりだった。
 だが、対しているあやかしは目を見開いた後、呆れたように口を歪ませて、はっと鼻で笑った。

「何を言ってるの? 君もだよ。君たち刀剣男士の虜になって、あの娘が人の道を踏み外したなら、それは何も変わりゃしない。善意があるから、自分たちは何をしても良いとか思ってるの?」

 話している途中、鶴丸の姿の輪郭がふわりとぼける。
 髭切が瞬きした隙間を縫うようにして現れたのは、鶴丸ではなく見慣れない栗毛の青年だった。先日目撃した狐を思わせる毛並みの色合いからして、それが彼の本来見せる姿の一つなのだろう。

「自分たちは神様だから、自分たちが良いと思ってしたことは、全て彼女にとっても良いことだと思ってない? それなら、夏のときにあの子を誑かした奴と、根本的に何も変わらない」
「僕らの本丸にいたわけでもないのに、随分と上から目線で言うんだね。あやかしというのは、どうやら礼儀も知らないみたいだ」
「あやかしあやかしって、バカの一つ覚えみたいだよね。彼女は寧ろ、俺たちと同じだって言うのにさ」

 髭切は、思わず目の前の男の額に目をやった。だが、当然そこには何も無い。
 何のことだ、と彼にもう一度目を合わせてみたが、男は肩をすくめるばかりで、教えようとはしなかった。

「主は、あやかしじゃない」
「あやかしだなんて誰も言ってないってば。俺たちも含めて、ね」
「あやかしでないなら、君は何?」

 男は笑みを引っ込めたが、答えはしない。代わりに指で狐を作り、「コン」とだけわざとらしく鳴いてみせた。

「ただ、それだけだよ。少し悪戯が好きなただの狐さ」
「それだけのものなら、どうして僕に主のことを教えたの? 君はあの子供に優しくしたから、主を助けたと言っていたけど、それで恩返しが終わったなら、わざわざ僕を呼び止める必要はないよね」

 立ち去ろうとする男に、髭切は声をかける。
 目の前のあやかしの言い分なら、先日自分を脅したような者に、自ら声をかける理由はないはずだ。やはり主自身に何か良からぬ思いを抱いているのでは、と警戒の思いを込めて、髭切は振り返った彼を睨む。

「ああいう連中に好き勝手される同類を、見たくないってだけ。君らも含めてね」

 首に巻いた黒の子狐を撫でて、彼はそれ以上振り返ることなく去って行った。残された髭切は、ただ立ち尽くしてその場を去る彼を見つめることしかできなかった。

「……良かれと思ってしたことが、全て主にとって良いとは限らない」

 呟いた言葉は、クリスマスの喧噪に押し流されて、冬の空に溶けて消えた。


 ***


 髭切たちが万屋の商店街を彷徨っていた頃、彼らが贈り物を探しているなどとつゆ知らず、藤は本丸の道場の端で正座をしていた。
 この道場は冬にも活用できるようにと、床暖房が完備されている。とはいえ、運動をするとなれば自然と体も温まるので、普段はそこまで強くしてはいない。
 ただ、今日の道場は使用している刀剣男士が少ないこともあり、いつもよりしんしんと冷え込んでいるように思えた。
 その中で、ドン、ドン、と裸足の足が床を踏む力強い音が響いている。響く音の源を、藤はじっと見つめていた。二メートル近い巨漢の男性が、身の丈と同じかそれ以上の大きさの大太刀を素振りしている姿を。

「次郎、頑張ってるね」

 素振りの切っ先が止まった頃合いを見計らい、藤が声をかける。次郎は流れ出た汗を手ぬぐいで拭き取りつつ、にかっと笑ってみせた。

「他の連中が皆こぞって出かけちまったろう? なら、アタシもちっとばかし真面目にならなきゃってもんさ。主も見てることだしね」
「でも、素振りって飽きないかと思って」
「何事も基本が大事ってものさ。お、そうだ。主、暇ならアタシと手合わせするかい?」
「いや、やめとく。吹き飛ばされそう」

 肩を竦めて、藤は断りの意を露わにする。断った理由は言葉通りのものもあるが、どうにも気が乗らないというのもあった。
 ここ最近、体を動かすことが億劫だと感じてしまう。冬の寒さのせいだろうか。あるいは、未だ消化しきれない懸念を抱えたままだからか。

「主は細っこいもんね。もっとじゃんじゃん食べてグイグイ飲んで、大きくなりなよ~」
「グイグイ飲みたいのは次郎の方じゃないの?」
「あっはっは、ばれちまっちゃ仕方ない」
「お酒飲んでるから、次郎はそんなに楽しそうでいられるの?」

 自分の隣にやってきた次郎に、藤は何気なく問いかける。彼がいつも腰に結わえている小さな酒壺は、素振りの邪魔だからと藤の隣に置かれていた。
 その酒壺に手をかけて、中身が入っているか確認するように次郎は軽く振ってみせる。ちゃぽちゃぽと、酒が揺れる音が藤の耳にも届いた。

「いくらお酒を飲んでいたとしても、楽しくないときは気持ちは沈むだけさ。好きな連中に囲まれてるから、アタシだって楽しいって思いながら飲めるんだよ。ま、お酒飲んでるから気分が上がるってのも、あるっちゃあるけどね!」

 竹を割ったような、からっとした気持ちの良い笑い方につられて、藤も目元を細める。

「そんなわけで、主も一献どうだい?」
「いや、僕はいいよ。まだ未成年だから」
「あー、そういえば酒飲むのにも、年齢制限があるんだっけ? 窮屈だねえ、この時代は」
「そういうものだから仕方ないよ。ルールは守らなきゃいけないものだ。だから、お酒も飲んじゃいけないなら飲まない。わざとルールを破るのは良くないよ。そんなことしたら、大人を困らせるでしょう」

 淡々と紡がれる言葉には何かを諦めたような気持ちが込められており、次郎は内心で顔を曇らせる。
 どうにも彼女は本丸に戻ってから、奥歯に物が挟まったような違和感のある笑顔を見せる。その違和感の正体が何なのかは定かではないが、少しばかり肩に力を入れすぎていることが原因なのではないかと、次郎は思っていた。

「主もぱーっと気晴らしをすりゃいいのにさ」
「そういうわけにはいかないよ。主だもの。ちゃんとしないと」

 水を向ければ、この通りの返事だ。
 演練が終わってから特に、彼女は主であることを殊更意識したような振る舞いを見せる。その一方で、刀剣男士たちと距離を置くような行動もしている。
 あの時出会った審神者から、何か影響でも受けたのだろうか。皆が気がついてはいるが、何も言い出せずにいる。彼女が平時でいることを望むかのように笑うから、誰も指摘できないでいるのだ。
 次郎としては実のところ、藤に言うほど楽しいとは思えない空気だった。だからこそ、今日という日に彼は期待していた。

「真面目な主の分、アタシがぱーっとしておくとするかね! というわけで、まずはちょびっと」
「まだ夕方だよ? 夜まで保たないんじゃないの」

 一日に飲む酒の量を決めている次郎は、夕食後にちびちびと酒を嗜んでいることが多い。彼にしては珍しいと藤が声をかけると、次郎は何やら意味ありげなウインクを藤に見せた。

「今日は、無礼講なのさっ」

 何が何やら分からず藤は首を捻る。
 今日が十二月二十四日であることすら、彼女は忘れてしまっていた。


 ***


 五虎退が探している雑貨屋は、さして歩き回ることなく見つけられた。以前歌仙が主と共に硯と墨を買ったそこは、やはりクリスマスに向けて、豪奢な飾りによってまるで別の店のようになっていた。
 和風の家屋に付けられた金銀赤のリボンは些か風変わりであったが、祝おうという意気込みだけは強く感じられる。どうにかして客の財布の紐を緩ませようという、店主の商売に込められた思いが滲み出ているようだ。

「それで、五虎退。その髪飾りはどんな形のものなんですか?」
「色は青で、お花が三つあって、房飾りもついてるんだそうです。お花は作り物で、ちょっと固そうだったって歌仙さんは言ってました」
「そこまでわかっていたら、すぐに見つかりそうですね」

 装飾品置き場までたどり着いた二人は、そこで足踏みをすることになった。
 彼らの心情を一言で表すなら、唖然、だろう。女性の装飾品はここまであるのかと思うほど、そこには大量の品が照明を受けて星の海のようにキラキラと輝いていたのだ。
 和柄のもの。ちりめん細工のもの。どんな素材でできているのかわからないが、硬質で丈夫そうなもの。青い髪飾りというだけでも、三十以上ある。花がついている品と絞っても、それだけでも二十はあるだろう。
 物吉も五虎退もあずかり知らぬことであったが、刀剣男士や審神者がよく来るこの雑貨屋では、現在クリスマスとあわせてセールの真っ最中だった。装飾品もセールの対象であり、元々そこまで割高でもないこれらの品は、贈り物や自分へのご褒美にうってつけとして、結構な勢いで売れてしまうのである。
 ならば、とクリスマス当日に向けて本日大量の入荷が行われており、その結果が少年達を圧倒する煌びやかな品々となって、姿を見せていた。

「どうしましょう、この中から見つけられるでしょうか……」
「だ、大丈夫ですよ!」

 いつものように己の幸運を根拠に鼓舞しようとしても、物吉ですら一瞬躊躇する量である。二時間でこれだと思うものを見つけ出せなかったら、別の店を探す時間はない。
 それでも取り掛からなければ始まらない。気合いを入れ直し、二人が陳列棚に向かい合った時だった。

「ちょっと、あんたたち」

 やや険のある声が二人の耳に入り、揃って彼らは振り返った。

「刀剣男士が審神者もなしで、何してるのよ」

 不機嫌そうな声を出している少女の姿に、二人は目を見開く。一ヶ月前の演練で、主と対戦相手の審神者と何やら口論をしていた娘が、彼らの背後に立っていたのだ。

「あ、あなたは……」

 柘榴のような髪色に、冬の季節に合わせた地味な柄の着物姿の娘は、こちらを睨むようにじっと見つめている。彼女の背後には、同行者と思しき刀剣男士が控えていた。
 薄い紫の髪をしたその青年は、山吹色の派手な羽織に同色の着物を纏っていた。常人が着れば悪目立ちをするだけの色合いだったが、品のある仕草や佇まいのおかげか、彼には誂えたように似合っている。
 何と返したものかと物吉が悩んでいる間に、五虎退が彼の一歩前に出て少女に向き合い、薄い唇を開いた。

「あるじさまに、なにを……言ったんですか。あのとき、あるじさまに、何を言ったんですかっ」

 彼らしくない性急さで、五虎退はまるで挑みかかるように彼女へ問う。

「あの演練の日、帰ってから、寒い日だったのに、冷たい水を使ってお風呂に入って……。あるじさま、びしょ濡れになってました。体が赤くなるくらいに擦って、なのに、何でもないって言って。その後も、お仕事があるからって、ずっと、何日も僕たちに会おうともしないで……っ」

 仕事があるからと、彼女が離れに籠もっていたのは当然知っていたが、その前日にそんなやり取りがあったのか、と物吉は驚く。
 演練の際にあった件が原因だったのではないかと、因果性は薄ら感じていたが、彼の中ではまだ直接関係があると思えるほどの確信は得られていなかったのだ。

「あ、あんたたちの主って、あの女の子の方でしょう? 私は、そっちにはなにも言ってないわよ!」

 五虎退に食ってかかられて面食らったようで、少しばかり慌てたように少女も早口で捲し立てる。

「禊ぎをして、物忌みをしてたってことでしょ。それだけじゃない! 何で、そんなに」
「主」

 諫めるように二人の間に挟まれた言葉を発したのは、後ろに居る山吹色の着物を纏った刀剣男士からのものだった。

「君はそんな話をしに来たわけではないと、俺は思っていたのだけれど、見込み違いだったかな」

 彼の忠言を受けて、少女は「分かっているわよ」と口早に返事をする。
 仕切り直しと言わんばかりに、こほんと一つ咳払いをしてから、彼女は五虎退たちに向き直った。

「そ、その……この前の演練、邪魔して悪かったわ」
「……え?」

 物吉が面食らい、五虎退が声も無く目を丸くしたのも無理はない。勝ち気そうな物言いといい、突っかかるような態度といい、今口にしたしおらしい謝罪の文言は、あまり目の前の娘にふさわしいとは思えなかったのだ。

「だから、あんた達の主も含めて、横からごちゃごちゃ割り込んだのは悪かったって言ってるの! でも、許可してない場所で試合をするのはダメってことは、変わらないんだから!!」
「は、はあ……」

 まるで何かと張り合うような物言いだが、謝られる側になった五虎退も物吉も、先ほどの謝罪を否定したわけではない。
 とはいえ、謝られて素直にそれを受け止めきれるかというと、それはまた別問題だ。先ほどの言葉にあったように、五虎退の中には主を傷つけたという思いが、燻って残り続けている。
 まさに虎の子のような鋭い視線を受けて、少女は「うっ」と言葉を詰まらせ、

「だから、その、私のせいであんたたちの主に何か勘違いさせちゃったのなら、それも謝るわよ。そ、それで、あんたたちの主はどこ?」
「あるじさまは、今日はいません。本丸でお留守番、です」
「ボク達と他の刀剣男士と一緒に、今日は買い物に来たんです」

 五虎退と物吉の発言を聞き、少女は勝ち気そうなその大きな瞳をパチパチと素早く瞬きさせた。まるで、何を聞かされたのか分からないとでも言わんばかりの顔だ。
 何やら言いたげに少女は口を開きかけたが、後ろにいた彼女の刀剣男士に嗜めるような視線を送られて、再び咳払いをするだけにとどめた。

「いないなら、仕方ないわね。じゃあ、伝言しといて。その……悪かった、って」

 少女はやや口ごもりながら、物吉たちに言づてを頼む。
 そこまで言われて断ることもできない。未だ剣呑な空気を隠せない五虎退の代わりに、物吉は小さく頷き返した。
 用は済んだとばかりに少女は二人から目を逸らし、五虎退たちも棚に向き直る。

「この中に主様が欲しかったものがあるかもしれないって、話でしたよね。五虎退、頑張って見つけましょう」
「は、はい」
「あの人、この店で欲しかったものがあるの?」

 意気込みを新たにしている二人の間に、再び少女の声が割って入る。どうやら彼女も陳列されている品々に興味があるのか、二人の隣に並ぶように立っていた。

「そうみたいなんです。とはいえ、見た目の特徴しか分からないので、ボク達で正しい品を見つけられるかどうかは」
「この店で買おうとしていたのね。なら、さっきの詫びついでに訊いてあげる」
「でも、店員さんに訊いても、そんな昔の話を覚えているんでしょうか」
「違うわ。この店そのものによ」

 何を言い出すのかと物吉が琥珀色の瞳に疑問符を浮かべていると、少女は五虎退と物吉の間に割って入り、装飾品が並べられている陳列棚に手を添えた。

「年季の入った素材で作られている店だから、多分声も拾いやすいはず。木製でよかったわ。人工物は、どうにも苦手なの」

 少女は口早にそれだけ言うと、すぅと息を吸い込んでから目を閉じた。
 ――瞬間、空気が切り替わる。
 賑やかな店内の音楽が遠くに消え、代わりにシンとした静謐さが五虎退達の周りだけを覆っていく。
 一体どういうことかと五虎退が声をかけようとすると、彼の肩に手を置く者がいた。それは少女の刀剣男士である、薄紫の髪の彼だった。

「君たちの主はどんな姿をしているかを、できるだけ詳しく教えてくれないか?」
「髪の毛が夕焼けみたいな色で……それと、目が綺麗な紫で」
「あと、藤色の布を額に巻いています。でも、それを訊いてどうするんですか?」

 後ろにいた刀剣男士は、返事の代わりに自らの主である少女にちらりと視線を送る。つられて、五虎退たちも隣で目を瞑る少女に目をやった。

「……あ、あの、今この方は何をしているんですか?」
「審神者は、物に宿る心を励起させる力を持つ者がなるということは、君たちも知っているだろう。俺の主は、殊更にそれが強くてね。この店の棚のような、曰くも物語も然程強くない物であったとしても、声無き声を拾い上げて、自分に宿す技を扱えるんだよ。君たちの主が、ここに来たことがあるなら、この店の付喪神なら知っているだろうと、考えたのだろうね」

 彼の言葉が終わると同時に、隣にいた少女は閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。
 だが、開かれた双眸に先ほどまでの勝ち気な様子は、微塵も残っていない。姿形は同じなのに、まるで違う何かが彼女の中に宿っていると、彼らは直感で理解していた。
 妙に虚ろな彼女の瞳は、なまじっか先ほどまでの激しい勢いと真逆のものであるが故に、余計不気味に思えてしまう。

「君たちの訊きたかったことを、尋ねてみるといい」

 少女の刀剣男士に促され、物吉が恐る恐る口を開く。

「主様は、以前ここで何を欲しがっていたのでしょうか。同じ品はここにありますか」

 少女の体を借りた何かは、ぎこちなく顎先を上下に動かした。

「夕焼けの髪をした、紫の布を巻いた者――だったな。あれは、春の頃にここに訪れていた。多くの付喪神と多くの人間がここに来るが、あのような妙な気配を纏った者は珍しい。だから、よく覚えている」
「そ、それで、あるじさまは何を買おうとしていたのですか」

 引っ込み思案な五虎退も勇気を出して尋ねると、少女は操り人形のように硬い動きで腕を持ち上げ、ある一角を指差した。そこには、五虎退が話していたように三つの花を縒り合わせた小さな髪飾りが置いてあった。

「色は違うが、あれと同じものだ」

 言った瞬間、糸が切れた人形のようにガクリと彼女の首が下を向く。
 慌てた少年たちが駆け寄る先に、彼女の刀剣男子が難なく少女を支えた。再び開かれた瞳には、先だっての虚ろさはもう見られない。

「大丈夫よ、一人で立てるわ。蜂須賀、手を離して」
「しかし、主」
「平気って言ってるでしょ。刀の付喪に心配されるほどのことじゃないわ」

 自分の体を支える青年――蜂須賀と言う名の刀剣男士の腕を振り払い、少女は改めて五虎退達に向き直る。会ったときと同じ、負けん気の強い子供っぽい挑戦的な光を宿した瞳が、再び彼らを見据えていた。

「それで、この棚の付喪には訊けたの? 欲しいものは見つかった?」
「は、はい。あ、あの……あり、がとう、ございます」

 五虎退が思わず感謝の言葉を口にしたのは、目の前の彼女の顔色がお世辞にも良いとは言えなかったからだ。霊的なことについては全く門外漢の五虎退でも、今の行為が彼女にとっては負担であったのだろうとは、想像出来る。

「なら、良かったわ。あの人、喜んでくれるといいわね。それじゃあ」

 早口でそれだけ言うと、少女はどこか覚束ない足取りで出口へと向かってしまった。蜂須賀も物吉達に素早く会釈だけすると、そそくさと彼女を追う。
 嵐が過ぎ去った後のように、一瞬呆けていた二人は改めて棚へと向き直った。

「同じ色じゃないですけど、これにしますか?」

 物吉に尋ねられて、五虎退はしばしの間思い悩む。
 彼らが見つけた髪飾りについている花の色は、主が春に買おうとした青色ではなく紫色をしていた。けれども、主はその名前の通り藤色の瞳を持っている。なら、彼女の瞳にこの飾りの色は合うのではないか。
 五虎退はそう考えて、ぎこちなく、しかし確かにしっかりと頷いた。

「こ、これにします。藤色ですから、あるじさまのお名前と一緒で、きっと……よく、似合います」
「じゃあ、そうしましょう。五虎退にも幸運が訪れたようで、ボクはとても嬉しいです!」
「それは、あの人がいたからで」
「それも含めて、ですよ」

 もしかしたら、彼女のただならぬ様子が二人を謀る嘘ではないか、と懐疑を抱く者もいたかもしれない。もしこの場に歌仙がいたのなら、その懸念は拭い切れなかっただろう。
 だが、人の良心を信じたいと願う五虎退と物吉は、素直に彼女の言葉を受け入れていた。
 あたりはきつく、攻撃的な部分はあるが、娘が主に向けた謝罪の気持ちは本物だ。彼女の気持ちを伝えたら主の心も少し変わるのではないか、演練に行く前の元の主に戻るのではないか、と五虎退は淡い期待すら抱いていた。
 小さな花飾りを手に、五虎退は駆け足で会計へと向かう。喜んでくれる主の顔を夢見ながら。彼の細い足運びに、迷いは一切なかった。
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