本編第一部(完結済み)

 少年達のはしゃぐ声が、庭中に響き渡っている。その声を耳にしながら、藤は縁側に腰掛けて側に置いてある練り切りに楊枝を刺した。先ほど、客間で出した茶菓子の余りである。

「やっぱり子供は遊んでいる所を見るのが一番だな」
「鶴丸さん、それ、おじいさんみたいな台詞ですよ」
「はっはっは、刀剣男士なんて人間から見たら全員じいさんみたいなものだろう?」

 はぁ、と分かったのか分からなかったのか、曖昧な相槌を打って、藤は再び庭を見る。
 厨での一騒動の後、茶菓子持ってきた藤は何事もなかったかのように刀剣男士たちの団欒の中へと戻っていった。鶴丸や髭切が、化け狐の悪戯について触れることもなかった。ただ、これ以上悪さをしないようにと思ってか、狐の尻尾は団欒の最中も鶴丸にしっかり掴まれていたが。
 腹が満ちれば、今度は更紗が当初の約束である雪遊びをしたいと言い出した。結果、庭に残っている雪を使った雪だるま作りが、現在執り行われている。
 鶴丸の代わりに更紗の面倒を歌仙が見ており、ならばと今は鶴丸の相手を藤がしていた。

「更紗ちゃんの本丸では、雪が降らないんですか?」
「降るさ。ただ、そこまで頻繁じゃない。ぱらぱら降って止んで、溶けてまた降って……というところだ」
「僕も、この辺りでここまで積もるとは思いませんでした」
「一説には、本丸に満ちる審神者の霊力は局所的に気候にも左右するらしい。並外れた力を持つ審神者は、本丸の中という限定的な場所とはいえ天気を自在に操るとか」
「それは……凄いですね」
「と、いう噂だ。実際の所はどうだかな。どちらにせよ、主が楽しんでいるようで何よりだ」

 練り切りを頬張りつつ、藤は相槌を打つようにこくりと頷く。
 更紗は相変わらずの無表情且つ口が利けない故、五虎退たちのように笑い声を発することもない。けれども、彼女の瞳の奥がきらきらと輝いているのだということは、藤にも分かる。
 あの少女は、彼らと交流して素直に楽しむことができる。自分のように隠し事もなければ、彼らへ苦い思いを抱きもしない。
 その純粋さを妬ましく思っている自分に気がつき、藤は慌てて小さく頭を振った。それは見なくてもいい感情だと、内に湧き上がった黒いものを押し込み直す。

「藤殿は遊びに行かないのか? 俺もこいつも気にする必要はないんだぞ」

 言いつつ、鶴丸は自分の膝の上に丸くなっている子狐を指さす。髭切に約束した通り、彼は子狐から目を離さずにずっと見張っているつもりらしい。

「僕は、いいです。寒いし、皆の邪魔しちゃ悪いし」

 折角連れてきてくれたのだから、と子狐に藤は指をそっと伸ばす。狐はフンと鼻を鳴らして、不服そうに前足を彼女の指に乗せた。

「君は、さっきみたいに人間の姿にもなれるの?」

 狐は答えない。眠そうに欠伸をして、不満げに鶴丸の膝上で丸くなるばかりだ。代わりに、鶴丸が狐の背を撫でながら藤の問いに答えた。

「一応、人に姿を変えられるのは俺も知っていた。だが、他人そっくりに化けられるとは知らなかったな」
「その子は本当の妖怪なんですか?」
「さあ、どうだか。ただの狐じゃないってことだけは確かだな」
「更紗ちゃんのお友達なんですよね」

 ああ、と鶴丸は首肯して狐の鼻を人差し指でふに、と柔らかく潰す。狐は嫌がるようにぶるぶると首を振った。

「ただ、ふらっと現れては俺たちをからかうだけからかって、どこかに行くような連中さ。主はこいつらを気に入っているみたいだが、からかわれてばかりの俺たちとしちゃな」
「こいつら? たしか、更紗ちゃんが描いてくれた狐も二匹いたような」
「双子狐なんだとさ。悪さをするのは、この栗毛の方だけどな。あいてっ」

 鶴丸の発言が気に障ったのか、狐は撫でていた鶴丸の手にがぶりと噛みついた。乱暴に振りほどかれた小さな獣は、新たな逃げ場として藤を選んだようだ。驚く彼女をよそに、狐は彼女の膝上で再び丸くなる。

「君は、夏のときに迷子の僕を連れ戻してくれた狐……なんだよね?」

 狐は欠伸を一つしてから、小さく首を縦に振る。

「ありがとう。君のおかげで、お祭りの会場に戻れたんだよ」

 どこか不満げにこちらを睥睨していたあの時の様子といい、今日の態度といい、この狐はこちらのことが好きではないのかもしれないと藤は思う。
 けれども、それはそれ、これはこれだ。彼は迷子の自分を見つけてくれた恩人――のようなものだ。それに一時的とはいえ不思議な力で転んで挫いた足を治してくれたことに、変わりは無い。
 藤のお礼を聞いても、狐は素知らぬ顔で首を横に向けるだけだった。

「ありがとうと言えば、俺もきみに感謝を伝えたいと思っていたんだ」

 不意に横から割り込んできた、鶴丸の言葉。その内容がどういうことを指しているのか分からず、藤は思わず顔を上げる。
 先ほどまで見せていた飄々とした人なつこい様子は影を潜め、代わりにあったのは一人の刀剣男士として真摯に藤に向き合おうとする鶴丸の姿だった。

「実を言うとな。主がここまで刀剣男士以外の人物に積極的に関わるのは、初めてなんだ」
「え?」
「主は口がきけないし、笑わないだろう。あの年頃の子供がむすっとしているだけだと、どうにも愛想がない気難しい奴と思われるらしい」

 彼の言葉を聞き、藤は「そういえば」と思い返す。
 演練の際に、知り合いの審神者であるスミレが対戦相手の更紗を怒らせてしまったのでは、と危惧していた。藤としては、更紗は普段からそういう顔をしているだけで、機嫌が悪いわけではないのではと思ったが、その推測は外れてはいなかったらしい。

「主が笑わないのは、察しているかと思うが、わざとじゃない。笑えないんだ。でも、そんなことを出会い頭に言うわけにもいかないだろう。だけど、きみは主が不機嫌と決めつけずに普通に接してくれた、と主は俺に教えてくれた」

 夏祭りの夜、更紗にぶつかったときのことだと藤は振り返る。あの時は彼女を怪我させたのではないかと、心配こそしたが、無表情であることを咎めようは思わなかった。

(だって僕は、あの頃からうまく笑えているかどうかを、気にしていたから)

 殊更に意識して笑顔を作る者がいるなら、その逆だってあるだろうということぐらい想像がつく。たとえそれが、自分より一回り小さな子供だったとしても変わりない。
 それに第一、第一印象はともかくとしても、藤は更紗の見た目だけを見て、彼女が不機嫌だとはあまり考えてはいなかった。

「更紗ちゃんは顔では笑えないかもしれないけど、今だって凄く楽しそうだよ。だって、あんなに目を輝かせてる」

 藤は見たままを言ったつもりだったが、その言葉を聞いて鶴丸は月のような金色の瞳をまん丸にした。

「きみ、主がどんな気持ちなのか分かるのか?」
「分かるというか……なんとなく、だけど」
「いつから?」
「会った時から。最初は確かに表情が変わらないって思ったけど、何となく目を見ていたら伝わってくるんだ。笑ったりはしないけど、楽しいとか美味しいとか眠いとか……そういうのは、見てれば分かるよ」

 鶴丸は、穴が開くのではないかと思うほど、藤をじっと見つめた後に「こりゃ驚いた」と呟いた。

「藤殿は、人の見た目よりも根っこの部分を見るのが上手いようだな」
「そんなことないよ。僕はただ」

 言いながら、藤は俯く。
 まるで観察眼に優れているように褒められたが、何ということはない。単に顔色を窺っているだけだと、彼女は自嘲する。
 相手を怒らせてはいないか、相手に不愉快な思いを抱かせていないか。自分が相手の親切に、きちんと応えられているか。
 優しくしてくれた人には、優しくしなければならない。そういうものだと、教えられてきたから。

「僕は――ただ、感じたままにしているだけだよ」

 無論思ったことは言わずに、藤は聞こえのいいだろうと思える言葉だけを口にする。

「たとえそれだけだったとしても、きみのかけた言葉や態度は人や俺たち刀剣男士にとっても、変えようのない宝になるという場合もあるんだ。俺の主にとっては、きみがとった態度も、そういうものだったということさな」
「…………」
「だから」

 鶴丸は真摯さを少し緩ませ、彼らしい茶目っ気をのぞかせた瞳で言葉を続ける。

「できれば、きみには主の友人となってほしい」
「僕が?」

 こくりと頷く鶴丸。彼に促されるように、藤は瞳を庭へと向けた。
 真っ白な雪を庭のそこかしこから集めて、大きな雪玉へと変えていこうとしている彼らの姿が目に入る。体躯が大きな次郎に手伝ってもらって、更紗の前には雪が小山のように積み上がっていた。
 それを見つめる彼女は――相変わらず、むすっとした顔をしている。けれども、彼女は笑っていると藤は思う。自分よりも、ずっと楽しそうに。
 まだ僅かに燻っている黒い感情を、藤は奥底へと押し込み直す。今気にするべき事柄は、そこではない。

「わかった。何かできるわけじゃないけども、僕でよければ」

 元より断るつもりもない。鶴丸にわざわざこうして頼まれているのだから、断れるわけもない。
 それに、夏祭りであった時も演練で会ったときも、更紗は自分のことを気に掛けてくれた。口もきけない身で、それでも藤の心を案じてくれた。ならば、尚更優しくするべきだ。
 思考を狭めて、藤は笑う。それが正解だと信じて。


 ***

 
 足元をちょこまかと歩き回る小さな子供――更紗に目を落として、髭切は尋ねる。

「君は、鶴丸と話してなくていいのかい」

 二人は、雪だるまの装飾に使う葉っぱや木の実を探して、庭のはずれに来ていた。本来なら更紗の面倒は歌仙が見る役だったのだが、夕餉の支度があるからと髭切に回ってきたのである。

『つる ふじ おはなし』

 白い息を吐き出しながら、彼女は唇だけを動かした。だが、それは声にならず、困ったように首を傾げた彼女は、代わりに木の棒で雪を引っ掻いて文字を書いた。

『おはなし してる たぶん だいじなこと』
「ふうん、そうなんだ」

 髭切は気のない返事をして、彼女が雪に記した文字を見つめる。小さな子供に向けるものとしては、随分と淡白な返答に聞こえるが、髭切はこの鶴丸の主である少女に殊の外特別な世話を焼こうとは思っていなかった。
 主の知り合いだから話をしている、という程度の関係だ。怪我をしないように見張っているが、髭切の中には特段優しく接する理由が存在すらしていなかった。
 故に、会話を――声と文字を使った対話を、それ以上続けるつもりはなかった。

『ふじ は だいじょうぶ ?』

 綴られた文字を、見るまでは。

「大丈夫って?」
『ふじ わらってる』

 会話の文脈が繋がらず、髭切は首を傾げた。この娘は早く相手と会話を繋ぐためにか、言葉を最低限しか書かない。そのせいで、正しいやりとりができているのか、分からなくなる時が生じてしまう。

『わらってる ずっと あったとき から』

 夏祭りに主と会ったときのことか、と髭切は思い返す。彼が考えている間にも、続きの文字は綴られていく。

『あったとき ふじ くるしそう だった。でも わたし みつけて わらった。なんでも ないよ って』

 更紗はそこで枝を止め、何か悩むように木の枝で同じ箇所を何度もつついていた。彼女の顔は会ったときと変わらない素っ気ないものだったが、空を映したような彼女の瞳は真剣に何か悩み、答えを探そうとしていた。

『くしゃくしゃで なきそうな かお してた。でも なんでも ないよって』

 藤と一方的な繋がりを持っている髭切は、夏の頃は今よりも彼女の心の木霊をはっきりと聞いていた。そのときに伝わった感情を信じるなら、彼女は更紗の言うように確かに苦しんでいたのだろう。
 当の本人は何もなかったと言い張ったし、あの時の髭切は弟の方を主より優先していた。だから、そのまま深く尋ねることもせず、流してしまった。

『えんれん でも わらってた。ふじ だいじょうぶじゃない ときも わらうから つらい ときも わらうから』

 そこで木の枝を動かすのを止めて、更紗は縁側で藤と話している鶴丸をじっと見つめる。何を話しているかは聞こえないが、言葉を交わす二人の間には笑顔があった。だが、それを眺める更紗と髭切の間に、笑顔はない。

『つる むかし わらってた。わたし わらえないぶん でも つる いたいときも わらって わたしは そのほうが くるしい』

 手を止め、更紗はじっと髭切を見つめる。まるでちゃんと言葉が届いているかを確かめるかのように、彼女は視線を離そうとしなかった。
 聞いていると伝える代わりに、髭切は小さく顎先を動かす。彼の意図を汲んだのだろう、更紗は続きの文字を書いた。

『ひげきり は?』

 今まで自分の意見ばかりを文字にしていた更紗は、ことここに至り、初めて髭切へと話題を投げかけた。

『ふじ えがお みてて いたい ?』

 問われて、考える。彼女の笑顔を見ていて、自分は何を思うのか、と。
 ただ嫌だと、思う。
 違うのだと、思う。
 リンドウ畑で見た笑顔をまた見せてほしいと、願う。
 仮面のように貼り付いた笑顔を剥がしたいと、願う。
 その気持ちの揺れ方を、心が痛むと表すものなのかは髭切には分からない。彼の思考は人の複雑な機微には些か疎い。主のために何かしたいというこの気持ちさえ、半ば以上に衝動的に湧き上がったものだ。
 故に、更紗への問いの答えも、迂遠さを抜いた直接的な表現となる。

「笑顔を見ていて、痛いと思うかは分からないね。ただ、もっと違う笑い方をしてほしいと思うかな」

 更紗は彼の返事を聞いて、目を輝かせた――ように思えた。髭切の側に駆け寄り、何が楽しいのかぴょんぴょんとその場で跳ねている。

『ひげきり いいひと。かたな の かみさま みんな いいひと。だから ふじも きっともっと いっぱい みんな すきになる』

 興奮のためか、彼女の文字はただでさえ子供っぽく歪んだものが更に歪なものへとなっていた。けれども、構うことなく彼女は言葉を綴っていく。

『すきになったら きっと ふじも もっと つらくない わらいかた できる ?』

 他者の笑顔を問いかけるこの娘は、笑わない。笑えないのだろうということは、髭切も薄々察してはいた。
 しかし彼女の眼窩にはまった青の目は、底知れない真剣さを帯びている。まるで全てを見透かすような、年不相応の落ち着きを纏った瞳だった。

「そうなるように、僕も色々してはいるつもりだよ。主には、僕が知ってる主の一番いい笑顔をしていてほしいから」
『ひげきり ふじ みていて くれる?』
「君に頼まれなくても、そうしている。主は僕の半身になってくれたわけだから」

 指こそ切らなかったものの、あれも約束だったのかもしれない、と髭切は秋の思い出を振り返る。影を追い続けるしかない弟に対する喪失感を、僅かなれど埋めるために寄り添ってくれた彼女の心と、自分は確かに契ったのだ。
 ならば、自分もまた彼女の半分である。
 だからと言うわけではないが、彼女の中に埋まらない何かがあるなら、自分もそれを埋める手伝いくらいはしたいと、自然に心が願っていた。
 それが失った故郷か、亡くしてしまった家族なのか、それとも別の何かなのかは分からないが。

(ただ、僕に寄り添おうとした彼女の気持ちを僕は信じたいと思った。どうでもいいとは、思わずに)

 己の感情をかみ砕けて考察できるほど、髭切は人の姿を得て長い時を生きているわけではない。故に、今は己の直感に従って彼は動こうと改めて決断する。
 三日月宗近に言われて気がつき、注視するようになった。そして、変革を望んだ自分の気持ちは、目の前の少女の問いによって決意へと変じた。
 この変化の後押しについては、感謝ぐらいしてもいいかもしれないと、髭切は更紗の目線に合わせるようにしゃがむ。

「ありがとう。鶴丸国永の主」
『ふじ おねがい』
「分かってる。でも、どうして君がそこまで僕らの主のことを気にするんだい」

 更紗はまんまるの空色の瞳を数度ぱちぱちと瞬かせた。まるで、なんでそんな当たり前のことを聞くのかと言わんばかりに。
 木の枝を躊躇いなく動かし、彼女が綴った言葉は短いものだった。

『ともだち しあわせ なってほしいから』


 それから、一時間ほどして。
 更紗と髭切が摘んできた葉っぱと木の実を添えた不恰好な雪だるまは、庭の新たな仲間として迎えられた。辺りにはおまけで作った雪うさぎが、さながら雪だるまのお供のようにくるりと輪になっている。
 雪遊びの結果を見つめる藤の横顔は、髭切が求めるものとは程遠い笑顔のままだった。
 けれども、その瞳は――僅かなれど、何かを懐かしむように細められていた。
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