短編置き場

 この本丸の審神者――藤の朝は早い。太陽が山間から顔を出してから一時間もすると、彼女も目を覚ますのが日課となっているほどだ。
 朝はどれだけ早起きしても、やることが多い。畑の水やり、朝ご飯の準備、布団の片付け、洗顔一つとっても大所帯の本丸では混雑を生むのだから、早く起きるに越したことはないのである。
 今日も藤は大きな欠伸を何度かしながらも、朝の廊下を歩いていた。目指す場所は本丸随一のマイペース刀剣男士、髭切の元である。

「髭切、朝だよ!」

 スタン、と勢いよく襖を開き、大音声で起床を促す。
 この部屋の主である髭切は、大体は早起きをしている。が、今日に限って彼はいつもの時間に経っても起きないと膝丸に相談され、こうして様子を見に来たのだ。
 膝丸自身に様子を見に行かせないのは、兄に強く言われると否定できない彼の立場を考慮してのことである。もし、髭切に二度寝を勧められたら、ミイラ取りがミイラになるのが目に見えるようだ。

「ほら、起きて起きて。もうお天道様はすっかり顔を見せてるよ」
「……ん、おやすみ」
「おやすみ、じゃない!」

 ドスドスとわざと足音荒く畳を渡り、髭切が丸まっている布団の近くに彼女はやってくる。
 ストンとその場にしゃがみこむと、おりゃー、という掛け声と共に彼が被っている布団を容赦なくゆすり始めた。

「起きないと、歌仙の朝ごはんに間に合わないよ。一人で食べる朝ごはんは寂しいよ?」
「じゃあ、主も一緒に食べればいいよね」

 呑気そうな声が一転、はっきりとしたものになったかと思うと、布団の中から髭切の顔がひょっこり出てくる。
 普段は綺麗に整えられている髪も、寝起きのために寝癖まみれではあったが、それよりも彼の瞳はすでに覚醒が済んでいるらしく、ぱっちりと開かれていた。

「何だ。起きてるんじゃないか」
「まだ少し眠くはあるんだけどね。昨日、主が遠征の時の話を報告書に書きそびれてたって、僕を捕まえて延々と話をさせてたから。お陰で寝たのは日付が変わってからになってしまったからねえ」
「うっ、そうだった」

 彼が言うように、藤は昨晩髭切を呼び止めて、書き漏らしていたとある遠征についての話を彼に語らせていた。想像以上にそれが長引いてしまい、彼を解放したのは時計の針がてっぺんを指してから、しばらく経った頃になったのだ。

「……それは、ごめんなさい。ぼーっとして忘れてた」
「謝ってほしいのはそっちじゃなくて、別のことなんだけどね」

 ごろりと寝返りを打ち、うつ伏せの姿勢になった髭切の視線が藤と交差する。

「主、それからも起きて仕事してたでしょう。なのに、主の方が僕より早起きしてるって、ちょっと変だよね」

 布団の中でうつ伏せのまま、肘を使って上体を少しばかり起こした髭切は、しゃがんでいる藤から見ると上目遣いに見える。だというのに、彼のこの何もかも見透かしたような瞳を前にすると、居心地が悪くなってしまうのは何故だろうか。

「あ、あれからすぐ寝たから大丈夫だよ」
「目の下、少しクマができてるね」
「え、嘘。鏡見たけどついてなかったはず」
「というのは冗談だけど、その反応は思い当たる節があるんだよね?」

 誘導尋問だったかと気がつくより先に、藤の腕をがしりと髭切の手が掴む。
 布団の中で暖められた彼の肌は、藤の手に触れたところから心地よい温もりを与えてくれる。彼がいる場所がどれほど居心地のいいものかを、どんな言葉よりも雄弁に語っていた。

「だから、主も僕と寝坊しようか。そうしたら、朝ごはんも二人で食べられるよね」
「いや、でも、僕は皆の主なわけだから、ちゃんとしないと。ほら、和泉守とか堀川にまた呆れられる」
「ちゃんとしないと、は禁句だよ。主、すぐそれで無茶するんだから」

 抵抗むなしく、姿勢を崩した彼女はあっという間に髭切の手によって布団の中に引きずり込まれた。
 そういえば、昔読んだ物語に子供を押し入れに引きずり込むお化けがいたが、今まさに物語と同じ体験をすることになるとは、と布団に体を引き込まれた藤は思う。
 暖かく柔らかい布団の中は、折角無理矢理覚醒させた頭をあっという間に穏やかな眠りの世界へと誘い込んでいた。

「膝丸に起こしてきてって言われたのに。これじゃあ僕がミイラだよ」
「ミイラかシイラか知らないけど、弟には僕から後で言っておくよ。ほら、どんどん眠くなってきたんじゃない」

 髭切の腕の中に抱え込まれ、ぎゅうと彼の胸に押し付けられる。本人はそのつもりはなかったのかもしれないが、丁度顔が胸に埋まる形になった藤は、自分の心臓が途端に激しく鼓動を打ち鳴らし始めたことに気がついた。
 普段は気にしていなかったが、服の下に隠された彼の体は細身に見えて、存外逞しい。筋肉もしっかりついているし、いつもこの体で戦い、時に守ってくれているのだと思うと、益々頬が熱くなってしまう。
 こんな調子では、寝ようにも寝られない。やはり起きると言おう、と言いかけたときだった。

「……あ」

 小さく、子守歌が聞こえた。
 背中に回された髭切の手が、トントンと背中を一定のリズムであやすように叩いている。それに合わせるように、彼の日だまりのような優しげな声が、懐かしい音を口ずさんでいた。
 遠いある日、母が口ずさんでいた唄を。愛しい子供や安らかに眠れますようにと、願いを込めた子守歌を。
 まるで誘われるように、藤の中で跳ね回っていた熱がゆっくりと落ち着き、心地の良い眠気へと変化していく。朝起きたときから瞼の上にどんよりと残っていた睡魔が、藤の瞼をじわじわと閉ざしていった。

「よしよし、無理してでも頑張ろうとするのは主の良いところだけれど、体は大事にしてね。主は僕らみたいに、無理をしても簡単に直るわけじゃないんだから」

 緞帳が下りるかのように瞼は落ち、人肌の心地よさと布団の柔らかさに意識はどんどん沈んでいく。
 また、子供扱いしている。そのことに少しばかりの不服を覚えながらも、藤はベルベットに包まれたような穏やかな眠りの世界へと旅立っていった。


(主、寝ちゃったね)

 予想していた通り、夜更かしした上にいつも通りに早起きまでして、無茶が重なっていたのだろう。自分の腕の中ですやすやと落ち着いた寝息を立てている彼女は、余計な力が抜けて安心しきっている様子が髭切にも伝わってくる。

「……主に無茶して欲しくないっていうのもあるから、これは不可抗力だとは思うんだけど」

 ぽそりと呟いた髭切は、ぽんぽんと彼女の頭を撫でながらついつい思った言葉を口にする。

「主は、無防備すぎるよねえ」

 自ら引き摺り込んでおきながら、いったい何を言っているのかと思うも、こうして彼女を独占していることに喜びを覚えている自分がいると、髭切はもう理解していた。ならば、今は素直にこの状況を楽しもう、と彼は一旦開き直る。
 自分が誘い込まれたのは狼の巣穴だと知らず、彼女はすやすやと眠っている。髭切の胸元に頬を寄せているためで、時々漏れる寝息が、程よく彼の肌を擽っていた。
 緩く癖の残る彼女の髪の毛をくるくると弄んでから、長い前髪をかきあげて、髭切は彼女の額にほんの少しばかり頬を寄せる。
 人の体は不思議だ。ただこれだけの触れ合いが、限りない愛おしさを生むのだから。

「おやすみ、主。僕も、もう一休みするよ」

 声に反応するように、彼女が小さく頷いたような気がした。その仕草を目に焼き付けてから、髭切もまた瞼をゆっくりと閉じる。
 今暫く、朝の日差しを遠くへと押しやり、布団の薄闇が二人を静かに覆っていった。
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