短編置き場

「あ――――――――っ!!」

 静かな昼下がりに読書を楽しんでいた歌仙の休日は、本丸中に響く絶叫によって呆気なく終わりを迎えた。
 とはいえ、悲鳴の主が主である藤ともなれば話は別だ。歌仙は本を放り出し、すぐさま悲鳴の元へと駆けだした。

「何があったんだい!?」

 ノックするのももどかしく、ガラリと襖を開く。そして目の前に広がる光景を前に彼は言葉を失った。

「ひ、ひどい。ひどいひどいひどい!」

 そこには、「ひどい」を連呼している藤と、なぜか片頬を膨らませて口をもごもごさせている髭切がいた。彼女の手元には、小さな白い器が見える。どうやら何かを食べようとしていたらしい。

「これは一体……何があったんだい」
「髭切が、僕のお餅アイス食べた!!」

 訳も分からず尋ねる歌仙に向けて、半ば涙交じりになりながら藤は握り込んでいた爪楊枝を使い、まるで刺突せんばかりの勢いで髭切を指した。


 ◇◇◇


 ことは十数分前に遡る。
 藤は厨から持ってきたあるものを前にして、ふんふんと上機嫌を隠すこともなく鼻歌を歌っていた。
 彼女の手には、白い器に入った小さなお餅のようなお菓子が二つ、行儀よくちょこんと並んでいる。パッと見ただけでは和菓子にも見えるそれは、実はひんやりとして冷たい。
 それもそのはず、これはお餅のような見た目のアイスだった。夏の盛りはすこし過ぎたものの、まだまだ暑気が拭いきれない日々が続く。この二つのアイスは、朝から畑仕事に身を費やしていた彼女が、密かに楽しみにしていたお宝だった。

「お餅みたいにもちもちしてるのに冷たいなんて、天は二物も三物も与えるってことがあるんだね」

 などと言いつつ、厨から自室へとやってきた藤は、このお餅アイスを今まさに食べんとしていた。が、ここで予想外の来客がやってくる。

「主、万屋で買うものについて聞きたいんだけど、いるかい」
「いるよー」

 一つ目のお餅アイスに爪楊枝を刺していた彼女は、今にも歌いだしそうなほどの高いテンションで答える。

「なんだか凄くご機嫌だね。どうしたの?」
「ふふん。これからお餅アイス食べるからね」

 部屋に入ってきた髭切は、机の前で顔を輝かせている主に気がついた。その様子は、刀剣男士でいうなら桜が舞い散っているだろうと思えるほど、高揚を露わにしたものだった。顔中笑顔にしている、と言い換えてもいい。

「へえ。それってそんなに美味しいのかい」
「うん」

 言いつつ、藤は最初の一つを爪楊枝に刺して半分ほどを囓る。うにょんと程よく伸びる外側の餅部分と、口のなかでとろけるアイス部分が奏でるハーモニーに、彼女の顔は幸せで満ちあふれていく。隣で見ている髭切からも、その食べ物が美味であることが、言葉にせずともひしひしと伝わってくるほどだった。

「主。もう一つある方、貰ってもいいかな」

 だから、彼がそのように尋ねるのは思考が行き着く先としては至極当たり前だった。しかし。

「え、だめ」
「どうして?」
「だめなものはだめ! お餅アイスの片方を欲しいなんて、世界の半分と交換してやろうと言われても、悩むくらいなのに!!」

 彼女は子供っぽく緩んでいた顔を一転きりりとさせて、唇を尖らせた。

「そんなに大層なものなのかい」
「大層なものなのっ!」

 言いつつ、食べていたアイスの残っていた部分を口に放り込む。
 再び幸福の絶頂に浸っている彼女を見つめながら、髭切は自分の中に不服と思う感情がむくむくと芽生えてきたことを、自覚せねばならなかった。
 アイスに対する純粋な興味も、勿論ある。あれだけ彼女が美味しそうに食べているのだ。自分だってご相伴に与りたい。
 けれども、それ以上に主が自分そっちのけで夢中になっているのが面白くない。折角万屋の買い物についでに誘おうか、あわよくば二人で買い物を――などと考えてもみたのに、彼女ときたらアイスの方が自分より大事らしい。
 それもこれも、原因はこのお餅アイスとやらのせいだ。ならば、と髭切は手を伸ばす。

「えい」

 彼女が爪楊枝を刺しかけた残りのアイスを、髭切の指が掠め取る。藤が何かいう前に、最後のお餅アイスは彼の口の中へと消えていった。


 ◇◇◇
 

「……というわけなんだよ! ひどい!!」
「主、菓子一つくらいでそんなに膨れなくてもいいだろう」
「あれは別なの!!」

 今にも泣き出さんばかり勢いの藤は、息の続く限りひどいひどいと嘆いているが、歌仙としてはアイスごときで何をそんな、という心持ちである。

「またそのうち買ってくるから、それでいいだろう?」
「よくない!」
「それ以上、文句を言うものではないよ。食いしん坊を通り越して、そういうのは卑しいというんだ」

 ぴしゃりと言い返すだけで主の我が儘を黙らせられるのは、さすが最初に主に選ばれた刀と言うべきだろう。それ以上の不平を聞こうともせず、歌仙はスタスタと主の部屋から立ち去っていった。
 残されたのはアイスを食べ終えて、片頬の膨らみが戻った髭切と、対照的に両頬を膨らませた主である。

「ねえ、主。そんなに膨れないでほしいな」
「…………」
「ほら、歌仙もまた買ってくれるって言ってたよね」
「…………だめって言ったのに」
「それはごめんよ。主があんなに美味しそうに食べるから気になって」

 謝りながらも、髭切は唇の端に浮かんでしまう笑みを隠しきれなかった。
 それもそのはず、不平をまだ漏らしている主の頬は今も膨れていて、まるでお餅のようだったからだ。自分の不機嫌を表したかったのだろうが、髭切の脳裏にはどうしても先ほど口にした、例のお餅アイスとやらの柔らかな食感ばかり思い出されてしまう。

「えい」

 指を伸ばして彼女の頬をつまむと、本物に負けず劣らずのふにふにとした弾力が指に伝わる。が、つままれた藤の方はたまったものではない。

「何してるのっ」
「主がお餅みたいな顔してたから、美味しそうだなって」
「僕は食べても美味しくない! 髭切、反省してないでしょう!!」
「まあまあ、細かいことは気にしないでおこうよ」
「気にすふ、にゃからふまむのひゃめて」
「あはは、何言ってるのかよく分からないね」

 今度は両頬をびょんびょんと伸ばされて、主の文句は途中で言葉にならず、間延びしたよく分からない音に変わってしまった。
 頬を伸ばされて伸びた彼女の顔も何だかおかしくて、髭切は思わず笑ってしまう。先ほど感じた面白くない、という気持ちも既に吹き飛んでいた。

「もう、髭切なんて知らない。馬鹿馬鹿」

 顔をブンブンと振って意地悪な彼の手から逃れた主は、ぷいとそっぽを向く。対照的に彼女の機嫌は、急激に悪い方へ転がり落ちていったようだ。

「ごめんってば。そうだ。丁度万屋に行くところだったし、さっきのアイス、沢山買ってきてあげるよ」
「ほんと!? やったー、ありがとう髭切!」

 だが主も現金なもので、アイスを買ってもらう話が出てきた瞬間、先ほどまでの膨れっつらはどこへやら、歓声をあげて彼女は目を輝かせる。両手を広げて飛びつく主の笑顔は、髭切に横から自分の楽しみを掠め取られたことなど、すっかり忘れてしまったかのようだった。

「主も一緒に行く?」
「行く!」

 即座に同行に賛成した彼女の目には、今はアイスしか映っていないのだろう。
 弾むような足取りで玄関に向かう主を追いかけながら、災い転じて何とやらだと、髭切は目を細める。
 気を引きたいがばかりにちょっかいを出し過ぎて怒らせてしまったが、こうして結果的にもくろみ通りに一緒に出かけることができたのだから。

(主は気がついてないようだけど……今はいいかな)

 早く早くと手を取る彼女に、髭切はいつも通りを装って笑いかける。その端正な顔に浮かんでいた、獲物を狙う獅子の微笑はすっかり隠されていたのだった。
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