短編置き場
酒は飲んでも、飲まれるな。
二十歳を過ぎた頃になれば、誰でも耳にすることがある言葉だ。お酒というのは摂取していて、どんどん気持ちよくなってしまう。だからからこそ、何か失敗をするリスクも上がる。だから人々はそのような言葉で自らを戒めていく。
「ほらほら、じゃんじゃん持ってきなー!」
が、それは人間だからこその話でもある。付喪神である刀剣男士に忠告するのは、無意味と言っていい。
次郎太刀が高らかにお代わりを要求し、ご所望の一升瓶がどんと机に置かれる。今日の出陣が、誰も傷を負うことのない完全勝利で終わったこと、次郎太刀がその活躍の立役者だったということもあり、本日は本丸でささやかながら祝賀会が開かれていた。
宴といえば美味しい料理、そして酒である。当然普段からお酒好きな次郎が、何も飲まないわけがなかった。
「次郎、飲み過ぎて明日二日酔いになっても知らないよ?」
「こんな程度、飲んだのうちに入らないさ! ほら、主。あんたも一杯どうだい?」
「いや、僕はちょっと。飲みすぎて迷惑かけちゃまずいし」
言いつつ、次郎から渡された酒杯を、藤は横に座っていた髭切に流していく。さながら、バケツリレーのような手際の鮮やかさだ。
「主はつれないねえ。ほら、あんた達は飲むだろう?」
「ああ、そうしよう」
「そうだね。ちょっともらおうかな」
酒宴に付き合ってくれない主の代わりに、声をかけられたのは彼女の近くにいた膝丸と髭切だ。この本丸の刀剣男士の数はさして多くなく、次郎の酒宴に普段から付き添ってくれる者も、同時に少ない。その中でも彼らは、頻度としてはそこそこ次郎と共に杯を酌み交わす者たちであった。
次郎に負けず劣らず彼らもウワバミのようで、髭切の前には主が横流しした酒杯が、既に相当量が空になって積み重なっていた。それでも顔色一つ変えることなく、注がれていく日本酒を美味しそうに呷っている。
「君たちって、本当にお酒好きだよねえ。僕はもうごちそうさまだよ」
これ以上、酒好きの次郎に絡まれては体がもたないと思い、藤は席を立つ。未だ酒宴を続ける部屋を背に、彼女は襖を開けて、厨へと向かった。
厨で汲んできた水を一息で飲み干すと、酒飲みたちに中てられたらしい体の熱が、すぅっと冷えていく。暦の上は五月といえど、夜になると縁側の気温も少しばかり下がっている。程よく冷たい風が、体に纏わり付いていた酒気を洗い流していくようだった。
ほう、と一息つき、誰も居ない静かな夜を頼んでいた藤の耳に、ふとギシ、ギシと床板を軋ませて、近づいてくる足音が飛び込んできた。誰だろうかと顔を上げた藤は、そこに立っている人物を前に、僅かばかり瞠目する。
「どうしたの、髭切。次郎たちと呑んでたんじゃないの?」
ウワバミだと思っていた髭切が、酒に酔ったのか、やや眠そうな顔をして立っている。普段いくら飲んでも平気そうな顔をしているのに。珍しいこともあるものだ、と彼女は彼の様子を窺う。
「……うん。少し、クラクラしてきて。頭も痛いかも」
彼が自分から言うように、その足取りはあちらへふらり、こちらへふらりと頼りない。普段なら足音を殺して歩いている彼が近づくことに気がつけたのは、それが原因かと納得してしまうほどに。
藤が考えている間にも、ゆらりゆらりとこちらに歩み寄ってきた髭切は、崩れ落ちるように彼女の隣に座り込んだ。
「大丈夫? 次郎も加減すればいいのにね」
「次郎太刀もだけど、主がいっぱい僕に渡してたからねえ」
「う……ごめんなさい」
次郎の勢いに付き合うと、あっという間に悪酔いしてしまうからと、隣に座っていた彼に酒を次々押しつけていたのは、藤自身である。自分の所業を思い出した彼女は、きゅっと体を縮めて申し訳なさを示すことしかできなかった。
「そうだ、お水飲む?」
飲みかけのコップを髭切に渡そうとしたが、彼は首を横に振ってしまった。首を振ったはずみで、頭が痛くなったのだろうか。藤の肩の上に、ボスッと髭切の頭が載せられる。ふわふわした柔らかな金髪が頬に触れ、いつもよりずっとそばに彼の顔があることに、否が応でも意識させられてしまった。
「髭切?」
普段なら驚いて、思わず真っ赤になってしまう行為であっても、今の彼は酒に酔って気分が悪い病人のようなものだと思うと、不思議と気にならない。むしろ、珍しく体調不良を表に訴えてくる彼の容態に、不安を覚えてしまうくらいだ。
「横になる? 部屋に行って布団を用意してこようか?」
「ううん。すぐ治ると思うから、膝を貸してもらえるかな」
「膝ね。わかった」
膝を揃えて座りなおすと、髭切はそこに頭を載せて体を横にした。服越しでも伝わる彼の髪の毛の柔らかな感触に、藤は少しばかりのくすぐったさを覚える。
横になったことで、楽になったのだろうか。先ほどまでのだるそうな様子は何処へやら、彼の口元には薄く微笑が浮かんでいるようにも見えた。
「頭、痛くない? やっぱり誰か呼んで寝る支度してもらった方が」
「ううん、このままでいいよ」
まるで被せるように主の言葉を遮る髭切。仰向けになった彼は心配そうに覗き込む主とは対照的に、どこか楽しげだ。
それでも無理をしているのではないかと、藤は不安を抱いていたが、当の髭切はそのまま目を閉じてしまった。どうやら本当に眠って一休みするつもりらしい。
「……神様でも、悪酔いってするんだね」
穏やかな寝息を立てている髭切の頭を、彼を起こさないようにそっと撫でる。絹のように細くて柔らかい髪の毛を指で梳き、少しでも早く回復することを願う。
頭を触られたせいだろうか、起きた気配は見せなかったものの、狭い膝の上で彼は器用に寝返りを打った。横向きになった髭切の顔が、藤のお腹に埋まる。少し恥ずかしい姿勢ではあるが、具合が悪い相手を思うと、藤も「姿勢を変えて」と言う気にはなれなかった。
(これ、もしかして一晩中こうしてなきゃいけないのかな)
髭切が起きて頭をどかしてくれたのは、それから二時間後のことであり、当然彼女の膝は痺れて感覚を失っていたのだった。
***
「――ってことがあったから、次郎は髭切に飲ませすぎないように」
翌日の昼。
通りがかった次郎を見かけて、主は腰に手を当てて精一杯の威厳を見せながら注意をした。彼は一応頷いてみせたものの、昨日の件を聞いて訝しげに首を傾げ、
「髭切なら、昨日も席を外すときはしゃんしゃんと歩いてたよ。あの程度で潰れるようなことはないとアタシは思うけどねえ。ほら、膝丸。アンタも同じ意見だろう?」
折良く通りがかった膝丸を捕まえ、次郎は事の経緯を話す。膝丸も次郎と同じように深く頷き、
「昨日の兄者は素面も同然だったな。人なら酒に酔って介抱される必要もあるかもしれないが、この調子なら不要だと話していたものだ」
「そうそう。その話をした頃に、あんたに用事があるって席を立ったんだよ」
「でも、千鳥足だったし、頭痛そうにしてたよ? 休ませてくれって、膝まで貸したんだから」
藤が首をひねるので、膝丸も昨晩の光景を思い返してみる。だが、どこをどう切り取っても髭切は平気そうな顔をしていたところしか思い出せない。
しかし、同時に彼の頭に閃くものがあった。
「……これはあくまで、俺の考えだが」
膝丸は口元に手を当てて、周りに件の本人がいないことを確かめてから小声で囁くように、
「主が介抱した兄者というのは、ただ酔ったふりをしていただけではないか?」
その言葉を聞き、彼女は思わず鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまう。
彼女の脳裡には鮮やかに昨晩のやり取りが蘇っていた。
つまり、膝丸の言葉が真実ならば、横になっていた時も気分が悪かったわけでもなく。寝返りを打ったときも意識がなかったわけでもなく。ただ、普段は主がしないようなことを、酔いにかこつけてやらせたかったのだと、それに気付かず言われるがままになっていたという事実を、遅まきながら彼女は理解した。
理解すればするほど、今度は恥ずかしさが頭のてっぺんからつま先まで広がっていく。藤の頬は酒を飲んだわけでもないのに、わかりやすいほど赤くなっていた。
「はっはっは。髭切も策士だねえ、主はいっぱい食わされたわけだ」
事態を察したらしい次郎が、赤くなったまま黙りこくった主を見て笑う。だが、彼女としてはまったく笑い事ではない。
「髭切のバカ――――!!」
主がしどろもどろになっている姿を見守りながらも、こうやって気がついた彼女が真っ赤になる所までも、兄の策の内なのではないかと、膝丸は思ったのだった。
二十歳を過ぎた頃になれば、誰でも耳にすることがある言葉だ。お酒というのは摂取していて、どんどん気持ちよくなってしまう。だからからこそ、何か失敗をするリスクも上がる。だから人々はそのような言葉で自らを戒めていく。
「ほらほら、じゃんじゃん持ってきなー!」
が、それは人間だからこその話でもある。付喪神である刀剣男士に忠告するのは、無意味と言っていい。
次郎太刀が高らかにお代わりを要求し、ご所望の一升瓶がどんと机に置かれる。今日の出陣が、誰も傷を負うことのない完全勝利で終わったこと、次郎太刀がその活躍の立役者だったということもあり、本日は本丸でささやかながら祝賀会が開かれていた。
宴といえば美味しい料理、そして酒である。当然普段からお酒好きな次郎が、何も飲まないわけがなかった。
「次郎、飲み過ぎて明日二日酔いになっても知らないよ?」
「こんな程度、飲んだのうちに入らないさ! ほら、主。あんたも一杯どうだい?」
「いや、僕はちょっと。飲みすぎて迷惑かけちゃまずいし」
言いつつ、次郎から渡された酒杯を、藤は横に座っていた髭切に流していく。さながら、バケツリレーのような手際の鮮やかさだ。
「主はつれないねえ。ほら、あんた達は飲むだろう?」
「ああ、そうしよう」
「そうだね。ちょっともらおうかな」
酒宴に付き合ってくれない主の代わりに、声をかけられたのは彼女の近くにいた膝丸と髭切だ。この本丸の刀剣男士の数はさして多くなく、次郎の酒宴に普段から付き添ってくれる者も、同時に少ない。その中でも彼らは、頻度としてはそこそこ次郎と共に杯を酌み交わす者たちであった。
次郎に負けず劣らず彼らもウワバミのようで、髭切の前には主が横流しした酒杯が、既に相当量が空になって積み重なっていた。それでも顔色一つ変えることなく、注がれていく日本酒を美味しそうに呷っている。
「君たちって、本当にお酒好きだよねえ。僕はもうごちそうさまだよ」
これ以上、酒好きの次郎に絡まれては体がもたないと思い、藤は席を立つ。未だ酒宴を続ける部屋を背に、彼女は襖を開けて、厨へと向かった。
厨で汲んできた水を一息で飲み干すと、酒飲みたちに中てられたらしい体の熱が、すぅっと冷えていく。暦の上は五月といえど、夜になると縁側の気温も少しばかり下がっている。程よく冷たい風が、体に纏わり付いていた酒気を洗い流していくようだった。
ほう、と一息つき、誰も居ない静かな夜を頼んでいた藤の耳に、ふとギシ、ギシと床板を軋ませて、近づいてくる足音が飛び込んできた。誰だろうかと顔を上げた藤は、そこに立っている人物を前に、僅かばかり瞠目する。
「どうしたの、髭切。次郎たちと呑んでたんじゃないの?」
ウワバミだと思っていた髭切が、酒に酔ったのか、やや眠そうな顔をして立っている。普段いくら飲んでも平気そうな顔をしているのに。珍しいこともあるものだ、と彼女は彼の様子を窺う。
「……うん。少し、クラクラしてきて。頭も痛いかも」
彼が自分から言うように、その足取りはあちらへふらり、こちらへふらりと頼りない。普段なら足音を殺して歩いている彼が近づくことに気がつけたのは、それが原因かと納得してしまうほどに。
藤が考えている間にも、ゆらりゆらりとこちらに歩み寄ってきた髭切は、崩れ落ちるように彼女の隣に座り込んだ。
「大丈夫? 次郎も加減すればいいのにね」
「次郎太刀もだけど、主がいっぱい僕に渡してたからねえ」
「う……ごめんなさい」
次郎の勢いに付き合うと、あっという間に悪酔いしてしまうからと、隣に座っていた彼に酒を次々押しつけていたのは、藤自身である。自分の所業を思い出した彼女は、きゅっと体を縮めて申し訳なさを示すことしかできなかった。
「そうだ、お水飲む?」
飲みかけのコップを髭切に渡そうとしたが、彼は首を横に振ってしまった。首を振ったはずみで、頭が痛くなったのだろうか。藤の肩の上に、ボスッと髭切の頭が載せられる。ふわふわした柔らかな金髪が頬に触れ、いつもよりずっとそばに彼の顔があることに、否が応でも意識させられてしまった。
「髭切?」
普段なら驚いて、思わず真っ赤になってしまう行為であっても、今の彼は酒に酔って気分が悪い病人のようなものだと思うと、不思議と気にならない。むしろ、珍しく体調不良を表に訴えてくる彼の容態に、不安を覚えてしまうくらいだ。
「横になる? 部屋に行って布団を用意してこようか?」
「ううん。すぐ治ると思うから、膝を貸してもらえるかな」
「膝ね。わかった」
膝を揃えて座りなおすと、髭切はそこに頭を載せて体を横にした。服越しでも伝わる彼の髪の毛の柔らかな感触に、藤は少しばかりのくすぐったさを覚える。
横になったことで、楽になったのだろうか。先ほどまでのだるそうな様子は何処へやら、彼の口元には薄く微笑が浮かんでいるようにも見えた。
「頭、痛くない? やっぱり誰か呼んで寝る支度してもらった方が」
「ううん、このままでいいよ」
まるで被せるように主の言葉を遮る髭切。仰向けになった彼は心配そうに覗き込む主とは対照的に、どこか楽しげだ。
それでも無理をしているのではないかと、藤は不安を抱いていたが、当の髭切はそのまま目を閉じてしまった。どうやら本当に眠って一休みするつもりらしい。
「……神様でも、悪酔いってするんだね」
穏やかな寝息を立てている髭切の頭を、彼を起こさないようにそっと撫でる。絹のように細くて柔らかい髪の毛を指で梳き、少しでも早く回復することを願う。
頭を触られたせいだろうか、起きた気配は見せなかったものの、狭い膝の上で彼は器用に寝返りを打った。横向きになった髭切の顔が、藤のお腹に埋まる。少し恥ずかしい姿勢ではあるが、具合が悪い相手を思うと、藤も「姿勢を変えて」と言う気にはなれなかった。
(これ、もしかして一晩中こうしてなきゃいけないのかな)
髭切が起きて頭をどかしてくれたのは、それから二時間後のことであり、当然彼女の膝は痺れて感覚を失っていたのだった。
***
「――ってことがあったから、次郎は髭切に飲ませすぎないように」
翌日の昼。
通りがかった次郎を見かけて、主は腰に手を当てて精一杯の威厳を見せながら注意をした。彼は一応頷いてみせたものの、昨日の件を聞いて訝しげに首を傾げ、
「髭切なら、昨日も席を外すときはしゃんしゃんと歩いてたよ。あの程度で潰れるようなことはないとアタシは思うけどねえ。ほら、膝丸。アンタも同じ意見だろう?」
折良く通りがかった膝丸を捕まえ、次郎は事の経緯を話す。膝丸も次郎と同じように深く頷き、
「昨日の兄者は素面も同然だったな。人なら酒に酔って介抱される必要もあるかもしれないが、この調子なら不要だと話していたものだ」
「そうそう。その話をした頃に、あんたに用事があるって席を立ったんだよ」
「でも、千鳥足だったし、頭痛そうにしてたよ? 休ませてくれって、膝まで貸したんだから」
藤が首をひねるので、膝丸も昨晩の光景を思い返してみる。だが、どこをどう切り取っても髭切は平気そうな顔をしていたところしか思い出せない。
しかし、同時に彼の頭に閃くものがあった。
「……これはあくまで、俺の考えだが」
膝丸は口元に手を当てて、周りに件の本人がいないことを確かめてから小声で囁くように、
「主が介抱した兄者というのは、ただ酔ったふりをしていただけではないか?」
その言葉を聞き、彼女は思わず鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまう。
彼女の脳裡には鮮やかに昨晩のやり取りが蘇っていた。
つまり、膝丸の言葉が真実ならば、横になっていた時も気分が悪かったわけでもなく。寝返りを打ったときも意識がなかったわけでもなく。ただ、普段は主がしないようなことを、酔いにかこつけてやらせたかったのだと、それに気付かず言われるがままになっていたという事実を、遅まきながら彼女は理解した。
理解すればするほど、今度は恥ずかしさが頭のてっぺんからつま先まで広がっていく。藤の頬は酒を飲んだわけでもないのに、わかりやすいほど赤くなっていた。
「はっはっは。髭切も策士だねえ、主はいっぱい食わされたわけだ」
事態を察したらしい次郎が、赤くなったまま黙りこくった主を見て笑う。だが、彼女としてはまったく笑い事ではない。
「髭切のバカ――――!!」
主がしどろもどろになっている姿を見守りながらも、こうやって気がついた彼女が真っ赤になる所までも、兄の策の内なのではないかと、膝丸は思ったのだった。