短編置き場
「はーなーしーてー! 畑の様子を見に行かせて!!」
「馬鹿なことを言っていないで、さっさと部屋に戻るんだ!!」
廊下を歩いていた髭切は、とある部屋の前で何やら大きな声で歌仙と藤がやり取りをしていることに気がついて、足を止めた。
今日は、台風という大嵐が来る日らしい。酷い雨と風になるから、演練も中止となっていたほどだ。髭切も畑の手入れが取りやめになってしまったため、手持ち無沙汰になってうろうろと本丸内を歩き回っていた。
何事だろうと思い、折良く通りかかった五虎退を捕まえ、
「さっきからすごい声が聞こえているんだけど、何か知ってる?」
「あ、髭切さん。その……あるじさまがどうしても畑の作物たちの様子が気になるから、様子を自分の目で確認したいと言い出して……」
「この天気の中を?」
髭切が思わず聞き返してしまうほど、外の様子は荒れに荒れていた。横殴りにたたきつける雨は戸や壁に激しくぶつかって、さながら戦の只中にいるのではと錯覚するほどの轟音をあげている。風の強さときたら、雨の勢いから察するに、外に出れば間違いなく小さな主など、あっという間に吹き飛ばされてしまうだろう。
風に乗ってどこまでも飛んでいく主の姿を思い浮かべ、髭切は「それは大変だ」と呟く。
「歌仙さんがさっきから主を捕まえていて……でも歌仙さんも今日の厨当番の様子を見に行かないといけなくて……」
「ああ、それでさっきからどんどん歌仙の声が大きくなっているんだね」
五虎退と話をしている間も、二人のやり取りは益々エスカレートしている。聞き分けのない主を押しとどめていたいが、自分の用事もしなければならないという、歌仙の焦りが手に取るように伝わってくるほどだ。
今日の厨当番は、次郎と乱のはずである。本人達の希望で選出されてはいるものの、あの二人だけに全てを任せるというのは、この嵐の中に突っ込んでいくのと同じくらい無謀ということは、髭切も知っていた。
「じゃあ、僕が何とかしておくよ。五虎退は先に厨の様子を見に行っておいて」
「はい。歌仙さんとあるじさまのこと、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げてから、五虎退は足早に厨の方へと向かっていった。少年の背中を見送ってから、髭切は部屋の襖をからりと開く。
中に入れば、案の定歌仙と主である彼女――藤が、お互いに今にも掴みかからんといった様子でにらみ合っていた。髭切のことなど、まるで目に入ってすらいないようである。
「畑を見に行っても、きみができることはないだろう! それに僕たちはきみの指示通り、覆いもちゃんとつけておいた。これで何かあったとしたら、もうこれは仕方ないというものだよ」
「でも、もっと他に何かできることがあるかもしれないし、僕が確認できていない所もある!」
「畑当番講座をあれだけ受けさせておいて、まだ僕たちを信頼できないのかい!?」
「はいはい、二人とも。ちょっと落ち着こうよ、ね?」
ヒートアップにヒートアップを重ねる両人の間に割って入ると、漸く彼の存在に気がついた二人がようやく口を噤んだ。この間隙まで、ほぼ息継ぎなしでやり取りをし続けていたわけだから驚きだ。
「歌仙。ここは僕が引き受けるから、厨の様子を見に行って。次郎がまたお酒使った料理に目覚めたら、主がこの前みたいに酔い潰れちゃう」
「ちょっと、僕は別に酔い潰れたりは」
「そうだね。きみの方がその我が儘な主の面倒を見慣れているようだし、頼むよ」
「人を子供みたいに!」
主の逐一の抗議を無視して、歌仙はさっさと部屋から出て行ってしまった。
残った二人の間には、微妙な空気が流れる。しかし、沈黙もほんの数分。どうやら髭切を歌仙より懐柔しやすい相手と、藤は思ったらしい。にこりと笑いかけた後、
「ちょっと畑の様子を見に行くから、髭切はここで待っててね」
「待つのは主の方だよ」
くるっとターンをした主の肩を掴み、ぐいと引き寄せる。姿勢を崩した彼女は、勢い余ってその場で尻餅をついてしまった。
「あいたた……。ちょっと髭切、何するの!」
「だって、主。あの中に行こうとしたんでしょう?」
タイミングよく、今度はがたがたがたがと家自体を揺らしているのではないかと思うほどの強風が襲いかかる。べしゃっと何かが窓に当たった音のおまけつきだ。
外に出た主の末路は、きっと今窓に当たった何かと同じだろうと髭切は思う。恐らく一分も保たずに、吹き飛ばされてしまう。それは困る。
「でも、畑が」
「畑は僕たちがちゃんと対処しておいたから。ほら、主の大事な鉢植えも、本丸の中にしまっておいたよ」
「ありがとう、髭切。だけど、やっぱりこの目で見たいというか」
「ねえ、主。主は何で鉢植えをしまったの?」
言いつつ、髭切は尻餅をついた彼女の目線に合わせるようにしゃがむ。両手を前につき、身を乗り出している彼の姿は、獲物を追い詰めている獣のようにも見えた。
彼に気圧されて、藤はじりじりと後ろに下がりながら、
「そ、それは、飛んでいっちゃったら危ないからで」
「じゃあ、主も飛んでいっちゃったら危ないから、しまわれておかないとね?」
「いや、僕はしまわれなくても」
「しまっておかないと、だめだよね?」
更にぐいぐいと距離を詰められ、藤は咄嗟に更なる後退を進める。ちらりと背後を見てみると、そこには押し入れがぽっかりと薄暗い口を開けて、彼女を待ち構えていた。
このまま後ろにいけば、自分は押し入れの中に追い詰められる。髭切自身、それを狙っているのか、彼女との距離を四つん這いの状態で詰めていく。
「だから、これ以上我が儘を言うようなら、僕が主をしまっちゃうよ」
「え、待って、ちょっと、あいてっ」
最後の言葉は主が咄嗟に立ち上がろうとして、押し入れの天井に頭を打ったからだった。どうやら気がつかないうちに押し入れのすぐ側まで追い詰められていたらしい。頭を打った痛みで、彼女は目の前がチカチカして、べしゃりと押し入れの中に背中から倒れてしまう。
「それでも、主は行きたいっていうの?」
「髭切、止まって、ストップ!! 近い、顔が近い!!」
なんとか上体は起こしたものの、背中が押し入れの壁にぶつかり、本当に追い詰められてしまった藤は、悲鳴のような声をあげる。思わず足を縮め込ませて体に寄せると、彼の思惑通りすっぽりと押し入れにしまわれているようになってしまった。
満足そうに微笑む髭切の顔が、文字通り目と鼻の先にある。なまじっか整っている顔なので、ここまで近いと綺麗と思う前に、別種の迫力すら感じてしまう。
「まだ外に行きたい?」
「行かない! 大人しくしまわれてるから!」
「そっか。うんうん、それならいいんだ。主は良い子だね」
押し入れの薄闇の中で小さくなっている主の頭をわしゃわしゃと撫でてから、髭切は体を離した。ようやく藤は安堵の息を吐いて、恐る恐る押し入れの中から這い出る。ふぅと長くため息を吐き出していると、
「ほら、捕まえた」
「うわっ!?」
背後から伸びた手が、ぺたんと座り込んでいた藤を、ぐいと抱き寄せる。誰かと思う必要もない。髭切が押し入れから出てきた彼女を待ち構えていたのだ。
「もう外出たいなんて言わないから! 何でこんなにくっついてるの!?」
「どうせしまっちゃうなら、僕の中にしまっちゃおうかなって」
「えぇっ……」
自分の体を包むように抱き寄せられた彼女は、最初こそ抵抗をしてみたものの、彼の腕の中から脱出することは叶わなかった。口調は冗談めいているものの、本気で自分の側から離さないつもりらしい。
「もしかして、外が嵐ですることがないから暇なの?」
「うーん。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね」
「どっちなの、それ」
「どっちでもいいよ。ともかく、主はちゃんとしまわれておいてね。側にいる方が安心でしょ?」
「ううん……なんだか釈然としない。髭切の方が嵐で心細いんじゃないの?」
「そうかもね」
適当に相槌を打ちながら、上機嫌な声を隠さずに髭切は彼女との会話を楽しんでいた。微かに身じろぎをしている彼女の柔い抵抗も、今は愛おしいとすら思う。最終的に諦めたのか、彼女は髭切の腕の中で目を瞑ってしまった。どうやら眠ってしまったようだ。
会話が無くなったことにより、聞こえるのは屋根を打つ雨の音だけになってしまった。けれども、それを寂しいとは思わない。傍らに主がいるという事実だけが、彼の心を十分に満たしていく。
それに何より、こうしていれば彼女がどこかに吹き飛んでしまうこともない。居なくなってしまうこともない。
手の届くところに、彼女の姿がある。ただそれだけを、今は幸せとして噛み締めたい。
「もう暫く、嵐でもいいかなあ……」
それなら、このまま彼女を腕の中にしまっておけるから。
彼女の感触を楽しみながら、髭切はぽつりとささやかな願いを漏らしたのだった。
「馬鹿なことを言っていないで、さっさと部屋に戻るんだ!!」
廊下を歩いていた髭切は、とある部屋の前で何やら大きな声で歌仙と藤がやり取りをしていることに気がついて、足を止めた。
今日は、台風という大嵐が来る日らしい。酷い雨と風になるから、演練も中止となっていたほどだ。髭切も畑の手入れが取りやめになってしまったため、手持ち無沙汰になってうろうろと本丸内を歩き回っていた。
何事だろうと思い、折良く通りかかった五虎退を捕まえ、
「さっきからすごい声が聞こえているんだけど、何か知ってる?」
「あ、髭切さん。その……あるじさまがどうしても畑の作物たちの様子が気になるから、様子を自分の目で確認したいと言い出して……」
「この天気の中を?」
髭切が思わず聞き返してしまうほど、外の様子は荒れに荒れていた。横殴りにたたきつける雨は戸や壁に激しくぶつかって、さながら戦の只中にいるのではと錯覚するほどの轟音をあげている。風の強さときたら、雨の勢いから察するに、外に出れば間違いなく小さな主など、あっという間に吹き飛ばされてしまうだろう。
風に乗ってどこまでも飛んでいく主の姿を思い浮かべ、髭切は「それは大変だ」と呟く。
「歌仙さんがさっきから主を捕まえていて……でも歌仙さんも今日の厨当番の様子を見に行かないといけなくて……」
「ああ、それでさっきからどんどん歌仙の声が大きくなっているんだね」
五虎退と話をしている間も、二人のやり取りは益々エスカレートしている。聞き分けのない主を押しとどめていたいが、自分の用事もしなければならないという、歌仙の焦りが手に取るように伝わってくるほどだ。
今日の厨当番は、次郎と乱のはずである。本人達の希望で選出されてはいるものの、あの二人だけに全てを任せるというのは、この嵐の中に突っ込んでいくのと同じくらい無謀ということは、髭切も知っていた。
「じゃあ、僕が何とかしておくよ。五虎退は先に厨の様子を見に行っておいて」
「はい。歌仙さんとあるじさまのこと、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げてから、五虎退は足早に厨の方へと向かっていった。少年の背中を見送ってから、髭切は部屋の襖をからりと開く。
中に入れば、案の定歌仙と主である彼女――藤が、お互いに今にも掴みかからんといった様子でにらみ合っていた。髭切のことなど、まるで目に入ってすらいないようである。
「畑を見に行っても、きみができることはないだろう! それに僕たちはきみの指示通り、覆いもちゃんとつけておいた。これで何かあったとしたら、もうこれは仕方ないというものだよ」
「でも、もっと他に何かできることがあるかもしれないし、僕が確認できていない所もある!」
「畑当番講座をあれだけ受けさせておいて、まだ僕たちを信頼できないのかい!?」
「はいはい、二人とも。ちょっと落ち着こうよ、ね?」
ヒートアップにヒートアップを重ねる両人の間に割って入ると、漸く彼の存在に気がついた二人がようやく口を噤んだ。この間隙まで、ほぼ息継ぎなしでやり取りをし続けていたわけだから驚きだ。
「歌仙。ここは僕が引き受けるから、厨の様子を見に行って。次郎がまたお酒使った料理に目覚めたら、主がこの前みたいに酔い潰れちゃう」
「ちょっと、僕は別に酔い潰れたりは」
「そうだね。きみの方がその我が儘な主の面倒を見慣れているようだし、頼むよ」
「人を子供みたいに!」
主の逐一の抗議を無視して、歌仙はさっさと部屋から出て行ってしまった。
残った二人の間には、微妙な空気が流れる。しかし、沈黙もほんの数分。どうやら髭切を歌仙より懐柔しやすい相手と、藤は思ったらしい。にこりと笑いかけた後、
「ちょっと畑の様子を見に行くから、髭切はここで待っててね」
「待つのは主の方だよ」
くるっとターンをした主の肩を掴み、ぐいと引き寄せる。姿勢を崩した彼女は、勢い余ってその場で尻餅をついてしまった。
「あいたた……。ちょっと髭切、何するの!」
「だって、主。あの中に行こうとしたんでしょう?」
タイミングよく、今度はがたがたがたがと家自体を揺らしているのではないかと思うほどの強風が襲いかかる。べしゃっと何かが窓に当たった音のおまけつきだ。
外に出た主の末路は、きっと今窓に当たった何かと同じだろうと髭切は思う。恐らく一分も保たずに、吹き飛ばされてしまう。それは困る。
「でも、畑が」
「畑は僕たちがちゃんと対処しておいたから。ほら、主の大事な鉢植えも、本丸の中にしまっておいたよ」
「ありがとう、髭切。だけど、やっぱりこの目で見たいというか」
「ねえ、主。主は何で鉢植えをしまったの?」
言いつつ、髭切は尻餅をついた彼女の目線に合わせるようにしゃがむ。両手を前につき、身を乗り出している彼の姿は、獲物を追い詰めている獣のようにも見えた。
彼に気圧されて、藤はじりじりと後ろに下がりながら、
「そ、それは、飛んでいっちゃったら危ないからで」
「じゃあ、主も飛んでいっちゃったら危ないから、しまわれておかないとね?」
「いや、僕はしまわれなくても」
「しまっておかないと、だめだよね?」
更にぐいぐいと距離を詰められ、藤は咄嗟に更なる後退を進める。ちらりと背後を見てみると、そこには押し入れがぽっかりと薄暗い口を開けて、彼女を待ち構えていた。
このまま後ろにいけば、自分は押し入れの中に追い詰められる。髭切自身、それを狙っているのか、彼女との距離を四つん這いの状態で詰めていく。
「だから、これ以上我が儘を言うようなら、僕が主をしまっちゃうよ」
「え、待って、ちょっと、あいてっ」
最後の言葉は主が咄嗟に立ち上がろうとして、押し入れの天井に頭を打ったからだった。どうやら気がつかないうちに押し入れのすぐ側まで追い詰められていたらしい。頭を打った痛みで、彼女は目の前がチカチカして、べしゃりと押し入れの中に背中から倒れてしまう。
「それでも、主は行きたいっていうの?」
「髭切、止まって、ストップ!! 近い、顔が近い!!」
なんとか上体は起こしたものの、背中が押し入れの壁にぶつかり、本当に追い詰められてしまった藤は、悲鳴のような声をあげる。思わず足を縮め込ませて体に寄せると、彼の思惑通りすっぽりと押し入れにしまわれているようになってしまった。
満足そうに微笑む髭切の顔が、文字通り目と鼻の先にある。なまじっか整っている顔なので、ここまで近いと綺麗と思う前に、別種の迫力すら感じてしまう。
「まだ外に行きたい?」
「行かない! 大人しくしまわれてるから!」
「そっか。うんうん、それならいいんだ。主は良い子だね」
押し入れの薄闇の中で小さくなっている主の頭をわしゃわしゃと撫でてから、髭切は体を離した。ようやく藤は安堵の息を吐いて、恐る恐る押し入れの中から這い出る。ふぅと長くため息を吐き出していると、
「ほら、捕まえた」
「うわっ!?」
背後から伸びた手が、ぺたんと座り込んでいた藤を、ぐいと抱き寄せる。誰かと思う必要もない。髭切が押し入れから出てきた彼女を待ち構えていたのだ。
「もう外出たいなんて言わないから! 何でこんなにくっついてるの!?」
「どうせしまっちゃうなら、僕の中にしまっちゃおうかなって」
「えぇっ……」
自分の体を包むように抱き寄せられた彼女は、最初こそ抵抗をしてみたものの、彼の腕の中から脱出することは叶わなかった。口調は冗談めいているものの、本気で自分の側から離さないつもりらしい。
「もしかして、外が嵐ですることがないから暇なの?」
「うーん。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね」
「どっちなの、それ」
「どっちでもいいよ。ともかく、主はちゃんとしまわれておいてね。側にいる方が安心でしょ?」
「ううん……なんだか釈然としない。髭切の方が嵐で心細いんじゃないの?」
「そうかもね」
適当に相槌を打ちながら、上機嫌な声を隠さずに髭切は彼女との会話を楽しんでいた。微かに身じろぎをしている彼女の柔い抵抗も、今は愛おしいとすら思う。最終的に諦めたのか、彼女は髭切の腕の中で目を瞑ってしまった。どうやら眠ってしまったようだ。
会話が無くなったことにより、聞こえるのは屋根を打つ雨の音だけになってしまった。けれども、それを寂しいとは思わない。傍らに主がいるという事実だけが、彼の心を十分に満たしていく。
それに何より、こうしていれば彼女がどこかに吹き飛んでしまうこともない。居なくなってしまうこともない。
手の届くところに、彼女の姿がある。ただそれだけを、今は幸せとして噛み締めたい。
「もう暫く、嵐でもいいかなあ……」
それなら、このまま彼女を腕の中にしまっておけるから。
彼女の感触を楽しみながら、髭切はぽつりとささやかな願いを漏らしたのだった。