短編置き場

「あれ、珍しい」

 思わずそんなことを言ってしまったのは、目にしている光景が言葉通り普段はあまり目にしないものだったからだ。
 本丸で共に暮らしていれば、刀剣男士の行動パターンもある程度把握しきっているつもりだった。だが、たまにこういう予想外の姿を目にすることもある。

「髭切が寝てる」

 言いつつ、そりゃ彼だって寝ることもあるだろう、と本丸の主である藤は思う。
 今まで自室で寝ているところも、負傷のために横になっているところも何度も目にしたことがある。珍しいと思ったのは、そこが自室でもなければ弟の部屋でもなく──彼は最近弟の部屋にいることの方が多い──居間の一角だということだ。
 この部屋は和室ばかりの部屋では飽きるという短刀達の意見のもと、洋室に近いレイアウトにしていた。その最たるものとして据えられているのが部屋の隅に置かれた大きなソファであり、髭切はそこに横になって眠っていた。
 時刻は既に夕暮れ。部屋に差し込んだ西日が、彼の頬を少しばかり朱色に染めあげている。

「眩しくないのかな。顔に当たっちゃってるよ」

 ちょうど西日が顔を照らしており、見ているだけのはずの藤ですら思わず目を眇めたくなっていた。
 これではせっかく休んでいるのに目が覚めてしまうだろうと、藤は足音を立てないようにそろーっと部屋の中に入る。少しソファと距離を詰めてみるも、髭切が目を開ける様子はない。

(……綺麗な顔)

 陽の光が当たっているせいもあるからだろう。彼の整った顔立ちも、閉ざされた瞳を覆う睫毛の一つ一つも、まるでキラキラと輝いているように見えた。作り物めいた美しさではありながらも、近寄りがたいとまでは思わない。主である自分を彼が受け入れてくれているからと考えるのは、自惚れだろうか。

(何考えてるんだろう、私は。それより障子を閉めよう。西日がましになるはず)

 彼から離れて、藤は部屋の障子へと足を向ける。極力音を殺さないように慎重に慎重に閉めれば、部屋に入り込んだ日差しが弱まり、夕方独特の薄暗さが部屋に訪れる。

「それと、そのままじゃ寒くて風邪ひくよ」

 言いつつ、藤は部屋の片隅に丸めて置いてある薄手の毛布を広げる。季節は既に夏を通り越して秋が近い。夜は冷えることもあるのだからと考え、そこまで思考を走らせてから藤は肩をすくめた。

「そういえば、君たちは風邪をひかないんだった」

 人間でない彼らは、風邪をひいた様子を見せたことがない。多少寒かろうが暑かろうが、体調を崩すというもの自体に縁が遠いはずだ。
 だからといって、それは藤にとって毛布をかけない理由にはならない。ふわりと彼の体を覆うように毛布を載せると、眠っている横顔が少しばかり微笑んだような気がした。

「……何だか、すごく嬉しそうな顔してる」

 膝を曲げてしゃがみこめば、ちょうど髭切の顔が自分と同じ高さになる。夢の中で良いことでもあったのか、彼の唇の端は小さな笑みを形作っていた。

「美味しいものでも食べてるのかな。それとも弟と手合わせしてたりとか。髭切が楽しそうにしているときって、後は」

 続く言葉はすぐに思いつくも、藤は少しばかり口ごもる。だが、どうせ相手は寝ているのだからと彼女は思い切って言葉として形にする。

「僕と、一緒にいたりとか」

 自分で言葉に出しておいて恥ずかしくなり、藤は思わずソファの縁に顔を埋める。勿論、当の髭切は主が百面相をしているとも知らずにすやすやと眠っていた。
 やがて顔を上げ直した彼女は、今度はそろりそろりと手を伸ばす。彼の柔らかい金髪は、薄闇の中ではいつもより沈んだ色をしていた。その枯れ草色の髪に、ほんの少しだけ指を絡ませる。見た目通りふわふわした柔らかい髪が彼女の指をくすぐっていった。

「ふふ、なんだか気持ちいい」

 彼を起こさないように、少しだけ弄んだあとはそっと指を離す。すっかり気を良くした藤は髪から再び彼の顔に視線を移す。
 そして、その顔を夕日と同じ朱色に再度染めた。

(すごく、顔が近い)

 普段は身長差も相まって顔と顔を正面から合わせることは無いといって等しく、あったとしても髭切が屈んでくれることがほとんどだ。つまり、顔を近づけるか近づけないかの主導権は彼が握っていた。
 でも今、彼は眠っている。ソファの上に横になっているから、背丈の違いが二人を邪魔することはない。加えて、周りには誰もいない。今ばかりは、顔を近づける主導権はこちらにある。

(い、今なら、私の方からしても)

 そこまで考えて、頬で湯を沸かせるのではないかと思うほど顔が熱くなってしまっていることに藤は気がつく。
 自分は今、何をしようと考えたのだろうか。
 穴があくのではないかと思うほど、彼の横顔を見つめていた。その後の続きを考えると、思わず唇をきゅっと噛んでしまう。ちらりとよぎった「その続き」を考えて、顔の温度はますます上昇していく。

(何を馬鹿なことを考えてるんだろう。なしなし、今のなし)

 ふるふると首を横に振って、無意識に彼に近づけていた顔を少し離す。特定の部位──主に唇の辺りを凝視していた気がするが気のせいということにしようと、自分で自分を納得させる。
 そう思った矢先、

「へ?」

 がしりと、腕が掴まれる。驚いた拍子に、離している途中だった顔が中途半端に止まる。
 思わず掴まれている自分の腕に目を向ければ、力なく投げ出されていたはずの髭切の手がいつの間にかしっかりと、藤の腕を握っていた。
 恐る恐る彼の顔に視線を戻すと、果たしてと言うべきか、ぱっちりと開かれた金茶の瞳がこちらをじっと見ている。どこか楽しむような空気が漂っているのは気のせいではあるまい。

「何かするんじゃなかったの?」

 にこにこと笑いながら投げかけられた彼の言葉を聞いて、藤は穴があったら入りたい気持ちに襲われてしまった。

「い、いつから、起きてたの?」
「主が珍しいなあって呟いてた時から」
「最初からじゃないか!」

 考えてもみれば普段から戦場に赴くこともある彼が、素人の自分が近づいて気がつかないわけがない。つまり、部屋に入ってから彼はずっと狸寝入りを決め込んでいたのである。

「それで、僕の顔をじーっと見てたけど、何をしようとしてたのかなあ」

 これは確信犯だ、と藤は思う。それくらい髭切の顔には隠しきれないほどの喜びがにじみ出していた。彼は、間違いなくこの状況を心底から楽しんでいる。

「ああ、そうだ。頭撫でてくれてありがとう。気持ちよかったよ。ちょっとくすぐったかったけどね」
「あの時も起きてたんだ……」

 最初から起きていたのだから、それも当たり前だろうというのは分かる。それでもわざわざ言われると、改めて恥ずかしいという気持ちが頭をもたげてしまう。
 目の前の彼は、何かを期待するような目でこちらを見つめ続けていた。その視線に気圧されそうになりながらも、

「別に何かしようとしてたわけじゃないから。顔見てただけ、だから」

 我ながら下手くそな嘘だと思うも、俯きながら早口でどうにかそれだけ言い切る。
 これなら何も言えまいと思いきや、ふと自分の腕を掴む力が弱まった。慌てて顔を上げると、とても残念そうにしょげた顔の彼と目が合う。
 
「え、えっ」

 そんな顔をされたら、自分が悪いことをしたみたいじゃないかと考え、藤は思考を一時停止する。
 これもきっと目の前の彼の策略だろう。そうやって、自分をからかっているんだ──とまで考えたものの、良心の微かな呵責が彼女を責め立てた。
 髭切が少なからず自分に思いを寄せてくれていることは既知の事実であるし、きっぱりと言い切ったわけではないものの同じ思いを抱えていることは彼女も自覚している。
 なら、そういうことを彼が期待してしまうのも当然というわけで。思わせぶりな態度だけとって知らないふりをしたせいで、本当に落ち込ませてしまったなら。
 考えただけで、胸の奥がきゅうと切ない痛みが彼女の中に広がっていく。

(え、ええい、もうどうにでもなれっ)

 今度は自分が彼の腕を掴み、ぎゅっと目をつぶって彼に顔を寄せ──その頬に、ほんの少しだけ唇を触れさせる。
 時間にして一秒もあったかどうか。すぐに顔を離し、彼女は恐る恐る目を開く。その間、心臓のうるさいことと言ったら、まるでフルマラソンを全力疾走したかのようだ。

「こ、こういうことを、したかった、だけだから」

 つっかえつっかえではありながらも、精一杯の虚勢を張ってみる。対する当の彼はというと、少しばかり呆気にとられた顔をしてみせた後、目を細めて愛おしそうに目の前の主を見つめ、

「主、すごく顔が赤いよ」
「だって、よくわからないし、恥ずかしくてっ。でも、なんだか寂しそうで、嘘かも知れないけど本当かもしれないし」
「それじゃあ、何が言いたいかよく分からないな」
「ばかばかばか、知らない」

 もう距離をおいてもいいだろうと体を動かそうとしたら、逃がしてくれるどころか今度はぐいっと彼に引き寄せられる。
 しゃがんでいた姿勢が崩れ、思わず足がもつれてしまう。このままでは彼の上に倒れこんでしまうかと思いきや、彼は意に介することなく藤を力強く抱き寄せた。気がつけば、いつの間にか彼女の上体はすっぽりと彼の腕の中に収まってしまっていた。

「ごめんごめん。主が僕の隣でじたばた悩んでるみたいだったから、ついからかいたくなって」

 言葉は謝っているものの、彼の声には今にも笑い出しそうな気配が漂っていた。そんな彼の声も、いつもより近いせいか、耳がやけにくすぐったい。
 無言でかぶりを振って、藤は彼の胸元に顔を埋めた。こうすれば少なくとも顔を合わせることはないからだ。

「今度はもっと頑張ってくれるって期待してもいいかな」
「……け、検討しておく」

 もっと頑張るとはなんだろうと考えて再び顔を紅色に染めそうになったとき、宥めるように自分の背中に回された手が頭を撫でていく。また子供扱いしてる、と思いながらも、心地よい手つきについ身を任せてしまう。
 やがてその動きも止まり、そろそろ起きるのだろうかと思った刹那、今度は微かな寝息が耳に飛び込んできた。

(え、もしかして寝たの?!)

 藤の上体を抱き寄せたまま、彼は安らかな寝息を立てて再び眠りについたようだった。そうなってしまったら、彼女は今の姿勢を崩せない。どう考えても動いたら彼を起こしてしまうからだ。

(…………起きるまで、私も寝てようかな)

 そんなことを考えたからか、不意に瞼の上に眠気が襲来する。微かに彼の体から漂う香の匂いに身を委ね、藤は目を閉じた。
 夕飯に呼びにきた者らに起こされるまでの僅かな刻、誰よりも安心できる場所に包まれ、二人は暖かな微睡みの世界へと旅立っていった。
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