本編第一部(完結済み)

 地を蹴る。
 一つ二つと歩数を数える暇などなく、少年はただひた走る。
 道の両側に見えるのは、延々と連なる石垣。この道は、人が通るように整えられた道だ。
 今まで遡ってきたどの時代の道とも異なり、ここには確かに積み重ねられてきた歴史がある。その歴史を守るために、自分はここにいるのだと、彼は決意を新たにする。
 整備された道のおかげで、今は夜であるというのに比較的容易に視界を確保できる。山中に籠もって麓に潜む時間遡行軍を探しているときより、余程敵の様子を観察しやすい。
 だからこそ注意せねばと、少年――五虎退は思う。

(偵察はしっかりしないといけない、ですよね)

 手合わせで、歌仙や物吉に指摘されたことを思い出す。
 柔らかな白髪に隠されていない方の片目は、今は夜空の月と同じくらい金色に輝いていた。けれども、彼の瞳はただ綺麗なだけではない。猫のように鋭くすがめられた片目は、油断なく辺りの様子を探っていた。
 走る速度は落とすことなく、神経は引き絞った弓のように張り詰めさせる。自分の知覚という名の糸を、周囲に広げるように、彼は探りを入れていく。

(どこかに、います)

 夜の闇に紛れて、自分以外が在るという事実を、目で見ずに彼は感じ取る。
 一つは視線。こちらの動きを観察しているかのように、走っても振りほどくことができず、付き纏ってくる。
 一つは気配。しかも、急速に近づいてくる。伴って、膨れ上がるのは、肌に突き刺さるような殺気。

「……!」

 カッと目を見開き、五虎退はとっさに自分自身とも言える得物――短刀を握る手に力を込める。
 間髪入れず、進行方向から食らいつくように彼に襲いかかってきたのは、痛烈な斬撃。ギィンと、甲高い金属同士がぶつかり合う音と共に、彼は数歩の後退を余儀なくされる。
 が、先んじて構えたおかげで、数歩の後退で済んだとも考えられる。
 とはいえ、一撃を入れただけで敵が消えてくれたわけではない。斬撃の主は逃げることなく、こちらを見ている。
 宙に舞う、人魂のような移動の軌跡。しかしその正体は、まるで魚から骨だけを抜き取ってきたような異形。手もなく足もなく、だが宙を泳ぐための体はある。眼前の異形の頭部は、魚のような体とは裏腹に、獰猛な獣を思わせるものだ。口にしっかりと短刀をくわえ込み、今度こそ仕留めると瞳のない虚ろな眼窩で、五虎退の動向を探っている。
 時間遡行軍。その中でも五虎退と同様、短刀と言われる種別のものだ。恐らく、口にしている刀を指して、判別をしているのだろう。

「痛かったら、言ってください」

 白鞘の短刀を構えながら、五虎退はいつもと変わらない細い声で告げる。控えめにも聞こえる発言は、同時に自分がこの敵より格上だと自負している言葉でもあった。
 


「まさか、城内でしかも夜戦を強いられるとはね」
「室内じゃなかっただけ、良かったです。他の人を巻き込まずに済みました。きっと、幸運がボクたちのところに来てくれたんですね」

 声をかけてきた歌仙に返事をしながら、物吉は塀の上から飛び降りる。常人なら躊躇するような高さであるにも関わらず、まるで階段を数段踏み越えるような気軽さで、彼は地面に足をつけた。

「敵の狙いは、この城の中の人だったでしょうから。ボクや五虎退、それに歌仙さんならともかく、髭切さん達は多分動きづらかったと思います」

 物吉が顔を上げた先には、ここからほど近くにある街を治めている、城主が住まう城が夜闇に浮かび上がっていた。彼らがいるのは、本丸部分を取り囲む通路の一つである。
 本来は、馬に乗った客人や大勢の家来を通すための場なのだろう。ただの通り道にしては、十分すぎるほど広い。そのうえ、今は見張りの警邏は一人もいないので、広大さばかりがやけに増して見えた。

「見回りの人たちは、結局どうしたんだい」
「今は、少し眠ってもらいました。この辺りの人たちなら、途中にあった蔵の方に移しておいたので、多少暴れても音は聞こえないはずです」
「助かったよ。彼らから見たら、時間遡行軍も僕らも等しく怪しい侵入者であることには、変わりないからね」
「ちゃんと仕事をしている人を、ボクたちの戦いに巻き込んでしまうのは、あってはならないことです」

 歴史を守るという大義名分はあるものの、本来城の見回りをしているだけの者を傷つけるのは、物吉としても本意では無かった。気絶させるときも、内心でごめんなさいと謝っていたぐらいである。

「本当は城下町を散策している段階で、彼らの狙いに気がつければよかったのだけれどね」

 言いつつ、歌仙は少しばかり後悔のため息をついた。
 今回の出陣先は江戸時代、そのとある城下町付近で観測された、時間遡行軍と思しきものの挙動の確認、ならびに討伐だった。
 到着したのは昼頃ではあったが、何せこの時代は人が多い。建物も多くあり、潜んでいる時間遡行軍を探り当てるのは、容易ではなかった。加えて、散発的に遭遇戦が発生したせいもあり、目先の事態に対処するので、手一杯になってしまったのも、後手に回った原因の一つだ。
 結果として、彼らの本来の目的が、この地域を治める者――即ち城の主人を暗殺することだと気がついたのは、日がすっかり暮れてしまってからになったのである。
 とはいえ、城門で侵入の機会を窺っている時間遡行軍の一団を、間一髪で見つけることはできた。まだ、彼らの目的は達成されていない。だから、敗北ではない。
 忘れられない敗走を思い出すたびに、歌仙の胸に残った苦い感情が痛みを放つ。無事に敵を討ち取ったと、胸を張って主に報告したいという思いは、あの時から強く彼の中にあった。

「城門は髭切たちが抑えている。逃した敵も五虎退が追撃している。あとは侵入した斥候たちを、撃退すれば終わりだ」
「歌仙さん、顔が怖くなってますよ。ほら、笑顔笑顔」

 物吉は自分の頬に指をあてて、少し場違いなまでの笑みを彼に向ける。

「そんな怖い顔で帰ったら、主様が驚きます。ボクは幸運を呼び寄せる刀ですから、奴らもすぐに見つかりますよ」
「そうだね。物吉、君の言う通りみたいだ」

 歌仙は、緊張で強張った顔を少しばかり緩める。けれども、腰の刀に添えた手からは弛んだ気配は、微塵も感じられない。油断なく周囲を見渡した彼は、ふと顔を上げる。

「本当に、僕たちはツイているよ」

 自分の感覚が掴んだ違和感に確たる自信を持って、彼は告げる。

「敵だ」


 ***


「こ、こんなのも、ありますっ!」

 敵の短刀の一撃を躱し、カウンターの一刀で空を薙ぐ。一瞬の銀の軌跡は、敵の後頭部を真一文字に通り過ぎていった。同時に、確かに仕留めた感触が、自分という五感を貫いていく。
 果たして、まるで重要な芯が抜けてしまったかのように、骨はバラバラと崩れ落ちていく。地面に散らばった白い破片は、やがてじわじわと空気へと溶けるように消えていった。

「……も、もう、動かないですよね」

 敵が最後に悪足掻きをすることもなく、大人しく虚空へ還っていくのを確認して、五虎退はようやく残心を解く。安堵の息を吐き、胸をなで下ろそうとした。
 まさにその時。突如彼の近くから、身の毛がよだつような殺気が湧き上がる。

「……!」

 声をあげる間もない。
 咄嗟に振り返った五虎退が目にしたのは、自身を呑まんとばかりに広がる巨躯の影。影の頭には、鬼のような天を衝く角。とても人とは思えぬ巨大な体が纏っているのは、肉体を守るための甲冑。
 初陣の時にも現れた、時間遡行軍の一体だ。それは、五虎退にとっては宿敵ともいえるものだった。
 初めて相対したときから変わらない、禍々しい大太刀の一振りが、か細い少年を一刀両断にせんと襲いかかる。あの一撃を食らった歌仙兼定は、ひどい怪我を負っていた。細い自分の刀身だったならば、怪我を自覚するよりも先に、折れてしまうかもしれない。
 既に眼前へと、死神の一刀は迫っている。気配を殺して近づかれたせいで、気付くのが遅すぎた。

(逃げないと!)

 そのことを理解するより早く、彼の体は動く。躱しきれないと分かっていても、無様に死を待つようなことだけはすまいと、体を捻ったとき、

「ほらほら、どいたどいた!!」

 荒々しい声が割って入ったと思いきや、死の刃の銀光がぶれる。続けて、ドンと大きな衝突音。
 少年が事態を把握するより先に、彼を呑まんとしていた巨躯が、何者かに突き飛ばされたのが見えた。突き飛ばした張本人に視線を移すと、敵に負けず劣らずの巨漢が屹立している。
 しかし、彼を見ても、五虎退は威圧感を覚えることはなかった。腰ほどまでもある長い黒髪をなびかせて、月の明かりを受けて、『彼』は笑う。

「五虎退、アンタ足速いんだねぇ。こんなところまで来てるとは思わなかったよ!」
「次郎さん!!」

 大ぶりの太刀を携えた青年が、五虎退を庇うように立っていた。
 纏う着物は、夜の闇の中でもなお輝き続ける、華やかな紫。裏地は濃い朱色であり、色の取り合わせは派手ではあるものの、毒々しさよりも絢爛さが際立っている。
 たくましい腕を大きく振れば、伴って大きな袖が舞う。緩やかに通り過ぎていくそれは、さながら紫の風だ。
 腰に巻いた帯は着物に負けないほどの豪奢な金。白い足袋に包まれた、五虎退よりひときわ大きな足が収まっているのは、それで戦えるのだろうかと思うほどの、厚底の草履である。夜の風に吹かれて靡く黒髪も、金の櫛や豪華な装飾がついた簪で、部分的に纏められていた。
 一言で言うならば、戦場には不釣り合いなくらい派手な人物だった。
 だが、彼は見知らぬ誰かではない。この出陣より十数日前に主が顕現させた刀剣男士――次(じ)郎(ろう)太(た)刀(ち)だ。

「まさか、初陣でこんなにあちこち駆け回ることになるとはね。次郎さん、なんだかワクワクしてきちゃったよ!」

 言いつつ、彼は五虎退を自身の背中に隠すように、大太刀を振るう敵と向き合う。
 次郎の広い背中は、五虎退もここ数日間で何度も目にしていたはずだった。けれども、今は本丸で見かけたときよりもずっと逞しく、頼もしく見える。
 次郎が出陣したのは、今日が初めてである。それでも五虎退は彼が信用できると、この瞬間、心で理解した。

「ほら、アンタも狸寝入りしてないで、起きたらどうだい?」

 時間遡行軍を挑発しながら次郎が構え直したのは、とても人が扱える代物ではなさそうな巨大な太刀だ。彼に吹き飛ばされた敵の振るう得物も、相当な大きさではあったが、それに匹敵するか勝るともいえるほどである。
 だが、敵も次郎の威容に怯えて逃げてくれるほど、脆弱な存在ではない。鎧同士が擦れる金属音を鳴らしながら、その異形は立ち上がる。
 にらみ合う、二振りの大太刀を持った二人の剣士。
 双方、五虎退のように俊足を得意としているわけではない。だからこそ、攻勢に打って出る機会は重要と判断し、軽率な行動は起こさない。
 次郎の援護に回ろうかと、五虎退は考える。だが、あの大きさでは、五虎退が掻い潜る隙間を考慮して振るうことはできないだろう。ならば、今は邪魔をしないことが最善だ。
 万が一に備えて、短刀の柄を握りしめて、五虎退は向かい合う二つの大きな影を見守る。
 一陣の風が二人の間を通り過ぎた瞬間、一歩前に出る足音が響く。先手を取ったのは、時間遡行軍の方だ。だが、一呼吸遅れて次郎の足も動く。

「――そぅら!」
「次郎さん……!?」

 思わず五虎退が声をあげるのも、無理はない。彼の動きは、至極単純すぎる、乱暴な一振りだったからだ。敵の急所を狙う五虎退の戦い方とは、あまりに違いすぎる。
 けれども、勢いよく振られた一撃はそれだけで、十分な破壊力を持った破壊を振りまく竜巻となっていた。
 敵の大太刀の切っ先が次郎に届くより先に、振り回した彼の大太刀の横薙ぎが敵の胴に触れる。と思いきや、そのまま勢いに任せて、甲冑の化け物を吹き飛ばしながら両断していく。
 まるで野菜でも切るかのように、あっさりと。歌仙や五虎退が苦労して倒した敵を、彼は一撃で制圧してみせた。まさに、鎧袖一触だ。

「振り回しときゃ、当たる!」

 次郎が胸を張って宣言した通り、確かに彼が大太刀を振り回しただけで、彼の中心から数メートルの範囲は、入れば即死の空間へと瞬時に変貌していた。
 手合わせで何度か相手をしたことは五虎退もあったが、模擬用の木刀とは異なる、凄まじい破壊力を目の当たりにして、思わずかける言葉を失う。

「五虎退、さっきので最後かい?」

 一撃で敵を倒したことで、気分がいいのだろう。太陽のような朗らかな笑顔を見せる次郎に、五虎退は頷こうと首を縦に振りかけ――しかし、一歩前に出る。
 踏み切った足と入れ替わりに、二歩目が進む。同時に、構えていた短刀の刃を次郎に、その向こうにあるものに、向ける。

「さがってください!」

 五虎退の通り過ぎる残像を次郎が捉えた後に、彼の声が耳に飛び込む。次郎には、到底できない身軽な動きだ。
 仲間の言葉の意味を理解し、次郎はすぐに五虎退から数歩距離を置く。続いて、キン、と金属と金属同士がぶつかり合う音。
 五虎退が鍔迫り合いに持ち込んでいるのは、彼にとっては二度目の相手となる、短刀を咥えた、浮遊する怪物だった。しかも一体ではなく、後ろに控えるものを含めて二体。

「ま、負けません。僕だって、守られてばかりじゃありませんから!」

 宙を舞う怪物たちが口にしている短刀から、繰り出される斬撃の数々。それを、五虎退は余すところなく己の刃で弾いていく。月の光を受けて、その攻防はまるで星のように、ちらちらと輝いて見えた。
 だが、二対一ではいずれ数で圧されてしまう。拮抗状態を崩すため、五虎退がぴょんと後ろへと飛び退る。
 自分の後を、怪物たちが追いかけていることを素早く確認してから、彼は城内の石垣に向けて走る。壁が目前に迫るやいなや、走る勢いを生かしたままに、壁を駆け上る。
 垂直に近い壁面を数歩登ってから、彼はスピードは殺さず、背中から宙へと身を投げ出した。逃げる獲物を追撃しているつもりだった怪物たちは、突然自分に牙を剥けた小さな虎に驚愕を覚える。

「これで、終わりです!!」

 空中で身を捻った五虎退は、重力に引っ張られて敵の横を通り過ぎる。同時に、回転を生かして彼が振るった二撃は、怪物たちを的確にばらばらにしていた。

「アンタも、なかなかやるじゃないか」

 ぱちぱちという拍手の音を耳にして、着地した五虎退はようやく肩の力を抜く。鞘におさめた大太刀を片手に携えた次郎は、ぱちんとウインクを送ってみせた。

「いえ、それほどでは……」
「謙遜しなくてもいいんじゃない? 主だってきっと、褒めてくれるだろうさ」
「そ、そうだと、嬉しいです。あ、そういえば、次郎さんはどうしてここに?」

 五虎退が問いかけたように、次郎は本来、城門付近の時間遡行軍を食い止めているはずである。

「それが、アタシが暴れると城門に傷をつけかけるし、髭切を斬っちまいそうになるし。巻き込まれるのは御免だから、五虎退の手伝いをしに行くようにと、怒られたんだよ」

 次郎は困ったように眉を下げ、ひょいを逞しい肩を竦めてみせた。
 次郎の不服そうな言葉を聞きながら、内心で五虎退は髭切に同情していた。彼の竜巻のような攻撃に巻き込まれては、身のこなしが素早い五虎退ならともかく、髭切にはたまったものではなかっただろう。

「でも、一人で大丈夫でしょうか……?」
「あれは、任せても大丈夫だろうさ」

 次郎はからからと笑い、遙か向こうの城門の方に視線を送る。

「何せ鬼みたいに目光らせて、ばっさばっさ斬り倒してたんだからね」


 ***


「鬼だろうが刀だろうが、斬っちゃうよ?」

 優しげな声とは裏腹に、物騒な内容の言葉が、夜の静寂に響き渡る。追って、刀が敵の肉を断つ耳障りな――振るう者にとっては一種の快感を覚える音が、耳に飛び込む。
 どしゃっと地面に崩れ落ちる、敵の肉体。だが、それが息絶えるのを見届けるより先に、髭切は腕を軽く振って刀の刃を背中側に向ける。
 間髪入れず、ギィンという鋭い音。丁度背後から迫っていた敵の一刀を、受け止めたのである。

「ちゃんと相手してあげるから、慌てないでね?」

 言いつつ、刀を弾く。振り返りざまに斜めに一撃、相手の体が仰け反った分前に進み出て、横一文字にもう一撃。
 確かな手応えと共に、甲冑をまとった武者の亡霊らしき姿をした怪物は、倒れた。

「これで、最後かな――っと」

 言葉と同時に、起き上がりかけていた敵の頭蓋を蹴飛ばし、踏みつける。流石に砕くまでには至らないものの、バキッという音は致命傷を与えたことを彼に教えていた。
 その間、髭切は敵を一顧だにしていなかった。まるで、見る価値すらない雑兵とでも言わんばかりに。

「うん。これで本当に最後だね。やれやれ、思ったより時間がかかっちゃったなあ」

 ちょっとした掃除を終えたかのように、彼は軽い調子で言う。けれども、髭切の周りに累々と積み上げられているのは、虚空へと消えつつある敵の死骸である。お世辞にも、軽々しい言葉に似つかわしいとは言えない風景だった。
 髭切自身は、そんなことなど意に介さず、自分の体へと視線を落とす。今日は、以前のように返り血や自分の血で真っ赤に染まってはいない。どこにも怪我は無く、寧ろ気力が充溢しているほどだった。

「これも、主のおかげかな」

 隣に立つ相棒が、今はいない。無論、それは十数分前に隣にいた次郎太刀のことではない。
 髭切という刀にとって、弟といえる刀が側にいないこと。初陣では、それも気がかりの一つだった。
 だが、今は心に隙間風を感じたとしても、以前のような空虚さに胸を締め付けられはしない。瞼の裏に焼き付いたリンドウ畑の蒼が、心の空白を埋めたいといった主の姿が、彼を慰めてくれているからだ。

「よぅし、もう少し斬りに行こうかな?」

 くるりと踵を返すも、城門に向かってくる時間遡行軍の姿はもうない。やってきた敵は、全て自分が斬り伏せてしまったからだ。かといって、増援が来る可能性を無視することもできないので、持ち場を放って動くわけにもいかない。
 髭切は不服そうに口をへの字にして、門番を続けるしかなかった。


 先ほど察知した敵の気配を追いかけている歌仙と物吉は、天守閣を囲むように広がる道を走っていた。

「歌仙さん、この角を曲がった先に待ち伏せが」
「ああ、感じているよ」

 物吉に言われるまでもなく、歌仙も曲がり角に隠れた気配には気がついている。けれども、足を止めるようなことはしない。馬鹿正直に真正面からやり合う道を、歌仙は選ぶ。
 石塀でできた角の一つを曲がろうとした折、案の定、彼の死角から鋭い銀の刃が急速に近づいてきた。が、予想していたなら、たとえ死角からでも受けるのは容易い。

「君たちが、侵入した先行部隊ってことでいいかな」

 鞘から抜いた刀で敵――打刀を操る、落ち武者のような者の一撃を受け止める。金属同士がぶつかる澄んだ音が、夜の静寂に響き渡る。
 まさか、受け止められるとは思っていなかったのだろう。敵に一瞬の動揺が走る。だが、その一瞬は、戦場では致命的な一瞬だ。

「物吉!」
「はい!!」

 敵の一刀を弾いていた歌仙が、一歩引く。入れ替わるように彼の懐から姿を見せたのは、背後を走っていた白を纏った少年――物吉だ。

「幸運は、いつもここに!」

 己の信じる思いを口に、物吉貞宗という存在が、敵の胴を横一文字に薙ぎ払う。手応えは、はっきりと感じている。いや、寧ろ感じすぎているほどだ。
 いつも以上に、自分の一刀が力強い。その理由は定かではないが、余韻に浸っている時間は無い。
 なぎ払った勢いを利用して、物吉は敵の部隊から数歩分の距離を置く。入れ替わりに前に出た歌仙の突きが、敵の頭部に過たず深々と突き刺さる。こちらも長々と待つこともなく、刺さった刃を力任せに斜めに斬り落とす。

「……雅さのかけらもないね」

 どう、と倒れた異形の敵を一瞥もせず、歌仙は周りへと目をやる。
 遠巻きにこちらを見ているのは、斥候の中でも残っている部隊だろう。彼らが向ける二対の光る視線を即座に数え、歌仙は勝てると判断した。

「物吉、背中は任せたよ。他の皆が来る前に片付けなければ、僕らの後始末を手伝わせることになる」
「はい。主様に恥じぬ戦いをしましょう」

 今なら、どんな敵だって倒せる気がする。そう思うほど二人の気力は満ちていた。
 敵の一人が、一歩前に出る。その一歩が、更なる戦いの幕開けの合図となる。
 襲いかかる銀光の数々を回避し、掻い潜るように敵の喉笛を切り裂く。あるいは飛びかかり、心臓を穿つ。自分の背後を気にする必要は無い。背中は相棒が守っているのだという信頼が、歌仙と物吉の行動から迷いを消していく。
 ものの数分で、彼らの周りには累々と時間遡行軍の骸が積み上がっていた。徐々にその肉体を虚空へと溶かしていく彼らを見つめ、歌仙は切っ先を軽く払う。

「さて、これで最後かな」
「そのようです。敵の気配については、もう感じられません」

 ようやく残心を解き、歌仙は鞘に刀を納めた。この後、城下の見張りをしていた人間達を、気付かれないように元の場所に運ばねばと考えると、まだ任務の全てが終わったわけではない。
 とはいえ、敵と斬り結ぶようなことはないだろうと思うと、多少は気が休まるものだ。

「おおい。アンタたちも、終わったかい?」

 ようやく落ち着いた夜の空気をかき乱したのは、最近耳にするようになった一人の大男の声だ。顔をあげれば、案の定そこには絢爛な着物を纏った男性――次郎太刀がいた。
 その手が握っているのは、歌仙の刀のゆうに二倍はあるのではないかと思うような大太刀だ。彼を見ていると、歌仙はつい数日前の顕現したときのことを、思い出さずにはいられなかった。


 ***


 最初に見た感想は、大きい、だった。
 次郎の人の姿が、ではない。顕現する前の刀の姿が、である。
 白布の上に鎮座していた大太刀は、歌仙すらも最初驚きを隠せなかったほどの、大きさだった。髭切の時も大きい刀だとは感じていたが、それ以上に近寄りがたい威容を感じた。
 当然、主が運んで何かあったらいけないと、歌仙自ら運搬を申し出たのだが、その重みたるや見た目に負けず劣らず相応のものだったことは、彼の腕がまだ覚えている。

「主、どうやら君は大太刀を顕現したようだよ」
「それは、どんな刀なの?」
「見ての通りだよ。実戦で使えるか分からないような、とても大きな刀だね」

 歌仙の説明を受けて、彼女は納得したように一度頷く。鍛刀という行為は疲労を主に与えるのか、彼女の反応はやや薄いものだった。
 それでも、五度目ともなると、緊張も多少は和らいだのだろう。物吉のときのように、顕現の際に集まった面々に不平を言うことはなかった。
 髭切が顕現した際の一件をまだ覚えている歌仙は、内番時に着る普段着ではなく、戦装束を纏い、腰の刀に手を添えていた。五虎退や物吉からも、並々ならぬ緊張が伝わってくるのは、気のせいではないだろう。
 顕現のために少しばかり広い部屋に大太刀を移動させ、主が刃に触れようとする。途端に光が溢れ、薄紫の花びらが舞う。薄く漂う花の香りが、歌仙たちの隣をかすめていく。
 そして、現れた者を見たとき。歌仙の中にあった懸念や警戒は、いっときなれど一切吹き飛んでしまっていた。

「こんにちは! 綺麗な次郎で~す!」

 まず耳に入った大きな声。続いて、視界に飛び込んだのは声に違わぬ大柄な体。その姿は、主の藤よりもふた回りは大きく見えた。
 だが、歌仙たちの言葉を奪ったのは、彼の大きさが原因ではない。

「……なんだ~、ノリ悪いなぁ。ま、今後ともよ~ろしくぅ!」

 彼らが一瞬呆気にとられたのは、次郎と名乗った男が派手な着物に髪飾りをつけた、まるで歌舞伎役者のような姿をしていたからだ。加えて、あまりに陽気な――見方を変えれば軽薄そうな態度が、彼らを面食らわせてしまった。

「よ、よろしく」
「アンタが主だね。よろしく!」

 数秒経って、ようやく最初の衝撃が抜けたのか、藤はおずおずと次郎に手を差し伸べる。紅を引いた目元を細めて、新たな仲間は豪快に笑ってみせた。彼につられるように、藤もどうにか口元に弧を描き、微笑みかけた。


 ***


(実際の戦いっぷりはどんなものかと思っていたが、彼もやはり、刀剣男士ということだね)

 今もからからと笑ってはいるものの、油断して襲いかかれば一刀で斬り伏せんとする殺気は、彼の周囲に残っている。隙に見せているものは全て、敵に侮りを抱かせるための罠といっても過言ではない。その見た目や態度に騙されて突っ込んでいけば、返り討ちにされるだろう。

「次郎太刀、帰ったら主に君の戦いぶりを報告するといいよ。部隊長として、僕もきみの戦果を聞きたくてね」
「そりゃ勿論、戦のあとといえば宴だものね。次郎さんの武勇伝を肴に、酒を楽しもうじゃないか!!」
「…………は?」

 くるりと踵を返し、鼻歌まじりで彼は物吉が指さす方向へと歩いて行く。事後処理の手伝いをしに行くつもりなのだろう。
 だが、歌仙は最後にかけられた耳慣れない言葉に、一瞬思考が停止してしまっていた。

「よーし、今夜はじゃんじゃん呑むぞー!!」

 次郎の勇ましい宣言を聞いて、歌仙は青ざめながら思い出す。この刀剣男士はとんでもない酒豪でもあり、顕現初日で厨の酒を空にしたのだということを。
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