短編置き場

 夏祭りとは、迷子と同義である。
 審神者になる前から思っていたことだが、審神者になってからより強く、彼女はそう考えるようになっていた。

「……また、みんなはぐれてる」

 朝焼け色の癖の多い髪の毛を、藤花の簪で一つにまとめた藤は、唇を尖らせて近くにあったベンチに腰掛ける。生成り色の生地に紫色の紅葉を染め抜いた浴衣は、歌仙たちがこの日のためにと送ってくれたものだ。
 そうして装いも新たに、本丸に残っていた刀剣男士たちとこぞって夏祭りに繰り出したのは、ほんの二時間ほど前の話。
 気がつけば彼女は、一人になっていた。皆とはぐれないように意識的に側にいるようにしたにも関わらず。

「そりゃ、あっちの綿飴が美味しそうとか、りんご飴が気になるとか、かき氷が食べたいとか、あったけどさ」

 十中八九、その寄り道が彼女を迷子にさせたことは間違いないのだが、藤はあくまで皆の方が迷子になったと言って聞かない。
 頬を膨らませ、下駄をつっかけた足をぶらぶらさせ、

「もう、歌仙たちの馬鹿!!」

 ぶん、と勢いよく振った足から、下駄がすぽーんと飛んで行った。


 ***


「ああもう、主はすぐ迷子になるんだから!」
「ど、どこに行っちゃったんでしょう」

 本日何度目になるか分からない溜め息は、歌仙から漏れたものだ。彼のお供をしている五虎退も、オロオロと周りを見渡して、主の姿を探す。
 彼女の姿を見失って、早一時間。また今回も、縁日を辿ってふらふらとほっつき歩いた結果、はぐれてしまったのだろうということは、二人も想像がついていた。
 一年目は、本人曰く想定外の出来事が起きて、はぐれてしまった。それはまだ許せたが、二度目の縁日で屋台に目移りして消えてしまった件については、歌仙はしっかり覚えていた。
 祭りが終わる頃には、以前のように縁日の片隅で綿飴や林檎飴に舌鼓を打っている姿を、発見できるだろうとは思っているので、口で言うほどには心配はしていない。何せ、ここは刀剣男士と審神者が集まる夏祭りなのだから。
 主と繋がっている感覚が残っている、という点を踏まえても、彼女がそこまで遠くに行っていないことは明らかだ。
 だが、それはそれ、これはこれ、である。
 目の届かないところで、彼女が何をしているのかと思うと胃が痛くなるのが、この本丸の歌仙兼定という刀剣男士だった。

「堀川。きみは主を見ていないかい」
「僕は兼さんの面倒で手一杯だから、歌仙さんにお任せするって話だったじゃないですか。あ、兼さん待って」

 縁日にテンションを上げている相棒の青年に振り回されている少年は、歌仙につれない返事を投げてから、雑踏の中へと消えていく。
 残された主捜索隊は、はあと息を吐きながら再び彼女の捜索に戻ろうとする。しかし、

「――ああ。君も来てくれたんだね」

 雑踏から姿を見せた人物を見て、歌仙は肩を竦めてみせる。

「それじゃあ、今年はきみにもう任せていいかな」

 歌仙は苦笑まじりに、ある人物の肩にポンと手を置いた。


 ***


 ポーンと勢いよく飛んで行った下駄が、素直に藤の元に戻ってくる――などということもなく、ボスッという音と共に下駄は草っぱらに落ちてしまった。当然、取りに行ってくる誰かもいない。

「皆、本当にどこ行ったんだろう」

 彼女が今休んでいる場所は、夏祭りの会場の中でも端の端にあたる所であった。申し訳程度に木々に提灯はぶら下げられているが、その灯りも今にも消えるか消えないかと言うほどの淡いものだ。祭りが近くで行われている、というのが嘘かと思うほど、この空間は静寂に満ちている。

「こういう時は、動かない方がいいんだよね。そしたら何故か、そのうち皆が戻って来るから」

 迷子になった彼らが戻って来るのではなく、迷子になった彼女を審神者と刀剣男士との間にある繋がりを利用して見つけに来ているだけなのだが、知らぬが花というものである。
 やむなく彼女はベンチに座ったまま、暫し夏の虫の音を楽しんでいた――が、不意にきゅうとお腹が切ない音を立てる。

「お腹すいた……焼きそば大食い選手権やってたなあ。あれ、出場しておけばよかったかな」

 そんなことを漏らしてみるも、後の祭りである。
 そもそも、彼女はとある理由で今日は祭りでの飲み食いを控えていた。歌仙たちが、この日のために送ってくれた浴衣を汚したくないというのも、理由の一つではある。
 だが、もう一つの理由を考えて、藤は小さくため息を零す。

「やっぱり、来ないかなあ」

 歌仙たちが、ではなく、別の人物に少しだけ思いを馳せる。
 胃の中と合わせて、言い知れない寂寥感を覚えながら過ごしていると、不意に誰かの話し声が藤の耳に入った。目を閉じて、半分眠りながら退屈を誤魔化していた藤は、ぱちくりと瞼を開く。
 視界の端に見えるのは、秋の草を思わせる淡い金の髪。それに、聞き馴染みがあるような声。いつもと少し違う声音の気もするが、覚えのあるものであることは間違いない。
 藤は勢いよく顔を上げる。片足が素足なのも気にせずに立ち上がり、想像通りの見慣れた後ろ姿を追いかけ、

「髭切!!」

 声をかける。が、

「え、誰?」

 振り向いた彼は――髭切であっても、彼ではなかった。

「兄者、知り合いか?」
「ううん。それよりほら、早く向こうに戻らないと」
「兄者が、こっちにも行ってみたいと言ったのだぞ。まったく、いつもいつもだな……」

 薄い緑の髪をした男性――彼の弟である膝丸は、困ったような顔を見せて、兄の後を追いかける。まるで、藤のことなど最初から眼中にないかのように、二人の背中はどんどん小さくなっていく。

「……間違えた」

 藤が漏らした言葉が、今起きたやり取りの全てだった。
 あの髭切は髭切であっても、違う本丸の髭切だ。隣にいた膝丸もそうだろう。
 同じ顔をしていても、同じ立ち姿をしていても、違う者がいると頭では分かっていたはずなのに。思った以上にショックを受けている自分がいることに、彼女は衝撃を感じていた。

「それに、そもそも髭切は来てるかも分からないのに」

 彼を含めた数人の刀剣男士は遠征先の調査報告が長引いて、出かけるときにちょうど帰ってくると連絡していた。
 遠征部隊長である小豆長光は「すぐにむかう」と言ってくれたが、疲れが残っている彼らが本丸での休息を選択した可能性はゼロではない。
 いや、寧ろその確率の方が高いだろう。自分だったら遠出したその足で、夏祭りに行きたいとは思えない。

「もしかしたら、膝丸と楽しんでるかもしれないのに」

 彼と、待ち合わせの約束をしているわけでもない。本丸にやってきた弟を歓迎していた髭切は、弟と過ごす時間を選んだのかもしれない。先ほど自分の目の前を通り過ぎた二人を思うと、この想像は現実味を帯びたものに感じられた。

「歌仙たちが来るまで、ここで待つしかないよね」

 地面に下ろした片足から、ひんやりとした土の感触が伝わる。まるでそこからじわじわと熱を奪われたかのように、藤はその場に立ち尽くしていた。

「……何してるんだろう」

 彼が来るわけでもないのに、勝手に期待をして声をかけて馬鹿を見た。好きな縁日の買い食いも我慢したせいで、お腹はすっかり空っぽだ。
 それもこれも、結局彼が来ないのでは意味がなかった。
 諦めたように俯いてため息を吐き、せめて草むらに落ちた下駄だけでも回収しようと手を伸ばしたとき。
 ひょいと、横から伸びた手に下駄を掠め取られる。
 その手は――いつも、見慣れている彼の手だった。

「こんなところでまた迷子になってるの、主」

 その声は、先ほどと同じなのに、聞き馴染みのある柔らかな声だった。
 もしかして。
 小さな期待の蕾を胸に秘めて、彼女はゆっくりと顔を上げる。
 目に入った顔は、ああ、直感でわかる――彼の顔だ。

「――髭切」
「うん。……何かあったの?」

 いつもならどこを歩いていたのかとか、迷子になっていたのかとか、すぐに言葉を重ねる彼女が珍しく感極まったかのように口を閉ざして、こちらを見つめている。
 まるで、待ちあぐねた思い人をようやく見つけたような、熱のこもった視線だ。

「来ないかと、思ってたから」
「主が折角あれこれ僕らの分も準備してくれていたのに、行かないなんてことはないよ」

 遠征部隊たちも遅れて祭りに参加していると聞いて、藤の顔に小さく笑顔の花が咲く。
 話しながらも、藤は素早く目の前の青年の装いに目をやった。
 浴衣自体は数年前に彼が用意した、黒地に白や金、赤の菊柄をちりばめたものだ。少々派手なようにも思うが、髭切の堂々とした振る舞いは、着物の柄に負けるようなものではない。
 普段は下ろしている髪の毛を一つにまとめているせいで、首筋や普段隠れている耳が今日はよく見える。何気ないいつもと違う姿に、一瞬どきりとしたのは気のせいだろうか。

「主は歌仙たちが選んだ浴衣にしたんだね」
「うん。そうなんだけど……」

 歯切れの悪い言葉の濁し方をして、彼女はじっと髭切を見つめていた。その瞳が、何かの期待を孕んでいることに気がつき、髭切は主である彼女の姿を上から下まで素早く観察する。そして、

「白い帯にしたんだ。よく似合ってるよ」

 さらりと口にした髭切の言葉に、藤は嬉しそうにパッと顔を輝かせる。
 たしかに浴衣自体は、本丸の皆が選んで送ってくれたものだ。だが、肝心の帯は彼女自身が選びたいと言った。
 彼女が選んだ帯。
 その色は――白。何があっても隣に居続けてくれた、目の前の彼が普段纏う色。
 緑の小花が散った白の帯は目立ちすぎず、かと言って浴衣の柄に負けることもなく、彼女の装いに彩りを与えていた。

「ありがとう。その……似合ってるって、言ってくれて」
「礼を言われるようなことを、したつもりはないんだけどなあ。でも、どういたしまして」

 言葉とともに、彼の手が藤の柔らかな髪の毛をくしゃくしゃと撫でる。彼の手つきの暖かさに、藤は思わず頬を朱に染めた。
 彼女が夢心地に浸っているのを十分嬉しそうに眺めてから、髭切は撫でる手を止める。掴んでいた藤の下駄を、彼女の素足の前にちょんと置き、

「ところで、どうしてこんなところに片足で立ってたの。唐傘お化けの真似?」

 問われた藤は、ゆるゆると首を横に振った。

「違うよ。下駄は僕が放り投げたからだけど。ここに立っていたのは、さっき別の本丸の髭切が通りがかって、間違えて声かけてしまって。誰って言われてちょっと……落ち込んだと言うか」
「へえ。別の僕に声をかけたんだ」

 そこまで口にした藤は、髭切の相槌に含むものを覚えて恐る恐る顔を上げる。だが、暗闇のせいで彼の表情をはっきりと知ることはできない。

「来ないかもしれないと思っていたのに、他の本丸の僕にわざわざ声をかけたんだね」
「ご、ごめんなさい」
「違うよ、謝って欲しいわけじゃないんだ。ただ、そこまで必死になって探してたんだなあって」

 言われて、藤はぼっと火に炙られたように顔を赤くする。
 これが見知らぬ刀剣男士なら、あるいは間違えたのが歌仙や堀川たちなら、あんな態度をとられたとしても、道の真ん中で立ち尽くすほど落ち込みはしなかっただろう。
 泡を食って動揺を見せる藤に、髭切はにこにこと楽しそうな微笑みを浮かべる。

「必死になったと言うか、ただ、来ないかもと思って、ちょっと悲しかったと言うか」
「僕が来るか来ないかで、そんなに一喜一憂してくれていたんだ。それは嬉しいな。ほら」

 あわあわしている藤に、髭切の声が届いたかは定かではないが、彼が差し出した手は流石の藤の目にも入った。
 恐る恐る彼の手に触れると、しっかりとした彼の指が藤の手を握り返す。普段は刀を振るっている五指は、今は柔い彼女の手を優しく、けれども離れることのないように、緩く力を込めて握りしめていた。
 言い知れないむず痒さに、下駄を履き直した足を藤がもじもじさせていると、不意にきゅるるという音が藤のお腹から響く。

「ありゃ。お腹がすいてたのかい」

 空気を読まない腹の虫に呪詛を送りながら、藤は髭切の問いに「少し」と返す。

「珍しいね。夕飯は屋台でとっているものだと思っていたよ。主、屋台のご飯が大好きだものね」
「うん。でも今日は……その、帯が汚れるかもしれないから」

 肯定の後に続く言葉は、蚊の鳴くような声で言ったつもりだったが、幸か不幸か髭切の耳は戦場で鍛えられた地獄耳であった。
 できるだけ、綺麗な姿を見せたい。
 そんないじらしい思いを言葉の裏側に感じ、髭切の口元の笑みが知らず知らず深くなる。

「ありがとう、一番綺麗な姿を僕に見せてくれて。こんなことなら、もっと早く来ればよかったなあ」

 明け透けなほどのはっきりした褒め言葉に、藤の顔は髪の毛よりも尚赤く染まっていく。

「でも、やせ我慢はよくないよ。ほら、お腹が空いてるなら屋台の方に戻ろう?」
「……あのさ。屋台に行ってもいいんだけど――もうちょっとだけ、ここにいてもいい?」

 普段なら、一も二もなく夕飯に賛成するはずの彼女なのに、今日は首を横に振り、先ほどまで一人で座っていたベンチへと彼の手を引く。

「もう少しだけ、二人きりがいいんだけど……あ、でも膝丸とも一緒に見て回りたいだろうし、やっぱり戻ろうか」

 言葉に漂わせたか細い願いを、彼女は掌を返すように否定しようとする。
 だが、今度は髭切は首を横に振って、彼女をベンチに座らせた。

「いいよ。もう少しだけ、こうしていようか」
「…………うん」

 隣に腰掛けた髭切にもたれるようにして、彼女は暫し彼との二人きりの時間に心を酔わせる。顔中に上った熱は、夏の夜風如きでは引くこともなさそうだった。
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