本編第一部(完結済み)

「何をそんなに焦ってんの?」

 挑戦的な微笑を浮かべた加州の言葉は、あまりに直接的なものだった。その不躾な問いかけに、歌仙は眉間にしわを刻むという形で抗議の意を示す。

「僕は焦ってなんかいないよ」
「でも、主の隣にいるっていうのに、嬉しそうにしてたのは近侍だって紹介されたときだけで、後はずーっとこーんなおじいちゃんみたいなしわしわの顔してさ」

 その細面にわざとらしいまでのしかめ面を、加州は浮かべてみせる。顔を戻してから、肩にかけた細い自分の黒髪を指で弄びながら彼は言葉を続けた。

「もしかして、他の刀剣男士に妬いてたりする? 大事な主の視線を奪われちゃってさ」
「そんなつもりじゃない!!」

 ばんと机に掌をたたきつけて、歌仙は立ち上がる。思った以上に大きく響いた音のせいで、喫茶店にいた店員や客の視線は一気に歌仙に向けて注がれた。慌てて加州が愛想笑いを浮かべ、掌をひらひらと振り、周りの客人たちに何でもないのだ、と示してみせる。
 ようやく視線が外れ、席に座り直した歌仙に加州はじとっとした視線を送った。

「ちょっと。あまり目立つようなことしないでよね。俺が主にまた怒られるじゃん」
「きみが僕を怒らせるようなことを言うからだろう」
「でも、当たってたんじゃないの?」
「……関係のない話だろう」

 完全に否定しきることもできず、歌仙は拒絶という形でこの話題から逃げようとした。けれども、その程度のことでは加州の舌は止まらなかった。

「確かに俺には関係ない話だけどさ。そのままだと無茶して主を泣かせそうかなと思って」

 気のないような声音ではあったが、隠しきれない実感がその言葉には込められていた。きっと目の前のこの青年も、かつて今の自分が抱えていたものと、似たものを抱いたのだろう。歌仙の直感がそのように囁き、胸中に燻る加州への苛立ちが僅かに鎮まる。

「あの審神者さん――藤っていうんだっけ? 自分の本丸以外の刀剣男士を見るのは初めて?」
「ああ。そのはずだよ」
「それで、他の刀に目移りしているみたいで、歌仙は苛々していたんだ」
「……そういうわけじゃない。そもそも、きみの前ではそんなにあちこち目移りしている様子は見せていないだろう」
「実は、俺があんたに声かける前からちょっと観察してたんだよね」

 加州は、にやりと悪戯っ子のような笑みを見せる。
 それは、即ち見知らぬ刀剣男士に注視されていたのにもかかわらず、気がつくことができなかったということだ。己の失態に気がつき、歌仙は内心で歯がみした。

「あの子、やけに熱心に試合を見てたから目に留まってさ。そしたら隣にいる刀剣男士が仏頂面してるもんだから、余計気になったってわけ。おおかた嫉妬でもしてるのかもしれないけれど」
「そんな簡単な言葉で、表せるものではない」

 歌仙はすっかり冷たくなったティーカップを包むように手を添えた。琥珀色の水面には、自分でも情けないと思うほどの渋面を浮かべた男の顔が映っている。

「……主が、新しい刀剣男士を顕現したがっているというのは、さっき聞いただろう」
「うん。それで下見に来たんだっけ」
「ああ、そうだよ。ただ、それだけではないんだ」

 心中に溜まっている淀みを見知らぬこの刀剣男士に吐き出したところで、何が解決するというものではない。しかし、本丸に戻って五虎退たちに打ち明けることもできない。
 堂々巡りのまま凝り固まった思いは、行き場をなくし、とうとう歌仙の口から言葉という形となる。

「主はご覧の通りまだ若くてね。それに、一人で何でもできるほどの完璧な人間でもない。料理をすれば焦がす、皿を洗えば割る、そのくせ疲れたらすぐに休むと言い出す始末。得意なことは木登り山登り畑いじりと、生粋のお転婆で」

 そこまで言って、歌仙は視線を感じて顔を上げる。見ると、加州がやけに楽しそうに口元を緩めて歌仙を見つめていた。どことなく恥ずかしさを覚えて、歌仙はごほんと咳払いをする。

「そんな主だけれど、悪い所ばかりじゃないんだ」

 はっきりと口にはしなかったものの、歌仙が瞼を閉じればこの数ヶ月の間に過ごしてきた日々がありありと思い浮かべられる。
 出陣をして負傷をしてしまったことを、叱るでもなくただ側にいてくれたこと。遠征を経て迷いを心に抱いていたときも、闇雲に励ますのではなく彼の考えを受け入れようとしたこと。それ以外も、部屋に置かれている硯と筆が、彼への藤の思いやりを如実に表している。

「だから主が僕を支えてくれる分、僕も主を支えたいと思っている」

 顕現したそのときから、どこか頼りないところが垣間見える人物だと思っていた。だからこそ、最初に選ばれた刀剣男士として彼女を支えていけたらと、彼は当然のように思っていた。

「……ただ、先日少し弱音を吐いてしまってね。直後に、僕が頼れるような刀剣男士がいた方がいいのではないかと、言われたんだよ。その翌日に新しい顕現の話が出たものだから」
「あ、それは確かにちょっときつい。俺もそんなことあったら頭が真っ白になる」

 加州も思い当たることがあるのか、ちらりと窓の向こうにいる自分の主に視線を送る。
 加州には言うことができなかったが、苛立ちや焦りが生まれたのはそのときだけではなかった。
 初陣のとき、歌仙は重傷を負っている。藤は素知らぬ顔で手入れをしてくれていたが、その後に会話をした時のことは今でも覚えている。たとえ時間遡行軍が来ても追い払うと言ったとき、彼女はじっと歌仙を見つめていた。まるで、その言葉を疑うかのように。そんな怪我をしてきた者が、信用できるかと言わんばかりに。
 彼女より多少強かったところで、肝心の時に彼女の身を守れなければ意味はない。己の力不足を責め立てているような視線は、忘れることなどできなかった。

「主に、僕はもう必要ないのではと、思ってしまってね。新しく顕現される刀剣男士が何者かは分からないが、彼の方が上手くやれるのではないかと考えて、どうにも気が立ってしまって仕方ないんだよ」
「でも、あんたが試合しているとき、あんたの主はずっとあんたのことを見てたよ」

 投げやりに言葉を吐いていた歌仙は、坂道を転げ落ちていくように悪い方へと落下していく思考が、加州の言葉を聞いてピタリと止まるのを感じた。加州の紅の瞳を、歌仙の青緑の両眼が見据える。

「不安そうにしていて、歌仙は大丈夫かなって顔をしてた。たしかに、歌仙兼定という刀剣男士に任せたら何でも大丈夫って思っているわけじゃないかもしれない。でも、あんたのことを必要ないと思っているような目じゃなかったと、俺は思うよ」

 加州との一騎打ちに夢中になり、彼を倒すことで頭がいっぱいになり、主がどんな思いであの試合を見ているのかということは彼の頭から吹き飛んでいた。それどころか、心配から声をかけた彼女の手を振り払った。あんなに強く、あざが残るほどに。
 彼女が席を外していてよかったと、歌仙は今心底から思う。でなければ、どんな顔をして彼女に顔を合わせればいいのか分からなかった。

「……何を言っても大丈夫と思われていないから、隠し事をされてしまうのだろうか」
「どういうこと?」
「主は僕たちに、何か隠し事をしている。でも、いくら待っても問いかけても何も話してくれない」

 五虎退のように待つ勇気も持てず、踏み込んだ結果があの日の夜だ。心の内を明かすように説き伏せるどころか、ただ徒に彼女を追い詰めてしまった。やり場のない苛立ちにすり替わっていた後悔は、またも歌仙の胸の内で黒々と主張を始めていく。

「いつも肝心なときには、顔を逸らして誤魔化してしまう。それでも、笑ってはいるからいつかは話してくれるのだろうと思っていたんだ」

 顕現したばかりの時は然して気にするほどのものでもなかった。そういう性格なのだとか、人間とはそういうものなのだとか、適当な言い訳を見繕うことができた。けれども、もう言い訳のタネも限界に近い。

「顕現してまだ二ヶ月ちょっとでしょ? 流石にそれで何もかも話せってのは無理だと思うよ」
「でも、僕らにとってはただの二ヶ月じゃない。刀から人の身を得て、初めて共に過ごした主との二ヶ月なんだ」
「ストップ。流石に俺たちの感覚に人間の主を付き合わせるのは無理があるよ」

 言葉に熱を込める歌仙とは裏腹に、加州は一歩引いた落ち着いた声で身を乗り出しかけていた歌仙を元の席へと押し戻した。
 顕現したての歌仙たちにとってこの二ヶ月はまさに目まぐるしく、同時に鮮やかなものだった。その鮮やかさに目を奪われて特別視してしまったからこそ、主と深い関係ができてしまったように錯覚したのだろうと、話を聞きながら加州は考える。

「歌仙にとっては二ヶ月も一緒にいたって思っても、あの子にとってはたったの二ヶ月に過ぎないってこともあるでしょ」
「しかし」
「それだけ信頼してほしいっていうならさ。その気持ちをぶつけちゃえばいいじゃん」

 加州は自分の紅茶を一口啜り、一拍置いてから言葉を続ける。

「歌仙が今俺に話したみたいに、すっごく沢山考えてることをあの子に話してみようよ。ただ質問するよりかは、主も本気になって応えようって思えるんじゃない? ほら、すれ違いってあるじゃん」
「ただ尋ねるだけじゃだめだと、言いたいのかい」
「うん。歌仙は通じているつもりでも、実際は通じていないのかもしれない。分かったつもりになっていても、実際は何も分かっていないのかもしれない」

 この会場に来たばかりの歌仙なら、主のことを分かっていないなどと言われれば即座に立ち上がって抗議をしていただろう。けれども、加州のおかげでいつもの冷静さを取り戻しつつある歌仙は、黙って彼の言葉の続きを待つことができた。
 加州は窓の向こうにいる主に目をやり、何かを懐かしむように目を細める。

「俺もね。結構焦ったり嫉妬したりしたんだよ。可愛がってもらえないって他の刀剣男士を妬いたり、出陣先で馬鹿なことしたり、色々あったんだよね。だから、他の刀がそんな気分でいると、なんとなく見てるだけで分かるようになってさ」

 彼の形の良い唇に、歌仙を励ますような微笑が浮かぶ。先ほどまでの挑発的な笑みではない。主に愛されていることを自覚した、後輩を励ます先輩としての刀剣男士の姿がそこにはあった。

「信頼して欲しいなら、その分の信頼を態度だけじゃなくて言葉でも見せてみる。話さないと分かんないってことあるよね」
「……話しても、応えてくれないならどうすればいい?」
「諦めないで粘ってみる。俺たちが色々こうして考えているみたいに、主も沢山考えてるんだよ。それを上手く言葉にするのが難しいだけっていうなら、やっぱり話してもいいかって思えるぐらい信頼してもらわないとね」

 さらに、ぴんと人差し指を立てて加州は続ける。

「あと、新しく顕現する子に期待するのは、審神者として当たり前のことだと思うよ。まだそんなに俺たちに会ったことがないなら尚更ね。でも、それならやっかむより先にすることがある。そんな期待を抱えている主を受け入れて、ついでに新人が困らないように頑張るのが、俺たち最初に選ばれた刀剣男士の役目かなって思うんだ」
「最初に選ばれた刀剣男士……きみもなのかい?」
「そう。川の下の子、加州清光。扱いにくいけど、性能はピカイチってね。そして今は、あの主に愛されているって胸を張って言える刀剣男士だよ」

 照れくさそうに、だがどこか誇らしげに笑う加州の姿は歌仙にはとても眩しいものに見えた。軽薄そうな言動に対する侮りなどは、最早微塵も彼に抱くことはない。目の前にいるのは、歌仙より一歩主と共に歩む道を先んじている、優秀な先達だった。

(ああ、そうか。彼はあのときの)

 加州の笑顔を見て、歌仙はまさに二ヶ月前のことを思い出す。万屋に初めて赴いた折、主がじっと見つめていた二人組。
 ――それが、今ここにいる加州清光とその主だった。
 あの日、歌仙は他の刀剣男士に目を奪われた主に言い様のないもやもやを抱えていた。今なら、そのもやもやが何かはっきりと分かる。あのときと似た感情を抱いて彼らに再会するというのは、まるで何かの運命の悪戯のようだ。
 加州につられるようにして、歌仙は肩を竦めて微かに微笑んだ。

「まったく、何から何まできみの言う通りだね。僕も、一つ前に進んでみるよ」

 己が抱えていた執着は、今は風が吹き込んだようにどこにもなかった。
 実際新たに顕現する刀剣男士を見たのなら、やはり某かの感情は抱えてしまうのだろう。だが、その思いを克己心に変えていけばいい。
 今までと変わらない歌仙兼定としての全力を振るい、彼女と共に歩んでいこう。そして、いずれ主が黙して隠している何かについても問いかけていこう。拒絶されたとしても、五虎退のように待ち続ける強さを持とう。
 彼女が抱えている秘密が何であれ、自分は受け入れてみせる。新たな決意と共に加州を見据える歌仙の瞳は、澄んだ清流と同じ清冽な色をしていた。


 ***


「歌仙。今日は付き合ってくれてありがとう」

 演練会場から本丸に戻ってきたその日の夜。夕飯の準備をしている彼の背中に向けて、主の声がかけられた。
 スミレたちと別れて帰る途中、何か思うところがあるのか、藤は心ここにあらずの態度をとり続けていた。本丸に戻ってからも、暫く自室にこもって仕事をしていて話をする機会はなかった。そんな彼女が、唐突にお礼を告げてきたので、歌仙も思わず手を止めて振り返る。

「それと、ごめん。嫌な思いさせてたよね」

 藤の手は、無意識に歌仙に払われた方の手をさすっていた。既に赤みは引いていたが、彼女が気に病んでいるのは明白だ。

「いや。僕の方こそ感情的になってしまって主に当たってしまった。申し訳なく思っているよ」

 歌仙は藤に向き直って頭を下げる。藤は慌てたように彼に駆け寄り、何度も小さく首を横に振った。彼女に促されて頭を上げると、そこにはいっそ滑稽なぐらい狼狽を露わにした主がいた。

「僕はきみの刀として、未熟で頼りない所があるのだろう。だから、きみがそういう風に思ってしまうのも仕方ない。ただ、できることなら僕のこの先を、これからも見守ってほしい」
「……歌仙?」

 加州とのやりとりを聞いていない藤にとっては、歌仙の言葉はあまりに唐突過ぎるものだった。だが、先日の夜のやり取りと自分以外の審神者に言われた言葉は藤の中にも残っている。己がとった態度と歌仙の今の言葉を聞けば、彼の心中を予想するのは藤にはあまりに容易いことだった。
 歌仙の心持ちを知った彼女は、しかし数度首を横に振る。歌仙が傷ついたように顔を曇らせたとき、

「……違うんだ。僕が、言わなかったから」
「主?」

 今度は歌仙が疑問を投げかける側になった。藤は自分の胸に手をあて、服に皺ができるほどぎゅっと握りしめる。まるで、うるさすぎる心臓の高鳴りを抑えようとするかのように。

「前もそうだったんだ。上手く言えなくて、そのままずるずると引きずって、変な形で知られて。そんなのは嫌だって思ったのに、またここでも同じことをしてしまってた」

 顔を上げた彼女は笑っていた。いつもより不格好で引き攣れた顔ではあったが、そこには精一杯の笑顔があった。

「今夜、鍛刀をするよ。そのときに話があるんだ。君にも、五虎退にも、物吉にも。新しく来る刀剣男士にも」

 心臓はまるで全力疾走をしているように速い鼓動を刻んでいる。手の中に汗がびっしょりと滲んでいるのに、体は妙に冷え切ってしまっている。耳の奥では、わんわんと意味の無い耳鳴りが響いている。けれども、彼女は言葉を口にするのをやめなかった。

「君たちなら、受け入れてくれると信じたいから」

 対する歌仙は、胸の奥に微かな動揺を感じていた。
 主が隠している何かを打ち明けようとしている。そのことは嬉しいはずなのに、彼女の様子があまりに不安定なものに思えて、彼は素直に喜ぶことができなかった。
 彼自身がその不安に明確な答えを見つける前に、藤は踵を返して厨から姿を消してしまっていた。




 夕食を終えて風呂まで済ませた主は、ある空き部屋に立っていた。
 歌仙には先に伝えていた通り、そこには先ほど鍛刀を終えたばかりの刀が白布に包まれて刀掛けに置かれている。反りのある刀身は優美ではあるが、華奢さだけではなくある種の迫力も兼ね備えていた。見るだけで、何も知らない人間にすらその存在が只者ではないと知らしめる――そんな一振りだった。
 その前に立ち、藤は一つ息を吐く。彼女の後ろには、歌仙に物吉、五虎退が控えていた。

(…………最初から、こうするべきだったんだ)

 心配そうにこちらを見ている歌仙は、予め話があると伝えていたからだろう。その心配を素直に受け入れるべきだったのだと、藤は自分に言い聞かせる。
 藤は置かれている刀に手を伸ばすのではなく、くるりとその場で歌仙たちに向き直った。前回の顕現を知っている五虎退は、彼女が何故振り向いたのか分からず、不思議そうな顔でこちらを見つめている。

「顕現が終わったら、君たちにも、新しくやってくる刀剣男士にも、話したいことがあるんだ」
「……あるじさま?」

 五虎退の不安そうな問いかけをよそに、藤は自分の額に巻かれたバンダナに手をかける。彼女の名と同じ、藤色の布の結び目に手をかけたその瞬間、

「主様。いいんですか?」

 物吉が何かを確認するよように質問をした。彼女の目が物吉の琥珀色の両眼を捉える。彼の目は、ただ純粋に主を慮る思いに満ちていた。彼の気持ちが手にとるように分かるからこそ、藤は小さな頷きだけを返事とする。
 するりと、彼女の額から布が滑り落ちる。
 いつも額を覆っていたそれの下に隠されていたのは──小さな、一対の角だった。

「――――っ!」

 微かに息を呑んだのは誰だったか。
 電灯の白い明かりを受けて、それは薄い緑を帯びて確かに彼女の額から『生えて』いた。作り物ではない、妙な生々しさと非現実的な硬質さが兼ね備わったその存在は、異質で奇妙で――それでいて、人の目を惹きつけるものだった。
 話は顕現が終わったらという宣言通り、彼女は余計な言葉を挟まず再び三人に背中を向ける。それも、結局三人の顔を見るのが怖かったからではないかと、藤は内心で自分の臆病さに苦笑いを零す。同時に、何も問わないでくれた三人の優しさに、感謝の念も抱いていた。
 改めて刀掛けに置かれた刀身に向き直り、彼女は唇を引き結ぶ。

(君には最初から、ありのままを見せるよ。だからどうか、受け入れて欲しい。この決意が鈍らないように、何でも無いことのように受け入れてほしい)

 彼女は手を伸ばす。ふわりと、微かな甘い香りが鼻をよぎっていく。藤の横を通り過ぎていくのは、その名前の通りの鮮やかな紫の花びら。風がゆるりと巻き起こり、光でできた花びらたちは踊るように広がっていく。
 震える指先で、迷うこと無く彼女は刀身に触れる。
 ここに来て欲しい。歌仙たちの助けになってほしい。彼らの良き友となってほしい。
 ――そして、できるなら『私』のためにも。

 ぶわりと光が膨れ上がり、花びらが何かを形作っていく。
 だが、それが収まるのも待たず一筋の銀が彼女に向かって一直線に向かっていき――
 パッと鮮やかな紅が、紫の中を舞った。
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