本編第四部

「今度行う大規模演練の参加者を募ろうと思うんだけど、まずその前に、演練の内容について説明するよ」

 皆に向けて話ながら、藤はぱっぱと端末を操作する。
 普段は食堂代わりに使っている二間続きの和室では、今まさに、車座になって軍議ないしは演練説明会が開かれていた。
 演練への話が持ち込まれてから、三日後。藤が資料を読み込むのに二日、読み込んだ後に説明する段取りを考えるのに一日を要した後のことだった。
 皆に見えるように、大きく宙空に広げられたホログラムの画面。そこには、どこかの雑居ビルのような建物の写真が表示されている。

「大規模演練は、室内における乱戦で審神者を守りながら、不測の事態において、どれだけ時間遡行軍を倒せるかを主眼に置いた演練なんだって。だから、今回の演練には僕も参加する」

 まず言わなければならない内容を、さっさと口にする。
 案の定、平岡支部長の説明を聞いていた歌仙以外の面々からは、ざわざわとさざ波のような動揺が伝わってきた。

「勿論、僕の安全は一応保障してもらっている。でも、演練の鍵を握るのは皆じゃなくて、僕が無事かどうかってことになるらしいんだ」

 いくら刀剣男士が無事であっても、審神者が殺されていては意味がない。
 だからといって時間遡行軍を倒さなければ、得点は稼げない。
 出陣する刀剣男士には、臨機応変な対応が求められる。

「審神者がもし敗退した場合、その場で刀剣男士は全員失格。順位争いにすら入れない」
「順位ってことは、誰かと競うのか」
「その通りだよ、和泉守。他の審神者や刀剣男士と、時間遡行軍の討伐数を競うことになる。勿論、時間遡行軍っていっても、時間遡行軍役が割り振られた刀剣男士であって、本物の遡行軍じゃないそうだけどね」

 藤の聞いた話では、建物の規模に応じて最低三から、多くても六つのチームと争うことになるらしい。その他にも、歴史修正主義者としての裏切り者役や、ただの巻き込まれた民間人役の者もいるそうだ。
 競争相手が手と手を取り合って仲良く時間遡行軍役を譲り合えって戦えば事態は丸く収まるが、実態はそうではないだろう。

「僕が連れて行ける刀剣男士は、三振りまで。室内の、しかもかなりの乱戦が用意され、尚且つ僕を護衛しながらの戦闘になる。勝てばいくつか資材を融通してもらえるし、万屋の商品券も幾つかくれるみたいだけど──言ってしまえば、それまでだ」

 政府とて、出場しなかった者や敗北した者が極端に不利になるような条件を課す真似はできない。そんなことをしたら、政府から審神者へ参加を強制する圧力になってしまう。

「だから、もちろん勝ちに行くつもりではあるけれど、それ以上に僕は皆に経験を積む機会として、この演練を利用してもらいたい。普段の演練会場では、室内の戦いを経験するなんてできないから」
「それならば、やはり僕は辞退しよう」

 真っ先に手を挙げて、しかし同時に不参加の意思を露わにしたのは歌仙兼定だった。
 その隣で「それなら僕も」と続いたのは五虎退、同じく物吉貞宗も深く首肯している。

「ボクたちは、室内での戦闘で指揮をとった経験もあります。主を守りながら戦った経験こそありませんが、本丸でも軽い模擬戦はできますから」
「そうですね。僕も、他の皆が参加した方が……いいと思います」

 この三人については、藤も既に分かっていたので、素直に受諾する。
 本丸設立当初から出陣する部隊を支えてきた面々は、確かに強い。だが、彼らにいつも頼りっぱなしではいけないとは、皆が承知していた。

「じゃあ、他の人はどう?」



 皆の意見に耳を傾けている主を見ながら、髭切はそっと視線を彼女から外す。
 演練の内容は理解した。主が参加すると聞いて、少し驚かされたが、自分の普段と違う戦いの姿を主に見せられるのだと、一瞬気分が高揚した。自分が真っ先に選ばれたいと、身を乗り出しかけた。

(いやいや、駄目だよ。それじゃよくないんだ)

 だが、浮き足立つ自分を、髭切はぐいと押さえ込む。
 無論、どうしても来てほしいと頼まれれば、参加するつもりはある。しかし、自分は本来物吉たちと同じように、辞退する側の立場だと自覚もしていた。
 髭切は、本丸の中では四番目に顕現された刀剣男士であり、部隊に人が足りなかった時期は、自分にとって不得手な戦場でもお構いなしに出陣をしていた。おかげで、室内戦での動き方も少しながら分かる。
 何より、室内戦はそもそも太刀を振るうのに向いていない。狭い場所では長い得物は、柱や壁に引っかかってしまい、行動に制限ができてしまうからだ。
 勝ちに行くつもりがあるのなら、室内戦で太刀の刀剣男士である自分は選ばれるべきではない。そんなことは、顕現したての刀剣男士だって理解できる理屈だ。

(選ばれるべきは、打刀や脇差、短刀の刀剣男士たちだ。他の太刀の刀剣男士に経験を積ませるにしても、せめて僕じゃなくて弟か小豆か――)

 そこまで考えて、先日目にした主と小豆の親しげな様子が目蓋の裏に蘇る。たったそれだけのことで、心の奥底が不自然にざわつく。
 嫉妬。
 自分じゃない、他の誰かが選ばれるという事実に対する、妬ましいという感情。
 主の一番でいたい――重宝としての矜持なのか、それとも物としての本能的な欲望なのか。
 はっきりとは分からないけれども、良い感情ではないのは確かだ。
 自分は源氏の重宝ではあるが、だからといって本丸の中で随一の宝というわけでもない。この本丸には、ありとあらゆる時代の名刀の付喪神が集っているのだから。

「ねえ、主」

 こんな感情はさっさと切り離すべきだと、髭切は口火を切る。

「何かな、髭切」

 こちらを向く彼女の瞳が、微かに期待を宿しているなどと思うのは、自分の独りよがりな思い込みだろう。

「室内戦なら、太刀は連れて行かない方がいいよ。それに、大太刀も。だから、僕や次郎はお休みかな」
「えー、次郎さんも大暴れしたかったのに!」
「まあまあ。現代の建物は狭いから、大太刀を振り回す余裕がないと思うんだよね。勿論、太刀も。それに、僕に限って言うなら、経験は沢山積んできている。だから、他の者にこの機会は譲るよ」

 後輩たちのことを思って、貴重な機会を譲る先達としての言葉を、髭切は口にする。
 ごく自然に、それが当然であるかのように、何も感じていないような口ぶりで。
 予め宣言してしまえば、主も無理に髭切を連れて行こうなどとは言い出さないだろう。その予測に安堵するような、或いは落胆するような、不思議な感情が、体の内側でぐるぐる駆け巡っている。

「じゃあ、太刀と大太刀の刀剣男士の皆にはお留守番になってもらうわけだけれど、いい?」

 念のため、藤はぐるりと太刀の刀剣男士たちを見つめる。髭切を筆頭に、この本丸には膝丸、小豆長光と三名の太刀の刀剣男士がいる。
 小豆は素直に頷き、膝丸も論拠がある以上、反論もできなかったのだろう。神妙な顔で首を縦に振っていたが、少し不満げなのが髭切にはよく分かった。兄に追いつこうと、弟は弟なりに奮闘しているらしい。

「じゃあ、残りは短刀か打刀か脇差で……」

 太刀と大太刀の四名を除き、更に歌仙たち先輩組が辞退するとなると、結果的に残るのは三名だ。
 丁度、出場が可能な刀剣男士と同じ数でもある。

「乱藤四郎」

 星屑のような輝く金髪を持った少年が、空色の瞳をくるりと煌めかせる。

「堀川国広」

 自分が呼ばれると思っていなかったのか、大きな瞳を少年は見開く。

「和泉守兼定」

 そして、臙脂の着物を羽織った青年が「おう」と短く応じた。
 髭切は、主に気付かれないように、そっと瞑目した。



「部隊長は誰に?」

 誰が行くかを決めてから、間を置かず歌仙が主に問う。
 後から揉めることがないように、今のうちに論争になりそうなものは排除しようという、彼なりの計らいだ。
 自分が呼んだ三名の刀剣男士を、それぞれ確かめるように、藤は一人一人見つめる。
 乱藤四郎は経験を積んでいてしっかりもしているが、彼は短刀の刀剣男士だ。歌仙に教えられたところによると、短刀の刀剣男士はよく斥候の任務に就く。斥候役が部隊長では、指揮が執りづらいだろう。
 和泉守兼定は、まだ出陣の回数も多くない。歌仙の話では、少し短慮な部分もあるようだ。だが、彼は人を率いるための力と、皆を惹きつける魅力は兼ね備えている。
 堀川国広は――

(正直……彼は、何だかちょっと、迷っているみたいだ)

 自分がそう見えているだけで、実際は違うのかもしれない。ただ、堀川がこちらを見る目には、いつも僅かに躊躇いがよぎる。
 ほんの数秒とはいえ、その躊躇いが致命的な結果を招いてしまった場合、後悔するのは堀川本人だろう。それならば、

「……和泉守。部隊長を任せてもいい?」
「おう。任せろ。絶対、あんたを勝たせてやる」
「期待してる」

 主が任せた以上、他の刀剣男士たちが口を出すことはできない。誰が選ばれるのかという期待と緊張に満ちた空気が弛緩し、代わりに和泉守や他の参加者への激励が部屋に飛び交う。
 藤も肩の荷が下りたといった様子で、歌仙へと無言のまま頷いてみせた。


 審神者然とした仕事を終え、藤は夕刻の縁側で通り抜ける涼風に身を委ねていた。
 軍議や打ち合わせの場というものは、まだまだ自分には荷が重い。だからといって、何もかも投げ出してしまうのもよくないと分かっている手前、知らぬ振りをするわけにもいかない。
 故に、自分なりの結論も出せて、更に丸く場が収まると、何だか大きな仕事を一つ成し遂げたような心地になる。

「演練、勝てるかなあ」

 普段の演練では勝ち負けなど全く気にしないのだが、今回のような普段とは違う形式の演練と思うと、ついつい肩に力も入る。
 勝って得られる景品も勿論気になるが、それ以上に勝利したものだけが味わう達成感は、何者にも代え難い。
 藤とて、剣道の試合で数度だけではあるが、勝利を拾ったことはあり、そのときは歓喜の声をあげた覚えがある。

「勝てるかなあ、じゃねえだろうよ」

 不意に後ろから声がして、藤は振り向く。そこには、臙脂色の着物をぞんざいにたくし上げて、帯に挟んだ姿の和泉守がいた。
 彼と至近距離で話す機会はあっても、二人きりの場はあまり経験がないので、藤は僅かに体を強張らせる。彼に怒鳴られたときの記憶は、まだ彼女の中に残っていた。

「勝つつもりでいかなきゃ、勝てるもんも勝てなくなるぞ」

 だが、和泉守の方に他意はない。ざっくりとした普段通りの物言いに、藤も緊張を緩める。

「そうだね。うん。僕らは勝つ。相手がどんな審神者で、どんな刀剣男士だとしても」
「よし、その意気だ」

 ばしばしと背中を叩かれ、藤も活力を得たような心地になった。

「そういえば、試合の最中に気になって集中できなくなってもまずいから、先に聞いておくけどよ」

 首を傾げて続きを促すと、

「あんた、オレのご機嫌取りのために、部隊長に任命したんじゃないだろうな」

 それは警戒の色は薄く、単なる事実確認の問いとは分かっていた。
 だが、問いの意味を汲み取った瞬間、一瞬だけでも、自分の中に彼の言うような邪念が――和泉守との仲直りに部隊長の地位を使ったのではないかと、藤は己を疑った。
 とはいえ、疑ったと同時に、すぐに『違う』と自身で否定はできた。

「乱は斥候をしなきゃいけない。堀川は、本人はには話してないけど、ちょっと不安を感じるんだ。だから、和泉守にお願いしようと思った」

 じっとこちらを見る翡翠の瞳に、曇りはない。故に、自分の判断は間違っていないと確信できる。

「和泉守なら、皆を一番いい形で指揮できると思ったから」
「実はオレがあんたのことを未だ嫌っていて、何かの弾みで怪我させるかもしれないとかは考えないのかよ」
「……あっ」

 自分でも間抜けと思えるような声をあげて、藤は苦笑いを零す。

「想像すらしてなかった」
「だろうな」
「でも、和泉守ならそういうことはしないだろうって信じてるし、もし和泉守が僕を許せないって思って傷つけるなら……うん、それはそれで仕方ないよ。僕が悪かったんだし」

 相棒の堀川が気付いているときに、手入れしたくないと拒絶をしたのは自分だ。その罪を許すつもりはないと、和泉守は宣言している。
 己にとってはどうしようもない事情があったとしても、彼にとって罪業と思えるのなら、それを撤回しろとは藤には言えない。
 人の考えは、その人だけのものなのだから。

「しねーよ」
「ん?」
「だから、そんな罠にはめるような真似、しねえって言ってんだ。何にこにこ笑って、仕方ないとか言ってるんだ、あんた」

 和泉守はぐいと藤に顔を近づけ、その額を軽く指で弾いた。思わずデコピンを貰った彼女は、あうっと声を漏らす。

「あんた、自分が鬼であることについては、ちゃんと話せるようになったって言ってたくせに、なんで自分の身の扱い方がそんなにぞんざいなんだ」
「別に怪我をしたいわけじゃないよ。僕だって自分の身が可愛いし。でも、和泉守が怒るのも、もっともかなーと思って」
「あのなあ。どんな理由があろうが、自分が怪我していい理由にはならねえだろうがよ。そんなんで、本当に勝てるのか?」

 頭の上にぼすっと手を置かれ、がしがしと撫でられる。元々癖毛だった藤の髪の毛は、益々あらぬ方向へと飛び跳ねていった。

「勝てるよ。僕だって万屋の割引券使って、大人買いしたい!」
「そんなら知り合いがいたからって、手加減すんなよ?」
「うっ」

 思わず、数名の知り合いの審神者が脳裏によぎり、藤は呻き声を漏らす。
 同年代の審神者はともかく、自分より幼い審神者から勝利をもぎ取ると思うと、良心が痛んだ。

「が、頑張るよ。だから、和泉守も部隊長、お願いね」
「おう。ああ、それと」

 和泉守は今一度廊下を見渡して、周りに誰もいなさそうなことを確認してから、藤に顔を寄せて声を潜ませる。

「国広のことだけどよ。何か不安だと思ったら、今回の出陣から外してもらってオレは構わねえからな」
「……え?」
「どうにも、祭りの頃から……いや、その前からか。ちっとばかし悩んでるみてえだ。あんたに顕現してもらって良かったと思うとは、言ってたんだけどな」

 まさかそんな風に評価されているとは思わず、藤は何とも言えない照れくささから、わざと和泉守から視線を逸らす。

「オレの振る舞いにあいつを巻き込んじまった部分もあるのかもしんねえが……とにかく、足を引っ張るかもしれねえって不安を感じるなら、外してもらってもオレは文句は言わねえ」

 堀川の不調については、和泉守も既に知る所だったらしい。けれども、堀川は藤に己の悩みを口にしていない。この様子では和泉守にも、打ち明けていないのだろう。

「でも、本人から嫌だって言われない限りは、僕は彼を連れて行きたい」

 手合わせのとき、わざわざ普通の試合ではなく、藤にとって必要そうな稽古を捻り出してくれた少年。
 休憩が必要だと思ったら、すかさず飲み物を用意してくれた。不穏な気配を察知したら、すぐさま立ち上がって得物を構えてくれた。
 彼と自分の間にも、きっと溝は残っているのだろう。それでも、主を手伝い、守ろうと振る舞ってくれるなら、その心根を今は信じられると思えた。

「それに、足を引っ張るのが駄目っていうなら、多分一番引っ張るのは僕だよ?」
「ははっ、そりゃ違いねえ」

 和泉守は白い歯を見せて笑うと、藤の肩に大きな手をぽんと載せた。


 ***


 濡れ縁に差し込む月光は、日を増すごとに清冽になっていく。夏から秋に移り変わる変化は、こんな所にも現れるのだと、既に知っている。
 まるで水面を思わせる表面は透き通っているようで、自分の心境とは全く逆だと髭切は自嘲した。
 風呂上がりで濡れた髪の毛を、首にかけたタオルで軽く拭き取り、髭切は弟の部屋の柱をコンコンと叩く。
 程なく、障子の向こうでゆらりと影が立ち上がり、中から弟の膝丸が姿を見せた。

「兄者、どうしたのだ」
「演練に行けなくてお前が悔しがっているかと思って、お酒を持ってきたよ。あと、次郎お手製おつまみも」
「ああ、前に彼が話していたな。主が作り方を教えたのだ、と」

 その発言に、ぴたりと髭切は手を止める。
 今まさに主に対して屈折した感情を抱えている身であり、周りに対して嫉妬すら抱いてしまう己としては、あまり聞きたくない情報だった。
 何も知らない膝丸は、さっさと卓袱台を用意して晩酌の準備を始める。ちらりと文机の方に目をやると、質素な便箋と筆が見えた。
 皿を置いてそちらを覗き込むと、そこには何故か五十音の文字が整然と並んでいる。

「何だい、これ」
「ああ。主と俺が文を送ろうとしている者がいると、前に話しただろう。彼女は少々筆跡が荒いようだから、俺の方で手習い表を作ってみたのだ」
「なるほど。お前は字が整っているからね」

 髭切の字は、主曰く「魚が泳いでいるみたいな字」であり、現代に生きる者には読みづらいらしい。
 膝丸はその分、一つ一つをきっちりと書いているので、主であっても読みやすいのだろう。
 きっと、その友人とやらにも。

(ああ、そういえばあの子供は、主から贈り物をしてもらっていたんだっけ)

 主よりいくらか年下の娘だった。主から贈り物をされたから、彼女へお礼を用意したと息を弾ませて話す姿は、まるで幼子のようにあどけなかったのを覚えている。
 髪に結わえられていた飾りも美しく――だからこそ、嫌な感情もまた芽生えてしまう。
 自分も何か、贈り物をしてほしい――などという、子供染みた感情が。

「兄者。先に言っておくが、俺は参加できなかったことを、そこまで悔しがっているわけではないからな」

 一方、弟の方はというと、早速話を切り替えている。
 髭切が持ってきた徳利から酒を猪口に注ぎ、まずは髭切に、続いて自分の分を満たしていく。

「おや、そうなのかい。結構乗り気のように見えたのだけれど」
「無論、源氏の重宝ここに在りと喧伝できるような戦いができるなら、それに越したことはない。だが、何事にも向き不向きはあるだろう」
「室内戦は、僕らの出る幕じゃないものねえ。全く駄目というわけではないだろうけれど、刀が壁に引っかかって抜けないような無様を見せたら、一門の恥だよ」
「そのようなことになったら、兄者に合わせる顔がない」

 実際、太刀は馬上戦闘を主体とする武器だと言われている。得物である以上、どこで抜いてもそれなりには戦えるが、主を守りながら乱戦をくぐり抜けられるかと訊かれれば、絶対大丈夫とは言えない。
 命を賭けた戦いなら、体面など気にせずに全力で戦うのだろうが、今回は試合だ。
 どれだけ圧倒的に、美しく、素晴らしい勝利を収めるかも求められる。そんな場で、主に恥をかかせるわけにもいかない。

「むしろ、俺は兄者の方が出たがっているのではないかと思ったが」
「え、僕かい?」

 内心、ぎくりとした。
 己の本心を見透かされているようで、初秋の涼風がやけに寒く感じられる。
 一つ深呼吸を交え、髭切は己の心に生じたさざ波を落ち着けさせる。

「僕はほら、歌仙たちと一緒だよ。僕はそれなりに古参の刀なのに、僕が出張ったら経験を積めないだろう」
「しかし、裏を返せば経験があるからこそ、室内での乱戦にも兄者なら対応はできるのではないか」
「それは、僕を買いかぶりすぎじゃないかなあ」

 適当にお茶を濁しながら、髭切は弟から僅かに視線を逸らす。油断をしていると、やはり自分も出たいと主張する、浅ましい己に対面してしまいそうだった。

「僕だって、苦手な戦場の一つや二つはあるよ。そりゃあ、僕は源氏の重宝で惣領の刀だから、主の一番にはなりたいとは思うけれど」

 それ自体は、物の本能として否定はするつもりはないけれど、だからといって己の我が儘を押し通したいわけでもない。
 そんな自分は、想像するだけでもあまりにみっともない。源氏の重宝にあるまじき無様だ。

「あくまで願望の一つに過ぎないよ。お前だって、その……この前名付けた文通相手にとって、一番の存在になりたいわけじゃないだろう?」

 膝丸は、誰にでも親しくするような性格ではないとは、髭切も分かっている。誠実な性格で義は重んじる部分はあるようだが、それは見境無く親切を振りまくとは言い換えられない。
 寧ろ、誰彼構わず親切にするという点では、主の方がそうだろう。研修に来ただけの新人にも、やけに親密にしていたと聞く。
 そんな弟がわざわざ手習い表を作るぐらいだから、あの娘のことはそれなりに特別扱いしているのだろうとは、容易に想像できた。だが、それでも、親しいことと、唯一であることは異なるはずだ。

「一番の存在になりたいなどと、考えたこともないな。彼女には彼女の姉がいる。俺たちの主とも打ち解けていたようだ。家族もいるのだろう。そんな中で、何故俺が一番になる必要がある。恩義はあるが、それは俺が一方的に感じているだけだ」

 兄とぎくしゃくした関係を築いてしまった頃に、道を示してもらった。だから、膝丸は彼女に恩を感じているのだとは髭切も知っている。
 二人の関係を特別と称することもできるはずなのに、膝丸はわざわざ一番である必要はないと言う。
 膝丸は、何も間違ったことは言っていない。
 それが当たり前だ。
 相手に強いてしまったなら、その関係は最早親愛ではなくなってしまう。無論、忠義とも程遠い。
 ただの、自己満足(エゴ)だ。

(家族、か……。主は、家族については思うことがあるみたいだけど、そりゃあ、いるよね。人と刀(もの)じゃ、当然釣り合わない――)

 そこまで考えて、髭切は自分の考えにぎょっとする。

(人と刀? 僕は――今、何を考えていたんだろう。人に、釣り合おう、だなんて)

 あまりに馬鹿馬鹿しい自分の思考に、やはりこの『嫉妬』とやらは身を狂わせる毒だろうと、髭切は結論づける。
 深入りすればするほど、己の思考が自分勝手なものに変異していってしまう。非常に危険だ。

「だが……もし、の話になるが。野外戦の演練があるのなら、そのときは兄者と共に出たい。馬の式神も、まだあまり使っていない。戦場をあれで駆ければ、さぞかし爽快であろう」
「それはいいね。お前と一緒に早駆けをしてみるのも楽しそうだ」
「戦でなくても馬を使っていいのなら、是非とも挑戦してみよう」

 平原の戦場用に、刀剣男士たちが扱う馬は用意されている。正しくは馬の式神であり、刀剣男士たちの霊力に反応して実体化するという便利な代物だ。
 今までは顕現している刀剣男士の数が少なかったので、数もあまり用意されていなかった。だが、じわじわ顕現した刀たちも増えたので、馬の配備数も増加傾向にあり、実戦で使用できる頭数も揃ってきている。手綱をとる感覚を思い出しても、良い頃合いだろう。

「それなら、是非ともあれを見てみたいね。逆落とし、だっけ? お前の前の主がやってみせたと、書物に書いてあったよ」
「兄者、あれはあくまで逸話だぞ。実際にやったら、式神を破損するのではないか」

 そんな他愛のない兄弟の雑談を交わしていけば、自然と心は落ち着いていく。
 己の嫉妬を眠らせ、髭切は勢いよく酒を呷った。
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