本編第四部

「本日は暑い中、ご足労いただきありがとうございます」

 緊張で内心は冷や冷やしながらも、藤はできる限りの虚勢を張る。
 以前、審神者の担当官をしている富塚と初めて対面したときのように、如何にも有能な審神者のような素振りで、藤は静々と頭を下げた。
 残暑厳しい昼下がり。空調の効いた応接室代わりの和室で、藤は三つの人影と相対していた。
 大演練の話を説明するために、政府の人間がやってくる。最初、そのように聞いたときは、本丸と政府の橋渡しをしてくれている、担当官の富塚や彼の同僚が訪問するのだろうと藤は思っていた。
 言ってしまえば、部署の中では地位はそれほど高くなく、富塚のようにいくらか気さくに話しかけられる相手だろうと考えていたのだが。

(こんな偉い感じの人が来るなんて、聞いてない!!)

 目の前にいるのは、上等そうなスーツを着た老爺が一名。
 着物については素人な藤でも、何となく値が張りそうと分かる和服を纏う老爺がもう一名。
 そしていかめしい顔つきの風変わりな装束を身につけた、刀剣男士と思しき男性が一名。
 最後の一名が刀剣男士と分かったのは、腰の刀もさることながら、彼の装いが現代人とはかけ離れていたからだ。
 体を薄く覆う、二の腕が剥き出しになった黒の装束には、何やら仰々しくベルトがいくつも装着されている。
 片目は眼帯で覆われ、頭頂部には角のような装飾が施されていた。
 足元こそ紺色のズボンだったが、その分、見た目の厳めしさが強調されているようにも見える。
 そして、彼の顔は一言で言えば――かなり、恐い。
 先程から、露わになっている血色の瞳と目が合う度に、睨まれていると思ってしまうのは、気のせいと信じたい。

「そんなに仰々しい挨拶をしなくても構わないよ。こちらこそ、忙しい時に申し訳ないね」

 スーツの方の老人が、にこやかに微笑んで会釈をする。
 言葉遣いも、こちらを侮っているからではなく、親しみを込めた砕け方だった。
 どうやら、偉い人ではあるのだろうが、恐い人ではなさそうだ。顔にこそ出さないが、心の中で藤は少しだけ緊張のレベルを下げる。

「いえ、僕も歌仙も最近は手が空いていましたので」

 ちらっと背後に目をやると、歌仙が軽く目を伏せた状態で座っているのが見えた。
 茶と茶菓子を用意した後、歌仙は口を挟まずに静かにしている。理想的な従者として振る舞っている――のではなく、単に人見知りであるが故に、余計なことを口走らないように黙っているだけだった。

「私は、君の本丸を管轄している〇〇〇七支部に二ヶ月前に配属された、平岡というものだ。こちらの二人については」

 平岡は着物を着ている方の老爺と、彼の後ろに控えている厳めしい刀剣男士を手で示し、

「今日は仕事の話とは別に、君に私的な用事で話がしたいそうでね。演練の話が終わった後に、申し訳ないが少し時間を貰ってもよろしいだろうか」
「それは、構いませんが」

 自分が何かやらかしたのだろうかと、藤はたらたらと背筋で冷や汗を感じ取っていた。
 目の前の老人も刀剣男士も、藤には見覚えがない。
 とはいえ、己のあずかり知らぬ所で悪評が生まれ出るのは、往往にしてよくあること。藤が身構えるのも無理はなかった。

「さて、先に私の方から、今日の訪問について話をしてもいいだろうか」

 老成した声が、人工的な冷気で満たされた部屋に響く。ただそれだけで、空気がピンと引き締まった。

「こんのすけから伝達もしたと思うが、近々、我々の支部と他の支部とで協力して合同の大規模な演練を開催しようと準備をしている。これは、近年この時期には頻繁に開催されている試合で、新人の審神者以外には参加を呼びかけているんだ」
「それは、いつもの演練とはどう違うのでしょうか」

 その質問は、予想できていたのだろう。老人は薄型の端末を鞄から取り出し、机に置く。画面から、必要な資料がホログラムとして宙空に表示された。
 資料の最上部に掲げられた文字を、藤と歌仙兼定は目で追う。

「……多層空間内且つ閉鎖環境で行われる戦闘について?」
「つまり、建物の中で発生する戦闘、ということだね」

 大きな文字で記された概要部分を読み取り、首を傾げる藤。すかさず、歌仙が彼女の疑問に応じる。

「僕らの戦闘は古い時代なら野外が多いが、場合によっては城内や館のような、狭くて且つ複数の階層に分かれた場所で戦う可能性がある。たしかに、通常の演練では補えない戦場だ」
「そちらの歌仙兼定は、戦闘についての見識が深いようだね。良い参謀といったところだろうか?」

 思いがけなく褒められて、歌仙だけなく藤までもが、思わず驚きを露わにしてしまった。
 嘗ての支部長――こんのすけを操っていた男は、刀剣男士を毛嫌いし、彼らを褒めることなど決してなかった。しかし、どうやらこの平岡なる老爺はそうではないらしい。

「歌仙兼定が今言った通り、我々が普段提供できる演練会場はどうしても複雑な作りの建物を用意できない。体育館のような平面の室内か、あるいは山林をそのまま活用したものが関の山だ。だが、それでは演習という意味がないのではという声があがって、年に一度はこのような演練を開催するようにしている」
「それで、特別な場所を準備したんですか?」

 藤が指さした先、そこには資料に添付された一枚の写真があった。四角いコンクリート作りの近代的な建物は、ざっと見ても五階以上はありそうだ。
 雑居ビルにしては横に広く、どこかの役所や大学のような大規模な施設を彷彿させる。

「ああ。今回は丁度、施設の老朽化を鑑みて、建て直しの予定になっている施設が見つけられてね。潰す前に、ちょいと大暴れしても問題ないだろうってことになったのだよ」

 平岡がいくつか画面に触れると、最初に表示された以外にも、年期が入っていそうな高層ビルや学校の校舎と思しき建物がいくつか映された。

「老朽化とはいっても、別に廃墟じゃない。ただ、設備が少し古いから最新の機具を導入するのに向いてないというだけだ。無論、参加する審神者様たちが怪我をしないように、細心の注意を払うと約束する」
「わかりました。それなら安心して……あれ?」

 そこまで言って、藤は疑問の言葉を口にする。
 平岡は施設内の安全について、参加する刀剣男士ではなく、参加する審神者と言及した。
 確かに、演練には審神者の名前で参加するので、言葉の綾と捉えればそれまでだが、藤は直感で「そうではない」と悟る。

「……あの、もしかして、ですけど」
「察しているかもしれないが、この演練には審神者様にも参加してもらうことになる。審神者様がもし時間遡行軍の襲撃に巻き込まれるとしたら、今までの傾向によると、その多くは政府の施設や本丸に滞在している場合が多い。そして、政府の施設は、このような複雑な構造になっている建物が数多く存在する」

 段々話がどこに向かっているのかが分かり、藤は口元に引き攣った笑みを浮かべる。
 たしかに、時間遡行軍の襲撃に巻き込まれでもしたら、今の藤は呆然とへたり込むことしかできないだろう。
 先日、小豆長光と行き会った一連の騒動で、藤は本丸を失った審神者と出会った。そのことにより、己の本丸は、いつ時間遡行軍に襲撃されてもおかしくないのだと、改めて理解はしたつもりだ。
 けれども、だからといって、一朝一夕で行動に反映できるわけもない。それはそれとして、練習とはいえ、時間遡行軍の襲撃に巻き込まれるのも、やはり恐い。

「つまるところ、これは刀剣男士の演練であると同時に審神者様への演練でもある。もし、時間遡行軍に襲われたなら、そのときどうするか……というね。無論、本当に遡行軍を呼ぶわけにはいかないが、かなり近い経験ができるだろう」
「……と、いうと?」

 興味半分、恐怖半分で藤は問う。

「第三者には時間遡行軍に見えるような、欺瞞術式を被った政府の刀剣男士が仮想敵となる。刀剣男士と分断された審神者は、複雑な構造の建物内で自分の刀剣男士と合流し、己の身を守りながら、この敵を討つ」
「なるほど。主の護衛能力と探知能力を僕たちは求められるんだね」

 平岡の説明に、歌仙は素早く内容をかみ砕いて理解していく。いつも演練に出ている彼らは、戦場と与えられた条件を元に必要な行動を導き出すことに長けていた。
 だが、藤はそうはいかない。
 今まで、どこか刀剣男士にしか関係ない、自分とは縁遠いと思っていた演練が、途端に関わりのあるものとして浮上してきたのだ。頭は小規模な混乱状態だった。

「え、ええと、僕は……審神者は何をすれば」
「とても簡単なことだよ。死なないこと。それだけだ」

 老爺はにっこりと微笑み返す。藤も笑顔で応じようと思ったが、口の端が不自然にぴくぴくしてしまった。

「無論、死ぬ死なないというのは比喩だ。仮想敵の時間遡行軍に追い詰められたら、審神者は失格となり、その審神者の刀剣男士たちも敗北という扱いになる。だけど、本当の戦いなら」

 ごくりと、唾を呑む音。藤の喉がひくりと動く。
 目蓋の裏に蘇るのは、少し前に出会った、嘗て審神者だった女性。
 折れた刀剣男士の幻を今も追い続け、幻想の中で生きていた姿。
 本丸を失うと同時に、己すらも失った人間の行き着いた先。
 ――それが、敗者の姿だった。

「……そういうわけなんだが、無論、この戦いはひどく危険が付き纏う。何せ演練とはいえ、それなりに本気を出して戦っている刀剣男士の側にいることになるのだから。万全の対策はするつもりだが、ちょっとした怪我は大目に見てもらわなくてはならない」
「いくら普段と異なるとはいえ、僕らが主を傷つけるような戦いをすると思っているのかい?」

 自分なりの誇りを抱えて、歌仙は小さく抗議する。彼としては、たとえ戦闘中であるとはいえ、主に怪我をさせるような無粋な戦い方はしないと言いたかったらしい。
 だが、彼の言葉が終わるか終わらないかのうちに。

「――歌仙兼定さん」

 平岡が嗄れた声で、そっと告げる。

「人間は、君たちよりも遙かに鈍重で、そのくせ脆く、臆病な生き物なんだ。恐らく、君の想像以上にずっと」

 老爺は先程と全く変わらない笑顔で、語調で、しかし驕りともいえる歌仙の自信をゆっくりと否定する。

「刀剣男士たちの戦場において、人間は大した力を持っていない。これは、そのことを知るための演練でもあるのだと、私は思っているよ」

 平岡は、何も歌仙や藤を脅かしているわけではない。彼の言葉は、揺るぎようのない事実だ。
 藤はたとえ手加減をされても歌仙には勝てないし、歌仙が少し本気で斬りかかっただけで重傷を負う。
 そんな存在が、刀剣男士と時間遡行軍の戦いの間に巻き込まれたとき、巻き込まれた側の人間は生き残るために何をするべきか。
 そして、巻き込んでしまった側の刀剣男士は、如何にして主を守るべきか。
 この演練は、単に珍しい構造の建物で戦うだけのものではないと、二人は理解した。

「主、どうする?」

 端的に、歌仙は問う。
 説明されたように、恐らく危険の度合いは通常の演練とは段違いだ。
 いつもなら、審神者は奥に座って観戦するだけの第三者であった。だが、今回は明らかに当事者になる。多少の怪我のリスクはあるとまで明言されている。

「……僕は、参加してみたいと思います」

 歌仙にではなく、平岡に答える形で、藤は参加の意思を示した。

「刀剣男士と歴史修正主義者の戦いのことについて、正直なところ、よく分からないままだったんです。今も、分かってないのかもしれません。何となく、言われるがままに皆を送り出して、彼らが大変な戦いをしているんだなって思ってました」

 出陣の度に傷を負って帰ってくる刀剣男士たちを見て、敵が手強いのだろうとは知っている。
 だが、それだけだ。
 自分のいる本丸は絶対安全で、己の身には皆に降りかかるような危難は決して起こりえないと、どこかで思っていた。
 いや、思うまでもなかった。
 それが、藤にとってはあまりに自然なことであったが故に、身の危険については、どこかよそ事のように思っていた。
 だから半年前、一人で閉じこもるなどという『危険極まりない行動』をあっさりと選べてしまった。

「だけど、僕だって無関係なわけではないって、この前知ったんです。もちろん、演練に出ただけで僕が凄く強くなったり、落ち着いていられるようになったりするかっていうと、そんなことはないと思いますけど」

 けれども、何もしないで、いざ敵襲を受けて為す術も無く固まってしまうぐらいなら。
 振り下ろされる寸前の刃を前にして、ただ見つめていることしかできなかった、嘗ての自分とは違うと言いたいのなら。

「やらないで後悔するより、やって後悔するような人に、僕はなりたいんです」

 単純に、それだけのことだ。
 やらない理由を無数に積み重ねるよりは、やってから「畜生」と悪態をついた方がまだいい。
 藤の導き出した簡潔な答えに、平岡は深くゆっくりと頷いた。

「分かった。それなら、参加をするという方向で話を進めていこう」
「ありがとうございます」
「詳しい日時と集合場所は、追って通達するよ。今日は、参加要項や細かい規則についてまとめたファイルを渡しておくから、それを読んで参加する刀剣男士を選んでおいてもらえるだろうか」
「はい。よろしくお願いします」

 深々と頭を下げ、藤は薄い封筒に入った小型の記憶媒体を受け取る。暫くは、これを読み解くことになるだろう。

「……いやはや、しかし、富塚から聞いたときはどんな子かと思っていたが」

 幾らか相好を崩して、平岡は出されたお茶に口をつける。その仕草が、厳めしい雰囲気の会合が終了したと告げていた。
 平岡が自分の部下である富塚――藤の担当である男性から聞いた内容が何かは、容易に想像できる。
 半年近く、審神者としての業務を放棄していたと報告されていたら、さぞかし問題児だろうと思われていたことだろう。

「その節は、色々と迷惑をかけてしまって……」
「いやいや、責めているわけではないのだよ。どうやら、前任の支部長は審神者様に随分と過度な期待をしていたようだからね。彼自身も名家の出であるために、出世を逸っていたのかもしれない。申し訳ないことをした」

 平岡は、深々と頭を下げて謝罪の意を示す。
 歌仙が前任の支部長が企てた奸計によって、危うく折れかける寸前まで追い込まれたことは事実だが、しかし藤の抗議に対して、政府の者は正式な謝罪を返さなかった。
 何せ、恐らくは黒幕と思しき人間――前任の支部長は、事態の全容が分かるより早く部署から異動してしまい、状況証拠も揃いきらなかったからだ。
 前任の責任者の失態について、後任の者に問い詰めるのも気が引けてしまい、結局有耶無耶のままになってしまっている。

「……歌仙のことについて、謝罪してくれるんですか?」
「本丸の運営についての件だけだよ。私が下げられる頭は、それしかない」

 なるほど、と藤は理解する。
 歌仙が政府の人間の私的な事情で破壊されかけた件について、目の前の人物は認めたわけではない。
 そうしたら、政府が審神者に対して不利益になることをしたと、認める結果になってしまうからだ。
 だから、彼の謝罪はあくまで前任の男が、藤に対して心理的な負担をかけた――という点だけ。それさえも、精神的な問題として、場合によっては曖昧にぼかせる内容の話だ。
 だが、無視をしたままでいられるよりは、ずっといい。
 藤は有り難く、この謝罪は受け取ることにした。

「彼については、私からも謝罪をしておこう」

 不意に、今まで黙っていたもう一人の老人が、静かに口を開く。
 平岡が流れ出る川のように穏やかな声音であるとしたら、こちらはそびえ立つ山を彷彿させる、根を張った落ち着きのある声だった。

「彼は、私の親戚でもあるのでね。それと同時に、君に何かと迷惑をかけたとも聞き及んでいる。まことに申し訳ない」
「いえ、そんな……。お二人が謝ることではないと思いますし」

 それに、謝られたとしても、許せるかどうか分からないことだ。たとえ、謝ったのが本人であったとしても。
 歌仙がここにいるから良いようなものを、もしあのまま折れていたらと想像すると、今でもぞっとする。

「あの人間は、いったいどういう人物なんだい。……僕という存在を嫌っていたようだが、知らずに不興を買ってしまったのだろうか」

 以前は主本人とも行き違いを起こした歌仙としては、後学のためにもと二人に問う。
 平岡は肩を竦め、代わりに親戚だという着物の老爺の方が口を開いた。

「私もそこまで交流が深いわけではないのだが……彼は子供の頃から、少し潔癖症なところがあったようだ」
「潔癖症?」
「清潔でいないと落ち着かない、という意味合いではないよ。観念的な部分の話だ。大人同士の腹の探り合いを『汚い』と表すことがあるだろう。彼はそのようなやり取りや、癒着を嫌っているように見えた。特に、家の者が政府から協力を求められるようになってからは尚更」

 老爺はそれ以上は個人的な話になると思ってか、口を噤んだ。

「なるほど。坊主憎ければ袈裟まで憎い……という諺があるそうだが、そういうことかな」
「歌仙?」

 一人で納得した様子の歌仙に、説明をしてほしいと藤は問う。

「主も僕らも、形としては政府に仕えている存在だ。彼にとって、一般人の主はともかく、僕たち刀剣男士は『汚い組織』の象徴のように見えていたのではないかな」
「……そんなこと、僕らには関係ないのだけど」
「ああ、その通り。もし、そちらの訴えについて十分な証拠があったら、私も彼を見逃すつもりはない」

 藤の愚痴を拾い上げ、平岡はわざとらしいまでに大きく頷いてみせる。少なくとも彼は信頼できそうな人だと、藤は内心でほっとしていた。

「あ、それなら、もう一つ聞きたいんですけど。前の支部長さんは鍛刀をなるべくたくさんして欲しいってお願いしていたんですが、それは今後どう対応すればいいですか?」

 藤の友人でもある審神者のスミレは、無理に鍛刀をする必要はないのではないかと言ってくれた。
 直接の担当官である富塚も、鍛刀は休養したいという藤の希望を、あっさり受け入れてくれている。
 だが、実際のところはどうなのかと気になって、ついでに藤は質問を投げかけた。

「審神者様の鍛刀については、できる限りは多く……と推奨してはいるね。だけども、この建物にそれだけ大人数の刀剣男士が入るのかい?」

 揶揄うような、茶目っ気を残した顔で平岡は優しく問う。藤は苦笑いを浮かべ、肩を竦めるしかなかった。
 藤の本丸として使用している建物は、あと一振り二振り顕現したら、部屋がいっぱいになってしまう寸前の状態だったからだ。

「そういうわけだから、無理にとは言わない。ただ、刀剣男士の数が多ければ多いほど、審神者様の身も守りやすくなる。戦略にも幅が出ることで、刀剣男士達の戦いも楽になる。それは覚えておいてもらえるだろうか」
「……はい。分かりました」

 優しくはあるが、決して甘やかすだけではない発言に、藤も顔を引き締めて応じる。
 今すぐにというのは、気持ちとしても難しいが、いつまでも厚意に甘えているわけにもいかないだろう。

「そうだ。どうせなら、審神者様の元に今顕現している刀剣男士たちの話を聞かせてもらってもよいだろうか。折角こうして顔を合わせているのだから、報告書以外の生の声も聞かせてほしいものだね」

 前任の支部長の話が出たせいで、緊張感が残っていた場の空気を、この老人は柔らかく整えていく。
 ごく自然に、しかし収まるべき位置に話題を移動させる手腕は、彼が人と対話をする仕事に長く就いていたのだろうと想起させた。
 せっかく振られた話題を無碍にすることもない。
 藤は素直に自分の本丸にいる彼らについて話していく。
 今も畑で野良猫と虎の子に翻弄されている五虎退が、主のためにと、先日とうもろこしを焼いて持ってきてくれたこと。
 普段は皆のお兄さんのように振る舞う物吉が、乱や五虎退にせっつかれた挙げ句、川に落ちてびしょ濡れになってしまったこと。
 次郎が舞を教えてくれるのはいいが、彼と同じペースで練習をしようとして翌日筋肉痛で動けなくなったこと。

「それに……髭切が、膝丸と喧嘩をしたことがあって、あれはちょっと困りました。膝丸がすぐに折れてしまって喧嘩の形をとるまいとするから、余計拗れてしまって」
「ほほう、髭切が……ねえ。それはまた、珍しい」

 今まで、うんうんと愛想良く相槌を打っていた平岡が驚いた様子を見せたので、今度は藤の方が瞳を何度か瞬かせる。

「珍しいんですか?」
「本丸によるのだけれどね。私の知っている、とある政府の刀剣男士曰く、目に入れても痛くないほど、弟を可愛がっている髭切もいるそうなのだよ。喧嘩など考えられないぐらいに、ね」
「…………ちょっと、想像しづらいです。いえ、彼らの仲が悪いわけではないんですが」

 言いつつ、藤は歌仙に目配せをする。歌仙も同意見とばかりに、深々と頷いた。

「彼らは僕の目から見ても、個人個人として自立しようとしている部分が強いようだね。余所の本丸からすると、少し変わって見えるかもしれないが、これが我が本丸の流儀なんだよ」

 得意げに胸を張る歌仙を、藤は軽く肘で小突く。

「まるで、僕が彼らに自立を促している何だか凄い奴に聞こえるから、そういう風に持ち上げるのやめて」

 恥ずかしい、と藤が唇を尖らせていると、嗄れた笑い声が聞き手となった老爺たちから響いてきた。
 さながら孫を見守る祖父のような視線に、何だか懐かしいような、同時に気恥ずかしいような気持ちに襲われ、藤はわざとらしく咳払いをする。

「ところで、そろそろ私の用事について、話をさせてもらっていいだろうか」

 ひとしきり笑い声を漏らした後、平岡の隣で主に聞き役に回っていた着物の老人が、静々と手を上げる。
 スーツ姿の平岡も現役の仕事人の風情を漂わせているが、こちらもこちらで、向かい合うものに背筋を伸ばさせる気配を背負っている。
 それは、彼の隣に厳めしい顔の刀剣男士が座っているからだけではないのだろう。

「さて、早速なのだが……そちらの歌仙兼定。そして私の知人である平岡よ。すまないが、席を外してもらえるだろうか」

 平岡はすぐに頷いたが、歌仙は難色を明らかに顔に示している。知らない人間の前に主を一人残していくことに、懸念を抱いているのだろう。
 それを見抜いているかのように、老爺は言葉を続ける。

「代わりに、この本丸にいる膝丸を呼んできてもらえるだろうか」
「……え? 膝丸、ですか?」

 どうして、と藤の疑問が喉から言葉となって出るより早く、老爺はにっこりと微笑みながら、近くに置いていた風呂敷からあるものを取り出す。
 机の上にそっと差し出された、小さな帯留め。
 白い椿が繊細に描かれたそれを見て、藤は大きく目を見開く。
 その帯留めは、とある人間が身につけていた品だ。

「どうして、これがここに?」
 
 膝丸と藤が、ともに万屋の商店街へ出かけたときに出会った子供。
 姉への贈り物を選んでほしいと頼んできた、一人の娘。
 まだ兄と喧嘩中だった膝丸の心境に示唆を与え、変化を齎した少女の帯を飾っていた飾り。
 それが今、目の前にある。

「先に自己紹介をしよう。私は――一ノ瀬清十郎。まあ、名前まで覚えてもらう必要はないだろうが……恐らく、君はこの名字に聞き覚えがあるのではないだろうか」
2/8ページ
スキ