本編第三部(完結済み)

「あ、五虎退ー。次郎も! こんなところでどうしたの?」

 藤がぶんぶんと手を振った先では、休憩場として開放された喫茶スペースに座っている五虎退、次郎、そして一人の少女の姿があった。
 少女を視界におさめた瞬間、僅かな見覚えと、小さな嫌悪が反射的に藤の胸中に渦巻く。すぐに顔は思い出せなくとも、微かによぎった苦みを、藤は見過ごさない。

「あの子、誰だっけ。見覚えはあるんだけど」
「かのじょは、あるじが……その、とじこもっているあいだに、ていれにきてくれたものだ。あるじは、かおをあわせたことはないかもしれない」
「いや、僕は彼女に会ったことがある気がする」

 審神者という単語に引きずられて、藤は己の記憶をたぐり寄せる。
 きっ、とこちらを見つめるつり目がかった蒼の瞳。払暁の空を思わせる柘榴色の髪。その舌鋒の鋭さを、藤は忘れていない。

「……ああ、演練で僕に注意した子だ」

 だからと言って、彼女の指摘を今更思い出して反感を覚えたわけではない。この痛みは、彼女が『穢れ』について触れた発言をしたのを思い出したからだ。
 彼女は、どういう理由か、藤の知り合いである煉が『穢れてる』と指摘し、それがどうしようもならないものだと彼が説明した瞬間、嫌悪を露わにした。
 今も昔も、藤は手入れを行うと悪寒が生じてしまう。その原因は、かつて人を食ったが故に、自分に着いた『穢れ』だと藤は解釈していた。あの頃は、特にそのことを意識し始めていたので、少女の指摘は藤を無自覚に追い詰めてもいた。

「あるじ、だいじょうぶか。すこし、おもいつめたかおをしているぞ」
「大丈夫」

 小豆は、無言でこちらを見つめている。すかさず藤は大丈夫を繰り返した。これは空元気ではなく、本当に大丈夫だと思えたが故の発言だ。
 己の意思を殺す愚は犯さない。相手の機嫌と自分の心の安寧をどのように釣り合わせるかについては、舵取りの仕方も多少覚えたとは自負している。
 すぅっと一つ深呼吸。気持ちを切り替え、藤は五虎退たちに近づく。

「どうしたの、五虎退。次郎。それに、えーっと……?」
「ああ、主。なんでも、この子、祭りの会場で迷子になっちまったみたいでさ。アタシ達が保護してるんだよ。ほら、世話になった礼も兼ねてね」

 次郎はぱちんと片目を瞑り、藤に少女を紹介する。
 以前に会話したときは気が強そうに見えた彼女は、今日はどういうわけか、随分としおらしい態度をとっていた。まるで水を長く与えられず、枯れ果てる寸前の草花のようだ。

「えーっと、久しぶり……って言って、分かるかな? ほら、演練の時に一度会ったよね」

 藤はできる限り親しみやすい調子で話しかけてみるが、肝心の少女は微かに目を細め、睨むような顔でじっとこちらを見つめているばかりだ。先ほどまで会話をしていた五虎退や次郎でさえも、どこか様子が変だと気が付いた。
 審神者と審神者。
 お互い思う所があるのだろうかと、緊張した空気が辺りに漂う。

「そういえば、会ったこともあるわね」

 返答は、冷えた鉄より尚固い言葉だった。これなら、あんたなんて知らない、と言われた方が余程よかったぐらいだ。

「迷子って話していたけど……ええと、そうだ。五虎退。もう運営委員会の人とかには連絡を取ったの?」
「は、はい。乱兄さんと、物吉さんにお願いして、そちらに行って、もらって……ます」
「乱も物吉も、わたしたちにとっては、しんらいできるこどもたちだ。きっと、きみのたすけになるだろう。だから、あんしんするといい」

 警戒した子猫のような態度が気にかかったのだろう、小豆は優しそうな声音で少女に語りかける。小豆の態度が彼女の頑なな心の一端を解いたのか、少女は少しだけ肩の力を抜いてみせた。

「……菊理」
「うん?」
「菊理。私の名前」

 突如名乗りをあげたのは、どうやら今まで自分が名乗っていなかったことへの詫びだったのやもしれない。
 対する藤は、唐突さに驚きはしたものの、それ以上の感情は見せずに「いい名前だね」とまず答えた。

「僕は藤。よろしくね。今日は誰と来てたの?」

 敬語を使うべきかとは思ったが、藤はつい、普段の砕けた口調で話しかけていた。それは、目の前の菊理と名乗った少女が纏う空気が、演練で会ったときとはがらりと違っていたからだ。
 あの時、彼女は尊大な女主人の風格を漂わせていた。だが、今の彼女はただの子供にしか見えなかった。
 先日出会った、イチと呼んでいた少女のように、彼女はどこか頼りなく感じるような、線の細さが際立っていた。
 寄りかかるべき保護者を見失って、僅かに残った尊厳や誇りというものをかき集めて、見知らぬ者たちに対して敵愾心でしか交流ができない子供。
 それは、笑顔という盾で身を守り続けてきていた藤とは異なったやり方であり、同時に似た思いを抱えたが故の行動だと藤には思えた。

「今日は…………と」
「うん?」
「加州……清光、と」

 ぽそぽそと告げられた言葉は最初は聞き取りづらく、二度目も藤が耳をそばだてていなかったら、すぐに雑踏のざわめきでかき消されていただろう。

「加州清光かあ。あの、面倒見の良くて気さくな刀剣男士ね」

 藤の友人でもあるスミレも、自身の近侍を加州清光に任せていた。恐らく、スミレの加州と彼女は、それ以上の関係でもあるのだろう。
 彼とは直接何度か話したこともあるので、人となりは大体把握している。たとえ違う個体であったとしても、主を放り出して自分だけ遊び回るような性格ではなかろうと、藤には予想がついた。きっと今頃、必死になって探しているだろう。

「わたしたちは、あるじのいばしょをおおよそはあくできるちからを、もっている。だから、加州清光もいまごろ」

 小豆は、菊理を安心させるために言ったのだろう。だが、彼女の目は瞬時にきりりとつり上がり、

「じゃあ、どうしてすぐに私を探しに来ないの」

 ぽつりと告げられた言葉に、小豆も五虎退も次郎も、思わず口を噤んだ。
 言い返す言葉がなかったからではない。彼女の言葉に混じる諦念に、一瞬気圧されたからだ。
 だが、彼女が纏う負の圧に抗おうとする者もいた。

「あ、あの」

 かつて、主の言葉の真意を確かめるのを恐れた虎の子は、今は負けまいと必死に菊理を見つめ返す。

「加州さんも、大事なあるじさまがいなくなって、きっと……とても、心配してます。だから、ちょっと動転していたり、慌てていたりで、それで、気が付いていないだけ……です」
「……そう、かしら」

 少女の指が内側に握り込まれ、小さな拳を形作る。掌に、ゆっくりと爪が食い込んでいく様子は机の下に隠れてしまい、背の低い五虎退にしか分からない。

「加州、私のこと、あまり好きじゃないだろうし。今日だって、義理で誘っただけだろうし。話してても、ぎくしゃくしてばかりだし」
「そ、そんなこと、ないと思います」

 刀剣男士は主を慕う物。その原理を、五虎退は愚直なまでに信じたいと願っている。
 膝丸や和泉守に認めてもらうために、藤が今も奮闘している様子を目撃し続けているからこそ、そんな理想を夢見てしまうのかもしれない。
 だが、彼は一年前から心に刻んでいた言葉があった。それは、今目の前の彼女も欲している言葉だと彼には思えた。

「加州さんが、一緒に行きたいって言ったのなら……む、無視をしてないのなら、きっと、ぎくしゃくした所にも、何か意味が、あるんです」

 五虎退は必死に声を張る。
 時代を超えた先で出会った、主と同じ名前をした女性が語って聞かせた持論。彼女の言葉は、まだ耳の奥に聞こえている。
 歴史の荒波に揉まれながらも、最期まで立ち続けていた彼女の思いは、時を経て五虎退の中に息づいている。

「何か、してほしいのかも、しれません。でも……上手く言えなくて、だけど気持ちは嘘じゃないから、少しがたがたなところがあっても、ちゃんと話せば、いつかは」

 支離滅裂になりかけながらも、五虎退は言葉を紡ぐ。
 自分と藤が嘗てそうだったように、何かしてほしいという気持ちは素直に外に出すのが難しいときもある。
 けれども、無視されていないのなら、諦められていないのなら、次があると五虎退は信じたかった。

「……そう、かしら」
「僕も、そうだと思いたいな」

 菊理に再び睨まれる可能性を考慮してか、藤はできるだけ慎重に少女と向き合った。

「あんたは、ぎくしゃくしてるようには見えないけど?」
「信じてもらえないかもしれないけど、刀剣男士と上手く関係を作れてない所も、実は沢山あるんだ。声をかけられても、こちらの思いとは見当違いな内容だったり、優しさが逆に何だか苦しくなったりしたこともある」

 後ろで小豆と乱れが、浅く息を飲む音が聞こえる。それでも、藤は「気にしないで」とも「君たちの話じゃない」とは言わなかった。
 傷ついたのは事実だし、傷つけたのも事実だ。それを無かったことにはしない。同じ過ちを繰り返さないためにも。

「――ねえ。あんたは審神者になって、上手くやれてるの?」

 再び、菊理からの質問が藤へと向かう。
 彼女の言葉の裏に、一体どんな気持ちが織り込まれているのかは、流石の藤にも予想できない。だから、今は素直な気持ちを答える。

「上手くやれてないことの方が多いよ。でも、やろうと努力はしてるつもり」

 それが周りには認められないかもしれない。世間が望む姿とは違うかもしれない。
 けれども、諦めて立ち止まることだけはしないと、藤は菊理に背一杯の気持ちを込めて答える。
 菊理は、藤の視線に耐えかねたように、ふいと顔を逸らした。拗ねたような素振りは、ともすれば彼女が藤の友人である更紗より幼い子供であるかのように錯覚させた。

「さてと、折角だから物吉たちが朗報を持って帰ってくるまで、ご飯食べてようか。僕、さっき美味しい焼きとうもろこしを売ってる屋台を見つけたんだけど」

 藤が提案をし終わるより先に、

「主っ!!」

 青年の声が響く。それを聞いた瞬間、

(――あっ)

 藤は気が付く。
 顔を上げた菊理の瞳。彼女の蒼海の眼に、さあっと日差しが差し込んだような輝きが灯る。

「主、主っ、主っ!!」

 声はどんどん大きくなっていく。それが誰の声かは、藤にはすぐ分からなかった。
 菊理に向かって真っ直ぐやってくる青年。黒い髪に、細く伸びた後ろ髪。つり上がった赤い瞳。加州清光という刀剣男士は見たことがあるのに、その声は以前耳にしたものとは違う。
 スミレの側にいる彼のような、自信に満ち満ちた強さは、駆け寄ってくる彼にはまだない。
 菊理の加州清光には、どこか足元が覚束ないような青臭さがある。藤の本丸では、膝丸や和泉守のような比較的最近来た刀剣男士が纏っている空気だ。
 それでも、主へと向かって走る彼の姿は、先達のどの刀剣男士も負けていない懸命さが滲んでいる。

「主、見つけた! 他の本丸の刀剣男士が、主に似た人が迷子になってて保護されてるって、教えてくれてっ」
「よくよく考えてみたら、ボク達が案内所にそちらの審神者さんを、連れて行った方が、早かったんじゃないかな!?」

 菊理の加州の後ろから追いかけてきた乱は、息を整えながら、五虎退に話しかける。
 次いで、藤の姿を見つけて「あるじさんだ!」と柔らかな微笑を浮かべた。

「いえ、これでよかったわ」

 菊理の呟きはあまりに小さく、祭りの中であがる歓声にかき消されていった。辛うじて聞き取った五虎退は、彼女の言葉が乱に対する返答と知る。
 少なくとも、菊理は五虎退たちとの会話を「よかった」と思ってくれたらしい。そのことに、五虎退は小さな安堵を得る。

「ごめんなさい、加州。勝手にはぐれるような真似をして」

 ただ、菊理の反応は、先程までのような、感情を出そうとしつつも無理矢理抑えこもうとするぎこちなさから、がらりと変貌していた。
 表面に浮き上がりかけた気持ちを丁寧に奥にしまい込み、冷然とした態度で加州に相対している。
 藤の笑顔の仮面とはまた毛色の違う、しかし友好とは程遠い感情の現れ方だった。

「俺の方こそ、主、見失っちゃってごめん」

 それでもめげずに、加州は気さくな調子を崩さずに声をかける。続けて、改めて周りを見渡してから、

「主のこと、保護してくれてありがと。こんなに沢山の人がいる場所って初めてで、気が付いたら、主とはぐれちゃってて」
「わ、分かります。僕も、前に一度……」
「アタシぐらいでっかくても押し負けちまいそうだもんね。仕方ないよ!」

 次郎と五虎退が、加州の謝罪の言葉を柔らかく受け止める。加州は再度感謝の言葉を述べてから、本丸の主である藤に向き直った。

「えーっと、そっちの審神者さんも。ほんっと、助かった」

 加州はぺこりと頭を下げてから、菊理の手をとってその場を去ろうとする。だが、彼は手を伸ばしかけた段階で一度止め、結局軽く背中に手を回すに留めていた。
 菊理の方も、今までのどこか危うさを秘めた顔はどこへやら。育ちの良い令嬢のような落ち着き払った態度で、

「道に迷っていたところを、助けていただき、その上歓談にまで加えていただき、ありがとうございました。また、機会がありましたら、お話させてください」

 それだけ述べると、くるりと背を向けてしまった。
 特に引き留める理由もなし。違和感はあれど、藤も彼女の刀剣男士たちも、素直に手を振って見送る。
 だが、菊理が踵を返す一瞬。

「……あっ」

 彼女の帯に光る、見覚えのある真っ赤な椿の帯留めが、藤の視界の片隅を横切っていった。
 しかし、彼女が何か言うより先に、二人は人混みの中に消えてしまった。


 ***


「ねえ、小豆。難しいこと考えてる?」

 待ち合わせ時間までの数十分を、もう少し夏祭りを見て回るのに使いたいと提案した藤は、乱たちと別れて、再び小豆との散策を始めていた。
 その途中、足をとめて、隣を歩いている小豆へと彼女は問いかける。

「いや、わたしは」
「僕が祭りを楽しめなくなるかもしれない内容?」
「……そういうわけではないのだが」

 話をしながら、小豆の視線は屋台の店先に向けられる。そこには、浴衣を着た少年たちが集まっていた。演練会場でもちらりと見た覚えはあったので、恐らくは短刀や脇差の刀剣男士たちだろう。
 金魚掬いに興じている彼らの笑顔は、皆一様に晴れやかだ。夏の日差しの下で咲く向日葵のような笑顔に、思わず藤の頬も緩む。
 少年たちを見つめながら、小豆はぽつりと言葉を漏らした。

「こどもたちは、みな、あのようにしあわせで、たのしそうにしていてもらいたいと、わたしはおもっていた」
「そうだね。僕が言うのも変な話かもしれないけど、何も考えずに頭を空っぽにして、遊んではしゃいで笑って、今日の夕飯とか、偶然見つけた面白い出来事とか、そんなくだらないことで頭をいっぱいにするのが、子供の特権なんじゃないかな」

 嘗ての自分を思い出して、藤も目を細めて語る。
 いつまでも子供ではいられないと分かっているからこそ、幼い時分の無垢さはより大事にしたいと今なら思えた。

「ただ、こどものころであっても、むじゃきにあそぶだけではならないときもあるのだと、わたしはさきほどしったのだ」
「彼女のこと?」

 菊理と名乗っていた審神者は、藤よりは明らかに年下だった。高校生の年頃かどうかも怪しい。
 普通の子供なら、学生として学校に通い、同級生と他愛のないお喋りに興じ、反抗期の子供らしく親に反発したり、青春に汗を流したりしているだろう。
 だが、審神者である彼女はツンとすました顔で、自分とは異なる存在と対面して、戦と隣り合わせの日々を過ごさなければならないのだろう。加州に見せたあの様子から、素直に年相応の振る舞いをしているとは到底思えなかった。

「わたしがけんげんしてから、みてきたこどもたちは、いくさからとおいものがほとんどだった。けれども、かのじょのように、こどもであったとしても、いくさとはちがうものと、たたかわねばならないことも、あるようだ」
「そうかもしれないね。小豆は知らないだろうけど、戦わなくちゃいけないものは、いっぱいあるよ」

 剣や槍を持って、人殺しに赴く戦は、この地においては縁遠くなった。だが、同時にそれとは異なる戦いが子供たちにも大人たちにも降りかかっていると、藤は同意する。

「ちいさなものをまもり、いつくしむ。ただそれだけのことは、いつのじだいも、むずかしいのだな。……わたしは、かのじょをみて、すこしきのどくにかんじていた」

 愁いを帯びた瞳を伏せ、小豆は張り詰めた糸のような緊張を常に湛えていた少女の横顔を思い出す。
 だが、小豆の言葉を聞いて、藤はゆっくりと首を横に振った。

「可哀想って言うのは簡単だけど、あまりそんな言い方はしたくないな」
「おや。あるじは、さんせいしているとおもっていたぞ」
「たしかに、小豆の意見には賛成はしてるよ。僕より年下で、世間ではまだ大人として見做されているわけでもないのに、審神者としての責任を負うのは辛いだろうなと僕は思う」

 そこで、藤は一旦口を噤む。次いで、彼女は自身の額にそろそろと手を伸ばし、藤色の布の下に隠されている角を撫でた。

「だけど、それは僕が可哀想って感じているだけで、彼女にとっては違うのかもしれない」

 藤や小豆の目から見ると、幼い時分から審神者として親元から離れて生活する日々は、直接は関わっていないとはいえ戦いの中に身を置くという状況は、憐れんで然るべきものだった。
 だが、実際に菊理が辛いと心底から思っているかは分からない。辛いと思っていても、憐れんでほしいと願っているかは藤には読み取れない。

「思わず不安を感じるような出来事もあるのかもしれない。全てを投げ出したいと嘆く日もあるのかもしれない。だけど、僕は彼女の事情をよく知らないから、可哀想とはまだ思わないようにしたい」

 刀剣男士の中に囲まれる生活を、藤は良いものとして受け止めている。大人になって、自らが仕事として選んだという自負も多少はある。
 その視点から見下ろせば、菊理の境遇は確かに気の毒だ。
 けれども、嘗て鬼である自分を憐れんだ大人たちを思い出すと、単純に『気の毒』『可哀想』という言葉で纏めてしまうのも気が引けた。

「なんて可哀想にって言うのは簡単だけど、時々思った以上に、その言葉は心に刺さって残ってしまうんだ。だから、次に会うときは、それとは違う言葉をかけてあげたいな」

 あの日、髭切に問い詰められた後に、彼が向けてくれた言葉を振り返る。
 ――君は、何がしたいの。
 きっと、それは多くの人にとって、自分の立ち位置を確かめる魔法の言葉になるはずだ。
 満足そうに納得する藤に対して、小豆はまだ気に掛かる部分が残っているらしい。それも、また彼の優しさなのだろう。
 暫し、彼なりに思考をするための時間を挟んでから、

「さきほどのかのじょもそうだが、あるじもおなじだったのだぞ」

 話の矛先が唐突に自分に向けられて、藤はきょとんとした顔になる。

「あるじは、おとなになろうとしている。そのことじたいを、わたしはひていしない。だが、むりにこどものじぶんをわすれるのは、すこしちがうのではないか――とはおもっている」
「うん。……大丈夫、ちゃんと肝に銘じているよ。無理はしないって」
「わたしがいうよりもさきに、髭切がきがつくだろうな」

 小豆に具体的な例をあげられて、藤はひょいと肩をすぼめる。
 彼の言うとおり、何か無茶をしたら、きっと髭切がまたやってくるに違いないと藤も確信していた。

「結局さ。皆、どこかに子供の頃の自分がいて、手放したつもりでもちゃんと残っているものだと思う。だから、あの菊理っていう審神者さんも、背伸びをしていたとしても、子供の自分をたまに思い出しながら、上手くやっていくんじゃないかな」

 会話の発端となった内容を思いながら、藤は小豆に向けて励ましのような言葉を贈る。
 小豆長光という刀剣男士一人の手では、現実を変えることなどまず不可能だ。
 それでも、皆が行き止まりにぶち当たっているわけではないと知れば、少し気が楽になるのではと思っての言葉だった。

「それにね、小豆長光。僕は小豆が作ってくれたケーキに、助けられた子供でもあるんだよ。だから、その……えーっと、元気出して、今を楽しもう?」

 途中から何を言いたいか分からなくなってしまったかのような、不器用な励まし方に、言った本人である藤の口元にも苦笑が滲んだ。つられて、小豆も目を柔らかく細め、静かに頷く。
 全てに届かせるには、とても自分の手は小さい。
 だけれども、手の届く所にある者の笑顔ぐらいは、自分の元に飛び込んでくる子供たちぐらいは、守ってやりたいものだと、彼は誰に向けるでもない祈りを捧げていた。
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