本編第二部(完結済み)
夕暮れ時というのは、何か特別な一日ではなかったとしても、どこかもの悲しげな印象を人々に与える。それが、いつも賑やかな本丸から、皆が出て行った後という状況なら尚更だ。
「今頃、皆は楽しんでるのかなぁ」
藤は縁側に腰を下ろし、朱色に染まる空をぼんやりと眺めていた。とろりと溶けた黄身を思わせる太陽は、今まさに山の稜線へと消えて行くところだ。
長い昼が終わり、やがて夜が来る。黄昏時は、夏だろうが冬だろうが平等に訪れる瞬間だ。
「食べ過ぎて、誰かがお腹を壊していたりしてね」
「主じゃないんだから、そんなことはないだろうさ」
後ろから声をかけられ、藤は首だけを振り返らせる。
そこには、歌仙兼定が腰に手を当てて立っていた。暮れゆく西日が、彼の顔の半分を朱に染めている。
「それに、あそこの神社で行われる夏祭りは、万屋の祭りに比べれば小規模なものだそうだよ」
今日、藤の刀剣男士たちは、揃って近所の神社――あのムカデを祀っている神社の夏祭りに行っていた。
本丸の外で開かれる祭りの存在に和泉守が気が付き、万屋の混雑を先に体感しておくのも悪くないと歌仙が提案し、皆が参加する運びとなったのである。
もっとも、神社の中に入ると体調を崩す藤のために、歌仙と髭切は留守番だ。主一人を本丸に置いていくなど、彼女が構わないと言っても、彼らが首を縦に振らなかった。
「さて、僕は夕飯の片付けをしてくるよ。主は大人しく髭切と遊んでいるように」
「まったく、僕は子供じゃないんだよ?」
「子供みたいなものだろう」
相変わらずの軽口を叩き終えてから、歌仙はきびきびとした所作で厨に向かう。
あの里帰りの後から、歌仙は以前よりも穏やかに笑う機会が増えた。髭切に対しての反発心も、幾らか落ち着いたようである。きっと、何か心境の変化があったのだろうと、藤は深くは尋ねずにいた。
「ねえねえ、主。そろそろ頃合いなんじゃないかな」
歌仙がいなくなったと思いきや、今度は髭切が藤に声をかけてきた。弟の膝丸は、今日は夏祭りに参加する面々に連れられてしまったために、姿が見えない。
「うん。もうちょっとかな。太陽があそこの山に完全に隠れてからにしよう」
遠くに見える黒い山並みを指さして、藤は言う。続けて、彼女はやや気まずそうに、
「えっと、髭切。こんなこと、僕が訊いていいか分からないんだけど……膝丸と一緒にいなくていいの?」
「どうして?」
「だって、僕の件があって、髭切が僕と一緒にいると、膝丸は声をかけづらそうにしているようだから。僕が嫌われるのは仕方ないけれど、そのせいで彼が兄弟水入らずの時間を過ごせないのは、申し訳ないよ」
膝丸と藤の関係は、最近は平行線を辿っている。和泉守は幾分か藤に対しても気さくに話しかけてくれるが、膝丸は大体、話しかけても会話を無理矢理打ち切られることが多い。
浴衣を買いにいくときも断られてしまったし、その後も碌に話もできていない。恐らくは兄が『鬼』といることが納得できないからだろうとは、承知している。
だが、髭切はお構いなしに藤と共に日々を過ごしていた。そのせいで、膝丸は兄との時間を十分に過ごせないでいるように見えてしまうのだ。
「でも、僕が側にいないっていう状況にも、弟は慣れてほしいんだよねえ。できる限りは寄り添ってあげたいとは思っているよ。だけど、それはずっと近くにいるってこととは、少し違うって僕は考えているんだよね」
「それは、そうだけど」
髭切の目から見ても、膝丸が兄と共にいる時間を多く欲しているとは気が付いていた。
髭切も、彼の気持ちを疎んではいない。しかし、だからといって四六時中一緒にいるわけにもいかない。
任務が別になる機会もあるだろう。体格のいい彼らに、別々の仕事を割り振ることだって今後出てくるに違いない。ならば、互いが側にいない環境にも、慣れてもらう必要はある。
「さてと。ほら、もうお日様は山の向こうに行ってしまったよ」
「あ、本当だ。じゃあ、始めようか」
膝丸の話は途中で切り上げて、藤は縁側の片隅に置いておいた袋を取り出す。
中に入っているのは、色とりどりのカラフルな細い棒だ。少なくとも、髭切にはそう見えた。棒が収められている袋には、極彩色の絵でたくさんの花火が描かれている。
「これはね、手持ち花火なんだ。今度、皆でやりたいなって思っていてね。どんな感じになるか、久々に試したかったんだ」
「あれ、花火って空に打ち上げるものじゃなかったっけ」
「こっちは、家庭で楽しめる簡単な花火なんだよ。打ち上げ花火より大きくはないけど、でも楽しくて綺麗なのは一緒」
いそいそと封を開き、藤は細い棒の一つを髭切に持たせる。彼の大きな手と比較すると、花火の持ち手は、枯れ枝のように頼りなく見えた。
「火をつけるから、取り落とさないようにね」
藤の足元には、万が一のため、水を張ったバケツが置かれている。それでも、不測の事態というのは起こりうるものだ。
藤は、手持ちの携帯着火装置にパチリと火を灯す。髭切が見守る中、彼女は火を花火の先端に近づけた。
瞬間、シューッという蛇が鳴くような音をまき散らしながら、光と火花の奔流が枯れ枝から流れ始める。
「うわあっ」
突然の音と眩しさの奔流に、髭切が驚いて声をあげるのも無理はなかった。それでも、主の言いつけを守って、彼は花火を指でつまみ続けている。
「これは、すごいね。星が手の中に落ちてきたみたいだよ」
「うん。ほんのちょっとの間しか見られないのが、惜しいよね」
藤が言うように、髭切の花火は既に終わりの兆しを見せており、程なくして周囲は再び薄闇へと戻っていった。
しかし、すかさず藤が自分の花火に点火し、花火の光が暗く沈んだ庭を照らし出していく。髭切も、藤に渡された携帯着火装置を使って、見よう見まねで次の花火に火をつけた。
「こうしていると、昼間みたいに明るいねえ」
「こうやって近くで花火を見るからこそ、分かる明るさだよね。久しぶりにやったけど、やっぱり楽しいなあ」
次から次へと花火に点火すると、赤、青、緑、金色の光の花がほうぼうに咲き乱れる。
やがて、わざわざ着火装置を使うのも面倒だからと、藤は持ってきた缶に蝋燭を立てて、そこに火を灯した。そうすれば、蝋燭に花火をかざすだけで、点火ができるからだ。
「五虎退たちは、きっと喜ぶだろうなあ。和泉守は、大はしゃぎしそうだね」
「彼は、新しいものが好きみたいだからねえ。次郎も、賑やかな花火は気に入るんじゃないかい?」
「そうに違いないね。小豆は子供たちの面倒をみるのに大忙しになるだろうし、膝丸は」
そこで藤は言葉を句切る。
彼は、花火を見て何を思うのだろう。和泉守のように、彼が喜んでくれる顔は、すぐには思い浮かべられなかった。
「弟のことは、弟が自分で何とかするよ。ねえ、見て。こっちは主の色の花火だ」
「それなら、こっちは髭切の花火だね」
お互いが見せたのは、白っぽい金色の日花が飛び散る花火と、オレンジ色に瞬く花火だった。
ただそれだけのことが、何だか無性に嬉しくて、二人はくすくすと笑い合う。ひとしきり笑い終える頃には、ちょうど花火も打ち止めとなっていた。
「じゃあ、最後はこれだね」
残り少なくなった袋の中から、とりわけ短く細い棒を取り出して、藤は髭切に渡す。
「これは、どんな色の花火なんだい」
「それは見てのお楽しみ。なるべく動かさない方が長く楽しめる花火なんだよ」
蝋燭にかざして火を灯すと、程なくしてパチパチという小さな音と共に、金の火花が飛び散る。
綿毛のように細い火花が、繊細な細工物のように幾重にも輝き、髭切と藤の顔を照らし出していた。
「これはね、線香花火って名前なんだ。綺麗でしょう」
「……うん。とても」
言いながら髭切はゆっくりと顔を上げ、藤を見つめる。
線香花火の火花が柔らかく照らし出す、彼女の横顔。藤の顔に咲く、花火に負けず劣らず輝く笑顔を目に焼き付け、彼も目を細める。
「――とても、綺麗だね」
あの日からずっと探していた笑顔は、ここにある。
その想いが言葉となり、髭切の口から零れ出ていた。
「うん、すごく美しい花火なんだ。少し地味かもしれないけれど、僕は線香花火が大好きなんだよ」
彼女の返事は、やや的を外した内容だったが、髭切は何も言わずに笑みを深くしただけだった。
***
永遠に咲き続けるかと思えた花火も、いつかは終わりを迎える。
パチパチと弾けていた線香花火も、やがて息で吹き消したように不意に灯火を消し、周囲には今度こそ静かな夜が訪れた。
縁側に並んで腰掛けていた二人のうち、藤はおおきく息を吐き出し、
「あー、楽しかった! 髭切はどうだった?」
「うん。とっても面白かったよ。それにゆっくり見る花火もいいなあって思えたね」
「みんなと遊ぶときは、ちょっとどたばたしそうだものね。歌仙も一緒にやればよかったのに、どうせ後でやるなら僕はその時でいい、なんて言ってさ」
「そうだねえ」
適当に返事しつつ、髭切はじーっと藤を見つめる。何か言いたいことでもあるのだろうかと、彼女は首を傾げたが、続く言葉はない。
「髭切?」
「僕としては、主が楽しそうにしている姿がいっぱい見られてよかったな」
「ちょっと、子供っぽい振る舞いが多すぎたかな」
「僕は、そんな主の仕草を見ていると、わくわくするんだよね」
それは微笑ましく見守られているの言い間違いでは、と藤が苦笑いしていると、ずんずんと髭切が距離を詰めてきた。
鼻と鼻がぶつかるのではないかと思うほど、顔を近づけられれば、藤としても先に照れが生まれてくる。反射的に、顔を背けてしまった。
「ど、どうしたの。そんなに近づいて」
「主を見ていると、最近僕はとても落ち着くんだよねえ。二人きりのときは、特に。だから、こっちを向いてくれる?」
「向くのはいいけど、じろじろ見られると恥ずかしい……」
「おや、そうなのかい。難しいなあ」
髭切は僅かに身を引き、多少の譲歩の姿勢を見せる。彼の急接近で飛び跳ねていた藤の心臓も、どうにか落ち着きを得て、彼女は内心で胸をなで下ろした。
「じゃあ、そろそろ片付けを始めようか。終わったら、歌仙にねだってデザートを作ってもらおう」
「いい案だね。僕も、主を手伝うよ」
髭切の傍らで、歌仙に何を用意してもらおうかと思案している藤を、髭切は目を細めて見つめ続ける。
彼女の顔に浮かぶ笑顔はどんな花火よりも眩しく、どんなお菓子よりも気持ちを満たしてくれる。だから、この笑顔を決して奪わせまいと、髭切は改めて決意を固めたのだった。
「今頃、皆は楽しんでるのかなぁ」
藤は縁側に腰を下ろし、朱色に染まる空をぼんやりと眺めていた。とろりと溶けた黄身を思わせる太陽は、今まさに山の稜線へと消えて行くところだ。
長い昼が終わり、やがて夜が来る。黄昏時は、夏だろうが冬だろうが平等に訪れる瞬間だ。
「食べ過ぎて、誰かがお腹を壊していたりしてね」
「主じゃないんだから、そんなことはないだろうさ」
後ろから声をかけられ、藤は首だけを振り返らせる。
そこには、歌仙兼定が腰に手を当てて立っていた。暮れゆく西日が、彼の顔の半分を朱に染めている。
「それに、あそこの神社で行われる夏祭りは、万屋の祭りに比べれば小規模なものだそうだよ」
今日、藤の刀剣男士たちは、揃って近所の神社――あのムカデを祀っている神社の夏祭りに行っていた。
本丸の外で開かれる祭りの存在に和泉守が気が付き、万屋の混雑を先に体感しておくのも悪くないと歌仙が提案し、皆が参加する運びとなったのである。
もっとも、神社の中に入ると体調を崩す藤のために、歌仙と髭切は留守番だ。主一人を本丸に置いていくなど、彼女が構わないと言っても、彼らが首を縦に振らなかった。
「さて、僕は夕飯の片付けをしてくるよ。主は大人しく髭切と遊んでいるように」
「まったく、僕は子供じゃないんだよ?」
「子供みたいなものだろう」
相変わらずの軽口を叩き終えてから、歌仙はきびきびとした所作で厨に向かう。
あの里帰りの後から、歌仙は以前よりも穏やかに笑う機会が増えた。髭切に対しての反発心も、幾らか落ち着いたようである。きっと、何か心境の変化があったのだろうと、藤は深くは尋ねずにいた。
「ねえねえ、主。そろそろ頃合いなんじゃないかな」
歌仙がいなくなったと思いきや、今度は髭切が藤に声をかけてきた。弟の膝丸は、今日は夏祭りに参加する面々に連れられてしまったために、姿が見えない。
「うん。もうちょっとかな。太陽があそこの山に完全に隠れてからにしよう」
遠くに見える黒い山並みを指さして、藤は言う。続けて、彼女はやや気まずそうに、
「えっと、髭切。こんなこと、僕が訊いていいか分からないんだけど……膝丸と一緒にいなくていいの?」
「どうして?」
「だって、僕の件があって、髭切が僕と一緒にいると、膝丸は声をかけづらそうにしているようだから。僕が嫌われるのは仕方ないけれど、そのせいで彼が兄弟水入らずの時間を過ごせないのは、申し訳ないよ」
膝丸と藤の関係は、最近は平行線を辿っている。和泉守は幾分か藤に対しても気さくに話しかけてくれるが、膝丸は大体、話しかけても会話を無理矢理打ち切られることが多い。
浴衣を買いにいくときも断られてしまったし、その後も碌に話もできていない。恐らくは兄が『鬼』といることが納得できないからだろうとは、承知している。
だが、髭切はお構いなしに藤と共に日々を過ごしていた。そのせいで、膝丸は兄との時間を十分に過ごせないでいるように見えてしまうのだ。
「でも、僕が側にいないっていう状況にも、弟は慣れてほしいんだよねえ。できる限りは寄り添ってあげたいとは思っているよ。だけど、それはずっと近くにいるってこととは、少し違うって僕は考えているんだよね」
「それは、そうだけど」
髭切の目から見ても、膝丸が兄と共にいる時間を多く欲しているとは気が付いていた。
髭切も、彼の気持ちを疎んではいない。しかし、だからといって四六時中一緒にいるわけにもいかない。
任務が別になる機会もあるだろう。体格のいい彼らに、別々の仕事を割り振ることだって今後出てくるに違いない。ならば、互いが側にいない環境にも、慣れてもらう必要はある。
「さてと。ほら、もうお日様は山の向こうに行ってしまったよ」
「あ、本当だ。じゃあ、始めようか」
膝丸の話は途中で切り上げて、藤は縁側の片隅に置いておいた袋を取り出す。
中に入っているのは、色とりどりのカラフルな細い棒だ。少なくとも、髭切にはそう見えた。棒が収められている袋には、極彩色の絵でたくさんの花火が描かれている。
「これはね、手持ち花火なんだ。今度、皆でやりたいなって思っていてね。どんな感じになるか、久々に試したかったんだ」
「あれ、花火って空に打ち上げるものじゃなかったっけ」
「こっちは、家庭で楽しめる簡単な花火なんだよ。打ち上げ花火より大きくはないけど、でも楽しくて綺麗なのは一緒」
いそいそと封を開き、藤は細い棒の一つを髭切に持たせる。彼の大きな手と比較すると、花火の持ち手は、枯れ枝のように頼りなく見えた。
「火をつけるから、取り落とさないようにね」
藤の足元には、万が一のため、水を張ったバケツが置かれている。それでも、不測の事態というのは起こりうるものだ。
藤は、手持ちの携帯着火装置にパチリと火を灯す。髭切が見守る中、彼女は火を花火の先端に近づけた。
瞬間、シューッという蛇が鳴くような音をまき散らしながら、光と火花の奔流が枯れ枝から流れ始める。
「うわあっ」
突然の音と眩しさの奔流に、髭切が驚いて声をあげるのも無理はなかった。それでも、主の言いつけを守って、彼は花火を指でつまみ続けている。
「これは、すごいね。星が手の中に落ちてきたみたいだよ」
「うん。ほんのちょっとの間しか見られないのが、惜しいよね」
藤が言うように、髭切の花火は既に終わりの兆しを見せており、程なくして周囲は再び薄闇へと戻っていった。
しかし、すかさず藤が自分の花火に点火し、花火の光が暗く沈んだ庭を照らし出していく。髭切も、藤に渡された携帯着火装置を使って、見よう見まねで次の花火に火をつけた。
「こうしていると、昼間みたいに明るいねえ」
「こうやって近くで花火を見るからこそ、分かる明るさだよね。久しぶりにやったけど、やっぱり楽しいなあ」
次から次へと花火に点火すると、赤、青、緑、金色の光の花がほうぼうに咲き乱れる。
やがて、わざわざ着火装置を使うのも面倒だからと、藤は持ってきた缶に蝋燭を立てて、そこに火を灯した。そうすれば、蝋燭に花火をかざすだけで、点火ができるからだ。
「五虎退たちは、きっと喜ぶだろうなあ。和泉守は、大はしゃぎしそうだね」
「彼は、新しいものが好きみたいだからねえ。次郎も、賑やかな花火は気に入るんじゃないかい?」
「そうに違いないね。小豆は子供たちの面倒をみるのに大忙しになるだろうし、膝丸は」
そこで藤は言葉を句切る。
彼は、花火を見て何を思うのだろう。和泉守のように、彼が喜んでくれる顔は、すぐには思い浮かべられなかった。
「弟のことは、弟が自分で何とかするよ。ねえ、見て。こっちは主の色の花火だ」
「それなら、こっちは髭切の花火だね」
お互いが見せたのは、白っぽい金色の日花が飛び散る花火と、オレンジ色に瞬く花火だった。
ただそれだけのことが、何だか無性に嬉しくて、二人はくすくすと笑い合う。ひとしきり笑い終える頃には、ちょうど花火も打ち止めとなっていた。
「じゃあ、最後はこれだね」
残り少なくなった袋の中から、とりわけ短く細い棒を取り出して、藤は髭切に渡す。
「これは、どんな色の花火なんだい」
「それは見てのお楽しみ。なるべく動かさない方が長く楽しめる花火なんだよ」
蝋燭にかざして火を灯すと、程なくしてパチパチという小さな音と共に、金の火花が飛び散る。
綿毛のように細い火花が、繊細な細工物のように幾重にも輝き、髭切と藤の顔を照らし出していた。
「これはね、線香花火って名前なんだ。綺麗でしょう」
「……うん。とても」
言いながら髭切はゆっくりと顔を上げ、藤を見つめる。
線香花火の火花が柔らかく照らし出す、彼女の横顔。藤の顔に咲く、花火に負けず劣らず輝く笑顔を目に焼き付け、彼も目を細める。
「――とても、綺麗だね」
あの日からずっと探していた笑顔は、ここにある。
その想いが言葉となり、髭切の口から零れ出ていた。
「うん、すごく美しい花火なんだ。少し地味かもしれないけれど、僕は線香花火が大好きなんだよ」
彼女の返事は、やや的を外した内容だったが、髭切は何も言わずに笑みを深くしただけだった。
***
永遠に咲き続けるかと思えた花火も、いつかは終わりを迎える。
パチパチと弾けていた線香花火も、やがて息で吹き消したように不意に灯火を消し、周囲には今度こそ静かな夜が訪れた。
縁側に並んで腰掛けていた二人のうち、藤はおおきく息を吐き出し、
「あー、楽しかった! 髭切はどうだった?」
「うん。とっても面白かったよ。それにゆっくり見る花火もいいなあって思えたね」
「みんなと遊ぶときは、ちょっとどたばたしそうだものね。歌仙も一緒にやればよかったのに、どうせ後でやるなら僕はその時でいい、なんて言ってさ」
「そうだねえ」
適当に返事しつつ、髭切はじーっと藤を見つめる。何か言いたいことでもあるのだろうかと、彼女は首を傾げたが、続く言葉はない。
「髭切?」
「僕としては、主が楽しそうにしている姿がいっぱい見られてよかったな」
「ちょっと、子供っぽい振る舞いが多すぎたかな」
「僕は、そんな主の仕草を見ていると、わくわくするんだよね」
それは微笑ましく見守られているの言い間違いでは、と藤が苦笑いしていると、ずんずんと髭切が距離を詰めてきた。
鼻と鼻がぶつかるのではないかと思うほど、顔を近づけられれば、藤としても先に照れが生まれてくる。反射的に、顔を背けてしまった。
「ど、どうしたの。そんなに近づいて」
「主を見ていると、最近僕はとても落ち着くんだよねえ。二人きりのときは、特に。だから、こっちを向いてくれる?」
「向くのはいいけど、じろじろ見られると恥ずかしい……」
「おや、そうなのかい。難しいなあ」
髭切は僅かに身を引き、多少の譲歩の姿勢を見せる。彼の急接近で飛び跳ねていた藤の心臓も、どうにか落ち着きを得て、彼女は内心で胸をなで下ろした。
「じゃあ、そろそろ片付けを始めようか。終わったら、歌仙にねだってデザートを作ってもらおう」
「いい案だね。僕も、主を手伝うよ」
髭切の傍らで、歌仙に何を用意してもらおうかと思案している藤を、髭切は目を細めて見つめ続ける。
彼女の顔に浮かぶ笑顔はどんな花火よりも眩しく、どんなお菓子よりも気持ちを満たしてくれる。だから、この笑顔を決して奪わせまいと、髭切は改めて決意を固めたのだった。