本編第二部(完結済み)

 翌朝。駅前にタクシーを呼びつけた藤は、髭切と歌仙を伴って目的地である山の麓にまで行くように運転手に頼んだ。
 人の良さそうな初老の運転手は「行くのはいいですが、あんな何もない所で何をするんですか?」と、不思議そうに尋ねてきた。
 その言葉が、全くの虚飾なしの事実だと、歌仙たちは到着してすぐに思い知ることになる。
 そこにあったのは、草と木と舗装されていない道――だけだった。右を見れば辛うじて民家が建ち並び、住人が所有している畑らしきものが見受けられるが、それ以外は自然が人の住み処を覆い尽くしている。
 山に分け入るための道は用意されているが、それもどこまで整備されているか不明瞭だ。

「これは、何といえばいいのか……」
「立派な山、だねえ」

 唖然としている歌仙に続き、髭切が暢気に眼前の事実を一言で表現する。

「小さいときは何とも思っていなかったんだけれど、やっぱり大きいな……」

 藤も、まるで初めて見たかのようにしみじみと呟く。
 ちょっとそこまでハイキング、という気分で来てみた三人は、想像以上に雄大な自然に圧倒されていた。

「ここは、主の故郷なのだろう。きみにとって、この光景は馴染み深いものじゃないのかい?」
「僕は小さい頃から、ずっとこの山の中で育っていたから、外から見るのは初めてだよ。下山したときは、僕には意識がなかったし、その後も戻ってはこれなかったから」

 幼かった頃は当然と思っていても、大人になって理性や常識を知ってからでは、受ける印象もまるで異なるものだ。
 とはいえ、眺めていても山が縮むわけでもなし。気を取り直して、藤が一歩を踏み出そうとしたときだった。

「おーい、あんたたち。山に入んなさるつもりかね」

 やや訛りの混じった、独特の声が三人の耳に届く。
 振り返ると、丁度近くにあった民家から、初老の男性が顔を見せていた。

「はい、そのつもりです」

 三人の代表として、刀剣男士の主である藤が答える。

「その格好で入るんだったら、あんまり奥まで行っちゃあ、いかんぞ。足元が悪くなるからなあ」
「この道の向こうにあるという廃集落に行きたいのだけれど、それも駄目かい」

 歌仙が尋ねると、男は暫く悩んだようなそぶりを見せてから、一度家に引っ込み、程なくして戻ってきた。彼の手には、あちこち皺やよれができた地図が握られている。

「あんたらみたいに、廃集落やら廃墟目当ての連中が、ここにはよく来るんだ。道も途中までは、ある程度しっかりしているから、大した装備もいらなさそうに見えるが、それでも山は山だ。迷えば、命を落としかねん」
「それは、分かっているつもりです。でも、どうしても行きたいんです」

 藤が食い下がると、彼女の目から遊び半分出ない真剣さを感じてか、老人は観念したように息を吐きだした。

「わかった、わかった。登山道から外れなかったら、そこまで危なくはない。昔、奥で住んでいたもんもいたらしいからな。その時代の廃墟なら、まあまあ見応えもあるだろう」
「あの、奥で住んでいた廃墟を使っていた人たちのこと、何か知っていますか」

 藤が母から聞いた話が正しければ、そこには昔、藤の両親や祖父母が暮らしていたはずだ。彼女が食い下がる様子を見て、歌仙と髭切も老人の次の言葉を待った。
 だが、彼はゆっくりと首を横に振る。藤の顔から、一瞬よぎった期待が消えていった。

「俺は、つい二年ほど前にこっちに来た余所者だからなあ。昔のことは、さっぱり知らんのだよ」

 こんな辺鄙なところに、どうしてわざわざ――と疑念を抱いた藤の心を読んだように、老人は続ける。

「昔、そうだなあ……もう十五年ほど前になるか。この山で知人が遭難して、行方不明になってそれっきりでな。捜索も打ち切られて、遺体すら見つからない。まあ、よくある話なんだが、何となくあいつのことが忘れられなくってな」

 目を細める老人とは裏腹に、藤は微かに目を見開く。何か言おうと唇は震えているが、結局、音が出るより先に老人の方が言葉を続けていた。

「こうして、仕事を退職してからは、ここに住むようにしたってわけさ。俺もあいつも家族はいなくて、山登りばっか好きでな。いつか山でくたばるだろうって、冗談で笑い合ったもんだが、まさかあんなに早く一人で行っちまうとはねえ」

 寂しがるというよりは、誰かに聞かせたかった昔話を語るように、老人は目尻を細めて言葉を締めくくる。
 歌仙や髭切にとって、彼の言葉はただの個人の思い出に過ぎなかった。
 だが、藤にとっては違う。
 十五年ほど前。行方不明になって、遺体も見つからず。
 それは、もしかしたら――と。
 幼い時分に人の肉を食らったのは、覚えている限りで二度。一度は、昨日思い出した通り。そして、更に前にもう一度。それが、誰だったのか、彼女は知らない。
 確信は持てない。山で命を落とせば、それを糧とするのは、何も鬼だけではないのだから。
 けれども、藤は何か言うべきではないかと己の心を必死に駆り立てた。だが、一歩踏み出しかけた足は止まってしまい、震えかかった喉は、音を発せずにいた。

「まあ、そんなわけで、あいつみたいなことにはならんようにな。そんな軽装で行くんなら、ちょっと近くの廃墟を見るだけにしておくんだぞ」

 何も知らない老人は、親切な助言だけを与えてくれる。
 すぐに返事ができず、立ち尽くしている藤に気が付いたのだろう。様子が変だと察した歌仙が、彼女の代わりに前に出た。

「近くということは、そこから更に奥があるのだろうか?」
「あるにはあるが、その奥は登山向けの整備された道じゃあない。どれが正しい道か分からなくなるような、獣道ばかりだ。玄人だとしても、お勧めはできんよ」
「分かった。気をつけるよ」

 一旦は形だけの返答をする。そうしないと、彼は行かせてくれなさそうだと、歌仙は感じていた。

「ああ、そうだ。どうせ向かうのなら、お参りをしていくといいかもしれんな」
「お参り?」
「わしは、あまりちゃんと見ておらんので、よくは知らんのだが、どうにも廃墟の側に小さな祠があるらしい」
「祠ねえ」

 髭切は意味ありげに呟く。
 本丸の裏山にも、祠はある。先日、主が話してくれたところによると、どうやら麓の神社から分けて祀っているものらしい。ここも似たようなものだろうか、と髭切は思う。

「時々、その祠目当てで来る珍しいもんもおってな。眼鏡かけた都会の若いもんで、そういうものを探して回っているとかなんとか……何ぞ、流行でもあるのかねえ」

 老人が告げた訪問者の特徴を聞き、歌仙の眉がぴくりと動く。彼が語る人物の特徴に類似した男を、彼は先日目にしていた。
 まさか、と思い、しかしひょっとしたら、と歌仙は意を決して問う。

「それは、生真面目そうな顔立ちで、黒髪の……前髪をこのように分けている人だったのでは?」

 歌仙の手つきを見て、老人は「そうだそうだ」と深く頷く。

「歌仙の知り合い?」
「知り合いも何も……いや、後で話そう」

 歌仙の表情から察するに、あまり良い意味合いではないのだろう。その心の動きを汲み取り、藤も口を塞いだ。

「行くんなら気をつけてな。今日は晴れる言うてたが、いつ天気が崩れるかも知れん。山の天気は、よく変わるからなあ」
「はい。ご忠告、ありがとうございました」

 藤はぺこりと頭を下げ、二人を連れて舗装されていない土の道に足をかけた。


 ***


「ねえ、歌仙!」

 藤が声を張り上げ、歌仙に呼びかける。
 その声を覆い隠すように、ざくざくと枝や土を踏みしめる音、ざわざわと草をかき分ける音が続く。

「歌仙!!」

 もう一度彼女が声をかけると、不意にそれらの雑音は止んだ。

「どうしたんだい、主。舌を噛むよ」
「いや、ずっとこのままで登っていくつもり? 恥ずかしいんだけど……」
「だが、この方が早いだろう」

 藤の声は、歌仙のすぐ後ろから聞こえていた。何故なら、今、彼女は歌仙の背中におぶわれていたからだ。
 別に怪我をしたのではない。単に、彼女の足が二人より遅いからである。藤が極端に足が遅いわけでもなければ、体力がないわけでもない。二人が、刀剣男士として本気で走る速度が異常なのだ。

「君たちの足、どうなってるの?」
「どうなってるも、こうなってるも、普通の足だよ」

 本来なら、足元の悪い山道は、決して全力で駆け回れるところではない。なのに、まるで舗装された道と同じように全力で走り回れるのは、彼らが人ならざるものだからこそ、できることだろう。
 藤も山育ちではあるが、それも十年以上前の話だ。今も裏山で散策程度ならこなすが、ハイキングの領域は出ていない。そんな彼女が、二人に追いつけるわけがなく、結局歌仙が背負うと言い出したのだった。

「ちょ、ちょっと下ろして。揺られすぎて、頭がぐらぐらしてきた」
「休みたかったんだね。それなら、そう言えばいいものを。ほら」

 手近な切り株に歌仙は藤を座らせ、自分も大きく伸びをする。山に入る前に見た空は澄み渡っていたが、今は木々がほうぼうに枝を伸ばしているため、日差しの恩恵には与れそうもなかった。

「あの、さ」

 髭切に預けていた荷物から、水筒を取り出した藤は、それをじっと見つめながら口火を切る。

「さっきのおじいさんが話していた、行方不明になったっていう人。もしかしたら、だけど……僕が、昔、その……食べてしまった人、なのかもしれない」

 麓で話を聞いてから、ずっと喉の奥に引っかかっていたものを、藤はどうにか言葉として形にした。

「言うべきだったの、かな。あの人に」
「言って、どうしたかったの?」

 気付けば、髭切は藤の前にしゃがみこみ、下から覗き込むようにして彼女を見つめていた。澄んだ琥珀色の目は、日の光が少ないせいか、今は底なしの穴のようにも見える。

「あの人に話して、それで」
「許してほしかった? それとも怒ってほしかった?」

 続けて問われ、藤は答えに窮する自分に気がつく。
 自分から望んでしたわけではないとはいえ、加えて言うならば既に死した者の体とはいえ、それに傷をつけて己の糧にする行為を正当化して、知らぬ存ぜぬを貫き通そうとまでは、藤も思っていない。
 だから、次郎が話した通り、己が何をしたかということから目を背けるつもりはなかった。仕方ないという言い訳で、見ないふりはしないでおきたいと、改めて感じていた。
 だが、彼女は今まで、誰からもその件について責めは受けていなかった。刀剣男士たちだけではなく、知人も養父母も、無理に押しつけられて、断り切れない状況だったのだろうと、労ってきたほどだ。

「次郎太刀が言っていたよね。背負うって決めたのなら、それは君の責任。他の連中が、良し悪しを決めるものじゃないって。なのに、君は、あの人間に知ってもらって、怒られたがっているように見えるよ」
「……それは、駄目なことかな」

 今まで、労ってもらってはきた。だが、悪いことをしたと分かっているのに、周りから正当な裁きを与えられないのは、それはそれで藤にとっては苦しみでもあった。
 いっそ、関係者に『何てことをしたんだ』と激怒されれば。あるいは『気にしないでくれ』と許されれば。
 そんな風に思っているのだと、髭切に確認されて、藤は改めて己の心の動きについて知る。

「僕が、駄目とか良いとか決めるものじゃないだろうけれど、何を言われたって、主がしたことが変わるわけではない。それは、思い出した方がいいんじゃないかな」
「――そうだね。僕は、ただ、楽になりたかったんだろうね」

 何も知らなかった頃の自分に戻りたいと、心のどこかで思っていた。そんな自分を、藤は否定できない。
 けれども、無知な自分よりは、目を背けたくなることでも知っている自分の方が、少しだけ良い未来に進める確率が高いように思えた。以前、次郎にも言われたように。

「逃げはしないよ。なかったことにはしない。僕がしたことは消えないし、そうしてきた結果、僕は生きている。それを、僕は忘れない」

 美化もしなければ、消去もしない。
 胸に手を当て、藤は大きく息を吸い込む。山の空気に身を浸していると、嘗ての遠い記憶が蘇る。
 良かったことばかりでもない。だが、悪かったことばかりでもない。ここに暮らし、ここで息をして、ここで育った。その事実を歪めずに、藤はありのままで受け入れる。
 そんな主の様子を、髭切はじっと見つめていた。彼女の心が何を決断したのかを、見極めるかのように。


 藤には己を見つめ直す時間が少し必要だろうと察し、髭切は黙って成り行きを見守っていた歌仙の方に足を向ける。彼は、漫然と周りの木々を眺めて目を細め、自然に浸っているようだった。

「歌仙。さっき、あの麓にいた人間が話していたとき、何やら知り合いが、ここに来ているみたいな話をしていたよね」
「知り合い……まあ、そう表してもいいのだろうね」
「ずいぶんと、奥歯に物が挟まった言い方をするねえ」
「僕を罠に嵌めた、例のこんのすけの操り手について、きみは覚えているだろうか。僕は彼と対面で会っているのだが、その彼と麓の話に出てきた人間の特徴が、合致しているんだ」

 歌仙の説明を聞き、物思いに耽っていた藤も我に返り、目を丸くする。

「じゃあ、その人は僕の故郷に、わざわざ何度も来ているってこと?」
「他人のそら似という可能性は、十分にあり得るよ。髪色と前髪の分け方、それに眼鏡という特徴が合っているだけだからね」

 たしかに、都会のど真ん中で人を探しているのだったなら、それだけの相似では確たる証拠にはならないだろう。
 しかし、藤の故郷の近辺は田舎といって差し支えない程度の土地であり、加えて山に登るものとなると、更に絞られる。
 そのような状況下で、藤に深く関わった人間と同じ特徴を持った者が出没していたとなると、それはにわかに同一人物の可能性を高める符号に様変わりする。

「なんで、わざわざそんなこと……」
「心当たりがないのなら、行ってから確かめようよ。考えるだけ、時間がもったいないだろうから」

 髭切に話をまとめられ、それもそうかと考えを切り替え、彼らは再び歩き始める。


 それから十分もしないうちに、彼らは二軒の廃墟を発見した。
 壁も柱もほぼ全て木で作られた家は、朽ちるに任せて放置しているといった風体であり、損壊の箇所も多い。ただ、年季が入っているようにも見えず、せいぜい築三十年ほどだろうと、藤は見上げながら思う。
 本丸の建物よりは古さを感じるが、かといって使い古したにしては、まだ幾ばくかの新しさが残っている。ぐるりと辺りを見渡すと、雨風に晒されて風化したのか、或いは意図的なものか、扉や壁の一部には著しい損壊の跡が見て取れた。

「ここが、主の家?」

 後ろからついてきた髭切が、しげしげと壁の一部を見つめながら問う。藤は、すぐに首を横に振って否定の意を示した。

「違うよ、髭切。ここは、多分、お母さんたちが育った方の家だ。ほら、昨日話したでしょ」
「住む場所を移していったと言っていたね。それがここ、というわけか」

 歌仙が藤の言葉を拾い上げ、しみじみと頷く。
 祖父母が子供たち――つまり、藤の父母にあたる者を育てるとき、生活の場を移していたらしいと藤は語っていた。ここが、その家なのだろう。
 山奥から家を解体して移動させた、というよりは、そこに生えていた木々で作り上げたのではないかと、歌仙は当時の彼らへと思いを馳せる。恐らく、並々ならぬ苦労があったに違いない。

「ここから中に入れるかな?」

 藤が良いとも言わないうちに、髭切は穴のあいた壁に軽く手をかける。
 すると、見た目以上に損壊が進んでいたのだろう。ばらばらと音を立てて、壁の一部が崩れ落ち、部屋の様子が露わになった。

「髭切、きみはもう少し風情を大事にするとか、思い出を守るとか、そういう考え方はないのかい?」
「ごめんごめん。でも、元々ひどく壊れていたみたいだよ」

 ほら、と髭切が指さす通り、壁の一部は何か重たいものを叩きつけたかのような、めり込み方をしていた。それも、一つ二つではなく、壁の至る所に傷跡は散らばっている。

「まるで、外側から壊そうとしていたみたいだね」
「だからって、きみまで壊していい理由にはならないだろう。中に入るなら、玄関から入ればいい」
「あとは、こっちかな。雨戸みたいなのがあるよ」

 藤が二人を呼び寄せた先では、同じように損壊の進んだ戸袋があった。特に穴が大きかったためか、そこからは部屋の中が丸見えになっている。くしゃくしゃになった何年も前のカレンダーが、かつての縁側として使われていた部分に転がっていた。

「……何というか、物取りにでもあったみたいだね」
「ああ。あるいは、徹底的に壊したがっているような、そんな風に見えるよ」

 髭切の感想を受けて、歌仙も頷く。
 戸袋の穴から覗き見えたのは、こじんまりとした部屋だった。障子や襖ではなく、木製の衝立のようなものが間仕切りとして置かれているが、こちらもまた打ち倒されている。おかげで、向こう側の居間らしき部屋が目に飛び込んできた。
 退去した折に、家財道具の一切は持ち出したのだろう。家具はないが、不自然に破壊された痕跡の残る床板や壁は、藤の心に嫌なざわめきを与えていた。

「主」
「ま、まあ、今は誰のものでもないから、後から来た人が壊したって、別に問題はないんじゃないかな」
「誰のものでもないからと言っても、好き放題にしていい理由にはならないよ」
「……大丈夫、歌仙。ありがとう」

 歌仙の気遣いを察し、藤は礼の言葉を口にする。実際、多少動揺こそしたものの、歌仙が想像しているほどには苦い感情が生まれてはいなかった。
 自分にとって見覚えのない場所だったからかもしれない。ただ、ほんの少しチクリと胸が痛んだだけだ。
 廃墟に突っ込んでいた顔を引っ込め、藤が振り返ると、歌仙だけがそこに立っていた。髭切はどうしたのかと辺りを見渡すと、彼は二軒の家から、やや離れた茂みに立って、こちらに向けて手を振っている。

「髭切、何かあったの?」
「さっきの人が話していた祠、見つけたんだよ。これじゃないかな」

 髭切が指差した先には、彼の言うとおり、小さな祠らしきものがあった。丁度、段差になっている部分の斜面を削り取り、岩で補強して祠としたらしい。
 石像らしき物が安置されているが、明らかに素人の作りであることは明白だ。辛うじて人の姿をとっているのは分かる程度の代物であり、ありがたみはあまり感じられない。
 だが、廃墟の周りには落ち葉や枝で覆われているにも拘わらず、ここだけは綺麗に周囲が掃除されていた。

「手入れがされているね。最近、誰かがここに来たのだろう」
「それが、歌仙の話していた人?」

 藤に問われ、歌仙は答えに迷う。そう決めつけてしまっていいものなのか、歌仙としても一概に言い切れなかった。

「付喪神に仕事で関わっている人だから、こういうのは大事にしたいって考えているのかな」
「その割には、僕への扱いは随分とぞんざいだったけれどね」
「……うん。何だか、噛み合わないんだよね。あの人、何を考えてるんだろう」

 藤は無意識に、髭切が背負っている荷物に目をやった。そこには、彼女の携帯用端末も仕舞ってある。
 先日、歌仙に関する一連の騒動については、担当の富塚を経由して詳細の確認を訴え出ていた。その返事は、まだ来ていない。

「主。こちらに散らばっている草は、もしかして花じゃないかな」

 髭切に呼びかけられ、藤ははっとする。
 彼が指さした先をよくよく見ると、枯れた花が並べられていた。萎れてしまって判然としていなかったが、何かの意図を持って置かれているに違いない。

「僕もお参りしておこうかな」

 祠がここにあるということは、祖父母はここに祠をわざわざ作り、何かを祈っていたということだ。その思いに敬意を示すためにも、藤は丁寧に手を合わせて頭を垂れた。
 しばらくの沈黙の時間を経て、顔を上げた彼女に、

「それで、主。里帰りはここでおしまい?」

 彼に問われ、藤は思案する。
 彼女にとって、これらの家は全く見知らぬ建物だった。つまり、彼女にとって帰る場所は、ここではない。
 もっと奥に向かえば、知っている景色にたどり着けるかもしれないが、麓の老人が話していたように、正しい道から外れた場合のときのことを考えると、安易に首は縦に振れない。
 勘だけで進めば、迷うに違いない。それでも、行きたいという気持ちは消せそうにもなかった。

「もう少しだけ奥まで行こう。この家が見えなくなる位置に来たら、そこで引き返す。それまでに、もし、僕の見覚えのある景色が見つかったなら、そのときはもう少しだけ先に進みたい」

 そこまで口にした瞬間、ふと藤は顔を上げた。まるで、山の向こうから誰かが呼んでいるような気がしたからだ。
 あたかも、故郷という存在そのものが、久方ぶりの最後の住人を歓迎しているかのように。その感覚が、彼女に自信を与える。

「僕が道案内をするから、僕の言うとおりに連れていって欲しい」

 今なら迷わずにたどり着ける。藤の決意を秘めた眼差しを、刀たちもまた受け入れた。


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